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玉波 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1939年度(④計画
起工 1942年3月16日
進水 1942年12月26日
就役 1943年4月30日竣工
その後 1944年7月7日戦没
除籍 1944年9月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000 hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名/244名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

玉波(たまなみ)は[注釈 1]日本海軍駆逐艦[2]夕雲型駆逐艦の9番艦である[3][注釈 2]

概要

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一等駆逐艦玉波(たまなみ)は[注釈 1]、日本海軍が藤永田造船所1942年(昭和17年)3月から1943年(昭和18年)4月30日にかけて建造した夕雲型駆逐艦[5]。竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属して訓練に従事する[6][7]6月8日、十一水戦僚艦と共に戦艦陸奥の爆沈に遭遇した[8]

同年7月1日付で玉波は前進部隊に編入される[9]。7月中旬、水上機母艦日進等を護衛してトラック泊地に進出する[2][10]。 空母隼鷹護衛中の10月1日[11][12]、玉波は第二水雷戦隊隷下の第32駆逐隊に編入される[13] ひきつづき、第二水雷戦隊所属各艦(駆逐艦島風など)と共に輸送船団や航空母艦の護衛に従事した[14]

11月上旬、第二水雷戦隊は遊撃部隊を護衛してラバウルに進出するが、ラバウル空襲に遭遇する[15]。玉波は重巡最上を護衛して後退した[16][注釈 3]。その後、艦船や船団護衛任務に従事した[5]

1944年(昭和19年)3月中旬[19]、東松二号船団旗艦の軽巡龍田が沈没[20]、玉波は生存者を収容した[21]。 3月下旬から4月中旬にかけて、玉波は東松三号船団東京湾サイパン島パラオ諸島)に従事した[22]。 6月下旬、マリアナ沖海戦に前衛部隊に所属して参加した[5]

同海戦敗北後の7月上旬、「玉波」と「藤波」は軽巡洋艦北上[23] とタンカー旭東丸を護衛してシンガポールからマニラに向かった[24][25]7月7日未明、玉波はマニラ沖合でアメリカ潜水艦ミンゴ[2]の雷撃を受け[26]、沈没した[5][27]

艦歴

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建造経緯

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1939年度(④計画)仮称第124号艦として、藤永田造船所で建造[28]1942年(昭和17年)11月1日、本艦は『玉波(たまなみ)』と命名される[注釈 1]。同日付で、海防艦対馬等と共に艦艇類別等級表に類別される[注釈 2]

1943年(昭和18年)2月20日、日本海軍は佐間英邇中佐を[29]、玉波艤装員長に任命する[30]。佐間中佐は駆逐艦綾波の艦長として第三次ソロモン海戦で活躍したが[29]、綾波は同海戦で撃沈されていた[31]

2月26日、藤永田造船所の玉波艤装員事務所は事務を開始する[32]4月30日、竣工[33]。佐間中佐(玉波艤装員長)は、玉波駆逐艦長(初代)となる[29][34][注釈 4]。玉波艤装員事務所は撤去された[35]舞鶴鎮守府籍となる[36]

昭和18年中旬の行動

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玉波は4月30日の竣工と共に[6][37]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された[注釈 5]瀬戸内海に回航され訓練を受ける[37][40][41]。 5月5日、十一水戦司令官は旗艦を龍田から玉波に変更した[42]。同月9日、玉波から秋月型駆逐艦新月にかわった[注釈 6]。 5月中旬以降、島風型駆逐艦島風や秋月型駆逐艦若月も十一水戦に編入され[43]、本艦と共に訓練おこなった[41][44]

6月8日、桂島泊地所在の各艦(第十一水雷戦隊、大淀[45]最上[46]長門扶桑)等は[47]、長門型戦艦陸奥の爆沈に遭遇した[48]。十一水戦は木村少将(龍田座乗)指揮下で救助活動に従事する[8]

6月22日、十一水戦所属の若月と玉波は大和型戦艦武蔵の護衛艦に指定され、同任務のために横須賀に向かう[49][50]6月23日朝、横須賀に着いた[47][51]。 到着後まもなく、神子元島沖合でアメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) [52] の雷撃をうけた特設運送艦相良丸日本郵船、7,189トン)[53] の救難を下令される[54]。相良丸は駆逐艦澤風に曳航され、翌24日になり天竜川河口に擱座した[55][注釈 7]

6月25日[57]、駆逐艦4隻は戦艦武蔵を護衛して横須賀を出発した[47][58]。武蔵は豊後水道を通過し[59]6月27日に呉到着[57][58]。玉波と若月も内海西部に到着した[60]。 同時期、第三次ソロモン海戦で舵の故障により戦艦比叡が自沈したことをふまえ、大型艦を曳航する訓練がおこなわれる[61]。玉波と若月は戦艦長門(舵故障想定)を曳航し、12ノットで曳航することができたという[61]

7月1日付で玉波は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将、海軍兵学校42期)に編入され[62]、前進部隊(指揮官近藤信竹海軍中将、第二艦隊司令長官)所属となる[9]。 出撃準備中の7月7日、玉波駆逐艦長は佐間中佐から青木久治中佐に交代した[63]。後日、佐間中佐は駆逐艦冬月艦長等を歴任した[29]

7月中旬、日本海軍は南海第四守備隊を最前線に輸送する[64][65]。当初、同部隊はマーシャル諸島配備予定だった[66]。だがニュージョージア島の戦い生起によりソロモン諸島に配備先を変更したという経緯があった[67][68]7月9日-10日、玉波は水上機母艦日進[69] を護衛してを出撃した[10][70]第一航空戦隊(第三艦隊司令長官小沢治三郎中将)と合流する[71]。 玉波は小沢中将指揮下の航空母艦や航空巡洋艦最上等と合流し、日本本土を離れる[72][65][注釈 8]7月15日、暗号解読や僚艦からの通報によりアメリカ潜水艦ティノサポーギーなどがトラック諸島近海で小沢艦隊を待ち伏せていた[72][83]。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊に被害はなかった[72]。 同日、トラック諸島に到着する[84][85][注釈 9]。 トラック着後の玉波は軽巡洋艦五十鈴(第十四戦隊)の指揮下に入り、五十鈴と玉波は空母瑞鳳より輸送人員や物件を受け入れる[89]7月16日午前7時、五十鈴と玉波はトラック泊地を出撃した[90][91]。 7月19日、五十鈴と玉波はナウル島に到着、輸送任務を終えた[90][92]7月22日[90]、トラックに帰る[93]

7月23日、玉波と駆潜艇28号はタンカー3隻(富士山丸、日栄丸、東亜丸)を護衛してトラックを出撃、パラオ方面に向かう[94][95]7月24日、トラック西方においてアメリカ潜水艦ティノサ[96]が特設給油艦第三図南丸を襲撃する[97][98]。魚雷15本が第三図南丸に命中したが[99]、起爆したのは2本[100]もしくは3本[101]だけだった。第三図南丸は航行不能になり[102]、玉波は日栄丸船団の護衛をやめて救援に向かう[103]。 7月25日から雄島(特設工作艦)、軽巡五十鈴[91]、神風型駆逐艦朝凪等の救援を受ける[100]。玉波は応援艦艇と共に五十鈴(第三図南丸曳航中)の指揮下に入り、同艦を護衛した[100][104]。第三図南丸はトラック泊地に戻ることができた[101][注釈 10]

8月初旬、玉波はトラック泊地所在であった[105][106]。 3日から5日にかけて、陽炎型駆逐艦磯風(第17駆逐隊)と行動を共にした[105][107]。磯風と玉波はタンカー旭東丸を護衛してトラックを出撃する[105][108]。 予定通り途中で護衛をやめ、内地からトラック泊地へ進出中の戦艦武蔵[109](連合艦隊旗艦)や第五戦隊[110] に合流、側方警戒隊となった[111]8月5日未明、アメリカ潜水艦スティールヘッドが主力部隊を襲撃、空母雲鷹を狙って雷撃を行うが、命中しなかった[101]。同日、武蔵以下の主力部隊はトラック泊地に到着した[112]。 磯風と玉波も警戒任務を終えた[113][114]

8月14日、玉波は船団4隻(北安丸、神州丸、天南丸、健洋丸)を護衛してトラック泊地を出撃する[105][115]。19日、パラオに着いた[105][116]。 玉波は臨時にニューギニア方面防備部隊に編入されていたため、23日から25日にかけて[117][118]、陸軍輸送船団(護衛艦白鷹)の護衛に従事する[119][120]。 同月28日、玉波は「八二八三船団」[121][122] のタンカー3隻(鶴見東亜丸富士山丸[105] 護衛艦としてパラオを出撃する[123]。 9月2日、八二八三船団はトラック泊地に到着した[124][125]

9月10日、玉波は東亜丸を護衛してトラック泊地を出撃する[124][126]。分離直後に東亜丸が雷撃されたので、対潜掃蕩をおこなう[124][127]。その後、トラック泊地に戻った[128]

9月18日、第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将、海軍兵学校37期)と第二艦隊(司令長官栗田健男中将、海軍兵学校38期)のマーシャル諸島方面への出撃に際して、第二水雷戦隊も連合機動部隊に組み込まれた[129][注釈 11]。 連合機動部隊は、第三艦隊[注釈 12]と第二艦隊[注釈 13]の主力艦艇によって編成されていた[133][134]。 玉波は第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃した[124][135]。 連合機動部隊は、ブラウン環礁に移動した[136][注釈 14]。 基地航空隊が出撃したのみで、連合機動部隊が米軍と直接交戦することはなかった[139][140]。 玉波は機動部隊前衛に編入される[124][141]。 9月23日、連合機動部隊はブラウン環礁を撤収する[142][143]。トラック泊地に戻った[140][144]

