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カワカミプリンセス

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カワカミプリンセス
第48回宝塚記念出走時
(2007年6月24日)
欧字表記 Kawakami Princess[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 2003年6月5日(21歳)[1][2]
抹消日 2009年11月19日[3]
キングヘイロー[1][2]
タカノセクレタリー[1][2]
母の父 Seattle Slew[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道三石町[1][2]
生産者 三石川上牧場[4]
生産牧場 三石川上牧場[1][2]
育成 高昭牧場(北海道浦河町[5]
馬主 有限会社三石川上牧場[1][2]
調教師 西浦勝一栗東[1][2]
調教助手 柳田三千男[6]
厩務員 深川享史[6]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀3歳牝馬(2006年)[1][2]
JRA賞最優秀父内国産馬(2006年)[1][2]
生涯成績 17戦5勝[1][2]
獲得賞金 3億5089万2000円[1][2]
WTRR 115L(2006年)[7]
勝ち鞍
GI 優駿牝馬 2006年
GI 秋華賞 2006年
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カワカミプリンセス(欧字名:Kawakami Princess2003年6月5日 - )は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

2006年の優駿牝馬(オークス)、秋華賞を無敗で制し、牝馬二冠を果たした。同年のJRA賞最優秀3歳牝馬およびJRA賞最優秀父内国産馬である。

概要

2003年6月5日、遅生まれで生まれた父キングヘイロー、母タカノセクレタリーの牝馬である。北海道日高地方三石町川上地区にある、GI級競走未勝利の三石川上牧場が生産した。日高生産の牝馬は人気がなく、牧場自ら所有して競走馬となった。牧場主の実家である浦河町の高昭牧場で育成が施された。中央競馬栗東トレーニングセンター西浦勝一厩舎に入厩し、初期は本田優主戦騎手を務めた。2001年の桜花賞秋華賞を制し、牝馬二冠を果たしたテイエムオーシャンと同じ、西浦本田タッグで出世を果たした。

3歳2月の新馬戦で初出走初勝利、3月の君子蘭賞(500万円以下)で連勝、4月のスイートピーステークス(OP)で3連勝として、クラシック戦線に乗った。そして3戦3勝で臨んだ牝馬クラシック第二弾・優駿牝馬(GI)を優勝。1943年クリフジ、1946年ミツマサ、1957年ミスオンワードに続いて史上4頭目、49年ぶりとなる無敗優勝したほか、1982年シャダイアイバーの78日に次いで史上2番目の早い、デビューから85日での戴冠を果たした。

それから直行して臨んだ牝馬三冠の最終戦・秋華賞(GI)も優勝。2002年ファインモーション以来5年ぶり史上2頭目となる無敗優勝をしたほか、1986年メジロラモーヌ、1997年メジロドーベル、2003年スティルインラブに続いて史上4頭目となる二冠目、三冠目の牝馬二冠を果たした。すなわち、史上初めて無敗で二冠目と三冠目を優勝した牝馬二冠だった。

続くエリザベス女王杯(GI)でも1位入線を果たしたが、直線でヤマニンシュクルの進路を妨害。1991年天皇賞(秋)メジロマックイーン以来となる1位入線場の降着処分が下った。2位入線のフサイチパンドラを1着に繰り上げさせて12着降着、初めて敗戦となった。その後は、引退する6歳末まで3年間走ったが勝利できず、12連敗だった。通算成績17戦5勝。

誕生までの経緯

三石川上牧場

三石川上牧場は、北海道日高地方三石町川上地区にある競走馬生産牧場である[8]。1988年に20歳の上山浩司[注釈 1]が、川上地区に広がる農業を止めて耕作放棄地となっていた土地を買い取って敷地を確保し、繁殖牝馬3頭で生産を開始していた[8]。上山の実家は、北海道浦河町の高昭牧場であり、次男だったために独立をしていた[8]。高昭牧場のすぐ近くには、1957年の桜花賞優駿牝馬(オークス)を無敗で制したミスオンワードの生産牧場があり、上山は幼少の頃から、ミスオンワードを認識しながら育っていた[8]

牧場のある三石は、これまでオグリキャップハクタイセイヒシミラクルなど、どういうわけか芦毛の活躍馬を輩出する馬産地だったが、三石川上牧場の立地は悪かった[8]。海が遠くて山がちであり、夏は熱く、冬は寒く、鹿が放牧地に頻繁に出る厳しい環境だった[5]。そのうえ馬主や調教師が気軽に訪れることができず、彼らと幼駒が結び付く機会に乏しかった[5]

上山が一人で始めた牧場だったが、時を経て妻帯、さらに従業員を雇い4人で経営し[8]、10頭以上の繁殖牝馬を繋養するようになった[9]。これまでの生産馬では、1995年生産のカネトシガバナー(父:アンバーシャダイ)が出世していた。2歳、1997年夏にデビューし、14戦3勝の身で1998年の神戸新聞杯(GII)に参戦、重賞初参戦していた[10]

カネトシガバナー

14頭立てとなる中、キングヘイローが立ちはだかっていた。キングヘイローは、皐月賞2着、東京優駿(日本ダービー)1番人気であり、ダンシングブレーヴグッバイヘイローという欧米のG1級競走11勝の両親に持っており、1.9倍の抜けた1番人気に支持されていた[10]。それでもレースでは、カネトシガバナーが、キングヘイローなどを下して優勝。重賞初優勝を果たしていた[10]

日高地方の小牧場は、それぞれ受け継いできた名牝系を頼りにするところが多かったが、三石川上牧場には名牝系の後ろ盾がなかった[11]。そのため、上山は、盛んに外に出かけて牝馬を仕入れなければならなかった[11]。そして1990年代後半、アメリカのキーンランドで行われるセプテンバーセールで出会ったのが、父シアトルスルーの牝の幼駒(後のタカノセクレタリー)だった[11]

