「中華民国の国旗」の版間の差分
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{{pp|vandalism|small=yes}} |
{{pp|vandalism|small=yes}} |
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{{混同|中華人民共和国の国旗|青天白日旗}} |
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{{単一の出典|date=2019年5月}} |
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{{国旗 |
{{国旗 |
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|画像={{Flagicon|ROC|size=260px}} |
|画像={{Flagicon|ROC|size=260px}} |
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|用途及び属性={{FIAV| |
|用途及び属性={{FIAV|110111}} |
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|縦横比=2:3 |
|縦横比=2:3 |
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|制定日=[[1928年]][[ |
|制定日=[[1928年]][[12月17日]]({{age in years and days|1928|12|17|age=no}}) |
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|使用色={{plainlist|1= |
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* |
*{{Legend|#000095|[[青]]|border=1px solid #999}} |
||
* |
*{{Legend|white|[[白]]|border=1px solid #999}} |
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* |
*{{Legend|#FE0000|[[赤]]|border=1px solid #ccc}} |
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}} |
}} |
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|根拠法令=[[s:zh:中華民國國徽國旗法|中華民国国徽国旗法]] |
|根拠法令=[[中華民国憲法]]<br>[[s:zh:中華民國國徽國旗法 (民國43年)|中華民国国徽国旗法]] |
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}} |
}} |
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{{Infobox maritime flag |
{{Infobox maritime flag |
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|艦尾 = Flag of the Republic of China.svg |
|艦尾 = Flag of the Republic of China.svg |
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}} |
}} |
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'''[[中華民国]]の[[国旗]]'''(ちゅうかみんこくのこっき)は、左上が青地でその中心に白い太陽が描かれており、残りが赤地の旗。'''青天白日満地紅旗'''(せいてんはくじつまんちこうき、{{lang|zh-tw|青天白日滿地紅旗}}、{{ピン音|Qīngtiān Báirì Mǎndìhóng Qí}}、チンティエンバイリーマンディーホンチー)と呼ばれる国旗の左上に描かれている'''青天白日'''の[[紋章]]は、[[中華民国の国章]]であり、[[中国国民党]]の党章にも使われる。青・赤・白の3色は孫文の唱えた[[三民主義]](民族の独立、民権の伸長、民生の安定)に由来し、青は民権主義で[[正義]]を、赤は[[民族主義]]で[[自由]]と[[独立]]を、白は民生主義で[[友愛]]を象徴する。青は[[空]](青天)を、太陽(白日)の光芒は[[十二刻]]を表わし、通称「[[青天白日旗]]」と呼ばれる<ref>[https://www.sarago.co.jp/nfhtm/tw.html 台湾の国旗 世界の国旗図鑑]</ref><ref name="名前なし-20230316111729">[https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/search/research_guide/olympic_paralympic/area_studies/index/taiwan/ 東京都立図書館 台湾]2019年7月22日公開、2022年11月27日閲覧。</ref>。 |
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'''[[中華民国]]の[[国旗]]'''(ちゅうかみんこくのこっき)は、[[青]]地の中心に[[白]]い[[太陽]]がある意匠([[青天白日旗|青天白日]])が[[クォーター (紋章学)#カントン|カントン]]に配された[[赤]]地の旗であり、'''青天白日満地紅旗'''(せいてんはくじつまんちこうき、{{lang-zh-tw-short|青天白日滿地紅旗}})と呼ばれる<ref name="中華民国">{{Cite web |url=https://www.globalflag.idv.tw/wg/roc.htm |title=中華民國 |accessdate=2024-07-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240711103457/https://www.globalflag.idv.tw/wg/roc.htm |archivedate=2024-07-11 |work=旗海圖幟 |language=zh }}</ref>。 |
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== 解説 == |
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青天白日旗は[[1895年]]に[[広州市|広州]]の武装蜂起の際に作られ<ref name="名前なし-20230316111729"/>、中華民国の現在の国旗は、[[1928年]]に[[蔣介石]]が中華民国[[蔣介石政権|南京国民政府]](今日の中華民国政府の前身)を成立させた際に初めて正式に採用された。[[1974年]]から[[2010年]]までの[[ミャンマーの国旗|ミャンマー(当初の国名はビルマ)国旗]]と似たデザインである。 |
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[[1912年]]([[民国紀元|民国]]元年)の建国当初は{{仮リンク|五色旗 (中華民国)|label=五色旗|zh|五色旗 (中華民國)}}が国旗として使用されていたが、[[1928年]](民国17年)に[[国民政府]]が[[北伐 (中国国民党)|北伐]]を終えて中国を統一した後、「[[s:zh:中華民國國徽國旗法|中華民国国徽国旗法]]」が制定されて青天白日満地紅旗が国旗となった<ref name="中華民国"/><ref name="海軍">{{Cite web |url=https://navy.mnd.gov.tw/AboutUs/About_Info.aspx?ID=30016&CID=30152 |title=我國海軍旗簡史 |accessdate=2024-07-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240704131451/https://navy.mnd.gov.tw/AboutUs/About_Info.aspx?ID=30016&CID=30152 |archivedate=2024-07-04 |publisher=[[中華民国海軍|中華民國海軍]] |language=zh }}</ref><ref name="行政院">{{Cite web|title=國旗、國歌、國花|url=https://www.ey.gov.tw/state/62879155A536D543/2e90c3de-b5ee-465c-8ea6-5577b2d2a32b|publisher=[[行政院]]|archive-url=https://web.archive.org/web/20211010120646/https://www.ey.gov.tw/state/62879155A536D543/2e90c3de-b5ee-465c-8ea6-5577b2d2a32b|archive-date=2022-04-17|language=zh|accessdate=2024-07-03}}</ref>。[[1947年]](民国36年)に施行された「[[中華民国憲法]]」の第6条でも「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と定義されている<ref name="憲法">{{Cite web |url=https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/139.html |title=第一章 総則 |accessdate=2024-07-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240702110758/https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/139.html |archivedate=2024-07-02 |publisher=[[台北駐日経済文化代表処]] }}</ref>。 |
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青天白日満地紅旗は[[青]]・[[赤]]・[[白]]の3色で構成されているが、これは[[孫文]]の[[三民主義]](民族の独立、民権の伸長、民生の安定)に由来しており、青は民権主義と同時に自由と正義を、赤は民族主義と同時に革命に身を捧げた人々の血を、白は民生主義と同時に平等と友愛をそれぞれ象徴している。同時に、青天白日の紋章は、青は空を、12本の光芒からなる白日(白い太陽)は1年の12か月と[[十二支]]、[[十二宮]]、[[十二時辰|十二刻]]を表し、中華民国の絶え間ない進歩を象徴している。 |
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[[中華民国海軍]]の[[軍旗]]も、国旗と同じく青天白日満地紅旗である<ref name="海軍"/>。 |
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中華民国は1928年から[[1989年]]まで国民党[[一党独裁制|一党独裁]]下にあった。1989年に政党結社が[[自由化]]されると、中華民国の[[政治体制]]は徐々に[[民主化]]され、[[1996年中華民国総統選挙]]から[[台湾地区]](中華民国政府の実効統治地域)の住民による[[中華民国総統|総統]]の直接選出が始まり、[[2000年中華民国総統選挙|2000年の総統選挙]]で[[民主進歩党]]が政権を握り、[[2008年中華民国総統選挙|2008年の総統選挙]]で国民党が[[与党]]に復帰する[[政権交代]]が起こった。[[2016年中華民国総統選挙|2016年の総統選挙]]では民進党が政権を奪回したが、この間も含め青天白日満地紅旗は一貫して中華民国の国旗であり続けている。 |
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<gallery> |
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== 構成 == |
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ファイル:Flag of the Republic of China Army.svg|{{FIAV|001000}}陸軍旗 縦横比2:3 |
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[[File:Flag of the Republic of China (3).JPG|250px|thumb|掲揚される国旗]] |
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=== 意匠 === |
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ファイル:Flag of the Republic of China 1912-1928.svg|{{FIAV|historical|}}1912年-1928年の国旗([[五色旗]]) |
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青・白・赤の3色は[[国民の父|国父]]の[[孫文]]が提唱した[[三民主義]]や[[自由、平等、友愛|自由・平等・博愛]]を表し、青には「明るくまっすぐで気高く偉大な[[中華民族]]の性格と志」、白には「正直さ・公正さ・潔白さ」、赤には「革命で流された鮮血」という意味も含まれている<ref name="中華民国"/><ref name="行政院"/>。太陽の12条の光芒は十二時辰や[[十二支]]を表して永遠を象徴するとともに、国民の進取の精神を表している<ref name="中華民国"/><ref name="行政院"/>。 |
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ファイル:Chinese-army Wuhan flag (1911-1928) 19 dots.svg|{{FIAV|historical|}}1911年-1928年の陸軍旗([[十八星旗#十九星旗|十九星旗]]) |
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ファイル:Flag of the Republic of China-Nanjing (Peace, Anti-Communism, National Construction).svg|{{FIAV|historical|}}[[汪兆銘政権|南京国民政府]]の1940年-1943年の国旗 |
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[[1949年]](民国38年)[[10月10日]]の[[中華民国国慶日]](双十節)に[[中国国民党]][[中国国民党主席|総裁]]の[[蔣介石]]{{Refnest|group="注"|1949年1月に蔣介石は[[中華民国総統]]を辞任し、翌[[1950年]]3月に復職した<ref>{{Cite web |url=https://www.president.gov.tw/Page/83 |title=第1~5任 蔣總統中正先生 |accessdate=2024-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240620131213/https://www.president.gov.tw/Page/83 |archivedate=2024-06-20 |publisher=中華民國總統府 |language=zh }}</ref>。}}が発表した「中華民国三十八年国慶紀念告全国軍民同胞書」の文中では、「我らが中国の領土に青天白日満地紅旗が立っている限り、それは[[黄帝]]の子孫にとっての自由と独立の象徴となるだろう」と説明されている<ref name="同胞">{{Cite web |url=http://www.ccfd.org.tw/ccef001/index.php?option=com_content&view=article&id=1104:0005-68&catid=2|title=中華民國三十八年國慶紀念告全國軍民同胞書 |accessdate=2024-07-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240703022444/http://www.ccfd.org.tw/ccef001/index.php?option=com_content&view=article&id=1104:0005-68&catid=2 |archivedate=2024-07-03 |publisher=中正文教基金會 |language=zh }}</ref>。 |
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</gallery> |
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=== 規定 === |
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「[[s:zh:中華民國國徽國旗法 (民國43年)|中華民国国徽国旗法]]」には、国旗の規格に関して下記のような規定が存在する<ref name=roclaw>{{cite web|title=中華民國國徽國旗法 |url=http://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?PCode=D0020020 |accessdate=2024-07-4 |publisher=[[法務部 (中華民国)|法務部]] |work=全國法規資料庫 |archivedate=2024-07-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240704093254/https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?PCode=D0020020 |language=zh }}</ref>。 |
|||
{{quotation| |
|||
;第4条 |
|||
#旗の[[アスペクト比|縦横比]]は3対2である。 |
|||
#青天は長方形で、その面積は旗全体の4分の1を占める。 |
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#長方形の青天の中央には国章と同一の、12条の光芒を持つ白日がある。 |
|||
#白日の半径と青色の長方形の水平比は1対8である。 |
|||
#青天と白日の光芒の位置と縮尺は、[[中華民国の国章|中華民国国章]]の規定に準ずる。}} |
|||
中華民国国章の規定は、同法の第3条に記載されている。 |
|||
{{quotation| |
|||
;第3条 |
|||
#青地の円形の中心が白日本体の中心である。 |
|||
#白日本体の半径と青地の円形の半径の比率は1対3である。 |
|||
#白日本体の中心から光芒の頂点までの長さはと白日本体の半径は2対1である。 |
|||
#白日本体と12条の光芒の間の青地の幅は、白日の直径の15分の1に等しい。 |
|||
#各光芒の頂角はそれぞれ30度で、12条分を合計すると360度となる。 |
|||
#光芒の上下左右の方向は北南西東の方向に揃えられ、それ以外は等間隔に配される。}} |
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{|class="wikitable" |
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|- |
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!名称 |
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!法定尺度([[センチメートル]])および用法 |
