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「国鉄キハ45系気動車」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{画像提供依頼|各形式の室内|date=2010年2月|cat=鉄道車両}}
{{Notice|現在、冒頭定義文での車種について議論されております。誠に恐れ入りますが、ご面倒でも[[ノート:国鉄キハ45系気動車|ノート]]をご一読ください。|編集する前に|attention}}
{{鉄道車両|unit=auto
{{修正2|6|冒頭定義文が曖昧で混乱している・中立性が担保されていない・脚注と文献との関連が不十分である|date=2016年5月}}
{{加筆依頼|気動車については近郊形の区分に正式な意味で分類されるものではないという否定的見解を明文化した資料がありましたらそれを出典として明記していただけたら幸いです。|date=2016年5月}}
{{コメント依頼|date=2016年5月}}
{{告知|議論|気動車は厳密な意味で近郊形に分類されるものなのか|date=2016年4月}}
{{正確性|車種の定義について|date=2016年1月}}
{{複数の問題
| 未検証 = 2016年1月
| 言葉を濁さない = 2016年1月
| cleanup = 2016年1月
| 観点 = 2016年5月
|脚注の不足 = 2012年11月
}}
{{画像提供依頼|キハ46形の車体、各形式の室内|date=2010年2月|cat=鉄道}}
{{鉄道車両|unit=self
|社色= #000000
|社色= #000000
|形式= 国鉄キハ45系気動車
|形式= 国鉄キハ45系気動車
|画像= Kiha45 27 takamatsueki.jpg
|画像= Kiha45 27 takamatsueki.jpg
|画像説明=キハ45 27(1988年頃、高松駅)
|画像説明=キハ45 27(1988年頃、高松駅)
|運用者=[[日本国有鉄道]]<br />[[北海道旅客鉄道]]<br />[[東日本旅客鉄道]]<br />[[西日本旅客鉄道]]<br />[[四国旅客鉄道]]<br />[[九州旅客鉄道]]
|最高速度= 95km/h
|製造所=[[日本車輌製造]]、[[新潟鐵工所]]、[[SUBARU|富士重工業]]、[[帝國車輛工業]]<ref name="RP742p23"/>
|最大寸法= 21,300×2,928×3,925(mm)
|製造年=1966年 - 1969年<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>
|車両質量= 33.0t(キハ45形)<br />33.2t(キハ46形)<br />34.2t(キハ23形)<br />34.5t(キハ24形)<br />39.7t(キハ53形)
|製造数=179両<ref name="RP742p6"/>
|定員= 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)<br />76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)<br />85(席)+25(立)=110名(キハ46形)<br />76(席)+40(立)=116名(キハ23形)<br />77(席)+25(立)=102名(キハ24形)<br />73(席)+41(立)=114名(キハ53形)
|引退=2003年10月<ref name="RP742p8"/>
|機関出力= 180ps/1,500rpm(DMH17H)×1
|廃車=2009年6月10日<ref name="年鑑2010p60"/>
|駆動方式= 液体式(TC2A/DF115A)
|最高速度= 95<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
|変速段=
| 全長 = 21,300<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
|台車形式= コイルばね台車<br />DT22C(動力)/TR51B(付随)
| 全幅 = 2,928<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
|ブレーキ方式=[[自動空気ブレーキ]]<br />キハ45形・キハ46形:DA1<br />キハ23形・キハ24形・キハ53形:DA1A
| 全高 = 3,925<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 車体長 = 20,800<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 車体幅 = 2,800<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 車体高 = 3,680<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 床面高さ =
| 車体材質 = [[炭素鋼|普通鋼]]
| 台車 = コイルばね台車<br />DT22C(動力)/TR51B(付随)<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
| 車輪径 = 860 mm<ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
| 固定軸距 = 2,100 mm<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 台車間距離 = 14,400 mm<ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>
| 動力伝達方式 =
| 機関 = [[DMH17系エンジン|DMH17H]][[ディーゼルエンジン]]<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
| 機関出力 = 180 [[馬力]]/1,500 [[rpm (単位)|rpm]]×1<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
| 変速機 = 液体式(TC2A/DF115A)<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
| 変速段 =
|車両質量= 33.0t(キハ45形)<br />33.2t(キハ46形)<br />34.2t(キハ23形)<br />34.5t(キハ24形)<br />39.7t(キハ53形)<ref name="RP742p22"/>
|定員= 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)<br />76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)<br />85(席)+25(立)=110名(キハ46形)<br />76(席)+40(立)=116名(キハ23形)<br />77(席)+25(立)=102名(キハ24形)<br />73(席)+41(立)=114名(キハ53形)<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
|ブレーキ方式=[[自動空気ブレーキ]]<br />キハ45形・キハ46形:DA1<br />キハ23形・キハ24形・キハ53形:DA1A<ref name="RP742p22"/><ref name="JTBp444"/><ref name="JTBp445"/>
|保安装置=
|保安装置=
|備考=
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}}
}}
'''キハ45系気動車'''(キハ45けいきどうしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1966年]]([[昭和]]41年)から製造した[[気動車]]。'''キハ23系'''と呼ばれることもある。
'''キハ45系気動車'''(キハ45けいきどうしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)[[気動車]]である。'''キハ23系気動車'''と呼ばれることもある。


