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1964年、[[岩手県立花巻北高等学校]]に入学し、下宿で一人暮らしをするが、授業料を全部レコードにつぎ込んでいたため、1年で退学させられ、[[岩手県立釜石南高等学校]](現:[[岩手県立釜石高等学校]])に編入。入学直前、FENで[[ビートルズ]]を知り、以降[[リバプール・サウンド]]全般を買いまくっていたという。釜石南高編入後、初めてバンドを組む。「スプレンダーズ」というバンドでドラムを担当していた。本来ならコミックバンドをやりたかったが同志が見つからず、やむなくビートルズタイプのバンドを組んだという。メンバーには現在釜石市にある鉄の歴史館館長を務める佐々木諭がいた。
1964年、[[岩手県立花巻北高等学校]]に入学し、下宿で一人暮らしをするが、授業料を全部レコードにつぎ込んでいたため、1年で退学させられ、[[岩手県立釜石南高等学校]](現:[[岩手県立釜石高等学校]])に編入。入学直前、FENで[[ビートルズ]]を知り、以降[[リバプール・サウンド]]全般を買いまくっていたという。釜石南高編入後、初めてバンドを組む。「スプレンダーズ」というバンドでドラムを担当していた。本来ならコミックバンドをやりたかったが同志が見つからず、やむなくビートルズタイプのバンドを組んだという。メンバーには現在釜石市にある鉄の歴史館館長を務める佐々木諭がいた。


1967年、大学受験に失敗。上京し、[[小岩]]の製鉄会社に就職するも、出社約20日、在籍期間3ヶ月で[[退職#自己都合退職|退職]]。その数日前、[[船橋ヘルスセンター]]で会社の慰安会があり、余興でビートルズの「[[ガール]]」をアカペラで歌ったところ、上司から「うん、キミはこういう所にいるべき人間ではない」と諭されたという<ref>『総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史』</ref>。同年夏に、[[布谷文夫]]と知り合い、洪栄龍らと共に「タブー」というバンドを結成。ドラムを担当していたが、同年末に解散。
1967年、上京し、[[小岩]]の製鉄会社に就職するも、出社約20日、在籍期間3ヶ月で[[退職#自己都合退職|退職]]。その数日前、[[船橋ヘルスセンター]]で会社の慰安会があり、余興でビートルズの「[[ガール]]」をアカペラで歌ったところ、上司から「うん、キミはこういう所にいるべき人間ではない」と諭されたという<ref>『総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史』</ref>。同年夏に、[[布谷文夫]]と知り合い、洪栄龍らと共に「タブー」というバンドを結成。ドラムを担当していたが、同年末に解散。


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[[1968年]]に早稲田大学文学部に入学。布谷を通じて交友があった中田佳彦<ref>[[中田喜直]]の甥で、[[はっぴいえんど]]にもかかわりが深かった人物。</ref>から[[細野晴臣]]を紹介されて意気投合。大滝、中田、細野の3人で定期的にポップスの研究会を開く。[[1969年]]、細野が参加していたバンド「[[エイプリル・フール (バンド)|エイプリル・フール]]」の解散直前に、細野と[[松本隆]]によって計画されていた新バンドに加入を要請され受諾。


=== 1970年代 ===
=== 1970年代 ===

2014年7月14日 (月) 22:54時点における版

大瀧詠一
基本情報
出生名 大瀧榮一
別名 歌手名:大滝詠一
生誕 (1948-07-28) 1948年7月28日
出身地 日本の旗 日本岩手県
死没 (2013-12-30) 2013年12月30日(65歳没)[1][2][3][4]
学歴 早稲田大学文学部
ジャンル ロック
ニューミュージック
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1969年 - 2013年
レーベル キングレコードナイアガラ・レーベル※尚、エレックレコードコロムビアミュージックエンタテイメントソニーミュージックレコード(移籍した当初は、CBSソニーレコードであった。)とレーベル毎移籍している。
事務所 ザ・ナイアガラ・エンタープライズ
公式サイト Ami-go Gara-ge

大瀧 詠一大滝 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年7月28日 - 2013年12月30日[1][2][3][4])は、日本ミュージシャン

シンガーソングライター作曲家アレンジャー音楽プロデューサーレコードレーベルのオーナー・ラジオDJレコーディングエンジニアマスタリングエンジニア著述家、元Oo Records(現在は会社自体がない)取締役など、多くの顔を持つ。

来歴

生い立ちと学生時代

岩手県江刺郡梁川村(後の江刺市、現:奥州市江刺区)生まれ。母子家庭で育ち、母親が教師だったため、小学校・中学校でそれぞれ転校を経験している(小学校で江刺から遠野。中学で遠野から釜石)。

小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「カラーに口紅」に衝撃を受けて以降、アメリカンポップスに傾倒。中学入学後ラジオクラブに入り、ラジオを自作し、米軍極東放送(FEN)やニッポン放送の番組を聴くようになる。間もなくレコード収集を始め、エルヴィス・プレスリービーチ・ボーイズなどの音楽を分析的に聴くようになり、独自の研究を深める。

そのため、1962年夏から1966年までにチャートインした曲はすべて覚えている[5]というほど精通している。洋楽面のみで語られがちだが、同時期には小林旭三橋美智也なども好んで聞いていた。特にクレージーキャッツ植木等が歌う「スーダラ節」には非常に影響を受けたという。

1964年、岩手県立花巻北高等学校に入学し、下宿で一人暮らしをするが、授業料を全部レコードにつぎ込んでいたため、1年で退学させられ、岩手県立釜石南高等学校(現:岩手県立釜石高等学校)に編入。入学直前、FENでビートルズを知り、以降リバプール・サウンド全般を買いまくっていたという。釜石南高編入後、初めてバンドを組む。「スプレンダーズ」というバンドでドラムを担当していた。本来ならコミックバンドをやりたかったが同志が見つからず、やむなくビートルズタイプのバンドを組んだという。メンバーには現在釜石市にある鉄の歴史館館長を務める佐々木諭がいた。

1967年、上京し、小岩の製鉄会社に就職するも、出社約20日、在籍期間3ヶ月で退職。その数日前、船橋ヘルスセンターで会社の慰安会があり、余興でビートルズの「ガール」をアカペラで歌ったところ、上司から「うん、キミはこういう所にいるべき人間ではない」と諭されたという[6]。同年夏に、布谷文夫と知り合い、洪栄龍らと共に「タブー」というバンドを結成。ドラムを担当していたが、同年末に解散。

1968年に早稲田大学文学部に入学。布谷を通じて交友があった中田佳彦[7]から細野晴臣を紹介されて意気投合。大滝、中田、細野の3人で定期的にポップスの研究会を開く。1969年、細野が参加していたバンド「エイプリル・フール」の解散直前に、細野と松本隆によって計画されていた新バンドに加入を要請され受諾。

1970年代

「ヴァレンタイン・ブルー」は翌1970年「はっぴいえんど」に改名し、アルバム『はっぴいえんど』でデビュー。この時期、「新宿プレイマップ」での座談会(日本語ロック論争)に参加。

はっぴいえんど活動中の1971年にソロ活動を開始し、アルバム『大瀧詠一』(1972年)を発表。はっぴいえんど解散後はソロ活動に移行せず、当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、ごまのはえ、布谷文夫など若手のプロデュースを始める。

1974年9月には自らが作詞・作曲・編曲・プロデュース・エンジニア・原盤制作などをこなすプライベートレーベル「ナイアガラレコード」を設立し、エレックレコードと契約。翌1975年にははっぴいえんど解散後初となるソロアルバム『NIAGARA MOON』を発表。また、ラジオ関東(現在のアール・エフ・ラジオ日本)で、DJをつとめる番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』を開始し、学生層のコアなファンを獲得するなど、精力的にソロ活動を開始するが、その矢先、エレックレコードが倒産する。

1976年にコロムビアレコードにナイアガラごと移籍するものの、その際の契約が福生45スタジオに当時最新鋭の16チャンネルのマルチトラックレコーダーを提供してもらう代わりに、3年でアルバム12枚を製作するという内容だった。

NIAGARA TRIANGLE Vol.1』『GO! GO! NIAGARA』『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』はヒットを記録[8]したものの、趣味性の強すぎる楽曲が災いし、以降作品の完成度とはうらはらに売り上げが低迷。1977年の『NIAGARA CALENDAR』はチャート入りさえしなかった。

1978年の『LET'S ONDO AGAIN』を最後にコロムビアとの契約を解消。福生45スタジオの機材も売却。ナイアガラレコードも休業状態に陥る。以降レコードの販売権の契約が残っている2年間の間、ソロ作が発表できない状況に陥る。この年にはアルバムを3作しか作っておらず、本来ならばもう1枚作らないといけない契約になっていたための自主規制であり、1980年にコロムビア主導で『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』が発売された時には安堵したという。

1980年代前期

1979年からはプロデュース業を手掛け、翌1980年にプロデュースの仕事で出入りすることが多かったCBSソニーに移籍。旧友である松本隆と組んで、ナイアガラサウンドの集大成となる作品のレコーディングに取り掛かる。このレコーディングの最中に、女性向きと考えた「さらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供。同曲は大滝の曲で初めてのヒットシングルになった。