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!制式 |
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|- |
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|{{nowrap|一号国旗}} |
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|24 × 16(卓上に置かれる小国旗) |
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|rowspan=10|[[File:Flag of the Republic of China construction sheet.svg|450px]] |
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|- |
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|二号国旗 |
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|36 × 24(内政部は[[自動車]]と[[オートバイ]]の前に掲げることを推奨している) |
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|- |
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|三号国旗 |
|||
|48 × 32(慶事を祝う時に[[牌坊|牌楼]]に使用される) |
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|- |
|||
|四号国旗 |
|||
|72 × 48([[陸橋]]や[[交通島]]で使用される) |
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|- |
|||
|五号国旗 |
|||
|96 × 64 |
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|- |
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|六号国旗 |
|||
|144 × 96(「国徽国旗法」に基づいて屋外で使用される) |
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|- |
|||
|七号国旗 |
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|180 × 120(「国旗覆蓋霊柩実施要點」に基づいて葬儀で使用される) |
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|- |
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|八号国旗 |
|||
|240 × 160(講堂や議場で使用される) |
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|- |
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|九号国旗 |
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|288 × 192(講堂や議場で使用される) |
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|- |
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|十号国旗 |
|||
|360 × 240(講堂や議場で使用される) |
|||
|} |
|||
憲法と「中華民国国徽国旗法」には国旗に用いる標準色の規定が存在しないが、[[内政部 (中華民国)|内政部]]は参考として下記の配色を挙げている<ref>{{Cite web |url=https://www.moi.gov.tw/cp.aspx?n=10621 |title=國旗大哉問 |website=國旗懸掛禮儀網 |publisher=[[内政部 (中華民国)|內政部]] |access-date=2024-07-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20240124080913/https://www.moi.gov.tw/cp.aspx?n=10621 |archive-date=2024-01-24 |language=zh }}</ref>。 |
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{| class="wikitable" style="width:60%; text-align:center;" |
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|- |
|||
!表現法 |
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!style="background:#0029cc;color:#fff;"|青 |
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!style="background:#fff;"|白 |
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!style="background:#f20000;color:#fff;"|赤 |
|||
|- |
|||
| [[CMYK]] || 100-80-0-20 || 0-0-0-0 || 0-100-100-5~10 |
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|} |
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== 使用 == |
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=== マナー === |
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*中華民国を侮辱する意図で中華民国国章・国旗を公然の場で損壊・撤去・汚辱した者は、1年以下の[[懲役]]または9,000[[新台湾ドル]]以下の罰金刑に処される([[刑法 (中華民国)|刑法]]第160条)。 |
|||
*国旗が正式に掲揚・降下される時は全員起立・[[中華民国国歌|国歌]]斉唱・敬礼を行わなければならない(中華民国国徽国旗法第11条)。 |
|||
*国旗が掲揚・降下される時、国民はその場で起立して注目しなければならない。[[緊急車両]]を除く車両はその場で停止しなければならない(中華民国国徽国旗法第12条)。 |
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=== 屋外 === |
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[[File:陽翟聚落軍中樂園場景.jpg|thumb|250px|軒先に掲揚される国旗([[福建省 (中華民国)|福建省]][[金門県]][[金沙鎮]])]] |
|||
*国旗の旗竿は白色で、先端に[[金色]]の冠頭を付ける(中華民国国徽国旗法第5条)。 |
|||
*国旗を玄関前に掲揚する時は、左上を向くように掲げる。2枚の国旗を用いる場合は、戸の上に交差させて掲げるか、戸の両側に並列して掲げる(中華民国国徽国旗法第7条)。 |
|||
*屋外に国旗を掲揚する時間は、[[日の出]]から[[日没]]までの間である(中華民国国徽国旗法第8条)。 |
|||
*政府機関・学校・団体・軍隊は適当な場所に旗竿を立て、国旗を毎日掲揚・降下する(中華民国国徽国旗法第10条)。 |
|||
*雨天時は、国旗を掲揚しなければならない特別な場合を除いては国旗を降ろす。雨が止んだら再び掲揚する。(中華民国国徽国旗法第13条)。 |
|||
{| class="wikitable" |
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|- style="background:#efefef;" |
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|+ 国旗を掲揚する時(「[[s:zh:紀念日及節日實施辦法 (民國103年)|紀念日及節日実施弁法]]」第2-5条に基づく) |
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|- |
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! 時期 !! 説明 |
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|- |
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| [[1月1日]] || {{仮リンク|中華民国開国紀念日|zh|中華民國開國紀念日}} |
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|- |
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| [[2月28日]] || {{仮リンク|和平紀念日 (台湾)|label=和平記念日|zh|和平紀念日_(臺灣)}}([[半旗]]) |
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|- |
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| [[3月12日]] || {{仮リンク|植樹節 (3月12日)|label=国父逝世紀念日|zh|植樹節 (3月12日)}} |
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|- |
|||
| [[3月14日]] || {{仮リンク|反侵略日|zh|反侵略日}} |
|||
|- |
|||
| [[3月29日]] || {{仮リンク|革命先烈紀念日|zh|革命先烈紀念日}} |
|||
|- |
|||
| [[中国暦|旧暦]][[4月8日 (旧暦)|4月8日]] || [[灌仏会|仏陀誕辰紀念日]] |
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|- |
|||
| [[7月15日]] || [[台湾省戒厳令#戒厳令の解除|解厳紀念日]] |
|||
|- |
|||
| [[9月28日]] || {{仮リンク|孔子誕辰日|label=孔子誕辰紀念日|zh|孔子誕辰日}} |
|||
|- |
|||
| [[10月10日]] || [[中華民国国慶日]] |
|||
|- |
|||
| [[10月24日]] || [[国連の日|連合国日]] |
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|- |
|||
| [[11月12日]] || {{仮リンク|孫文を記念する事物|label=国父誕辰紀念日|zh|紀念孫中山的方式#紀念日和假期}} |
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|- |
|||
| [[12月25日]] || {{仮リンク|行憲紀念日|zh|行憲紀念日}} |
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|- |
|||
| || 「紀念日及節日実施弁法」第3条の規定により、上記の全ての紀念日に全国で国旗を掲揚する。 |
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|- |
|||
| 外国の[[元首]]の訪問時 || [[外交儀礼]]や慣例に基づき、外国の元首が訪問する場所では歓迎を示すために国旗が掲揚される。 |
|||
|- |
|||
| [[国葬]]の挙行日 || 「[[s:zh:國葬法 (民國37年)|国葬法]]」第6条の規定により、国葬の挙行日には全国で半旗が掲揚される。 |
|||
|- |
|||
| 烈士入祀日 || 「[[s:zh:忠烈祠祀辦法|忠烈祠祀弁法]]」第21条の規定により、烈士([[英霊]])が合祀される日には現地の機関・団体・学校・企業は半旗を掲揚する。 |
|||
|} |
|||
=== 屋内 === |
|||
*政府機関・学校・軍隊は、講堂および議場の正面中央に掲げられた国父遺像(孫文の肖像画)の上に国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第6条)。 |
|||
=== 海上 === |
|||
==== 一般船舶 ==== |
|||
*[[中華民国の在外機構の一覧|在外公館]]・[[中華民国海軍|海軍]]艦隊・船舶の国旗の掲揚・降下は、本法の規定および国際慣例に従って行われる(中華民国国徽国旗法第15条)。 |
|||
*船舶は、入港時から出港時まで中華民国国旗または船籍国の国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第20条)。 |
|||
*中華民国以外の船舶は中華民国国旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない([[s:zh:船舶法 (民國107年11月6日立法28日公布)|船舶法]]第6条): |
|||
**1.中華民国国慶日または紀念日。 |
|||
**2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。 |
|||
*中華民国の船舶は中華民国国旗以外の旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない(船舶法第7条): |
|||
**1.停泊する国の[[国家の日]]あるいは記念日。 |
|||
**2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。 |
|||
==== 軍艦 ==== |
|||
*[[軍艦]]は停泊中、午前8時から日没までの間、国旗(海軍旗)を[[船尾|艦尾]]に、[[船首旗|艦首旗]]を[[船首|艦首]]に掲揚し、同時に掲揚・降下する。2隻以上の軍艦が同一の港に停泊している場合、旗の掲揚・降下の時刻は、上官が駐在する軍艦の時刻に従うものとする(陸海空軍軍旗条例細則<ref>{{cite web|title=陸海空軍軍旗條例施行細則 |url=https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?PCODE=F0060006 |accessdate=2024-07-07 |publisher=法務部 |work=全國法規資料庫 |archivedate=2024-07-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240704093254/https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?PCode=D0020020 |language=zh }}</ref>第31条)。 |
|||
*軍艦は航行中、国旗(海軍旗)を[[マスト|メインマスト]]に掲揚する(陸海空軍軍旗条例第34条)。 |
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=== 半旗 === |
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[[File:Flag of the ROC at Half Staff in Presidential Building Tower 20140806.jpg|thumb|200px|[[トランスアジア航空222便着陸失敗事故]]・[[高雄ガス爆発事故]]による犠牲者の追悼のため半旗が掲揚されている[[総統府 (台湾)|総統府]]]] |
|||
*現職の[[中華民国総統|総統]]および[[中華民国副総統|副総統]]が死去した場合、半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法<ref>{{cite web|title= 國旗下半旗實施辦法 |url=https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?pcode=D0020061 |accessdate=2024-07-07 |publisher=法務部 |work=全國法規資料庫 |archivedate=2024-07-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240707133102/https://law.moj.gov.tw/LawClass/LawAll.aspx?pcode=D0020061 |language=zh }}</ref>第2条)。 |
|||
*和平紀念日には半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第3条)。 |
|||
*下記の人物が死去した場合、総統の決定を経て半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第4条): |
|||
**1.国家に特別な功労がある者、または偉大な貢献をした者。 |
|||
**2.世界平和または人類の進歩に多大な貢献をした者。 |
|||
**3.友好国の現職の元首。 |
|||
*自然災害または人為災害により多数の死傷者が出た場合、災害の種類に応じ、災害防救業務の主管機関の要請を受けた[[行政院]]の決定を経て半旗を掲揚する。ただし、国際災害や事件の場合は[[外交部 (中華民国)|外交部]]が行政院に要請する(国旗下半旗実施弁法第5条)。 |
|||
*半旗を掲揚する時は、国旗をポールの一番上まで揚げた後、ポールの半分の高さまで降ろす。旗を降ろす時は、ポールの頂上まで揚げた後に降ろす(国旗下半旗実施弁法第8条)。 |
|||
*国旗を半旗で掲揚する時、国旗と並べて掲揚する旗の高さは国旗より高い位置にあってはならない(国旗下半旗実施弁法第9条)。 |
|||
==== 半旗が掲揚された例 ==== |
|||
*国葬の挙行日 |
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{| class="wikitable" |
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|+ |
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!年月日 |
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!出来事 |
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!備考 |
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|[[1965年]][[3月5日]] |
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|[[陳誠]](副総統)の死去 |
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|- |
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|[[1975年]][[4月5日]] |
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|[[蔣介石]](総統)の死去 |
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|[[1988年]][[1月13日]] |
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|[[蔣経国]](総統)の死去 |
