「巻波 (駆逐艦)」の版間の差分
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'''巻波'''(まきなみ)は、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]] <ref name="S16達328号">[[#達昭和16年10月(2)]]p.11『達第三百二十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦一隻及駆潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 照月(テルヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻波(マキナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十九號駆潜艇』</ref><ref name="半藤258">[[#半藤(朝日ソノラマ)]]258-259頁『●巻波(まきなみ)』</ref>。[[夕雲型駆逐艦|一等駆逐艦夕雲型]]の5番艦である<ref>[[#昭和17年12月31日艦艇類別等級表]]p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』</ref>。艦名は[[砕波]]の一種に由来し、[[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]2隻([[まきなみ (護衛艦・初代)|初代まきなみ]]、[[まきなみ (護衛艦・2代)|2代まきなみ]])に引き継がれた。 |
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'''巻波'''(まきなみ)は、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]]。[[夕雲型駆逐艦|夕雲型]]の5番艦である。艦名は[[砕波]]の一種に由来する。 |
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== 艦歴 == |
== 艦歴 == |
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=== 竣工まで === |
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1939年度(マル4計画)仮称第120号艦として[[舞鶴海軍工廠]]で建造。[[1942年]](昭和17年)8月18日に竣工して一等駆逐艦に類別され、[[横須賀鎮守府]]籍となる。 |
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1939年度(マル4計画)仮称第120号艦として[[舞鶴海軍工廠]]で建造。 |
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[[1941年]](昭和16年)10月25日、三菱重工長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦に「[[照月 (駆逐艦)|照月]]」、舞鶴海軍工廠の夕雲型駆逐艦に「巻波」の艦名が与えられる<ref name="S16達328号"/>。同日附で2隻は秋月型・夕雲型に類別された<ref>[[#内令昭和16年10月(3)]]p.37『内令第千二百八十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「風雲」ノ下ニ「、巻波」ヲ加ヘ、同秋月型ノ項中「秋月」ノ下ニ「、照月」ヲ加フ(以下略)』</ref>。 |
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12月5日、舞鶴海軍工廠で夕雲型1番艦「[[夕雲 (駆逐艦)|夕雲]]」が竣工、翌日舞鶴を離れた<ref name="S1612舞鎮(1)10">[[#S1612舞鎮日誌(1)]]p.10『(2)新造艦船工事 夕雲ハ十二月五日竣工引渡ヲ了シ又巻波ハ十二月二十七日豫定通進水セリ』</ref><ref>[[#S1612舞鎮日誌(1)]]p.59『五(天候略)工廠工事 驅逐艦夕雲新造工事完成竣工式引渡ヲ終了ス(略)其ノ他 夕雲竣工翌六日出港セリ』</ref>。 |
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12月27日、「巻波」は進水<ref name="S1612舞鎮(1)10"/><ref>[[#S1612舞鎮日誌(1)]]p.76『二七|気象(天候)雨(温度)八.二(視界粁)四|一〇〇〇巻波進水(略)驅逐艦巻波進水式』</ref>。同日附で舞鶴鎮守府籍となる<ref>[[#内令昭和16年12月(4)]]pp.20-21『内令第千七百五十三號 驅逐艦 巻波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十六年十二月二十七日 海軍大臣 嶋田繁太郎』</ref>。 |
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[[1942年]](昭和17年)6月11日、舞鶴海軍工廠で[[秋月型駆逐艦]]1番艦「[[秋月 (駆逐艦)|秋月]]」が竣工<ref>[[#S1706舞鎮日誌]]pp.8-9『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ秋月、巻波及初月ノ艤装工事竝ニ島風、第三四〇號艦及第三百四十一號艦ノ建造工事ハ概ネ順當ニ進捗シツツアリシモ秋月砲熕公試ノ結果不具合ノ點アリ完成期ヲ六月十日ニ變更セル處尚俯角制限装置機構手直ヲ要スル爲更ニ六月十九日迄完成期ヲ延期セラレタル處作戰ノ関係上砲熕機能試験ヲ省略シ六月十一日引渡ノコトニ大臣ヨリ指令アリタルニ付任務ニ差支ナキ程度ニ整備ノ上十一日竣工引渡ヲ了ス』</ref>。 |
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8月31日、[[第二水雷戦隊]]([[田中頼三]][[少将]])第三十一駆逐隊に長波とともに編入された。9月6日、第三戦隊([[戦艦]]「[[金剛 (戦艦)|金剛]]」、[[榛名 (戦艦)|榛名]]。[[栗田健男]][[中将]])を護衛して[[豊後水道]]を出撃し<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030097300, pp.6</ref>、9月10日に[[チューク諸島|トラック諸島]]に到着した<ref name="a">木俣『日本戦艦戦史』173ページ</ref>。ただちに補給を受けた後、翌9月11日にトラックを出撃して2日後に[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]([[近藤信竹]]中将)の主力に合流した<ref name="a"></ref>。[[ソロモン諸島]]東方海域で行動の後、9月23日にトラックに帰投<ref>『支援部隊前進部隊第三戦隊戦闘詳報第五号』</ref>。引き続き第三戦隊を護衛し、10月11日にトラックを出撃。第三戦隊による10月14日の砲撃([[ヘンダーソン基地艦砲射撃]])を援護した後、再度第二艦隊に合流して[[重巡洋艦]]部隊の護衛に回った<ref>木俣『日本水雷戦史』214ページ</ref>。10月26日の[[南太平洋海戦]]を経て、10月30日にトラックに帰投した<ref>『第二水雷戦隊戦闘詳報 第一二号』pp.72,73</ref>。 |
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同年6月から8月にかけての舞鶴工廠は、「秋月」以外にも秋月型4番艦「[[初月 (駆逐艦)|初月]]」(4月13日進水)<ref>[[#S1704舞鎮日誌(1)]]p.9『(1)新造艦船工事 秋月、巻波及初月(四月三日進水)ノ艤装工事竝ニ第百二十五號及第三百四十號艦ノ建造工事ハ共ニ概ネ順當ニ進捗シツツアリ』</ref>、夕雲型駆逐艦複数隻(巻波、[[早波 (駆逐艦)|第340号艦《早波》]]、[[浜波 (駆逐艦)|第341号艦《浜波》]]、[[沖波 (駆逐艦)|第342号艦《沖波》]])<ref name="S1708舞鎮5"/>、島風型駆逐艦「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」(7月18日進水)<ref name="S1707舞鎮(1)p6"/>の建造・艤装工事を実施。 |
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また入渠艦・損傷艦([[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]]、[[大潮 (駆逐艦)|大潮]]、[[薄雲 (吹雪型駆逐艦)|薄雲]]《7月31日完成》<ref>[[#S1707舞鎮日誌(1)]]p.7『(3)其ノ他ノ工事』</ref>、[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]《8月13日到着》、[[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]]《6月15日完成》、[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]]《6月15日完成》、[[名取 (軽巡洋艦)|名取]]《7月10日完成》、[[利根 (重巡洋艦)|利根]]《ミッドウエー作戦前後整備》、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]]《ミッドウェー作戦前後整備》)等の修理と整備を行っていた<ref>[[#S1705舞鎮日誌]]pp.10-11『(2)艦船其ノ他ノ工事 利根筑摩第三十四驅逐隊及第三十三潜水隊ノ整備工事竝ニ薄雲ノ特定修理工事、大潮ノ損傷復舊工事、其ノ他艦船兵器及陸上部隊ノ主要造修訓令通牒工事ハ概ネ豫定通進捗中ナリ』</ref><ref>[[#S1706舞鎮日誌]]p.9『(2)其ノ他ノ工事(a)損傷復舊工事 薄雲工事=豫定通進捗中ニシテ七月末完成ノ豫定/大潮工事=目下現場調査作業豫定按畫中/那珂工事=損傷復舊竝ニ改装工事ノ爲本月二十一日入港セリ (b)天龍、龍田工事=本月十五日完成/呂六三潜水艦工事=本月八日完成現地ニ向ケ出港セルモ途中主電動機電動子燃損ノ爲十日歸投セルヲ以テ換装工事中/名取工事=本月十七日入港整備工事中/三十一驅潜隊工事=本月二十七日入港直ニ工事着手セリ/神威工事=本月二十九日入港〃』</ref><ref>[[#S1707舞鎮日誌(1)]]pp.7-8『(b)艦船整備工事 名取(十日)神威(十八日)三十一驅戦隊(三十一日)呂六三潜(十七日)ノ整備工事ハ何レモ概ネ順調ニ進捗各附記ノ通完成作戰地ニ向ケ進出セリ/利根筑摩ニ對スル整備工事ハ十六日入港以來極力進捗中』</ref><ref>[[#S1708舞鎮日誌]]p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂工事=豫定通進捗中/霞工事=損傷復舊工事ノ爲本月十三日入港目下損傷部調査中 (b)利根筑摩ノ整備工事ハ六日完成シ作戰地ニ向ケ進出セリ 夕風(二十一日)、室戸(二十四日)ハ附記ノ通入稿以來極力進捗中』</ref>。 |
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6月30日、日本海軍は[[白露型駆逐艦]]4番艦「[[村雨 (白露型駆逐艦)|村雨]]」や吹雪型駆逐艦「[[白雲 (吹雪型駆逐艦)|白雲]]」艦長等を歴任した[[人見豊治]]中佐を巻波艤装員長に任命する(後任の白雲艦長は[[佐藤重吉]]少佐)<ref name="jirei891">{{アジア歴史資料センター|C13072085900|昭和17年6月30日(発令6月30日付)海軍辞令公報(部内限)第891号 p.33}}</ref>。同日附で艤装員事務所を設置<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070413300|昭和17年7月15日(水)海軍公報(部内限)第4142号 p.2}}『○事務所設置 巻波艤装員事務所ヲ六月三十日舞鶴海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』</ref>。 |
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この頃、[[ガダルカナル島の戦い]]は一つの山を迎えつつあり、[[第38師団 (日本軍)|第三十八師団]]の一部が乗った輸送船団をガダルカナル島へ送ることとなった。11月12日に[[ショートランド諸島|ショートランド]]を出撃してガダルカナル島に向かったが、11月14日に空襲を受けて輸送船団は大きな被害を受け、残存の輸送船はガダルカナル島の海岸に擱座して果てた。ショートランドに帰投後、息つく暇も無く[[ドラム缶]]輸送([[鼠輸送|鼠輸送(東京急行)]])に参加。警戒隊としてガダルカナル島に向かう途中、[[カールトン・H・ライト]]少将率いる{{仮リンク|第67任務部隊|en|Task Force 67}}と交戦する([[ルンガ沖夜戦]])。[[酸素魚雷]]で重巡洋艦[[ノーザンプトン (重巡洋艦)|ノーザンプトン]] (''USS Northampton, CA-26'') を撃沈し、他の重巡洋艦3隻を大破させたが、巻波は魚雷を発射しなかった<ref>木俣『日本水雷戦史』244ページ</ref>。12月3日、ガダルカナル島への二回目のドラム缶輸送に従事中、敵機の攻撃を受けて小破し7名が戦死した。 |
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7月15日、「巻波」は予行運転中に機関故障を起こし、竣工予定を延期した<ref name="S1707舞鎮(1)p6">[[#S1707舞鎮日誌(1)]]pp.6-7『(1)新造艦船工事 艤装中ノ巻波及初月工事ハ概ネ順調ニ進捗シツツアリシモ巻波ハ十五日第三回豫行運轉中罐管破裂ヲ生ジ之ガ換装ノ爲完成期日三日ノ延期(八月十八日)ヲ具申極力完成ヲ急ギツツアリ/又起工中ノ島風ハ豫定通七月十八日進水ヲ了シ其ノ後艤装工事概ネ順調ニ進捗中ナリ/第三四〇、第三四一號艦工事モ同様順調ニ進捗シツツアリ』</ref>。 |
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年が明けて[[1943年]](昭和18年)1月12日から24日まで、[[ニューギニア島]][[ウェワク]]輸送作戦に参加する。2月1日、[[ケ号作戦|第一次ガダルカナル撤収作戦]]では第三水雷戦隊司令官[[橋本信太郎]]少将の[[旗艦]]としてガダルカナル島に向かった<ref name="aa">木俣『日本水雷戦史』256ページ</ref>。しかし、同日夕刻に敵機との交戦中、至近弾により大破し、36名が戦死し航行不能となった。橋本少将を[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]]に移した後<ref name="aa"></ref>、[[文月 (睦月型駆逐艦)|文月]]に曳航されショートランドで仮修理工事を実施し、さらにトラックで応急修理を行った後、4月24日から9月14日まで舞鶴海軍工廠で本格的な復旧工事を実施した。 |
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[[8月18日]]、竣工<ref name="S1708舞鎮5">[[#S1708舞鎮日誌]]p.5『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ巻波 初月 島風ノ艤装工事、第三四〇號 第三四一號艦ノ建造工事及本月五日起工セル第三四二號艦建造工事ハ何レモ順當ニ進捗シ巻波ハ十八日完成引渡シヲ了セリ』</ref><ref>[[#S1708舞鎮日誌]]p.67『一八|気象(天候)雨(気温)二六.六(視界粁)十粁|一五〇〇巻波竣工引渡完了警備驅逐艦ト定メラル(略)工廠工事 驅逐艦巻波新造工事竣工』</ref>。艤装員事務所を撤去<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070422300|昭和17年8月27日(木)海軍公報(部内限)第4179号 p.36}}『○事務所撤去 驅逐艦巻波艤装員事務所ヲ八月十八日撤去セリ』</ref>。同日附で人見艤装員長は巻波駆逐艦長(初代)となる<ref name="jirei925">{{アジア歴史資料センター|C13072086600|昭和17年8月20日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第925号 p.41}}</ref>。「巻波」は警備駆逐艦に指定された<ref>[[#内令昭和17年8月(2)]]p.45『内令第千五百三十八號 舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 巻波 右警備驅逐艦ト定メラル 昭和十七年八月十八日 海軍大臣 嶋田繁太郎』</ref><ref>[[#S1708横鎮日誌(4)]]p.3『十八日一九〇二海軍大臣(宛略)官房機密第一八一九〇二一六番電 十八日附巻波ヲ警備驅逐艦ト定メラル』</ref>。 |
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8月20日、舞鶴を出撃<ref>[[#S1708舞鎮日誌]]p.68『二〇|気象(天候)晴(気温)二五.四(視界粁)十粁|一五二五巻波横須賀ニ向ケ舞鶴發』</ref><ref>[[#S1708横鎮日誌(4)]]p.9『二十日一五〇〇巻波艦長(宛略)一五〇〇呉ニ向ケ舞鶴發』</ref>。呉に立ち寄り、魚雷を搭載<ref>[[#S1708横鎮日誌(4)]]p.16『二十一日一八〇〇巻波艦長(宛略)一八〇〇呉着』</ref><ref>[[#S1708横鎮日誌(4)]]p.3『十八日一八〇〇巻波艦長(宛略)本艦二十日一五〇〇舞鶴發二十一日夕刻呉着魚雷搭載ノ上同地發二十五日午後横須賀着ノ予定』</ref>。横須賀に回航される<ref>[[#S1708横鎮日誌(5)]]pp.26-28『(イ)部下艦船部隊(特設ヲ含ム)ノ行動』</ref>。だが[[第二航空戦隊]]([[飛鷹 (空母)|飛鷹]]、[[隼鷹 (空母)|隼鷹]])の指揮を受けるように[[連合艦隊]]から下令があり<ref>[[#S1708横鎮日誌(5)]]p.6『二十七日一一四七聯合艦隊参謀長(宛略)第三十一驅逐隊ハ特令スル迄桂島ニ回航二航戰司令官ノ指揮ヲ受ケシメラレ度』</ref>、8月31日に呉到着<ref>[[#S1708横鎮日誌(5)]]p.20『三十一日〇九〇〇巻波艦長(宛略)〇八〇〇呉着』</ref>。同日、横須賀では姉妹艦「高波」が竣工した<ref>[[#S1708横鎮日誌(5)]]p.20『三十一日一〇三〇高波艦長(宛略)本艦本日一〇三〇引渡終了』</ref>。 |
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=== 昭和17年の行動 === |
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修理を終えた後、巻波は[[上海市|上海]]に回航されて[[第17師団 (日本軍)|第十七師団]]輸送の第一次丁二号輸送に参加。10月2日にトラックを経由して[[ラバウル]]に進出し、輸送任務を終えた<ref name="b">『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.7</ref>。トラックに帰投後は[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]([[小沢治三郎]][[中将]])と行動をともにして[[エニウェトク環礁]]に進出<ref name="b"></ref>。その後、僚艦の[[大波 (駆逐艦)|大波]]とともに[[カビエン]]への輸送任務を行い、ラバウルに到着後は第十戦隊([[大杉守一]]少将)の指揮下に入って、[[ブーゲンビル島]][[タロキナ岬|タロキナ]]輸送に輸送隊として参加した<ref>木俣『日本水雷戦史』389ページ</ref>。 |
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[[1942年]](昭和17年)8月31日、日本海軍は夕雲型駆逐艦2隻(長波、巻波)により'''第31駆逐隊'''を編制、初代駆逐隊司令には[[清水利夫]]大佐(第21駆逐隊司令)が補職された(後任の第21駆逐隊司令は第1掃海隊司令[[天野重隆]]大佐)<ref name="jirei931">{{アジア歴史資料センター|C13072086700|昭和17年8月31日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第931号 p.21}}</ref><ref>[[#S1708横鎮日誌(5)]]p.20『三十一日〇九〇〇海軍大臣〇〇一一海軍大臣(宛略)三十一日附驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 一.三十驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ 三十一驅逐隊 長波巻波/二.七潜水隊ノ項ニ「伊號第七」ヲ加フ』</ref>。司令駆逐艦は「巻波」<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.6『(ロ)九月中ノ2sd艦隊區分』</ref>。 |
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第31駆逐隊は[[第二水雷戦隊]](司令官[[田中頼三]][[少将]]、旗艦《当初[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]、9月26日より[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]》)に編入された<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.3『(一)(略)九月二十五日附神通呉鎮部隊ニ、五十鈴2sdニ夫々編入/九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更』</ref>。さらに[[金剛型戦艦]]2隻(金剛、榛名)と第31駆逐隊(巻波、長波)で前進部隊待機部隊を編制、内海西部で訓練を実施した<ref>[[#S1701三戦隊日誌(5)]]pp.4-5『(ハ)當隊ノ情況(一)前月来前進部隊主隊ニ編入セラレアリシ処八月十日附前進部隊待機部隊(指揮官3S司令官、兵力3S《三十一日31dgヲ編入》)ニ編入セラレ内海西部ニ在リテ訓練竝ニ整備ニ從事スルコトトナレリ』</ref><ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]pp.4-5『(四)31dg自九月一日至九月六日内海西部ニ在リテ待機訓練ニ從事九月六日3Sト共ニ「トラック」ニ進出』</ref>。 |
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9月6日、第三戦隊司令官[[栗田健男]][[中将]]指揮のもと4隻(第三戦隊《[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]]》、31駆《巻波、長波》)は[[豊後水道]]を出撃<ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]p.59『六(天候略)六.一七〇〇31dg(3Sト共ニ)「トラック」ニ向ケ豊後水道出撃』</ref><ref>[[#S1701三戦隊日誌(5)]]p.18『(3)九月六日呉発伊予灘ニ於テ當隊及第三十一駆逐隊ノ第一類教練作業ヲ実施順調ニ經過シ夕刻豊後水道ヲ出撃「トラック」ニ向ヘリ』</ref>。9月10日に[[チューク諸島|トラック諸島]]に到着した<ref name="a">木俣『日本戦艦戦史』173ページ</ref>。連合艦隊司令部(旗艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」)で打ち合わせを行い、並行して補給を受ける<ref>[[#S1701三戦隊日誌(5)]]p.19『(4)九月十日「トラック」着直ニ補給ヲ実施シ又聯合艦隊司令部ニ於テ打合ヲ行ヒ戦況ヲ聴取シ令達其ノ他ヲ受領セリ』</ref>。翌9月11日にトラックを出撃<ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]p.66『一一(天候略)三.〇五〇〇3S 31dg「トラック」出撃AdBニ向ケ追及』</ref><ref>[[#S1701三戦隊日誌(5)]]p.19『(5)當隊ハ八日附前進部隊本隊ニ編入セラレ十日「トラック」ヲ出港セシ本隊ニ追及及合同ヲ命ゼラレシヲ以テ第三十一駆逐隊ト共ニ十一日「トラック」発十三日夕刻本隊ニ合同セリ』</ref>。13日、[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]](司令長官[[近藤信竹]]中将、旗艦「[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]」)の主力に合流した<ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]pp.68-69『一三(天候略)一三.一七〇〇3S 31dg前進部隊本隊ニ合同3Sノ直衛ハ早潮及31dg、8Sノ直衛ハ親潮黒潮トセラル』</ref><ref>[[#S1709二水戦日誌(3)]]p.5『自九月十一日至九月二十三日|31dg|九月十一日3Sノ直衛トシテ「トラック」出撃九月十三日一五〇〇前進部隊本隊ニ合同ス』</ref>。[[ソロモン諸島]]東方海域で行動<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.5『(四)31dg(略)自九月十一日自九月十三日前進部隊本隊トシテ「ガダルカナル」奪還支援竝ニ敵艦隊捕捉撃滅作戦ニ從事』</ref><ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]p.56『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』</ref>。9月23日にトラックに帰投<ref>『支援部隊前進部隊第三戦隊戦闘詳報第五号』</ref><ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.5『(四)31dg(略)自九月二十三日至九月三十日「トラック」ニ在リテ時期作戰準備竝ニ待機主要艦船護衛及應急警戒艦トシテ泊地警戒任務ニ從事』</ref>。 |
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日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西の[[ブカ島]]とにらみ<ref name="d">木俣『日本水雷戦史』401ページ</ref>、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった<ref name="d"></ref>。第一次輸送は11月21日に行われ、妨害を受けることなく輸送は成功した<ref name="d"></ref>。11月24日、第二次輸送のためラバウルを出撃。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた<ref>木俣『日本水雷戦史』402ページ</ref>。 |
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9月29日、[[妙高型重巡洋艦]]4番艦「[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]]」(第五戦隊)が修理のため内地に戻ることになり<ref>[[#S1706五戦隊日誌(3)]]p.6『(二)二十九日〇七〇〇羽黒修理工事ノ爲佐世保ニ向ケ出港ス』</ref>、「巻波」は同艦をトラック泊地近海まで護衛した<ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]p.53『巻波駆艦長(宛略)一二〇〇羽黒ノ護衛ヲ止メ一六〇〇北水道應急出動艦錨地ニ投錨明日長波ト任務ヲ交代ス異状ナシ』</ref><ref>[[#S1709二水戦日誌(2)]]pp.83-84『二十九(天候略)(略)二.〇六三〇巻波羽黒ヲ護衛シ「トラック」發(略)六.一六〇〇巻波護衛任務終了「トラック」着』</ref>。 |
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10月1日、第31駆逐隊に夕雲型6番艦「[[高波 (駆逐艦)|高波]]」が編入され、同隊は3隻編制(長波、巻波、高波)となる<ref>[[#内令昭和17年10月(1)]]pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』</ref>。清水司令は司令駆逐艦を本艦から「高波」に変更した<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070423900|昭和17年12月18日(金)海軍公報(部内限)第4270号 p.49}}『○司令驅逐艦指定 第三十一驅逐隊司令ハ十月一日司令驅逐艦ヲ高波ニ指定セリ』</ref>。 |
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その帰途の11月25日、[[ニューアイルランド島]][[セント・ジョージ岬]]東方海上で[[アーレイ・バーク]][[大佐]]率いる{{仮リンク|第23駆逐部隊|en|Destroyer Squadron 23}}の先制雷撃を受け([[セント・ジョージ岬沖海戦]])、魚雷の命中により左側に傾斜した。やがて接近してきたアメリカ軍の駆逐艦[[:en:USS Converse (DD-509)|コンヴァース]] (''USS Converse, DD-509'') および[[:en:USS Spence (DD-512)|スペンス]] (''USS Spence, DD-512'') からの砲雷撃を受けた。巻波が何とか発射した反撃の魚雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった<ref name="e">木俣『日本水雷戦史』405ページ</ref>。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された巻波は未明1時ごろに沈没していった<ref name="e"></ref>。駆逐艦長[[人見豊治]]中佐以下多くの乗員が巻波と運命をともにしたが、巻波の生存者29名は[[カッター (船)|カッター]]に乗り移り、ラバウルに帰還する事ができた。 |