タカノセクレタリー

その牝の幼駒は、父はシアトルスルー、母はサマーセクレタリー、三代母はサマーゲストだった[12]。サマーゲストは、1972年アメリカの3歳牝馬戦線をスーザンズガールと争い、コーチングクラブアメリカンオークスを制していた[13]。また3歳牝馬ながら臨んだウッドワードステークスでは、キートゥザミントに次ぐ2位入線を果たしていたが、降着となり3着[13]。この先ウッドワードステークスにおいて、3着以内となる牝馬は37年現れなかった[注釈 2]グレード制導入後の1974年には、G1競走のスピンスターステークスを優勝していた[12][13]

通算13勝を挙げたサマーゲストは、14勝を挙げたキートゥザミントと交配[12]。それから産まれた牝馬ゴールデンサマーは、1973年のアメリカ三冠馬セクレタリアトと交配[12]。そして産まれたのが、サマーセクレタリーだった[13]。サマーセクレタリーは、主にハリー・アレン・ジャーケンス英語版厩舎[注釈 3]に属して、1989年から1991年のボーゲイハンデキャップ英語版にて2勝2着1回したほか、通算11勝を挙げていた[13]。そしてそのサマーセクレタリーと結びついたのが、1977年に無敗でアメリカ三冠を果たしたシアトルスルーだった[12]

サマーゲストに、キートゥザミント、セクレタリアト、シアトルスルーが注入されたその牝の幼駒を[12]、上山は「最初から繁殖として意識するというわけではなく、走らせるつもり[11]」で落札する。1997年に日本に持ち帰った[14]。上山自身は、まだ馬主資格を得ておらず[11]、実家の高昭牧場の所有馬として競走馬となり[15]、「タカノセクレタリー」という名前が与えられる[16]。しかしタカノセクレタリーは、心房細動を患っていた[17]。デビューを果たすも4戦全敗し、上山の期待に沿えなかった[11]。競走馬として早々に用途がなくなり、繁殖牝馬に転向となるほかなかった。初めは、高昭牧場に繋養される話もあったが、父の取り計らいで三石川上牧場にもたらされる[11]

初年度はハンセルと、2年目はスキャターザゴールドと交配し初仔、2番仔を得る[14]。そして3年目は、キングヘイローと交配していた[14]。上山がキングヘイローとタカノセクレタリーを結び付けたのは、いくつかの理由があった。

キングヘイロー

まずタカノセクレタリーは、シアトルスルーの傾向を強く受け継いで、体が大きかった[18]。そのため上山は、反対に体の小さな仔が産まれやすいキングヘイローを選択していた[19][18]。それから小牧場の上山は、身の丈に合わない種付け料の高い種牡馬を選ぶという危険なギャンブルに挑むのを避け、堅実な経営を志向していた[11]。このため、種付け料の安いにもかかわらず、父ダンシングブレーヴ、母グッバイヘイローという良血のキングヘイローは、あまりに都合が良かった[19][11]。さらに上山は、キングヘイローが出走したかつての神戸新聞杯を現地で観戦しており[10]、そこで実物を見て良い印象を持っていた[19][11]。これ以来上山は、キングヘイローを高く買い、スペシャルウィークセイウンスカイなどがいるその世代で最も良い印象を持ち続けていた[11]

幼駒時代

オーナー決定の経緯

2003年6月5日、北海道三石町の三石川上牧場にて、タカノセクレタリーの3番仔(後のカワカミプリンセス)が誕生する。遅生まれのため、早く生まれた他の仔より小さかった[20]。上山によれば「妹みたいな感じで、甘えん坊の、きかない馬[20]」だったという。

上山は、牧場の生産馬は、自らで抱えず、すべて売却してお金に変換するのが、理想と考えていた[18]。しかし日高地方の生産馬、それも牝馬は、良い価格で売ることができなかった[18]。この3番仔も、初めは売却を目指した。上山は、3番仔に250万円という価格設定で、ある顧客に突き付けていたが、決裂していた[18]。行先なく、結局牧場名義、有限会社三石川上牧場の所有で競走馬となる。牧場は、2002年に馬主登録をしていた[11]。馬主登録をしてからは、自ら生産した牝馬を、できる限り自己所有しようと決意する[11]。誰かに譲らず、未来の牧場の繁殖牝馬にするためであり、父を踏襲した考え方だった[11]。3番仔は、冠名「カワカミ」に「お姫様」を組み合わせた「カワカミプリンセス」という競走馬名が与えられる[4]

調教師、騎手決定の経緯

西浦勝一

西浦勝一

カワカミプリンセスは、栗東トレーニングセンターの西浦勝一調教師に託される[5]。西浦と上山の出会いは、栗東の布施正調教師の引退がきっかけだった[20]。かつて上山が生産、上山父名義で所有したパウダースノーの管理を布施が請け負っていた[20]。しかししばらくして布施は引退、厩舎解散となる。よって西浦は、旧布施厩舎の馬たちを引き受け、布施と入れ替わる形で開業をしていた。このときパウダースノーも西浦に引き継がれ、上山との縁が生まれていた[20]

西浦は、タカノセクレタリーの初仔が産まれた際に、タカノセクレタリーに魅力を感じていた。そこで上山に「これからいい産駒ができたら、ぜんぶ私が預かりたい[21]」と申し出ていた。以来、2番仔も請け負い、カワカミプリンセスの管理も担うこととなる[21]。しかし初仔の兄、2番仔の姉は、勝利すら挙げられなかった。兄姉の低調から上山は、カワカミプリンセスに大きな期待をかけるまでには至らなかった[21]

牧場で成長したカワカミプリンセスは、上山の実家である高昭牧場で育成が施されている[5]。騎乗して育成では、担当者が手ごたえを感じていたという[5]。2歳秋には、西浦が視察に訪れていた。西浦は、カワカミプリンセスを見て「俺の最後の秘密兵器かな[5]」とも話していた。デビューを前に西浦は、カワカミプリンセスの鞍上に、本田優を起用する。本田は、このとき中央競馬の平地の騎手で最年長、40代後半の騎手だった[22]