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|[[1993年]][[12月24日]] |
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|[[厳家淦]](元総統)の死去 |
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|[[2001年]][[4月8日]] |
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|[[謝東閔]](元副総統)の死去 |
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|[[2020年]][[1月14日]] |
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|[[2020年新北市ヘリコプター墜落事故]]による犠牲者の葬儀 |
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|国葬に準ずる扱い |
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|2020年[[7月31日]]から3日間 |
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|[[李登輝]](元総統)の死去<ref>{{cite web|title=台北賓館李登輝追悼献花場、8/1-8/16一般開放 |url=https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92698 |date=2020-07-31 |accessdate=2024-07-08 |publisher=[[台湾国際放送]] |archivedate=2024-07-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240708082525/https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92698 }}</ref> |
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|2020年[[10月7日]] |
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|李登輝の遺骨の埋葬式<ref>{{cite web|title=李登輝・元総統、9/19追悼告別ミサ、10/7安置の儀式 |url=https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92776 |date=2020-08-21 |accessdate=2024-07-08 |publisher=台湾国際放送 |archivedate=2024-07-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240708082525/https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92698 }}</ref> |
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|国葬に準ずる扱い |
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|} |
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*重要貢献者の死去または事件 |
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{| class="wikitable" |
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|+ |
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!年月日 |
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!出来事 |
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!備考 |
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|[[1975年]][[3月26日]] |
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|[[ファイサル (サウジアラビア王)|ファイサル]]([[サウジアラビア]][[国王]])の死去 |
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|外交関係がある国の[[元首]] |
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|[[1989年]][[6月17日]] |
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|[[六四天安門事件]]の追悼 |
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|[[2003年]][[10月28日]] |
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|[[宋美齢]](元[[ファーストレディ|第一夫人]])の死去 |
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|[[2005年]][[4月3日]]・[[4月4日|4日]] |
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|[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]([[教皇|ローマ教皇]])の死去 |
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|外交関係がある国の元首 |
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|[[2022年]][[7月11日]] |
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|[[安倍晋三]]([[日本|日本国]]元[[内閣総理大臣]])の[[安倍晋三銃撃事件|死去]]<ref>{{cite web|title=すべての政府機関と公立学校で半旗、安倍元首相の死を悼む |url=https://jp.taiwantoday.tw/pics.php?unit=7187&post=40119 |date=2022-07-11 |accessdate=2024-07-08 |publisher=[[Taiwan Today]] |archivedate=2024-07-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240708083011/https://jp.rti.org.tw/news/view/id/92776 }}</ref> |
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|} |
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*災害・事故の追悼 |
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|+ |
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!年月日 |
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!出来事 |
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!備考 |
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|[[1999年]][[9月23日]]から3日間 |
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|[[921大地震]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2001年]]9月 |
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|[[平成13年台風第16号|九一七水災]]・[[アメリカ同時多発テロ事件]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2009年]][[8月22日]]から3日間 |
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|[[八八水害]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2014年]][[8月5日]]から3日間 |
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|[[トランスアジア航空222便着陸失敗事故]]・[[高雄ガス爆発事故]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2015年]][[2月10日]] |
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|[[トランスアジア航空235便墜落事故]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2016年]][[2月15日]] |
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|[[台湾南部地震 (2016年)|台湾南部地震]]による犠牲者の追悼 |
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|- |
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|[[2018年]][[2月21日]] |
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|[[花蓮地震 (2018年)|花蓮地震]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2021年]][[4月3日]]から3日間 |
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|[[北廻線太魯閣号脱線事故]]による犠牲者の追悼 |
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|- |
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|[[2021年]][[10月22日]] |
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|[[高雄ビル火災]]による犠牲者の追悼 |
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|} |
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*地方・機関単位での半旗掲揚 |
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|+ |
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!年月日 |
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!地方・機関 |
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!出来事 |
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!備考 |
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|[[1996年]][[11月22日]]から1ヶ月間 |
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|[[桃園市|桃園県]] |
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|[[劉邦友]]([[桃園市長|県長]])が暗殺された |
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|[[1998年]][[7月31日]] |
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|[[高雄市]]議会 |
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|{{仮リンク|林滴娟|zh|林滴娟}}(議員)が[[中国大陸]]で殺害された |
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|[[2006年]][[11月6日]]から3日間 |
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|[[宜蘭県]] |
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|{{仮リンク|陳定南|zh|陳定南}}(前県長)の死去 |
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|[[2018年]][[10月31日]] |
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|[[台東県]] |
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|[[宜蘭線普悠瑪号脱線事故]]による犠牲者の追悼 |
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|[[2020年]][[1月2日]]から3日間 |
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|[[中華民国国軍]] |
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|2020年新北市ヘリコプター墜落事故による犠牲者の追悼 |
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|[[2020年]][[6月7日]] |
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|高雄市議会 |
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|{{仮リンク|許崑源|zh|許崑源}}(議長)の死去 |
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|} |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 青天白日旗 === |
=== 青天白日旗 === |
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{{seealso|青天白日旗}} |
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{{Wikisourcelang|zh|與崔群書|青天白日の出典とされる韓愈の作品「與崔群書」}} |
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[[File:Naval Jack of the Republic of China.svg|thumb|220px|[[青天白日旗]]]] |
|||
青天白日満地紅旗は、[[青天白日旗]]を基としてデザインされたものである。当初、青天白日旗は国民党の前身である[[中国革命同盟会]]の旗として、[[1893年]]に[[陸皓東]]がデザインしたものである。[[1906年]]、孫文は青天白日旗を中華民国の国旗として併用しようとした。この際、黄興が[[日本の国旗]]である日章旗との類似性と、青天白日旗の色彩が質素で単調なことを指摘した。これを受けて張永福の妻が構想していた国旗案のひとつを参考に、孫文が赤地を加えて青天白日満地紅旗を完成させた。青天白日旗は、[[1919年]]に成立した国民党の党旗に制定された。 |
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[[1893年]]、孫文らと共に革命運動に参加していた[[陸皓東]]が[[青天白日旗]]をデザインした<ref name="中華民国"/><ref name="海軍"/><ref name="研究">{{cite web |author=[[吹浦忠正]] |title=さまざまな国旗が登場した中国大陸 |url=https://kokkiken.or.jp/archives/238 |date=2018-02-28 |accessdate=2024-07-09 |publisher=世界の国旗・国歌研究協会 |archivedate=2024-07-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240709074953/https://kokkiken.or.jp/archives/238 }}</ref><ref name="故事">{{cite web |title=首選珍藏 : 國旗的故事~國民政府檔案中有關國旗之史料 |url=https://digitalarchives.tw/Exhibition/1121/1.html |accessdate=2024-07-10 |publisher=[[中央研究院]] |work=典藏台灣 |archivedate=2024-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240710061217/https://digitalarchives.tw/Exhibition/1121/1.html |language=zh }}</ref>。2年後の[[1895年]]、孫文が設立した[[興中会]]は[[広東省]][[広州 (広東省)|広州府]](現:[[広州市]])で[[広州蜂起|武装蜂起]]を行うことを計画し、陸皓東は青天白日旗を軍旗とすることを提案した<ref name="中華民国"/><ref name="海軍"/><ref name="陸">{{cite web|title=陸皓東 |url=https://www.bdcconline.net/zh-hant/stories/lu-haodong |accessdate=2024-07-09 |publisher=Biographical Dictionary of Chinese Christianity |archivedate=2024-07-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240709072800/https://www.bdcconline.net/zh-hant/stories/lu-haodong |language=zh }}</ref>。しかし、蜂起に失敗したため旗は実際には使用されず、陸皓東は逮捕・処刑された<ref name="陸"/><ref>{{cite web|title=共産革命のために犠牲となった第一人―陸皓東 |url=https://www.sunyat-sen.org/portal/list/index.html?id=304 |accessdate=2024-07-09 |publisher=孙中山故居纪念馆 |archivedate=2024-07-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240709072456/https://www.sunyat-sen.org/portal/list/index.html?id=304 }}</ref>。 |