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10月11日、前進部隊(第二艦隊)はトラックを出撃。第二水雷戦隊司令官[[田中頼三]]少将が指揮する第二水雷戦隊(軽巡[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]《二水戦旗艦》、第15駆逐隊《[[親潮 (駆逐艦)|親潮]]、[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]、[[早潮 (駆逐艦)|早潮]]》、第24駆逐隊《[[海風 (白露型駆逐艦)|海風]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]》、第31駆逐隊《高波、巻波、長波》)は、[[ガダルカナル島]][[ホニアラ国際空港|ヘンダーソン飛行場]]に対し[[艦砲射撃]]を実施予定の第三戦隊([[金剛型戦艦]]2隻《[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]]》〔司令官[[栗田健男]][[中将]]・海兵38期〕)を護衛する<ref>[[#叢書83ガ島戦]]211頁『進撃』</ref>。 |
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応援の第19駆逐隊と共に三戦隊の10月14日飛行場砲撃([[ヘンダーソン基地艦砲射撃]])を援護した後、三戦隊・二水戦は前進部隊(第二艦隊)に合流。第15駆逐隊以外の二水戦各艦は第五戦隊([[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]])を護衛して再びガダルカナル島へ突入<ref>[[#摩耶(学研M)]]149頁『ガダルカナル島基地砲撃一覧表』</ref><ref name="叢書(83)222"> [[#叢書83ガ島戦]]222頁『第五戦隊の飛行場砲撃』</ref>。二度目のヘンダーソン基地砲撃作戦に参加した<ref>木俣『日本水雷戦史』214ページ</ref><ref>[[#S1706五戦隊日誌(4)]]pp.6-7『(四)(略)一一三〇ニ至リ揚陸中ノ味方輸送船団敵機ノ集中攻撃ヲ受ケツツアルノ情況ニ鑑ミ「ガダルカナル」飛行場制圧ノ要更ニ切ナルモノアリ 一二三〇前進部隊信令第二四一號ニ依リ5S(羽黒欠)摩耶2sd(15dg欠)ヲ率ヰ「ガ」島攻撃隊トシテ前進部隊本隊ヨリ分離急速「ガダルカナル」ニ侵入同夜同飛行場及同辺陣地ニ猛撃ヲ加エ北上ス 味方輸送船団ハ夕刻揚陸ヲ打切リ「ショートランド」ニ避退セリ』』</ref>。発射弾数は妙高476発、摩耶450発、第31駆逐隊253発と記録されている<ref name="叢書(83)349"/>。 |
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10月26日の[[南太平洋海戦]]における第二水雷戦隊は、前進部隊(指揮官[[近藤信竹]]第二艦隊司令長官:旗艦「愛宕」)に所属し、第四戦隊(愛宕、高雄)、第三戦隊(金剛、榛名)、第五戦隊(妙高、摩耶)、[[第二航空戦隊]](司令官[[角田覚治]]少将:空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]])と共にアメリカ軍機動部隊と交戦した<ref>[[#S1709二水戦日誌(5)]]p.5『(四)24dg 自十月十一日至十月三十一日 前進部隊挺身攻撃隊トシテ「ガ」島砲撃作戦竝ニ「ガ」島敵増援部隊敵艦隊ノ補足撃滅作戦ニ従事』</ref>。 |
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10月30日にトラックに帰投した<ref>『第二水雷戦隊戦闘詳報 第一二号』pp.72,73</ref>。 |
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[[1942年]](昭和17年)11月上旬、第二水雷戦隊はショートランド泊地へ進出し、5日附で[[田中頼三]]第二水雷戦隊司令官は[[橋本信太郎]]第三水雷戦隊司令官(旗艦「[[川内 (軽巡洋艦)|川内]]」)より増援部隊指揮官の職務を引き継ぐ<ref name="叢書(83)349">[[#叢書83ガ島戦]]349-350頁</ref>。第二水雷戦隊は再び[[ガダルカナル島]]への強行輸送作戦に従事することになった<ref name="叢書(83)349"/><ref>[[#S1711二水戦日誌(1)]]p.6『(ホ)24dg 自十一月一日至十一月二日「トラック」ニ在リテ整備竝ニ次期作戦準備 自十一月三日至十一月十五日外南洋部隊増援部隊トシテ輸送船護衛揚陸掩護竝ニ増援輸送作戦ニ従事』</ref><ref>[[#S1711二水戦日誌(4)]]p.7『(四)十一月六日外南洋部隊電令作第218號ニ依リ2sdハ増援部隊ニ編入、4sd(d×4)8dg(d×1缺)望月當隊ノ指揮下ニ入ル』</ref>。 |
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11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊《親潮、早潮、陽炎》、第24駆逐隊《海風、江風、涼風》、第31駆逐隊《巻波、高波、長波》、第10駆逐隊《夕雲、風雲》)はショートランドを出撃<ref name="叢書(83)350">[[#叢書83ガ島戦]]350-351頁『七日の輸送』</ref>。途中でアメリカ軍機の空襲を受け、駆逐艦2隻(高波、長波)が若干の損傷を受けた<ref>[[#S1709二水戦日誌(5)]]pp.15-16『15dg司令(宛略)戦斗概報 一.15dg(黒潮缺)31dg24dg10dg(巻雲秋雲缺)は「ガ」島ヘ糧食輸送ノ爲六日2300「ショートランド」出撃迂回航路ヲトル 當時雲量10雲高低ク濃密ナル「スコール」屢〃アリシモ0810 B-17一機次デ1310敵艦爆二機ノ触接ヲ受ケ1530地点「ケミヌ46」ニ於テ敵中小型機二〇數機来襲セリ上空直衛中ノ味方水上機一〇機ト協力1610撃退セリ 被害長波下士官兵戦死3重傷7(陸兵1)一番砲塔旋回機電路2粁信號灯2號発電機故障18及23番重油「タンク」貫通漏洩全力發揮差支ナシ 高波軽傷1/二.「タサハロング」揚陸隊ハ2045泊地ニ進入小發ノ故障多ク約八割揚陸傷病者90及陸軍便乗者76収容0020皈途ニ就ク 「エスペランス」ハ全部揚陸2100ヨリ敵機二常ニ泊地附近上空ニ在リシモ天候極メテ不良ノ爲發見サレズ』</ref>。輸送隊は深夜にタサファロング沖に到着して糧食を降ろし、傷病兵と便乗者を乗せて帰投した<ref name="叢書(83)350"/>。 |
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11月10日朝、第10駆逐隊司令[[阿部俊雄]]大佐が指揮する駆逐艦5隻(第10駆逐隊《夕雲、巻雲、風雲》、第31駆逐隊《巻波》、第24駆逐隊《涼風》)は第十一戦隊弾着観測員と陸軍兵・物資を載せてショートランド泊地を出撃<ref name="叢書(83)353">[[#叢書83ガ島戦]]353頁『十日の輸送』</ref>。魚雷艇を撃退し、輸送任務も成功<ref name="叢書(83)353"/>。11日午前中に帰投した<ref name="叢書(83)353"/>。 |
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{{main|第三次ソロモン海戦}} |
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この頃、[[ガダルカナル島の戦い]]は一つの山を迎えつつあり、[[第38師団 (日本軍)|第三十八師団]]の一部が乗った輸送船団をガダルカナル島へ送ることとなった。 |
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11月13日以降、増援部隊(早潮《田中司令官座乗》、親潮、陽炎、海風、江風、涼風、高波、巻波、長波、[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]、[[望月 (駆逐艦)|望月]])は輸送船11隻を護衛し、ガダルカナル島に向かった([[第三次ソロモン海戦]])<ref name="叢書(83)379">[[#叢書83ガ島戦]]379-381頁『第二次輸送船団の被爆』</ref>。だがアメリカ軍機の波状攻撃を受け輸送船6隻が沈没、1隻が大破して駆逐艦2隻(天霧、望月)護衛下で退避する<ref name="叢書(83)379"/>。 |
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田中司令官は残存輸送船4隻と駆逐艦9隻を指揮してガ島への進撃を続行<ref>[[#S1711二水戦日誌(1)]]pp.22-23『十五日2255増援部隊指揮官(宛略)戦斗概報第一號 一.増援部隊(黒潮缺)十二日1530船団(十一隻)ヲ護衛「ショートランド」出撃Z日ヲ十四ニ改メラレタルヲ以テ十三日0300反転一旦「ショートランド」ニ皈着1030親潮巻名㎡地点「ケナホ31」ニ於テ飛行機誘導ノ下敵潜ニ對シ共同爆雷攻撃ヲ行フ効果不明同日1530再出撃十四日0555ヨリ1530迄ノ間ニ敵艦爆69雷撃機7戦斗機8B-17 22計106機ノ銃雷爆撃(内大集団爆撃二回)ヲ受ケ輸送船4隻火災1隻傾斜(雷撃)佐渡丸航行ノ自由ヲ失ヒシヲ以テ駆逐艦7隻ヲシテ各乗員及陸兵ヲ救助天霧望月佐渡丸ヲ嚮導「ショートランド」ニ回航セシメ爾後ノ輸送船4隻ヲ護衛「ガ」島ニ航進中敵巡4駆逐艦2同方面北上中ノ報ニ接シ一時船団ヲ北西方ニ避退セシメタルモ1615再ビ反転「ガ」島ニ向フ 1730敵部隊「サボ」島西方ニ向ケ国情中ナルヲ知リ船團ヲ北東方ヨリ4Sノ行動ニ續行入泊セシムル如ク行動2200頃「サボ」島附近ニ於テ彼我交戦中命ニ依リ船団ハ一時北方ニ避退戦斗終了後更ニ反転0200船団(四隻)ヲ「タサハロング」ニ擱座揚陸セシメ0230駆逐艦9隻ヲ率ヒ北方ニ避退セリ/二.夜戦ニ関シテハ戦斗速報ノ通/三.戦果 親潮高波巻波各敵機1ヲ撃墜 親潮敵戦艦(「ノースカロライナ」型)ニ魚雷1命中我ニ被害ナシ』</ref>。11月15日未明に輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)はガダルカナル島タサファンログ泊地に座礁揚陸を強行するが、アメリカ軍機と米艦艇の攻撃で全滅した<ref name="叢書(83)397">[[#叢書83ガ島戦]]397-398頁『第二次輸送船団の壊滅』</ref>。増援部隊各艦は15日22時になりショートランド泊地へ戻った<ref name="叢書(83)397"/>。 |
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ショートランドに帰投後、息つく暇も無く[[ドラム缶]]輸送([[鼠輸送|鼠輸送《東京急行》]])に参加。 |
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11月22日(途中引返し)と24日午前3時、駆逐艦2隻(巻波、[[羽風 (駆逐艦)|羽風]])と輸送船3隻(千早丸、神威丸、寶運丸)はショートランド泊地を出撃<ref name="叢書(83)429">[[#叢書83ガ島戦]]429-430頁『ムンダ輸送開始』</ref><ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.21『巻波羽風神威丸外二隻|一一-二五|第二次「ムンダ」輸送ヲ完了ス』</ref>。同日19時[[ムンダ (ソロモン諸島)|ムンダ]]([[ニュージョージア島]])着<ref name="叢書(83)429"/>。25日午前2時30分出発、夕刻ショートランド泊地に帰投した<ref name="叢書(83)429"/>。米潜水艦襲撃時には、「羽風」と共に応戦している<ref name="叢書(83)429"/>。 |
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11月30日、第二水雷戦隊司令官[[田中頼三]]少将(旗艦長波)の指揮下、駆逐艦8隻(警戒隊《[[長波 (駆逐艦)|長波]]、[[高波 (駆逐艦)|高波]]》、輸送隊《[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]、[[親潮 (駆逐艦)|親潮]]、[[陽炎 (陽炎型駆逐艦)|陽炎]]、[[巻波 (駆逐艦)|巻波]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]》)という戦力はドラム缶輸送任務のためショートランド泊地を出撃<ref name="叢書(83)431">[[#叢書83ガ島戦]]431-432頁『ドラム罐輸送計画』</ref><ref>[[#S1711二水戦日誌(3)]]p.49『「ルンガ」沖夜戰合戰圖(縮尺十萬分ノ一)』</ref>。ガダルカナル島へ向かう。これを[[カールトン・H・ライト]]少将率いる{{仮リンク|第67任務部隊|en|Task Force 67}}が迎撃、[[アイアンボトム・サウンド]]において夜間水上戦闘となった([[ルンガ沖夜戦]])<ref name="ニミッツ141"> [[#ニミッツの太平洋海戦史]]141-143頁『タッサファロンガ海戦』</ref>。 |
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「巻波」は魚雷を発射しなかった<ref>木俣『日本水雷戦史』244ページ</ref>。日本側は駆逐艦1隻(高波)が沈没し、アメリカ側は重巡[[ノーザンプトン (重巡洋艦)|ノーザンプトン]] (''USS Northampton, CA-26'')を喪失、重巡3隻([[ニューオーリンズ級重巡洋艦|ミネアポリス]]、[[ペンサコラ級重巡洋艦|ペンサコラ]]、[[ニューオーリンズ級重巡洋艦|ニューオーリンズ]])も大破という損害だった<ref>[[#叢書83ガ島戦]]437-440頁『米艦隊の戦闘』</ref><ref name="ニミッツ141"/>。 |
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一方でドラム缶輸送作戦自体は失敗し、外南洋部隊は第二次ドラム缶輸送作戦を行うよう指導する<ref name="叢書(83)440"/>。本戦闘で第31駆逐隊司令駆逐艦「高波」が沈没<ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.22『2sd(早潮缺)|一一-三〇|RXNニ「ドラム」罐輸送ノ為進撃中「タサハロング」沖ニ於テ敵B×1 C×4 d×12ト交戦B×1(ワシントン型)C×1(オーガスタ型)轟沈、d×2撃沈、c×1 d×2大破 我高波沈没ス』</ref>。清水司令が戦死(翌年、少将進級)<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072093800|昭和18年10月16日(発令昭和17年11月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1241号 p.35}}</ref>。第31駆逐隊は2隻編制(長波、巻波)となった<ref>[[#内令昭和17年12月分(4)]]p.29『内令第二千三百七十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「早潮、」ヲ削ル|第三十一驅逐隊ノ項中「、高波」ヲ削ル』</ref>。 |
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12月3日、田中二水戦司令官(長波)指揮下、第二次輸送作戦(第15駆逐隊《親潮、黒潮、陽炎》、第31駆逐隊《巻波、長波》、第24駆逐隊《江風、涼風》、第4駆逐隊《[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]、[[野分 (陽炎型駆逐艦)|野分]]》、第27駆逐隊《[[夕暮 (初春型駆逐艦)|夕暮]]》)が実施されるが、「巻波」は空襲により損傷した<ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.6『第二次「ガ」島輸送|2sd司令官|15dg(親潮黒潮陽炎)、31dg(巻波長波)、24dg(江風涼風)、4dg(嵐野分)、夕暮|三日|巻波空爆ニ依リ損傷』</ref><ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.59『長波夕暮 15dg 4dg(舞風萩風缺) 24dg(海風缺)|一二-三|第二次「ドラム」罐輸送ヲ實施シ揚陸「ドラム」罐數約三一〇(地点タサファロング、セギラウ)戰果撃墜一〇機被害未皈還零観五 巻波死傷二十数名小波』</ref><ref name="叢書(83)440">[[#叢書83ガ島戦]]440頁『十二月三日』</ref>。戦死者7名<ref name="半藤258"/>。投下ドラム罐1500個のうち回収されたのは310個だった<ref name="叢書(83)440"/><ref name="ニミッツ141"/>。 |
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「巻波」は修理のためラバウルに回航されている<ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.4『(ニ)第三十一驅逐隊 自一日至十三日「ショートランド」ヲ基地トシ第二次(三日四日)第三時(七日八日)第四次(十一日十二日)「ガ」島輸送ニ從事 但シ巻波ハ「八日」ラバウル回航修理 自十四日至三十一日「ラバウル」ヲ基地トシ第一回第一次(自十五日至十八日)「ムンダ」輸送ニ從事 巻波ハ第二回第一次(自二十日至二十二日)「ムンダ」輸送ニ從事』</ref><ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.15『八(略)一.〇五三〇巻波ラバウル着修理ニ從事』</ref>。 |
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12月16日、第一次第一回ムンダ輸送のため<ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.6『第一回第一次「ムンダ」輸送|司令官2sd|15dg(d×3)17dg(谷風)31dg(d×2)|十六日』</ref>、駆逐艦6隻(長波、巻波、親潮、黒潮、陽炎、谷風)は[[ムンダ (ソロモン諸島)|ムンダ]]([[ニュージョージア島]])輸送を実施<ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.61『天霧夕霧|一二-一三「レカタ」増援輸送ヲ實施ス|長波巻波15dg(親潮黒潮陽炎)17dg(谷風)|「ムンダ」輸送艦陸兵親潮二〇〇谷風二一〇基地二二〇陸軍二〇粍機銃四「ドラム」罐二〇』</ref><ref name="叢書(83)453">[[#叢書83ガ島戦]]453頁『第一回輸送』</ref>。揚陸作業中に夜間空襲を受け「陽炎」が小破した<ref name="叢書(83)453"/><ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]pp.19-20『一六(略)四.二〇四〇敵機六來襲輸送隊ニ銃爆撃ヲ加ヘ陽炎戰死二軽傷三船隊一部小損』</ref>。 |
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12月21-22日、第17駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻([[谷風 (陽炎型駆逐艦)|谷風]]、[[浦風 (陽炎型駆逐艦)|浦風]]、巻波、陽炎)はムンダ輸送を実施<ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.62『17dg(浜風磯風)巻波陽炎|一二-二一|第二回第一次「ムンダ」輸送ヲ實施ス』</ref><ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.6『第二回第一次「ムンダ」輸送|(司令)17dg|17dg(谷風浦風)巻波陽炎|二十一日』</ref><ref>[[#叢書83ガ島戦]]454頁『第二回輸送』</ref>。 |
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つづいて駆逐艦4隻(江風、涼風、巻波、陽炎)をもって[[第一号型哨戒艇|第二号哨戒艇]]([[灘風 (駆逐艦)|旧駆逐艦《灘風》]])を護衛、同艦をガ島に擱座させようという12月27日のラバウル出撃は、ガ島に向け航行中に中止となる<ref>[[#S1709八艦隊日誌(3)]]p.63『江風涼風巻波陽炎 哨二|一二-二七|駆逐艦支援ノ下ニ哨二號「エスペランス」ニ擱座決行急速糧食ノ揚陸ヲ計画セシ所NTF信電令作第五號ニ依リ中止セラル』</ref><ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.27『二七(天候略)一.〇一〇〇哨二擱座揚陸ノ支援隊〔24dg(江風涼風)巻波陽炎〕ラバウル發 哨二ノ揚陸延期トナリタル爲一三三〇ショートランド入泊(略)』</ref>。各艦はショートランドを経てラバウルに戻った<ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]p.7『四.二水戰各隊(艦)行動要覧(斜線部航海)』</ref><ref>[[#S1712外南洋部隊詳報(2)]]pp.27-28『二七(天候略)二.〇三三〇24dg(江風涼風)巻波陽炎ショートランド發航路上敵潜掃蕩ヲ實施シツツ一八三〇ラバウル着(略)』</ref>。 |
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12月29日附で第二水雷戦隊司令官は[[田中頼三]]少将から[[小柳冨次]]少将に交代<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072088700|昭和17年12月31日(発令12月29日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.12}}</ref>。30日、小柳の着任にともない田中は退隊<ref>[[#外南洋増援部隊日誌(2)S1712]]p.28『小柳司令官着任、田中前司令官退隊』</ref><ref>[[#半藤(朝日ソノラマ)]]235-236頁</ref>。翌年2月5日附で舞鶴警備隊司令および海兵団長<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072089600|昭和18年2月5日(発令2月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1048号 p.45}}</ref>、10月1日附で[[ヤンゴン|ラングーン]]の第十三根拠地隊司令官となった<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072093500|昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1228号 p.24}}</ref>。 |
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=== 昭和18年前半の行動 === |
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新任の第二水雷戦隊司令官[[小柳冨次]]少将は、旗艦を「長波」に指定した<ref name="叢書(83)510">[[#叢書83ガ島戦]]510-512頁『一月二日』</ref>。増援部隊各艦はラバウルからショートランド泊地へ進出<ref name="叢書(83)510"/>。[[1943年]](昭和18年)[[1月2日]]午前11時、駆逐艦10隻(警戒隊《長波、江風、涼風、荒潮》、輸送隊《親潮、黒潮、陽炎、[[磯波 (吹雪型駆逐艦)|磯波]]、[[電 (吹雪型駆逐艦)|電]]》)で出撃<ref>[[#S1801二水戦日誌(2)]]p.18『三.軍隊区分』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.8『第五次「ガ」島輸送|二日三日|2sd司令部 15dg(親潮黒潮陽炎)31dg(長波巻波)24dg(江風涼風)磯波電荒潮|涼風空爆至近弾ニ依リ中破』</ref>、途中の空襲で「涼風」が損傷、「電」に護衛されて避退した<ref name="叢書(83)510"/><ref>[[#S1801二水戦日誌(2)]]pp.28-29『3日1225増援部隊指揮官→8F司令長官(略)|一.第五次ガ島輸送部隊2日1100ショートランド発1215地点ケトネ41ニ於テB-17五P-38五機ト交戦撃退1605地点ケヌフ14ニ於テ爆撃機戦斗機十数機ト交戦味方直衛戦斗機六機ト共ニ撃退涼風至近弾ニ依リ損傷電掩護ノ下ニショートランドニ回航セシム 輸送部隊2200エスペランス着警戒隊ヲ以テ魚雷艇約八隻ノ執拗ナル来襲ヲ阻止撃攘(一隻撃沈)シツツ揚陸作業強行ドラム缶540ゴム嚢250投入2230泊地発3日0800(涼風電ハ0630)ショートランド帰着(以下略)』</ref>。他に被害は出ず、輸送作戦は成功した<ref name="叢書(83)510"/>。 |
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1月4日から7日にかけて、駆逐艦4隻(長波、巻波、江風、荒潮)はショートランド泊地とラバウルを往復、ラバウルでドラム罐を積み込むとショートランド泊地に戻った<ref name="叢書(83)512">[[#叢書83ガ島戦]]512-513頁『一月十日』</ref>。また駆逐艦「大潮」(第8駆逐隊司令駆逐艦)もドラム罐を搭載してショートランドに到着、増援部隊に編入される<ref name="叢書(83)512"/><ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]pp.15-16『九(天候略)一.〇九〇〇8dg(大潮)一一〇〇16dg(初風時津風)「ショートランド」着 何レモ増援部隊編入/二.〇七三〇15dg(親潮陽炎)鶴見山陽○ヲ護衛シ「ショートランド」發/三.一五〇〇第六次ガ」島輸送作戰打合/〇六一〇10S司令部「ラバウル」進出(旗艦秋月)』</ref>。 |
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1月10-11日、外南洋部隊増援部隊指揮官[[小柳冨次]]第二水雷戦隊司令官(旗艦「黒潮」)が指揮する駆逐艦8隻(警戒隊《[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]]》、輸送隊《[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]、巻波、大潮、荒潮》)はガ島への第六次輸送作戦を実施するが、米軍魚雷艇の攻撃で第16駆逐隊の駆逐艦「初風」が大破する<ref name="叢書(83)512"/><ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.8『第六次「ガ」島輸送|十日十一日|2sd司令部 黒潮巻波24dg(江風)4dg(嵐)8dg(大潮荒潮)16dg(初風時津風)|初風魚雷艇ノ雷撃ヲ受ケ大破』</ref>。[[有賀幸作]]第4駆逐隊司令(嵐座乗)の指揮下、駆逐艦3隻(嵐、江風、時津風)はガダルカナル島からショートランド泊地まで「初風」を護衛<ref>[[#戦艦大和最後の艦長]]208-209頁</ref>。小柳少将は有賀司令と各艦を賞賛した<ref>[[#S1801二水戦日誌(2)]]p.40『輸送部隊ハ遠ク敵制空権下ニ進出シ敵水上部隊ノ出現ヲ厳戒シツツ既ニ泊地ニ潜入待機中ノ魚雷艇7隻及哨戒機2機ト交戦シ混戦中ノ輸送ヲ強行シテ前記ノ如キ成果ヲ収メ其ノ功績顕著ナリ。特ニ嵐(将旗4dg)、江風(将旗24dg)時津風ハ損傷艦初風ヲ護衛シ友軍機ノ協力ト相俟ッテ長途離脱ニ成功シ功績極メテ顕著ナリト認ム』</ref>。 |
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本作戦をもって小柳二水戦司令官は増援部隊指揮官の職務を第十戦隊司令官[[木村進 (海軍軍人)|木村進]]少将(旗艦「[[秋月 (駆逐艦)|秋月]]」)に引き継ぎ、「長波」に乗艦してトラック泊地に戻った<ref name="叢書(83)512"/><ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.4『(イ)第二水雷戰隊司令部 自一日至十一日「ショートランド」及「ラバウル」ヲ基地トシテ「ガ」島輸送作戰ノ指導ニ任ジ第五次(二日三日)第六次(十日十一日)「ガ」島輸送作戰ニ従事/十一日第十戰隊司令部ニ増援部隊指揮官ノ引繼ヲ了シ十二日「ショートランド」發十四日「トラック」着整備訓練次期作戰準備並ニ輸送船護衛等ノ指導ニ任ズ』</ref><ref name="S1801二水戦(1)18">[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.18『一一(天候略)一.〇六三〇秋月(司令官10S)「ショートランド」着/二.〇九一五黒潮8dg(大潮荒潮)巻波「ショートランド」着/三.一五三〇10S司令官ニ増援部隊指揮官ノ引継ヲ了ス/四.一五三五将旗ヲ長波ニ移揚/五.江風(司令24dg)巻波8dg(大潮荒潮)東部「ニューギニア」方面護衛隊ニ編入/六.一八三〇嵐江風初風時津風「ショートランド」皈着/七.一七〇〇8dg(大潮荒潮)巻波「ラバウル」ニ向ケ「ショートランド」發』</ref>。駆逐艦4隻(長波、親潮、陽炎、涼風)は艦の疲弊が激しく、最前線で行動するのは難しかったからである<ref name="叢書(83)512"/>。 |