本田優

本田優

1980年に栗東の星川薫厩舎からデビューした本田は[22]、1981年京都記念(春)にてロビンソンシチーを導き重賞初勝利[23]。1986年の阪神3歳ステークスにてゴールドシチーを導きGI初勝利を挙げた。また1991年の天皇賞(秋)では、プレジデントシチーに騎乗していたが、メジロマックイーンの斜行により多大な不利を受けている[24]ブービー賞から大差の最下位18位入線、メジロマックイーンがGI級競走において史上初めてとなる1位入線後の降着処分、最下位となったために、ブービー賞17着となっていた[24]

1999年、本田は調教師試験の一次試験を合格していた[25]。年を取るにつれ、騎手の引退と調教師への転身を視野に入れており、成績の低下を決断の頼りにしようと考えていた[25]。翌2000年に本腰を入れて受験と考えていたその矢先に出会ったのが、西浦厩舎のテイエムオーシャンだった[25]

テイエムオーシャン

本田が星川厩舎の所属騎手だった頃、西浦調教師の長男は、競馬学校厩務員過程を卒業して、星川厩舎に属していた時期があった[26]。そのとき、本田は新人の長男の手助けをしていた[26]。やがてその長男は、父の厩舎に入り、テイエムオーシャンを担当する[26]。そのとき父西浦は、テイエムオーシャンの鞍上に本田を指名していた[26]。本田によれば「俺も長男の面倒を見たから、先生も俺のことを面倒見てくれたのかもしれない[26]」と述べている。西浦本田ともに義理堅い思想の持ち主であり、テイエムオーシャンの鞍上はデビューから引退まで本田だった[26]

ダンシングブレーヴ産駒のテイエムオーシャンは、2歳夏の札幌競馬場開催でデビューし2連勝[27]札幌3歳ステークスこそ牡馬のジャングルポケットタガノテイオーに敗れる3着だったが[28]阪神3歳牝馬ステークス(GI)を優勝しJRA賞最優秀3歳牝馬に輝いていた[29]。3歳となって牝馬三冠競走、春のクラシックに参戦。トライアル競走のチューリップ賞勝利を経て、一冠目の桜花賞に抜けた1番人気だった[29]。本田にとって大レースでのこれだけの支持は、初めての経験だったが[29]、克服して優勝。二冠、三冠が期待されるほどの勝利であった[30]

映像外部リンク
2001年 優駿牝馬(オークス)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

しかし続く二冠目の優駿牝馬では、レディパステルローズバドに敗れる3着。本田は、折り合いを欠いたテイエムオーシャンを宥めることができず、矯正してからは無難に立ち回ってしまっていた[30]。それゆえに伸びを欠き、終いで対抗することができず[30]、後に本田は「下手に乗った[31]」と回顧するほどだった。その後、夏は休養。古馬と対決するエリザベス女王杯など先を見据え、敢えてぶっつけで、三冠目の秋華賞に臨んでいた[30]。優駿牝馬の反省から、折り合いをつけ、積極的な位置取りで追走し優勝、牝馬二冠を成し遂げていた[32]

映像外部リンク
2001年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

続いてエリザベス女王杯に臨み、古牝馬と対しながら、1番人気だった。直前で早めに抜け出していたが、トゥザヴィクトリーティコティコタックという古牝馬と、レディパステルやローズバドという同期が迫り来ていた[33]。ゴール手前で横一線の争いになり、一団のまま決勝線を通過していたが、トゥザヴィクトリーがハナ差だけ抜きん出ていた[33]。一方のテイエムオーシャンは5頭の争いで最も後れを取り5着、レディパステルとローズバドに再び先着を許す。トゥザヴィクトリーからハナ、ハナ、クビ、クビ差の5着だった[33]

本田は、このテイエムオーシャンなどを導いた結果、成績が良化する。よって潔く引退できないまま、40代後半に突入していた[25]。調教師の定年が70歳で固定されており、満足いく厩舎経営には最低でも20年間は必要と考えていた本田にとって、その期限が迫っていた[25]。しかし、その頃にローレルゲレイロ、西浦厩舎のアグネスラズベリ、そしてカワカミプリンセスと出会うこととなる[25]

競走馬時代

クラシックまでの道程

2005年、2歳秋に西浦厩舎に入厩するが、後ろ脚が未熟で2歳のうちにデビューすることができなかった[34]。年をまたいで2006年2月26日、阪神競馬場の新馬戦(芝1400メートル)でデビューを果たす。ルミナスポイント[注釈 4]、シャドウストリーム[注釈 5]が人気を集める中、カワカミプリンセスは単勝オッズ33.0倍の9番人気だった[37]。本田によれば「ようやくレースに使えたって感じ[38]」の状態でのデビューだった。スタートから本田が促してもいないのに先行して、ハナを奪取し逃げる形となった[39]。直線では後続を突き放して独走となる。ただ1頭メイショウトッパー[注釈 6]が付いてきたが、他は千切っていた[41]。メイショウトッパーに1馬身4分の1差、それ以下に7馬身以上差をつけて入線、初勝利を挙げる[42][41]。上山にとってはこれが馬主としての初勝利だった[43]

続いて3月26日、同設定の君子蘭賞(500万円以下)に臨む。音に敏感だったため、覆面を装着するようになっていた[37]。ここでは、18頭立てのなか、11.3倍の6番人気だった[44]。逃げた新馬とは異なって後方を追走し、大外から進出[45]。直線では末脚を用いて、全て差し切った[45]。後続に1馬身半差をつけて優勝、連勝を果たした[44]。本田は、これまでカワカミプリンセスの実力をあまり評価していなかった[38]。しかし君子蘭賞での勝利を機に、クラシック、具体的には優駿牝馬を意識するようになった[39][38]