|||
[[1900年]]、興中会の[[鄭士良]]が{{仮リンク|恵州蜂起|zh|惠州起義}}を起こし、青天白日旗が初めて軍旗として使用された<ref name="海軍"/>{{sfn|王・張|2016|p=8}}。 |
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=== 五色旗 === |
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[[1912年]]の中華民国建国後、[[中華民国大総統|臨時大総統]]([[元首|国家元首]])に就任した孫文は青天白日満地紅旗を国旗として採用しようとしたが、[[臨時参議院]](議会)との協議の結果、かつて[[清]]朝の海軍で使用されていた旗を基とした'''{{仮リンク|五色旗 (中華民国)|label=五色旗|zh|五色旗 (中華民國)}}'''を国旗とし、青天白日満地紅旗を中華民国の[[軍艦旗|海軍旗]]として使用することとなった(青天白日満地紅旗は[[1913年]]から使用開始)。当初、五色旗は中華民国の国旗として各界から認知されていたが、[[袁世凱]]が政府から孫文も含めた革命勢力を追放して権力を掌握する([[北京政府]])と、袁世凱の施政に反発する人々を中心として五色旗に対する反発が強まっていった。 |
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=== 国旗の選定 === |
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五色旗は、赤=[[漢民族|漢族]]、黄=[[満洲民族|満洲族]]、青=[[モンゴル民族|モンゴル族]]、白=[[ウイグル|ウイグル族]]、黒=[[チベット民族|チベット族]]の'''[[五族共和]]'''を意味するとされた。色と民族の対応は異説があり、中国古来の五行思想を反映したとも言われる。満洲民族の王朝である大清帝国に由来する旗であることから、後に[[満洲]]の地に建国された[[満洲国]]の[[満洲国の国旗|国旗]]に応用された。 |
|||
[[1906年]]、孫文率いる[[中国同盟会]]は中華民国の国旗の形式に関する会議を開いた<ref name="中華民国"/><ref name="海軍"/><ref name="上海">{{Cite web |url=http://www.shzgd.org/renda/zgd/node10954/node16110/u1a1771454.html |title=一面旗帜 一个历史进程 |author=陈昌福 |publisher=上海致公 |accessdate=2024-07-09 |archive-date=2020-05-09 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200509212421/http://www.shzgd.org/renda/zgd/node10954/node16110/u1a1771454.html |language=zh }}</ref>。孫文は、犠牲となった陸皓東をはじめとする興中会の[[烈士]]を称えるため、青天白日旗を国旗に採用するよう主張した<ref name="中華民国"/><ref name="海軍"/><ref name="研究"/><ref name="上海"/>。しかし、[[黄興]]は「青天白日旗は単調で地味であり、[[日本の国旗]]に類似している」としてこれに反対した<ref name="中華民国"/><ref name="研究"/><ref name="故事"/>。これを受け、孫文は青天白日旗に赤色を追加することを閃いた<ref name="中華民国"/><ref name="青天白日">{{cite web |author=柏楊 |title=青天白日 國民黨收回去 |url=https://www.epochtimes.com/b5/4/7/15/n596625.htm |date=2004-07-15 |accessdate=2024-07-09 |publisher=[[大紀元時報|大紀元]] |archivedate=2024-07-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240709080646/https://www.epochtimes.com/b5/4/7/15/n596625.htm |language=zh }}</ref>。[[廖仲愷]]と黄興は平均地権を表す{{仮リンク|井字旗|zh|井字旗}}の採用を支持していた<ref name="中華民国"/><ref name="海軍"/><ref name="井字旗">{{cite web |author=考古 |title=井字旗—历史上致公党的党旗(1925年10月—1950年4月) |url=https://www.sohu.com/a/163646066_556515 |date=2017-08-10 |accessdate=2024-07-09 |publisher=[[捜狐]] |archivedate=2024-07-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240709081627/https://www.sohu.com/a/163646066_556515 |language=zh }}</ref>。他にも[[五族共和]]を表す{{仮リンク|五色旗 (中華民国)|label=五色旗|zh|五色旗 (中華民國)}}や内地十八省を表す[[十八星旗]]が提案されたが、議論が紛糾したために国旗の決定には至らなかった<ref name="中華民国"/><ref name="上海"/><ref name="井字旗"/>。 |
|||
「青天白日旗に赤色を追加する」という孫文のアイデアを基に、中国同盟会南洋分会副会長の{{仮リンク|張永福 (1872年)|label=張永福|zh|張永福 (1872年)}}の妻である陳淑字は4種類の旗を作成した<ref name="中華民国"/><ref name="青天白日"/>。孫文は草案4(青天白日満地紅旗)を気に入り、これを中華民国の国旗とすることを主張し続けた<ref name="中華民国"/>。 |
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'''陳淑字が作成した旗''' |
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<gallery> |
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File:Flag of the Republic of China (draft 1).svg|{{FIAV|proposal}} 草案1 |
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File:Flag of the Republic of China (draft 2).svg|{{FIAV|proposal}} 草案2 |
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File:Flag of the Republic of China Army.svg|{{FIAV|proposal}} 草案3 |
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File:Flag of the Republic of China.svg|{{FIAV|proposal}} 草案4 |
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</gallery> |
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'''国旗案として挙げられた旗''' |
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File:Naval_Jack_of_the_Republic_of_China.svg|{{FIAV|proposal}} 青天白日旗 |
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File:Flag of the Republic of China.svg|{{FIAV|proposal}} 青天白日満地紅旗 |
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File:Flag of China (1912–1928).svg|{{FIAV|proposal}} {{仮リンク|五色旗 (中華民国)|label=五色旗|zh|五色旗 (中華民國)}} |
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File:Chinese-army Wuhan flag (1911-1928) 18 dots.svg|{{FIAV|proposal}} [[十八星旗]] |
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File:中华民国元帅旗.svg|{{FIAV|proposal}} {{仮リンク|井字旗|zh|井字旗}} |
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</gallery> |
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=== 中華民国の建国 === |
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[[File:中华民国粤省军政府通用银票壹圆.png|thumb|240px|{{仮リンク|中華民国粤省軍政府|zh|中華民國粵省軍政府}}が発行した通用銀票<br>[[陳炯明]]・青天白日旗・青天白日満地紅旗が描かれている。]] |
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[[File:ROC calendar.jpg|thumb|200px|孫文と五色旗が描かれた月份牌(カレンダー)]] |
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[[1911年]]に[[辛亥革命]]が勃発し、翌[[1912年]](民国元年)[[1月1日]]に[[中華民国臨時政府 (1912年-1913年)|中華民国臨時政府]]が[[南京市 (中華民国)|南京]]に樹立された。{{仮リンク|各省都督府代表連合会|zh|各省都督府代表聯合會}}は国旗を制定する会議を開いたが、各省の革命軍がそれぞれ異なった旗を用いていたために紛糾した。[[湖北省 (中華民国)|湖北]]・[[湖南省 (中華民国)|湖南]]・[[江西省 (中華民国)|江西]]では[[共進会]]の十八星旗が、[[江蘇省 (中華民国)|江蘇]]、[[浙江省 (中華民国)|浙江]]、[[安徽省 (中華民国)|安徽]]では五色旗が、[[広東省 (中華民国)|広東]]、[[広西省|広西]]、[[福建省 (中華民国)|福建]]、[[雲南省 (中華民国)|雲南]]、[[貴州省 (中華民国)|貴州]]では青天白日旗や青天白日満地紅旗が用いられた<ref name="中華民国"/><ref name="故事"/><ref name="井字旗"/><ref name="青天白日"/>。広東省の[[陳炯明]]は恵州での挙兵時に井字旗を用いたが、[[広州市 (中華民国)|広州]]の{{仮リンク|中華民国粤省軍政府|label=粤省軍政府|zh|中華民國粵省軍政府}}に合流してからは使用しなくなった<ref name="故事"/><ref name="井字旗"/><ref name="青天白日"/>。[[1月10日]]、五色旗を中華民国の国旗に、十八星旗を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に制定することが最終的に議決された<ref name="中華民国"/>{{sfn|王・張|2016|p=10}}{{sfn|欧|2015|p=16}}。[[1月12日]]、[[中華民国臨時大総統|臨時大総統]]の孫文は「[[清]]の海軍旗と同一のデザインである」「五色は五族([[漢民族|漢]]・[[満洲民族|満]]・[[モンゴル民族|蒙]]・[[回族|回]]・[[チベット民族|蔵]])を表すとされているが、その五色の配置に上下関係が存在するのは不平等である」として五色旗が国旗にふさわしくないと考えたため直ちに公布しようとせず、[[臨時参議院]]の設置後に[[国民投票]]を実施して決定しようとした<ref name="中華民国"/>{{sfn|王・張|2016|p=10}}<ref>{{cite web |author=[[孫文|孫中山]] |title=咨覆參議會論國旗文 |url=https://sunology.yatsen.gov.tw/detail/978496e399fd399e136fb496d7c86031/ |date=1912-01-12 |accessdate=2024-07-10 |publisher=[[国立国父紀念館|國立國父紀念館]] |work=中山學術資料庫 |archivedate=2024-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240710023606/https://sunology.yatsen.gov.tw/detail/978496e399fd399e136fb496d7c86031/ |language=zh }}</ref>。しかし、[[マスメディア]]が決議の結果を公表したため、国民は五色旗を国旗として使用するようになった<ref name="中華民国"/>。 |
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孫文に代わって[[袁世凱]]が臨時大総統に就任した後の[[5月10日]]、臨時参議院は以前の決議に従って五色旗を国旗に制定することを決議した<ref name="中華民国"/><ref name="青天白日"/>。[[6月8日]]、五色旗を国旗に、十九星旗{{Refnest|group="注"|十八星旗の中央に星を1つ追加した旗<ref name="鉄血">{{cite web |author=張文亮 |title=鐵血十八星旗的意涵 |url=https://www.19111010.com.tw/story?id=98 |date=2023-06-14 |accessdate=2024-07-10 |publisher=武昌首義同志會 |archivedate=2024-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240710025419/https://www.19111010.com.tw/story?id=98 |language=zh }}</ref>。}}を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に、井字旗を元帥旗・副元帥旗に制定する法律が公布された<ref name="故事"/>{{sfn|欧|2015|p=16}}<ref name="鉄血"/><ref name="国旗">{{cite web |author=林健煉 |title=一面國旗藍綠各自看場合揮舞:415年來9面在台灣悲愴飄盪的主權旗! |url=https://tw.news.yahoo.com/%E9%9D%A2%E5%9C%8B%E6%97%97%E8%97%8D%E7%B6%A0%E5%90%84%E8%87%AA%E7%9C%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E6%8F%AE%E8%88%9E-415%E5%B9%B4%E4%BE%869%E9%9D%A2%E5%9C%A8%E5%8F%B0%E7%81%A3%E6%82%B2%E6%84%B4%E9%A3%84%E7%9B%AA%E7%9A%84%E4%B8%BB%E6%AC%8A%E6%97%97-013946975.html |date=2023-06-14 |accessdate=2019-10-29 |publisher=信傳媒 |archivedate=2024-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240710062918/https://tw.news.yahoo.com/%E9%9D%A2%E5%9C%8B%E6%97%97%E8%97%8D%E7%B6%A0%E5%90%84%E8%87%AA%E7%9C%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E6%8F%AE%E8%88%9E-415%E5%B9%B4%E4%BE%869%E9%9D%A2%E5%9C%A8%E5%8F%B0%E7%81%A3%E6%82%B2%E6%84%B4%E9%A3%84%E7%9B%AA%E7%9A%84%E4%B8%BB%E6%AC%8A%E6%97%97-013946975.html |language=zh }}</ref>。 |
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'''[[中華民国臨時政府 (1912年-1913年)|臨時政府]]・[[北京政府|北洋政府]]期に使用された旗''' |
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<gallery> |
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File:Flag of China (1912–1928).svg|{{FIAV|110110}}{{FIAV|historical}} 国旗<br>(1912年 - 1928年) |
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File:Chinese-army Wuhan flag (1911-1928) 19 dots.svg|{{FIAV|001000}}{{FIAV|historical}} 陸軍旗<br>(1912年 - 1928年) |
|||
File:Flag of the Republic of China.svg|{{FIAV|000001}} 海軍旗<br>(1912年 - ) |
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File:中华民国元帅旗.svg|{{FIAV|historical}} 元帥旗<br>(1912年 - 1928年) |
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File:中华民国副元帅旗.svg|{{FIAV|historical}} 副元帥旗<br>(1912年 - 1928年) |
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</gallery> |
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=== 青天白日満地紅旗 === |
=== 青天白日満地紅旗 === |
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[[File:United Nations "Fight For Freedom" poster.jpg|220px|thumb|[[連合国 (第二次世界大戦)|第二次世界大戦における連合国]]のポスター<br>中央に青天白日満地紅旗が見える。]] |
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一方、北京政府から追放された孫文をはじめとする革命勢力は、北京政府に対抗すべく[[1919年]]に[[広東省|広東]]で国民党を結成し、その際に青天白日の紋章を党章とした。そして、勢力を拡大した国民党は[[1925年]]に広州で国民政府を樹立するが、張永福の妻が構想していた国旗案のひとつを参考に孫文が赤地を加えて完成させた青天白日満地紅旗を国旗として定めたため、中華民国には2種類の国旗が並存する事態が生じた。この並存状態は、1928年に蔣介石の南京国民政府が全国を統一した際に制定した[[s:zh:中華民國國徽國旗法|中華民国国徽国旗法]]で国旗を五色旗から青天白日満地紅旗に変更することで解消した。その際に、青天白日の紋章も正式な国章として制定され、これ以降中華民国の国旗・国章は今日まで変更されることなく使用され続けている。[[国民革命軍]]の軍旗としても採用され、[[1948年]]以降は[[中華民国陸軍]]の軍旗として使用されている。 |