[[1966年]]([[昭和]]41年)から[[1969年]](昭和44年)にかけて179両が製造された。
両開き扉を持つセミクロスシート車として製造され(北海道向けを除く)、都市近郊の通勤輸送と中長距離輸送を併せ持つ気動車として登場し<ref name="JNRCAR"/>、{{疑問点範囲|date=2016年5月|その目的から'''[[近郊形車両|近郊形]]気動車'''と表現した資料もあるが<ref>『世界の鉄道'77』、朝日新聞社、1976年10月、p.60</ref><ref name=100JNR>交友社 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』p.460</ref><ref>JTBパブリッシング 石井幸孝『キハ47物語』 p.97</ref><ref>ネコパブリッシング『キハ58と仲間たち 』p.213 岡田誠一が近郊形気動車と記載。</ref><ref name=RP>電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』No.742 特集「キハ35・45系」p.6では「一般形ながら通勤形の特徴を併せ持つ初の近郊形気動車」と記載。</ref>、特急形や急行形、通勤形以外の気動車は慣例的に一般形に分類しているため<ref>[http://news.mynavi.jp/series/trivia/268/ 鉄道トリビア(268) 「近郊形電車」と「一般形電車」、何が違う?] - マイナビニュース</ref>、当形式は[[一般形車両 (鉄道)|一般形]][[気動車]]に分類される<ref name="JNRCAR">日本交通公社『国鉄車両一覧』p.176</ref><ref name=RP/>。しかし、気動車については近郊形の範疇から外れることもあるため、否定的見解もあるが、現状では否定的見解を明文化した資料に乏しく、車種の分類に見解が分かれることもあり、議論の余地がある車両である。}}


の呼称は、[[国鉄気動車の車両形式|車両形式称号規程]]に則った国鉄正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造された'''キハ23'''・'''キハ24'''・'''キハ45'''・'''キハ46'''・'''キハ53'''の各形式を趣味的・便宜的に総称したものである。現在は形式消滅しており、保存車両もない
キハ45系の呼称は、正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造された'''キハ23'''・'''キハ24'''・'''キハ45'''・'''キハ46'''・'''キハ53'''の各形式を総称したものである。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[近郊|都市近郊]]の[[通勤]]輸送と中長距離輸送の機能を併せ持つ気動車として構想され<ref name="JTBp177" />、従来の一般形気動車よりも出入口幅、通路幅が広くとられた<ref name="RP742p20" /><ref name="RP742p21" /><ref name="RP823p24" />[[近郊形車両|近郊形]]と位置付けられる<ref name="RF66p10" /><ref name="JNR100-3p460" /><ref name="Sekai77p60" /><ref name="RF235p26" /><ref name="JTBp176" /><ref name="Natori1995p213" /><ref name="Kiha47p97" /><ref name="RP742p6" /><ref name="JNRsh42p128131" /><ref name="JNRsh51p155159" />。[[機関 (機械)|エンジン]]、[[トランスミッション|変速機]]、[[鉄道車両の台車|台車]]などは当時の標準的なものを採用している<ref name="RF66p10" /><ref name="RP742p13" /><ref name="RP742p20" />。
[[1960年代]]中期、国鉄の一般形気動車は、地方線区向けの[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]と、大都市近郊線向けの[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]が大量に増備されていた。しかし、キハ20系は扉幅が850mmと狭く[[ラッシュ時]]の客扱いに難があり、キハ35系は3扉オールロングシートという通勤輸送に特化した構造であり設備面で劣るという難があった。キハ45系気動車は、これらの問題を解決するため両系列の中間的存在として開発された<ref name="JNRCAR"/>。[[1966年]]([[昭和]]41年)から[[1969年]](昭和44年)までに5形式、179両が製造された<ref name="JNRCAR"/>。
なお、本系列の落成に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれ[[国鉄キハ08系気動車|キハ08形・キハ09形(2代)]]に改称されている。