続いて4月9日、牝馬三冠競走の一冠目、クラシックの桜花賞に出走登録を行った。しかし賞金が足りず、除外となり、出走が叶わなかった[34]。切り替えて目標を二冠目の優駿牝馬とする[34]。それに向け4月30日、優駿牝馬のトライアル競走であるスイートピーステークス(OP)に臨む。18頭立てのなか2.2倍、初めて1番人気に支持された[46]。スタートから中団を追走し、第3コーナーから進出。直線では大外から追い上げた[46]。末脚を使い、すべて差し切った[47]。半馬身差をつけて入線し、3連勝[46]。2着のヤマニンファビュルとともに優駿牝馬の優先出走権を獲得する[46]。本田は、戦前まで優駿牝馬の出走権を得ることを第一に考えていたが、勝利して初めて優駿牝馬での勝ち負けまで、強く意識するようになっていた[23][39]

二冠

優駿牝馬

5月21日、牝馬三冠競走の二冠目である優駿牝馬(オークス)(GI)に無敗で参戦する。出走が叶わなかった一冠目の桜花賞は、逃げるアサヒライジングに、コイウタアドマイヤキッスキストゥヘヴンが差し込み、このうち最も伸びたキストゥヘヴンが優勝していた[48]。この上位4頭など、桜花賞出走組は挙って二冠目にも出走。なかでも桜花賞優勝のキストゥヘヴン、2着のアドマイヤキッスは有力視され、共にオッズ3倍台で2番人気までを占めていた。そしてその次に、カワカミプリンセスが推されていた。6.7倍の3番人気だった[49]。以下桜花賞3着のコイウタ、桜花賞2番人気14着のフサイチパンドラ忘れな草賞優勝のニシノフジムスメ、桜花賞4着のアサヒライジング、忘れな草賞2着のブルーメンブラットと続いていた[49]

映像外部リンク
2006年 優駿牝馬(オークス)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

5枠9番からスタート。ヤマニンファビュルが大逃げを敢行、それ以外は一団、アサヒライジングを先頭とする縦長馬群が形成されていた。カワカミプリンセスは、第1コーナーで我を忘れかけたが、本田が宥めて折り合うことに成功する[31]。フサイチパンドラと並ぶ中団前目を追走した[31]。人気の2頭は、後方待機だった。大逃げ1頭はハイペースに対し、馬群のペースは早くはなかった[50][49]。大逃げがいたため各々、早めに仕掛ける競馬を強いられていた[49]。直線には、フサイチパンドラと並びながら5番手で向く。前方ではアサヒライジングが抜け出しており、馬場の中央からそれに迫った[31]。残り400メートルからスパートし、アサヒライジングを外から差し切り、伸びあぐねるフサイチパンドラを出し抜く[34]。さらに後方から追い込むアドマイヤキッス、キストゥヘヴンを寄せ付けなかった。後続に4分の3馬身差をつけて先頭で決勝線通過を果たす[49]

無敗馬の優駿牝馬での成績(1975年以降)[51]
馬名 主な勝ち鞍 人気 着順 優勝馬(2着馬)
1981 ブロケード 桜花賞 4 13着 テンモン
1987 ラブリーサンライズ 400万以下 4 13着 マックスビューティ
1988 タニノセブンツー 400万以下 13 16着 コスモドリーム
1990 アグネスフローラ 桜花賞 1 02着 エイシンサニー
トーワルビー 忘れな草賞 7 10着
1991 シスタートウショウ 桜花賞 1 02着 イソノルーブル
1998 アドマイヤサンデー 500万以下 8 11着 エリモエクセル
2003 ピースオブワールド 阪神JF 3 13着 スティルインラブ
2004 ダンスインザムード 桜花賞 1 04着 ダイワエルシエーロ
2006 カワカミプリンセス スイートピーS 3 01着 フサイチパンドラ

無敗の4連勝、重賞及びGI初勝利、そしてクラシック戴冠を成し遂げる。1943年クリフジ、1946年ミツマサ、1957年ミスオンワードに続いて史上4頭目、49年ぶりとなる無敗の優駿牝馬優勝だった[52]。このうちクリフジや、ミツマサは、日本中央競馬会(NCK→JRA)発足以前であり、制度や施行時期が今とは異なっていた[53]。そのため、発足し制度などが整備された1954年以降としては史上2例目[53]、過去にアグネスフローラシスタートウショウダンスインザムードなどが果たせなかった行いを成し遂げていた[54][55]

さらに2月末のデビューから85日で戴冠、1982年シャダイアイバーの78日に次いで史上2番目の早さだった[31][56]。それから馬体重は484キログラムで戴冠、1975年の牝馬クラシック二冠馬テスコガビーの486キログラムに次いで史上2番目の重かった[52]。また走破タイム2分26秒1は、1990年エイシンサニーのレースレコードに0.1秒差である[49]。1990年とはコース形態が違うため、新しいレースレコードと言っても差しつかない記録だった[50]

それから本田と西浦は、3着に終わったテイエムオーシャンの雪辱、テイエムオーシャン以来のGI級競走勝利であり[56]、3歳限定牝馬競走完全制覇を成し遂げた[55]。本田は、47歳4カ月での優勝であり、1967年にヤマピットで制した保田隆芳の47歳1カ月を上回り、優駿牝馬史上最年長優勝を成し遂げている[52]。本田はこの栄冠には、テイエムオーシャンの経験が活きたと振り返っている[26]

それからキングヘイロー産駒は、産駒のGI級競走初勝利[52]。三石川上牧場は、開業18年目のGI級競走初勝利、馬主資格を得て5年目のGI級競走初勝利だった[57][18]。記念撮影では馬主と生産者が同一であるため、どちらかが空くことになっていた[14]。そこで上山は、育成を担った兄を呼び寄せて馬主席に誘導し、自らが生産者席に立って、両席を埋めている[57][14]