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1月11日、第六次ガダルカナル島輸送作戦を終えた駆逐艦4隻(江風、巻波、大潮、荒潮)はニューギニア方面護衛部隊に編入され、ショートランド泊地を出発してラバウルへ向かった<ref name="S1801二水戦(1)18"/>。 |
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1月中旬、外南洋部隊各艦は[[ソロモン諸島]]の防備強化に協力、輸送船護衛や駆逐艦輸送に従事する<ref name="叢書(83)516">[[#叢書83ガ島戦]]516-517頁『兵力の増援』</ref>。 |
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1月16日、それまで[[第二水雷戦隊]]旗艦だった長良型軽巡洋艦2番艦「[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]」は第十六戦隊へ転出、[[第二次ソロモン海戦]]での損傷修理を終えた川内型軽巡2番艦「[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]」が第二水雷戦隊に復帰する(1月23日トラック泊地着)<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]pp.4-5『(ロ)五十鈴及神通 五十鈴ハ引續キ横須賀ニ於テ修理ニ従事十六日第十六戰隊ニ編入/神通同日第二水雷戰隊ニ編入呉ニ於テ修理ニ従事十八日呉發二十三日「トラック」着訓練並ニ次期作戰準備ニ従事』</ref>。 |
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1月12日から24日まで、[[ニューギニア島]][[ウェワク]]輸送作戦に参加する。 |
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1月20日、第31駆逐隊に夕雲型7番艦「[[大波 (駆逐艦)|大波]]」が編入され、同隊は3隻(長波、巻波、大波)となった(大波は25日トラック泊地着)<ref>[[#内令昭和18年1月(2)]]p.25『内令第四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、大波」ヲ加フ』</ref><ref name="S1801二水戦(1)5p31dg">[[#S1801二水戦日誌(1)]]pp.5-6『(二)第三十一驅逐隊 長波ハ自一日至十一日「ショートランド」方面ニ在リテ第五次(二日三日)「ガ」島輸送作戰ニ従事 十二日前進部隊ニ復皈同本隊ニ編入同日「ショートランド」發十四日「トラック」着整備竝ニ訓練ニ従事/巻波ハ第五次(二日三日)第六次(十日十一日)「ガ」島輸送作戰ニ従事後引續キ外南洋部隊ニ残留シ同方面作戰ニ従事/大波ハ二十日三一驅ニ編入同日呉發二十五日「トラツク」着整備訓練並ニ次期作戰準備ニ従事』</ref>。 |
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21日、輸送船団救援中の第十戦隊旗艦「秋月」が米潜水艦に雷撃されて損傷<ref name="叢書(83)518">[[#叢書83ガ島戦]]518-519頁『六号輸送(第六師団のボーゲンビル島進出)』</ref><ref>[[#S1709第八艦隊日誌(4)]]pp.36-37『一月十九日妙法丸(陸軍輸送船)東経156度20分南緯5度38分ニ於テ雷撃ヲ受ケ航行不能20日未明沈没、秋月右救援ノ途中東経156度20分南緯6度附近ニ於テ雷撃ヲ受ケ一時航行不能司令官以下負傷者十数名行方不明十数名』</ref>。その際に木村少将(第十戦隊司令官)が負傷したため、第二水雷戦隊司令官[[小柳冨次]]少将が21日附で第十戦隊司令官に任命された<ref name="jirei1040">{{アジア歴史資料センター|C13072089500|昭和18年1月25日(発令1月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1040号 p.14}}</ref>。後任の二水戦司令官には[[伊崎俊二]]少将が任命された<ref name="jirei1040"/>。小柳少将は1月23日に退隊してラバウルへ移動<ref name="叢書(83)518"/>。伊崎司令官は1月30日に着任し、「神通」に将旗を掲げた<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.7『(二)二十三日小柳司令官退隊長波将旗ヲ撤ス 三十日伊崎司令官着任神通ニ将旗ヲ掲グ/(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戰隊司令官ノ職務ヲ代理ス』</ref>。 |
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{{main|ケ号作戦}} |
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日本海軍はガダルカナル島撤退作戦のため、外南洋部隊の駆逐艦を強化(長月、文月、皐月、第10駆逐隊、雪風等)、また第三水雷戦隊(三水戦司令部、[[川内 (軽巡洋艦)|川内]]、[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]])を南東方面部隊に編入した<ref name="叢書(83)534">[[#叢書83ガ島戦]]534-536頁『外南洋部隊兵力部署』</ref>。1月25日、第三水雷戦隊司令官[[橋本信太郎]]少将は「白雪」に乗艦してラバウルからショートランド泊地に移動(川内はカビエン回航)、27日ショートランドに到着すると「巻波」に将旗を掲げた<ref name="叢書(83)534"/>。第31駆逐隊(長波、巻波、大波)は分散配置されていた<ref name="S1801二水戦(3)4">[[#S1801二水戦日誌(3)]]p.4『(ハ)第三十一驅逐隊 大波一月三十一日「トラック」發前進部隊警戒隊トシテ「ケ」號作戰ニ従事二月九日「トラック」皈着 十五日鳥海冲鷹ヲ護衛シ同地發二十日横須賀着修理ニ従事 二十八日萩風ト共ニ冲鷹ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ同地發/巻波 外南洋部隊増援部隊トシテ第一次「ガ」島撤収作戰ニ従事中爆弾命中損傷「ラバウル」ニテ修理ニ従事 九日前進部隊ニ復皈二十七日恵照丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ同地發/長波引續キ「トラック」ニ在リテ修理及訓練ニ従事/清波 二十五日附第三十一驅逐隊ニ編入二十七日海風ト共ニ盤谷丸西貢丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ横須賀發』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]p.7『三.第二水雷戰隊各(隊)行動要覧(斜線部航海中)』</ref>。 |
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1月29日の[[レンネル島沖海戦]]やガ島航空撃滅戦を経て、日本軍はガ島撤収作戦を発動。第一次撤収部隊(駆逐艦20隻)の兵力部署は、三水戦司令官指揮下のエスペランス隊(警戒隊〔三水戦旗艦《[[巻波 (駆逐艦)|巻波]]》、一番隊《第4駆逐隊司令[[有賀幸作]]大佐、[[舞風 (駆逐艦)|舞風]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]》、二番隊《[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]]、[[文月 (睦月型駆逐艦)|文月]]》〕、輸送隊〔第十戦隊司令官、第10駆逐隊《[[風雲 (駆逐艦)|風雲]]、[[巻雲 (夕雲型駆逐艦)|巻雲]]、[[夕雲 (駆逐艦)|夕雲]]、[[秋雲 (駆逐艦)|秋雲]]》、第17駆逐隊《[[谷風 (陽炎型駆逐艦)|谷風]]、[[浦風 (陽炎型駆逐艦)|浦風]]、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]》〕)、第16駆逐隊司令[[荘司喜一郎]]大佐指揮下<ref>[[#戦艦大和最後の艦長]]212-213頁</ref>のカミンボ隊(第16駆逐隊《[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]》、第8駆逐隊《[[大潮 (駆逐艦)|大潮]]、[[荒潮 (駆逐艦)|荒潮]]》、三番隊《[[皐月 (睦月型駆逐艦)|皐月]]、[[長月 (睦月型駆逐艦)|長月]]》)、[[カビエン]]([[ニューアイルランド島]])待機の支援隊(川内)となる<ref name="叢書(83)557">[[#叢書83ガ島戦]]557-558頁『第一次撤収(二月一日)』</ref>。31日、ショートランド泊地を出撃するが南東方面部隊の命令により一時中止<ref name="叢書(83)557"/>。 |
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2月1日午前9時30分、第一次撤収部隊は再度出撃、「巻波」は第三水雷戦隊司令官[[橋本信太郎]]少将の[[旗艦]]としてガダルカナル島に向かった<ref name="aa">木俣『日本水雷戦史』256ページ</ref>。同日夕刻、零戦18の援護下で米軍機(戦闘機16、艦爆12)と交戦中<ref name="叢書(83)558">[[#叢書83ガ島戦]]558-560頁『実施』</ref>、艦右舷に爆弾1発が命中して機関部損傷、航行不能となる<ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]pp.45-46『巻波駆艦長(宛略)一六一五地点ケハハ19ニ於テ敵機ノ攻撃ニ依リ一缶右舷ニ命中弾ヲ受ケ三兵員室一.二缶室満水二缶室機械舵(後部操舵)使用可能ナルモ各隔壁ニ強度ノ不安アルヲ以テ目下文月ニ曳航セラレ「ショートランド」ニ向ヒツツアリ通信装置全部及二番砲使用不能戰死傷者約四〇名ノ見込』</ref>。36名が戦死<ref name="半藤258"/>。戦傷者多数<ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]pp.46-47『巻波駆艦長(宛略)其ノ後調査ノ結果』</ref>。 |
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十戦隊司令官[[小柳冨次]]少将は「我今ヨリ指揮ヲ執ル」を打電、駆逐艦3隻(巻波、文月、白雪)を残して進撃した<ref name="叢書(83)558"/>。橋本少将は旗艦を「巻波」から「[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]]」に変更<ref name="aa"/><ref>[[#S1802第17駆日誌(1)]]p.9『一七〇〇|灯火戰斗管制 増援部隊指揮官巻波ヨリ白雪ニ移乗』</ref><ref>[[#S1802第17駆日誌(1)]]p.10『一七一二|巻雲夕雲警戒隊ニ編入サル』</ref>。「[[文月 (睦月型駆逐艦)|文月]]」に「巻波」曳航を命じた<ref name="叢書(83)558"/>。橋本司令官は夕雲型2隻(夕雲、巻雲)を輸送隊から警戒隊に編入したが<ref name="叢書(83)558"/>、「巻雲」は[[機雷]]により大破、自沈処分された<ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]pp.10-11『一(天候略)三.第一次ガ島撤収参加駆逐艦二〇隻(黒潮巻波江風参加)撤収人員五三八三 巻波爆弾命中損傷(文月曳航)巻雲触雷沈没(處分)』</ref><ref>[[#S1802第17駆日誌(1)]]p.11『二月二日〇〇〇五|巻雲後部ニ觸雷航行不能 夕雲警戒ニ残ル 後刻夕雲巻雲ヲ処分シ避退セリ』</ref>。その他に被害はなく、第一次撤収作戦は成功<ref name="叢書(83)558"/>。[[山本五十六]]連合艦隊司令長官は小柳少将に「巻波がやられ、『我今より指揮を執る』の電報に接したときは、この先どうなるかと心配した」と語ったという<ref name="叢書(83)558"/>。「文月」に曳航された「巻波」は2月2日10時30分、ショートランドに到着した<ref name="叢書(83)558"/>。応急修理工事を実施<ref name="S1801二水戦(3)4"/>。 |
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2月12日、「高波」沈没時に戦死した清水第31駆逐隊司令の後任として、[[香川清登]]大佐が補職された<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072089700|昭和18年2月15日(発令2月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1053号 p.27}}</ref>。香川司令は、31駆司令駆逐艦を「大波」に指定<ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]p.19『一二(天候略)一.一〇三〇涼風佐世保ニ向ケ「トラック」發(「サイパン」経由)/二.一二〇〇村雨(司令官4sd)「トラック」着/三.31dg司令驅逐艦ヲ大波ニ変更』</ref>。 |
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2月25日、夕雲型8番艦「[[清波 (駆逐艦)|清波]]」が第31駆逐隊に編入され、同駆逐隊は夕雲型定数4隻(第1小隊《大波、清波》、第2小隊《巻波、長波》)を揃えた<ref>[[#内令昭和18年2月(4)]]pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]p.6『軍隊區分』</ref>。 |
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2月27日、本艦は輸送船を護衛してラバウルを出発<ref name="S1801二水戦(3)4"/><ref>[[#S1801二水戦日誌(3)]]p.22『二七(天候略)一.一五〇〇巻波恵昭丸ヲ護衛シ「トラツク」ニ向ケ「ラバウル」發』</ref>。3月2日以降はトラックで応急修理を行った<ref>[[#S1801二水戦日誌(4)]]p.3『(ロ)巻波(二日以後)長波(七日迄)江風(自六日至二十日)ハ「トラック」ニ在リテ修理ニ從事』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(4)]]p.10『二(天候略)一.一二〇〇巻波「トラック」着修理ニ從事 二.一五〇〇江風「トラック」ニ向ケ「ラバウル」發』</ref>。「長波」は先に舞鶴に戻った<ref>[[#S1801二水戦日誌(4)]]p.7『四.行動要覧(斜線部航海中)』</ref>。 |
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3月29日、本艦の舞鶴修理が決定<ref>[[#S1801二水戦日誌(4)]]pp.36-37『2F参謀長|二十九日二三五五(宛略)巻波ハ四月下旬修理ノ爲舞鶴着ノ予定 一.二號罐ハ大破缶管全部竝一號罐右舷水「ドラム」及前(同)缶右舷後部蒸氣過熱器「ドラム」破損使用不可能ナルモ其ノ他ノ各「ドラム」等良態故障修理内補機ハ全部使用可能/二.右ノ状況ナルニ付整備ニ関シ豫メ準備方手配相成度』</ref>。 |
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4月15日、「巻波」は給糧艦「[[間宮 (給糧艦)|間宮]]」と輸送船「総洋丸」を護衛してトラック泊地を出発<ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]pp.3-4『(ハ)第三十一驅逐隊 大波(司令31dg)清波ハ上旬「トラツク」ニアリテ警戒待機訓練並ニ整備ニ従事九日内南洋部隊ニ編入主トシテ「トラツク」「ラバウル」間輸送船護衛ニ従事/長波修理完成二十五日横須賀發三十日「トラツク」着/巻波十五日「トラツク」發二十四日舞鶴着修理ニ従事』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]p.6『四月一五日 同二二日|巻波|間宮 總洋丸|「トラツク」→内海西部』</ref>。2隻(間宮、総洋丸)<ref>[[#S1804佐伯防備隊(2)]]p.26『四月二十一日一五五二呉防戰司令官(宛略)一.間宮總洋丸(護衛艦巻波)二十三日一二〇〇北緯三〇度三七分東経一三二度三二分針路三二五度二十四日〇四〇〇深島北上ノ予定』</ref>と分離後、本艦は4月24日舞鶴に到着した<ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]p.8『四.行動要覧(斜線部航海中)』</ref><ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]p.17『二四(天候略)四.〇七三〇巻波舞鶴着』</ref>。同日から9月14日まで、本艦は舞鶴海軍工廠で本格的な復旧工事を実施した(後述)。 |
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=== 舞鶴での修理 === |
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[[1943年]](昭和18年)4月24日、本艦は舞鶴に到着<ref>[[#S1804舞鎮日誌]]p.68『二四(天候略)巻波損傷復舊工事ノ爲入港』</ref>。損傷各艦([[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]、[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]、[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]]、[[太刀風 (駆逐艦)|太刀風]]《5月15日到着》、[[阿武隈 (軽巡洋艦)|阿武隈]]《4月17日着、5月17日完成》、[[多摩 (軽巡洋艦)|多摩]]《5月4日着、20日発》、[[名取 (軽巡洋艦)|名取]]《6月1日着》)等と共に修理に従事する<ref>[[#1804舞鎮日誌]]p.6『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春 何レモ豫定通工事進捗中/巻波 二十四日入港復舊工事ニ着手』</ref><ref>[[#1805舞鎮日誌(1)]]pp.5-6『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春巻波 何レモ豫定通工事進捗中/太刀風 十五日入港損傷復舊工事ニ着手』-『(b)修理工事』</ref><ref name="S1806舞鎮5損傷"/>。機関部の損傷は深刻で、人見(巻波艦長)は舞鶴海軍工廠で修理中の「不知火」用機関を流用するよう提案している<ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]p.46『巻波駆逐艦長|二七日一九二〇(天候略)一号、二号罐共新製ヲ要スル處不知火罐ヲ流用九月二日積込一二月二五日全工事完成ノ見込』</ref>。各方面は対応に苦慮することになった<ref>[[#S1801二水戦日誌(5)]]pp.46-47『GF参謀長|二九日二〇二三(宛略)巻波機密第二七一五一三番電関聯巻波罐修理ハ左ノ二案ノ何レカニ依リ一應速ニ完成方取計ハレ度本修理差支ナキ限リ罐新製後実施 一.一,二号罐共ニ相当期間ノ作戰国府津ニ耐ユルヲ目途トスル修理ニ止ム/二.一,二号罐ノ中一罐ヲ修理スルニ止ム(使用可能罐二ナルニ付特殊任務ニ充當)』</ref>。 |
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4月・5月・6月当時の舞鶴工廠は、島風型「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」が竣工(5月10日)<ref name="S1805舞鎮5"/><ref>[[#1805舞鎮日誌(2)]]p.15『一〇(天候略)島風舞廠ニ於テ竣功引渡』</ref>、[[夕雲型駆逐艦]]複数隻([[早波 (駆逐艦)|早波]]《7月30日竣工》<ref>[[#S1807舞鎮日誌(1)]]p.7『(1)新造艦船工事』</ref>、[[浜波 (駆逐艦)|浜波]]《4月18日進水》、[[沖波 (駆逐艦)|沖波]]《7月18日進水》<ref>[[#S1807舞鎮日誌(2)]]p.13『十八(天候略)工廠工事 沖波進水』</ref>、[[早霜 (駆逐艦)|早霜《第345号艦》]]、[[冬月 (駆逐艦)|冬月《第361号艦、5月8日起工》]])の建造が進んでいた<ref>[[#S1804舞鎮日誌]]p.5『(1)新造艦船工事 島風=運轉公試ノ結果巡航機械ノ性能不充分ニ付整備ヲ要スルコトトナリ完成期五月十日ニ延期/早波=艤装工事豫定通進捗中/濱波=艤装工事完了十八日進水艤装工事中/第三四二號・第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事中ニシテ豫定通工事進捗中(以下略)』</ref><ref name="S1805舞鎮5">[[#S1805舞鎮日誌]]p.5『(二)造修(1)新造艦船工事 島風=工事竝ニ諸公試終了十日完成引渡/早波・濱波=艤装工事豫定通進捗中/沖波 船臺ニ在リテ罐及主機械積込中/第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中(以下略)』</ref><ref name="S1806舞鎮5">[[#1806舞鎮日誌]]p.5『(1)新造艦船工事 早波・濱波=艤装工事豫定通進捗中/沖波=船臺ニ在リテ罐及主機械積込中/第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中/第三六一號艦=五月八日起工目下船臺ニ在リテ船殻工事中』</ref>。 |
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5月20日、満潮型「霞」(第四予備駆逐艦)の修理がおおむね完了(燃料加熱装置搭載と試験のため6月30日完成、7月18日出撃)<ref name="S1806舞鎮5損傷">[[#1806舞鎮日誌]]p.5『(a)損傷復舊工事 霞=損傷復舊工事ニ併セ重油タンク加熱装置施行三十日完成/不知火初春=船渠内ニ於テ損失部結合工事中/巻波太刀風=概ネ豫定通工事進捗中/名取=6月1日入港工事中ナルモ資材入手ノ關係上明年五月末完成ノ見込』</ref><ref>[[#S1807舞鎮日誌(1)]]p.8『(a)損傷復舊工事』</ref>、同日附で巻波駆逐艦長[[人見豊治]]中佐は、巻波艦長(本職)に加えて不知火・初春艦長の兼務を命じられ、[[山名寛雄]]少佐(霞駆逐艦長)は(霞、不知火、初春)艦長兼務を解かれた<ref name="jirei1021">{{アジア歴史資料センター|C13072091000|昭和18年5月21日(発令5月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1021号 p.46}}</ref>。 |
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機関部修理と並行して[[電波探信儀]]([[レーダー]])搭載の工事を実施<ref>[[#S1807舞鎮日誌(2)]]p.12『十五(天候略)工廠工事 巻波假稱電波探信儀装備工事ニ着手』</ref>。本艦修理中の7月12日、[[コロンバンガラ島沖海戦]]に参加した川内型軽巡2番艦「[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]」(第二水雷戦隊旗艦)が沈没<ref>[[#ニミッツの太平洋海戦史]]171頁</ref>。第二水雷戦隊司令官[[伊崎俊二]]少将以下、二水戦司令部が全滅した。日本海軍は7月20日附で第四水雷戦隊を解隊し、第四水雷戦隊司令官[[高間完]]少将を第二水雷戦隊司令官に任命<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072092200|昭和18年7月20日(発令7月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1174号 p.6}}</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(1)]]pp.6-7『7月20日旧4sd(19日附解隊)兵力(長良、27dg、五月雨)ヲ2sdニ編入旗艦ヲ長良ニ指定セラレ、又4sd司令官高間少将以下職員全部2sd職員ニ転捕セラレ同日将旗ヲ長良ニ掲揚ス、舊4sd司令部附ハ其ノ儘長良ニ乗艦引続キ2sd司令部ノ事務ヲ執ラシム。』</ref>。同隊司令部および戦力(軽巡[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]、駆逐艦[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]、[[夕暮 (初春型駆逐艦)|夕暮]]、[[有明 (初春型駆逐艦)|有明]]、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]等)を第二水雷戦隊残存兵力(第31駆逐隊《清波、大波、長波、巻波》、第24駆逐隊《[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]、[[海風 (白露型駆逐艦)|海風]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]》、白露型《[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]》、島風型《[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]》)と統合することにした<ref>[[#S1806二水戦日誌(1)]]p.25『(一)4sd兵力ノ2sd編入竝ニ旗艦ノ変更』</ref>。 |
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統合直後の7月20日、夜戦部隊に所属して[[ニュージョージア島の戦い]]に従事していた駆逐艦2隻([[清波 (駆逐艦)|清波]]《第31駆逐隊》、[[夕暮 (初春型駆逐艦)|夕暮]]《第27駆逐隊》)は夜間空襲を受けて沈没<ref>[[#ニミッツの太平洋海戦史]]172頁</ref>。第31駆逐隊は3隻(長波、巻波、大波)となった<ref>[[#内令昭和18年10月(4)]]p.8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一駆逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』</ref>。 |
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8月になると、[[長良型軽巡洋艦]]2隻([[長良 (軽巡洋艦)|長良]]、[[名取 (軽巡洋艦)|名取]])や「長波」([[キスカ島撤退作戦]]を終え8月7日到着)「大波」(8月12日到着)等も、舞鶴海軍工廠で本艦と共に修理に従事する<ref>[[#S1808舞鎮日誌]]pp.9-10『(b)修理艦船 名取不知火初春巻波太刀風長波(七日入港)長良(十六日入港)ノ損傷復舊工事ノ促進指導及大波(十二日入港)、鴻(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號第三十六、三十七號潜水艦ノ出仕作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ太刀風ハ豫定通工事完成三十一日出撃セリ』</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(2)]]pp.4-5『(二)第三十一驅逐隊 大波=AdB(十五日以降YB)ニ編入八月四日「トラツク」發ノ大鷹ヲ護衛九日横須賀着十日同發十二日舞鶴着爾後同地ニ於テ九月上旬完了豫定ニテ修理ニ從事中/長波=北方部隊ニ編入同方面作戰(「ケ」號作戰ニ従事)中ノ處八月三日HPBヨリ除カレAdB(十五日以降YB)ニ復歸舞鶴ニ回航七日ヨリ同地ニテ九月上旬完成豫定ニテ修理ニ從事中/巻波=AdB(十五日以降YB)ニ在リ前月ニ引續キ舞鶴ニテ修理中(十月中旬完成ノ豫定)』</ref>。 |
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9月10日、人見(巻波艦長)は巻波・初春艦長兼務を解かれた<ref name="jirei1211">{{アジア歴史資料センター|C13072092900|昭和18年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1211号 pp.15-16}}</ref>。後任の初春艦長は15日附で海軍水雷学校教官[[飛田清]]少佐<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072093000|昭和18年9月15日(発令9月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1216号 p.37}}</ref><ref>[[#S1809舞鎮日誌(2)]]p.8『十五(天候略)一一〇〇巻波工事完了出撃(略)工廠工事 巻波通風装置改修、船体損傷復舊、水中聴音機装備各工事完成』</ref>。 |
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「巻波」の修理は[[9月15日]]完了<ref name="S1809舞鎮(1)9">[[#S1809舞鎮日誌(1)]]pp.9-10『(b)修理艦船 名取長良不知火初春ノ損傷復舊工事ヲ初メ巻波長波秋風(九日入港)掃二十四(二十三日入港)大波鴻掃二十二(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ 呂三六 呂三七潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ長波、呂三六潜五日、大波七日、巻波十五日、鴻十七日、呂三七潜二十二日工事完成出撃セリ』</ref>。第31駆逐隊の夕雲型3隻(長波、巻波、大波)は順次[[舞鶴]]を離れた<ref name="S1809舞鎮(1)9"/><ref name="S1806二水戦(3)13"/>。 |