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[[1921年]](民国10年)[[5月5日]]、孫文は{{仮リンク|中華民国非常大総統|label=非常大総統|zh|中華民國非常大總統}}に就任して広州に[[中華民国正式政府|中華民国政府]]を樹立し、青天白日満地紅旗を国旗および軍旗に定めた<ref name="中華民国" /><ref name="海軍"/><ref name="故事" /><ref name="青天白日"/>。ただしこの時点では[[北平市|京都]](現:[[北京市]])に依然として[[北京政府|北洋政府]]が存在しており、五色旗が中華民国の国旗として広く認知されていた。 |
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[[1924年]](民国13年)[[6月30日]]、[[中国国民党]]の[[中国国民党中央委員会|中央執行委員会]]は青天白日旗を党旗に、青天白日満地紅旗を国旗にすることを議決した<ref>{{cite web |title=歷史上的今天(6月30日) |url=https://www.epochtimes.com/b5/11/6/19/n3290693.htm |date=2011-06-30 |accessdate=2024-07-10 |publisher=大紀元 |archivedate=2024-07-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240710064826/https://www.epochtimes.com/b5/11/6/19/n3290693.htm |language=zh }}</ref>。[[10月26日]]に出版された『中国国民党周刊』に掲載された「国旗釈義」という記事には「五族を象徴するものでしかなく、民国を象徴していない」「[[民族主義]]の一部のみを表現しているに過ぎず、民権主義・民生主義を表せていない」と五色旗を批判する一方で「光復だけでなく、国民精神の発揚において非常に重要である自強の意味も含まれている」「太陽は全ての人間の平等を象徴している」として青天白日満地紅旗こそが国旗にふさわしいとする内容が記された{{sfn|黄|2017|p=195}}。 |
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==中華人民共和国の成立と国際的な扱いの変遷 == |
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青天白日満地紅旗と青天白日は、[[1949年]]の[[中華人民共和国]]成立までは[[中国共産党]]が支配していた[[陝甘寧辺区]]や国民革命軍に編入された[[八路軍]]でも使用されていた。「[[中国]]の国旗」として世界的にも認知され、中華民国政府が[[台湾]]に退いた後も「中国を統治する唯一の合法(正統)[[国家]]は中華民国である」という主張が国際的に認知されている間は、[[国際連合]]などの国際的な公式の場で掲揚された。しかし中華人民共和国が[[1970年代]]に取り組んだ[[西側諸国]]との関係改善と、国連における「中国」代表権を中華民国から中華人民共和国に移す[[1971年]]の[[アルバニア決議|国連総会決議2758]]の採択などの結果、「中国を統治する唯一の合法(正統)国家」として中華民国を承認する国が激減し、青天白日満地紅旗も「中国の国旗」として国際的に認知されなくなっていった。そのために現在では、青天白日満地紅旗が台湾以外の公式な場で掲揚される機会が大変少なくなっている。 |
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孫文死後の[[1925年]](民国14年)[[7月1日]]、国民党は広州に[[国民政府]]を樹立し、青天白日満地紅旗が国旗に定められた。 |
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かつて[[イギリス領香港|英国領だった時代の香港]]では、自由・民主・自治の実現を願い、青天白日満地紅旗がはためく光景が見受けられた。[[1997年]]の[[香港返還]]により[[イギリス|英国]]の[[植民地]]から中華人民共和国の[[特別行政区]]になってからは、[[香港]]でこの旗が公然と掲げられることはごくまれになった。 その後の中国共産党による強権的な一党独裁支配に対する体制運動においては、むしろ[[香港旗|英国植民地時代の香港旗]]が掲げられる傾向にある。[[2019年-2020年香港民主化デモ]]では、台湾への支持と連帯を示す意図から、青天白日満地紅旗を掲げるデモ参加者が見受けられる。 |
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[[1928年]](民国17年)6月、北洋政府が崩壊し、国民政府による[[北伐 (中国国民党)|北伐]]が完了した<ref name="海軍"/><ref name="行政院"/>。[[12月17日]]、「中華民國国徽国旗法」が施行され、青天白日満地紅旗が中華民国の正式な国旗となった<ref name="海軍"/><ref name="行政院"/>。 |
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=== 国際スポーツにおける扱い === |
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[[ファイル:Flag_of_Chinese_Taipei_for_Olympic_games.svg|thumb|オリンピック委員会旗(梅花旗)]] |
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{{Main|チャイニーズタイペイ}} |
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青天白日満地紅旗は、[[近代オリンピック|オリンピック]]や[[FIFAワールドカップ]]などの世界的なスポーツ大会の場でも公式に掲揚されることはなくなった。[[1984年]]以降、オリンピックに中華民国の選手が「チャイニーズタイペイ(中華台北,''Chinese Taipei'')」代表として出場する際には、青天白日満地紅旗の代わりに'''チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗'''(中華奥林匹克委員會旗、通称:'''[[w:zh:梅花旗|梅花旗]]''')が使用・掲揚されている。同旗は国旗に使われる青白赤の3色で国花の[[ウメ|梅]]をかたどり、その中に青天白日と[[オリンピックシンボル]]の五輪を掲げている。 |
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[[1945年]](民国34年)[[10月25日]]、[[第二次世界大戦]]の終結に伴って[[日本統治時代の台湾|日本領台湾]]が中華民国に編入されて[[台湾省]]となり、台湾でも青天白日満地紅旗が掲揚されるようになった。 |
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== 「台湾旗」の提唱 == |
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{{also|台湾共和国#国旗}} |
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[[1947年]](民国26年)[[12月25日]]、「中華民国憲法」が施行され、第6条では「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と規定された<ref name="憲法"/>。 |
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[[ファイル:Flag of World Taiwanese Congress.svg|thumb|台湾旗]] |
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[[中国大陸|大陸]]から移ってきた中華民国の統治と国民党による一党独裁を拒否し、主権国家である「[[台湾共和国]]」の樹立を目指す[[台湾独立運動]]では青天白日満地紅旗の使用が忌避され、独自のデザインを持つ旗の使用が提案されてきた。[[2001年]]、世界台湾人大会において元民進党主席・[[姚嘉文]]によりデザインされた「台湾旗」が提案され、以後同大会の旗として、あるいは民進党内にも多い台湾独立派のシンボルとして使用されている<ref>台湾建国応援団、[http://ilha-formosa.org/?p=23934 【情報】台湾旗(台湾独立旗)の入手方法について]、2013年1月20日付</ref>。なお、台湾旗では民進党のイメージカラーでもある緑色が使われ、[[泛緑連盟]]として総称される「台湾本土化」の色として、国民党を中心とする[[泛藍連盟]]との対比をなしている。 |
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[[国共内戦|第二次国共内戦]]末期の[[1949年]](民国38年)[[9月27日]]、[[北平市|北平]]で開催された[[中国人民政治協商会議]]の{{仮リンク|中国人民政治協商会議第1回全体会議|label=第1回全体会議|zh|中国人民政治协商会议第一届全体会议}}で、[[中華人民共和国]]の国旗を[[中華人民共和国の国旗|五星紅旗]]とすることが議決された<ref>{{cite web |title=中国人民政治协商会议 |url=http://www.cppcc.gov.cn/2011/09/27/ARTI1317102198751744.shtml |date=2011-05-11 |accessdate=2024-07-11 |publisher=[[中国人民政治協商会議|中国人民政治协商会议]]全国委员会 |archivedate=2024-07-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240711113423/http://www.cppcc.gov.cn/2011/09/27/ARTI1317102198751744.shtml |language=zh }}</ref><ref>{{cite web |title=《第二部分 中华人民共和国国旗的诞生》第三单元 国旗的确定 |url=https://www.gzzx.gov.cn/rdzt/qizhislz/twgs/202110/t20211025_158364.htm |date=2021-10-25 |accessdate=2024-07-11 |publisher=中国人民政治协商会议广州市委员会 |archivedate=2024-07-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240711105028/https://www.gzzx.gov.cn/rdzt/qizhislz/twgs/202110/t20211025_158364.htm |language=zh }}</ref>。[[10月1日]]に中華人民共和国が建国され、12月に[[中華民国政府]]は[[中華民国政府の台湾への移転|台湾へ撤退した]]<ref>{{Cite web|title=行政院第二六五九次院會決議 |url=https://www.ey.gov.tw/Page/4EC2394BE4EE9DD0/596df27a-de95-4c99-8786-1770984cdd24 |accessdate=2024-07-11 |date=1999-12-09 |publisher=行政院 |archivedate=2024-06-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240603135548/https://www.ey.gov.tw/Page/4EC2394BE4EE9DD0/596df27a-de95-4c99-8786-1770984cdd24 |language=zh }}</ref>。 |
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== 両岸分断以降の使用状況 == |
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=== 中国大陸(中華人民共和国)=== |
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[[File:1st National Congress of Kuomintang of China.jpg|thumb|240px|広州の{{仮リンク|中国国民党第一次全国代表大会旧址|zh|中國國民黨第一次全國代表大會舊址}}に掲げられている青天白日旗・青天白日満地紅旗・孫文の肖像画]] |
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中華人民共和国は[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]が1949年に滅亡したとみなし、自らが中華民国を継承する国家であると主張している<ref>{{Cite web|title=1からわかる!台湾(1)台湾と中国の関係は? |url=https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji135/ |accessdate=2024-07-13 |date=2023-05-17 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240603135548/https://www.ey.gov.tw/Page/4EC2394BE4EE9DD0/596df27a-de95-4c99-8786-1770984cdd24 }}</ref><ref>{{Cite web||author=村上太輝夫 |title=「中華民国」は言い間違い? 北京訪問にこだわった馬英九氏の悲劇 |url=https://www.asahi.com/articles/ASS4J2C5VS4JUSPT002M.html |accessdate=2024-07-13 |date=2024-04-17 |publisher=[[朝日新聞社]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713021721/https://www.asahi.com/articles/ASS4J2C5VS4JUSPT002M.html }}</ref>。このため[[中国大陸]]において青天白日満地紅旗は歴史上の存在として扱われ、[[南京中国近代史遺址博物館]]や[[中山陵]]、[[中国人民抗日戦争紀念館]]といった[[中華民国の歴史|中華民国史]]や[[日中戦争]]に関連する施設や[[映画]]などでしか見ることができない。[[国務院台湾事務弁公室]]が[[2002年]]に制定、[[2016年]]に改訂したガイドラインである「関于正確使用渉台宣伝用語的意見」の第1条では、「1949年10月1日以降の台湾地区の政権に対して『中華民国』という用語を使用してはならず、『台湾当局』『台湾方面』などと呼ばなけらばならない」「中華民国の[[民国紀元|紀年法]]・'''旗'''・[[中華民国の国章|紋章]]・[[中華民国国歌|歌]]を使用してはならない」などと規定されている<ref>{{Cite web|title=媒体人注意!39条涉台宣传用语,一定要用语精准! |url=http://www.cnrmg.cn/xwzx1/zytrd/20220804/t20220804_525947387.html |accessdate=2024-07-13 |date=2022-08-04 |publisher=[[中央広播電視総台|中央广播电视总台]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713023925/http://www.cnrmg.cn/xwzx1/zytrd/20220804/t20220804_525947387.html |language=zh }}</ref>。中国大陸で青天白日満地紅旗が映っている映像などが放映される際は、[[モザイク処理]]などで隠されるのが一般的である<ref name="尖閣">{{Cite web|title=陸媒移花接木 青天白日國旗從釣魚台島上消失 |url=http://www.ettoday.net/news/20120816/88404.htm |accessdate=2024-07-13 |date=2012-08-16 |publisher=ETtoday新聞雲 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120918062945/http://www.ettoday.net/news/20120816/88404.htm |language=zh }}</ref><ref>{{Cite web|title=中華民国国旗にモザイク 「ナショジオは契約違反」=台北市政府 |url=https://japan.focustaiwan.tw/society/201711180005 |accessdate=2024-07-13 |date=2017-11-18 |publisher=[[中央通訊社]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713024839/https://japan.focustaiwan.tw/society/201711180005 }}</ref><ref name="郭台銘">{{Cite web|title=郭台銘造訪白宮,戴中華民國國旗帽見特朗普 |url=https://www.rfi.fr/tw/%E6%B8%AF%E6%BE%B3%E5%8F%B0/20190502-%E9%83%AD%E5%8F%B0%E9%8A%98%E9%80%A0%E8%A8%AA%E7%99%BD%E5%AE%AE%EF%BC%8C%E6%88%B4%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E5%9C%8B%E6%97%97%E5%B8%BD%E8%A6%8B%E7%89%B9%E6%9C%97%E6%99%AE |accessdate=2024-07-13 |date=2019-05-02 |publisher=[[ラジオ・フランス・アンテルナショナル|RFI]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713024329/https://www.rfi.fr/tw/%E6%B8%AF%E6%BE%B3%E5%8F%B0/20190502-%E9%83%AD%E5%8F%B0%E9%8A%98%E9%80%A0%E8%A8%AA%E7%99%BD%E5%AE%AE%EF%BC%8C%E6%88%B4%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E5%9C%8B%E6%97%97%E5%B8%BD%E8%A6%8B%E7%89%B9%E6%9C%97%E6%99%AE |language=zh }}</ref>。 |
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[[File:ROC Flag appears in a supermarket in China Mainland.jpg|220px|thumb|left|中国大陸の[[ウォルマート]]で掲示されている青天白日満地紅旗]] |