秋華賞

優駿牝馬優勝後は、高昭牧場で夏休み、軽種馬育成調教センターを用いて調整された[58]。陣営は、秋の最大目標は、一線級の古牝馬と対するエリザベス女王杯に定める。秋初戦は、前哨戦を用いず、秋華賞直行となった。西浦は昔、ある牝馬を前哨戦のローズステークスから秋華賞に臨ませていたが、良績を残せなかった[59]。この原因を西浦は、秋初めの前哨戦を使うために、暑い夏の入厩を強いて、馬に負担をかけたためではないかと考えていた[59]。この教訓から直行という発想が生まれていた[59]。またエリザベス女王杯など秋華賞より先の目標があったこと、同じようにして秋華賞を制した先輩テイエムオーシャンの存在も直行の決断の後押しとなっていた[60][61]。夏休みの間の6月24日、本田は函館競馬場に参戦していたが、落馬し腰と首を骨折している[62]。2か月間の治療を経て復帰し、秋を迎えていた[62]

10月15日、秋華賞(GI)に臨む。無敗の身でありながら、3.6倍の2番人気だった[63]。1番人気は、2.6倍のアドマイヤキッスだった[59]。アドマイヤキッスは、優駿牝馬4着の後、ローズステークスを制して臨んでいた[59]。3番人気以下は、キストゥヘヴン、フサイチパンドラ、アメリカ帰りのアサヒライジングだった[63]

映像外部リンク
2006年 秋華賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

6枠12番からスタートし、中団を確保する。前ではトシザサンサンやコイウタ、シェルズレイが先頭を争っていたため、ハイペースでの追走となる[63]。対抗馬のアドマイヤキッス、キストゥヘヴンよりも前を得ていた[63]。ハイペースではあったが、本田は早めに仕掛けて、第3コーナーからムチを入れるなど促し始める[62]。ハイペースは、末脚を利かせる後方待機勢が台頭する傾向にあり、ロングスパートでは不利、太刀打ちできないはずだった[17]。折しも最終コーナーでは、内にいたサンドリオンにぶつけられていた。バランスを崩し大きく外に膨れる不利を受けていた[17][62]

内のアサヒライジングに先んじて決勝線を通過するカワカミプリンセス。

直線では、逃げるシェルズレイとアサヒライジング、先行して抜け出しを図るフサイチパンドラを外から追いかけ、大外から追い込むアドマイヤキッスを凌いでいた[17]。カワカミプリンセスは、半ばを過ぎてから加速[17]。フサイチパンドラをかわし、アドマイヤキッスを置き去りにしていたが、抜け出すアサヒライジングとは残り200メートルで3馬身ほどあった[62]。しかしゴール手前で末脚を発揮、ゴール手前で差し切りを果たす[64]。アサヒライジングに半馬身差をつけて先頭で決勝線を通過する[63]

無敗の5連勝、GI連勝を果たす。1986年メジロラモーヌ、1997年メジロドーベル、2003年スティルインラブに続いて史上4頭目となる二冠目の優駿牝馬と、三冠目を制した「牝馬二冠」を果たした[65]。さらに2002年のファインモーション以来史上2例目となる無敗の秋華賞優勝[65]。併せて史上初めて無敗で優駿牝馬と秋華賞を制した「牝馬二冠」となった[65]。ぶっつけ参戦での優勝は、テイエムオーシャン以来だった[65]。直後の記念撮影では上山は、父を馬主席を誘導し、空席を埋めている[66]

12連敗

降着

続いて11月12日、エリザベス女王杯(GI)にて、古馬に挑んだ。アドマイヤキッス、キストゥヘヴン、アサヒライジング、シェルズレイ、フサイチパンドラら、クラシックを戦った同期に加え、前年優勝で宝塚記念優勝馬でもあるスイープトウショウ、重賞4連続3着中のディアデラノビア、重賞2連続2着中のサンレイジャスパーが立ちはだかった[67]。そんな中、注目を集めたのは、カワカミプリンセスとスイープトウショウの2頭だった。オッズは共に2倍台後半だったが、わずかにカワカミプリンセスが支持されて1番人気となっていた[67]。当日の馬場状態は、稍重から良に回復していたが、芝は水分を多分に含んでいた。

映像外部リンク
2006年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

8枠16番からスタートし、中団後方を確保する[17]。前では、シェルズレイが果敢に逃げており、ハイペースを追走した[67]。秋華賞のように第3コーナーから進出し、先行勢との距離を縮めながら、最終コーナーを通過[68]。直線では追い込みに入っていた。馬場の状態が悪いことから、進出には手間取っていたが、直線入り口で本田がムチを振るうと加速[24]。隣にいたヤマニンシュクルやシェルズレイの前に取り入り、2頭を置き去りにする[24]

先頭で入線するカワカミプリンセス

さらに、前で先頭を争うディアデラノビアやアサヒライジング、フサイチパンドラに取り付いてまもなくかわしていた、また大外から追い込むスイープトウショウを寄せ付けなかった[24]。抜け出してからは独走し、先頭で決勝線を通過。2位入線のフサイチパンドラに1馬身半差をつけていた[24]。デビュー以来6戦連続となる1位入線を果たす[24]。しかし着順が確定せず、審議となっていた。そして入線から15分後、以下のように確定する[68]

【降着】カワカミプリンセス号は、1位(タイム2分11秒4、2位との着差1馬身)に入線したが,最後の直線コースで急に内側に斜行して「ヤマニンシュクル」号の走行を妨害したため12着に降着
【制裁】カワカミプリンセス号の騎手本田優は、最後の直線コースで急に内側に斜行したことについて平成18年11月18日から平成18年11月26日まで騎乗停止 — 日本中央競馬会[69]
審議中の着順掲示板
確定後の着順掲示板

カワカミプリンセスは、日本のGI競走において1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来15年ぶり史上2頭目となる1位入線後の降着に処される[68]。直線の残り300メートルにて左側、コースの外側からムチが入れられたカワカミプリンセスは、内側に斜行してシェルズレイとヤマニンシュクルの前方を得て進出しているが、斜行の際に、シェルズレイとヤマニンシュクルの顔面と接触していた。ヤマニンシュクルを挫かせたほか、そのあおりを受けてシェルズレイ、そしてレクレドールの進路も塞いでしまっていた[70]