9月29日[145][146]、内地帰投部隊の空母隼鷹[147]、軽巡木曾[148]、軽巡多摩[149]、玉波はトラックを出発した[150]。 豊後水道を通過[151][152]。 10月5日[148]、呉に帰着した[153][154][注釈 15]

第32駆逐隊

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本艦が隼鷹護衛中の1943年(昭和18年)10月1日付で、玉波は第32駆逐隊(駆逐隊司令中原義一郎[155] 大佐)に編入される[12][156]。 32駆は夕雲型定数4隻(玉波〈藤永田造船所、4月20日竣工〉、涼波〈浦賀船渠、7月27日竣工〉、藤波〈藤永田造船所、7月31日竣工〉、早波〈舞鶴海軍工廠、7月31日竣工〉)となった[13][154]。 10月14日[157][158]、艦隊(隼鷹[146]、雲鷹[159][160]、玉波、)は佐伯を出撃する[161]。 10月19日、隼鷹隊はトラック泊地に到着した[162][163]。本艦はトラック泊地で待機する[164]

同年11月上旬、ブーゲンビル島の戦い[165]に伴うろ号作戦の大戦果(誤認)に呼応し、第二艦隊司令長官栗田健男中将が指揮する重巡洋艦基幹の遊撃部隊(重巡〈愛宕高雄鳥海摩耶鈴谷最上筑摩〉、第二水雷戦隊〔軽巡〈能代[166]、第32駆逐隊〈玉波、涼波藤波早波〉、島風型〈島風〉〕)は[167][16]、トラック泊地からラバウルへ進出する[168][注釈 16]。 だが11月5日、栗田部隊はアメリカ軍機動部隊の空襲を受けて大きな被害を出す[170][171]ラバウル空襲[172][注釈 17]。 栗田部隊は、航行不能の摩耶[174]や二水戦主力等を残してラバウルから退避した[16][175]。トラック回航部隊のうち最上は損傷により速力12ノットしか発揮できず、遊撃部隊に同行できなかった[176]。そこで最上は単独帰投となり、玉波がその護衛に従事した[177]。その後、鈴谷と島風が遊撃部隊から分離して、最上と玉波の警戒に従事した[16]。11月8日、4隻はトラック泊地に到着した[178]。最上艦長相徳一郎大佐は、玉波に対し「ラバウル出港以来連日連夜わが艦の護衛に任じてくれた駆逐艦玉波の労苦に対しては、深甚の謝意を表する次第である。」と回想している[179]

11月11日、二水戦の玉波と島風は、空母翔鶴[73]、第四戦隊(愛宕[180]高雄[181] を護衛してトラック泊地を出発する[182][183]。11月15日、翔鶴隊は横須賀に到着した[184]。修理と整備を実施する[182][183]

11月26日[185]、駆逐艦4隻(玉波[182]、島風[183]谷風秋月)は空母翔鶴[73]千歳[186] を護衛して日本本土を出撃した[注釈 18]。 12月1日、翔鶴隊はトラック泊地に到着した[190][191]。 二水戦の3隻(島風、玉波、五月雨)は数日間、トラック泊地で待機する[192][193]

12月7日、玉波と島風は「第七〇七二船団」(富士山丸、神国丸)[194][195] を護衛してトラックを出発した[196][197]。 11日、玉波と島風は途中で富士山丸船団護衛を止め[198]、その後の護衛は哨戒艇に引き継ぐ[199][注釈 19]。 玉波と島風は日栄丸船団(日栄丸、旭東丸、照川丸)に合同してトラック泊地に向かった[199][200]。 12月15日、日栄丸船団はトラック泊地に到着した[193][201][202]。。 同時期、工作艦明石の世話になっていた最上の応急修理が完成する[203]。 12月16日、最上艦長の指揮下[191][204]、最上[80]、玉波(第32駆逐隊)、(第9駆逐隊)はトラック泊地を出発した[205][206]。 12月21日、最上隊は日本本土に帰還する[80][207]。玉波は呉で[196]、霞は舞鶴で[208][209]、修理と整備をおこなった[210]

昭和19年の行動

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1944年(昭和19年)1月17日、玉波の出撃準備が完了する[211]連合艦隊は空母神鷹と、玉波(第32駆逐隊)および薄雲(第9駆逐隊)に輸送任務を命じた[212]。 1月19日、神鷹は徳山沖で試運転を行うが、21日に呉へ回航された[213][注釈 20]。神鷹の機関不調は深刻で出撃できず、薄雲と玉波も別任務に投入され[注釈 21]。玉波は横須賀に回航された[210][211]

1月29日[181][216]、重巡洋艦高雄は瑞鳳艦長服部勝二大佐の指揮下に入る[217][218]。 玉波と第21駆逐隊(初春若葉[219] は、高雄および第三航空戦隊の空母瑞鳳[75]千代田[220][221] を護衛して横須賀を出撃した[210][211]。 同時期、小笠原諸島西方海域で軽空母雲鷹[注釈 22]が危機に瀕していたので[223]、高雄と玉波は雲鷹の救援に向かった[224][225]。 1月31日午後2時、玉波は高雄艦長の命令により反転、瑞鳳隊の護衛に戻った[225][226]

2月3日[210]、瑞鳳隊(瑞鳳[227]、千代田[221]、若葉、初春、玉波)はトラック泊地に到着した[228][229]。 しかし、2月5日のクェゼリンの玉砕によりアメリカ軍の脅威が差し迫り、連合艦隊はトラックからの総引き揚げに決した[227][230]。連合艦隊主力部隊はパラオやリンガ泊地に回航されたが、連合艦隊司令部は大本営と協議するため横須賀にむかう[231]。 2月10日[210][232]、戦艦武蔵[231](連合艦隊旗艦)[233]、軽巡大淀[45]、三航戦(千代田、瑞鳳)は[234]、それぞれトラック泊地を出発した[235][236]。 護衛部隊(第21駆逐隊〈初春若葉[237]、二水戦〈玉波、満潮白露〉)が武蔵以下に同行する[238][239]。 2月13日、日本近海で母艦部隊は横須賀に向かう武蔵隊と分離した[228][240][241]。 15日、母艦部隊も瀬戸内海に帰投した[注釈 23]。玉波は呉海軍工廠に入渠後、機銃増備工事とレーダー取り付け工事が行われた[228]。引続き、玉波と長波は呉で修理をおこなう[243]

3月、日本海軍は中部太平洋方面の兵力強化を目的として緊急輸送作戦(松輸送)を立案し、第十一水雷戦隊や連合艦隊所属各艦(玉波を含む)は海上護衛司令長官の指揮下に入った[244][245]。 3月13日[246]、東松2号輸送船団は八丈島海域で米潜水艦サンドラス (USS Sand Lance, SS-381) に襲撃される[19]。被雷した輸送船国陽丸(大阪商船、4,607トン)が沈没、軽巡龍田(第十一水雷戦隊旗艦)が航行不能となる[247][248]。 第十一水雷戦隊(東松2号輸送船団指揮官、高間完少将)[249]は旗艦を陽炎型駆逐艦野分に変更した[250][251][252]。 横須賀在泊や日本近海の艦艇(夕張、玉波等)は、まだ沈んでいなかった龍田の救援に向かう[253][注釈 24]。 龍田遭難現場に急行した玉波は、護衛部隊の海防艦平戸と駆逐艦卯月に合流した[21][255]。 玉波は卯月より龍田生存者を受け入れ[256][257]、平戸と共に横須賀へ帰投した[注釈 25]

3月22日、玉波は東松三号輸送船団(加入船舶12隻)[260] に所属して東京湾を出撃する[261][262]。 船団旗艦は、修理を終えたばかりの軽巡洋艦夕張[263][264](船団部隊指揮官、第一特設船団司令官伊集院松治少将)[265] [266]。 夕張以外の護衛艦艇は、駆逐艦3隻(玉波、旗風)、海防艦平戸能美[249]、水雷艇、駆潜艇3隻であった[267][268]。 3月25日、駆潜艇54号がアメリカ潜水艦ポラックに撃沈される[269]。 3月28日、パラオ行船団(護衛艦〈玉波、平戸、能美〉、船舶〈辰浦丸、乾安丸、富津丸、長白山丸、南洋丸、早埼〉)はサイパン行船団(夕張他、3月30日着)[264] と分離する[270][268]。だがアメリカ軍機動部隊出現の報によりパラオ行船団(玉波以下)も4月2日サイパン島に避退する[270][268]。4月7日に出撃し[210][268]、米軍機動部隊来襲の情報によりヤップ島に避泊したあと、4月14日パラオ諸島に到着した[267]。玉波は4月17日パラオ出発、20日横須賀に帰投した[210]