[[1960年代]]中期、国鉄では一般形気動車として主に地方線区向けの[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]と、大都市近郊線向けの[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]を製造していた<ref name="JTBp176" />。しかし、キハ20系は扉幅が850 [[ミリメートル|mm]]と狭く[[ラッシュ時]]の乗降に不便であり、キハ35系はもともと[[関西本線]][[湊町駅]] - [[奈良駅]]間に投入されることを念頭に設計された通勤輸送に主眼を置いた構造で、当時はこれほどの収容力を必要とする線区はそれほど多くなかった<ref name="RP742p11" /><ref name="JTBp176" />。本系列は、前出2系列の中間的な存在である近郊形として開発され<ref name="RF66p10" /><ref name="JTBp176" />、1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)までにキハ23・キハ24・キハ45・キハ46・キハ53の5形式、179両が製造された<ref name="RP742p6" /><ref name="JTBp176" />。
== 運用 ==
当形式は他の一般形気動車と区別することなく使用され、普通列車だけでなく、[[急行列車]]にも使用されたこともあった([[遜色急行]]も参照)<ref>日本交通公社『国鉄車両一覧』p.177</ref>。


需要に応じて投入されたため、両数が比較的少ない割に全国各地で広く運用され<ref name="RP742p6" />、国鉄時代は普通列車だけでなく、一部[[急行列車]]にも使用された<ref name="JTBp177" /><ref name="RP742p6" /><ref name="RP742p7" /><ref name="RP768p23" />。[[鉄道車両の座席|座席]]配置は扉間と車端部がボックスシート、扉付近にロングシートのセミクロスシートで、座席の構造、ピッチ1,400 mm、幅930 mmは当時の近郊形電車([[国鉄113系電車|113系]]など)と同一<ref name="JTBp176" /><ref name="RP742p20" /><ref name="RP742p21" />となり、従来の一般形気動車よりも通路幅、出入口幅が広く取られた<ref name="RF66p11" /><ref name="RP742p20" /><ref name="RP742p21" /><ref name="RP823p24" />。
[[国鉄分割民営化]]時には、[[東海旅客鉄道]](JR東海)を除く旅客鉄道各社に176両が承継された。老朽化の進行に伴い、運用上制約が多い片運転台車から[[廃車 (鉄道)|廃車]]が進んだ。両運転台車についても、更新工事やワンマン化を受けた車両もあったが新系列気動車の増備につれて廃車が進んだ。営業運転での使用は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の1両(キハ23 520)による[[2003年]]([[平成]]15年)の運用が最後となった。また、保留車として[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]]にて保管されていた1両(キハ23 1)も、[[2009年]](平成21年)6月10日付で廃車、その後解体され
<ref>[http://railf.jp/news/2009/06/18/161500.html キハ23 1が解体される] - [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]鉄道ニュース2009年6月18日付。同誌9月号にも同じ記事が掲載されている。</ref>、在籍車は消滅している。