シェルズレイは余力なく後退中だったが、後方追走のヤマニンシュクルにとっては勝負所であり、この事象によりヤマニンシュクルの可能性が大きく損なわれたと判断された[70]。このため、カワカミプリンセスは、12位入線のヤマニンシュクルまでを繰り上げさせる降着、12着となる[24]。よって2位入線フサイチパンドラの、1991年天皇賞(秋)のプレクラスニー以来となる繰り上がり優勝で決着する。カワカミプリンセスは、デビューから先頭入線を続けていたが、降着により初めての敗戦となった[24]。この降着に対して、競馬場には抗議の電話が70件あったという[68]

斜行による接触で、カワカミプリンセスは、右後ろ肢の飛節に外傷があったが、大事ではなかった[71]。それでも年内休養となり、高昭牧場に放牧となった[71]。5戦1位入線5回、4勝で終えたこの年のJRA賞では、全289票中287票を集めて最優秀3歳牝馬[注釈 7]を、177票を集めて最優秀父内国産馬[注釈 8]を受賞している[72]

骨折

この後、カワカミプリンセスは2009年、6歳秋まで走り続けたが、1位入線を一度も果たすことができなかった[43]

古馬となった2007年2月末には、主戦を務めていた本田が引退する。試験に合格して調教師に転身し[73]、西浦厩舎で技術調教師として研修を経て、6月から厩舎を開業することになる[74][75]。本田は引退式にてカワカミプリンセスを「間違いなく自分が乗った馬の中で一番強い馬[76]」だったと述べていた。主戦の引退に伴い陣営は、新しい主戦として、武幸四郎を起用する。西浦は、武に直接依頼[77]、武なら激しい気性を宥められると評価していた[78]

武幸四郎

年またぎの放牧中も休むことなく運動し、体重を減らした状態で3月1日に帰厩[77]。古牝馬のGI級競走であるヴィクトリアマイル(JpnI)に直行する。厩舎では、体重を増やしながら仕上げるという常道ではない調整を敢行[78]。西浦が完璧と評するほどの状態だった[78]。同厩舎のアグネスラズベリと同乗して臨戦する[79]。ここまで対した96頭すべてに先着していたカワカミプリンセスは、スイープトウショウ、アドマイヤキッス、ディアデラノビアなどを差し置く1番人気だった[80]。しかし10着に敗退、他の馬に初めて後れを取る結果となる[81]。スタートから出遅れて後方を追走、直線では進路がなく、大外に持ち出していたら敵わなかった[82]

続いて宝塚記念(GI)に臨む。直前の調教では、厩舎開業前日の本田が騎乗していた[83][84]。古牡馬に加えて、この年の東京優駿を優勝した牝馬ウオッカとの対決となる[82]。ウオッカが1番人気となる中、カワカミプリンセスは信頼得られず6番人気の支持で6着だった[85]。5番手追走から抜け出す積極的な騎乗を試みたが、直線で失速しアドマイヤムーンなどには敵わなかった[85]。この後は、9月初めの札幌記念(GII)を目指して札幌競馬場で調整されていたが、7月25日の調教中に右第1趾節種子骨を骨折、全治1年の休養を強いられる[86][87]

エリザベス女王杯2着

休養中に年をまたぎ2008年、5歳となる。4月2日に厩舎に帰厩[88][89]。5月31日の金鯱賞(GII)で復帰し、エイシンデピュティにおおよそ1馬身半差の3着。続いて前年と同様に宝塚記念を目指したが、直前で腰から右後肢にかけての筋肉痛を発症して回避となる[90]

横山典弘

厩舎に戻って養生してから、10月19日の府中牝馬ステークス(GIII)で復帰する[91]。この日は、京都で秋華賞で行われており、武はリトルアマポーラに騎乗していた[91]。このため、横山典弘に乗り替わる[91]。以後引退まで横山が主戦を担うこととなる。1番人気で迎えた府中牝馬ステークスは、2番手追走から直線でアサヒライジングを捕えて先頭となる[92]。しかし後方外から追い込むブルーメンブラットにゴール手前で差し切られた。半馬身差の2着だった[92]

11月16日のエリザベス女王杯では、ベッラレイアポルトフィーノ相手に1.9倍の1番人気に支持されていた。ポルトフィーノがスタート直後に落馬し、競走を中止する中、6番手を追走して直線で抜け出しを図っていた[93]

映像外部リンク
2008年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

しかし前には、追い込みを信条とするはずのリトルアマポーラが、クリストフ・ルメールに導かれて先行し、一足先に抜け出していた[43]。道中をスムーズにこなし、末脚を使って伸びていたカワカミプリンセスだったが、谷川善久曰く「ハーツクライディープインパクトを破った有馬記念を髣髴とさせるファインプレー[注釈 9][43]」の前に、敵わなかった[93]。リトルアマポーラに1馬身半届かず2着だった[93]

それから暮れには、有馬記念(GI)に出走している。1枠1番を得たため果敢に先行したが、ハナをダイワスカーレットに奪われて2番手に甘んじ、終いに失速した7着だった[43]

引退

2009年、6歳は京都記念(GII)で始動し、アサクサキングスらにおおよそ1馬身半差の4着、産経大阪杯(GII)ではドリームジャーニーディープスカイに2馬身差の3着と牡馬相手に好走[2]。この後は牝馬限定競走に臨んだがいずれも入着を逃した。ヴィクトリアマイルではウオッカに敵わず、秋の府中牝馬ステークスではムードインディゴ、ベッラレイア、レジネッタなどに敵わず、エリザベス女王杯ではクィーンスプマンテテイエムプリキュアブエナビスタなどに敵わなかった[2]

エリザベス女王杯に臨場していた上山は、成熟して既に母親の体つきになっていると思い「もうお母さんになりたいんだな[97]」と感じ取り、引退を決意する[97]。結局、1位入線しながら取りこぼしたエリザベス女王杯を取り戻すことはできなかった[43]。11月19日付で日本中央競馬会の競走馬登録を抹消される[98]