4月25日、玉波は横須賀を出発し、呉に移動する[271][271]。内海西部で待機[210]。 5月11日、駆逐艦複数隻(夕雲型駆逐艦〈玉波、早霜秋霜[272]、第4駆逐隊〈満潮野分野分[273]、第27駆逐隊〈時雨〉)は[274]第二航空戦隊隼鷹飛鷹龍鳳[275])、第三航空戦隊千歳千代田瑞鳳)、戦艦武蔵[57] を護衛して佐伯を出撃する[276][277]。 5月16日、タウイタウイに到着した[278][279]。 日本艦隊は同泊地で訓練を実施するが、アメリカ潜水艦が頻繁に出現するため母艦航空隊の訓練ができず、練度に不安が残った[280][281]

6月6日、タウイタウイ泊地近海で、船団護衛中の駆逐艦水無月[282]がアメリカ潜水艦ハーダーに撃沈された[283][284]6月7日、対潜掃蕩に向かった駆逐艦早波[283]、またしてもハーダーに撃沈された[285][286][注釈 26]。早波の沈没時に早波駆逐艦長の清水逸郎中佐[288] と折田大佐(第32駆逐隊司令)が戦死した[注釈 27]。 第32駆逐隊は司令不在となったため(司令駆逐艦は玉波に変更)[291]、玉波艦長青木久治中佐が6月15日付で第32駆逐隊司令に転任[292]、早波艦長として着任予定だった千本木十三四中佐(海兵52期)が玉波艦長となった[292]。 日米海上決戦を目前にした駆逐艦の度重なる喪失は、日本海軍機動部隊の行動にも影響をあたえはじめた[293][294]

6月19日のマリアナ沖海戦における第32駆逐隊(玉波、藤波、浜波)は[295][296]、丙部隊(第三航空戦隊、第二艦隊主力)に所属して第二艦隊司令長官栗田健男中将(愛宕座乗)[297]直率の機動部隊前衛部隊として行動する。 海戦は大敗[298]。前衛部隊は、6月20日の戦闘で3隻(千代田、榛名、摩耶)[299]に爆弾命中や至近弾による損害があった[300][301]

海戦後、遊撃部隊(第二艦隊、第三航空戦隊、第二水雷戦隊等)は6月22日に沖縄本島中城湾に立ち寄った後[302]、翌23日に内海西部へ向かった[303]。だが玉波と藤波は遊撃部隊に同行せず[210][304]、6月25日マニラに到着した[305]。さらにマニラから昭南に回航された[305]

沈没

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7月2日以降[306]、軽巡洋艦「北上[23] と第32駆逐隊(玉波、藤波)は[307][308]、シンガポールからマニラ経由で日本に向かう「旭東丸」(飯野海運、10,051トン)の護衛に従事した[309][310][注釈 28]

7月7日未明2時ごろ、「玉波」は北緯14度19分 東経117度57分 / 北緯14.317度 東経117.950度 / 14.317; 117.950[312]マニラ湾口西方海域を航行中に潜水艦を探知し、反転攻撃に向かった[313]。同時にアメリカ潜水艦「ミンゴ[285]もレーダーにより4つの目標を探知[314]。「吹雪型駆逐艦」、すなわち「玉波」が推定23ノットの速力で向かってきていると判断した後、潜航してさらに観測を続けた[314]。12発に及ぶ爆雷攻撃をやり過ごした後、艦尾発射管から魚雷を4本発射[315]。しかし、これは命中しなかった[315]。1時間後に体勢を立て直し艦首発射管から魚雷を4本発射[316]。うち3本が命中して「玉波」は艦首から沈没した[316]轟沈であった[27]。 「玉波」がいるあたりに火炎と爆炎が立ち昇るのを認めた「藤波」は反転し、断続的に捜索と爆雷攻撃を行ったが手がかりはつかめなかった[313][317]。 32駆司令青木大佐(海軍少将へ進級)[318] および千本木中佐(玉波駆逐艦長)[319] 以下276名が戦死した[5]

9月10日、玉波は夕雲型駆逐艦[320]、 帝国駆逐艦籍より除籍された[321]

歴代艦長

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艤装員長
  1. 作間英邇 中佐:1943年2月20日[30] - 1943年4月30日[34]
駆逐艦長
  1. 作間英邇 中佐:1943年4月30日[34] - 1943年7月7日[63]
  2. 青木久治 中佐:1943年7月7日[63] - 1944年6月15日[292]
  3. 千本木十三四 中佐:1944年6月15日[292] - 1944年7月7日 戦死、同日付任海軍大佐[319]

参考文献

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  • 阿川弘之『軍艦長門の生涯 下巻』新潮社、1975年12月。 
  • 池田清『重巡摩耶 元乗組員が綴る栄光の軌跡』学習研究社〈学研M文庫〉、2002年1月(原著1986年)。ISBN 4-05-901110-X 
  • 大井篤「第6章 崩れ去る夏の陣(昭和19年6月から同年8月まで)」『海上護衛戦』株式会社KADOKAWA〈角川文庫〉、2014年5月(原著1953年)。ISBN 978-4-04-101598-8 
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年3月。 
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年3月。 
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0 
  • 『南太平洋の凱歌 わが機動部隊の快勝』 第12巻、今日の話題社〈太平洋戦争ドキュメンタリー〉、1968年11月。 
    • (57-88頁)重巡最上艦長 元海軍少将相徳一郎『〔悲運の軍艦最上〕ラバウル対空戦 海戦ごとに大破 力戦ついに力尽く
  • 佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年1月。ISBN 4-7698-2408-4 
  • 塩山策一ほか『変わりダネ軍艦奮闘記 裏方に徹し任務に命懸けた異形軍艦たちの航跡』潮書房光人社、2017年7月。ISBN 978-4-7698-1647-8 
    • (65-74頁)元三十五突撃隊・海軍二等兵曹・艦艇研究家正岡勝直『捕鯨工船「図南丸」太平洋に死せず 半年は捕鯨、半年は輸送の身を戦場に転じ傷ついてなお復活した第三図南丸
  • 須藤幸助『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』光人社〈光人社NF文庫〉、2010年1月(原著1956年)。ISBN 978-4-7698-2630-9 
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日~九月』中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6 
  • 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第七巻 昭和十八年十月一日~昭和十九年十二月三十一日』中央公論社、1997年7月。ISBN 4-12-403397-4 
  • 手塚正己『軍艦武藏 上巻』新潮社〈新潮文庫〉、2009年8月。ISBN 978-4-10-127771-4 
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄・戸高一成/編集委員 編『福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』 第5巻、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6 
  • 福田幸弘『連合艦隊 ― サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年7月(原著1983年)。 
  • 淵田美津雄奥宮正武『機動部隊 新装版戦記文庫』朝日ソノラマ、1992年12月(原著1951年)。ISBN 4-257-17269-X 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦<1> マリアナ玉砕まで』 第6巻、朝雲新聞社、1967年7月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 マリアナ沖海戦』 第12巻、朝雲新聞社、1968年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで』 第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』 第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』 第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』 第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 戦艦 I』 第1巻、光人社、1989年7月。ISBN 4-7698-0451-2 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 空母 I 鳳翔・龍驤 赤城・加賀 翔鶴・瑞鶴 蒼龍・飛龍 雲龍型 大鳳』 第3巻、光人社、1989年9月。ISBN 4-7698-0453-9 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 空母II』 第4巻、光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 重巡 I 妙高・足柄・那智・羽黒 巡洋艦の発達』 第5巻、光人社、1989年11月。ISBN 4-7698-0455-5 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 重巡 II 高雄・愛宕 鳥海・摩耶 古鷹・加古 青葉・衣笠』 第6巻、光人社、1990年1月。ISBN 4-7698-0456-3 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 重巡Ⅲ 最上・三隈・鈴谷・熊野・利根・筑摩・海防艦』 第7巻、光人社、1990年2月。ISBN 4-7698-0457-1 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 軽巡I 天龍型・球磨型・夕張・長良型』 第8巻、光人社、1990年3月。ISBN 4-7698-0458-X 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 軽巡II 川内型・阿賀野型・大淀・香取型 砲艦』 第9巻、光人社、1990年4月。ISBN 4-7698-0459-8 
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6 
    • (220-229頁)戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊I 特型駆逐艦 米英を震撼させたスーパー・デストロイヤーの全貌』学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.18〉、1998年5月。ISBN 4-05-601768--9 
    • 雨倉孝之 人物抄伝/太平洋の群像 駆逐隊司令・駆逐艦艦長列伝(1)/(182-183頁)佐間英邇……強運の駆逐艦長
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』 第19巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。ISBN 4-05-601918-5 
    • (143-158頁)戦闘ドキュメント 日本駆逐艦の奮戦 PATR1〔水雷戦隊かく戦えり〕/PART2〔ルンガ沖夜戦〕
  • 歴史群像編集部編『帝国海軍真実の艦艇史2 史料の精査と傍証の積み重ねで解き明かす定説の真偽と知られざる逸話の実相』 第51巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、2005年8月。ISBN 4-05-604083-4 
    • (92-104頁)田村俊夫『帝国海軍 真実の艦艇史2〔第2章〕 日本海軍最初の軽巡「天龍」「龍田」の知られざる兵装変遷』