== 形式一覧 ==
== 形式一覧 ==
キハ45系には5形式が存在した。各形式・番台の特徴を下表にまとめた<ref name="JTBp177" />。
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|colspan="11" style="background-color: #fbb;" |キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
| colspan="11" style="background-color: #fbb;" |キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
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!運転台!!客扉!!形式!!番台区分!!仕向け地!!デッキ!!機関!!両数!!製造年!!備考
!運転台<ref name="JTBp176" />!!客扉<ref name="JTBp177" />!!形式!!番台区分<ref name="JTBp177" />!!仕向け地<ref name="JTBp177" />!!デッキ<ref name="JTBp177" />!!機関<ref name="JTBp177" />!!両数<ref name="JTBp176" />!!製造年!!備考
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| rowspan="3"|両
| rowspan="3" |両
| rowspan="2"|両開き
| rowspan="2" |両開き
! rowspan="2"|キハ23
! rowspan="2" |キハ23
!0
!0
|暖地
|暖地
| rowspan="2"|無
| rowspan="2" |無
| rowspan="7"|1台
| rowspan="7" |1台
|33
|33
|1966年 - 1969年<ref name="RP742p69" /><ref name="RP742p70" />
|41年 - 44年
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|-
66行目: 69行目:
|寒地
|寒地
|21
|21
|42年 - 44
|1967年 - 1969<ref name="RP742p70" />
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| rowspan="1"|片開き
| rowspan="1" |片開き
! rowspan="1"|キハ24
! rowspan="1" |キハ24
!無
!無
|酷寒地
|酷寒地
| rowspan="1"|有
| rowspan="1" |有
|10
|10
|1967年<ref name="RP742p70" />
|42年
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| rowspan="4"|片
| rowspan="4" |片
| rowspan="3"|両開き
| rowspan="3" |両開き
! rowspan="3"|キハ45
! rowspan="3" |キハ45
!0
!0
|暖地
|暖地
| rowspan="3"|無
| rowspan="3" |無
|74
|74
|1966年 - 1968年<ref name="RP742p70" /><ref name="RP742p71" />
|41年 - 43年
|
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|-
93行目: 96行目:
|寒地
|寒地
|22
|22
|1967年 - 1969年<ref name="RP742p71" /><ref name="RP742p72" />
|42年 - 44年
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|-
99行目: 102行目:
|暖地
|暖地
|2
|2
|1969年<ref name="RP742p72" />
|44年
|簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]
|簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]] <ref name="RP742p40" />
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| rowspan="1"|片開き
| rowspan="1" |片開き
! rowspan="1"|キハ46
! rowspan="1" |キハ46
!無
!無
| rowspan="1"|酷寒地
| rowspan="1" |酷寒地
| rowspan="1"|有
| rowspan="1" |有
|6
|6
|1966年<ref name="RP742p72" />
|41年
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|-
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| rowspan="2"|両
| rowspan="2" |両
| rowspan="2"|両開き
| rowspan="2" |両開き
! rowspan="2"|キハ53
! rowspan="2" |キハ53
!0
!0
| rowspan="2"|暖地
| rowspan="2" |暖地
| rowspan="2"|無
| rowspan="2" |無
| rowspan="2"|2台
| rowspan="2" |2台
|9
|9
|42年・44
|1967年・1969<ref name="RP742p72" />
|
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|-
!100
!100
|2
|2
|1968年<ref name="RP742p72" />
|43年
|長大編成対応
|長大編成対応<ref name="RP742p41" />
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|}
|}
* 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部区および中国山間部
* 酷寒地:[[北海道]]向け、寒地:本州の寒冷向け、暖:それ以外地域向け<ref name="JTBp176" />


== 構造 ==
== 構造 ==
=== 車体 ===
=== 車体 ===
[[File:Kiha 45 59 DMU at Miyoshi.jpg|thumb|200 px|[[三次駅]]で待機するキハ45 59とキハ47の普通列車<br/>[[1990年]]3月撮影]]
従来の多くの気動車と同じく片側2扉車体であるが、客扱いの利便性を図るため、本州以南向けは幅1300mmの両開き扉を車体中央部に寄せたレイアウトとなった。このようなレイアウトは私鉄では[[小田急2320形電車]]や[[阪急2800系電車]]{{refnest|group="注"|後に3扉ロングシートに改造している。}}、[[近鉄820系電車]]などで採用例があったが、国鉄気動車では初採用となった。酷寒地向けは、防寒のため従来どおり車端部に片開き扉を配置し[[デッキ]]を設けているが、扉幅を1000mmへ拡大している。
{{Sound|JR west kiha45 522 taisha line local izumoshi.ogg|キハ45 522の走行音|[[大社線]]普通列車162D [[大社駅]]-[[出雲市駅]]間、1990年3月26日}}
都市近郊の通勤輸送と中距離輸送の機能を併せ持つ構造<ref name="RP742p6"/>として、本州向けについては1,300 mm幅の両開き扉を片側2か所に備える。北海道向けは防寒・保温のため[[国鉄キハ20系気動車|キハ22]]と同様に車端部に片開き扉を配置し[[デッキ]]を設けているが、扉幅は1,000 mmに拡大されている<ref name="RF66p11"/><ref name="JTBp176"/>。いずれの場合も扉にはステップが設けられた<ref name="JTBp176"/>。


車体幅は従来形と同じく2800mm級で、[[急行形車両|急行形]]気動車のような幅広車体は採用されなかった。車体長は、1エンジン車と2エンジン車で統一する方針からすべて2エンジン車に要求される最大長21.3m(車体長20.8m)となった。このため、1エンジン車(在来形は最大長20m・車体長19.5m)については収容力の向上が図られた
車体幅は併結を考慮して従来の一般気動車と同じ約2,800 mmとなり、[[急行形車両|急行形]]気動車のような幅広車体は採用されなかった<ref name="RF66p10"/><ref name="RP742p19"/>。1エンジン搭載車と2エンジン搭載車で全長が統一され急行形気動同様に最大長21,300 mm(車体長20,800 mm)となった<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p19"/>