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=== 戦線復帰 === |
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[[1943年]](昭和18年)9月15日の修理完成後、「巻波」は舞鶴から[[上海市|上海]]に回航(途中、清澄丸を護衛、19日着)<ref>[[#S1806二水戦日誌(3)]]p.7『(2)第三十一驅逐隊(略)巻波=舞鶴ニ在リテ修理整備中ノ所十五日完成同日附YBヨリ除カレGF電令作第三九九號ニ依リ丁二號輸送部隊ニ編入(GF附属)舞鶴發途中清澄丸ヲ合同護衛十九日呉淞着二十四日同部隊護衛「トラツク」ニ向ケ上海發』</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(3)]]p.93『一九(天候略)巻波一四〇〇呉淞着(略)巻波清澄丸ヲ護衛呉淞着(以下略)』</ref>。[[第17師団 (日本軍)|第十七師団]]輸送の第一次丁二号輸送に参加する<ref>[[#S1806二水戦日誌(3)]]p.5『(2)中旬(略)護衛 大波(丁一號輸送部隊)巻波(丁二號輸送部隊)長波島風(摩耶其ノ他)白露(間宮船團)五月雨(興津丸船團)』</ref>。丁二号輸送船団は9月24日に上海を出発<ref name="S1806二水戦(3)13">[[#S1806二水戦日誌(3)]]p.13『(四)麾下艦船部隊ノ行動』</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(3)]]p.94『二四(天候略)巻波丁二號輸送部隊護衛「トラツク」ニ向ケ上海發』</ref>。 |
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10月2日にトラック着<ref name="S1806二水戦(4)7">[[#S1806二水戦日誌(4)]]pp.6-7『(2)第三十一驅逐隊(大波、長波略)巻波=丁二號輸送部隊トシテ二日「トラツク」着即日發五日「ラバウル」着任務終了六日同發九日「トラツク」着十二、十三大波ト共ニ敵潜掃蕩攻撃十七日以降「ブラウン」大鳥島方面行動大波ニ同ジ爾後「トラツク」ニテ待機』</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.74『二(天候略)巻波〇八〇〇「トラック」着一六〇〇「トラック」発|五月雨敵巡洋艦戰隊ヲ発見セルモ交戰セズ任務終了帰途ニ就ク/巻波丁二号輸送部隊ヲ護衛「トラック」着補給終了後「ラバウル」ニ向ケ「トラツク」発』</ref>。10月5日[[ラバウル]]に進出し、輸送任務を終えた<ref name="S1806二水戦(4)7"/><ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.75『五(天候略)玉波〇八〇〇呉着/巻波〇七三〇「ラバウル」着(略)巻波丁二号輸送部隊護衛「ラバウル」着』</ref>。 |
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10月9日にトラックに帰投後して任務を終了<ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.77『九(天候略)巻波〇七二〇「トラツク」着/島風白露一五三五「トラツク」着/五月雨〇九二九「ラバウル」着|2sd準戰技打合会/巻波丁二号輸送部隊ヲ護衛「トラツク」着/島風冲鷹ヲ護衛「トラツク」着/巻波丁二号輸送作戰終了「トラツク」着』</ref>。翌日、第二水雷戦隊([[能代 (軽巡洋艦)|能代]]《二水戦旗艦》、第31駆逐隊《大波、長波、巻波》、第24駆逐隊《[[海風 (白露型駆逐艦)|海風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]》、《[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]》)は戦技訓練を行う<ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.77『一〇(天候略)2sd(能代)24dg((海風涼風)白露31dg(大波巻波長波)島風 準戰技ノタメ礁外ニ出動|準戰技ノ爲礁外出動諸訓練』</ref>。翌日、二水戦の駆逐艦2隻(長波、涼風)は第五戦隊([[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]])を護衛してトラックを出発、ラバウルに向かった<ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.78『一一(天候略)長波涼風一四〇〇「トラック」発|長波涼風5S直衛トシテ「ラボウル」ニ向ケ「トラック」発』</ref><ref>[[#S1712五戦隊日誌(3)]]p.13『十一(天候略)1400 5S長波涼風ヲ率ヰ「トラツク」出撃』</ref>。 |
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トラック泊地に残った巻波・島風以下二水戦各艦は、[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]](司令長官[[小沢治三郎]][[中将]])と行動をともにして[[エニウェトク環礁]]に進出<ref name="S1806二水戦(4)7"/><ref>[[#S1806二水戦日誌(4)]]p.12『(四)麾下艦船部隊ノ行動』</ref>。 |
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11月1日、連合軍は[[ラバウル]]に対する攻勢を強化するため、[[ブーゲンビル島]]に飛行場を建設するため上陸作戦を敢行した([[ブーゲンビル島の戦い]])<ref>[[#ニミッツの太平洋海戦史]]176-177頁『ブーゲンヴィル作戦』</ref>。この脅威に対処するため、連合艦隊はトラック泊地に待機している第二艦隊や第三艦隊(機動部隊)の艦艇をラバウル方面に派遣することになった<ref>[[#第八戦隊日誌(7)]]p.39『(ロ)我ガ軍ノ情況(部隊ノ移動並軍隊區分ノ變更) (一)十月下旬ヨリ十一月中旬迄3F(1sf)航空兵力ノ大部ヲ南東方面ニ派遣南東方面ノ作戰ニ協力セシメラル』</ref><ref>[[#第八戦隊日誌(7)]]p.40『(一)十一月一日敵ハ「ボーゲンビル」島「タロキナ」方面ニ上陸作戰ヲ開始シ「ブカ」方面ニ之ガ波及ノ徴アリ、遊撃部隊〔4S 2sd(能代32dg島風)7S(鈴谷最上)8S(筑摩)〕ハ聯合艦隊電令作第七八四號ニ基キ直ニ出撃ノ準備ヲ完了ス』</ref>。 |
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11月3日、輸送任務のためトラック泊地を出撃、5日[[カビエン]]着後はラバウルに回航された<ref name="S1806二水戦12巻波">[[#S1806二水戦日誌(5)]]pp.11-12『(4)31驅(略)巻波=日榮丸護衛二日「トラツク」着三日夕刻基地物件搭載出撃五日「カビエン」着基地物件揚搭後即日「ラバウル」着 爾後左ノ外31驅(大波)ト同ジ 十九日夕張艦長ノ麾下ニ入リ機密NTB命令作第四號ニ依ル作戰輸送ニ從事』</ref><ref>[[#S1807三水戦日誌(5)]]p.17『(四)麾下艦船部隊ノ行動』</ref>。 |
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到着後は第十戦隊(司令官[[大杉守一]]少将)の指揮下に入って、[[ブーゲンビル島]][[タロキナ岬|タロキナ]]輸送に輸送隊として参加した<ref>木俣『日本水雷戦史』389ページ</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]pp.11-12『(4)31驅(大波) 一日「カビエン」着揚搭後即日發二日「ラバウル」着敵機(ノースアメリカン七〇 ロッキード二〇)ト交戦撃墜三機 五日敵機數十機ト交戦撃墜一機何レモ被害ナシ六日「ラバウル」發B號作戦挺身輸送部隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」輸送作戦ニ従事七日歸着任務完了 爾後「ラバウル」ニ在リテ待機警戒對空戦闘ニ従事 二十一日第一次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了二十二日歸着 二十四日第二次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了歸途「ブカ」島ノ二八〇度四十浬附近ニ於テ敵CS dg各一隊及魚雷艇數隻ト交戦大波、巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没』</ref>。 |
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7日にラバウルへ帰投、ブカ島輸送を終えた駆逐艦「[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]」も同港に到着した<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]pp.4-5『六日2sd(能代32驅(早波)31驅)B號作戦部隊ニ編入、2sd(能代32驅)ハ第二次支援隊トシテ31驅ハ挺身輸送隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」ニ陸兵輸送七日「ラバウル」ニ歸投セリ27驅(時雨)ハ別動「ブカ」輸送作戦ニ従事七日歸着 爾後「ラバウル」ニ在リ待機警戒毎日籔回来襲ノ敵機ト交戦大ナル被害ナシ』</ref>。 |
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{{main|ラバウル空襲}} |
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11月11日、ラバウルは大規模空襲を受け、第二水雷戦隊は夕雲型駆逐艦10番艦「[[涼波 (駆逐艦)|涼波]]」(第32駆逐隊)が沈没<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.11『涼波=三日「トラック」出撃迄31驅(早波、玉波、藤波)ニ同ジ 四日日章丸護衛ノ爲分離16驅司令ノ指揮ヲ受ケ同船警戒救難五日「ラバウル」着同日夕刻4S護衛「ラバウル」發七日「トラック」着即日「トラック」發九日「ラバウル」着、十一日敵機来襲ノ際「ラバウル」灣口附近ニ於テ交戦一機ヲ撃墜セルモ被雷撃及魚雷ノ誘爆ニ依リ〇七〇七沈没』</ref><ref name="S1806二水戦日誌(6)53"/>。姉妹艦「長波」が大破・航行不能という損害を出した<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]pp.12-13『長波=一日一航戦基地物件輸送「ラバウル」着同日NTB OSYBニ編入午後出港「ブーゲンビル」島沖海戦ニ参加 二日歸投敵機ト交戦撃墜五機人員兵器異常ナシ 同五日同ジク「ラバウル」ニ在リテ敵機ト交戦撃墜二機 六日以後十日迄大波ニ同ジ 十一日「ラバウル」ニ在リテ敵機約百三十機ト交戦〇七〇七至近弾次デ〇七一五頃後部ニ被弾機械舵故障使用不能トナリ巻波曳航ノ上入港 爾後「ラバウル」ニ在リテ修理竝ニ警戒ニ従事中(二十七日被曳航準備完成)』</ref><ref name="S1806二水戦日誌(6)53">[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.53『五.戦果及被害 (一)戦果 飛行機撃墜二機 涼波1早波1 (二)被害 沈没 駆逐艦一隻(涼波) 撃破 駆逐艦一隻(長波) 其ノ他 被害ナシ|六我兵力ノ現状 (一)全力發揮可能ノモノ (司令官)能代(司令)早波藤波(司令)大波巻波 (二)其ノ他 長波航行不能對空射撃(機銃可能)』</ref>。 |
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曳航用ワイヤーが「大波」の[[スクリュー]]に絡まったため、「長波」の曳航は「巻波」が担当する<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]pp.44-45『0930|(司令)31dg→(司令官)31dg機密第110845番電 大波異状ナシ長波爆撃ノ爲推進器脱落航行不能大波ハ之ヲ曳航作業中位置中位岬ノ東一浬』-『1130|(司令)31dg→(長官)NTF(司令官)2sd 大波曳航作業中右舷推進器ニ「ワイヤー」搦ミタルニツキ巻波ヲシテ長波ヲ曳航セシメ大波ハ湾内ニテ故障復舊ニ力メシム 「スコール」晴レ視界良好各艦逐次港内錨地ニ至リ漂白對空警戒ヲ厳ニス』</ref>。 |
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他の第二水雷戦隊各艦に被害はなかったが<ref name="S1806二水戦日誌(6)53"/>、[[阿賀野型軽巡洋艦]]1番艦「[[阿賀野 (軽巡洋艦)|阿賀野]]」(第十戦隊旗艦)が艦尾に被雷して中破した<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.49『十一日0725(司令官)10S|十一日0725|我艦尾ニ魚雷命中舵機故障|無線』</ref>。 |
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同日夕刻、第二水雷戦隊・第十戦隊各艦(軽巡《[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]》、駆逐艦《早波、藤波、五月雨、[[風雲 (駆逐艦)|風雲]]、[[若月 (駆逐艦)|若月]]》)は大型艦2隻([[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]、[[長鯨 (潜水母艦)|長鯨]])を護衛してラバウルを出発、トラックへ向かった<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.50『11日将旗2sd/艦N1702/直衛配備ヲ左ノ通定ム 能代ノ左右70度摩耶ノ左右90度長鯨ノ180度距離2粁前方ヨリ右側若月風雲、左側早波藤波、後方五月雨』</ref>。この後、能代隊(能代、藤波、早波)は米潜水艦[[スキャンプ (潜水艦)|スキャンプ]]から雷撃されて航行不能となった「阿賀野」の救援に向かった<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.32『一一(天候略)1708NTB電令作第135号ニ依リ阿賀野救難ノタメ2sd(能代)32dg(早波藤波)遭難現場ニ急行ス 摩耶長鯨五月雨若月風雲「トラック」ニ先行セシム』</ref>。二水戦・第27駆逐隊(時雨、白露)も既にトラック泊地へ帰投しており、ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊(大波、巻波、長波《航行不能状態》)となった<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.6『31驅(大波、巻波、長波)「ラバウル」ニ在リテ待機中十九日巻波ハ作戦輸送ニ従事セリ』</ref>。他の第二水雷戦隊各艦(能代、[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]、第24駆逐隊《[[海風 (駆逐艦)|海風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]、[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]》、第32駆逐隊《[[早波 (駆逐艦)|早波]]、[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]、[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]》、第27駆逐隊《[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]、[[春雨 (白露型駆逐艦)|春雨]]》)は、各方面に分散して行動していた<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.17『麾下艦船部隊ノ行動』</ref>。 |
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11月15日より、第31駆逐隊(大波、巻波、長波)は第三水雷戦隊(司令官[[伊集院松治]]少将、旗艦「夕張」)の指揮下に入る<ref name="S1807三水戦(5)9"> [[#S1807三水戦日誌(5)]]p.9『(8)十一月十五日|旗艦 3sd司令官|夕張』</ref>。当時の第三水雷戦隊は、第31駆逐隊(大波、巻波、長波)の他に駆逐艦(天霧、夕霧、[[文月 (睦月型駆逐艦)|文月]]、[[水無月 (睦月型駆逐艦)|水無月]]、[[皐月 (睦月型駆逐艦)|皐月]]、[[卯月 (睦月型駆逐艦)|卯月]]、[[夕月 (駆逐艦)|夕月]]、[[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|夕凪]]、[[秋風 (駆逐艦)|秋風]])等が所属していたが、護衛任務や修理のためラバウル不在の艦もあった<ref name="S1807三水戦(5)20"/><ref>[[#S1807三水戦日誌(5)]]pp.15-24『(二)麾下竝ニ一時指揮下ニ入レル艦船ノ行動(一)麾下艦船』</ref>。 |
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11月19日、夕張艦長(舟木守衛大佐)の指揮下<ref name="S1806二水戦12巻波"/>、2隻([[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]、巻波)はガロベ([[ニューブリテン島]])輸送作戦を実施<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.35『一九(天候略)巻波一一一〇「ラバウル」発(略)巻波夕張艦長指揮ノ下ニ作戰輸送從事』</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.35『二〇(天候略)巻波〇四一五「ラバウル」着』</ref><ref name="S1807三水戦(5)20"/>。 |
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=== セント・ジョージ岬沖海戦 === |
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日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西の[[ブカ島]]とにらみ<ref name="d">木俣, 401ページ</ref>、戦力強化のため[[第17師団 (日本軍)|第十七師団]]の一部をラバウルより輸送することとなった<ref name="d"/>。 |
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[[1943年]](昭和18年)[[11月21日]]、第31駆逐隊(大波、巻波)はラバウルを出撃<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.35『二一(天候略)31dg(大波巻波)一三二六「ラバウル」発|丙作戰第三法発動/31dg(大波巻波)第一次「ブカ」輸送作戰ノ爲「ブカ」ニ向ケ「ラバウル」発』</ref>。22日到着<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.35『二二(天候略)31dg(大波巻波)〇五二五「ブカ」着|31dg(大波巻波)「ブカ」着輸送人員物件揚搭後発「ラバウル」ニ向ケ「ブカ」発』</ref>。第一次輸送は、妨害を受けることなく成功した<ref name="S1806二水戦日誌(6)7"> [[#S1806二水戦日誌(5)]]p.7『(3)下旬 31驅(大波、巻波)二十一日二十二日第一次「ブカ」作戦輸送ニ従事同二十四日二十三日第二次「ブカ」作戦輸送ニ従事揚陸後歸途二十五日0000頃「ヘンバニ」岬南西海面ニ於テ敵巡洋艦戦隊、水雷戦隊、魚雷艇群ト交戦砲雷撃ヲ受ケ沈没セリ』</ref><ref name="S1806二水戦11大波">[[#S1806二水戦日誌(6)]]pp.11-12『(4)31驅(大波) 一日「カビエン」着揚搭後即日發二日「ラバウル」着敵機(ノースアメリカン七〇 ロッキード二〇)ト交戰撃墜三機 五日敵機數十機ト交戰撃墜一機何レモ被害ナシ 六日「ラバウル」發B號作戰挺身輸送部隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」輸送作戰ニ従事 七日歸着任務完了爾後「ラバウル」ニ在リテ待機警戒對空戦闘ニ従事/二十一日第一次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了二十二日歸着/二十四日第二次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了歸途「ブカ」島ノ二八〇度四十浬附近ニ於テ敵CS dg各一隊及魚雷艇數隻ト交戦大波、巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没』</ref>。 |
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{{main|セント・ジョージ岬沖海戦}} |
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[[11月24日]]、第三水雷戦隊司令官[[伊集院松治]]少将の指揮下、第31駆逐隊司令[[香川清登]]大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、輸送隊(指揮官[[山代勝守]]大佐:[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]、[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]]、[[卯月 (睦月型駆逐艦)|卯月]])、警戒隊(指揮官第31駆逐隊司令香川大佐:[[大波 (駆逐艦)|大波]]《司令駆逐艦》、[[巻波 (駆逐艦)|巻波]])という編制で[[ブカ島]]への輸送作戦を実施する<ref name="S1807三水戦(5)20">[[#S1807三水戦日誌(5)]]pp.20-25『(二)一時指揮下ニ入レル艦船』</ref><ref name="半藤245">[[#半藤(朝日ソノラマ)]]245-246頁</ref>。警戒隊・輸送部隊は第二次輸送のためラバウルを出撃<ref name="S1806二水戦日誌(6)7"/><ref name="S1806二水戦11大波"/>。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた<ref>木俣, 402ページ</ref><ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.19『24日2230(司令)31dg(宛略)31dg機密第242230番電 2200揚搭完了帰途ニ就ク』</ref>。 |
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ラバウルに向けて航行中の[[11月25日]]、[[ニューアイルランド島]][[セント・ジョージ岬]]東方海上で[[アーレイ・バーク]][[大佐]]率いる{{仮リンク|第23駆逐部隊|en|Destroyer Squadron 23}}([[フレッチャー級駆逐艦]]5隻)に[[レーダー]]で捕捉され、第31駆逐隊は先制魚雷攻撃を受けた('''セント・ジョージ岬沖海戦''')<ref>[[#ニミッツの太平洋海戦史]]187-188頁</ref>。駆逐艦オズボーン士官は「駆逐艦士官の夢が実現したような理想的な奇襲作戦だった」と記録している<ref name="半藤245"/>。日本側は巡洋艦戦隊・駆逐艦戦隊・魚雷艇に襲撃されたと判断している<ref>[[#S1806二水戦日誌(6)]]p.36『二五(天候略)0000「ヘンパン」岬ノ二五〇度四五浬ニ於テ31dg(大波巻波)敵巡洋艦戰隊駆逐隊各一隊及魚雷艇数隻ト交戰大波巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没ス』</ref>。 |
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「大波」は轟沈<ref>[[#S1806二水戦日誌(5)]]p.19『25日0015(司令)11dg(宛略)11dg機密第250015番電 「ヘンパン」岬ノ250度45浬ニ於テ警戒隊敵大巡ト遭遇其ノ魚雷ニ依リ大波沈没我北方ニ避退中』</ref>。 |
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「巻波」は魚雷の命中により左側に傾斜した。やがて接近してきたアメリカ軍の駆逐艦[[:en:USS Converse (DD-509)|コンヴァース]] (''USS Converse, DD-509'') および[[:en:USS Spence (DD-512)|スペンス]] (''USS Spence, DD-512'') からの砲雷撃を受けた。「巻波」が何とか発射した反撃の魚雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった<ref name="e">木俣『日本水雷戦史』405ページ</ref>。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された「巻波」は未明1時ごろに沈没していった<ref name="e"/>。駆逐艦長[[人見豊治]]中佐以下221名が戦死<ref name="半藤245"/>。巻波の生存者29名は[[カッター (船)|カッター]]に乗り移り、ラバウルに帰還する事ができた。他に「夕霧」も沈没<ref>[[#S1807三水戦日誌(5)]]p.41『(二)大波巻波夕霧}十一月二十五日沈没』</ref>。また「大波」沈没と共に[[香川清登]]大佐(第31駆逐隊指令)と大波駆逐艦長[[吉川潔]]中佐も戦死した(2人とも少将に進級)<ref name="jirei1304">{{アジア歴史資料センター|C13072095400|昭和19年1月25日(発令昭和18年11月24日付)海軍辞令公報(部内限)第1304号 p.38}}</ref><ref>{{アジア歴史資料センター|C13072098000|昭和19年5月1日(発令昭和18年11月24日付)海軍辞令公報(部内限)第1457号 p.31}}</ref>。本海戦(吉川の戦死と駆逐艦3隻《大波、巻波、夕霧》沈没)は、太平洋戦争における日米の技術格差と敗因を象徴する戦いとなった<ref>[[#太平洋戦争の提督たち]]162頁</ref>。 |
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12月3日、ラバウルに取り残されていた姉妹艦「長波」は駆逐艦「[[水無月 (睦月型駆逐艦)|水無月]]」に曳航され、軽巡「[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]」と駆逐艦「[[文月 (睦月型駆逐艦)|文月]]」の護衛下でトラック泊地へ向かった<ref>[[#S1812二水戦日誌(1)]]p.15『(4)31dg(長波)「ラバウル」ニ在リテ待機修理中ノ所 三日水無月曳航夕張22dg(文月)護衛ノ下ニ「ラバウル」發八日「トラック」着原隊ニ復皈(NTB、SYBヨリ除カル) 爾後「トラック」ニ在リテ修理内地回航準備ヲナス 下旬内地回航下令セラレタルモ延期セラル』</ref>。 |
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[[1944年]](昭和19年)1月25日、「長波」は軽巡洋艦「[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]」に曳航され、駆逐艦2隻([[卯月 (睦月型駆逐艦)|卯月]]、[[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|夕凪]])に警戒されて呉に到着<ref>[[#S1812二水戦日誌(3)]]p.14『(5)31dg(長波)「トラック」ニ在リテ待機中九日附YB整備部隊ニ編入セラル 十五日長良曳航「トラック」発二十五日呉着被害箇所修理工事ニ着手』</ref><ref>[[#S1812三水戦日誌(5)]]p.12『自一月十五日至一月二十四日30dg(卯月)夕凪自「トラック」至内地(内海)間長波回航隊(警戒隊)』</ref><ref>[[#S1812三水戦日誌(6)]]p.21『長波一月二十四日一四三二(宛略)發長波回航部隊指揮官 回航部隊一〇三〇豊後水道通過警戒隊(卯月夕凪)一四三〇平群島着』</ref>。 |
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長波修理中の2月10日<ref>[[#S1812二水戦日誌(4)]]p.13『長波 呉ニ在リテ修理整備ニ従事中』</ref>、夕雲型駆逐艦2隻(巻波、大波)は帝国駆逐艦籍<ref>[[#内令昭和19年2月(2)]]p.18『内令第三百十五號 舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 巻波 驅逐艦 大波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』</ref>、 |