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年達/昭和17年11月(1)』。Ref.C12070117400。  
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    • 『昭和18年9月21日~昭和19年5月31日 第102号哨戒艇戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030630600。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030369300。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030369400。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030369500。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(1)』。Ref.C08030569700。 
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    • 『昭和18年9月1日~昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030085900。 
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    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030126000。 
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日昭和十八年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年七月一日昭和十八年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030126100。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030126800。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030126900。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030127000。 
    • 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030085800。 
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    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(2)』。Ref.C08030050100。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(3)』。Ref.C08030050200。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(4)』。Ref.C08030050300。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(5)』。Ref.C08030050400。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(6)』。Ref.C08030050500。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月二十日昭和十八年七月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030101000。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日昭和十八年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030101100。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月二十日昭和十八年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(3))』。Ref.C08030101200。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(4))』。Ref.C08030101300。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5))』。Ref.C08030101400。 
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030101500。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1))』。Ref.C08030101800。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年一月一日 至昭和十九年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3))』。Ref.C08030102000。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年二月一日 至昭和十九年二月二十九日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4))』。Ref.C08030102100。 
  • SS-261, USS MINGO(issuuベータ版)

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 達第二百九十四號[1] 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦四隻、海防艦一隻及掃海特務艇六隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造  驅逐艦 玉波(タマナミ)/呉海軍工廠ニ於テ建造  伊號第五十三潜水艦 伊號第五十五潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造  呂號第三十八潜水艦/株式會社玉造船所ニ於テ建造  呂號第四十四潜水艦/日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造  海防艦 對馬(ツシマ)/浪速船渠株式會社ニ於テ建造  第十二號掃海特務艇 第十七號掃海特務艇/三菱重工業株式會社彦島造船所ニ於テ建造  第十三號掃海特務艇 第十四號掃海特務艇/株式會社名村造船所ニ於テ建造  第十五號掃海特務艇/佐野安船渠株式會社ニ於テ建造  第十六號掃海特務艇 〕
  2. ^ a b 内令第二千二十五號[4] 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「清波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ/潜水艦、一等伊五十二型ノ項中「伊號第五十二」ノ下ニ「、伊號第五十三、伊號第五十五」ヲ加フ 同二等呂號三十五型ノ項中「呂號第三十七」ノ下ニ「、呂號第三十八」ヲ、「呂號第四十二」ノ下ニ「、呂號第四十四」ヲ加フ/海防艦、占守型ノ項中「隠岐」ノ下ニ「、對馬」ヲ加フ 
  3. ^ 一連のラバウル空襲で、二水戦から32駆僚艦涼波沈没[17]、第31駆逐隊の長波大破[18]という損害を出した。
  4. ^ 初代幹部は、砲術長大野俊也中尉、水雷長前野克己中尉、航海長山本太郎予備中尉、機関長小宮川勇大尉など[34]
  5. ^ 第十一水雷戦隊司令官は同年4月1日に新編されたばかりで[38]、司令官は木村進少将(海軍兵学校40期[7]。旗艦は天龍型軽巡洋艦龍田であった[39]
  6. ^ 同月15日より、十一水戦旗艦は龍田に復帰した[42]
  7. ^ 相良丸は特設水上機母艦として活躍したのち、昭和17年12月1日付で特設運送艦に類別変更されていた[56]。昭和18年6月23日の雷撃で大破し、24日になり天竜川河口で座礁した[52] 。その後、波浪や潜水艦ポンパーノ (USS Pompano, SS-181) の雷撃で船体切断。9月1日、解傭。
  8. ^ 正規空母翔鶴[73]、正規空母瑞鶴[74]、軽空母瑞鳳[75]、軽空母冲鷹[76][77]、重巡洋艦利根[78]、重巡筑摩[79]、航空巡洋艦最上[80]、軽巡洋艦大淀[45]、軽巡阿賀野(第十戦隊旗艦)[81]、水上機母艦日進[82]、第4駆逐隊(萩風)、第17駆逐隊(磯風)、第61駆逐隊(涼月初月)、夕雲型駆逐艦(玉波)[67]
  9. ^ この後、日進は第八戦隊や第十戦隊とともにラバウルへ進出する[86][83]。7月22日、日進隊(日進、萩風、嵐、磯風)はショートランド諸島近海で空襲を受け[87]、日進は撃沈された[88]
  10. ^ その後、第三図南丸はトラック泊地で重油タンクとして利用された。翌18年2月中旬のトラック島空襲で沈没し[100]、戦後浮揚され捕鯨母船として再就役した。
  11. ^ 参考文献の部隊編成に記載されている白露型駆逐艦江風[130]、8月6日のベラ湾夜戦で沈没している[131]
  12. ^ 第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)、第三戦隊(金剛、榛名)、第八戦隊(利根、筑摩)、第十戦隊(阿賀野、涼月、初月、若月、浦風)、附属(最上[132]、大淀、日栄丸)
  13. ^ 第四戦隊(愛宕、高雄、摩耶、鳥海)、第五戦隊(妙高、羽黒)、第二水雷戦隊(能代、海風、涼風、玉波)
  14. ^ 後からきた軽空母瑞鳳、駆逐艦舞風野分をふくむ[137]。玉波と日栄丸は、21日ブラウンに着いた[138]
  15. ^ 多摩は徳山に寄港した[149]
  16. ^ 鳥海と涼波は、空襲で損傷したタンカー日章丸を護衛するためラバウル到着前に別行動となる[169]
  17. ^ 大型空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) と軽空母プリンストン (USS Princeton, CVL-23) を基幹とする第38任務部隊(指揮官シャーマン少将)である[173]
  18. ^ 翔鶴隊は横須賀発[187]、千歳隊は内海西部発[188][189]
  19. ^ 『戦史叢書第62巻』では第102号哨戒艇が護衛とするが、同艦は11日時点でスラバヤ在泊(#S1809第102号哨戒艇(3)p.24)。船団護衛は20日(#S1809第102号哨戒艇(3)p.25)から。
  20. ^ 神鷹護衛予定の玉波と薄雲は徳山で待機する[214]
  21. ^ 薄雲は呉海軍工廠でレーダーの整備を実施する[215]
  22. ^ 雲鷹は同年1月19日、アメリカ潜水艦ハダック (USS Haddock, SS-231) の雷撃で損傷し、サイパン島で応急修理を実施中だった[222]
  23. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』580-581頁では、瑞鳳・千代田は2月16日に横須賀帰投と記述する。母艦部隊は、瑞鳳[75]、千代田[221]、第21駆逐隊[242]、、玉波である[228][237]
  24. ^ 龍田の沈没は[19]、被雷より半日後の午後4時頃であった[254]
  25. ^ 卯月は東松2号船団に続行、平戸は東松三号船団に編入され横須賀待機となった[258][259]
  26. ^ ハーダー艦長は、サミュエル・D・ディーレイ少佐であった[287]
  27. ^ 折田は海軍少将に進級している[289][290]
  28. ^ 北上は同年1月下旬にイギリス潜水艦テンプラー (HMS Templar,P316) に雷撃され損傷[23]、内地で修理の予定だった[311]