1981年3月に『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。1983年まで精力的に楽曲提供・プロデュースを続け、松本とのコンビでのシングル『風立ちぬ』で初のチャート1位を記録。うなずきトリオのシングル『うなずきマーチ』では大滝作詞曲で初のチャート入りを果たすなど、多くのアイドルソング・コミックソングなどを手掛け一躍名声が高まる。また森進一の『冬のリヴィエラ』や小林旭の『熱き心に』など演歌系のジャンルにも進出を果たす。

しかし、独自の音楽理論を構築していったことなどが影響し、オリジナル作品をコンスタントに発表していく意味を見いだせなくなっていき、1984年のアルバム『EACH TIME』制作時に歌手活動の休止を決断。1985年6月のはっぴいえんど再結成ライブを最後に人前で歌うことはほとんどなくなり、同年11月にシングルカットした「フィヨルドの少女」を最後に新譜の発表は長い間途絶えることになる。

1980年代後期 - 1990年代

1980年代後期以降、長い間はナイアガラレコードの旧譜のリマスタリングや、大瀧が影響を受けた先人の音源復刻「LEGENDARY REMASTER SERIES」の監修やライナー執筆、ラジオの特別番組のDJなどを手掛ける。また、1979年から本格的に取り組み始めたポップス史の研究は、1983年に「分母分子論」としてその一端が明らかにされていたが、1991年にはそれを更に発展させた「普動説」として結実させている。

1988年に小泉今日子に提供した『快盗ルビイ』以降作曲から遠ざかっていたが、1994年からソニーのOo Recordsに取締役兼プロデューサーとして参加。1995年の渡辺満里奈の『うれしい予感』が作曲家としての復帰作となる。

1997年には12年ぶりとなる新曲『幸せな結末』を発表。月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成。これに続き、市川実和子のシングル・アルバムのプロデュースも手掛ける。

2000年代 - 2010年代

2000年代に入ると再び旧譜のリマスタリング、音源復刻監修を再開。また昔の自分のラジオ番組をリマスターして再放送したり、昔の自分のラジオ番組の新シリーズを開始するなど、独自の試みを行うようになった。

2003年には6年ぶりのシングル『恋するふたり』を発表。月9ドラマ『東京ラブ・シネマ』主題歌としてヒットする。また、竹内まりやのアルバム『Longtime Favorites』でフランク・シナトラ & ナンシー・シナトラのSOMETHING STUPIDをデュエット。これらが最後の作品発表となった。

2004年末には自宅にマスタリング用の器材を導入し、福生45スタジオが復活。2005年から最後のリマスターとしてナイアガラ旧譜の30周年アニバーサリー盤の発表を順次開始。2014年3月には最終作となる「EACH TIME」の発表を控えていた。またラジオ『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝』も佳境にさしかかっており、2014年春もしくは夏に完結し、本命であるイギリスのポップス伝に移行するものと目されていた。

2011年3月11日に起きた東日本大震災後には、地元の同級生に電話を掛けて安否確認をする等、震災にあった地元に思いを寄せ続け、被災者となった同級生にサインを入れた自身のCDを贈っている。

2013年12月30日17時30分頃[9]東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートに林檎を食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという[10]。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された[1][2][3][4]。死因は解離性動脈瘤とされた(報道では発症部位など詳細については発表されていない)[1][2][3][4]。65歳没。

大瀧の突然の訃報は音楽関係者に大きな衝撃を与え、佐野元春[11]山下達郎[12]大貫妙子桑野信義サンボマスター(山口隆&木内泰史)らが追悼のコメントを発表した[13]。また長年の盟友だった松本隆は自身のTwitterにて「北へ還る十二月の旅人よ」と題した追悼の辞を捧げている[14]。奇しくも、命日となった12月30日は逆読みで代表作「A LONG VACATION」の発売日3月21日(1230→0321)と読める日付だった。

2014年1月4日、都内で葬儀が営まれ、約100人の関係者が参列した。式場には未発表である大滝自身の声による「夢で逢えたら」が流され、大瀧の柩ははっぴいえんどメンバーだった松本隆、鈴木茂、細野晴臣の3人らによって抱えられた[15]。また、多くのスタッフ・関係者からの要望により、名盤「A LONG VACATION」の発売日で、最期のアルバム「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売日でもあった3月21日に「お別れの会」が執り行われ、一般参列者向けの献花台も設けられた。[16][17]

3月21日の「EACH TIME」発売を前に、3月19日からは過去音源のiTunes Storeにおける一斉配信がスタートし、その中には絶版になり入手困難となっていたシリア・ポール「夢で逢えたら」や単品CD販売の無かった「DEBUT」、30周年シリーズから除外された「LET'S ONDO AGAIN」といった貴重な音源も含まれている。但し、周年CD化記念時のボーナス・トラック類は除外され、オリジナル形態のみの販売となっている[18]

お別れ会の場で、大滝の妻から最期の言葉が「ママありがとう」だったことが明かされ、直後に意識を失い、救急隊の到着まで心臓マッサージを続けた(大滝の妻は看護師でもある)が、意識を取り戻すことがなくそのまま亡くなったと死の直前の状況が明かされている[19]

人物・作風

独自の音楽理論をもち、1990年代に隆盛を誇った渋谷系のように他ミュージシャンからの引用が多いのが特徴。1950年代から1970年代にかけてのアメリカのポップス・ロック、イギリスのリバプールサウンド、日本の歌謡曲・演芸についての豊富な知識をもち、それらを駆使して制作される音楽トラックは、普通に聞こえても分析すると実は非常にマニアックであり、また、自作詞に関しては独特のおふざけが入っている。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』時代にリスナーから「あなたには悩みというものがないのですか?」というハガキが送られてきたという。なお、作品はおおまかに分けると、メロディタイプと言われる歌もの、ノベルティタイプと言われるサウンド偏重ものの2種類に分かれる。大瀧の本骨頂は後者のノベルティタイプであるというファンも多い。

楽曲のマニアックさを語る一例として、大瀧に「あの曲は3つの曲からの剽窃ですね」と訊ねると大瀧は「その3つとあと2曲の5曲から出来てるけど、君は3曲しかわからなかったんだ」と逆に責めるというジョーク(山下達郎がしばしばラジオでする話)や伊藤銀次がレコーディングに参加した際、有名曲のフレーズを音符を逆にして弾くのを強要されて唖然喰らったという話が有名。

なお、以上の経緯から「渋谷系のように名盤のいいところをつまみ食いしながら楽曲を作っている」と思われがちだが、本人曰く最終的には+αのインスピレーションがないと曲が完成しないとのことで、『EACH TIME』のレコーディング期には既にそのインスピレーションが尽きかけていたという。

発言に関しても独特のおふざけが入っているのが特徴。ふざけているようで真面目だったり、真面目なようでふざけている発言を淡々とするタイプの人間であり、単純に発言を文字起こししてはいけない人物だった。特に有名なのが「2001年ナイアガラの旅」に纏わるものであり、1984年に月刊「ミュージック・ステディ」の大滝詠一特集で「1988年に『ナイアガラトライアングル Vol.3』、1989年に『ナイアガラカレンダー '89(復刻版)』、1991年にはソロでの新作『1991』でレコード番号も1991を予約。1994年には『ナイアガラトライアングル Vol.4』、2000年に『ナイアガラトライアングルVol.5』、2001年に再びソロの新作として『2001年ナイアガラの旅』を発表、以上を予定している」という発言である。この発言を真に受けて泣いたファンは数多い。1990年代までは同様の発言を繰り返していたが、大瀧本人にその気は全くなく、いざ追及される側になると「予定は未定だからね」「それより君の作品はどうなの?」と切り返したり、新曲と称してドラムのカウント部分だけをレコーディングしたものを放送したりしていた。

主な別名・変名

独特のおふざけは数多くの変名にも反映されている。最初に名乗ったのは「ちぇるしぃ」。大瀧がフォークシンガー細野晴臣(音源は残っていないが、一時期フォークもやっていた)と一緒に、「細野晴臣+α」名義でステージに上がった際に、ジョニ・ミッチェルの「チェルシー・モーニング」を歌ったところ、観客の中にいた「ジョン・セバスチャンとフォークロックを守る会」のメンバーから「チェルシー」と呼ばれるようになったのがきっかけ。

  • 大滝栄一(デビュー当初のミュージシャン名)
  • 大滝詠一(ミュージシャン名)
  • イーチ大滝(DJ
  • 多羅尾伴内(アレンジャー、CM音楽作曲、ピアニスト)
  • ちぇるしぃ (CHELSEA) (アレンジャー)
  • 笛吹銅次(レコーディングエンジニア、マスタリングエンジニア)
  • RINKY O'HEN(アレンジャー)
  • 多幸福(テレビドラマ関係者との共同ペンネーム)
  • 南部半九郎(ベーシスト)
  • イーハトヴ・田五三九(ドラマー)
  • Jack Tones(多重録音コーラス時の一人コーラスグループ。グループ名は楽曲提供したキングトーンズと、アメリカのコーラスグループQuin-tones、The Teen Queensから)
    • 宿霧十軒 (Bass)
    • 我田引水 (Baritone)
    • ちぇるしぃ (1st Tenor)
    • 金田一幸助 (2nd Tenor)
  • 遠山“桜吹雪”金五郎(「お花見メレンゲ」(『NIAGARA CALENDAR』)ヴォーカル)
  • 国定公園(「名月赤坂マンション」(『NIAGARA CALENDAR』)ヴォーカル)
  • 二宮損損(「座 読書」(『NIAGARA CALENDAR』)ヴォーカル)
  • 坂本八(「お正月」(『NIAGARA CALENDAR』)ヴォーカル、坂本九のパロディー)
  • トランク短井(「お正月」(『NIAGARA CALENDAR』)ヴォーカル、フランク永井のパロディー)
  • 厚家羅漢(評論家、解説者)
  • 鬼野盗作("ナイアガラ俳句友の会")
  • 馬耳東風("信じられる耳を持つ努力をしよう会"会長)
  • 吉川詠一
(その他多数)