2010年には、インターネット投票で人気の過去の優駿牝馬優勝馬の名前を、JRAプレミアムレースの副名称に使用する催しがあった[99]。その投票では、全体の24パーセントである5061票を集めている[100]。19パーセントの1996年優勝馬エアグルーヴ、15パーセントの2005年優勝馬シーザリオを押しのけて1位となった[100]。このため、同年5月23日、優駿牝馬の直後のレースである第12競走は「東京クラウンプレミアム(カワカミプリンセスメモリアル)」という競走名で施行されている[99]

繁殖牝馬時代

競走馬引退後は、生まれ故郷の三石川上牧場で繁殖牝馬として繋養されている[4]。初年度の2010年はディープスカイと交配し、不受胎だったが、2年目の2011年の交配は受胎[4]。2012年に初仔を産んでから2020年までは、毎年のように交配して受胎し、仔を産み続けている[4]

競走成績

以下の内容は、JBISサーチ[101]およびnetkeiba.com[102]、『優駿』[2]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2006. 02. 26 阪神 3歳新馬 芝1400m(不) 15 3 5 33.0(9人) 01着 1:25.4 (36.9) -0.2 本田優 54 (メイショウトッパー) 476
03. 26 阪神 君子蘭賞 5下 芝1400m(良) 18 8 17 11.3(6人) 01着 1:23.0 (35.3) -0.2 本田優 54 (サウスティーダ) 482
04. 30 東京 スイートピーS OP 芝1800m(良) 18 4 8 02.2(1人) 01着 1:48.4 (34.6) -0.1 本田優 54 (ヤマニンファビュル) 488
05. 21 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(良) 18 5 9 06.7(3人) 01着 2:26.2 (35.5) -0.1 本田優 55 フサイチパンドラ 484
10. 15 京都 秋華賞 GI 芝2000m(良) 18 6 12 03.6(2人) 01着 1:58.2 (34.4) -0.1 本田優 55 アサヒライジング 492
11. 12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 15 8 16 02.7(1人) 12着 2:11.4 (34.5) 降着 本田優 54 フサイチパンドラ 490
2007. 05. 13 東京 ヴィクトリアM JpnI 芝1600m(良) 18 3 6 02.1(1人) 10着 1:33.4 (33.7) -0.9 武幸四郎 55 コイウタ 488
06. 24 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 18 4 7 10.2(6人) 06着 2:13.2 (37.5) -0.8 武幸四郎 56 アドマイヤムーン 494
2008. 05. 31 中京 金鯱賞 GII 芝2000m(稍) 17 2 4 10.0(5人) 03着 1:59.3 (35.0) -0.2 武幸四郎 55 エイシンデピュティ 496
10. 19 東京 府中牝馬S GIII 芝1800m(良) 18 4 7 02.3(1人) 02着 1:45.6 (34.0) -0.1 横山典弘 55 ブルーメンブラット 508
11. 16 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 7 15 01.8(1人) 02着 2:12.3 (34.5) -0.2 横山典弘 56 リトルアマポーラ 498
12. 28 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 1 1 19.0(6人) 07着 2:32.5 (37.0) -1.0 横山典弘 55 ダイワスカーレット 488
2009. 02. 21 京都 京都記念 GII 芝2200m(良) 12 5 7 03.3(2人) 04着 2:14.9 (35.6) -0.3 横山典弘 55 アサクサキングス 488
04. 05 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 12 2 2 11.5(4人) 03着 2:00.0 (33.8) -0.3 横山典弘 55 ドリームジャーニー 480
05. 17 東京 ヴィクトリアM GI 芝1600m(良) 18 7 14 07.1(2人) 08着 1:33.9 (34.5) -1.5 横山典弘 55 ウオッカ 482
10. 18 東京 府中牝馬S GIII 芝1800m(良) 18 8 18 04.4(1人) 06着 1:45.5 (35.5) -0.9 横山典弘 56 ムードインディゴ 490
11. 15 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2200m(良) 18 4 8 15.1(5人) 09着 2:15.2 (34.3) -1.6 横山典弘 56 クィーンスプマンテ 484

繁殖成績

生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 備考 供用 出典
2011年 不受胎 ディープスカイ [4]
初仔 2012年 ミンナノプリンセス 黒鹿毛 コマンズ Tスポート 栗東・西浦勝一 15戦2勝 繁殖牝馬 [103]
2番仔 2013年 ミュゲプリンセス 鹿毛 エンパイアメーカー 雅苑興業
[注釈 10]
栗東・西浦勝一
西脇・玉垣光章
15戦1勝 繁殖牝馬 [104]
3番仔 2014年 ハルノヒダマリ 三石川上牧場 栗東・西浦勝一 5戦0勝 繁殖牝馬 [105]
4番仔 2015年 カズアピアーニ ヘニーヒューズ 雅苑興業
[注釈 11]
栗東・西浦勝一
[注釈 12]
75戦8勝 (現役競走馬) [106]
5番仔 2016年 クイーンハーツ キングカメハメハ Tスポート 栗東・西浦勝一 3戦0勝 繁殖牝馬 [107]
6番仔 2017年 グランプリアルザン 栗毛 ヘニーヒューズ 三石川上牧場
→上山浩司
栗東・西浦勝一
→北海道・田中淳司
9戦1勝 抹消 [108]
7番仔 2018年 ジョージバローズ 黒鹿毛 ダイワメジャー 猪熊広次
→吉田啓
栗東・清水久詞
[注釈 13]
24戦2勝 (現役競走馬) [109]
8番仔 2019年 ティグル 鹿毛 ドゥラメンテ 加藤誠 栗東・中竹和也 13戦0勝 (現役競走馬) [110]
9番仔 2020年 カワカミエレガンス 栗毛 デクラレーションオブウォー [111]
10番仔 2021年 (カワカミプリンセスの2021) 鹿毛 カリフォルニアクローム [112]
2022年 種付けなし [4]
  • 2022年9月14日現在

血統表

カワカミプリンセス血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リファール系
[§ 2]