出典

[編集]
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  123. ^ #S18.06二水戦日誌(2) p.67〔 2aBg機密臺二六一八一六番電 玉波ハ東亜丸、富士川丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ二八日出港ノ豫定|無電 〕、同部隊同月戦時日誌 p.90〔 二七(天候略)(略)玉波〇六〇〇「パラオ」発|24dg(海風、涼風)「ラバウル」着揚搭作業終了一五三〇発/玉波八二八三船団(鶴見)東亜丸 富士山丸ヲ護衛「トラック」ニ向ケ「パラオ」発 〕
  124. ^ a b c d e #S18.06二水戦日誌(3) pp.9-10〔 (7)玉波 東亞丸、富士山丸、鶴見ヲ護衛二日「トラツク」着十日BB電令作第二號ニ依リ「トラツク」發東亜丸護衛夕刻護衛ヲ止メ分離セル處東亞丸被雷撃ニ依リ反轉潜蕩十一日吾妻丸ニ合同「トラツク」歸着十八日 日榮丸護衛「ブラウン」ニ向ケ「トラツク」發二十一日「ブラウン」着二十三日KDB前衛ニ編入「ブラウン」發二十五日「トラツク」歸着二十九日隼鷹ヲ護衛呉ニ向ケ「トラツク」發 〕
  125. ^ #S18.06二水戦日誌(3) pp.87-88〔 二(天候略)一三三〇玉波「トラツク」着|玉波 東亜丸 富士山丸、 鶴見ヲ護衛「トラック」着(以下略) 〕
  126. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.90〔昭和18年9月10日項目〕
  127. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.36〔 一〇日一八四五玉波(宛略)玉波機密第一〇一八四五番電 一.一七四五東亞丸地點(N五度三分E一四九度五七分)ニ於テ雷撃(三)ヲ受クルモ被害ナシ/二.我右地點附近近海面ヲ掃蕩中|無電 〕
  128. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.13〔 (四)麾下艦船部隊ノ行動 〕(昭和18年9月)
  129. ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 301–303機動部隊のブラウン出撃
  130. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 399a機動部隊のトラック出港と米機来襲前の哨戒
  131. ^ 戦史叢書96巻 1976, pp. 259–260外南洋部隊の作戦
  132. ^ 南太平洋の凱歌 1968, pp. 65–66マーシャル方面へ出撃
  133. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 399b.
  134. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 503–505ブラウン島へ出撃(九月)(註、原本の江風は8月6日に沈没しているので除外)
  135. ^ #S18.06二水戦日誌(3) pp.92-93〔 昭和18年9月18日項目 〕
  136. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 302.
  137. ^ 戦史叢書62巻 1973, pp. 401–402丙作戦第二法警戒発動と機動部隊のブラウン入泊待機
  138. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.93〔 二一(天候略)玉波〇四四〇「ブラウン」着/凉風〇八〇〇発/島風〇四一五「トラツク」発|玉波、日榮丸ヲ護衛「ブラウン」着/涼風 哨艦トシテ礁外ニ出動、哨戒実施対潜掃蕩/島風 沖鷹大鷹護衛横須賀ニ向ケ「トラツク」発/長波不用物件陸揚 〕
  139. ^ #S17.09第三戦隊日誌(4) p.11→p.8〔 (二)經過(略)(4)十七日出撃準備ヲ完成シ十八日二一三〇PT出撃東正面ニ備ヘツヽ訓練ノ爲PBニ向ヘルモ敵機動歩合「ギルバード」諸島ニ來襲セル爲訓練ヲ中止シ二十日一四四〇PBニ入泊待機セリ 爾後同地ニ在リテ対潜対空警戒ヲ嚴ニシツヽ敵ノ動静ヲ官吏シツヽ傍ラ訓練ニ努メタルガ敵撃退サレシ爲二寿三日〇九〇〇PB出撃PTニ廻航セリ 〕
  140. ^ a b #S17.12第五戦隊日誌(2) p.48〔 (四)十八日遊撃部隊ハ聯合機動部隊トシテ第三艦隊長官ノ指揮ヲ受ケ「トラツク」發東方邀撃兼訓練ノ目的ヲ以テ「ブラウン」ニ進出中十九日敵機動部隊「ギルバート」方面来襲アリ「GF丙作戰第二法警戒」發令セラレ聯合機動部隊ハ二十日「ブラウン」ニ入泊警戒待機セルモ二十二日右警戒ヲ解カレ二十三日「ブラウン」發洋上諸訓練ヲ實施シツツ二十五日「トラツク」着 〕
  141. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.63〔 二一日 機動部隊前衛(宛略)機動部隊前衛信令第六號 前衛ノ直衛驅逐艦配分左ノ通改ム 一、二十四驅逐隊 玉波(三戰隊)/二、十六驅逐隊(四戰隊)|信號 〕
  142. ^ 日本空母戦史 1977, p. 508.
  143. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 402丙作戦第二法警戒の解除と機動部隊等のトラック帰着
  144. ^ #S17.09第三戦隊日誌(4) p.8〔 (5)PT廻航中対潜警戒ヲ嚴ニツヽ航空戰教練、主砲偏彈射撃夜戰訓練、黎明戰訓練ヲ實施 二十五日一四四〇PTニ入泊セリ 〕
  145. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 496–497〈丁一号輸送〉
  146. ^ a b 写真日本の軍艦第4巻 p.42(落合康夫)〔 航空母艦『隼鷹』行動年表 〕
  147. ^ 日本空母戦史 1977, p. 525.
  148. ^ a b 写真日本の軍艦8巻、軽巡I 60頁〔 軽巡洋艦『球磨・多摩・木曽』行動年表 ◆木曽◆ 〕
  149. ^ a b 写真日本の軍艦8巻、軽巡I 59-60頁〔 軽巡洋艦『球磨・多摩・木曽』行動年表 ◆多摩◆ 〕
  150. ^ #S18.06二水戦日誌(3) p.82〔 二九日〇五〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第二九〇九〇〇番電  隼鷹 木曾 玉波 呉/多摩 徳山ニ向ケ「トラツク」發 〕、同部隊同月戦時日誌 p.96〔 二九(天候略)玉波〇五三〇「トラツク」発(略)玉波 隼鷹 木曽 多摩ノ対潜警戒任務ニ從事 〕
  151. ^ #S18.06呉防戦日誌(7) p.12 (護衛概要)〔 三|隼鷹|第一特掃〔二水丸 恒春丸〕十徳豊丸 七玉丸 大井丸 多摩丸|入泊航路上|對潜特別蕩 〕
  152. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.19〔 四日一五三〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇四一五三〇番電 隼鷹 木曾 多摩 玉波内海西部着 〕、同部隊同月戦時日誌 p.15(掃蕩概要)〔 三|第一特別掃蕩隊〔二水丸 恒春丸〕七玉丸 多摩丸 大井丸|艦隊航路上沖ノ島ヨリ五〇浬往復 都井岬九〇度三十浬ヨリ深島迄|隼鷹 木曾 多摩 玉波 入泊掩護 〕、同戦時日誌 p.22〔 一日一七三一 呉防戰司令官|一日一八五〇 豊後防備部隊 伯空司令〔宿毛空司令 鹿屋空司令 呉鎭長官 隼鷹木曽多摩}艦長〕|呉防戰機密第〇一一七三一番電 電令作第三五六號 一.隼鷹 木曽 多摩 玉波 三日一八〇〇北緯三〇度三七分東経一三六度五〇分 四日〇六〇〇北緯三三度一八分東経一三二度三九分経由〇七三〇沖ノ島入泊(以下略) 〕
  153. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.21〔 五日〇八〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇五〇八〇〇番電 隼鷹 木曾 玉波呉着 〕
  154. ^ a b #S18.06二水戦日誌(4) p.8〔 (4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載(以下略)/玉波 一日附三二驅ニ編入 隼鷹???ヲ護衛四日内海西部五日呉着十三日呉出撃佐伯ニ囘航海十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機 〕
  155. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  156. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.4〔 (イ)一般(略)一日附玉波32驅ヘ 五月雨27驅ヘ編入セラル 〕
  157. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 526–527.
  158. ^ #S18.06呉防戦日誌(7) pp.38-39〔 十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略) 〕
  159. ^ 写真日本の軍艦第4巻 108-109頁(伊達久)〔 航空母艦行動年表 ◇雲鷹◇ 〕
  160. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.79〔 一四(天候略)(略)玉波〇六五三佐伯發|玉波隼鷹雲鷹護衛「トラツク」ニ向ケ佐伯発 〕
  161. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.42〔 一四日〇六一五 隼鷹(宛略)隼鷹機密第一五〇六一五番電  隼鷹 雲鷹 曙 玉波「トラック」ニ向ケ佐伯出撃 〕、#S18.06呉防戦日誌(7) pp.38-39〔 十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略) 〕
  162. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 439第六、第四十三各防空隊等のトラック等への進出
  163. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.54〔 一九日一二一五隼鷹(宛略)隼鷹機密第一九一二一五番電 隼鷹 雲鷹 玉波 曙 天津風「トラツク」着|無電 〕、同部隊戦時日誌 p.80〔 一九(天候略)(略)玉波一二一五「トラツク」着|(略)玉波隼鷹雲鷹ヲ護衛「トラツク」着 〕
  164. ^ #S18.06二水戦日誌(4) p.12〔 (四)麾下艦船部隊ノ行動 〕(昭和18年10月)
  165. ^ 戦史叢書96巻 1976, p. 382連合軍のタロキナ上陸とわが航空攻撃
  166. ^ 写真日本の軍艦9巻 104頁〔 軽巡洋艦『能代』行動年表 〕
  167. ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 384–386.