リズムへの傾倒

ソロになって以降、ノベルティタイプの楽曲を製作する中で数多くのリズムを導入。特にメレンゲ(ドミニカのダンスミュージック)は気に入ったようで、数度曲名にも使用されている。また、ニューオリンズのガンボミュージックに関しても日本においてはかなり早い時期に着目。細野晴臣に勧めて、細野のキャリアに強い影響を与えている。

しかし、最終的に日本のダンスミュージックなら音頭だろうという考えに辿り着き、音頭を積極的に発表するようになった。この考えに辿り着くまでは紆余曲折あり、きっかけは1973年に伊藤銀次から薦められた中原弓彦(小林信彦)の『日本の喜劇人』を読み、日本の喜劇史に興味を持ったこと。その後、大瀧は『ゴー・ゴー・ナイアガラ』時代に事務所に集うナイアガラマニアの若者に同書を必読書として勧めていた。その影響もあり、「音頭を作っては?」というハガキがラジオに送られてくることになり、前々から興味としてはあったものを実行に移した。

その後もコンスタントに音頭を製作。代表的なものに「ナイアガラ音頭」(アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』収録)、「クリスマス音頭」(アルバム『NIAGARA CALENDAR』収録)、「ビックリハウス音頭」、片岡鶴太郎の『スリラー音頭』と『ビート・イット音頭』や角川博の「うさぎ温泉音頭」、更に金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」(萩原哲晶編曲)のプロデュースなどがある。

レコーディングエンジニアとして

1973年から1979年まではレコーディングエンジニア、ミキサー笛吹銅次としても活動。名前は吉野金次伊藤銀次と来て次は「銅次」だということで、笛吹童子をもじったもの。また、1974年にははちみつぱい唯一のシングル盤「君と旅行鞄(トランク)/酔いどれダンスミュージック」にもレコーディングエンジニアとして参加している。

福生45スタジオを拠点にしていたこともあり、ソニーに移籍後はエンジニア業からいったん離れたが、2000年代以降はラジオ番組をリマスタリングするようになり、2004年には福生45スタジオをリマスタリングの場として活用。その後発表された30th Anniversary盤は久々に笛吹銅次がエンジニアを手掛けている。

過去の作品は全て大瀧がエンジニアをしていると誤解されている事が多いが、ソニー移籍後はCD制作に関しては別のエンジニアを起用していた。ただし、その他の音源に関してはその限りではなく、福生45スタジオに録音テープを持ち帰り、自らオーバーダビングするという作業を度々行っていた。幸せな結末のストリングスバージョンなどは福生45スタジオで制作されたものである。

メディア出演

テレビ嫌いとして知られており、はっぴいえんど時代こそ数度テレビ出演したものの、ソロになって以降は全くテレビに出ることはなかった。ただし、「テレビに出演するのが嫌い」という意味でのテレビ嫌いであり、テレビを見るのは大好きであり、1980年代後半~1990年代前半は自宅にビデオが20台以上あり、それが常時動いているというほどのテレビマニアだった。主に相撲と野球を好んでいた。テレビドラマに関しては長年興味がなく、初めて全部見たテレビドラマが「ラブジェネレーション」。その後、宮藤官九郎作品にもはまっていたという。

メディア出演はほぼラジオに限られる。1980年代前半まではレギュラープログラムを持っていたが、1980年代後半以降は単発的な特別番組の出演がメインになった。交友のある人物がDJもしくはパーソナリティーを務める番組へのゲスト出演も多数なされ、その中でも一番有名なのは、1984年から2011年まで山下達郎と行っていた新春放談。この企画は当初の番組が無くなっても、交友の深いミュージシャンや音楽評論家の番組を間借りして急場をしのぎ、四半世紀以上続いた。

勉強家として

諸芸能を始めとした様々な分野についての深い見識を持ち、交友関係が広いことでも有名である。自身は音楽の系譜についての勉強をライフワークとしているが(『分母分子論』『ポップス伝』のように紙上・ラジオ上でその成果を垣間みることができる)、音楽のみにとどまらず広い分野にまで“関連性”を基底に置いて研究していることが「勉強家」と称するゆえんである。

大瀧と同様に、日本の大衆音楽を研究しているミュージシャンに近田春夫がいるが、近田が多数の著書を発表しているのに対し、大瀧はラジオ放送をメインの発表の場としている。

後世に与えた影響

ミュージシャン主導で自主レーベルを持つ、プロデュースのクレジットを入れる、CMソングをミュージシャンとして本格的に作る、シングルにカラオケバージョンを入れるなど先進的な活動を行い、これらは後にスタンダードになっている。

また、日本のポピュラー音楽に与えた影響には小さからぬものがあり、特に、山下達郎の一部の作品、渋谷系などへの影響を指摘する声もある[20]。また、早くからのCMソングの重視も、その後のニューミュージック・J-POPにおけるテレビのCMや番組とのタイアップという路線の先駆をなしている[独自研究?]音楽プロデューサーの小林武史もラジオではっぴいえんどを特集するなど、非常に影響を受けていると語っており、タイアップの話が持ち上がった際に大瀧の自宅まで出かけ相談したそうである[要出典]大瀧は小林の楽曲の良さを認めたうえで、「自分はここまで長く自分の曲を封印しているからこそ、自分の手だけで次曲を作りたい」というように、小林によると「気持ちよく断られた」とのことである[独自研究?]桑田佳祐は英語の発音から意味不明的な歌詞を作ることで有名だが、「それは僕が先にやっていたんだよね」と語っており[要出典]、実際、その様な歌詞は多く見られる[独自研究?]。桑田はラジオで「こんばんわ、大瀧詠一です」とモノマネをすることもあった。また、大滝とは2度ステージでの競演経験があり、大滝の死去の際にはラジオで83年のコンサートのことを振り返り、故人を偲んだ。

エピソード

大瀧は小学校5年から中学校1年まで野球部に在籍していたこともあって、野球好きミュージシャンのひとりでもあった。まだCS衛星放送が普及していない頃から自宅にアンテナを取り付けて全国各地でのプロ野球中継を視聴していた。また長嶋茂雄のファンとしても知られており、長嶋ジャイアンツキャンプを見学するために宮崎市へ足を運んだこともあった[21]