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夕雲型駆逐艦<ref>[[#内令昭和19年2月(2)]]p.19『内令第三百十八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、巻波、大波」ヲ削ル』</ref>のそれぞれから除籍された。また長波1隻のみとなっていた第31駆逐隊には、[[夕雲型駆逐艦]]3隻([[沖波 (駆逐艦)|沖波]]、[[岸波 (駆逐艦)|岸波]]、[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]])が編入され、同隊は定数4隻(長波、岸波、沖波、朝霜)を回復した<ref>[[#内令昭和19年2月(2)]]p.18『内令第三百十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、巻波、大波」ヲ「長波、岸波、沖波、朝霜」ニ改ム』</ref><ref>[[#S1812二水戦日誌(4)]]p.4『十日附三十一駆(長波)ニ(岸波、沖波、朝霜)編入 大波長波駆逐艦籍ヨリ除カル』</ref>。 |
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== 歴代艦長 == |
== 歴代艦長 == |
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;艤装員長 |
;艤装員長 |
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# [[人見豊治]] 中佐:1942年6月30日<ref |
# [[人見豊治]] 中佐:1942年6月30日<ref name="jirei891"/> - 1942年8月18日<ref name="jirei925"/> |
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;駆逐艦長 |
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# 人見豊治 中佐:1942年8月18日<ref name="jirei925" /> - 1943年11月24日 戦死認定、同日付任海軍大佐<ref |
# 人見豊治 中佐:1942年8月18日<ref name="jirei925" /> - 1943年11月24日 戦死認定、同日付任海軍大佐<ref name="jirei1304"/> |
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==脚注== |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年九月一日至昭和十七年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年9月1日~昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) [[アジア歴史資料センター]] レファレンスコード:C08030097300 |
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* {{Cite book|和書|author=[[池田清]]|chapter=|title=重巡 摩耶 {{small|元乗組員が綴る栄光の軌跡}}|publisher=学研M文庫|year=2002|month=1|origyear=1986|ISBN=4-05-901110-x|ref=摩耶(学研M)}} |
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* 第三戦隊司令部『 昭和十七年十月一日 支援部隊前進部隊第三戦隊戦闘詳報第五号』(昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030041700 |
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* {{Cite book|和書|author=伊藤正徳|coauthors=|authorlink=|year=1974|month=7|chapter=第五章 タサファロンガ海戦の勝利|title=連合艦隊の栄光|publisher=角川書店|ISBN=|ref=連合艦隊の栄光(角川)}} |
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* 第二水雷戦隊司令部『昭和十七年十月三十日 第二水雷戦隊戦闘詳報 第一二号』(昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098300 |
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* {{Cite book|和書|author=[[石渡幸二]]|year=1997|month=12|chapter=不滅の駆逐艦長吉川潔|title=太平洋戦争の提督たち|publisher=[[中央公論社]]|isbn=4-12-203014-5|ref=太平洋戦争の提督たち}} |
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* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101300 |
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* {{Cite book|和書|author=伊藤正徳|coauthors=|authorlink=|year=1974|month=7|title=連合艦隊の栄光|publisher=角川書店|ISBN=|ref=連合艦隊の栄光(角川)}} |
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* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101400 |
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* {{Cite book|和書|author=生出寿|authorlink=|year=1996|month=12|title=戦艦「大和」最後の艦長 {{small|海上修羅の指揮官}}|publisher=光人社|ISBN=4-7698-2143-3|ref=戦艦大和最後の艦長}} |
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* {{Cite book|和書|author=岡本孝太郎|authorlink=|year=2014|month=5|title=舞廠造機部の昭和史|publisher=文芸社|isbn=978-4-286-14246-3|ref=舞廠造機部}} |
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* 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。 |
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* 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年 |
* 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年 |
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* 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年 |
* 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年 |
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* {{Cite book|和書|author=小林昌信ほか|year=2014|month=8|title=戦艦十二隻 {{small|国威の象徴"鋼鉄の浮城"の生々流転と戦場の咆哮}}|publisher=光人社|isbn=978-4-7698-1572-3|ref=戦艦十二隻(2014)}} |
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**{{small|当時「金具」砲術長・海軍中佐}}浮田信家『洋上の砲台「金剛」ソロモン海に突入せり {{small|綿密な計算と猛訓練のもと実施されたガ島砲撃に参加した砲術長の回想}}』 |
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* {{Cite book|和書|author=重本俊一(海軍兵学校70期)|coauthors=|authorlink=|year=1989|month=4|chapter=第四章 業火の海|title=回天発進 {{small|わが出発は遂に訪れず}}|publisher=光人社|ISBN=4-7698-0436-9|ref=回天発進}} |
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* {{Cite book|和書|author=重本俊一ほか|year=2014|month=10|title=陽炎型駆逐艦 {{small|水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-1577-8|ref=陽炎型、2014}} |
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**{{small|戦史研究家}}落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ {{small|第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録}}』 |
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**{{small|当時「親潮」航海士・海軍少尉}}重本俊一『わが「親潮」ルンガ沖に突入せよ {{small|米艦隊の真っ只中に殴り込んだ親潮、黒潮、陽炎のルンガ沖夜戦}}』 |
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**{{small|当時「早潮」分隊士・海軍少尉}}岡本辰蔵『快速輸送「早潮」兵員物資の積み降ろし秘法 {{small|命がけのネズミ輸送”東京急行”に従事した揚陸指揮官の苦心惨憺}}』 |
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* {{Cite book|和書|author=寺内正道ほか|authorlink=|year=2015|month=9|title=海軍駆逐隊 {{small|駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-47698-1601-0|ref=海軍駆逐、平成27}} |
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**{{small|当時「陽炎」信号員・海軍一等兵曹}}谷義保『十五駆逐隊「陽炎」ソロモン輸送航海記 {{small|黒潮、親潮、早潮の十五駆へ編入。最多ともいえる二十数回の決死行}}』 |
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* {{Cite book|和書|author=永井喜之・木俣滋郎|authorlink=|year=1988|month=10|chapter=第二次世界大戦/日本編 第8章 アメリカ重巡「ノーザンプトン」|title={{small|新戦史シリーズ}} 撃沈戦記|publisher=朝日ソノラマ|ISBN=4-257-17208-8|ref=撃沈戦記}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[チェスター・ニミッツ]]/E・B・ポッター|coauthors=[[実松譲]]・富永謙吾訳|year=1962|month=12|title=ニミッツの太平洋海戦史|publisher=恒文社|isbn=|ref=ニミッツの太平洋海戦史}} |
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* {{Cite book|和書|author=[[半藤一利]]|year=1984|month=5|title={{small|航空戦史シリーズ41}} ルンガ沖夜戦|publisher=朝日ソノラマ|isbn=4-257-17041-7|ref=半藤(朝日ソノラマ)}} |
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* {{Cite book|和書|author=原勝洋|chapter=ガ島輸送隊の勝利・ルンガ沖夜戦 {{small|夕雲型・陽炎型・白露型駆逐艦}}|title=猛き艨艟 {{small|太平洋戦争日本軍艦戦史}}|publisher=文春文庫|year=2000|month=8|origyear=|ISBN=4-16-745602-8|ref=猛き艨艟}} |
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* {{Cite book|和書|author=文藝春秋編|year=1991|month=12|chapter=香取史郎(戦史研究家)「完勝・ルンガ沖夜戦」|title=完本・太平洋戦争(上)|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4-16-345920-0|ref=完本太平洋戦争上}} |
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** (昭和36年3月6日「週刊文春」 原題「田中頼三少将の『全軍突撃セヨ』」) |
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* {{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|authorlink=|year=1975|month=8|title=戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) {{small|ガ島撤収まで}}|publisher=朝雲新聞社|ref=戦史叢書83ガ島戦}} |
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* 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。 |
* 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。 |
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* {{Cite book|和書|author=山本平弥ほか|coauthors=|year=2015||month=03|title=秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> {{small|戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-1584-6|ref=秋月型、平成27}} |
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* 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。 |
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**{{small|戦史研究家}}伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』 |
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**{{small|当時「巻波」機関長・海軍大尉}}前田憲夫『南太平洋に奇跡を起こした「巻波」奮迅録 {{small|最新鋭夕雲型駆逐艦の機関長が体験したガ島輸送とルンガ沖夜戦}}』 |
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**{{small|当時「長波」機銃長・海軍二等兵曹}}初田太四郎『強運艦「長波」快心の中央突破四十八時間 {{small|三十一駆逐隊の巻波高波と共に戦った不屈の五ヶ月と秋月型照月の最後}}』 |
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* {{Cite book|和書|author=吉田俊雄|authorlink=|year=1985|month=6|chapter=第1部 第二水雷戦隊|title={{small|航空戦史シリーズ}} 波濤を越えて|publisher=朝日ソノラマ|ISBN=4-257-17057-3|ref=波濤を越えて}} |
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*{{Cite book|和書|author=吉田俊雄|coauthors=|year=2008|month=6|origyear=1966|title=悲劇の軍艦 {{small|海軍魂を発揮した八隻の戦い}}|chapter=ガ島輸送に任した最速艦―駆逐艦「長波」|publisher=光人社NF文庫|isbn=978-4-7698-2361-2|ref=悲劇の軍艦}} |
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* [http://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所) |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070111000|title=昭和16年7月~昭和16年12月達/10月(2)|ref=達昭和16年10月(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070153500|title=昭和16年9月~10月内令3巻/昭和16年10月(3)|ref=内令昭和16年10月(3)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070114100|title=昭和17年1月~12月 達/達昭和17年1月|ref=達昭和17年1月}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070160600|title=昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年1月(3)|ref=内令昭和17年1月(3)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070164500|title=昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月(2)|ref=内令昭和17年8月(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070164700|title=昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年8月(4)|ref=内令昭和17年8月(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070165700|title=昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(1)|ref=内令昭和17年10月(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070167000|title=昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(4)|ref=内令昭和17年12月分(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070175100|title=昭和18年1月~4月内令1巻/昭和18年1月(2)|ref=内令昭和18年1月(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070175600|title=昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年2月(4)|ref=内令昭和18年2月(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070181400|title=昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(4)|ref=内令昭和18年10月(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070194500|title=自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年2月(2)|ref=内令昭和19年2月(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C13072013300|title=昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿/巻3/第13類艦船(1)|ref=昭和17年12月31日艦艇類別等級表}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030320700|title=昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(4)|ref=S1708横鎮日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030320800|title=昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(5)|ref=S1708横鎮日誌(5)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030320900|title=昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(6)|ref=S1708横鎮日誌(6)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030321000|title=昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(7)|ref=S1708横鎮日誌(7)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030022500|title=昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)|ref=S1709八艦隊日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030022600|title=昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)|ref=S1709八艦隊日誌(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030022700|title=昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)|ref=S1709八艦隊日誌(3)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030022800|title=昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)|ref=S1709八艦隊日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030022900|title=昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)|ref=S1709八艦隊日誌(5)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030041400|title=昭和17年1月1日~昭和17年9月30日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第3戦隊(5)|ref=S1701三戦隊日誌(5)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030041700|title=昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)|ref=S1709三戦隊日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030723100|title=昭和17年10月5日~昭和17年10月14日 挺身攻撃隊記録(第3戦隊.金剛.榛名のガ島飛行場砲撃)|ref=三戦隊飛行場砲撃記録}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030044000|title=昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S1706五戦隊日誌(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030044100|title=昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)|ref=S1706五戦隊日誌(3)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030044200|title=昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)|ref=S1706五戦隊日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030102100|title=昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)|ref=S1812二水戦日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030106100|title=昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)|ref=S1807三水戦日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030106200|title=昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)|ref=S1807三水戦日誌(5)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030106900|title=昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)|ref=S1812三水戦日誌(5)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030404800|title=昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 佐伯防備隊戦時日誌(2)|ref=S1804佐伯防備隊(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030045000|title=昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)|ref=S1712五戦隊日誌(4)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030353300|title=昭和16年12月1日~昭和16年12月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)|ref=S1612舞鎮日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030353400|title=昭和16年12月1日~昭和16年12月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)|ref=S1612舞鎮日誌(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030354000|title=昭和17年4月1日~昭和17年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)|ref=S1704舞鎮日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030354200|title=昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌|ref=S1705舞鎮日誌}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030354400|title=昭和17年7月1日~昭和17年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)|ref=S1707舞鎮日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030356500|title=昭和18年7月1日~昭和18年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)|ref=S1807舞鎮日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030356600|title=昭和18年7月1日~昭和18年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)|ref=S1807舞鎮日誌(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030356900|title=昭和18年8月1日~昭和18年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌|ref=S1808舞鎮日誌}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030357000|title=昭和18年9月1日~昭和18年9月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)|ref=S1809舞鎮日誌(1)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030357100|title=昭和18年9月1日~昭和18年9月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)|ref=S1809舞鎮日誌(2)}} |