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両岸の交流が活発になるに伴い、台湾製商品であることを表すための記号として、青天白日満地紅旗が中国大陸の商店などで使用される例がみられるようになった<ref>{{Cite web |url=http://www.youtube.com/watch?v=eWSqQm6-fMs |title=大陸超市發現中華民國國旗 |accessdate=2012-09-26 |archive-date=2016-10-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20161006104831/https://www.youtube.com/watch?v=eWSqQm6-fMs }}</ref>。 |
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[[2012年]][[8月15日]]、中国大陸・[[香港]]・[[マカオ]]の[[保釣運動|保釣運動家]]7人が[[尖閣諸島]]の[[魚釣島]]に上陸して五星紅旗と青天白日満地紅旗を掲げ、[[沖縄県警察]]に逮捕される事件([[香港活動家尖閣諸島上陸事件]])が発生した<ref name="尖閣"/><ref>{{Cite web|title=<尖閣問題>青天白日満地紅旗を勝手に持ち込んだ活動家、台湾政府は対応に苦慮―SP華字紙 |url=https://sp.recordchina.co.jp/b63882-s0-c10-d0000.html |accessdate=2024-07-13 |date=2012-08-18 |publisher=[[Record China]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713031412/https://sp.recordchina.co.jp/b63882-s0-c10-d0000.html }}</ref><ref>{{Cite web|title=尖閣諸島・魚釣島に中国人7人が上陸、沖縄県警が逮捕 |url=http://www.asahi.com/special/senkaku/OSK200403240036.html |accessdate=2024-07-13 |date=2012-08-18 |publisher=朝日新聞社 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713031752/http://www.asahi.com/special/senkaku/OSK200403240036.html }}</ref>。この事件は中国大陸でも報道されたが、報道写真に写っていた青天白日満地紅旗は加工されて赤く塗りつぶされた<ref name="尖閣"/>。 |
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=== 香港 === |
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[[File:Rennie's Mill Middle School.jpg|thumb|240px|{{仮リンク|香港調景嶺中学|zh|香港調景嶺中學}}で掲揚される青天白日満地紅旗(1995年)]] |
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[[File:20191010 ROC in Hong Kong 06.jpg|thumb|240px|2019年の双十節に街中で掲揚される青天白日満地紅旗]] |
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中華民国が大陸を統治していた時期の間、香港は一貫して[[イギリス]]の統治下にあった。[[1950年]]にはイギリスが中華人民共和国と国交を樹立し、[[1997年]]に中華人民共和国に[[香港返還|香港を返還]]したため、中華民国は現在に至るまで香港を統治したことが一度もない{{sfn|三宅|2007|pp=174, 176}}。しかし、中華人民共和国を支持しない住民によって青天白日満地紅旗を掲揚されることがある<ref name="香港">{{Cite web|author=千原靖弘 |title=香港の経済発展と社会の分裂 |url=https://www.drsgate.com/company/c00071/39.php? |accessdate=2024-07-13 |date=2020-04-05 |publisher=ドクターズゲート |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713034545/https://www.drsgate.com/company/c00071/39.php? }}</ref>。 |
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中華民国政府の台湾撤退後、香港には国民党関係者の難民が大量に流入した<ref name="香港"/>。彼らは毎年10月10日の中華民国国慶日(双十節)に青天白日滿地紅旗を掲揚していたが、[[1956年]]の双十節には掲げられていた青天白日満地紅旗が当局職員によって剥がされ、これに怒った住民らが暴動を起こした([[双十暴動]])<ref name="香港"/>。 |
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1997年の香港返還後、[[香港特別行政区政府]]は青天白日満地紅旗の掲揚を明確に禁止はしなかったものの、「公共の空間を占拠している」という名目で青天白日満地紅旗を撤去することがあった<ref>{{Cite web |url=http://www.mac.gov.tw/public/MMO/MAC/after9703hk6.pdf |title=香港移交後之爭議事件 |accessdate=2011-01-11 |archive-date=2011-09-27 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110927045931/http://www.mac.gov.tw/public/MMO/MAC/after9703hk6.pdf |language=zh }}</ref>。 |
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[[2019年]]3月、[[2019年逃亡犯条例改正案|逃亡犯条例改正案]]に[[2019年-2020年香港民主化デモ|反対するデモ]]が発生した。同年の双十節には香港の各地で青天白日満地紅旗が掲揚され、反共を訴える標語が掲示された<ref>{{Cite web |title=庆祝“双十节”的香港人:支持“反送中”示威“对中共的不服从” |url=https://www.bbc.com/zhongwen/simp/chinese-news-49999294 |date=2019-10-10 |accessdate=2024-07-13 |archivedate=2024-07-13 |publisher=[[英国放送協会|BBC]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713043305/https://www.bbc.com/zhongwen/simp/chinese-news-49999294 |language=zh }}</ref><ref>{{Cite web |title=港人同慶!「青天白日滿地紅」出現香港街頭 民眾揚言國旗插遍香江 |url=https://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/2942321 |date=2019-10-10 |accessdate=2024-07-13 |archivedate=2019-10-13 |publisher=[[自由時報]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20191013140902/https://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/2942321 |language=zh }}</ref>。 |
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[[2020年]]に「[[中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法|香港国家安全維持法]]」が施行されてからは、双十節を祝うイベントの実施ができなくなり、孫文を記念する施設である{{仮リンク|中山公園 (屯門)|label=中山公園|zh|中山公園 (屯門)}}に掲揚されていた青天白日満地紅旗は撤去された<ref>{{Cite web|author=千原靖弘 |title=香港での双十節イベントは中止|url=https://hkmn.jp/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%8F%8C%E5%8D%81%E7%AF%80%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AF%E4%B8%AD%E6%AD%A2/ |accessdate=2024-07-13 |date=2021-09-15 |publisher=香港ポスト |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713040450/https://hkmn.jp/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%8F%8C%E5%8D%81%E7%AF%80%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AF%E4%B8%AD%E6%AD%A2/ }}</ref><ref>{{Cite web |title=雙十節:紀念辛亥革命的青天白日旗會不會在香港絶跡 |url=https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-58838181 |date=2021-10-09 |accessdate=2024-07-13 |archivedate=2024-07-13 |publisher=BBC |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713040842/https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-58838181 |language=zh }}</ref>。 |
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=== マカオ === |
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マカオも中華民国の統治下にあったことがないが、こちらでも香港と同様に青天白日満地紅旗が掲げられていた。しかし、[[1966年]]に共産党支持者が暴動([[一二・三事件]])を起こすと、マカオにおけるポルトガルの権威は失墜した<ref name="マカオ">{{Cite web|author=千原靖弘 |title=香港の経済発展と社会の分裂 |url=https://www.drsgate.com/company/c00071/74.php? |accessdate=2024-07-13 |date=2023-01-05 |publisher=ドクターズゲート |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713041813/https://www.drsgate.com/company/c00071/74.php? }}</ref>。[[中国人民解放軍]]の恫喝を受けて[[マカオ政庁]]は中華人民共和国の要求を受け入れざるを得ず、[[1967年]][[1月2日]]、マカオにおける中華人民共和国と敵対する活動が禁止された<ref name="マカオ"/>。マカオの親中華民国団体は解散させられ、青天白日満地紅旗の掲揚も禁止された<ref name="マカオ"/>。 |
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=== 国際的な使用 === |
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[[File:Yokohama Chinatown 11 (2947715918).jpg|thumb|240px|[[横浜中華街]]で掲揚される青天白日満地紅旗]] |
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[[File:07.21 總統出席我國參加「2016第31屆里約奧林匹克運動會代表團授旗典禮」 (28443987635).jpg|thumb|240px|[[2016年リオデジャネイロオリンピック]][[2016年リオデジャネイロオリンピックのチャイニーズタイペイ選手団|選手団]]への旗授与式で{{仮リンク|チャイニーズ・タイペイオリンピック委員会|label=中華オリンピック委員会|zh|中華奧林匹克委員會}}会旗を振る[[蔡英文]][[中華民国総統|総統]]]] |
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[[1971年]]、[[国際連合]]総会決議2758([[アルバニア決議]])によって国連における中国の代表権が中華民国から中華人民共和国に移り、これに抗議した中華民国は国連から脱退した<ref>{{cite web|title=国連の台湾追放決議を「中国が悪用」 米重鎮議員が声明 |url=https://www.sankei.com/article/20211027-DYC247MW3ZKWNI2FHY2DZK26WY/ |date=2021-10-27 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[産業経済新聞社]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713054243/https://www.sankei.com/article/20211027-DYC247MW3ZKWNI2FHY2DZK26WY/ }}</ref>。 |
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{{main|中国と国際連合}} |
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国連脱退以降、日本や[[アメリカ合衆国]]を始めとする多くの国々は中華人民共和国の国交を樹立し、相対的に中華民国は国際的に孤立することになった<ref>{{cite web|title=台湾をめぐる東アジア情勢 |url=https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0405_00021.html |date=2023-09-22 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[東京大学]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713055108/https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0405_00021.html }}</ref>。各国とは断交後も非公式な実務関係を維持しているが、正式な国交がないために公式な場で国旗を掲揚することができない<ref>{{cite web|title=雙橡園升旗 AIT:不要再發生 |url=http://news.ltn.com.tw/news/focus/paper/845983 |date=2015-01-09 |accessdate=2024-07-13 |publisher=自由時報 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=http://news.ltn.com.tw/news/focus/paper/845983 |language=zh }}</ref>。しかし、世界各地の[[華僑]]コミュニティでは現在でも使用されている<ref>{{cite web|title=SOの聖火リレーに青天白日満地紅 |url=https://jp.rti.org.tw/news/view/id/29796 |date=2015-07-20 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[台湾国際放送]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713060319/https://jp.rti.org.tw/news/view/id/29796 }}</ref><ref>{{cite web|title=国際的な舞台のFIAモータースポーツ・ゲームズに中華民国の国旗 |url=https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=148,149,150,151,152&post=165554 |date=2019-11-08 |accessdate=2024-07-13 |publisher=Taiwan Today |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713060339/https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=148,149,150,151,152&post=165554 }}</ref><ref>{{cite web|title=謝長廷・駐日代表が横浜中華街2023年双十国慶節祝賀パレードに参加 |url=https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/93909.html |date=2023-10-11 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[台北駐日経済文化代表処]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713055848/https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/93909.html }}</ref>。 |