運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300mmかさ上げされた高床式となった。前面窓にはパノラミックウィンドウが採用されたが、これは[[特急車両|特急形]]を除いては国鉄気動車として初採用であるまた、前面下部には大型の[[排障器]](スカート)が設置されている。[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]と同様に前照灯シールドビーム2灯化さて左右の前面窓上に配置されるとともに、貫通扉上部には[[方向幕|行先表示器]]が設置された。
運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300 mmかさ上げされた高床式となり、前面窓には角R 200 mmのパノラミックウィンドウが一般形気動車として初めて採用された<ref name="RF66p10"/><ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p39"/>。前面下部には大型の[[排障器]](スカート)が設置され、排障器の下に取り外し式の[[スノープラウ|雪かき器]]が取り付けらた<ref name="RF66p9"/><ref name="RP742p19"/>。貫通扉上部には[[方向幕|行先表示器]]が設置され<ref name="RF66p10"/><ref name="RP742p19"/>、前照灯は急行形同様、前頭部に[[シールドビーム]]2灯が設置された<ref name="RF66p10"/>


側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇上段下降)が採用されたが、酷寒地向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓で木張りの床とされ、内窓の枠は[[繊維強化プラスチック|FRP]]製となった。
側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇上段下降)が採用されたが、北海道向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓とされ、内窓の枠は[[繊維強化プラスチック|FRP]]製となった<ref name="RF66p10"/><ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p19"/>。全車に[[列車便所|便所]]が設けられている<ref name="JTBp176"/>
[[ファイル:Kiha45 nara.jpg|サムネイル|オリジナルの塗装 (キハ45)]]
床下機器の配置、機器選定、運転台寸法などが標準化され、これらの組み合わせで各車種が構成できるよう工夫された<ref name="RF66p10"/>。


製造当初は、[[朱色4号|朱色]][[クリーム4号|クリーム色]]の一般形気動車の標準塗装であった。後に一般形気動車の標準塗装が朱一色のいわゆる[[朱色5号|首都圏色]]に変更されたことから、も[[1980年]]([[昭和]]55年)ごろまでに首都圏色に塗り替えられた。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった。
製造当初は、車体下部から910 mmと雨樋より220 mmが[[朱色4号|朱色4号(朱色)]]、それ以外が[[クリーム4号|クリーム4号(クリーム色]]の一般形気動車の標準塗装った<ref name="JTBp176"/>が、[[1977年]](昭和52年)以降一般形気動車の標準塗装が[[色5号|朱色5号(朱色)]]一色のいわゆる首都圏色に変更されたことから、キハ45各型式も[[1980年]](昭和55年)ごろまでに順次首都圏色に塗り替えられた<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p84"/>。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった<ref name="RP742p84"/><ref name="RP742p85"/>


キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観における変化は極めて少ない。目立ったころ、昭和42年度本予算以降の暖地型に対し、タイフォンカバーがシャッター式からスリット入りの板に変更されている点である。
キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観に影響すような変化は、昭和41年度第2次債務車以降{{Refnest|group="注"|キハ23 13以降、キハ45 62 以降601・602、キハ53 6以降と101・102が該当<ref name="RP742p22"/>}}[[車側灯]]形状が変更されたこと、昭和42年度本予算以降の暖地向け{{Refnest|group="注"|キハ23 23以降、キハ45 70 以降と601・602、キハ53 8・9・101・102が該当<ref name="RP742p22"/>}}で[[警笛|タイフォン]]シャッターが廃止された程度である<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p22"/>
*キハ23 23~33  キハ45 70~74 601・602  キハ53 8・9・101・102


=== 車内設備 ===
=== 車内設備 ===
車内設備は多くの点で[[国鉄113系電車|113系]]をはじめとする当時の近郊形電車に倣った構造となっている。例えば、[[鉄道車両の座席|座席]]配置は扉間と車端部ボックスシート、扉付近にロングシートを配したキハ20系と同様[[セミクロスシート]]あるが、座席間隔を当時の近郊形電車と同様の1400mmに短縮し(キハ20系は1470mm)通路を広くとるため座席幅も狭くされ
座席配置は扉間と車端部ボックスシート、扉付近にロングシートのセミクロスシートで、座席の構造は当時の近郊形電車と同一となり、シートピッチ1,400 mm、幅930 mmも近郊形電車と同一である<ref name="JTBp176"/><ref name="RP742p20"/><ref name="RP742p21"/>。キハ20系の幅987.5 mm、シートピッチ1,470 mmに対し、幅、間隔とに縮小されている<ref name="RF66p11"/><ref name="RP823p24"/>