ディスコグラフィ

シングル

KING
  1. 恋の汽車ポッポ」 (1971年12月10日) - EP:BS-1465
    • 「恋の汽車ポッポ」[22] ※モノミックス
    • 「それはぼくじゃないよ」
Bellwood ⁄ KING
  1. 「空飛ぶくじら」 (1972年6月25日) - EP:OF-3 ※セカンド・プレスからジャケットの“はっぴいえんど”名が削られる。
    • 「空飛ぶくじら」 ※アルバム未収録
    • 「五月雨」 ※LPとは別ミックス
NIAGARACOLUMBIA
  1. 幸せにさよなら」 (1976年4月1日) – EP:LX-2-E
    • 「幸せにさよなら」 / ナイアガラ・トライアングル ※山下、伊藤、大滝ヴォーカルによるシングル・ヴァージョン、モノミックス。
    • 「ドリーミング・デイ」 / 山下達郎 ※イントロがカットされたモノミックス
  2. ナイアガラ音頭」 (1976年6月1日) – EP:LK-15-E
    • 「ナイアガラ音頭」 / 布谷文夫 with ナイアガラ社中 ※シングル・ヴァージョン、モノミックス
    • 「あなたが唄うナイアガラ音頭」 / ナイアガラ社中 ※イントロ付きのカラオケ、モノミックス。
  3. 夢で逢えたら」 (1977年6月1日) – EP:LK-37-E ※両曲とも、LPよりエコーが控えめのシングル用ミックス。
    • 夢で逢えたら」 / シリア・ポール
    • 「恋はメレンゲ」 / シリア・ポール
  4. 「青空のように」 (1977年7月1日) – EP:LK-39-E
    • 「青空のように」 ※アルバム『ナイアガラ・カレンダー』収録のミックスと大きく異なるシングル用ミックス、未CD化
    • 「Cobra Twist」 ※シングル用モノミックス、未CD化
  5. 「霧の彼方へ」 (1977年12月1日) - EP:LK-59-E
    • 「霧の彼方へ」 / 多羅尾伴内楽團 ※THE BELAIRSのカヴァー
    • 「悲しき北風」 / 多羅尾伴内楽團 ※THE CASCADESのカヴァー
  6. 「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」 (1978年2月1日) - EP:LK-66-E
    • 「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」 ※シングルには、アルバム『ナイアガラ・カレンダー』未採用のミックスを使用。
    • 「お花見メレンゲ」 ※シングル用モノ・ミックス、未CD化
NIAGARA ⁄ CBS/SONY
  1. 君は天然色」 (1981年3月21日) - EP:07SH-944
    • 「君は天然色」 ※LPにあるイントロのカウントがカットされている。
    • 「カナリア諸島にて」
  2. 恋するカレン」 (1981年6月21日) - EP:07SH-1007
    • 「恋するカレン」 ※イントロの音量がLPより2.5dB上がっている。
    • 「雨のウェンズデイ」
  3. 「哀愁のさらばシベリア鉄道」 (1981年9月21日) - EP:07SP-567 ※CBS/SONYの洋楽番号帯(07SP)からリリースされた「さらばシベリア鉄道」のインストゥルメンタル
    • 「哀愁のさらばシベリア鉄道(Organ Version)」 ⁄ FIOLD 7 ※未CD化
    • 「哀愁のさらばシベリア鉄道(Guitar Version)」 ⁄ FIOLD 7
    • シングルジャケットはザ・スプートニクスの「KARELIA(霧のカレリア)」のシングルジャケットのパロディー。
  4. A面で恋をして」 (1981年10月21日) - EP:07SH-1077
    • 「A面で恋をして」 / ナイアガラ・トライアングル ※シングルミックス、初回プレスには同心円の溝にマシンガンのSEが入っている。
    • さらばシベリア鉄道[23] ※シングルバージョン、未CD化
  5. 「♥(ハート)じかけのオレンジ」 (1982年3月21日) - EP:07SH-1131
    • 「♥(ハート)じかけのオレンジ」 ※LPにあるエンディングのSEがカットされている。
    • 「ROCK'N'ROLL 退屈男」 ※アルバム未収録
  6. 雨のウェンズデイ」 (1982年5月21日) - EP:07SH-1151 ※初回プレスのみクリア・ヴィニール。
    • 「雨のウェンズデイ」
    • 「恋するカレン」
  7. EACH TIME SINGLE VOX』 (1984年4月1日) 12inch EP:50AH-1706~10
    • 「夏のペーパーバック / 木の葉のスケッチ」 - 50AH-1706
      • 「夏のペーパーバック」
      • 「木の葉のスケッチ」
    • 「1969年のドラッグレース / 銀色のジェット」 - 50AH-1707
      • 「1969年のドラッグレース」
      • 「銀色のジェット」
    • 「魔法の瞳 / 恋のナックルボール」 - 50AH-1708
      • 「魔法の瞳」
      • 「恋のナックルボール」 ※イントロの“ブン!”は、大瀧が振るバットの音
    • 「レイクサイドストーリー / ガラス壜の中の船」 - 50AH-1709
      • 「レイクサイドストーリー」
      • 「ガラス壜の中の船」
    • 「ペパーミント・ブルー / ペパーミント・ブルー(Instrumental)」 - 50AH-1710
      • 「ペパーミント・ブルー」
      • 「ペパーミント・ブルー(Instrumental)」 / 大滝詠一楽団
  8. フィヨルドの少女」 (1985年11月1日) - EP:07SH-1777
    • 「フィヨルドの少女」
    • 「バチェラー・ガール」 ※イントロにSEが付き、フェード・アウトで終わるシングル・ヴァージョン。
NIAGARA ⁄ SONY RECORDS
  1. 幸せな結末」 (1997年11月12日) - SCD:SRDL-4500
  2. 恋するふたり」 (2003年5月1日) - CD-S:SRCL-5555
    • 「恋するふたり」 ※フジテレビ系ドラマ「東京ラブ・シネマ」主題歌
    • 「恋するふたり(Strings Version)」
  3. 「幸せな結末」 (2007年9月21日) - EP:SRKL-3040【限定盤】
    • 「幸せな結末」
    • 「恋するふたり」