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  172. ^ 重巡摩耶 2002, pp. 187–189.
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  174. ^ 重巡摩耶 2002, pp. 192–193.
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  176. ^ 南太平洋の凱歌 1968, pp. 76a-77単独にてトラックに
  177. ^ 南太平洋の凱歌 1968, p. 76b.
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  180. ^ 写真日本の軍艦6巻 37頁〔 重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇愛宕◇ 〕
  181. ^ a b 写真日本の軍艦6巻 36-37頁〔 重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇高雄◇ 〕
  182. ^ a b c #S18.06二水戦日誌(5) p.11〔 玉波 五日「ラバウル」對空戰闘迄32驅(早波、藤波)ニ同ジ同日夕刻4S 7S等ノ警戒艦トシテ「ラバウル」發八日「トラツク」着 十一日翔鶴、愛宕、高雄ヲ護衛「トラツク」發十五日横須賀着待機整備 二十六日島風ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發 〕
  183. ^ a b c #S18.06二水戦日誌(5) p.14〔 島風 日章丸、日榮丸船團ヲ護衛一日「トラツク」着二日同「トラツク」發途中敵機ト交戰日章丸被弾、日榮丸ヲ護衛先行五日「ラバウル」着夕刻4S 7S等ヲ護衛「ラバウル」發途中敵潜ト戰闘八日「トラツク」着 十一日高雄、愛宕、翔鶴ヲ護衛「トラツク」發 十五日横須賀着補給修理等實施二十六日玉波ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發 〕
  184. ^ #S18.06二水戦日誌(6) p.9〔 一五日一一三二翔鶴(宛略)翔鶴機密第一五一一三二番電 翔鶴、高雄、愛宕、玉波、島風ヲ率ヰ横須賀着|無電 〕
  185. ^ #S18.06二水戦日誌(5) p.7〔 (3)下旬(中略)島風、玉波ハ翔鶴ヲ護衛二十六日横須賀發 〕
  186. ^ 写真日本の軍艦第4巻 107頁(伊達久)〔 航空母艦行動年表 ◇千歳◇ 〕
  187. ^ #S18.06二水戦日誌(6) p.22〔 二六日〇九〇〇翔鶴(宛略)翔鶴機密第二六〇九〇〇番電 翔鶴、玉波、島風、「トラツク」ニ向ケ横須賀發|無電 〕
  188. ^ 手塚、武藏上 2009, pp. 225–226.
  189. ^ 戦史叢書62巻 1973, pp. 513–514内南洋方面航空部隊の解隊と42ABのテニアン転進
  190. ^ #18.12十戦隊日誌(1) p.15〔 翔鶴機密第〇一一六一〇番電 翔鶴、千歳、玉波、島風、秋月、谷風「トラツク」着|無電 〕
  191. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1) p.14〔 (3)32dg(早波行動略) (玉波)島風ト共ニ翔鶴護衛一日「トラツク」着/十一日護衛ヲ哨戒艇ニ引續ギ十二日 日榮丸船団ニ合同護衛/七日島風ト共ニ富士山丸船団護衛「トラツク」發/十四日「トラツク」着/十六日YB電令第一七號ニ依リ修理ノ爲最上ト共ニ「トラツク」発/二十一日呉着待機修理ニ從事 〕
  192. ^ #S18.12二水戦日誌(1) pp.16-17〔 (6)島風 十五日迄玉波ニ同ジ「トラック」ニ在リテ待機中/十八日健洋丸船團ヲ護衛「トラック」発二十一日護衛ヲ(早波)ニ引續ギ二十三日「トラック」着/二十六日YB電令作第四四號ニ依リ藤波ト交代「サイパン」方面派遣駆逐艦トナル/二十九日鶴見護衛「サイパン」ニ向ケ「トラック」発 〕
  193. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1) p.19〔 (四)麾下艦船部隊ノ行動 〕(昭和18年12月)
  194. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 00c付表五、中部太平洋方面主要航路における護衛(その2)「トラック発パラオ行「7」船団」
  195. ^ #S17.04二海護日誌(5) p.55〔 七(天候略)一.玉波、島風二隻 七〇七二船団(富士山丸、神国丸)ヲ護衛〇四三〇パラオニ向ケトラック發(以下略) 〕
  196. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1) p.27〔 六日玉波(宛略)玉波、島風第七〇七二船団(冨士山丸、神國丸)護衛ノ爲明七日〇六〇〇北水道出撃ノ豫定|無電 〕
  197. ^ #S18.12二水戦日誌(1) p.65〔 七(天候略)玉波、島風〇四四〇「トラック」発/満潮一二〇一横須賀着/藤波〇五四五「サイパン」着|玉波島風 富士山丸 神國丸護衛「パラオ」ニ向ケ「トラック」発/藤波七五五基地員物件輸送任務終了 〕
  198. ^ #S17.04二海護日誌(5) p.59〔 一一(天候略)(略)三.玉波 島風一一〇〇 七〇七二船団護衛ヲ止メ日業丸・旭東丸・照川丸ニ合同 同船団ヲ護衛トラックニ向フ(以下略) 〕
  199. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1) p.66〔 十一(天候略)(略)玉波島風一一〇〇船團護衛ヲ哨戒艇ニ申継 日榮丸船団ニ向フ 〕
  200. ^ #S18.12二水戦日誌(1) p.67〔 十二(天候略)(略)玉波、島風一〇四〇船団(日榮丸、旭東丸、照川丸)ニ合同護衛任務ニ就ク 〕
  201. ^ #S17.04二海護日誌(5) p.62〔 一五(天候略)(略)三.玉波 島風二隻 日榮丸 旭東丸 照川丸ヲ護衛一七三〇トラック着(以下略) 〕
  202. ^ #S18.12二水戦日誌(1) p.68〔 十五(天候略)(略)玉波 島風一七一〇「トラツク」着|(略)玉波島風 船団(日榮丸 旭東丸 照川丸)護衛「トラツク」着|浜波 二水戰ニ編入 32dgニ編入サル 〕
  203. ^ 南太平洋の凱歌 1968, p. 79b.
  204. ^ #S18.12二水戦日誌(1) p.34〔 一三日二〇二五(指揮官)YB(宛略)YB電令第一四號 位置.玉波ハ十六日頃「トラツク」発舞鶴ニ回航入渠修理ニ從事スベシ/二.右回航中最上艦長ノ指揮ヲ承ケ同艦ノ警戒ニ任ズベシ 〕
  205. ^ 戦史叢書62巻 1973, pp. 483–484第二十四航空戦隊のマーシャル進出
  206. ^ #S18.09一水戦日誌(3) p.8〔 二.九驅(霞)ハ前月末二四航戰司令官ノ指揮ヲ受ケ二八一空ノ輸送ニ協力中GF電令作第二一八號北方部隊信令第四四〇號一水戰機密第一四〇六三〇番電ニ依リ最上艦長ノ指揮ヲ受ケ一六日以降同艦ノ護送ニ任ジタル後二一日同任務ヲ終リ水雷部隊ニ復帰ス 〕
  207. ^ #S18.12二水戦日誌(1) p.47〔 二一日一一五〇最上(宛略)最上、玉波、呉着 〕、#S18.12呉防戦日誌(1) p.44〔 二十日二〇〇五 呉防戰司令官|二十日二三四〇 三十四掃司令 伯司令 伯空司令〔最上 玉波 霞 呉鎭(長官)〕|呉防戰機密第二〇二〇〇五番電 電令作第一三八號 最上二十一日一五〇〇豊後水道西口着ノ予定(以下略) 〕
  208. ^ #S1809一水戦日誌(3) p.40〔 二二(天候略)一.〇八三〇 九駆(霞)舞鶴着/二.〇九三〇21dgハ2sfヲ護衛「トラック」着 〕
  209. ^ 戦史叢書62巻 1973, p. 483.
  210. ^ a b c d e f g h i 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔玉波〕
  211. ^ a b c #S18.12二水戦日誌(3) p.11〔 玉波 前月ニ引続キ呉ニテ修理整備中/十七日出撃準備完成/十九日呉発徳山着/二十五日徳山発/二十六日横須賀着/二十九日瑞鳳千代田高雄護衛横須賀発 〕
  212. ^ #S18.09一水戦日誌(4)p.21、#S18.12二水戦日誌(3) p.44〔 十三日(長官)GF|十三日二〇三〇神鷹(長官)GKF(長官)2F(長官)3KF(司令官1sd)|GF機密第一三一五三〇番電 GF電令作第八九五號 神鷹艦長ハ薄雲 玉波ヲ併セ指揮シ一月二十日頃呉發電令作第八七〇號ニ依ル任務ニ従事スベシ 〕
  213. ^ #海護総司令部(1) p.36〔 二一(略)一三〇〇海鷹(電、響)昭南着/神鷹徳山發呉ニ回航 〕
  214. ^ #S18.09一水戦日誌(4) p.27、#S18.12二水戦日誌(3) p.62〔 二十一日神鷹(宛略)一一〇〇徳山沖發一七三〇呉着ノ予定玉波ハ徳山薄雲ハ桂島沖ニテ待機 〕
  215. ^ #S18.09一水戦日誌(4) p.29〔 9dg機密第二二一四三五番電 GF電令作第九〇八號関聯 薄雲、桂島泊地ニ於テ合同ス 薄雲ハ電波探信儀残工事ヲ呉工廠ニテ直ニ着手セシム(所要日数約十日) 〕
  216. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 579–581トラック島、壊滅(昭和十九年二月十七日)
  217. ^ #S18.12高雄日誌(1) p.30〔 29(天候略)一〇〇〇出港 瑞鳳艦長ノ指揮ヲ受ケ、トラックニ向フ 〕
  218. ^ #S18.12高雄日誌(2) p.1〔 一、經過(イ)經過概要 一月二十九日一〇〇〇瑞鳳千代田部隊(指揮官瑞鳳艦長)ニ加入横須賀発P.T.ニ囘航ノ途次YB電令作ニ依リ雲鷹ノ警戒ニ任ズルコトトナリ三十日〇九〇〇解列 二月一日〇九五三雲鷹(潮、曙、初霜、皐月護衛)ニ合同ス(以下略) 〕
  219. ^ 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔初春〕
  220. ^ #S18.12高雄日誌(1) p.38〔 二十七日 瑞鳳|二十七日|瑞鳳機密第一回號ノ一〇〇 瑞鳳、千代田、高雄、二十一駆(初春、若葉)玉波ハ本職之ヲ率ヒ一月二十九日横須賀発左ニ依リ「トラツク」ニ回航ス(以下略) 〕、#S18.12高雄日誌(2) p.4〔 一月二十九日一〇〇〇(略)瑞鳳、千代田、高雄、初春、若葉、玉波、P.Tニ向ケ横須賀発(指揮官瑞鳳艦長) 〕
  221. ^ a b c 写真日本の軍艦第4巻 107頁(伊達久)〔 航空母艦行動年表 ◇千代田◇ 〕
  222. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 575–576.
  223. ^ #S18.12高雄日誌(2) pp.31-32〔 自19-1-29 至19-2-7 雲鷹警戒任務行動圖(軍艦高雄) 〕
  224. ^ #S18.12高雄日誌(1) p.30〔 30(天候略)〇九〇〇 玉波ヲ率ヒ雲鷹ノ警戒ノ爲分離行動 〕