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030357200|title=昭和18年10月1日~昭和18年10月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌|ref=S1810舞鎮日誌}} |
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== 脚注 == |
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<div style="font-size:88%">{{reflist|2}}</div> |
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==関連項目== |
==関連項目== |
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*[[あやなみ型護衛艦]] |
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**[[まきなみ (護衛艦・初代)]] |
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*[[たかなみ型護衛艦]] |
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**[[まきなみ (護衛艦・2代)]] |
|||
* [[ヘンダーソン基地艦砲射撃]] |
* [[ヘンダーソン基地艦砲射撃]] |
||
* [[南太平洋海戦]] |
* [[南太平洋海戦]] |
2016年3月10日 (木) 05:39時点における版
艦歴 | |
---|---|
計画 | 1939年度(マル4計画) |
起工 | 1941年4月11日 |
進水 | 1941年12月27日 |
就役 | 1942年8月18日竣工 |
その後 | 1943年11月25日戦没 |
除籍 | 1944年2月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:2,077t 公試:2,520t |
全長 | 119.3m |
全幅 | 10.8m |
吃水 | 3.76m |
主缶 | ロ号艦本式缶3基 |
主機 | 艦本式タービン2基2軸 52,000hp |
最大速力 | 35.0kt |
航続距離 | 18ktで5,000浬 |
燃料 | 重油:600トン |
乗員 | 225名 |
武装(新造時) | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 25mm機銃 Ⅱ×2 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (九三式魚雷16本) 爆雷×18乃至36 |
巻波(まきなみ)は、日本海軍の駆逐艦 [1][2]。一等駆逐艦夕雲型の5番艦である[3]。艦名は砕波の一種に由来し、海上自衛隊の護衛艦2隻(初代まきなみ、2代まきなみ)に引き継がれた。
艦歴
竣工まで
1939年度(マル4計画)仮称第120号艦として舞鶴海軍工廠で建造。 1941年(昭和16年)10月25日、三菱重工長崎造船所で建造の秋月型駆逐艦に「照月」、舞鶴海軍工廠の夕雲型駆逐艦に「巻波」の艦名が与えられる[1]。同日附で2隻は秋月型・夕雲型に類別された[4]。 12月5日、舞鶴海軍工廠で夕雲型1番艦「夕雲」が竣工、翌日舞鶴を離れた[5][6]。 12月27日、「巻波」は進水[5][7]。同日附で舞鶴鎮守府籍となる[8]。
1942年(昭和17年)6月11日、舞鶴海軍工廠で秋月型駆逐艦1番艦「秋月」が竣工[9]。 同年6月から8月にかけての舞鶴工廠は、「秋月」以外にも秋月型4番艦「初月」(4月13日進水)[10]、夕雲型駆逐艦複数隻(巻波、第340号艦《早波》、第341号艦《浜波》、第342号艦《沖波》)[11]、島風型駆逐艦「島風」(7月18日進水)[12]の建造・艤装工事を実施。 また入渠艦・損傷艦(那珂、大潮、薄雲《7月31日完成》[13]、霞《8月13日到着》、天龍《6月15日完成》、龍田《6月15日完成》、名取《7月10日完成》、利根《ミッドウエー作戦前後整備》、筑摩《ミッドウェー作戦前後整備》)等の修理と整備を行っていた[14][15][16][17]。
6月30日、日本海軍は白露型駆逐艦4番艦「村雨」や吹雪型駆逐艦「白雲」艦長等を歴任した人見豊治中佐を巻波艤装員長に任命する(後任の白雲艦長は佐藤重吉少佐)[18]。同日附で艤装員事務所を設置[19]。
7月15日、「巻波」は予行運転中に機関故障を起こし、竣工予定を延期した[12]。 8月18日、竣工[11][20]。艤装員事務所を撤去[21]。同日附で人見艤装員長は巻波駆逐艦長(初代)となる[22]。「巻波」は警備駆逐艦に指定された[23][24]。 8月20日、舞鶴を出撃[25][26]。呉に立ち寄り、魚雷を搭載[27][28]。横須賀に回航される[29]。だが第二航空戦隊(飛鷹、隼鷹)の指揮を受けるように連合艦隊から下令があり[30]、8月31日に呉到着[31]。同日、横須賀では姉妹艦「高波」が竣工した[32]。
昭和17年の行動
1942年(昭和17年)8月31日、日本海軍は夕雲型駆逐艦2隻(長波、巻波)により第31駆逐隊を編制、初代駆逐隊司令には清水利夫大佐(第21駆逐隊司令)が補職された(後任の第21駆逐隊司令は第1掃海隊司令天野重隆大佐)[33][34]。司令駆逐艦は「巻波」[35]。 第31駆逐隊は第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将、旗艦《当初神通、9月26日より五十鈴》)に編入された[36]。さらに金剛型戦艦2隻(金剛、榛名)と第31駆逐隊(巻波、長波)で前進部隊待機部隊を編制、内海西部で訓練を実施した[37][38]。
9月6日、第三戦隊司令官栗田健男中将指揮のもと4隻(第三戦隊《金剛、榛名》、31駆《巻波、長波》)は豊後水道を出撃[39][40]。9月10日にトラック諸島に到着した[41]。連合艦隊司令部(旗艦「大和」)で打ち合わせを行い、並行して補給を受ける[42]。翌9月11日にトラックを出撃[43][44]。13日、第二艦隊(司令長官近藤信竹中将、旗艦「愛宕」)の主力に合流した[45][46]。ソロモン諸島東方海域で行動[47][48]。9月23日にトラックに帰投[49][50]。 9月29日、妙高型重巡洋艦4番艦「羽黒」(第五戦隊)が修理のため内地に戻ることになり[51]、「巻波」は同艦をトラック泊地近海まで護衛した[52][53]。
10月1日、第31駆逐隊に夕雲型6番艦「高波」が編入され、同隊は3隻編制(長波、巻波、高波)となる[54]。清水司令は司令駆逐艦を本艦から「高波」に変更した[55]。
10月11日、前進部隊(第二艦隊)はトラックを出撃。第二水雷戦隊司令官田中頼三少将が指揮する第二水雷戦隊(軽巡五十鈴《二水戦旗艦》、第15駆逐隊《親潮、黒潮、早潮》、第24駆逐隊《海風、江風、涼風》、第31駆逐隊《高波、巻波、長波》)は、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に対し艦砲射撃を実施予定の第三戦隊(金剛型戦艦2隻《金剛、榛名》〔司令官栗田健男中将・海兵38期〕)を護衛する[56]。 応援の第19駆逐隊と共に三戦隊の10月14日飛行場砲撃(ヘンダーソン基地艦砲射撃)を援護した後、三戦隊・二水戦は前進部隊(第二艦隊)に合流。第15駆逐隊以外の二水戦各艦は第五戦隊(妙高、摩耶)を護衛して再びガダルカナル島へ突入[57][58]。二度目のヘンダーソン基地砲撃作戦に参加した[59][60]。発射弾数は妙高476発、摩耶450発、第31駆逐隊253発と記録されている[61]。 10月26日の南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官:旗艦「愛宕」)に所属し、第四戦隊(愛宕、高雄)、第三戦隊(金剛、榛名)、第五戦隊(妙高、摩耶)、第二航空戦隊(司令官角田覚治少将:空母隼鷹)と共にアメリカ軍機動部隊と交戦した[62]。 10月30日にトラックに帰投した[63]。
1942年(昭和17年)11月上旬、第二水雷戦隊はショートランド泊地へ進出し、5日附で田中頼三第二水雷戦隊司令官は橋本信太郎第三水雷戦隊司令官(旗艦「川内」)より増援部隊指揮官の職務を引き継ぐ[61]。第二水雷戦隊は再びガダルカナル島への強行輸送作戦に従事することになった[61][64][65]。
11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊《親潮、早潮、陽炎》、第24駆逐隊《海風、江風、涼風》、第31駆逐隊《巻波、高波、長波》、第10駆逐隊《夕雲、風雲》)はショートランドを出撃[66]。途中でアメリカ軍機の空襲を受け、駆逐艦2隻(高波、長波)が若干の損傷を受けた[67]。輸送隊は深夜にタサファロング沖に到着して糧食を降ろし、傷病兵と便乗者を乗せて帰投した[66]。 11月10日朝、第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐が指揮する駆逐艦5隻(第10駆逐隊《夕雲、巻雲、風雲》、第31駆逐隊《巻波》、第24駆逐隊《涼風》)は第十一戦隊弾着観測員と陸軍兵・物資を載せてショートランド泊地を出撃[68]。魚雷艇を撃退し、輸送任務も成功[68]。11日午前中に帰投した[68]。
この頃、ガダルカナル島の戦いは一つの山を迎えつつあり、第三十八師団の一部が乗った輸送船団をガダルカナル島へ送ることとなった。 11月13日以降、増援部隊(早潮《田中司令官座乗》、親潮、陽炎、海風、江風、涼風、高波、巻波、長波、天霧、望月)は輸送船11隻を護衛し、ガダルカナル島に向かった(第三次ソロモン海戦)[69]。だがアメリカ軍機の波状攻撃を受け輸送船6隻が沈没、1隻が大破して駆逐艦2隻(天霧、望月)護衛下で退避する[69]。 田中司令官は残存輸送船4隻と駆逐艦9隻を指揮してガ島への進撃を続行[70]。11月15日未明に輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)はガダルカナル島タサファンログ泊地に座礁揚陸を強行するが、アメリカ軍機と米艦艇の攻撃で全滅した[71]。増援部隊各艦は15日22時になりショートランド泊地へ戻った[71]。
ショートランドに帰投後、息つく暇も無くドラム缶輸送(鼠輸送《東京急行》)に参加。 11月22日(途中引返し)と24日午前3時、駆逐艦2隻(巻波、羽風)と輸送船3隻(千早丸、神威丸、寶運丸)はショートランド泊地を出撃[72][73]。同日19時ムンダ(ニュージョージア島)着[72]。25日午前2時30分出発、夕刻ショートランド泊地に帰投した[72]。米潜水艦襲撃時には、「羽風」と共に応戦している[72]。
11月30日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(旗艦長波)の指揮下、駆逐艦8隻(警戒隊《長波、高波》、輸送隊《黒潮、親潮、陽炎、巻波、江風、涼風》)という戦力はドラム缶輸送任務のためショートランド泊地を出撃[74][75]。ガダルカナル島へ向かう。これをカールトン・H・ライト少将率いる第67任務部隊が迎撃、アイアンボトム・サウンドにおいて夜間水上戦闘となった(ルンガ沖夜戦)[76]。 「巻波」は魚雷を発射しなかった[77]。日本側は駆逐艦1隻(高波)が沈没し、アメリカ側は重巡ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26)を喪失、重巡3隻(ミネアポリス、ペンサコラ、ニューオーリンズ)も大破という損害だった[78][76]。 一方でドラム缶輸送作戦自体は失敗し、外南洋部隊は第二次ドラム缶輸送作戦を行うよう指導する[79]。本戦闘で第31駆逐隊司令駆逐艦「高波」が沈没[80]。清水司令が戦死(翌年、少将進級)[81]。第31駆逐隊は2隻編制(長波、巻波)となった[82]。
12月3日、田中二水戦司令官(長波)指揮下、第二次輸送作戦(第15駆逐隊《親潮、黒潮、陽炎》、第31駆逐隊《巻波、長波》、第24駆逐隊《江風、涼風》、第4駆逐隊《嵐、野分》、第27駆逐隊《夕暮》)が実施されるが、「巻波」は空襲により損傷した[83][84][79]。戦死者7名[2]。投下ドラム罐1500個のうち回収されたのは310個だった[79][76]。 「巻波」は修理のためラバウルに回航されている[85][86]。
12月16日、第一次第一回ムンダ輸送のため[87]、駆逐艦6隻(長波、巻波、親潮、黒潮、陽炎、谷風)はムンダ(ニュージョージア島)輸送を実施[88][89]。揚陸作業中に夜間空襲を受け「陽炎」が小破した[89][90]。 12月21-22日、第17駆逐隊司令指揮下の駆逐艦4隻(谷風、浦風、巻波、陽炎)はムンダ輸送を実施[91][92][93]。 つづいて駆逐艦4隻(江風、涼風、巻波、陽炎)をもって第二号哨戒艇(旧駆逐艦《灘風》)を護衛、同艦をガ島に擱座させようという12月27日のラバウル出撃は、ガ島に向け航行中に中止となる[94][95]。各艦はショートランドを経てラバウルに戻った[96][97]。
12月29日附で第二水雷戦隊司令官は田中頼三少将から小柳冨次少将に交代[98]。30日、小柳の着任にともない田中は退隊[99][100]。翌年2月5日附で舞鶴警備隊司令および海兵団長[101]、10月1日附でラングーンの第十三根拠地隊司令官となった[102]。
昭和18年前半の行動
新任の第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将は、旗艦を「長波」に指定した[103]。増援部隊各艦はラバウルからショートランド泊地へ進出[103]。1943年(昭和18年)1月2日午前11時、駆逐艦10隻(警戒隊《長波、江風、涼風、荒潮》、輸送隊《親潮、黒潮、陽炎、磯波、電》)で出撃[104][105]、途中の空襲で「涼風」が損傷、「電」に護衛されて避退した[103][106]。他に被害は出ず、輸送作戦は成功した[103]。
1月4日から7日にかけて、駆逐艦4隻(長波、巻波、江風、荒潮)はショートランド泊地とラバウルを往復、ラバウルでドラム罐を積み込むとショートランド泊地に戻った[107]。また駆逐艦「大潮」(第8駆逐隊司令駆逐艦)もドラム罐を搭載してショートランドに到着、増援部隊に編入される[107][108]。 1月10-11日、外南洋部隊増援部隊指揮官小柳冨次第二水雷戦隊司令官(旗艦「黒潮」)が指揮する駆逐艦8隻(警戒隊《黒潮、江風、初風、時津風》、輸送隊《嵐、巻波、大潮、荒潮》)はガ島への第六次輸送作戦を実施するが、米軍魚雷艇の攻撃で第16駆逐隊の駆逐艦「初風」が大破する[107][109]。有賀幸作第4駆逐隊司令(嵐座乗)の指揮下、駆逐艦3隻(嵐、江風、時津風)はガダルカナル島からショートランド泊地まで「初風」を護衛[110]。小柳少将は有賀司令と各艦を賞賛した[111]。
本作戦をもって小柳二水戦司令官は増援部隊指揮官の職務を第十戦隊司令官木村進少将(旗艦「秋月」)に引き継ぎ、「長波」に乗艦してトラック泊地に戻った[107][112][113]。駆逐艦4隻(長波、親潮、陽炎、涼風)は艦の疲弊が激しく、最前線で行動するのは難しかったからである[107]。 1月11日、第六次ガダルカナル島輸送作戦を終えた駆逐艦4隻(江風、巻波、大潮、荒潮)はニューギニア方面護衛部隊に編入され、ショートランド泊地を出発してラバウルへ向かった[113]。 1月中旬、外南洋部隊各艦はソロモン諸島の防備強化に協力、輸送船護衛や駆逐艦輸送に従事する[114]。
1月16日、それまで第二水雷戦隊旗艦だった長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」は第十六戦隊へ転出、第二次ソロモン海戦での損傷修理を終えた川内型軽巡2番艦「神通」が第二水雷戦隊に復帰する(1月23日トラック泊地着)[115]。 1月12日から24日まで、ニューギニア島ウェワク輸送作戦に参加する。 1月20日、第31駆逐隊に夕雲型7番艦「大波」が編入され、同隊は3隻(長波、巻波、大波)となった(大波は25日トラック泊地着)[116][117]。 21日、輸送船団救援中の第十戦隊旗艦「秋月」が米潜水艦に雷撃されて損傷[118][119]。その際に木村少将(第十戦隊司令官)が負傷したため、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将が21日附で第十戦隊司令官に任命された[120]。後任の二水戦司令官には伊崎俊二少将が任命された[120]。小柳少将は1月23日に退隊してラバウルへ移動[118]。伊崎司令官は1月30日に着任し、「神通」に将旗を掲げた[121]。
日本海軍はガダルカナル島撤退作戦のため、外南洋部隊の駆逐艦を強化(長月、文月、皐月、第10駆逐隊、雪風等)、また第三水雷戦隊(三水戦司令部、川内、白雪)を南東方面部隊に編入した[122]。1月25日、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は「白雪」に乗艦してラバウルからショートランド泊地に移動(川内はカビエン回航)、27日ショートランドに到着すると「巻波」に将旗を掲げた[122]。第31駆逐隊(長波、巻波、大波)は分散配置されていた[123][124]。 1月29日のレンネル島沖海戦やガ島航空撃滅戦を経て、日本軍はガ島撤収作戦を発動。第一次撤収部隊(駆逐艦20隻)の兵力部署は、三水戦司令官指揮下のエスペランス隊(警戒隊〔三水戦旗艦《巻波》、一番隊《第4駆逐隊司令有賀幸作大佐、舞風、江風、黒潮》、二番隊《白雪、文月》〕、輸送隊〔第十戦隊司令官、第10駆逐隊《風雲、巻雲、夕雲、秋雲》、第17駆逐隊《谷風、浦風、浜風、磯風》〕)、第16駆逐隊司令荘司喜一郎大佐指揮下[125]のカミンボ隊(第16駆逐隊《時津風、雪風》、第8駆逐隊《大潮、荒潮》、三番隊《皐月、長月》)、カビエン(ニューアイルランド島)待機の支援隊(川内)となる[126]。31日、ショートランド泊地を出撃するが南東方面部隊の命令により一時中止[126]。
2月1日午前9時30分、第一次撤収部隊は再度出撃、「巻波」は第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将の旗艦としてガダルカナル島に向かった[127]。同日夕刻、零戦18の援護下で米軍機(戦闘機16、艦爆12)と交戦中[128]、艦右舷に爆弾1発が命中して機関部損傷、航行不能となる[129]。36名が戦死[2]。戦傷者多数[130]。 十戦隊司令官小柳冨次少将は「我今ヨリ指揮ヲ執ル」を打電、駆逐艦3隻(巻波、文月、白雪)を残して進撃した[128]。橋本少将は旗艦を「巻波」から「白雪」に変更[127][131][132]。「文月」に「巻波」曳航を命じた[128]。橋本司令官は夕雲型2隻(夕雲、巻雲)を輸送隊から警戒隊に編入したが[128]、「巻雲」は機雷により大破、自沈処分された[133][134]。その他に被害はなく、第一次撤収作戦は成功[128]。山本五十六連合艦隊司令長官は小柳少将に「巻波がやられ、『我今より指揮を執る』の電報に接したときは、この先どうなるかと心配した」と語ったという[128]。「文月」に曳航された「巻波」は2月2日10時30分、ショートランドに到着した[128]。応急修理工事を実施[123]。
2月12日、「高波」沈没時に戦死した清水第31駆逐隊司令の後任として、香川清登大佐が補職された[135]。香川司令は、31駆司令駆逐艦を「大波」に指定[136]。 2月25日、夕雲型8番艦「清波」が第31駆逐隊に編入され、同駆逐隊は夕雲型定数4隻(第1小隊《大波、清波》、第2小隊《巻波、長波》)を揃えた[137][138]。 2月27日、本艦は輸送船を護衛してラバウルを出発[123][139]。3月2日以降はトラックで応急修理を行った[140][141]。「長波」は先に舞鶴に戻った[142]。 3月29日、本艦の舞鶴修理が決定[143]。
4月15日、「巻波」は給糧艦「間宮」と輸送船「総洋丸」を護衛してトラック泊地を出発[144][145]。2隻(間宮、総洋丸)[146]と分離後、本艦は4月24日舞鶴に到着した[147][148]。同日から9月14日まで、本艦は舞鶴海軍工廠で本格的な復旧工事を実施した(後述)。
舞鶴での修理
1943年(昭和18年)4月24日、本艦は舞鶴に到着[149]。損傷各艦(霞、不知火、初春、太刀風《5月15日到着》、阿武隈《4月17日着、5月17日完成》、多摩《5月4日着、20日発》、名取《6月1日着》)等と共に修理に従事する[150][151][152]。機関部の損傷は深刻で、人見(巻波艦長)は舞鶴海軍工廠で修理中の「不知火」用機関を流用するよう提案している[153]。各方面は対応に苦慮することになった[154]。
4月・5月・6月当時の舞鶴工廠は、島風型「島風」が竣工(5月10日)[155][156]、夕雲型駆逐艦複数隻(早波《7月30日竣工》[157]、浜波《4月18日進水》、沖波《7月18日進水》[158]、早霜《第345号艦》、冬月《第361号艦、5月8日起工》)の建造が進んでいた[159][155][160]。
5月20日、満潮型「霞」(第四予備駆逐艦)の修理がおおむね完了(燃料加熱装置搭載と試験のため6月30日完成、7月18日出撃)[152][161]、同日附で巻波駆逐艦長人見豊治中佐は、巻波艦長(本職)に加えて不知火・初春艦長の兼務を命じられ、山名寛雄少佐(霞駆逐艦長)は(霞、不知火、初春)艦長兼務を解かれた[162]。
機関部修理と並行して電波探信儀(レーダー)搭載の工事を実施[163]。本艦修理中の7月12日、コロンバンガラ島沖海戦に参加した川内型軽巡2番艦「神通」(第二水雷戦隊旗艦)が沈没[164]。第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将以下、二水戦司令部が全滅した。日本海軍は7月20日附で第四水雷戦隊を解隊し、第四水雷戦隊司令官高間完少将を第二水雷戦隊司令官に任命[165][166]。同隊司令部および戦力(軽巡長良、駆逐艦時雨、夕暮、有明、五月雨等)を第二水雷戦隊残存兵力(第31駆逐隊《清波、大波、長波、巻波》、第24駆逐隊《涼風、海風、江風》、白露型《五月雨》、島風型《島風》)と統合することにした[167]。 統合直後の7月20日、夜戦部隊に所属してニュージョージア島の戦いに従事していた駆逐艦2隻(清波《第31駆逐隊》、夕暮《第27駆逐隊》)は夜間空襲を受けて沈没[168]。第31駆逐隊は3隻(長波、巻波、大波)となった[169]。
8月になると、長良型軽巡洋艦2隻(長良、名取)や「長波」(キスカ島撤退作戦を終え8月7日到着)「大波」(8月12日到着)等も、舞鶴海軍工廠で本艦と共に修理に従事する[170][171]。 9月10日、人見(巻波艦長)は巻波・初春艦長兼務を解かれた[172]。後任の初春艦長は15日附で海軍水雷学校教官飛田清少佐[173][174]。 「巻波」の修理は9月15日完了[175]。第31駆逐隊の夕雲型3隻(長波、巻波、大波)は順次舞鶴を離れた[175][176]。
戦線復帰
1943年(昭和18年)9月15日の修理完成後、「巻波」は舞鶴から上海に回航(途中、清澄丸を護衛、19日着)[177][178]。第十七師団輸送の第一次丁二号輸送に参加する[179]。丁二号輸送船団は9月24日に上海を出発[176][180]。 10月2日にトラック着[181][182]。10月5日ラバウルに進出し、輸送任務を終えた[181][183]。 10月9日にトラックに帰投後して任務を終了[184]。翌日、第二水雷戦隊(能代《二水戦旗艦》、第31駆逐隊《大波、長波、巻波》、第24駆逐隊《海風、涼風》、《島風、白露》)は戦技訓練を行う[185]。翌日、二水戦の駆逐艦2隻(長波、涼風)は第五戦隊(妙高、羽黒)を護衛してトラックを出発、ラバウルに向かった[186][187]。 トラック泊地に残った巻波・島風以下二水戦各艦は、第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将)と行動をともにしてエニウェトク環礁に進出[181][188]。
11月1日、連合軍はラバウルに対する攻勢を強化するため、ブーゲンビル島に飛行場を建設するため上陸作戦を敢行した(ブーゲンビル島の戦い)[189]。この脅威に対処するため、連合艦隊はトラック泊地に待機している第二艦隊や第三艦隊(機動部隊)の艦艇をラバウル方面に派遣することになった[190][191]。 11月3日、輸送任務のためトラック泊地を出撃、5日カビエン着後はラバウルに回航された[192][193]。 到着後は第十戦隊(司令官大杉守一少将)の指揮下に入って、ブーゲンビル島タロキナ輸送に輸送隊として参加した[194][195]。 7日にラバウルへ帰投、ブカ島輸送を終えた駆逐艦「時雨」も同港に到着した[196]。
11月11日、ラバウルは大規模空襲を受け、第二水雷戦隊は夕雲型駆逐艦10番艦「涼波」(第32駆逐隊)が沈没[197][198]。姉妹艦「長波」が大破・航行不能という損害を出した[199][198]。 曳航用ワイヤーが「大波」のスクリューに絡まったため、「長波」の曳航は「巻波」が担当する[200]。 他の第二水雷戦隊各艦に被害はなかったが[198]、阿賀野型軽巡洋艦1番艦「阿賀野」(第十戦隊旗艦)が艦尾に被雷して中破した[201]。 同日夕刻、第二水雷戦隊・第十戦隊各艦(軽巡《能代》、駆逐艦《早波、藤波、五月雨、風雲、若月》)は大型艦2隻(摩耶、長鯨)を護衛してラバウルを出発、トラックへ向かった[202]。この後、能代隊(能代、藤波、早波)は米潜水艦スキャンプから雷撃されて航行不能となった「阿賀野」の救援に向かった[203]。二水戦・第27駆逐隊(時雨、白露)も既にトラック泊地へ帰投しており、ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊(大波、巻波、長波《航行不能状態》)となった[204]。他の第二水雷戦隊各艦(能代、島風、第24駆逐隊《海風、涼風、満潮》、第32駆逐隊《早波、玉波、藤波》、第27駆逐隊《時雨、白露、五月雨、春雨》)は、各方面に分散して行動していた[205]。
11月15日より、第31駆逐隊(大波、巻波、長波)は第三水雷戦隊(司令官伊集院松治少将、旗艦「夕張」)の指揮下に入る[206]。当時の第三水雷戦隊は、第31駆逐隊(大波、巻波、長波)の他に駆逐艦(天霧、夕霧、文月、水無月、皐月、卯月、夕月、夕凪、秋風)等が所属していたが、護衛任務や修理のためラバウル不在の艦もあった[207][208]。 11月19日、夕張艦長(舟木守衛大佐)の指揮下[192]、2隻(夕張、巻波)はガロベ(ニューブリテン島)輸送作戦を実施[209][210][207]。
セント・ジョージ岬沖海戦
日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西のブカ島とにらみ[211]、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった[211]。 1943年(昭和18年)11月21日、第31駆逐隊(大波、巻波)はラバウルを出撃[212]。22日到着[213]。第一次輸送は、妨害を受けることなく成功した[214][215]。
11月24日、第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将の指揮下、第31駆逐隊司令香川清登大佐ひきいる日本軍駆逐艦部隊5隻は、輸送隊(指揮官山代勝守大佐:天霧、夕霧、卯月)、警戒隊(指揮官第31駆逐隊司令香川大佐:大波《司令駆逐艦》、巻波)という編制でブカ島への輸送作戦を実施する[207][216]。警戒隊・輸送部隊は第二次輸送のためラバウルを出撃[214][215]。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた[217][218]。
ラバウルに向けて航行中の11月25日、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊(フレッチャー級駆逐艦5隻)にレーダーで捕捉され、第31駆逐隊は先制魚雷攻撃を受けた(セント・ジョージ岬沖海戦)[219]。駆逐艦オズボーン士官は「駆逐艦士官の夢が実現したような理想的な奇襲作戦だった」と記録している[216]。日本側は巡洋艦戦隊・駆逐艦戦隊・魚雷艇に襲撃されたと判断している[220]。 「大波」は轟沈[221]。 「巻波」は魚雷の命中により左側に傾斜した。やがて接近してきたアメリカ軍の駆逐艦コンヴァース (USS Converse, DD-509) およびスペンス (USS Spence, DD-512) からの砲雷撃を受けた。「巻波」が何とか発射した反撃の魚雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった[222]。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された「巻波」は未明1時ごろに沈没していった[222]。駆逐艦長人見豊治中佐以下221名が戦死[216]。巻波の生存者29名はカッターに乗り移り、ラバウルに帰還する事ができた。他に「夕霧」も沈没[223]。また「大波」沈没と共に香川清登大佐(第31駆逐隊指令)と大波駆逐艦長吉川潔中佐も戦死した(2人とも少将に進級)[224][225]。本海戦(吉川の戦死と駆逐艦3隻《大波、巻波、夕霧》沈没)は、太平洋戦争における日米の技術格差と敗因を象徴する戦いとなった[226]。