北海道向けでは室内の防寒・保温のためキハ22と同様にデッキが設けられ、デッキとの仕切り付近はロングシート、それ以外の部分はボックスシートとなった<ref name="RF66p10"/><ref name="JTBp176"/>。便所の扉は本州向けの引き戸に対し北海道向けでは開き戸となり、デッキに便所扉が設けられた<ref name="RP742p19"/>。本州向け車両の床は耐水性防腐鋼板の上に[[ポリ塩化ビニル|塩化ビニール]]の床材を張ったもの、北海道向けでは厚さ25 mmの板張りとされた<ref name="RP742p19"/>。[[暖房]]については急行形気動車同等の温水式が標準となった<ref name="RP742p20"/>。客室内壁は、本州向けが淡緑1号(薄緑色)、北海道向けが薄茶色4号(サンドベージュ)、天井が白、運転室は仕向け地にかかわらず淡緑3号(ミストグリーン)、北海道向けのデッキは運転室と同色とされた<ref name="RP742p20"/>。前面ガラスの[[デフロスター|デフロスタ]]は従来の電熱式から温気式に改良されている<ref name="RF66p10"/>。運転台の操作機器類は、運転士側に若干傾斜して配置され、操作性の改善が図られた<ref name="RF66p11"/>。
[[暖房]]については急行形気動車同等の温水式が標準となった。


キハ45 601・602は簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]であ、半室をロングシートとし、間仕切り用のアコーディオンカーテンを設けたうえでロングシート部を郵便室・荷物室として使う機能を持せたている。郵便・荷物輸送量が少ないローカル線向けに製造されたいわゆる600番台気動車の一つであり(ほかにキハ20形・キハ22形・キハ52形などに存在)他形式の600番台すべて改造車であるが、キハ45形み新製車なっている
簡易[[郵便車|郵便]][[荷物車]]であるキハ45 601・602は、半室をロングシートとし、2か所に設けられたアコーディオンカーテンで車内を仕切ってロングシート部を郵便室・荷物室として使うことができ<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p41"/>。郵便・荷物輸送の廃止後はアコディオンーテンが撤去された半室ロングシートままされた<ref name="RP742p41"/>


=== 主要機器 ===
=== 主要機器 ===
[[File:JRW DMH17H kiro59-551.jpg|thumb|200 px|DMH17H形ディーゼルエンジン]]
{{Sound|JR west kiha45 522 taisha line local izumoshi.ogg|キハ45 522の走行音(162D 大社線普通列車)|(大社線大社-出雲市間、1990年3月26日)}}
[[File:JNR-Kiha35901-DT22C.jpg|thumb|200 px|DT22C形台車]]
当時の標準である[[DMH17系エンジン|DMH17H]](180PS/1,500rpm)形[[ディーゼルエンジン|ディーゼル機関]]に、TC2A形又はDF115A形液体変速機を組み合わせて1軸を駆動する。[[鉄道車両の台車|台車]]も金属バネの標準品である[[国鉄DT21形台車#派生形式|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]である。[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]や[[国鉄キハ20系気動車#キハ52形|キハ52形]]で確立された手法がそのまま踏襲されている。エンジンは通常1基を搭載し、勾配線区向けのキハ53形のみ2基搭載している。
騒音防止と標準化を狙い、横形<ref name="RF66p10"/>の [[DMH17系エンジン|DMH17H]]形[[ディーゼルエンジン|ディーゼル機関]] (180 [[馬力|PS]] / 1,500 [[rpm (単位)|rpm]])が採用され、[[神鋼造機]]製TC2A形又は[[日立ニコトランスミッション|新潟コンバーター]]製DF115A形[[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式|液体変速機]]を組み合わせて1軸を駆動する<ref name="RP742p12"/><ref name="RP742p20"/>。エンジンと変速機は勾配線区向けのキハ53のみ2組を搭載し、それ以外は1組を搭載した<ref name="RP742p22"/>。台車は、キハ20系後期形や、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]と同様のウイングばね式[[国鉄DT21形台車|DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)]]を採用、1エンジン車では前位側が動台車、後位側が従台車となっている<ref name="RP742p10"/><ref name="RP742p13"/><ref name="RP742p20"/>。{{-}}