  225. ^ a b #S18.12高雄日誌(1) p.39〔 三十日 瑞鳳|三十日〇八五二 艦|一.高雄ハ今ヨリ聯合艦隊電令作第九三〇號ニ應ズル如ク行動スベシ/二.玉波ハ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ行動シ雲鷹ニ合同後「トラツク」ニ進出スベシ(以下略) 〕
  226. ^ #S18.12高雄日誌(2) p.5〔 一月三十一日一四〇〇|本|玉波|テ|一四〇〇列ヲ解キ原隊ニ復歸セヨ|玉波解列 反転 雲鷹ニ会合不能ナリシタメ 〕
  227. ^ a b 日本空母戦史 1977, p. 580.
  228. ^ a b c d #S18.12二水戦日誌(4) p.9〔 (3)32dg(早波行動略)玉波 瑞鳳 千代田ヲ護衛三日「トラツク」着/十日満潮 白露ト共ニ武藏等ヲ護衛「トラツク」発/十三日主隊ト分離十五日呉着機銃増備及電探工事ニ從事 右工事終了後引続キ内海西部ニ在リテ諸訓練ニ從事セリ 〕
  229. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.44〔 三(天候略)27dg(時雨春雨)一〇五八「バリツクパパン」発/島風〇七三〇「トラツク」着/玉波一三五五「トラツク」着/白露〇七三〇「トラツク」着|27dg(時雨春雨)富士山丸 天城山丸 神國丸ヲ護衛「バリツクパパン」発/島風 白露対潜掃蕩ヲ止メ「トラツク」着/玉波瑞鳳千代田ヲ護衛「トラツク」着 〕
  230. ^ 戦史叢書62巻 1973, pp. 615–616聯合艦隊のトラック避退
  231. ^ a b 戦史叢書(12)31-32頁『聯合艦隊主力(水上部隊)の概況』
  232. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.45(昭和19年2月10日記事)
  233. ^ 手塚、武藏上 2009, p. 264.
  234. ^ 高松宮日記7巻 279頁〔 聯合艦隊(一一-一〇三〇)主隊(「武蔵」「大淀」、第二十四駆逐隊(「満潮」)、「白露」)、二-一〇トラック発、一五-一三三〇横須賀着予定。母艦部隊(「瑞鳳」「千代田」、第二駆逐隊(「若竹」「初春」)、「玉波」)内海西部ニ回航。〕(註、若竹は若竹型駆逐艦。若葉は初春型駆逐艦)
  235. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.8〔 (2)24dg(海風行動略)満潮 船團護衛一日「トラツク」着同日司令駆逐艦ヲ海風ヨリ変更/六日 不時着機救難ノ爲「トラツク」発翌七日一〇五五命ニ依リ捜索ヲ止メ八日「トラツク」歸着/九日YB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日 玉波、白露ト共ニ武藏 瑞鳳 千代田 大淀ヲ護衛「トラツク」発十五日横須賀着(以下略) 〕
  236. ^ #S18.12二水戦日誌(4) pp.11-12〔 (4)27dg(時雨春雨行動略)白露 一日YB命令ニ依リ島風ニ合同海風ノ救難対潜制圧ニ任ズ 二日島風爆雷攻撃ヲ爲スモ効果不明/三日「トラツク」歸着/九日満潮ト共ニYB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日武蔵 千代田 瑞鳳 大淀ヲ護衛「トラツク」発/十五日横須賀着/二十四日満潮ト共ニ武藏護衛横須賀発/二十九日「パラオ」着爾後「パラオ」ニ在リテ待機 〕
  237. ^ a b #S18.12二水戦日誌(4) p.26〔 一五日一七四〇(21dg司令)(宛略)21dg機密第一五一七四〇番電 若葉、初春、玉波 呉着|無電 〕
  238. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.4〔 第二水雷戰隊(イ)一般(1)上旬(略)九日附24dg(満潮)白露YBヨリ除カレGF主隊ニ編入/十日武藏護衛(玉波途中迄加入)横須賀ニ向ケ「トラツク」発 〕
  239. ^ #S18.12呉防戦日誌(3) pp.17-18〔 十一日一五一三 呉防戰司令官|十一日一九五〇豊後防備部隊 佐空(司令) 九三一空(司令) 呉鎭(長官) 千代田 瑞鳳 若葉 初霜 玉波|呉防戰機密第一一一五一三番電 電令作第四五一號 瑞鳳 千代田 二十一駆(若葉 初霜初春のあやまり)玉波十五日一一〇〇頃豊後水道進入ノ豫定(以下略) 〕
  240. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.46〔 十三(天候略)31dg(朝霜)一五〇〇呉発|玉波一五〇〇主隊ト分離呉ニ向フ(以下略) 〕
  241. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.5〔 (2)中旬(略)24dg(満潮)白露 玉波(途中分離呉ヘ)武藏ヲ護衛十五日横須賀着(以下略) 〕
  242. ^ #S18.12呉防戦日誌(3) p.30〔 一五(天候略)一.瑞鳳 千代田 21dg豊後水道北上(以下略) 〕
  243. ^ #S18.12二水戦日誌(4) p.7〔 待機修理訓練 横須賀 能代 五月雨/呉 長波 玉波 〕
  244. ^ 戦史叢書(12)144頁『一 護衛艦艇の増強(三月の状況)』
  245. ^ #海護総司令部(2) p.10〔 (ロ)「カロリン」「マリアナ」方面艦船並ニ對潜作戰強化ノ爲左ノ通指導對策ヲトレリ (一)大海指第三四五號ニ依リ第十一水雷戰隊(驅逐隊、驅逐艦缺)ヲ 及聯合艦隊電令作第九六七號ニヨリ三十一驅逐隊(岸波、沖波、朝霜)玉波、野分、卯月、夕凪、測天ヲ内南洋方面緊急輸送期間中作戰ニ關シ海上護衛司令長官ノ指揮下ニ入レラレ横鎭長官ノ指揮下ニ入ル(以下略) 〕
  246. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3) p.26〔 附圖第一(昭和十九年三月十三日)位置八丈島ノ247°40浬 針路200°〕
  247. ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 420–423軽巡竜田
  248. ^ #S19.03.01-03.14経過概要 p.43(昭和19年3月)〔 13|0330|松二号船団八丈島SW40′ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|内地|龍田(11sd/1F)航行不能 國陽丸(4667)沈没 仝船団ハ航路変更警戒南下中 横鎭部隊ハ艦艇及fノ全力ヲ擧ゲテ右ノ警戒掃蕩救難ニ協力中 〕
  249. ^ a b 日本海防艦戦史 1994, pp. 42–43〈松輸送〉
  250. ^ 野分物語 2004, pp. 182–184.
  251. ^ #S19.03.01-03.14経過概要 p.45(昭和19年3月)〔 13| |龍田救難作業|11sd/1F|横鎭ヨリ艦艇6 館山八丈島ヨリ(飛行機)急行 救難敵(潜水艦)掃蕩ノ手配ヲナス 龍田、前部及後部機械室浸水1600沈没、人員救助状況詳細不明 〕・〔 13|1115|八丈島航空機基地foハ竜田ノN8′附近海面ニ敵(潜水艦)ノ油紋ラシキモノ發見|内地|爆撃(25番2)撃沈セル模様 〕・〔 13| |東松二号船団部隊指揮官 将旗ヲ野分ニ移揚 船団ニ進及、仝船団ハ目下ノ處無事南下中| | 〕
  252. ^ 高松宮日記7巻 340-341頁〔 ○「龍田」(一三-〇三五五)国洋丸沈没ス(一三-〇六五〇)将旗一時「野分」ニ移揚ス。「龍田」曳航ヲ要ス。(一六〇〇)「龍田」沈没セリ、後部機械室ニ命中一、浸水(以下略) 〕
  253. ^ #S1812十一水戦日誌(2) p.35〔 一三日一五〇一横鎮(長官)|十三日一七一〇横防戰(司令官)竜田玉波夕張卯月哨四六(横防横空 駆潜五四 二號海防艦)機密第一三一五〇一番電 玉波一一三〇横須賀出撃 夕張哨四六 一四〇〇伊良湖水道通航何レモ龍田ニ急行中 龍田ノ位置改メテ関係各部ニ知ラサレ度 〕
  254. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3) pp.35-36〔 十三日一六〇〇 平戸(宛略)機密第一三一六〇〇番電 発龍田艦長 竜田沈没セリ|無電 〕
  255. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2) p.37〔 十三日一八二五 横防戰(司令官)(宛略)機密第一三一五三〇番電 電令作第三五號 一.甲救難部隊ノ龍田救助竝ニ警戒ニ關スル任務ヲ解ク/玉波ハ平戸 卯月ヨリ遭難者ヲ移乗セシメ横須賀ニ回航スベシ 尚現状着艦艇ノ適宜ヲ以テ護衛ニ任ズベシ(以下略)|無電 〕
  256. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2) p.39〔 十三日二二四五|十四日〇八三〇 11sd司令官(横鎭長官)|機密第一三二二四五番電 竜田乗員ヲ玉波ニ移乗船団ニ追及ス|無電 〕
  257. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3) p.53〔 一三日二〇〇一玉波|一四日〇九一〇 横鎮(長官) KEg司令部〔野分〕|機密一三二〇〇一番電 遭難者二七四名(内准士官以上十名卯月ヨリ移乗完了 横須賀ニ向ケ現地發明十四日〇六〇〇着ノ豫定|無電 〕
  258. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2) p.39〔 十三日二〇三二 横鎭(長官)|十四日〇七三五 乙直接護衛部隊 卯月 平戸(野分、玉波、第二海防艦)|機密第一三二〇三二番電 機密横鎭電令作第二〇三號/一.卯月 敵情ヲ得サレバ敵潜掃蕩ヲ中止原隊ニ追及復帰スベシ/二.平戸ハ遭難者ヲ横須賀ニ上陸セシメタル後原任務ニ復帰スベシ 〕
  259. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2) p.51〔 十九日一七一〇平戸(宛略)機密第一九一七一〇番電 二水戰機密第一九一四〇三番電返 本艦横鎭機密第一四一四三二番電ニ依リ丙直接護衛部隊編入 東松三號船団護衛ノ爲横須賀待機中|無電 〕
  260. ^ #海護総司令部(2) p.26〔 東松船團運航實蹟表(往航)(三月中) 〕
  261. ^ 戦史叢書46 1971, p. 363a東松三号船団
  262. ^ #海護総司令部(2) p.12〔 (ハ)右護衛要領ニ依リ左記計畫ニ依リ輸送ヲ實施セリ 松一號船團(三月五日東京灣發)/松二號船團(三月十一日東京灣發)/松三號船團(三月二十二日東京灣發)/松三號特船團(三月二十日東京灣發) 〕
  263. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 423.
  264. ^ a b 写真日本の軍艦8巻、軽巡I 131-132頁〔 軽巡洋艦『大井・北上・夕張』行動年表 ◆夕張◆ 〕
  265. ^ 日本海防艦戦史 1994, pp. 43–44〈松輸送の司令官の横顔〉
  266. ^ 戦史叢書 & 197146, p. 586四 内地ニ於テ漸ク修理成リタル夕張ヲ旗艦トシテ使用サレタル為司令部トシテハ如何ニシテ無事ニ作戦地ニ到着セシムルカニ苦労セリ、斯クノ如キ状態ノ軍艦ヲ護衛艦ニ使用スルハ一考ノ要アリ