12月3日、ラバウルに取り残されていた姉妹艦「長波」は駆逐艦「水無月」に曳航され、軽巡「夕張」と駆逐艦「文月」の護衛下でトラック泊地へ向かった[227]。 1944年(昭和19年)1月25日、「長波」は軽巡洋艦「長良」に曳航され、駆逐艦2隻(卯月、夕凪)に警戒されて呉に到着[228][229][230]。
長波修理中の2月10日[231]、夕雲型駆逐艦2隻(巻波、大波)は帝国駆逐艦籍[232]、 夕雲型駆逐艦[233]のそれぞれから除籍された。また長波1隻のみとなっていた第31駆逐隊には、夕雲型駆逐艦3隻(沖波、岸波、朝霜)が編入され、同隊は定数4隻(長波、岸波、沖波、朝霜)を回復した[234][235]。
歴代艦長
- 艤装員長
- 駆逐艦長
参考文献
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- 伊藤正徳「第五章 タサファロンガ海戦の勝利」『連合艦隊の栄光』角川書店、1974年7月。
- 石渡幸二「不滅の駆逐艦長吉川潔」『太平洋戦争の提督たち』中央公論社、1997年12月。ISBN 4-12-203014-5。
- 伊藤正徳『連合艦隊の栄光』角川書店、1974年7月。
- 生出寿『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』光人社、1996年12月。ISBN 4-7698-2143-3。
- 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3。
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
- 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
- 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
- 小林昌信ほか『戦艦十二隻 国威の象徴"鋼鉄の浮城"の生々流転と戦場の咆哮』光人社、2014年8月。ISBN 978-4-7698-1572-3。
- 当時「金具」砲術長・海軍中佐浮田信家『洋上の砲台「金剛」ソロモン海に突入せり 綿密な計算と猛訓練のもと実施されたガ島砲撃に参加した砲術長の回想』
- 重本俊一(海軍兵学校70期)「第四章 業火の海」『回天発進 わが出発は遂に訪れず』光人社、1989年4月。ISBN 4-7698-0436-9。
- 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8。
- 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録』
- 当時「親潮」航海士・海軍少尉重本俊一『わが「親潮」ルンガ沖に突入せよ 米艦隊の真っ只中に殴り込んだ親潮、黒潮、陽炎のルンガ沖夜戦』
- 当時「早潮」分隊士・海軍少尉岡本辰蔵『快速輸送「早潮」兵員物資の積み降ろし秘法 命がけのネズミ輸送”東京急行”に従事した揚陸指揮官の苦心惨憺』
- 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0。
- 当時「陽炎」信号員・海軍一等兵曹谷義保『十五駆逐隊「陽炎」ソロモン輸送航海記 黒潮、親潮、早潮の十五駆へ編入。最多ともいえる二十数回の決死行』
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- 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030101800。
- 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030102000。
- 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030102100。
- 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030106100。
- 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030106200。
- 『昭和18年12月1日~昭和19年2月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030106900。
- 『昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 佐伯防備隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030404800。
- 『昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030044900。
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- 『昭和17年4月1日~昭和17年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030354000。
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脚注
- ^ a b #達昭和16年10月(2)p.11『達第三百二十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦一隻及駆潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 照月(テルヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻波(マキナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十九號駆潜艇』
- ^ a b c #半藤(朝日ソノラマ)258-259頁『●巻波(まきなみ)』
- ^ #昭和17年12月31日艦艇類別等級表p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』
- ^ #内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「風雲」ノ下ニ「、巻波」ヲ加ヘ、同秋月型ノ項中「秋月」ノ下ニ「、照月」ヲ加フ(以下略)』
- ^ a b #S1612舞鎮日誌(1)p.10『(2)新造艦船工事 夕雲ハ十二月五日竣工引渡ヲ了シ又巻波ハ十二月二十七日豫定通進水セリ』
- ^ #S1612舞鎮日誌(1)p.59『五(天候略)工廠工事 驅逐艦夕雲新造工事完成竣工式引渡ヲ終了ス(略)其ノ他 夕雲竣工翌六日出港セリ』
- ^ #S1612舞鎮日誌(1)p.76『二七|気象(天候)雨(温度)八.二(視界粁)四|一〇〇〇巻波進水(略)驅逐艦巻波進水式』
- ^ #内令昭和16年12月(4)pp.20-21『内令第千七百五十三號 驅逐艦 巻波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十六年十二月二十七日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ #S1706舞鎮日誌pp.8-9『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ秋月、巻波及初月ノ艤装工事竝ニ島風、第三四〇號艦及第三百四十一號艦ノ建造工事ハ概ネ順當ニ進捗シツツアリシモ秋月砲熕公試ノ結果不具合ノ點アリ完成期ヲ六月十日ニ變更セル處尚俯角制限装置機構手直ヲ要スル爲更ニ六月十九日迄完成期ヲ延期セラレタル處作戰ノ関係上砲熕機能試験ヲ省略シ六月十一日引渡ノコトニ大臣ヨリ指令アリタルニ付任務ニ差支ナキ程度ニ整備ノ上十一日竣工引渡ヲ了ス』
- ^ #S1704舞鎮日誌(1)p.9『(1)新造艦船工事 秋月、巻波及初月(四月三日進水)ノ艤装工事竝ニ第百二十五號及第三百四十號艦ノ建造工事ハ共ニ概ネ順當ニ進捗シツツアリ』
- ^ a b #S1708舞鎮日誌p.5『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ巻波 初月 島風ノ艤装工事、第三四〇號 第三四一號艦ノ建造工事及本月五日起工セル第三四二號艦建造工事ハ何レモ順當ニ進捗シ巻波ハ十八日完成引渡シヲ了セリ』
- ^ a b #S1707舞鎮日誌(1)pp.6-7『(1)新造艦船工事 艤装中ノ巻波及初月工事ハ概ネ順調ニ進捗シツツアリシモ巻波ハ十五日第三回豫行運轉中罐管破裂ヲ生ジ之ガ換装ノ爲完成期日三日ノ延期(八月十八日)ヲ具申極力完成ヲ急ギツツアリ/又起工中ノ島風ハ豫定通七月十八日進水ヲ了シ其ノ後艤装工事概ネ順調ニ進捗中ナリ/第三四〇、第三四一號艦工事モ同様順調ニ進捗シツツアリ』
- ^ #S1707舞鎮日誌(1)p.7『(3)其ノ他ノ工事』
- ^ #S1705舞鎮日誌pp.10-11『(2)艦船其ノ他ノ工事 利根筑摩第三十四驅逐隊及第三十三潜水隊ノ整備工事竝ニ薄雲ノ特定修理工事、大潮ノ損傷復舊工事、其ノ他艦船兵器及陸上部隊ノ主要造修訓令通牒工事ハ概ネ豫定通進捗中ナリ』
- ^ #S1706舞鎮日誌p.9『(2)其ノ他ノ工事(a)損傷復舊工事 薄雲工事=豫定通進捗中ニシテ七月末完成ノ豫定/大潮工事=目下現場調査作業豫定按畫中/那珂工事=損傷復舊竝ニ改装工事ノ爲本月二十一日入港セリ (b)天龍、龍田工事=本月十五日完成/呂六三潜水艦工事=本月八日完成現地ニ向ケ出港セルモ途中主電動機電動子燃損ノ爲十日歸投セルヲ以テ換装工事中/名取工事=本月十七日入港整備工事中/三十一驅潜隊工事=本月二十七日入港直ニ工事着手セリ/神威工事=本月二十九日入港〃』
- ^ #S1707舞鎮日誌(1)pp.7-8『(b)艦船整備工事 名取(十日)神威(十八日)三十一驅戦隊(三十一日)呂六三潜(十七日)ノ整備工事ハ何レモ概ネ順調ニ進捗各附記ノ通完成作戰地ニ向ケ進出セリ/利根筑摩ニ對スル整備工事ハ十六日入港以來極力進捗中』
- ^ #S1708舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂工事=豫定通進捗中/霞工事=損傷復舊工事ノ爲本月十三日入港目下損傷部調査中 (b)利根筑摩ノ整備工事ハ六日完成シ作戰地ニ向ケ進出セリ 夕風(二十一日)、室戸(二十四日)ハ附記ノ通入稿以來極力進捗中』
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- ^ 「昭和17年7月15日(水)海軍公報(部内限)第4142号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C12070413300 『○事務所設置 巻波艤装員事務所ヲ六月三十日舞鶴海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
- ^ #S1708舞鎮日誌p.67『一八|気象(天候)雨(気温)二六.六(視界粁)十粁|一五〇〇巻波竣工引渡完了警備驅逐艦ト定メラル(略)工廠工事 驅逐艦巻波新造工事竣工』
- ^ 「昭和17年8月27日(木)海軍公報(部内限)第4179号 p.36」 アジア歴史資料センター Ref.C12070422300 『○事務所撤去 驅逐艦巻波艤装員事務所ヲ八月十八日撤去セリ』
- ^ a b c 「昭和17年8月20日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第925号 p.41」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086600
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- ^ #S1708横鎮日誌(4)p.3『十八日一九〇二海軍大臣(宛略)官房機密第一八一九〇二一六番電 十八日附巻波ヲ警備驅逐艦ト定メラル』
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- ^ #S1708横鎮日誌(5)p.20『三十一日〇九〇〇巻波艦長(宛略)〇八〇〇呉着』
- ^ #S1708横鎮日誌(5)p.20『三十一日一〇三〇高波艦長(宛略)本艦本日一〇三〇引渡終了』
- ^ 「昭和17年8月31日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第931号 p.21」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086700
- ^ #S1708横鎮日誌(5)p.20『三十一日〇九〇〇海軍大臣〇〇一一海軍大臣(宛略)三十一日附驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 一.三十驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ 三十一驅逐隊 長波巻波/二.七潜水隊ノ項ニ「伊號第七」ヲ加フ』
- ^ #S1709二水戦日誌(1)p.6『(ロ)九月中ノ2sd艦隊區分』
- ^ #S1709二水戦日誌(1)p.3『(一)(略)九月二十五日附神通呉鎮部隊ニ、五十鈴2sdニ夫々編入/九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更』
- ^ #S1701三戦隊日誌(5)pp.4-5『(ハ)當隊ノ情況(一)前月来前進部隊主隊ニ編入セラレアリシ処八月十日附前進部隊待機部隊(指揮官3S司令官、兵力3S《三十一日31dgヲ編入》)ニ編入セラレ内海西部ニ在リテ訓練竝ニ整備ニ從事スルコトトナレリ』
- ^ #S1709二水戦日誌(1)pp.4-5『(四)31dg自九月一日至九月六日内海西部ニ在リテ待機訓練ニ從事九月六日3Sト共ニ「トラック」ニ進出』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)p.59『六(天候略)六.一七〇〇31dg(3Sト共ニ)「トラック」ニ向ケ豊後水道出撃』
- ^ #S1701三戦隊日誌(5)p.18『(3)九月六日呉発伊予灘ニ於テ當隊及第三十一駆逐隊ノ第一類教練作業ヲ実施順調ニ經過シ夕刻豊後水道ヲ出撃「トラック」ニ向ヘリ』
- ^ 木俣『日本戦艦戦史』173ページ
- ^ #S1701三戦隊日誌(5)p.19『(4)九月十日「トラック」着直ニ補給ヲ実施シ又聯合艦隊司令部ニ於テ打合ヲ行ヒ戦況ヲ聴取シ令達其ノ他ヲ受領セリ』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)p.66『一一(天候略)三.〇五〇〇3S 31dg「トラック」出撃AdBニ向ケ追及』
- ^ #S1701三戦隊日誌(5)p.19『(5)當隊ハ八日附前進部隊本隊ニ編入セラレ十日「トラック」ヲ出港セシ本隊ニ追及及合同ヲ命ゼラレシヲ以テ第三十一駆逐隊ト共ニ十一日「トラック」発十三日夕刻本隊ニ合同セリ』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)pp.68-69『一三(天候略)一三.一七〇〇3S 31dg前進部隊本隊ニ合同3Sノ直衛ハ早潮及31dg、8Sノ直衛ハ親潮黒潮トセラル』
- ^ #S1709二水戦日誌(3)p.5『自九月十一日至九月二十三日|31dg|九月十一日3Sノ直衛トシテ「トラック」出撃九月十三日一五〇〇前進部隊本隊ニ合同ス』
- ^ #S1709二水戦日誌(1)p.5『(四)31dg(略)自九月十一日自九月十三日前進部隊本隊トシテ「ガダルカナル」奪還支援竝ニ敵艦隊捕捉撃滅作戦ニ從事』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)p.56『四.参考 麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ 『支援部隊前進部隊第三戦隊戦闘詳報第五号』
- ^ #S1709二水戦日誌(1)p.5『(四)31dg(略)自九月二十三日至九月三十日「トラック」ニ在リテ時期作戰準備竝ニ待機主要艦船護衛及應急警戒艦トシテ泊地警戒任務ニ從事』
- ^ #S1706五戦隊日誌(3)p.6『(二)二十九日〇七〇〇羽黒修理工事ノ爲佐世保ニ向ケ出港ス』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)p.53『巻波駆艦長(宛略)一二〇〇羽黒ノ護衛ヲ止メ一六〇〇北水道應急出動艦錨地ニ投錨明日長波ト任務ヲ交代ス異状ナシ』
- ^ #S1709二水戦日誌(2)pp.83-84『二十九(天候略)(略)二.〇六三〇巻波羽黒ヲ護衛シ「トラック」發(略)六.一六〇〇巻波護衛任務終了「トラック」着』
- ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
- ^ 「昭和17年12月18日(金)海軍公報(部内限)第4270号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C12070423900 『○司令驅逐艦指定 第三十一驅逐隊司令ハ十月一日司令驅逐艦ヲ高波ニ指定セリ』
- ^ #叢書83ガ島戦211頁『進撃』
- ^ #摩耶(学研M)149頁『ガダルカナル島基地砲撃一覧表』
- ^ #叢書83ガ島戦222頁『第五戦隊の飛行場砲撃』
- ^ 木俣『日本水雷戦史』214ページ
- ^ #S1706五戦隊日誌(4)pp.6-7『(四)(略)一一三〇ニ至リ揚陸中ノ味方輸送船団敵機ノ集中攻撃ヲ受ケツツアルノ情況ニ鑑ミ「ガダルカナル」飛行場制圧ノ要更ニ切ナルモノアリ 一二三〇前進部隊信令第二四一號ニ依リ5S(羽黒欠)摩耶2sd(15dg欠)ヲ率ヰ「ガ」島攻撃隊トシテ前進部隊本隊ヨリ分離急速「ガダルカナル」ニ侵入同夜同飛行場及同辺陣地ニ猛撃ヲ加エ北上ス 味方輸送船団ハ夕刻揚陸ヲ打切リ「ショートランド」ニ避退セリ』』
- ^ a b c #叢書83ガ島戦349-350頁
- ^ #S1709二水戦日誌(5)p.5『(四)24dg 自十月十一日至十月三十一日 前進部隊挺身攻撃隊トシテ「ガ」島砲撃作戦竝ニ「ガ」島敵増援部隊敵艦隊ノ補足撃滅作戦ニ従事』
- ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報 第一二号』pp.72,73
- ^ #S1711二水戦日誌(1)p.6『(ホ)24dg 自十一月一日至十一月二日「トラック」ニ在リテ整備竝ニ次期作戦準備 自十一月三日至十一月十五日外南洋部隊増援部隊トシテ輸送船護衛揚陸掩護竝ニ増援輸送作戦ニ従事』
- ^ #S1711二水戦日誌(4)p.7『(四)十一月六日外南洋部隊電令作第218號ニ依リ2sdハ増援部隊ニ編入、4sd(d×4)8dg(d×1缺)望月當隊ノ指揮下ニ入ル』
- ^ a b #叢書83ガ島戦350-351頁『七日の輸送』
- ^ #S1709二水戦日誌(5)pp.15-16『15dg司令(宛略)戦斗概報 一.15dg(黒潮缺)31dg24dg10dg(巻雲秋雲缺)は「ガ」島ヘ糧食輸送ノ爲六日2300「ショートランド」出撃迂回航路ヲトル 當時雲量10雲高低ク濃密ナル「スコール」屢〃アリシモ0810 B-17一機次デ1310敵艦爆二機ノ触接ヲ受ケ1530地点「ケミヌ46」ニ於テ敵中小型機二〇數機来襲セリ上空直衛中ノ味方水上機一〇機ト協力1610撃退セリ 被害長波下士官兵戦死3重傷7(陸兵1)一番砲塔旋回機電路2粁信號灯2號発電機故障18及23番重油「タンク」貫通漏洩全力發揮差支ナシ 高波軽傷1/二.「タサハロング」揚陸隊ハ2045泊地ニ進入小發ノ故障多ク約八割揚陸傷病者90及陸軍便乗者76収容0020皈途ニ就ク 「エスペランス」ハ全部揚陸2100ヨリ敵機二常ニ泊地附近上空ニ在リシモ天候極メテ不良ノ爲發見サレズ』
- ^ a b c #叢書83ガ島戦353頁『十日の輸送』
- ^ a b #叢書83ガ島戦379-381頁『第二次輸送船団の被爆』
- ^ #S1711二水戦日誌(1)pp.22-23『十五日2255増援部隊指揮官(宛略)戦斗概報第一號 一.増援部隊(黒潮缺)十二日1530船団(十一隻)ヲ護衛「ショートランド」出撃Z日ヲ十四ニ改メラレタルヲ以テ十三日0300反転一旦「ショートランド」ニ皈着1030親潮巻名㎡地点「ケナホ31」ニ於テ飛行機誘導ノ下敵潜ニ對シ共同爆雷攻撃ヲ行フ効果不明同日1530再出撃十四日0555ヨリ1530迄ノ間ニ敵艦爆69雷撃機7戦斗機8B-17 22計106機ノ銃雷爆撃(内大集団爆撃二回)ヲ受ケ輸送船4隻火災1隻傾斜(雷撃)佐渡丸航行ノ自由ヲ失ヒシヲ以テ駆逐艦7隻ヲシテ各乗員及陸兵ヲ救助天霧望月佐渡丸ヲ嚮導「ショートランド」ニ回航セシメ爾後ノ輸送船4隻ヲ護衛「ガ」島ニ航進中敵巡4駆逐艦2同方面北上中ノ報ニ接シ一時船団ヲ北西方ニ避退セシメタルモ1615再ビ反転「ガ」島ニ向フ 1730敵部隊「サボ」島西方ニ向ケ国情中ナルヲ知リ船團ヲ北東方ヨリ4Sノ行動ニ續行入泊セシムル如ク行動2200頃「サボ」島附近ニ於テ彼我交戦中命ニ依リ船団ハ一時北方ニ避退戦斗終了後更ニ反転0200船団(四隻)ヲ「タサハロング」ニ擱座揚陸セシメ0230駆逐艦9隻ヲ率ヒ北方ニ避退セリ/二.夜戦ニ関シテハ戦斗速報ノ通/三.戦果 親潮高波巻波各敵機1ヲ撃墜 親潮敵戦艦(「ノースカロライナ」型)ニ魚雷1命中我ニ被害ナシ』
- ^ a b #叢書83ガ島戦397-398頁『第二次輸送船団の壊滅』
- ^ a b c d #叢書83ガ島戦429-430頁『ムンダ輸送開始』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.21『巻波羽風神威丸外二隻|一一-二五|第二次「ムンダ」輸送ヲ完了ス』
- ^ #叢書83ガ島戦431-432頁『ドラム罐輸送計画』
- ^ #S1711二水戦日誌(3)p.49『「ルンガ」沖夜戰合戰圖(縮尺十萬分ノ一)』
- ^ a b c #ニミッツの太平洋海戦史141-143頁『タッサファロンガ海戦』
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- ^ #叢書83ガ島戦437-440頁『米艦隊の戦闘』
- ^ a b c #叢書83ガ島戦440頁『十二月三日』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.22『2sd(早潮缺)|一一-三〇|RXNニ「ドラム」罐輸送ノ為進撃中「タサハロング」沖ニ於テ敵B×1 C×4 d×12ト交戦B×1(ワシントン型)C×1(オーガスタ型)轟沈、d×2撃沈、c×1 d×2大破 我高波沈没ス』
- ^ 「昭和18年10月16日(発令昭和17年11月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1241号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800
- ^ #内令昭和17年12月分(4)p.29『内令第二千三百七十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「早潮、」ヲ削ル|第三十一驅逐隊ノ項中「、高波」ヲ削ル』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.6『第二次「ガ」島輸送|2sd司令官|15dg(親潮黒潮陽炎)、31dg(巻波長波)、24dg(江風涼風)、4dg(嵐野分)、夕暮|三日|巻波空爆ニ依リ損傷』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.59『長波夕暮 15dg 4dg(舞風萩風缺) 24dg(海風缺)|一二-三|第二次「ドラム」罐輸送ヲ實施シ揚陸「ドラム」罐數約三一〇(地点タサファロング、セギラウ)戰果撃墜一〇機被害未皈還零観五 巻波死傷二十数名小波』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.4『(ニ)第三十一驅逐隊 自一日至十三日「ショートランド」ヲ基地トシ第二次(三日四日)第三時(七日八日)第四次(十一日十二日)「ガ」島輸送ニ從事 但シ巻波ハ「八日」ラバウル回航修理 自十四日至三十一日「ラバウル」ヲ基地トシ第一回第一次(自十五日至十八日)「ムンダ」輸送ニ從事 巻波ハ第二回第一次(自二十日至二十二日)「ムンダ」輸送ニ從事』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.15『八(略)一.〇五三〇巻波ラバウル着修理ニ從事』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.6『第一回第一次「ムンダ」輸送|司令官2sd|15dg(d×3)17dg(谷風)31dg(d×2)|十六日』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.61『天霧夕霧|一二-一三「レカタ」増援輸送ヲ實施ス|長波巻波15dg(親潮黒潮陽炎)17dg(谷風)|「ムンダ」輸送艦陸兵親潮二〇〇谷風二一〇基地二二〇陸軍二〇粍機銃四「ドラム」罐二〇』
- ^ a b #叢書83ガ島戦453頁『第一回輸送』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)pp.19-20『一六(略)四.二〇四〇敵機六來襲輸送隊ニ銃爆撃ヲ加ヘ陽炎戰死二軽傷三船隊一部小損』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.62『17dg(浜風磯風)巻波陽炎|一二-二一|第二回第一次「ムンダ」輸送ヲ實施ス』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.6『第二回第一次「ムンダ」輸送|(司令)17dg|17dg(谷風浦風)巻波陽炎|二十一日』
- ^ #叢書83ガ島戦454頁『第二回輸送』
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.63『江風涼風巻波陽炎 哨二|一二-二七|駆逐艦支援ノ下ニ哨二號「エスペランス」ニ擱座決行急速糧食ノ揚陸ヲ計画セシ所NTF信電令作第五號ニ依リ中止セラル』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.27『二七(天候略)一.〇一〇〇哨二擱座揚陸ノ支援隊〔24dg(江風涼風)巻波陽炎〕ラバウル發 哨二ノ揚陸延期トナリタル爲一三三〇ショートランド入泊(略)』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)p.7『四.二水戰各隊(艦)行動要覧(斜線部航海)』
- ^ #S1712外南洋部隊詳報(2)pp.27-28『二七(天候略)二.〇三三〇24dg(江風涼風)巻波陽炎ショートランド發航路上敵潜掃蕩ヲ實施シツツ一八三〇ラバウル着(略)』
- ^ 「昭和17年12月31日(発令12月29日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700
- ^ #外南洋増援部隊日誌(2)S1712p.28『小柳司令官着任、田中前司令官退隊』
- ^ #半藤(朝日ソノラマ)235-236頁
- ^ 「昭和18年2月5日(発令2月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1048号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600
- ^ 「昭和18年10月1日(発令10月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1228号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093500
- ^ a b c d #叢書83ガ島戦510-512頁『一月二日』
- ^ #S1801二水戦日誌(2)p.18『三.軍隊区分』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)p.8『第五次「ガ」島輸送|二日三日|2sd司令部 15dg(親潮黒潮陽炎)31dg(長波巻波)24dg(江風涼風)磯波電荒潮|涼風空爆至近弾ニ依リ中破』
- ^ #S1801二水戦日誌(2)pp.28-29『3日1225増援部隊指揮官→8F司令長官(略)|一.第五次ガ島輸送部隊2日1100ショートランド発1215地点ケトネ41ニ於テB-17五P-38五機ト交戦撃退1605地点ケヌフ14ニ於テ爆撃機戦斗機十数機ト交戦味方直衛戦斗機六機ト共ニ撃退涼風至近弾ニ依リ損傷電掩護ノ下ニショートランドニ回航セシム 輸送部隊2200エスペランス着警戒隊ヲ以テ魚雷艇約八隻ノ執拗ナル来襲ヲ阻止撃攘(一隻撃沈)シツツ揚陸作業強行ドラム缶540ゴム嚢250投入2230泊地発3日0800(涼風電ハ0630)ショートランド帰着(以下略)』
- ^ a b c d e #叢書83ガ島戦512-513頁『一月十日』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)pp.15-16『九(天候略)一.〇九〇〇8dg(大潮)一一〇〇16dg(初風時津風)「ショートランド」着 何レモ増援部隊編入/二.〇七三〇15dg(親潮陽炎)鶴見山陽○ヲ護衛シ「ショートランド」發/三.一五〇〇第六次ガ」島輸送作戰打合/〇六一〇10S司令部「ラバウル」進出(旗艦秋月)』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)p.8『第六次「ガ」島輸送|十日十一日|2sd司令部 黒潮巻波24dg(江風)4dg(嵐)8dg(大潮荒潮)16dg(初風時津風)|初風魚雷艇ノ雷撃ヲ受ケ大破』
- ^ #戦艦大和最後の艦長208-209頁
- ^ #S1801二水戦日誌(2)p.40『輸送部隊ハ遠ク敵制空権下ニ進出シ敵水上部隊ノ出現ヲ厳戒シツツ既ニ泊地ニ潜入待機中ノ魚雷艇7隻及哨戒機2機ト交戦シ混戦中ノ輸送ヲ強行シテ前記ノ如キ成果ヲ収メ其ノ功績顕著ナリ。特ニ嵐(将旗4dg)、江風(将旗24dg)時津風ハ損傷艦初風ヲ護衛シ友軍機ノ協力ト相俟ッテ長途離脱ニ成功シ功績極メテ顕著ナリト認ム』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)p.4『(イ)第二水雷戰隊司令部 自一日至十一日「ショートランド」及「ラバウル」ヲ基地トシテ「ガ」島輸送作戰ノ指導ニ任ジ第五次(二日三日)第六次(十日十一日)「ガ」島輸送作戰ニ従事/十一日第十戰隊司令部ニ増援部隊指揮官ノ引繼ヲ了シ十二日「ショートランド」發十四日「トラック」着整備訓練次期作戰準備並ニ輸送船護衛等ノ指導ニ任ズ』