アルバム

1972年
  1. 大瀧詠一』 (1972年11月25日) - LP:OFL-7
1975年
  1. SONGS』 / SUGAR BABE (1975年4月25日) - LP:NAL-0001(NGLP-501,502-SB)
  2. NIAGARA MOON』 (1975年5月30日) - LP:NAL-0002(NGLP-503,504-OT) ※「君に夢中」のタイトルが「いつも夢中」になっている。
  3. 「僕は天使ぢゃないよ」サウンドトラック / あがた森魚・大瀧詠一 (1975年12月5日) - LP:OFL-34 ※「びんぼう」「それはぼくじゃないよ」「乱れ髪」収録。
1976年
  1. NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎伊藤銀次・大滝詠一 (1976年3月25日) - LP:LQ-7001-E(NGLP-505,506-NT),CT:CAK-1226-E
  2. 『SONGS』 / SUGAR BABE (1976年10月25日) - LP:LQ-7021-E,CT:CAK-1239-E ※カセット版は「SUGAR」未収録。
  3. 『NIAGARA MOON』 (1976年10月25日) - LP:LQ-7020-E,CT:CAK-1238-E
  4. GO! GO! NIAGARA』 (1976年10月25日) - LP:LQ-7011-E(NGLP-507,508-OT)
1977年
  1. NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』 (1977年3月25日) - LP:LZ-7005-E(NGLP-509,510-CM)
  2. 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール (1977年6月25日) - LP:LX-7017-E(NGLP-511,512-CP),CT:CAY-1032-E(1977年7月25日
  3. 『多羅尾伴内楽団 Vol.1』 / 多羅尾伴内楽団 (1977年11月25日) - LP:LX-7031-E(NGLP-513,514-TB)
  4. NIAGARA CALENDAR』 (1977年12月25日) - LP:LX-7032-E(NGLP-515,516-OT),CT:CAY-1059-E(1978年1月25日
1978年
  1. 『多羅尾伴内楽団 Vol.2』 / 多羅尾伴内楽団 (1978年6月25日) - LP:LX-7042-E(NGLP-517,518-TB),CT:CAY-1080-E ※全編に波の音が入っている
  2. DEBUT』 (1978年8月25日) - LP:LX-7046-E(NGLP-519,520-OM),CT:CAY-1088-E
  3. LET'S ONDO AGAIN』 / NIAGARA FALLIN' STARS (1978年11月25日) - LP:LX-7054-E(NGLP-521,522-TB)
1981年
  1. A LONG VACATION』 (1981年3月21日) - LP:27AH-1234(NGLP-523,524-OT)、CT:27KH-959(NGCA-115,116-OT)
  2. 『SONGS』 / SUGAR BABE (1981年4月1日) - LP:27AH-1240,CT:27KH-960
  3. 『NIAGARA MOON』 (1981年4月1日) - LP:27AH-1241,CT:27KH-961
  4. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一 (1981年4月1日) - LP:27AH-1242,CT:27KH-962
  5. 『GO! GO! NIAGARA』 (1981年4月1日) - LP:27AH-1243,CT:27KH-963
  6. 『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 2nd Issue』 (1981年4月1日) - 25cm LP:23AH-1244,CT:23KH-964 ※新曲追加、差し替えにより“2nd Issue”となる。
  7. 『NIAGARA CALENDAR』 (1981年4月1日) - LP:27AH-1245,CT:27KH-965 ※全曲リミックス(1981年MIX)
  8. 『NIAGARA FALL STARS』 (1981年4月1日) - LP:27AH-1246(NGLP-525,526-OM),CT:27KH-966
  9. Sing ALONG VACATION』 (1981年7月21日) - LP:27AH-1290(NGLP-527,528-TB) ※「さらばシベリア鉄道」を除く、全9曲のインストゥルメンタル・アルバム。1万枚限定、クリア・ヴィニール。
  10. 『NIAGARA VOX』 (1981年12月2日) - 9LP:00AH-1381~9 ※27AH-1240~6までの7枚に『MORE NIAGARA FALL STARS』『MORE MORE NIAGARA FALL STARS』の2枚を加えて八曜社版『ALL ABOUT NIAGARA』を加えたBOXセット。
    • 『SONGS』 / SUGAR BABE - 00AH-1381(NGLP-501,502-SB) ※27AH-1240と同内容
    • 『NIAGARA MOON』 - 00AH-1382(NGLP-503,504-OT) ※27AH-1241と同内容
    • 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一 - 00AH-1383(NGLP-505,506-NT) ※27AH-1242と同内容
    • 『GO! GO! NIAGARA』 - 00AH-1384(NGLP-507,508-OT) ※27AH-1243と同内容
    • 『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 2nd Issue』 - 00AH-1385(NGLP-509,510-CM) ※27AH-1244と同内容
    • 『NIAGARA CALENDAR』 - 00AH-1386(NGLP-515,516-OT) ※27AH-1245と同内容
    • 『NIAGARA FALL STARS』 - 00AH-1387(NGLP-525,526-OM) ※27AH-1246と同内容、レーベルに“NIAGARA RARE MASTER SERIES Vol.1”のクレジットが入る。
    • 『MORE NIAGARA FALL STARS』 - 00AH-1388(NGLP-529,530-OM) ※NIAGARA RARE MASTER SERIES Vol.2
    • 『MORE MORE NIAGARA FALL STARS』 - 00AH-1389(NGLP-531,532-OM) ※NIAGARA RARE MASTER SERIES Vol.3
1982年
  1. NIAGARA TRIANGLE Vol.2』 / 佐野元春杉真理・大滝詠一 (1982年3月21日) - LP:28AH-1441(NGLP-533,534-NT),CT:28KH-1130
  2. 『NIAGARA SONG BOOK』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1982年6月1日) - LP:20AH-1444(NGLP-536,537-TB),CT:20KH-1172
  3. NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』 / NIAGARA CM STARS (1982年10月1日) - LP:15AH-1515(NGLP-537,538-CM),CT:15KH-1217 ※45回転LP。
  4. 『A LONG VACATION』 (1982年10月1日) - CD:35DH-1(NGCD-7-OT)
  5. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』 / 佐野元春・杉真理・大滝詠一 (1982年10月1日) - CD:35DH-2(NGCD-8-NT)
  6. 『NIAGARA SONG BOOK』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1982年11月21日) - CD:35DH-12(NGCD-9-TB)
  7. アーリー大瀧詠一』 (1982年12月21日) - LP:K20A-369,CT:K20H-413 ※ベルウッド・レーベル設立10周年記念としてキングレコードがベルウッド音源を使って再編集したアルバム。カセット版のみ「五月雨」収録。
1983年
  1. 『A LONG VACATION』 (1983年8月1日) - LP:30AH-1616,CT:33KH-1050 ※マスターサウンド盤
  2. NIAGARA CM SPECIAL (Special Issue)』 / NIAGARA CM STARS (1983年11月1日) - CD:35DH-28(NGCD-10-CM) ※CD用にVol.1、Vol.2を再編集、ヴァージョン違いなどに差し替えられたほか、「Cider'83」を追加したスペシャル版。
1984年
  1. EACH TIME』 (1984年3月21日) - LP:28AH-1555(NGLP-539,540-OT),CT:28KH-1460
  2. 『NIAGARA BLACK VOX』 (1984年4月1日) - 5LP:98AH-1701~5 ※CBS/SONY未発売の5枚にガイドブック『NIAGARA RECORD COLLECTING GUIDE』を加えた限定BOXセット。
    • 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール - LP:98AH-1701(NGLP-511,512-CP) ※オリジナル・マスターをデジタルに起こし、全編にエコーがかけられている。
    • 『多羅尾伴内楽団 Vol.1』 / 多羅尾伴内楽団 - LP:98AH-1702(NGLP-513,514-TB) ※オリジナル・マスターをデジタルに起こし、全編にエコーがかけられている。
    • 『多羅尾伴内楽団 Vol.2』 / 多羅尾伴内楽団 - LP:98AH-1703(NGLP-517,518-TB) ※オリジナル・マスターをデジタルに起こし、全編にエコーがかけられている。波の音は入っていない。
    • 『DEBUT』 - LP:98AH-1704(NGLP-519,520-OM) ※オリジナル・マスターをデジタルに起こした音源が使用されている。
    • 『LET'S ONDO AGAIN』 / NIAGARA FALLIN' STARS - LP:98AH-1705(NGLP-521,522-TB) ※オリジナル・マスターをデジタルに起こし、全編にエコーがかけられているが、リミックスに差し替えられた曲がある。コロムビア盤未収録だった「河原の石川五右衛門」を収録。
  3. 『EACH TIME』 (1984年4月21日) - LP:30AH-1617,CT33KH-1470 ※マスターサウンド盤
  4. 『EACH TIME』 (1984年6月1日) - CD:35DH-78
  5. 『NIAGARA SONG BOOK 2』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1984年6月1日) - LP:23AH-1777(NGLP-541,542-TB),23KH-1555
  6. 『NIAGARA SONG BOOK 2』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1984年6月10日) - CD:35DH-111(NGCD-12-TB) ※「レイクサイドストーリー」がエンディング付きで収録(CD用マスター使用)。
1985年
  1. B-EACH TIME L-ONG』 (1985年6月1日) - CD:32DH-250(NGCD-7-OM),CT:28KH-1700(NGCA-127,128-OM) ※全曲、演奏の前にストリングスが入り、3曲がリミックスされている。
  2. 『アーリー大瀧詠一』 (1985年11月21日) - CD:K32X-65 ※K20A-369に7曲追加されたほか、CD用にジャケットが新しくなる。
1986年
  1. 『SONGS』 / SUGAR BABE (1986年6月1日) - CD:32DH-501(NGCD-8-SB) ※全曲リミックス(1986年MIX)
  2. 『NIAGARA MOON』 (1986年6月1日) - CD:32DH-502(NGCD-9-OT)
  3. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一 (1986年6月1日) - CD:32DH-503(NGCD-10-NT) ※5曲は吉田保リミックス、「ココナツ・ホリデイ'76」はエンディングがフェード・アウトする。
  4. 『GO! GO! NIAGARA』 (1986年6月1日) - CD:32DH-504(NGCD-11-OT) ※全曲リミックス(1986年MIX)
  5. 『NIAGARA CALENDAR』 (1986年6月1日) - CD:32DH-505(NGCD-12-OT) ※全曲リミックス(1986年MIX)
  6. 『NIAGARA FALL STARS 2nd Issue』 (1986年6月1日) - CD:32DH-506(NGCD-13-OM) ※CD用に再編集およびリミックスされ“2nd Issue”となる。
  7. Complete EACH TIME』 (1986年6月1日) - LP:28AH-2001(NGLP-539,540-OT),CT:28KH-2001(NGCA-123,124-OT),CD:32DH-555(NGCD-5-OT) ※『EACH TIME』に2曲が追加され、曲順も変更されたコンプリート版。LPは初回プレスのみヴィニール・パッケージ仕様。CDは『EACH TIME SINGLE VOX』のマスターに2曲追加となっている。
  8. NIAGARA CD BOOK I (1986年6月1日) - 8CD:00DH-401~6 ※32DH-401~6までの6枚に単品市販のない『DAWN IN NIAGARA』『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 2nd Issue』の2枚を加えたCD BOX。バインダー仕様。
    • 『SONGS』 / SUGAR BABE - 00DH-401(NGCD-8-SB) ※32DH-501と同内容
    • 『NIAGARA MOON』 - 00DH-402(NGCD-9-OT) ※32DH-502と同内容
    • 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一 - 00DH-403(NGCD-10-NT) ※32DH-503と同内容
    • 『GO! GO! NIAGARA - 00DH-404』(NGCD-11-OT) ※32DH-504と同内容
    • 『NIAGARA CALENDAR - 00DH-405』(NGCD-12-OT) ※32DH-505と同内容
    • 『NIAGARA FALL STARS 2nd Issue』 - 00DH-406(NGCD-13-OM) ※32DH-506と同内容
    • DAWN IN NIAGARA』 - 00DH-407(NGCD-14-OM) ※NIAGARA RARE MASTER SERIES Vol.4
    • 『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 2nd Issue』 - 00DH-408(NGCD-15-CM) ※単品市販でCD化されなかった23AH-1244の初CD化
1987年
  1. 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール (1987年6月21日) - CD:32DH-701(NGCD-16-CP) ※全曲リミックス(1987年MIX)、「夢で逢えたら、もう一度」未収録。