なお、本形列が開発される前の[[1963年]](昭和38年)より国鉄では[[DMF15系エンジン]]の開発を行っていたが、採用は見送られた。
床下回りの装備は、暖地装備車の0番台を標準として、機関にカバーをつけ床下機器類の耐雪・保温対策を強化した寒冷地対策仕様の500番台が製造された。


== 形式各説 ==
== 形式各説 ==
形式ごとの相違点、歴史をまとめる。キハ45系の製造に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれ[[国鉄キハ08系気動車|キハ08形・キハ09形(2代)]]に改称されている<ref name="RP702p46"/><ref name="RF235p26"/><ref name="RF235p27"/>。
=== キハ45形 ===
=== キハ23 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha45-43.jpg|thumb|200px|キハ45 43]]
1機関搭載の片運転台車で、[[1966年]](昭和41年)から[[1969年]](昭和44年)にかけて暖地形の0番台74両、寒地形の500番台22両、暖地形簡易郵便荷物車の600番台2両の計98両が製造された本系列の基幹形式で、全国各地で使用された。

[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)に0番台11両・500番台14両の25両、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)に0番台30両・500番台8両の38両、[[四国旅客鉄道]](JR四国)に0番台24両、[[九州旅客鉄道]](JR九州)に0番台8両・600番台2両の10両、計97両が承継されたが、片運転台車で運用上小回りが利かないこともあって、民営化直後から急速に淘汰が進み、[[1995年]]([[平成]]7年)に全廃となった。

※本形式のうち[[1967年]](昭和42年)4月から5月にかけて製造された32 - 36・42 - 61の25両は、製造直後、一時的に北海道に配置された。これは夏季の[[観光]]客輸送など[[波動輸送]]に充当するためで、函館・苗穂・旭川・池田・釧路に配置され、シーズン終了後の1967年(昭和42年)秋に新潟や高松など、道外の本来の配置予定区に転属している。

=== キハ46形 ===
[[ファイル:Kiha 46 6 ruuninng near Chitose station 1988-07.JPG|thumb|200px|キハ46 6]]
酷寒地向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両のみが[[富士重工業]]で製造された。1 - 4と6が[[苗穂運転所|苗穂機関区]](札ナホ)、5のみが[[旭川運転所|旭川機関区]](旭アサ)に配置され、新製配置から廃車まで北海道内で使用された。

[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)に5両が承継されたが、[[国鉄キハ20系気動車#キハ22形|キハ22形]]と比べて[[定員#自動車・鉄道車両等ある区画の中に入れる人数|収容力]]以外に勝る点が少なく、また、少数形式で保守部品の確保が困難であることから早期に淘汰の対象となり、[[1992年]]([[平成]]4年)に全廃となった。

=== キハ23形 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha23-5.jpg|thumb|200px|キハ23 5]]
[[ファイル:JNR DC Kiha23-5.jpg|thumb|200px|キハ23 5]]
1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年から1969年(昭和44年にかけて暖地形の0番台33両、寒地形の500番台21両の計54両が製造された。
1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年)11月から1969年(昭和44年)2月にかけて暖地形の0番台33両、[[1967年]](昭和42年)11月から1969年(昭和44年)1月にかけて寒地形の500番台21両の計54両が製造された<ref name="RP742p21"/>


国鉄時代は最後まで1両も廃車ることなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、JR九州に0番台3両が継された。両運転台であることから、一部はワンマン改造や車両更新工事を施工され比較的長く使用された。[[2003年]](平成15年)までJR西日本に残っていた520が本グループ最後の稼働車となった。同じくJR西日本には1が保留車となっていたが、前述の通り[[2009年]](平成21年)[[6月10日]]付で廃車され、全廃された<ref>交通新聞社『JR気動車客車編成表 2009』</ref><ref>交通新聞社『JR電車編成表 2010冬』</ref>。
国鉄時代廃車った車両はなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、[[九州旅客鉄道]](JR九州)に0番台3両、各社合計で54両が継された<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/>JR西日本の29に対し、[[1990年]](平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施工されるとともに、キハ23 520には冷房化改造工事も施工された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。JR東日本では全11に対して、[[1990年]](平成2年)から1992年(平成4年)にかけて車体・機関更新工事を施工<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。[[2003年]](平成15年)までJR西日本に残っていたキハ23 520がキハ45系最後の稼働車となった<ref name="RP742p8"/><ref name="年鑑2004p48"/><ref name="年鑑2004p206"/>キハ23 1が運用離脱後も保留車となっていたが、 [[2009年]](平成21年)[[6月10日]]付で廃車され、全廃された<ref name="年鑑2010p205"/>。