  267. ^ a b 戦史叢書46 1971, p. 363b.
  268. ^ a b c d 戦史叢書(12)147-148頁『東松三号船団』
  269. ^ 戦史叢書46 1971, p. 585第五十四号駆潜艇行方不明ノ状況
  270. ^ a b 戦史叢書 1971, p. 363b.
  271. ^ a b #S18.12十一水戦隊日誌(4) p.31〔 二五日一三〇〇玉波(宛略)機密第二五一三〇〇番電 一三〇〇内海西部ニ向ケ横須賀発|無電 〕
  272. ^ 手塚、武藏上 2009, p. 354同著では護衛に長波を記載するが、同艦は呉で修理中。
  273. ^ 野分物語 2004, pp. 191–192.
  274. ^ #S18.12十一水戦日誌(4) p.57〔 四日一五〇一(長官)1KdF(宛略)機密第〇四一五〇一番電 発第一機動艦隊長官 第一機動艦隊電令作第一四號第三項ニ依ル駆逐艦ヲ第四駆逐隊 時雨 玉波 早霜 秋霜ト定ム 〕、#S1812十戦隊日誌(6) pp.4-5〔 (ロ)第四駆逐隊(満潮野分山雲)(略)十一日2sf3sf武藏ノ警戒ニ任ジツヽ「タウイタウイ」ニ向ケ同地発十二日中城湾ニ仮泊燃料補給ノ上即日同地発十六日「タウイタウイ」着… 〕
  275. ^ 写真日本の軍艦第4巻 106-107頁(伊達久)〔 航空母艦行動年表 ◇龍鳳◇ 〕
  276. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 606–607第二、第三航空戦隊、内地出港(五月十一日)
  277. ^ 戦史叢書(12)373頁『作戦準備』
  278. ^ 日本空母戦史 1977, p. 607.
  279. ^ 手塚、武藏上 2009, pp. 356–357.
  280. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 610–612飛行訓練できず(五月末)
  281. ^ 戦史叢書(12)376-377頁『母艦飛行機隊の練度』
  282. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 87水無月(みなづき)
  283. ^ a b 日本空母戦史 1977, p. 612.
  284. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 448a水無月
  285. ^ a b 戦史叢書 1971, pp. 446b-447.
  286. ^ 山本ほか、秋月型 2015, p. 225b早波(はやなみ)
  287. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 448b-449早波、のどぶえ攻撃に倒る
  288. ^ 昭和20年1月2日(発令昭和19年6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1683号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  289. ^ 海軍少将折田常雄外九名叙位の件 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.A12090526900 
  290. ^ 昭和19年10月28日(発令6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1630号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101700 
  291. ^ 昭和19年7月8日(土)海軍公報(部内限)第4734号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 〔 ○司令驅逐艦變更 第三十二驅逐隊司令ハ六月七日司令驅逐艦ヲ玉波ニ變更セリ 〕
  292. ^ a b c d 昭和19年6月21日(発令6月15日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1517号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  293. ^ 戦史叢書(12)393-394頁『駆逐艦問題』
  294. ^ 日本水雷戦史 1986, pp. 446–447タウイタウイでの出血
  295. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 616–617.
  296. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 452〈マリアナ海戦の日本水戦―昭和十九年六月十九日
  297. ^ サイパン・レイテ海戦記 2004, pp. 31–32.
  298. ^ 戦史叢書54巻 1972, pp. 417–418.
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  300. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 655–656.
  301. ^ サイパン・レイテ海戦記 2004, p. 67.
  302. ^ 木俣『日本戦艦戦史』401ページ
  303. ^ 戦史叢書37巻 1970, pp. 374–375内海西部帰投
  304. ^ 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔藤波〕
  305. ^ a b #S1906旭東丸日誌(1) pp.15-16〔 六月二十三日二〇五七 三二駆逐隊司令(宛略)KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.第三二dg(玉波藤波)二十三日一二三〇NSB発二十五日一九三〇MM着ノ予定尓後ノ行動改メテ報告ス/二.MMニ於ケル補給量一〇〇〇噸(両艦分) 〕・〔 32dg機密第二六一〇三二番電 KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.當隊(玉波藤波)昨二十五日一九三〇MM着/二.本二十六日一〇〇〇ESニ向ケMM發二十九日一二三〇ES海峡東端着ノ予定 〕
  306. ^ 山本ほか、秋月型 2015, p. 225a藤波(ふじなみ)
  307. ^ 戦史叢書37巻 1970, p. 382b.
  308. ^ #S1906旭東丸日誌(2) p.9〔 二(天候略)一六五五 北上 玉波 藤波護衛ヲ受ケ マニラ ニ向ケ昭南発、一九〇〇艦内哨戒第三配備対潜警戒トス 一九五八 北上 三十二駆逐隊(玉波藤波)ト合同 〕、#S1907十六戦隊日誌(1) p.8〔 二(天候略)一.(司令官)青葉鬼怒十九駆(浦波)昭南入港/二.北上「マニラ」ニ向ケ昭南発/三.敷波「バリックパパン」ニ向ケ「タラカン」発 〕
  309. ^ #S1906旭東丸日誌(2) p.4〔 一.経過 七月一日燃料満載ノ上昭南発マニラ経由呉ニ回航同日十七日呉着同月十八日於「新宮」燃料陸揚同月二十二日工廠甲錨地ニテ兵装々備及船体機関ノ修理ニ着手 〕
  310. ^ #S1906旭東丸日誌(1) p.16〔 六月三十日 北上(宛略)北上機密第三〇一八三〇番電 一.旭東丸護衛艦 北上 三二dg(玉波藤波)二日一三〇〇内海西部ニ向ケ昭南発(マニラ経由)速力十四.五節(以下略) 〕
  311. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 408–409北上も被雷す(一月)
  312. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.27
  313. ^ a b 日本軽巡戦史 1989, p. 410.
  314. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119
  315. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119,120
  316. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.122,123
  317. ^ #S1906旭東丸日誌(2) p.10〔 七(天候略)〇二〇〇玉波分離反転〇二一〇爆雷投射始ム〇三一五玉波ノ位置ニ火焔爆煙ヲ上ルヲ見ル〇三二〇藤波反転玉波ノ現場ニ向フ 〇六〇〇船内哨戒第一配備トナス 〇六一一藤波合同一二〇〇藤波護衛ヲ止メ 〕
  318. ^ 昭和19年11月6日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1638号 p.33青木(戦死昇進)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
  319. ^ a b 昭和19年12月24日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.45(千本木戦死昇進)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  320. ^ #内令昭和19年9月(2)、p.25〔 内令第一〇六五號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十九年九月十日海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等球磨型ノ項中「、大井」ヲ削ル|驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、帆風」ヲ、同初雪型ノ項中「薄雲、」ヲ、夕雲型ノ項中「、玉波」ヲ削ル(以下略) 〕
  321. ^ #内令昭和19年9月(2)、pp.25-26〔 内令第一〇六〇號  呉鎮守府在籍 軍艦 大井 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 帆風/呉鎮守府在籍 驅逐艦 薄雲/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 玉波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第五潜水艦、伊號第六潜水艦/佐世保鎮守府在籍 伊號第百六十六潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第一號輸送艦 右帝國輸送艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第二十五掃海艇 右帝國掃海艦艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第五十號駆潜艇/佐世保鎮守府在籍 第十六號駆潜艇 右帝國驅潜艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 敷設艦 猿島/佐世保鎮守府在籍 敷設艦 測天 右帝國敷設艦籍ヨリ除カル|昭和十九年九月十日 海軍大臣 〕