  2. 『TARAO BANNAI SPECIAL』 / 多羅尾伴内楽団 (1987年6月21日) - CD:32DH-702(NGCD-17-TB) ※『多羅尾伴内楽団』Vol.1より8曲、同Vol.2より8曲、さらに未発表曲2曲を加えて再編集およびリミックスしたスペシャル版。
  3. 『DEBUT SPECIAL』 (1987年6月21日) - CD:32DH-703(NGCD-18-OM) ※『DEBUT』より4曲(但しリミックス)、未発表ライブ5曲で構成されたスペシャル版。
  4. 『LET'S ONDO AGAIN SPECIAL』 / NIAGARA FALLIN' STARS (1987年6月21日) - CD:32DH-704(NGCD-19-OM) ※『LET'S ONDO AGAIN』より6曲(但し別ミックスまたは別ヴァージョン)にノヴェルティ・ソングの提供曲など未発表を含む9曲を加えた新編集・新構成のスペシャル版。
  5. 『NIAGARA BLACK BOOK』 (1987年6月21日)- 4CD:00DH-601~4 ※32DH-701~4までの4枚のCD BOX。バインダー仕様。
    • 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール - 00DH-601(NGCD-16-CP) ※CD:32DH-701と同内容
    • 『TARAO BANNAI SPECIAL』 / 多羅尾伴内楽団 - 00DH-602(NGCD-17-TB) ※CD:32DH-702と同内容
    • 『DEBUT SPECIAL』 - 00DH-603(NGCD-18-OM) ※CD:32DH-703と同内容
    • 『LET'S ONDO AGAIN SPECIAL』 / NIAGARA FALLIN' STARS - 00DH-604(NGCD-19-OM) ※CD:32DH-704と同内容
1989年
  1. 『A LONG VACATION』 (1989年6月1日) - CD:27DH-5300(NGCD-1-OT),CT:27KH-5300(NGCA-1008-OT) ※1989年リマスター、「さらばシベリア鉄道」未収録。
  2. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』 / 佐野元春・杉真理・大滝詠一 (1989年6月1日) - CD:27DH-5301(NGCD-2-NT),CT:27KH-5301 ※1989年リマスター、「A面で恋をして」未収録。
  3. 『NIAGARA SONG BOOK』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1989年6月1日) - CD:27DH-5302(NGCD-3-TB),CT:27KH-5302 ※1989年リマスター、「夢で逢えたら」が20秒程長いヴァージョンに差し替えられる。
  4. 『EACH TIME』 (1989年6月1日) - CD:27DH-5303(NGCD-5-OT),CT:27KH-5303 ※1989年リマスター、曲順が新しくなり、2曲差し替わった新構成となる。
  5. 『NIAGARA SONG BOOK 2』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1989年6月1日) - CD:27DH-5304(NGCD-6-TB),CT:27KH-5304 ※1989年リマスター、曲順が新しくなり、2曲が未発表曲差し替えられ、「魔法の瞳」も別ヴァージョンに差し替えられる。
  6. 『B-EACH TIME L-ONG』 (1989年6月1日) - CD:27DH-5305(NGCD-7-OM),CT:27KH-5305(NGCA-1015-OM) ※1989年リマスター、新たに再編集され、2曲がカットされる。
1991年
  1. 『A LONG VACATION』 (1991年3月21日) - CD:CSCL-1661(NGCD-1-OT),MD:SRCY-7320(NGMD-1-OT)(1997年10月22日) ※全10曲のオリジナルに戻る。
  2. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』 / 佐野元春、杉真理、大滝詠一 (1991年3月21日) - CD:CSCL-1662(NGCD-2-NT),MD:SRCY-7321(NGMD-2-NT)(1997年10月22日) ※全13曲のオリジナルに戻る。
  3. 『NIAGARA SONG BOOK』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1991年3月21日) - CD:CSCL-1663(NGCD-3-TB),MD:SRCY-7322(NGMD-3-TB)(1997年10月22日) ※オリジナルの内容に戻る。
  4. 『EACH TIME』 (1991年3月21日) - CD:CSCL-1664(NGCD-5-OT),MD:SRCY-7323(NGMD-4-OT)(1997年10月22日) ※オリジナルの内容に戻る、「レイクサイドストーリー」はエンディングがフェード・アウトするヴァージョン。
  5. 『NIAGARA SONG BOOK 2』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (1991年3月21日) - CD:CSCL-1665(NGCD-6-TB),MD:SRCY-7324(NGMD-5-TB)(1997年10月22日) ※オリジナルの内容に戻る。ジャケット裏の“Sing-Along with EACH TIME”の表記がなくなる。
  6. 『B-EACH TIME L-ONG』 (1991年3月21日) - CD:CSCL-1666(NGCD-7-OM),MD:SRCY-7325(NGMD-6-OM)(1997年10月22日) ※オリジナルの内容に戻る。
  7. 『大瀧詠一 Song Book I -大瀧詠一作品集 (1980-1985)-』(1991年3月21日) - CD:CSCL-1667,MD:SRCY-7326(1997年10月22日) ※ソニー在籍時の提供曲を集めたコンピレーション盤。
1994年
  1. 『SONGS』 / SUGAR BABE (1994年4月10日) - CD:AMCM-4118(NGCD-8-SB) ※オリジナル・マスターによる初CD化、ボーナス・トラック7曲追加。
1995年
  1. 『大瀧詠一』 (1995年3月24日) - CD:OOCO-1 ※ボーナス・トラック10曲追加
  2. 『NIAGARA CM SPECIAL』 / NIAGARA CM STARS (1995年3月24日) - CD:SRCL-3215(NGCD-0-OM) ※タイトルが“NIAGARA CM SPECIAL”に変更、35DH盤と曲順・収録内容が一部異なる。
  3. 『NIAGARA MOON』 (1995年3月24日) - CD:SRCL-3216(NGCD-2-OT) ※ボーナス・トラック6曲追加
  4. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎、伊藤銀次、大滝詠一 (1995年3月24日) - CD:SRCL-3217(NGCD-3-NT) ※オリジナル・マスター初CD化、ボーナス・トラック3曲追加。「ココナツ・ホリデイ'76」はエンディングがフェード・アウトする。
  5. 『大瀧詠一 Song Book II -大瀧詠一作品集 Vol.2 (1971-1988)-』 (1995年3月24日) - CD:VICL-2154 ※1971~1988年の提供曲・プロデュース曲を集めたコンピレーション盤。小泉今日子「快盗ルビイ」はプロモ・オンリーの“On Air Version”(未表記)。
1996年
  1. 『GO! GO! NIAGARA』 (1996年3月21日) - CD:SRCL-3500(NGCD-4-OT) ※オリジナル・マスター初CD化、ボーナス・トラック4曲追加。
  2. 『NIAGARA CALENDAR』 (1996年3月21日) - CD:SRCL-3501(NGCD-8-OT) ※1981年MIXの初CD化
  3. 『LET'S ONDO AGAIN』 / NIAGARA FALLIN' STARS (1996年3月21日) - CD:SRCL-3502(NGCD-11-TB) ※コロムビア盤未収録だった「河原の石川五右衛門」を収録、オリジナル・マスター初CD化、ボーナス・トラック1曲追加。
  4. SNOW TIME』 / 大滝詠一、FIORD 7 (1996年3月21日) - CD:SRCL-3503(NGCD-20-TB) ※冬向きの曲と、未発表インストゥルメンタル・ナンバーを集めたプロモーション用アルバムのレギュラー化。「レイクサイドストーリー」のインストゥルメンタル・ヴァージョンが「YOKAN」に、「木の葉のスケッチ」が未発表ヴァージョンに差し変えられた。
1997年
  1. 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール (1997年6月21日) - CD:SRCL-3993(NGCD-6-CP) ※オリジナル・マスター初CD化、ボーナス・トラック6曲追加。
2001年
  1. 『A LONG VACATION 20th Anniversary Edition』 (2001年3月21日) - CD:SRCL-5000(NGCD-1-OT/NGCD-21-TB) ※2001年リマスター、ボーナス・トラック9曲(インストゥルメンタル from 『Sing A LONG VACATION』)追加。
2002年
  1. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 20th Anniversary Edition』 / 佐野元春・杉真理・大滝詠一 (2002年3月21日) - CD:SRCL-5001(NGCD-2-NT) ※2002年リマスター、ボーナス・トラック6曲追加。
2004年
  1. 『EACH TIME 20th Anniversary Edition』 (2004年3月21日) - CD:SRCL-5002 ※2004年リマスター、『Complete EACH TIME』の11曲にボーナス・トラック3曲追加。
2005年
  1. 『NIAGARA MOON 30th Anniversary Edition』 (2005年3月21日) - CD:SRCL-5004 ※笛吹銅次による2005年リマスター。ボーナス・トラック14曲追加、初回仕様銀蒸着盤。
2006年
  1. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition』 / 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一 (2006年3月21日) - CD:SRCL-5005 ※笛吹銅次による2006年リマスター、ボーナス・トラック5曲追加。
  2. 『GO! GO! NIAGARA 30th Anniversary Edition』 (2006年9月21日) - CD:SRCL-5006 ※笛吹銅次による2006年リマスター。76年オリジナル・マスターにボーナス・トラック“96年リミックス・マスター”12曲とスペシャル・ボーナス・トラック1曲追加。
2007年
  1. 『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition』 / NIAGARA CM STARS (2007年3月21日) - CD:SRCL-5007 ※笛吹銅次による2007年リマスター。“Rarities”14曲、“Fussa Demo”8曲を含む70曲収録。“3rd Issue”となる。
  2. 『多羅尾伴内楽団 Vol.1 & Vol.2』(2007年9月21日) - CD:SRCL-5008 ※笛吹銅次による2007年リマスター。『多羅尾伴内楽団』Vol.1と同Vol.2全曲にボーナス・トラック4曲追加。
2008年
  1. 『NIAGARA CALENDAR 30th Anniversary Edition』(2008年3月21日) - CD:SRCL-5009 ※笛吹銅次による2007年リマスター。オリジナル78年版にボーナス・トラック“81年リミックス版”12曲追加(「クリスマス音頭」はスペシャル短縮版で収録)。
2010年
  1. 『大瀧詠一 Song Book I -大瀧詠一 作品集 Vol.1』 (1980-1998)- (2010年3月21日) - CD:SRCL-5011 ※1991年に発売された同タイトルの増補改訂版作品集。初回限定三方背仕様。
  2. 『大瀧詠一 Cover Book 1 -大瀧詠一カバー集 Vol.1』 (1978-2008)- (2010年3月21日) - CD:SRCL-5012 ※初回限定三方背仕様。
2011年
  1. 『A LONG VACATION 30th Edition』 (2011年3月21日) - 2CD:SRCL-8000~1 ※Disc1に『A LONG VACATION』30thリマスター、Disc2にDisc1 M-1~M-10の純カラオケと「君は天然色(Original Basic Track)」を収録。
  2. 『NIAGARA CD BOOK I』 (2011年3月21日) - 12CD:SRCL-7500~11 ※00DH-401~6の再構成版CD BOX。笛吹銅次による2010年リマスターでのオリジナル・フォーマット。前回同様、バインダー方式のボックス仕様。
    • 『SONGS』 / SUGAR BABE - SRCL-7500
    • 『NIAGARA MOON』 - SRCL-7501
    • 『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 / 山下達郎、伊藤銀次、大滝詠一 - SRCL-7502
    • 『GO! GO! NIAGARA』 - SRCL-7503
    • 『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』 - SRCL-7504
    • 『夢で逢えたら』 / シリア・ポール - SRCL-7505
    • 『多羅尾伴内楽団 Vol.1』 / 多羅尾伴内楽団 - SRCL-7506
    • 『NIAGARA CALENDAR '78』 - SRCL-7507
    • 『多羅尾伴内楽団 Vol.2』 / 多羅尾伴内楽団 - SRCL-7508 ※波の音入り
    • 『DEBUT』 - SRCL-7509 ※オリジナル・フォーマットでの初CD化
    • 『LET'S ONDO AGAIN』 / NIAGARA FALLIN' STARS - SRCL-7510
    • 『NIAGARA CALENDAR '81』 - SRCL-7511
2012年
  1. 『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 30th Edition』 (2012年3月21日) - 2CD:SRCL-8002~3 ※Disc1に『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』30thリマスター、Disc2に全14曲分の純カラオケを収録(「A面で恋をして」のみ、コーラス有り、コーラス無しの2ヴァージョン収録)。初回のみデジパック+三方背BOX仕様。
2013年
  1. 『NIAGARA SONG BOOK 30th Edition』 / NIAGARA FALL OF SOUND ORCHESTRAL (2013年3月21日)- CD:SRCL8004 ※『NIAGARA SONG BOOK』30thリマスター。ボーナス・トラックとして「幸せな結末」と「恋するふたり」を追加収録。初回仕様限定盤(三方背ケース)。
2014年
  1. 『EACH TIME 30th Edition』 (2014年3月21日) - 2CD:SRCL-8005~6 ※Disc1に『EACE TIME』30thリマスター、Disc2にDisc1 M-1~M-11の純カラオケを収録。大滝ゆかりの深い関係者数名の文章が寄稿された号外“EACH TIMES”封入。初回のみデジパック+三方背BOX仕様。