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両岸分断後、中国には台湾の{{仮リンク|中国オリンピック委員会 (中華民国)|label=中国オリンピック委員会|zh|中國奧林匹克委員會 (中華民國)}}{{Refnest|group="注"|[[1973年]]以降の国内での名称は「中華オリンピック委員会({{lang-zh-tw-short|中華奧林匹克委員會}})」<ref>{{cite web|title=中華奧會(五):中華全國體育協進會【臺北時期】 |url=https://ekinchiu.wixsite.com/rochistory/post/china-national-amateur-athletic-federation-taipei |date=2021-11-15 |accessdate=2024-07-13 |publisher=中華民國志 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713070321/https://ekinchiu.wixsite.com/rochistory/post/china-national-amateur-athletic-federation-taipei }}</ref>。}}と大陸の[[中国オリンピック委員会]]の2つの[[国内オリンピック委員会]](NOC)が並立する状態となった。[[1954年]]に[[ギリシャ王国|ギリシャ]]の[[アテネ]]で行われた[[国際オリンピック委員会]](IOC)年次総会で双方の「中国オリンピック委員会({{lang-en-short|Chinese Olympic Committee}})」が承認されたが、「[[二つの中国]]」が並立することに反対した大陸側の中国オリンピック委員会は[[1958年]]にIOCを脱退した<ref name="中華台北">{{cite web|title=「中華台北」會籍名稱使用事略 |url=http://old.npf.org.tw/PUBLICATION/EC/090/EC-R-090-017.htm |date=2001-11-02 |accessdate=2024-07-13 |publisher=國家政策研究基金會 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110724233918/http://old.npf.org.tw/PUBLICATION/EC/090/EC-R-090-017.htm |language=zh }}</ref>。中華民国が国連を脱退した後の[[1979年]]、日本の[[名古屋市|名古屋]]で開かれたIOC執行委員会にて、台湾側の中華オリンピック委員会が「[[チャイニーズタイペイ|チャイニーズ・タイペイ]]{{仮リンク|チャイニーズ・タイペイオリンピック委員会|label=オリンピック委員会|zh|中華奧林匹克委員會}}({{lang-en-short|Chinese Taipei Olympic Committee}})」の名称、中華民国の国旗・国歌とは異なる、IOCに承認された旗・歌を使用して残留することを条件に、大陸側の中国オリンピック委員会をIOCに復帰させることが議決された(名古屋決議)<ref name="中華台北"/><ref>{{cite web|title=台湾の五輪出場、なぜチャイニーズタイペイの名称なのか |url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35174455.html |date=2021-07-28 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[CNN]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713065828/https://www.cnn.co.jp/showbiz/35174455.html }}</ref>。[[1981年]][[3月23日]]、[[スイス]]の[[ローザンヌ]]のIOC本部にて、中華オリンピック委員会とIOCと間で{{仮リンク|ローザンヌ協定|zh|洛桑協議}}が締結され、名称・旗・歌の変更が合意された<ref name="中華台北" />。以降、オリンピックなどの国際競技大会の場では、中華民国は中華オリンピック委員会の会旗({{仮リンク|梅花旗|zh|梅花旗|preserve=1}})と会歌{{Refnest|group="注"|「[[中華民国国旗歌]]」の歌詞を変更したもの<ref name="会歌">{{cite web|author=富哥 |title=你也許不知道,中華奧會會歌的歌詞並非國旗歌歌詞! |url=https://www.sportsv.net/articles/55004 |date=2018-08-24 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[CNN]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713071758/https://www.sportsv.net/articles/55004 }}</ref>。}}を使用するようになった<ref name="会歌"/><ref>{{cite web|title=洛桑協議及奧會模式 |url=https://www.tpenoc.net/lausanne/ |accessdate=2024-07-13 |publisher=中華奧林匹克委員會 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713072957/https://www.tpenoc.net/lausanne/ }}</ref>。 |
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{{main|チャイニーズタイペイ}} |
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中華民国の[[フラッグ・キャリア]]である[[チャイナエアライン]]はかつて機体の[[垂直尾翼]]に青天白日満地紅旗が描かれていたが、香港返還が間近に迫る[[1995年]]、香港乗り入れを盾に中国共産党から圧力を受け、中華民国の国花である[[ウメ|梅]]に変更された<ref>{{cite web|title=華航尾翼「國旗變梅花」!消失原因曝光 網嘆:正名唯一解 |url=https://www.setn.com/News.aspx?NewsID=727054 |date=2020-04-16 |accessdate=2024-07-13 |publisher=[[三立新聞台]] |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713074819/https://www.setn.com/News.aspx?NewsID=727054 }}</ref>。 |
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[[2014年]]、[[ベトナム]]で[[2014年ベトナム反中デモ|反中デモ]]が発生した。一部の暴徒化した民衆は[[漢字]]が掲げられた企業を無差別に襲撃し、台湾企業も被害を受けた<ref>{{cite web|title=ベトナム反中デモ、台湾企業も被害 |url=https://www.ys-consulting.com.tw/news/50329.html |date=2014-05-14 |accessdate=2024-07-13 |publisher=ワイズコンサルティング |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240713061121/https://www.ys-consulting.com.tw/news/50329.html }}</ref><ref name="越南">{{cite web|title=越南防“误砸”允许台商悬挂中华民国国旗 |url=https://www.voachinese.com/a/taiwan-companies-in-vietnam-allowed-to-raise-taiwan-flags/4503789.html |date=2018-07-28 |accessdate=2024-07-13 |publisher=美国之音 |archivedate=2018-07-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180728183448/https://www.voachinese.com/a/taiwan-companies-in-vietnam-allowed-to-raise-taiwan-flags/4503789.html |language=zh }}</ref>。これを受け、[[2018年]]にベトナム政府は、中国企業と台湾企業を区別することを目的に、ベトナム国内の台湾企業が青天白日満地紅旗を掲揚することを許可した<ref name="越南"/>。 |
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[[2017年]]、[[カンボジア]][[カンボジアの首相|首相]]の[[フン・セン]]は、カンボジア国内での青天白日満地紅旗の掲揚を禁止することを宣言した<ref>{{cite web|title=Hun Sen Bans Taiwan Flag from Cambodia |url=https://www.voachinese.com/a/taiwan-companies-in-vietnam-allowed-to-raise-taiwan-flags/4503789.html |date=2017-02-06 |accessdate=2024-07-13 |publisher=美国之音 |archivedate=2024-07-13 |archiveurl=https://english.cambodiadaily.com/news/hun-sen-bans-taiwan-flag-from-cambodia-124609/ |language=en }}</ref>。 |
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== 国旗から派生した旗 == |
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File:Ensign of Chinese Customs (1929-1931).svg|{{FIAV|historical}} 税関旗・税関艦艉旗<br>(1929年 - 1931年) |
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File:Ensign of the Chinese Maritime Customs Service.svg|{{FIAV|historical}} 税関旗<br>(1931年 - 1976年)<br>税関艦艉旗<br>(1931年 - 1975年) |
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File:Ensign of the Chinese Water Police.svg|{{FIAV|historical}} 警艇旗<br>(1929年 - 1949年) |
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File:Flag of police of the Republic of China (1947).svg|{{FIAV|historical}} 警察旗<br>(1947年 - 1975年) |
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File:Civil Ensign of the Republic of China.svg|{{FIAV|000100}}{{FIAV|historical}} 商船旗<br>(1929年 - 1966年) |
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File:Ensign of Chinese Fishery Patrol & Fishery Investigation Test Vessels (1935).svg|{{FIAV|historical}} 護漁巡艦・漁業調査試験等船旗幟<br>(1935年 - 1949年) |
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File:Ensign of the Chinese Salt Administration.svg|{{FIAV|historical}} 塩務旗<br>(1929年 - 1949年) |
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File:Postal Ensign of China (1929- 1935).svg|{{FIAV|historical}} 郵政旗<br>(1929年 - 1935年) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<references /> |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|3}} |
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== |
== 参考文献 == |
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*{{Cite book |author=王曉華, 張慶軍 |year=2016 |language=zh |title=1901-1949中華民國之謎 (修訂版) |publisher=靈活文化 |place=臺北 |isbn=9789865721138 |ref={{sfnref|王・張|2016}} }} |
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* [[国旗の一覧]] |
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*{{Cite book |author=歐陽晧 |year=2015 |language=zh |title=青天白日旗飄揚:中華民國軍旗沿革 |publisher=銘閎實業 |place=[[台北市|臺北]] |isbn=9789869245005 |ref={{sfnref|欧|2015}} }} |
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* [[台湾の旗一覧]] |
|||
*{{Cite book |author=黃興濤 |year=2017 |language=zh |title=重塑中华:近代中国“中华民族”观念研究 |publisher=三聯書店 |place=[[香港]] |isbn=9789620438202 |ref={{sfnref|黄|2017}} }} |
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* [[中華民国国旗歌]] |
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* {{Cite journal|和書|author=三宅康之 |date=2007 |title=中国の「国交樹立外交」、1949~1957年 |journal=紀要. 地域研究・国際学編 |ISSN=13420992 |publisher=[[愛知県立大学]]外国語学部 |volume=39 |pages=169-197 |doi=10.15088/00000862 |CRID=1390853649552400896 |url=https://aichi-pu.repo.nii.ac.jp/records/863 |ref={{sfnref|三宅|2007}}}} |
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* [[中華人民共和国の国旗]](五星紅旗) |
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== 関連項目 == |
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{{wikisourcelang|zh|中華民國國徽國旗法}} |
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{{Commonscat|Flags of the Republic of China}} |
{{Commonscat|Flags of the Republic of China}} |
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* [https://web.archive.org/web/20060307210755/http://www.fotw.net/FLAGS/ Flags of the World](英語のみ) |
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*[[国旗の一覧]] |
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** [http://www.fotw.net/flags/tw.html 青天白日滿地紅旗] |
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*[[中国の旗一覧]] |
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** [http://www.fotw.net/flags/cn-nqta.html 五色旗] |
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*[[台湾の旗一覧]] |
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** [http://www.fotw.net/flags/tw@sport.html オリンピック委員会旗とサッカー協会旗] |
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*[[中華民国の国章]] |
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* [http://www.globalflag.idv.tw/ 全球旗幟會館](正体字中国語のみ) |
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* |
*[[中華民国国歌]] |
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*[[中華民国国旗歌]] |
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** [http://www.globalflag.idv.tw/wg/ttjg-ty.htm スポーツ団体の旗] |
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{{アジアの国旗}} |
{{アジアの国旗}} |
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{{中華民国の象徴}} |
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2024年7月30日 (火) 06:48時点における版
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 2:3 |
制定日 | 1928年12月17日( 95年 + 343日) |
使用色 | |
根拠法令 |
中華民国憲法 中華民国国徽国旗法 |
海軍旗章の掲揚方法 | |
---|---|
中華民国の国旗(ちゅうかみんこくのこっき)は、青地の中心に白い太陽がある意匠(青天白日)がカントンに配された赤地の旗であり、青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき、繁: 青天白日滿地紅旗)と呼ばれる[1]。
1912年(民国元年)の建国当初は五色旗が国旗として使用されていたが、1928年(民国17年)に国民政府が北伐を終えて中国を統一した後、「中華民国国徽国旗法」が制定されて青天白日満地紅旗が国旗となった[1][2][3]。1947年(民国36年)に施行された「中華民国憲法」の第6条でも「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と定義されている[4]。
中華民国海軍の軍旗も、国旗と同じく青天白日満地紅旗である[2]。
構成
意匠
青・白・赤の3色は国父の孫文が提唱した三民主義や自由・平等・博愛を表し、青には「明るくまっすぐで気高く偉大な中華民族の性格と志」、白には「正直さ・公正さ・潔白さ」、赤には「革命で流された鮮血」という意味も含まれている[1][3]。太陽の12条の光芒は十二時辰や十二支を表して永遠を象徴するとともに、国民の進取の精神を表している[1][3]。
1949年(民国38年)10月10日の中華民国国慶日(双十節)に中国国民党総裁の蔣介石[注 1]が発表した「中華民国三十八年国慶紀念告全国軍民同胞書」の文中では、「我らが中国の領土に青天白日満地紅旗が立っている限り、それは黄帝の子孫にとっての自由と独立の象徴となるだろう」と説明されている[6]。
規定
「中華民国国徽国旗法」には、国旗の規格に関して下記のような規定が存在する[7]。
中華民国国章の規定は、同法の第3条に記載されている。
- 第3条
- 青地の円形の中心が白日本体の中心である。
- 白日本体の半径と青地の円形の半径の比率は1対3である。
- 白日本体の中心から光芒の頂点までの長さはと白日本体の半径は2対1である。
- 白日本体と12条の光芒の間の青地の幅は、白日の直径の15分の1に等しい。
- 各光芒の頂角はそれぞれ30度で、12条分を合計すると360度となる。
- 光芒の上下左右の方向は北南西東の方向に揃えられ、それ以外は等間隔に配される。
名称 | 法定尺度(センチメートル)および用法 | 制式 |
---|---|---|
一号国旗 | 24 × 16(卓上に置かれる小国旗) | |
二号国旗 | 36 × 24(内政部は自動車とオートバイの前に掲げることを推奨している) | |