キングヘイロー
1995 鹿毛
父の父
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave
1983 鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
父の母
*グッバイヘイロー
Goodbye Halo
1985 栗毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Pound Foolish Sir Ivor
Squander

*タカノセクレタリー
Takano Secretary
1996 鹿毛
Seattle Slew
1974 黒鹿毛
Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
母の母
Summer Secretary
1985
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Golden Summer Key to the Mint
Summer Guest
母系(F-No.) タカノセクレタリー(USA)系(FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason=4×5、Bold Ruler=4×5、Sir Gaylord=5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [113]
  2. ^ [114]
  3. ^ [113]
  4. ^ [113][114]


脚注

注釈

  1. ^ 牧場名が上山牧場ではなく、"三石川上"牧場であるのは、牧場名が地名から採られていることによる。また川上牧場ではなく、三石川上牧場であるのは、既に新冠町に同名の牧場があり、区別するためである。また本項で取り上げる馬が、カミヤマプリンセスではなく、カワカミプリンセスなのは、地名を由来とした牧場が、所有した競走馬であるためである[8]
  2. ^ 2009年にレイチェルアレクサンドラが優勝し、牝馬初の優勝を果たす[13]
  3. ^ 初めは、ティムケリー厩舎にいた[13]
  4. ^ 後の、2016年デイリー杯2歳ステークス、2017年函館スプリントステークス優勝のジューヌエコールの母。2022年の安田記念などを優勝したソングラインの祖母である[35]
  5. ^ 1993年の京都4歳特別(GIII)を優勝したケイウーマンの仔[36]
  6. ^ 2005年フェブラリーステークス優勝馬メイショウボーラー(父:タイキシャトル)の半弟、テイエムオペラオー産駒[40]
  7. ^ 残る2票はフサイチパンドラ[72]
  8. ^ 次点の55票にデルタブルース、以下40票ドリームパスポート、5票のカネヒキリブルーコンコルド、1票シーイズトウショウバランスオブゲームフサイチホウオーロジック、残る3票は該当馬なし[72]
  9. ^ 2005年の有馬記念、無敗で菊花賞を制しクラシック三冠を果たした直後のディープインパクトと、ジャパンカップにて中団から追い込みアルカセットにハナ差だけ敗れたハーツクライの対決を指す[94]。無冠のハーツクライが、ジャパンカップとうってかわって先行[95]。直線抜け出してディープインパクトの追い上げを半馬身凌ぎ、ディープインパクトに初敗戦を食らわせた[96]
  10. ^ →雅苑興業
    →上山泰憲
    →雅苑興業
  11. ^ →蟹江知彦
    →杉本剛彦
    →高橋貢
  12. ^ →北海道・安田武広
    →園田・田中一巧
    →栗東・杉山晴紀
    →高知・田中伸一
    →名古屋・迫田清美
    →名古屋・栗田和昌
    →盛岡・平澤芳三
  13. ^ 船橋・林正人
    →水沢・及川良春

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q カワカミプリンセス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『優駿』2011年5月号 85頁
  3. ^ カワカミプリンセス引退、繁殖生活へ”. ラジオNIKKEI. 2022年10月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g カワカミプリンセス(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022‐10‐12時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月12日閲覧。
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  9. ^ 『優駿』2006年9月号 64頁
  10. ^ a b c d 『優駿』1998年11月号 144頁
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『優駿』2006年7月号 40頁
  12. ^ a b c d e f 『優駿』2006年12月号 77頁
  13. ^ a b c d e f g Summer Secretary: the mare who just loved standing in water tubs Topics: Secretariat”. Thoroughbred Racing Commentary. 2022年10月10日閲覧。
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参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1998年11月号
      • 「【重賞データファイル】第46回神戸新聞杯(GII)カネトシガバナー」
    • 2006年6月号
      • 「【重賞プレイバック】第66回桜花賞(GI)キストゥヘヴン」
    • 2006年7月号
      • 黒須田守「【優駿ロングインタビュー】本田優 想いに応えたい」
      • 須田鷹雄「【第67回オークス】カワカミプリンセス 約半世紀の歳月を経て 無敗のオークス馬がここに誕生」
      • 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】オークス馬カワカミプリンセスの故郷 三石川上牧場 小牧場ゆえの工夫」
      • 「【重賞プレイバック】第67回優駿牝馬(オークス)(GI)カワカミプリンセス」
    • 2006年9月号
      • 篠原美穂子「【秋競馬開幕目前! 気になる有力馬の動向をチェック】クラシックロード(牝馬)カワカミプリンセス」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(256)】上山浩司さん」
    • 2006年12月号
      • 及川博嗣「【第11回秋華賞】カワカミプリンセス お姫様が演じた『新女王の襲名劇』」
      • 「【重賞プレイバック】第11回秋華賞(GI)カワカミプリンセス」
    • 2007年1月号
      • 優駿編集部「【第31回エリザベス女王杯】カワカミプリンセスは12着に降着 フサイチパンドラが繰り上がりでGI初戴冠『その時、淀の直線で何が起こったのか?』」
      • 「【重賞プレイバック】第31回エリザベス女王杯(GI)フサイチパンドラ」
    • 2007年2月号
      • 「【2006年度JRA賞決定!】年度代表馬に2年連続でディープインパクト」
    • 2007年4月号
      • 「【杉本清の競馬談義(263)】本田優調教師」
    • 2008年4月号
      • 阿部珠樹「【サラブレッド・ヒロイン列伝】テイエムオーシャン Beauty and Dynamism」
    • 2008年12月号
      • 「【重賞プレイバック】第56回府中牝馬ステークス(GIII)ブルーメンブラット」
    • 2011年5月号
      • 谷川善久「【優駿激闘譜】カワカミプリンセス 真のドラマチックホース」
    • 2018年7月号
      • 河村清明「【未来に語り継ぎたい名馬物語(35)】4歳秋から急成長で世界レベルに。 ハーツクライのポテンシャル」

外部リンク