プロデュース

  • SONGS』(SUGAR BABE)
  • 夢で逢えたら』(シリア・ポール)
  • 風立ちぬ』(松田聖子、A面のみ)
  • Candy』(四月のラブレター/Rock'n'roll Good-bye)(松田聖子)
  • 『Soul Vacation』(ラッツ&スター)
  • 『Ring-a-Bell』(渡辺満里奈
  • 『PINUP GIRL』(市川実和子)(「多幸福」名義)
  • 『クレイジー・シングルズ』(ハナ肇とクレイジー・キャッツ)
  • 『ジス・イズ・ミスター・トニー谷
  • クレイジーキャッツ スーパー・デラックス』
  • 『アキラ1~4』(小林旭)
  • 植木等的音楽』
  • 『悲しき夏バテ』(布谷文夫
(他多数)

楽曲提供

  • 「ナイアガラ音頭:あなたが唄うナイアガラ音頭」(作詞・作曲・編曲とも。編曲は多羅尾伴内名義/歌:布谷文夫 with ナイアガラ社中)
当時、大瀧が出演していたラジオ『ゴー・ゴー・ナイアガラ』に送られてきたハガキのアイディアを元に作られた。アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』に収録されているが、シングルでは異なったヴァージョンとなっている。詳細は同アルバムの収録曲の節を参照。もともと、この曲をシングルカットする予定はなかったが、当時ディストリビュート契約を結んでいたコロムビアからの要請を受けてシングルカットされた。なお、B面の「あなたが唄うナイアガラ音頭」はいわゆるカラオケ・ヴァージョンで、イントロが追加されている。当時B面にカラオケを入れることは珍しかったため、「手を抜いている」と言われたことがあった。シングル・チャートで最高198位を記録、大瀧にとって初のランクインとなった。
のちにアルバム『A LONG VACATION』にてセルフカヴァー
  • 風立ちぬ」(作曲・編曲とも。編曲は多羅尾伴内名義/作詞:松本隆/歌:松田聖子)
1981年12月3日に行われた「ヘッドフォンコンサート」では大瀧によるセルフカヴァーが披露された。本人曰く、これ以降は二度と歌わないとのこと。これ以前には松田聖子とのデュエットで歌っている。ほかに「四月のラブレター」(作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内(大瀧詠一ペンネーム) 、Rock'n'roll Good-bye(作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内/歌:松田聖子)
のちに『SNOW TIME』で英語詞で「夏のリヴィエラ」としてセルフカヴァー。
  • 「快盗ルビイ」(作曲・編曲とも。編曲は白井良明と共同/作詞:和田誠/歌:小泉今日子)
のちにデモテープを用いた大瀧とのデュエット版が作成された。『KYON3〜KOIZUMI THE GREAT 51』に収録。
角川映画探偵物語』の主題歌。『すこしだけやさしく』と両A面シングルとしてリリースされ、7週にわたってオリコン1位を記録した。
TBSわくわく動物ランド』のエンディング曲。1983年7月24日に行われたライブ「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83」でも歌唱された楽曲。
  • 「うなずきマーチ」(作詞・作曲・編曲とも。編曲は多羅尾伴内名義/歌:うなずきトリオ
ビートきよし島田洋八松本竜介の3人によるトリオの名称。『オレたちひょうきん族』内で歌われた楽曲。
  • 熱き心に」(作詞:阿久悠/作曲:大瀧詠一/ストリンスアレンジ:前田憲男/歌:小林旭)
大瀧は小林の大ファンで、小林の代表曲である「さすらい」と「惜別の唄」を掛け合わせて作ったと言っている。ちなみに「熱き心」は阿久悠が色紙によく書いていた言葉である。味の素ゼネラルフーヅのタイアップに起用。
  • 「実年行進曲」(作曲・編曲とも。作詞:青島幸男/歌:ハナ肇とクレージーキャッツ)
大瀧がこよなく愛するクレージーキャッツと、クレージーの数々のヒット曲を生み出した作曲家の萩原哲晶へのオマージュ。青島幸男の作詞を得て、往年のクレージーらしい作品になったが、大瀧同様クレイジーのファンであった所ジョージには酷評される。アレンジには昔のヒット曲のフレーズも垣間見える。
  • 夢で逢えたら」(作詞・作曲・編曲とも/コーラス&ストリングスアレンジ:山下達郎/歌:吉田美奈子)
ラッツ&スターのカヴァーでも知られるように、現在日本の歌謡曲としては最も多くのカヴァーヴァージョンの存在する楽曲だが、大瀧自身によっては一度も歌われていない。吉田のオリジナルはシングルカットされたが、ヒットチャート100位にも入らず売れていなかった。
「君は天然色」の姉妹曲として作られた曲。アニメ「ちびまる子ちゃん」のオープニングテーマ[24]。シングルとアルバムはヴァージョン違いになっている。井上鑑がストリングアレンジしたストリングが入ったり、「あの子に」の大瀧によるコーラスが無かったり知久寿焼のハーモニカの後にメロディーと歌詞が追加されていたりとかなり違っている。歌い方も若干違っているので録り直したと思われる。シングル等にクレジットされてはいないが、コーラスアレンジを山下達郎が手がけ、コーラス(多重録音コーラス)でも参加している。[要出典]「SNOW TIME」に収録されたインストヴァージョンは、アルバムヴァージョンの物である。シングルヴァージョンは、「MAX JAPAN 2」、「まるまるちびまる子ちゃん」、「音壁 JAPAN」に収録されている。
アルバムヴァージョンのオリジナルはアルバム「Ring-aーb-Bell」にしか収録されていない。ヴァージョン違いのアルバムヴァージョンとしては「大瀧詠一 Song Book I-大瀧詠一作品集Vol.1(1980-1998)-」Cメロを省略したシングルと同じ収録時間に編集したヴァージョンが収録されている。ただライナーノーツでは、ヴァージョンの違いには触れられていない。

その他

特記しない曲は作曲のみ。また、はっぴいえんど在籍時でも大瀧が何かしらで参加したと明確に確認された楽曲は記する。

日本テレビ系ドラマ「あんちゃん」挿入歌。放映当時レコード化されていなかったが、「EICHI OHTAKI SONG BOOK 2」に収録されて音源化された。
  • 「DOO-WOP! TONIGH」(訳詞・プロデュース・編曲(大浜和史と共同))、 ラストダンスはヘイジュード (編曲・プロデュース)ザ・キングトーンズ
  • イエロー・サブマリン音頭」 (プロデュース、曲のとこかにさり気無く参加しているらしいが、それが何処かは分かり辛い。)金沢明子
  • 「時にまかせて」((シングルバージョン)エレキベース演奏(恐らく南部半九太郎名義ではないかと思われる。)・プロデュース・編曲(編曲のみちぇるしー名義))、「空はふきげん」 かねのぶさちこ
  • ナショナルまきまきカール ’75」 (レコーディングエンジニア(笛吹銅次名義))山下達郎
  • 「われらスラップスティック!」、 「海辺のジュリエット」、「スラップスティック見参!」、 「星空のプレリュード」、「デッキ・チェア」 スラップスティック
  • 「消防署の火事」 新井満
  • 「スポーツ・ガール」、「ロンサム・シティ」 西城秀樹
  • 「あの娘にご用心」 (作詞・作曲・編曲・コーラス)沢田研二
  • 「ポップスター」、「雨のマルセイユ」 (作曲・編曲(編曲はBannai Tarao名義(ポップスター)・CHALSHE名義(雨のマルセイユ))・プロデュース)市川実和子
  • 「蝶々さん」(コーラス、ベースボイス(ベースボイスは宿霧十軒名義))細野晴臣
  • 「想い出のサマーソング (SAILING DREAM)」 (コーラス)五十嵐浩晃
  • 「恋のひとこと」(ボーカル(デュエット))竹内まりや
  • 「お先にどうぞ」 (作詞・作曲・編曲(編曲のみ羅尾伴内名義)・コーラス)かまやつひろし
  • 「親愛なるQに捧げる」(コーラス)、「靴ひもむすんで」(コーラス)、「働くな」 (コーラス)加川良
  • 「自転車に乗って」(コーラス)高田渡
  • 「だからここに来た」(コーラス)、「コペルニクス的回転のすすめ」 (コーラス)岡林信康
  • 「あなただけ I LOVE YOU」 (作詞・作曲・編曲)須藤薫
  • 「針切りじいさんのロケンロール」((Sheb Wooley「The Purple People Eater(邦題:ロックを踊る宇宙人[25])」のカバー)コーラス・編曲(編曲のみRINKEY O'HEN名義)・プロデュース) 植木等
  • 「レッツ・オンド・アゲイン」((アミーゴ布谷のカバー)訳詞・コーラス・プロデュース)細川たかし
  • 「ダンスが終わる前に」、「あなたから遠くへ」(金延幸子のカバー) (二曲ともに編曲(多羅尾伴内名義)) 渡辺満里奈
  • Tシャツに口紅」、「星空のサーカス」(作曲・編曲(編曲は宿霧十軒名義))ラッツ&スター
  • レモンのキッスアパッチ ナンシー・シナトラのカバー)(編曲、レコーディングエンジニア(レコーディングエンジニアのみ笛吹銅次名義))