三号国旗 | 48 × 32(慶事を祝う時に牌楼に使用される) | |
四号国旗 | 72 × 48(陸橋や交通島で使用される) | |
五号国旗 | 96 × 64 | |
六号国旗 | 144 × 96(「国徽国旗法」に基づいて屋外で使用される) | |
七号国旗 | 180 × 120(「国旗覆蓋霊柩実施要點」に基づいて葬儀で使用される) | |
八号国旗 | 240 × 160(講堂や議場で使用される) | |
九号国旗 | 288 × 192(講堂や議場で使用される) | |
十号国旗 | 360 × 240(講堂や議場で使用される) |
憲法と「中華民国国徽国旗法」には国旗に用いる標準色の規定が存在しないが、内政部は参考として下記の配色を挙げている[8]。
表現法 | 青 | 白 | 赤 |
---|---|---|---|
CMYK | 100-80-0-20 | 0-0-0-0 | 0-100-100-5~10 |
使用
マナー
- 中華民国を侮辱する意図で中華民国国章・国旗を公然の場で損壊・撤去・汚辱した者は、1年以下の懲役または9,000新台湾ドル以下の罰金刑に処される(刑法第160条)。
- 国旗が正式に掲揚・降下される時は全員起立・国歌斉唱・敬礼を行わなければならない(中華民国国徽国旗法第11条)。
- 国旗が掲揚・降下される時、国民はその場で起立して注目しなければならない。緊急車両を除く車両はその場で停止しなければならない(中華民国国徽国旗法第12条)。
屋外
- 国旗の旗竿は白色で、先端に金色の冠頭を付ける(中華民国国徽国旗法第5条)。
- 国旗を玄関前に掲揚する時は、左上を向くように掲げる。2枚の国旗を用いる場合は、戸の上に交差させて掲げるか、戸の両側に並列して掲げる(中華民国国徽国旗法第7条)。
- 屋外に国旗を掲揚する時間は、日の出から日没までの間である(中華民国国徽国旗法第8条)。
- 政府機関・学校・団体・軍隊は適当な場所に旗竿を立て、国旗を毎日掲揚・降下する(中華民国国徽国旗法第10条)。
- 雨天時は、国旗を掲揚しなければならない特別な場合を除いては国旗を降ろす。雨が止んだら再び掲揚する。(中華民国国徽国旗法第13条)。
時期 | 説明 |
---|---|
1月1日 | 中華民国開国紀念日 |
2月28日 | 和平記念日(半旗) |
3月12日 | 国父逝世紀念日 |
3月14日 | 反侵略日 |
3月29日 | 革命先烈紀念日 |
旧暦4月8日 | 仏陀誕辰紀念日 |
7月15日 | 解厳紀念日 |
9月28日 | 孔子誕辰紀念日 |
10月10日 | 中華民国国慶日 |
10月24日 | 連合国日 |
11月12日 | 国父誕辰紀念日 |
12月25日 | 行憲紀念日 |
「紀念日及節日実施弁法」第3条の規定により、上記の全ての紀念日に全国で国旗を掲揚する。 | |
外国の元首の訪問時 | 外交儀礼や慣例に基づき、外国の元首が訪問する場所では歓迎を示すために国旗が掲揚される。 |
国葬の挙行日 | 「国葬法」第6条の規定により、国葬の挙行日には全国で半旗が掲揚される。 |
烈士入祀日 | 「忠烈祠祀弁法」第21条の規定により、烈士(英霊)が合祀される日には現地の機関・団体・学校・企業は半旗を掲揚する。 |
屋内
- 政府機関・学校・軍隊は、講堂および議場の正面中央に掲げられた国父遺像(孫文の肖像画)の上に国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第6条)。
海上
一般船舶
- 在外公館・海軍艦隊・船舶の国旗の掲揚・降下は、本法の規定および国際慣例に従って行われる(中華民国国徽国旗法第15条)。
- 船舶は、入港時から出港時まで中華民国国旗または船籍国の国旗を掲揚する(中華民国国徽国旗法第20条)。
- 中華民国以外の船舶は中華民国国旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない(船舶法第6条):
- 1.中華民国国慶日または紀念日。
- 2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。
- 中華民国の船舶は中華民国国旗以外の旗を掲揚することができない。ただし、別に法律に規定がある場合、または次のいずれかに該当する場合はこの限りではない(船舶法第7条):
- 1.停泊する国の国家の日あるいは記念日。
- 2.その他祝意または敬意を表すべきである場合。
軍艦
- 軍艦は停泊中、午前8時から日没までの間、国旗(海軍旗)を艦尾に、艦首旗を艦首に掲揚し、同時に掲揚・降下する。2隻以上の軍艦が同一の港に停泊している場合、旗の掲揚・降下の時刻は、上官が駐在する軍艦の時刻に従うものとする(陸海空軍軍旗条例細則[9]第31条)。
- 軍艦は航行中、国旗(海軍旗)をメインマストに掲揚する(陸海空軍軍旗条例第34条)。
半旗
- 現職の総統および副総統が死去した場合、半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法[10]第2条)。
- 和平紀念日には半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第3条)。
- 下記の人物が死去した場合、総統の決定を経て半旗を掲揚する(国旗下半旗実施弁法第4条):
- 1.国家に特別な功労がある者、または偉大な貢献をした者。
- 2.世界平和または人類の進歩に多大な貢献をした者。
- 3.友好国の現職の元首。
- 自然災害または人為災害により多数の死傷者が出た場合、災害の種類に応じ、災害防救業務の主管機関の要請を受けた行政院の決定を経て半旗を掲揚する。ただし、国際災害や事件の場合は外交部が行政院に要請する(国旗下半旗実施弁法第5条)。
- 半旗を掲揚する時は、国旗をポールの一番上まで揚げた後、ポールの半分の高さまで降ろす。旗を降ろす時は、ポールの頂上まで揚げた後に降ろす(国旗下半旗実施弁法第8条)。
- 国旗を半旗で掲揚する時、国旗と並べて掲揚する旗の高さは国旗より高い位置にあってはならない(国旗下半旗実施弁法第9条)。
半旗が掲揚された例
- 国葬の挙行日
年月日 | 出来事 | 備考 |
---|---|---|
1965年3月5日 | 陳誠(副総統)の死去 | |
1975年4月5日 | 蔣介石(総統)の死去 | |
1988年1月13日 | 蔣経国(総統)の死去 | |
1993年12月24日 | 厳家淦(元総統)の死去 | |
2001年4月8日 | 謝東閔(元副総統)の死去 | |
2020年1月14日 | 2020年新北市ヘリコプター墜落事故による犠牲者の葬儀 | 国葬に準ずる扱い |
2020年7月31日から3日間 | 李登輝(元総統)の死去[11] | |
2020年10月7日 | 李登輝の遺骨の埋葬式[12] | 国葬に準ずる扱い |
- 重要貢献者の死去または事件
年月日 | 出来事 | 備考 |
---|---|---|
1975年3月26日 | ファイサル(サウジアラビア国王)の死去 | 外交関係がある国の元首 |
1989年6月17日 | 六四天安門事件の追悼 | |
2003年10月28日 | 宋美齢(元第一夫人)の死去 | |
2005年4月3日・4日 | ヨハネ・パウロ2世(ローマ教皇)の死去 | 外交関係がある国の元首 |
2022年7月11日 | 安倍晋三(日本国元内閣総理大臣)の死去[13] |
- 災害・事故の追悼
年月日 | 出来事 | 備考 |
---|---|---|
1999年9月23日から3日間 | 921大地震による犠牲者の追悼 | |
2001年9月 | 九一七水災・アメリカ同時多発テロ事件による犠牲者の追悼 | |
2009年8月22日から3日間 | 八八水害による犠牲者の追悼 | |
2014年8月5日から3日間 | トランスアジア航空222便着陸失敗事故・高雄ガス爆発事故による犠牲者の追悼 | |
2015年2月10日 | トランスアジア航空235便墜落事故による犠牲者の追悼 | |
2016年2月15日 | 台湾南部地震による犠牲者の追悼 | |
2018年2月21日 | 花蓮地震による犠牲者の追悼 | |
2021年4月3日から3日間 | 北廻線太魯閣号脱線事故による犠牲者の追悼 | |
2021年10月22日 | 高雄ビル火災による犠牲者の追悼 |
- 地方・機関単位での半旗掲揚
年月日 | 地方・機関 | 出来事 | 備考 |
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1996年11月22日から1ヶ月間 | 桃園県 | 劉邦友(県長)が暗殺された | |
1998年7月31日 | 高雄市議会 | 林滴娟(議員)が中国大陸で殺害された | |
2006年11月6日から3日間 | 宜蘭県 | 陳定南(前県長)の死去 | |
2018年10月31日 | 台東県 | 宜蘭線普悠瑪号脱線事故による犠牲者の追悼 | |
2020年1月2日から3日間 | 中華民国国軍 | 2020年新北市ヘリコプター墜落事故による犠牲者の追悼 | |
2020年6月7日 | 高雄市議会 | 許崑源(議長)の死去 |
歴史
青天白日旗
1893年、孫文らと共に革命運動に参加していた陸皓東が青天白日旗をデザインした[1][2][14][15]。2年後の1895年、孫文が設立した興中会は広東省広州府(現:広州市)で武装蜂起を行うことを計画し、陸皓東は青天白日旗を軍旗とすることを提案した[1][2][16]。しかし、蜂起に失敗したため旗は実際には使用されず、陸皓東は逮捕・処刑された[16][17]。
1900年、興中会の鄭士良が恵州蜂起を起こし、青天白日旗が初めて軍旗として使用された[2][18]。
国旗の選定
1906年、孫文率いる中国同盟会は中華民国の国旗の形式に関する会議を開いた[1][2][19]。孫文は、犠牲となった陸皓東をはじめとする興中会の烈士を称えるため、青天白日旗を国旗に採用するよう主張した[1][2][14][19]。しかし、黄興は「青天白日旗は単調で地味であり、日本の国旗に類似している」としてこれに反対した[1][14][15]。これを受け、孫文は青天白日旗に赤色を追加することを閃いた[1][20]。廖仲愷と黄興は平均地権を表す井字旗の採用を支持していた[1][2][21]。他にも五族共和を表す五色旗や内地十八省を表す十八星旗が提案されたが、議論が紛糾したために国旗の決定には至らなかった[1][19][21]。
「青天白日旗に赤色を追加する」という孫文のアイデアを基に、中国同盟会南洋分会副会長の張永福の妻である陳淑字は4種類の旗を作成した[1][20]。孫文は草案4(青天白日満地紅旗)を気に入り、これを中華民国の国旗とすることを主張し続けた[1]。
陳淑字が作成した旗
国旗案として挙げられた旗
中華民国の建国
1911年に辛亥革命が勃発し、翌1912年(民国元年)1月1日に中華民国臨時政府が南京に樹立された。各省都督府代表連合会は国旗を制定する会議を開いたが、各省の革命軍がそれぞれ異なった旗を用いていたために紛糾した。湖北・湖南・江西では共進会の十八星旗が、江蘇、浙江、安徽では五色旗が、広東、広西、福建、雲南、貴州では青天白日旗や青天白日満地紅旗が用いられた[1][15][21][20]。広東省の陳炯明は恵州での挙兵時に井字旗を用いたが、広州の粤省軍政府に合流してからは使用しなくなった[15][21][20]。1月10日、五色旗を中華民国の国旗に、十八星旗を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に制定することが最終的に議決された[1][22][23]。1月12日、臨時大総統の孫文は「清の海軍旗と同一のデザインである」「五色は五族(漢・満・蒙・回・蔵)を表すとされているが、その五色の配置に上下関係が存在するのは不平等である」として五色旗が国旗にふさわしくないと考えたため直ちに公布しようとせず、臨時参議院の設置後に国民投票を実施して決定しようとした[1][22][24]。しかし、マスメディアが決議の結果を公表したため、国民は五色旗を国旗として使用するようになった[1]。
孫文に代わって袁世凱が臨時大総統に就任した後の5月10日、臨時参議院は以前の決議に従って五色旗を国旗に制定することを決議した[1][20]。6月8日、五色旗を国旗に、十九星旗[注 2]を陸軍旗に、青天白日満地紅旗を海軍旗に、井字旗を元帥旗・副元帥旗に制定する法律が公布された[15][23][25][26]。
青天白日満地紅旗
1921年(民国10年)5月5日、孫文は非常大総統に就任して広州に中華民国政府を樹立し、青天白日満地紅旗を国旗および軍旗に定めた[1][2][15][20]。ただしこの時点では京都(現:北京市)に依然として北洋政府が存在しており、五色旗が中華民国の国旗として広く認知されていた。
1924年(民国13年)6月30日、中国国民党の中央執行委員会は青天白日旗を党旗に、青天白日満地紅旗を国旗にすることを議決した[27]。10月26日に出版された『中国国民党周刊』に掲載された「国旗釈義」という記事には「五族を象徴するものでしかなく、民国を象徴していない」「民族主義の一部のみを表現しているに過ぎず、民権主義・民生主義を表せていない」と五色旗を批判する一方で「光復だけでなく、国民精神の発揚において非常に重要である自強の意味も含まれている」「太陽は全ての人間の平等を象徴している」として青天白日満地紅旗こそが国旗にふさわしいとする内容が記された[28]。
孫文死後の1925年(民国14年)7月1日、国民党は広州に国民政府を樹立し、青天白日満地紅旗が国旗に定められた。
1928年(民国17年)6月、北洋政府が崩壊し、国民政府による北伐が完了した[2][3]。12月17日、「中華民國国徽国旗法」が施行され、青天白日満地紅旗が中華民国の正式な国旗となった[2][3]。
1945年(民国34年)10月25日、第二次世界大戦の終結に伴って日本領台湾が中華民国に編入されて台湾省となり、台湾でも青天白日満地紅旗が掲揚されるようになった。
1947年(民国26年)12月25日、「中華民国憲法」が施行され、第6条では「中華民国の国旗は、紅地の左方上角に青天白日をしるしたものと定める」と規定された[4]。
第二次国共内戦末期の1949年(民国38年)9月27日、北平で開催された中国人民政治協商会議の第1回全体会議で、中華人民共和国の国旗を五星紅旗とすることが議決された[29][30]。10月1日に中華人民共和国が建国され、12月に中華民国政府は台湾へ撤退した[31]。
両岸分断以降の使用状況
中国大陸(中華人民共和国)
中華人民共和国は中華民国が1949年に滅亡したとみなし、自らが中華民国を継承する国家であると主張している[32][33]。このため中国大陸において青天白日満地紅旗は歴史上の存在として扱われ、南京中国近代史遺址博物館や中山陵、中国人民抗日戦争紀念館といった中華民国史や日中戦争に関連する施設や映画などでしか見ることができない。国務院台湾事務弁公室が2002年に制定、2016年に改訂したガイドラインである「関于正確使用渉台宣伝用語的意見」の第1条では、「1949年10月1日以降の台湾地区の政権に対して『中華民国』という用語を使用してはならず、『台湾当局』『台湾方面』などと呼ばなけらばならない」「中華民国の紀年法・旗・紋章・歌を使用してはならない」などと規定されている[34]。中国大陸で青天白日満地紅旗が映っている映像などが放映される際は、モザイク処理などで隠されるのが一般的である[35][36][37]。
両岸の交流が活発になるに伴い、台湾製商品であることを表すための記号として、青天白日満地紅旗が中国大陸の商店などで使用される例がみられるようになった[38]。
2012年8月15日、中国大陸・香港・マカオの保釣運動家7人が尖閣諸島の魚釣島に上陸して五星紅旗と青天白日満地紅旗を掲げ、沖縄県警察に逮捕される事件(香港活動家尖閣諸島上陸事件)が発生した[35][39][40]。この事件は中国大陸でも報道されたが、報道写真に写っていた青天白日満地紅旗は加工されて赤く塗りつぶされた[35]。
香港
中華民国が大陸を統治していた時期の間、香港は一貫してイギリスの統治下にあった。1950年にはイギリスが中華人民共和国と国交を樹立し、1997年に中華人民共和国に香港を返還したため、中華民国は現在に至るまで香港を統治したことが一度もない[41]。しかし、中華人民共和国を支持しない住民によって青天白日満地紅旗を掲揚されることがある[42]。
中華民国政府の台湾撤退後、香港には国民党関係者の難民が大量に流入した[42]。彼らは毎年10月10日の中華民国国慶日(双十節)に青天白日滿地紅旗を掲揚していたが、1956年の双十節には掲げられていた青天白日満地紅旗が当局職員によって剥がされ、これに怒った住民らが暴動を起こした(双十暴動)[42]。
1997年の香港返還後、香港特別行政区政府は青天白日満地紅旗の掲揚を明確に禁止はしなかったものの、「公共の空間を占拠している」という名目で青天白日満地紅旗を撤去することがあった[43]。
2019年3月、逃亡犯条例改正案に反対するデモが発生した。同年の双十節には香港の各地で青天白日満地紅旗が掲揚され、反共を訴える標語が掲示された[44][45]。
2020年に「香港国家安全維持法」が施行されてからは、双十節を祝うイベントの実施ができなくなり、孫文を記念する施設である中山公園に掲揚されていた青天白日満地紅旗は撤去された[46][47]。
マカオ
マカオも中華民国の統治下にあったことがないが、こちらでも香港と同様に青天白日満地紅旗が掲げられていた。しかし、1966年に共産党支持者が暴動(一二・三事件)を起こすと、マカオにおけるポルトガルの権威は失墜した[48]。中国人民解放軍の恫喝を受けてマカオ政庁は中華人民共和国の要求を受け入れざるを得ず、1967年1月2日、マカオにおける中華人民共和国と敵対する活動が禁止された[48]。マカオの親中華民国団体は解散させられ、青天白日満地紅旗の掲揚も禁止された[48]。
国際的な使用
1971年、国際連合総会決議2758(アルバニア決議)によって国連における中国の代表権が中華民国から中華人民共和国に移り、これに抗議した中華民国は国連から脱退した[49]。
国連脱退以降、日本やアメリカ合衆国を始めとする多くの国々は中華人民共和国の国交を樹立し、相対的に中華民国は国際的に孤立することになった[50]。各国とは断交後も非公式な実務関係を維持しているが、正式な国交がないために公式な場で国旗を掲揚することができない[51]。しかし、世界各地の華僑コミュニティでは現在でも使用されている[52][53][54]。
両岸分断後、中国には台湾の中国オリンピック委員会[注 3]と大陸の中国オリンピック委員会の2つの国内オリンピック委員会(NOC)が並立する状態となった。1954年にギリシャのアテネで行われた国際オリンピック委員会(IOC)年次総会で双方の「中国オリンピック委員会(英: Chinese Olympic Committee)」が承認されたが、「二つの中国」が並立することに反対した大陸側の中国オリンピック委員会は1958年にIOCを脱退した[56]。中華民国が国連を脱退した後の1979年、日本の名古屋で開かれたIOC執行委員会にて、台湾側の中華オリンピック委員会が「チャイニーズ・タイペイオリンピック委員会(英: Chinese Taipei Olympic Committee)」の名称、中華民国の国旗・国歌とは異なる、IOCに承認された旗・歌を使用して残留することを条件に、大陸側の中国オリンピック委員会をIOCに復帰させることが議決された(名古屋決議)[56][57]。1981年3月23日、スイスのローザンヌのIOC本部にて、中華オリンピック委員会とIOCと間でローザンヌ協定が締結され、名称・旗・歌の変更が合意された[56]。以降、オリンピックなどの国際競技大会の場では、中華民国は中華オリンピック委員会の会旗(梅花旗)と会歌[注 4]を使用するようになった[58][59]。
中華民国のフラッグ・キャリアであるチャイナエアラインはかつて機体の垂直尾翼に青天白日満地紅旗が描かれていたが、香港返還が間近に迫る1995年、香港乗り入れを盾に中国共産党から圧力を受け、中華民国の国花である梅に変更された[60]。
2014年、ベトナムで反中デモが発生した。一部の暴徒化した民衆は漢字が掲げられた企業を無差別に襲撃し、台湾企業も被害を受けた[61][62]。これを受け、2018年にベトナム政府は、中国企業と台湾企業を区別することを目的に、ベトナム国内の台湾企業が青天白日満地紅旗を掲揚することを許可した[62]。
2017年、カンボジア首相のフン・センは、カンボジア国内での青天白日満地紅旗の掲揚を禁止することを宣言した[63]。
国旗から派生した旗
脚注
注釈
出典
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- 三宅康之「中国の「国交樹立外交」、1949~1957年」『紀要. 地域研究・国際学編』第39巻、愛知県立大学外国語学部、2007年、169-197頁、CRID 1390853649552400896、doi:10.15088/00000862、ISSN 13420992。