- ^ a b #S1801二水戦日誌(1)p.18『一一(天候略)一.〇六三〇秋月(司令官10S)「ショートランド」着/二.〇九一五黒潮8dg(大潮荒潮)巻波「ショートランド」着/三.一五三〇10S司令官ニ増援部隊指揮官ノ引継ヲ了ス/四.一五三五将旗ヲ長波ニ移揚/五.江風(司令24dg)巻波8dg(大潮荒潮)東部「ニューギニア」方面護衛隊ニ編入/六.一八三〇嵐江風初風時津風「ショートランド」皈着/七.一七〇〇8dg(大潮荒潮)巻波「ラバウル」ニ向ケ「ショートランド」發』
- ^ #叢書83ガ島戦516-517頁『兵力の増援』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)pp.4-5『(ロ)五十鈴及神通 五十鈴ハ引續キ横須賀ニ於テ修理ニ従事十六日第十六戰隊ニ編入/神通同日第二水雷戰隊ニ編入呉ニ於テ修理ニ従事十八日呉發二十三日「トラック」着訓練並ニ次期作戰準備ニ従事』
- ^ #内令昭和18年1月(2)p.25『内令第四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、大波」ヲ加フ』
- ^ #S1801二水戦日誌(1)pp.5-6『(二)第三十一驅逐隊 長波ハ自一日至十一日「ショートランド」方面ニ在リテ第五次(二日三日)「ガ」島輸送作戰ニ従事 十二日前進部隊ニ復皈同本隊ニ編入同日「ショートランド」發十四日「トラック」着整備竝ニ訓練ニ従事/巻波ハ第五次(二日三日)第六次(十日十一日)「ガ」島輸送作戰ニ従事後引續キ外南洋部隊ニ残留シ同方面作戰ニ従事/大波ハ二十日三一驅ニ編入同日呉發二十五日「トラツク」着整備訓練並ニ次期作戰準備ニ従事』
- ^ a b #叢書83ガ島戦518-519頁『六号輸送(第六師団のボーゲンビル島進出)』
- ^ #S1709第八艦隊日誌(4)pp.36-37『一月十九日妙法丸(陸軍輸送船)東経156度20分南緯5度38分ニ於テ雷撃ヲ受ケ航行不能20日未明沈没、秋月右救援ノ途中東経156度20分南緯6度附近ニ於テ雷撃ヲ受ケ一時航行不能司令官以下負傷者十数名行方不明十数名』
- ^ a b 「昭和18年1月25日(発令1月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1040号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500
- ^ #S1801二水戦日誌(1)p.7『(二)二十三日小柳司令官退隊長波将旗ヲ撤ス 三十日伊崎司令官着任神通ニ将旗ヲ掲グ/(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戰隊司令官ノ職務ヲ代理ス』
- ^ a b #叢書83ガ島戦534-536頁『外南洋部隊兵力部署』
- ^ a b c #S1801二水戦日誌(3)p.4『(ハ)第三十一驅逐隊 大波一月三十一日「トラック」發前進部隊警戒隊トシテ「ケ」號作戰ニ従事二月九日「トラック」皈着 十五日鳥海冲鷹ヲ護衛シ同地發二十日横須賀着修理ニ従事 二十八日萩風ト共ニ冲鷹ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ同地發/巻波 外南洋部隊増援部隊トシテ第一次「ガ」島撤収作戰ニ従事中爆弾命中損傷「ラバウル」ニテ修理ニ従事 九日前進部隊ニ復皈二十七日恵照丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ同地發/長波引續キ「トラック」ニ在リテ修理及訓練ニ従事/清波 二十五日附第三十一驅逐隊ニ編入二十七日海風ト共ニ盤谷丸西貢丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ横須賀發』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)p.7『三.第二水雷戰隊各(隊)行動要覧(斜線部航海中)』
- ^ #戦艦大和最後の艦長212-213頁
- ^ a b #叢書83ガ島戦557-558頁『第一次撤収(二月一日)』
- ^ a b 木俣『日本水雷戦史』256ページ
- ^ a b c d e f g #叢書83ガ島戦558-560頁『実施』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)pp.45-46『巻波駆艦長(宛略)一六一五地点ケハハ19ニ於テ敵機ノ攻撃ニ依リ一缶右舷ニ命中弾ヲ受ケ三兵員室一.二缶室満水二缶室機械舵(後部操舵)使用可能ナルモ各隔壁ニ強度ノ不安アルヲ以テ目下文月ニ曳航セラレ「ショートランド」ニ向ヒツツアリ通信装置全部及二番砲使用不能戰死傷者約四〇名ノ見込』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)pp.46-47『巻波駆艦長(宛略)其ノ後調査ノ結果』
- ^ #S1802第17駆日誌(1)p.9『一七〇〇|灯火戰斗管制 増援部隊指揮官巻波ヨリ白雪ニ移乗』
- ^ #S1802第17駆日誌(1)p.10『一七一二|巻雲夕雲警戒隊ニ編入サル』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)pp.10-11『一(天候略)三.第一次ガ島撤収参加駆逐艦二〇隻(黒潮巻波江風参加)撤収人員五三八三 巻波爆弾命中損傷(文月曳航)巻雲触雷沈没(處分)』
- ^ #S1802第17駆日誌(1)p.11『二月二日〇〇〇五|巻雲後部ニ觸雷航行不能 夕雲警戒ニ残ル 後刻夕雲巻雲ヲ処分シ避退セリ』
- ^ 「昭和18年2月15日(発令2月12日付)海軍辞令公報(部内限)第1053号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700
- ^ #S1801二水戦日誌(3)p.19『一二(天候略)一.一〇三〇涼風佐世保ニ向ケ「トラック」發(「サイパン」経由)/二.一二〇〇村雨(司令官4sd)「トラック」着/三.31dg司令驅逐艦ヲ大波ニ変更』
- ^ #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)p.6『軍隊區分』
- ^ #S1801二水戦日誌(3)p.22『二七(天候略)一.一五〇〇巻波恵昭丸ヲ護衛シ「トラツク」ニ向ケ「ラバウル」發』
- ^ #S1801二水戦日誌(4)p.3『(ロ)巻波(二日以後)長波(七日迄)江風(自六日至二十日)ハ「トラック」ニ在リテ修理ニ從事』
- ^ #S1801二水戦日誌(4)p.10『二(天候略)一.一二〇〇巻波「トラック」着修理ニ從事 二.一五〇〇江風「トラック」ニ向ケ「ラバウル」發』
- ^ #S1801二水戦日誌(4)p.7『四.行動要覧(斜線部航海中)』
- ^ #S1801二水戦日誌(4)pp.36-37『2F参謀長|二十九日二三五五(宛略)巻波ハ四月下旬修理ノ爲舞鶴着ノ予定 一.二號罐ハ大破缶管全部竝一號罐右舷水「ドラム」及前(同)缶右舷後部蒸氣過熱器「ドラム」破損使用不可能ナルモ其ノ他ノ各「ドラム」等良態故障修理内補機ハ全部使用可能/二.右ノ状況ナルニ付整備ニ関シ豫メ準備方手配相成度』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)pp.3-4『(ハ)第三十一驅逐隊 大波(司令31dg)清波ハ上旬「トラツク」ニアリテ警戒待機訓練並ニ整備ニ従事九日内南洋部隊ニ編入主トシテ「トラツク」「ラバウル」間輸送船護衛ニ従事/長波修理完成二十五日横須賀發三十日「トラツク」着/巻波十五日「トラツク」發二十四日舞鶴着修理ニ従事』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)p.6『四月一五日 同二二日|巻波|間宮 總洋丸|「トラツク」→内海西部』
- ^ #S1804佐伯防備隊(2)p.26『四月二十一日一五五二呉防戰司令官(宛略)一.間宮總洋丸(護衛艦巻波)二十三日一二〇〇北緯三〇度三七分東経一三二度三二分針路三二五度二十四日〇四〇〇深島北上ノ予定』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)p.8『四.行動要覧(斜線部航海中)』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)p.17『二四(天候略)四.〇七三〇巻波舞鶴着』
- ^ #S1804舞鎮日誌p.68『二四(天候略)巻波損傷復舊工事ノ爲入港』
- ^ #1804舞鎮日誌p.6『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春 何レモ豫定通工事進捗中/巻波 二十四日入港復舊工事ニ着手』
- ^ #1805舞鎮日誌(1)pp.5-6『(a)損傷復舊工事 霞不知火初春巻波 何レモ豫定通工事進捗中/太刀風 十五日入港損傷復舊工事ニ着手』-『(b)修理工事』
- ^ a b #1806舞鎮日誌p.5『(a)損傷復舊工事 霞=損傷復舊工事ニ併セ重油タンク加熱装置施行三十日完成/不知火初春=船渠内ニ於テ損失部結合工事中/巻波太刀風=概ネ豫定通工事進捗中/名取=6月1日入港工事中ナルモ資材入手ノ關係上明年五月末完成ノ見込』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)p.46『巻波駆逐艦長|二七日一九二〇(天候略)一号、二号罐共新製ヲ要スル處不知火罐ヲ流用九月二日積込一二月二五日全工事完成ノ見込』
- ^ #S1801二水戦日誌(5)pp.46-47『GF参謀長|二九日二〇二三(宛略)巻波機密第二七一五一三番電関聯巻波罐修理ハ左ノ二案ノ何レカニ依リ一應速ニ完成方取計ハレ度本修理差支ナキ限リ罐新製後実施 一.一,二号罐共ニ相当期間ノ作戰国府津ニ耐ユルヲ目途トスル修理ニ止ム/二.一,二号罐ノ中一罐ヲ修理スルニ止ム(使用可能罐二ナルニ付特殊任務ニ充當)』
- ^ a b #S1805舞鎮日誌p.5『(二)造修(1)新造艦船工事 島風=工事竝ニ諸公試終了十日完成引渡/早波・濱波=艤装工事豫定通進捗中/沖波 船臺ニ在リテ罐及主機械積込中/第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中(以下略)』
- ^ #1805舞鎮日誌(2)p.15『一〇(天候略)島風舞廠ニ於テ竣功引渡』
- ^ #S1807舞鎮日誌(1)p.7『(1)新造艦船工事』
- ^ #S1807舞鎮日誌(2)p.13『十八(天候略)工廠工事 沖波進水』
- ^ #S1804舞鎮日誌p.5『(1)新造艦船工事 島風=運轉公試ノ結果巡航機械ノ性能不充分ニ付整備ヲ要スルコトトナリ完成期五月十日ニ延期/早波=艤装工事豫定通進捗中/濱波=艤装工事完了十八日進水艤装工事中/第三四二號・第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事中ニシテ豫定通工事進捗中(以下略)』
- ^ #1806舞鎮日誌p.5『(1)新造艦船工事 早波・濱波=艤装工事豫定通進捗中/沖波=船臺ニ在リテ罐及主機械積込中/第三四五號艦=船臺ニ在リテ建造工事豫定通進捗中/第三六一號艦=五月八日起工目下船臺ニ在リテ船殻工事中』
- ^ #S1807舞鎮日誌(1)p.8『(a)損傷復舊工事』
- ^ 「昭和18年5月21日(発令5月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1021号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091000
- ^ #S1807舞鎮日誌(2)p.12『十五(天候略)工廠工事 巻波假稱電波探信儀装備工事ニ着手』
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史171頁
- ^ 「昭和18年7月20日(発令7月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1174号 p.6」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092200
- ^ #S1806二水戦日誌(1)pp.6-7『7月20日旧4sd(19日附解隊)兵力(長良、27dg、五月雨)ヲ2sdニ編入旗艦ヲ長良ニ指定セラレ、又4sd司令官高間少将以下職員全部2sd職員ニ転捕セラレ同日将旗ヲ長良ニ掲揚ス、舊4sd司令部附ハ其ノ儘長良ニ乗艦引続キ2sd司令部ノ事務ヲ執ラシム。』
- ^ #S1806二水戦日誌(1)p.25『(一)4sd兵力ノ2sd編入竝ニ旗艦ノ変更』
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史172頁
- ^ #内令昭和18年10月(4)p.8『内令第二千百五十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第四驅逐隊ノ項中「嵐、萩風、」ヲ、第十一驅逐隊ノ項中「初雪、」ヲ、第二十四驅逐隊ノ項中「江風、」ヲ、第二十七驅逐隊ノ項中「有明、夕暮」ヲ、第三十驅逐隊ノ項中「三日月、」ヲ、第三十一駆逐隊ノ項中「、清波」ヲ削ル』
- ^ #S1808舞鎮日誌pp.9-10『(b)修理艦船 名取不知火初春巻波太刀風長波(七日入港)長良(十六日入港)ノ損傷復舊工事ノ促進指導及大波(十二日入港)、鴻(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號第三十六、三十七號潜水艦ノ出仕作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ太刀風ハ豫定通工事完成三十一日出撃セリ』
- ^ #S1806二水戦日誌(2)pp.4-5『(二)第三十一驅逐隊 大波=AdB(十五日以降YB)ニ編入八月四日「トラツク」發ノ大鷹ヲ護衛九日横須賀着十日同發十二日舞鶴着爾後同地ニ於テ九月上旬完了豫定ニテ修理ニ從事中/長波=北方部隊ニ編入同方面作戰(「ケ」號作戰ニ従事)中ノ處八月三日HPBヨリ除カレAdB(十五日以降YB)ニ復歸舞鶴ニ回航七日ヨリ同地ニテ九月上旬完成豫定ニテ修理ニ從事中/巻波=AdB(十五日以降YB)ニ在リ前月ニ引續キ舞鶴ニテ修理中(十月中旬完成ノ豫定)』
- ^ 「昭和18年9月10日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1211号 pp.15-16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092900
- ^ 「昭和18年9月15日(発令9月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1216号 p.37」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093000
- ^ #S1809舞鎮日誌(2)p.8『十五(天候略)一一〇〇巻波工事完了出撃(略)工廠工事 巻波通風装置改修、船体損傷復舊、水中聴音機装備各工事完成』
- ^ a b #S1809舞鎮日誌(1)pp.9-10『(b)修理艦船 名取長良不知火初春ノ損傷復舊工事ヲ初メ巻波長波秋風(九日入港)掃二十四(二十三日入港)大波鴻掃二十二(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ 呂三六 呂三七潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ長波、呂三六潜五日、大波七日、巻波十五日、鴻十七日、呂三七潜二十二日工事完成出撃セリ』
- ^ a b #S1806二水戦日誌(3)p.13『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ #S1806二水戦日誌(3)p.7『(2)第三十一驅逐隊(略)巻波=舞鶴ニ在リテ修理整備中ノ所十五日完成同日附YBヨリ除カレGF電令作第三九九號ニ依リ丁二號輸送部隊ニ編入(GF附属)舞鶴發途中清澄丸ヲ合同護衛十九日呉淞着二十四日同部隊護衛「トラツク」ニ向ケ上海發』
- ^ #S1806二水戦日誌(3)p.93『一九(天候略)巻波一四〇〇呉淞着(略)巻波清澄丸ヲ護衛呉淞着(以下略)』
- ^ #S1806二水戦日誌(3)p.5『(2)中旬(略)護衛 大波(丁一號輸送部隊)巻波(丁二號輸送部隊)長波島風(摩耶其ノ他)白露(間宮船團)五月雨(興津丸船團)』
- ^ #S1806二水戦日誌(3)p.94『二四(天候略)巻波丁二號輸送部隊護衛「トラツク」ニ向ケ上海發』
- ^ a b c #S1806二水戦日誌(4)pp.6-7『(2)第三十一驅逐隊(大波、長波略)巻波=丁二號輸送部隊トシテ二日「トラツク」着即日發五日「ラバウル」着任務終了六日同發九日「トラツク」着十二、十三大波ト共ニ敵潜掃蕩攻撃十七日以降「ブラウン」大鳥島方面行動大波ニ同ジ爾後「トラツク」ニテ待機』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.74『二(天候略)巻波〇八〇〇「トラック」着一六〇〇「トラック」発|五月雨敵巡洋艦戰隊ヲ発見セルモ交戰セズ任務終了帰途ニ就ク/巻波丁二号輸送部隊ヲ護衛「トラック」着補給終了後「ラバウル」ニ向ケ「トラツク」発』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.75『五(天候略)玉波〇八〇〇呉着/巻波〇七三〇「ラバウル」着(略)巻波丁二号輸送部隊護衛「ラバウル」着』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.77『九(天候略)巻波〇七二〇「トラツク」着/島風白露一五三五「トラツク」着/五月雨〇九二九「ラバウル」着|2sd準戰技打合会/巻波丁二号輸送部隊ヲ護衛「トラツク」着/島風冲鷹ヲ護衛「トラツク」着/巻波丁二号輸送作戰終了「トラツク」着』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.77『一〇(天候略)2sd(能代)24dg((海風涼風)白露31dg(大波巻波長波)島風 準戰技ノタメ礁外ニ出動|準戰技ノ爲礁外出動諸訓練』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.78『一一(天候略)長波涼風一四〇〇「トラック」発|長波涼風5S直衛トシテ「ラボウル」ニ向ケ「トラック」発』
- ^ #S1712五戦隊日誌(3)p.13『十一(天候略)1400 5S長波涼風ヲ率ヰ「トラツク」出撃』
- ^ #S1806二水戦日誌(4)p.12『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史176-177頁『ブーゲンヴィル作戦』
- ^ #第八戦隊日誌(7)p.39『(ロ)我ガ軍ノ情況(部隊ノ移動並軍隊區分ノ變更) (一)十月下旬ヨリ十一月中旬迄3F(1sf)航空兵力ノ大部ヲ南東方面ニ派遣南東方面ノ作戰ニ協力セシメラル』
- ^ #第八戦隊日誌(7)p.40『(一)十一月一日敵ハ「ボーゲンビル」島「タロキナ」方面ニ上陸作戰ヲ開始シ「ブカ」方面ニ之ガ波及ノ徴アリ、遊撃部隊〔4S 2sd(能代32dg島風)7S(鈴谷最上)8S(筑摩)〕ハ聯合艦隊電令作第七八四號ニ基キ直ニ出撃ノ準備ヲ完了ス』
- ^ a b #S1806二水戦日誌(5)pp.11-12『(4)31驅(略)巻波=日榮丸護衛二日「トラツク」着三日夕刻基地物件搭載出撃五日「カビエン」着基地物件揚搭後即日「ラバウル」着 爾後左ノ外31驅(大波)ト同ジ 十九日夕張艦長ノ麾下ニ入リ機密NTB命令作第四號ニ依ル作戰輸送ニ從事』
- ^ #S1807三水戦日誌(5)p.17『(四)麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ 木俣『日本水雷戦史』389ページ
- ^ #S1806二水戦日誌(5)pp.11-12『(4)31驅(大波) 一日「カビエン」着揚搭後即日發二日「ラバウル」着敵機(ノースアメリカン七〇 ロッキード二〇)ト交戦撃墜三機 五日敵機數十機ト交戦撃墜一機何レモ被害ナシ六日「ラバウル」發B號作戦挺身輸送部隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」輸送作戦ニ従事七日歸着任務完了 爾後「ラバウル」ニ在リテ待機警戒對空戦闘ニ従事 二十一日第一次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了二十二日歸着 二十四日第二次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了歸途「ブカ」島ノ二八〇度四十浬附近ニ於テ敵CS dg各一隊及魚雷艇數隻ト交戦大波、巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)pp.4-5『六日2sd(能代32驅(早波)31驅)B號作戦部隊ニ編入、2sd(能代32驅)ハ第二次支援隊トシテ31驅ハ挺身輸送隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」ニ陸兵輸送七日「ラバウル」ニ歸投セリ27驅(時雨)ハ別動「ブカ」輸送作戦ニ従事七日歸着 爾後「ラバウル」ニ在リ待機警戒毎日籔回来襲ノ敵機ト交戦大ナル被害ナシ』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.11『涼波=三日「トラック」出撃迄31驅(早波、玉波、藤波)ニ同ジ 四日日章丸護衛ノ爲分離16驅司令ノ指揮ヲ受ケ同船警戒救難五日「ラバウル」着同日夕刻4S護衛「ラバウル」發七日「トラック」着即日「トラック」發九日「ラバウル」着、十一日敵機来襲ノ際「ラバウル」灣口附近ニ於テ交戦一機ヲ撃墜セルモ被雷撃及魚雷ノ誘爆ニ依リ〇七〇七沈没』
- ^ a b c #S1806二水戦日誌(6)p.53『五.戦果及被害 (一)戦果 飛行機撃墜二機 涼波1早波1 (二)被害 沈没 駆逐艦一隻(涼波) 撃破 駆逐艦一隻(長波) 其ノ他 被害ナシ|六我兵力ノ現状 (一)全力發揮可能ノモノ (司令官)能代(司令)早波藤波(司令)大波巻波 (二)其ノ他 長波航行不能對空射撃(機銃可能)』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)pp.12-13『長波=一日一航戦基地物件輸送「ラバウル」着同日NTB OSYBニ編入午後出港「ブーゲンビル」島沖海戦ニ参加 二日歸投敵機ト交戦撃墜五機人員兵器異常ナシ 同五日同ジク「ラバウル」ニ在リテ敵機ト交戦撃墜二機 六日以後十日迄大波ニ同ジ 十一日「ラバウル」ニ在リテ敵機約百三十機ト交戦〇七〇七至近弾次デ〇七一五頃後部ニ被弾機械舵故障使用不能トナリ巻波曳航ノ上入港 爾後「ラバウル」ニ在リテ修理竝ニ警戒ニ従事中(二十七日被曳航準備完成)』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)pp.44-45『0930|(司令)31dg→(司令官)31dg機密第110845番電 大波異状ナシ長波爆撃ノ爲推進器脱落航行不能大波ハ之ヲ曳航作業中位置中位岬ノ東一浬』-『1130|(司令)31dg→(長官)NTF(司令官)2sd 大波曳航作業中右舷推進器ニ「ワイヤー」搦ミタルニツキ巻波ヲシテ長波ヲ曳航セシメ大波ハ湾内ニテ故障復舊ニ力メシム 「スコール」晴レ視界良好各艦逐次港内錨地ニ至リ漂白對空警戒ヲ厳ニス』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.49『十一日0725(司令官)10S|十一日0725|我艦尾ニ魚雷命中舵機故障|無線』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.50『11日将旗2sd/艦N1702/直衛配備ヲ左ノ通定ム 能代ノ左右70度摩耶ノ左右90度長鯨ノ180度距離2粁前方ヨリ右側若月風雲、左側早波藤波、後方五月雨』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.32『一一(天候略)1708NTB電令作第135号ニ依リ阿賀野救難ノタメ2sd(能代)32dg(早波藤波)遭難現場ニ急行ス 摩耶長鯨五月雨若月風雲「トラック」ニ先行セシム』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.6『31驅(大波、巻波、長波)「ラバウル」ニ在リテ待機中十九日巻波ハ作戦輸送ニ従事セリ』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.17『麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ #S1807三水戦日誌(5)p.9『(8)十一月十五日|旗艦 3sd司令官|夕張』
- ^ a b c #S1807三水戦日誌(5)pp.20-25『(二)一時指揮下ニ入レル艦船』
- ^ #S1807三水戦日誌(5)pp.15-24『(二)麾下竝ニ一時指揮下ニ入レル艦船ノ行動(一)麾下艦船』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.35『一九(天候略)巻波一一一〇「ラバウル」発(略)巻波夕張艦長指揮ノ下ニ作戰輸送從事』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.35『二〇(天候略)巻波〇四一五「ラバウル」着』
- ^ a b 木俣, 401ページ
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.35『二一(天候略)31dg(大波巻波)一三二六「ラバウル」発|丙作戰第三法発動/31dg(大波巻波)第一次「ブカ」輸送作戰ノ爲「ブカ」ニ向ケ「ラバウル」発』
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.35『二二(天候略)31dg(大波巻波)〇五二五「ブカ」着|31dg(大波巻波)「ブカ」着輸送人員物件揚搭後発「ラバウル」ニ向ケ「ブカ」発』
- ^ a b #S1806二水戦日誌(5)p.7『(3)下旬 31驅(大波、巻波)二十一日二十二日第一次「ブカ」作戦輸送ニ従事同二十四日二十三日第二次「ブカ」作戦輸送ニ従事揚陸後歸途二十五日0000頃「ヘンバニ」岬南西海面ニ於テ敵巡洋艦戦隊、水雷戦隊、魚雷艇群ト交戦砲雷撃ヲ受ケ沈没セリ』
- ^ a b #S1806二水戦日誌(6)pp.11-12『(4)31驅(大波) 一日「カビエン」着揚搭後即日發二日「ラバウル」着敵機(ノースアメリカン七〇 ロッキード二〇)ト交戰撃墜三機 五日敵機數十機ト交戰撃墜一機何レモ被害ナシ 六日「ラバウル」發B號作戰挺身輸送部隊警戒隊トシテ参加「タロキナ」輸送作戰ニ従事 七日歸着任務完了爾後「ラバウル」ニ在リテ待機警戒對空戦闘ニ従事/二十一日第一次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了二十二日歸着/二十四日第二次「ブカ」輸送隊トシテ巻波ト共ニ出撃揚搭完了歸途「ブカ」島ノ二八〇度四十浬附近ニ於テ敵CS dg各一隊及魚雷艇數隻ト交戦大波、巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没』
- ^ a b c #半藤(朝日ソノラマ)245-246頁
- ^ 木俣, 402ページ
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.19『24日2230(司令)31dg(宛略)31dg機密第242230番電 2200揚搭完了帰途ニ就ク』
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史187-188頁
- ^ #S1806二水戦日誌(6)p.36『二五(天候略)0000「ヘンパン」岬ノ二五〇度四五浬ニ於テ31dg(大波巻波)敵巡洋艦戰隊駆逐隊各一隊及魚雷艇数隻ト交戰大波巻波砲雷撃ヲ受ケ沈没ス』
- ^ #S1806二水戦日誌(5)p.19『25日0015(司令)11dg(宛略)11dg機密第250015番電 「ヘンパン」岬ノ250度45浬ニ於テ警戒隊敵大巡ト遭遇其ノ魚雷ニ依リ大波沈没我北方ニ避退中』
- ^ a b 木俣『日本水雷戦史』405ページ
- ^ #S1807三水戦日誌(5)p.41『(二)大波巻波夕霧}十一月二十五日沈没』
- ^ a b 「昭和19年1月25日(発令昭和18年11月24日付)海軍辞令公報(部内限)第1304号 p.38」 アジア歴史資料センター Ref.C13072095400
- ^ 「昭和19年5月1日(発令昭和18年11月24日付)海軍辞令公報(部内限)第1457号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C13072098000
- ^ #太平洋戦争の提督たち162頁
- ^ #S1812二水戦日誌(1)p.15『(4)31dg(長波)「ラバウル」ニ在リテ待機修理中ノ所 三日水無月曳航夕張22dg(文月)護衛ノ下ニ「ラバウル」發八日「トラック」着原隊ニ復皈(NTB、SYBヨリ除カル) 爾後「トラック」ニ在リテ修理内地回航準備ヲナス 下旬内地回航下令セラレタルモ延期セラル』
- ^ #S1812二水戦日誌(3)p.14『(5)31dg(長波)「トラック」ニ在リテ待機中九日附YB整備部隊ニ編入セラル 十五日長良曳航「トラック」発二十五日呉着被害箇所修理工事ニ着手』
- ^ #S1812三水戦日誌(5)p.12『自一月十五日至一月二十四日30dg(卯月)夕凪自「トラック」至内地(内海)間長波回航隊(警戒隊)』
- ^ #S1812三水戦日誌(6)p.21『長波一月二十四日一四三二(宛略)發長波回航部隊指揮官 回航部隊一〇三〇豊後水道通過警戒隊(卯月夕凪)一四三〇平群島着』
- ^ #S1812二水戦日誌(4)p.13『長波 呉ニ在リテ修理整備ニ従事中』
- ^ #内令昭和19年2月(2)p.18『内令第三百十五號 舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 巻波 驅逐艦 大波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ #内令昭和19年2月(2)p.19『内令第三百十八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「、巻波、大波」ヲ削ル』
- ^ #内令昭和19年2月(2)p.18『内令第三百十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年二月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、巻波、大波」ヲ「長波、岸波、沖波、朝霜」ニ改ム』
- ^ #S1812二水戦日誌(4)p.4『十日附三十一駆(長波)ニ(岸波、沖波、朝霜)編入 大波長波駆逐艦籍ヨリ除カル』