未発表

LOVE LOVEあいしてる」にて披露、コーラスは大滝
  • 「夢で逢えたら」(自身による歌唱)
大滝自身の葬儀にて流されたと伝えられるもの。詳細は発表されておらず、不明。

トリビュート・アルバム

CMソング

1976年は山下達郎が担当(映像は秋吉久美子)だが、これは大瀧曰く「当初は75、76年はシュガー・ベイブが担当することを制作会社と約束していたが、75年はスポンサー側の要望で再度自分が担当し、76年については、シュガー・ベイブが解散したため、約束を履行する意味からリーダーの山下がやることになった」。
過去に発売されていた東ハトキャラメルコーンのライバル商品
大瀧が最初に作ったバージョンは、却下された。
曲の最後の部分では、過去にキダ・タローが作曲したCM曲のメロディーを使用している。
  • 資生堂サマーローション
    • スポンサー側の若干の反対意見を押し切りオン・エアしたところ”声が不快だ”と叱責されたため、1回のオン・エアのみで放送中止。CMは映像だけそのまま、音楽を瀬尾一三作のものに差し替えられた。
  • 資生堂(「A面で恋をして」)
    • CM出演者のスキャンダル発覚により一週間で打ち切られる。
  • 清酒 大関
映像は渡哲也
CMには松田聖子本人も出演
CMソングは、丸井スポーツ館の店内でも掛けられていたため、ロングバージョンで制作されている。

大瀧ファンの著名人

  • 岩崎元是 ・・・元岩崎元是&WINDYのメンバーで、現在、アレンジャー作曲家キーボーディスト。大瀧が影響を受けたフィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」というアレンジ手法を用いている。
  • 山口隆 ・・・ サンボマスターボーカル、ギター。大瀧をリスペクトしており、対談した事がある。
  • 萩原健太 ・・・ 音楽評論家で作曲家、プロデューサー。大瀧を敬愛しており、「ナイアガラ祭り」なるイベントを行っている。

参考資料

  • All About Niagara(増補改訂版、白夜書房、2005年)
  • 各アルバムのライナー・ノーツ

監修ビデオ、DVD

受賞

作品名「A LONG VACATION」

書籍

  • All about Niagara 八曜社, 1982.1
  • テレビの黄金時代 キネマ旬報社 1983.5 -小林信彦監修によるクレージー・キャッツ本。谷啓、小林信彦、大瀧詠一による座談会も収録。
  • いちど話してみたかった─小林信彦デラックストーク 情報センター出版局 1983 -小林・大瀧の対談が収録。
  • All about Niagara 白夜書房, 2001.3
  • 小林旭読本 歌う大スターの伝説 小林信彦と共同で責任編集 キネマ旬報社, 2002.3.
  • 聖戦サイキック 15thアニバーサリー 座談会 文藝春秋、2003.8 ISBN 4163652604
  • All about Niagara 増補改訂版 白夜書房, 2005.12
  • 叱り叱られ 山口隆対談集 幻冬舎 2008.2 - 山口と大瀧の対談が収録。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d “大瀧詠一さん急死 65歳 「幸せな結末」などヒット曲”. 朝日新聞デジタルインターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). https://web.archive.org/web/20140101041715/http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312310018.html 2014年1月2日閲覧。 
  2. ^ a b c d “歌手の大滝詠一さん急死 65歳、「君は天然色」”. 日本経済新聞(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). https://web.archive.org/web/20140101015953/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG31008_R31C13A2000000/ 2014年1月2日閲覧。 
  3. ^ a b c d “大滝詠一さん急死 65歳 達郎、聖子プロデュース「幸せな結末」が大ヒット”. スポニチAnnex(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). https://web.archive.org/web/20140102022344/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/12/31/kiji/K20131231007299560.html 2014年1月2日閲覧。 
  4. ^ a b c d “大滝詠一さん急死 リンゴ食べている時に”. 日刊スポーツ(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). https://web.archive.org/web/20140102031206/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131231-1238243.html 2014年1月2日閲覧。 
  5. ^ 時期的には中学2年から高校3年の期間に当たる。レコード屋に入り浸り、レコード屋の店員より音楽に詳しいことから助言をしていた。そのおかげで買えないレコードも全部聴けていたという。
  6. ^ 『総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史』
  7. ^ 中田喜直の甥で、はっぴいえんどにもかかわりが深かった人物。
  8. ^ NIAGARA TRIANGLE Vol.1』『GO! GO! NIAGARA』についてはゴールデン・ディスクとしてコロムビアからヒット賞を受けており、『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』はチャート入りしている
  9. ^ “ミュージシャンの大瀧詠一さん死去、65歳”. TBS News i (インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2012年12月31日). http://web.archive.org/save/http://news.tbs.co.jp/20131231/newseye/tbs_newseye2093139.html 2014年1月2日閲覧。 
  10. ^ “〈速報〉大滝詠一さん急死 リンゴ食べている時に”. 朝日新聞デジタル(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). https://web.archive.org/web/20140101074229/http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/NIK201312310074.html 2014年1月2日閲覧。 
  11. ^ “佐野元春「ひとつの大きな星を失った」”. 日刊スポーツ(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). http://web.archive.org/web/20140101102239/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131231-1238284.html 2014年1月5日閲覧。 
  12. ^ NEWS/TOP”. 山下達郎 OFFCIAL WEB SITE(インターネット・アーカイブのキャッシュ). 2014年1月5日閲覧。
  13. ^ “大瀧詠一さん音楽仲間ら追悼 佐野元春「日本の音楽界はひとつの大きな星を失った」”. ORICON STYLE(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2013年12月31日). http://web.archive.org/web/20140105112053/http://www.oricon.co.jp/news/2032625/full 2014年1月5日閲覧。 
  14. ^ takashi_mtmtのツイート(419377483574550529) 2014年1月3日閲覧。
  15. ^ takashi_mtmtのツイート(419375696025096192) 2014年1月3日閲覧。
  16. ^ “大滝詠一さん葬儀に細野晴臣ら100人参列”. 日刊スポーツ(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2014年1月5日). http://www.barks.jp/news/?id=1000101692 2014年1月5日閲覧。 
  17. ^ “大滝詠一を偲ぶ<お別れ会>開催。鈴木茂「大滝さんとの対話は幸せな時間だった」”. BARKS. (2014年3月21日). http://www.barks.jp/news/?id=1000101692 2014年3月21日閲覧。 
  18. ^ “大滝詠一、不朽の名作がiTunesで”. BARKS. (2014年3月19日). http://www.barks.jp/news/?id=1000101577 2014年3月21日閲覧。 
  19. ^ “大瀧詠一さん、死去直前に妻に感謝の言葉 “最期の日”も仕事していた”. 47NEWS. (2014年3月21日). http://www.47news.jp/topics/entertainment/oricon/culture/143918.html 2014年3月21日閲覧。 
  20. ^ “さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る”. リアルサウンド(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2014年1月1日). https://web.archive.org/web/20140116101850/http://realsound.jp/2014/01/post-232.html 
  21. ^ “長嶋氏の大ファン大瀧詠一さん おさい銭33円”. スポニチAnnex(インターネット・アーカイブのキャッシュ). (2014年1月1日). https://web.archive.org/web/20140102065842/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/01/01/kiji/K20140101007304250.html 2014年1月2日閲覧。 
  22. ^ アーリー大瀧詠一』ではタイトルに“第一部”が付加された。
  23. ^ 太田裕美のアレンジを担当した萩田光雄は、大瀧自身のオケを聴いて「よく出来たデモテープですね」と話したという(CDボックスセット『太田裕美の軌跡』のライナーの大瀧のインタビューより)。
  24. ^ 1995年1月8日放送開始、現在まで放送継続されている第2期シリーズの最初の主題歌。1996年5月26日の第76話まで使用された。第28話のみヴォーカルが「まるちゃん(TARAKO)とたまちゃん(渡辺菜生子)」になっている。
  25. ^ 1958年(昭和33年)に清野太郎(スウィング・ウエスト初期のヴォーカル)がカバーした際のタイトル

外部リンク