=== キハ24 ===
=== キハ24 ===
[[ファイル:JRH-Kiha24.jpg|thumb|200px|キハ24形]]
[[ファイル:JRH-Kiha24.jpg|thumb|200px|キハ24形]]
酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、[[1967年]](昭和42年)4月に10両のみが[[日本車輌製造]]で製造された。
北海道向け1機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)4月に10両が[[日本車輌製造]]で製造された<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p72"/>


新製当初は1 - 4、9、10が[[函館運転所|函館機関区]](函ハコ)、5 - 8が[[郡山総合車両センター|郡山機関区]](仙コリ)に配置され、[[会津若松運輸区|会津若松機関区]]常駐で使われたが、全が2年以内に北海道へ移動し、5、6が[[旭川運転所|旭川機関区]](旭アサ)、7、8が[[釧路運輸車両所|釧路機関区]](釧クシ)に転属した。
新製当初は1 - 4、9、10が[[函館運転所|函館機関区]]、5 - 8が[[郡山総合車両センター|郡山機関区]]に配置された<ref name="RP742p70"/>。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動した<ref name="RP742p70"/>


全車が[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)に継承された<ref name="RP742p70"/>。1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、[[1992年]] ([[平成]]4年)から[[1995年]]([[平成]]7年)にかけて全車廃車された<ref name="RP742p70"/>。{{-}}
函館では「[[松前 (列車)|松前]]」、「[[せたな (列車)|せたな]]」、「[[えさし (列車)|えさし]]」、釧路では「[[ノサップ (列車)|ノサップ]]」などの[[急行列車]]にも、キハ22形に伍して使用された。
=== キハ45 ===
[[ファイル:JNR DC Kiha45-43.jpg|thumb|200px|キハ45 43]]
本州向け、1機関搭載の片運転台車で、各番台合わせて98両が製造された<ref name="RP742p21"/>。暖地向けの0番台74両は1966年(昭和41年)10月から[[1968年]](昭和43年)2月に、床下機器の保温対策を強化した寒地向けの500番台22両は1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)3月に、暖地向け簡易郵便荷物車の600番台2両は1969年(昭和44年)3月にそれぞれ製造され、全国各地で使用された<ref name="RP742p21"/>。キハ20形・キハ22形・キハ52形にも簡易郵便荷物車があり、同様に600番台に区分されていたが、これらはすべて改造車である<ref name="RP823p20"/><ref name="RP823p21"/>一方、キハ45形600番台は新製車である<ref name="RP742p72"/>。1967年(昭和42年)4月から5月にかけて製造されたキハ45 32 - 36・42 - 61の25両は、夏季の[[観光]]客輸送のため函館・苗穂・旭川・池田・釧路に新製配置され、夏季輸送終了後、32-36は中国地区へ、54は九州へ、それ以外の19両は四国へ転属している<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p6"/><ref name="RP742p71"/>。キハ45 20は1987年(昭和62年)2月に[[筑豊篠栗鉄道事業部|直方気動車区]]で廃車され、JRには継承されなかった<ref name="RP742p71"/>。


JR東日本に0番台11両・500番台14両の計25両、JR西日本に0番台30両、500番台8両の計38両、[[四国旅客鉄道]](JR四国)に0番台24両、JR九州に0番台8両・600番台2両の計10両、各社合計97両が継承された<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。民営化直後の[[1989年]](平成元年)から各社で急速に廃車され、[[1991年]](平成3年)にJR四国から、[[1992年]](平成4年)にJR東日本から、[[1994年]](平成6年)にJR西日本からそれぞれ消滅した<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。1994年(平成6年)10月以降はJR九州にキハ45 22が残るのみとなったが、これも翌1995年(平成7年)8月に廃車され、形式消滅した<ref name="RP742p71"/>。
全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、10が[[1992年]] ([[平成]]4年)、その他は[[1995年]]([[平成]]7年)に、5 - 8は民営化後に[[苫小牧運転所]](札トマ)へ転属となり、[[1999年]]([[平成]]11年)に廃車となった。

{{-}}
=== キハ53形 ===
=== キハ46 ===
[[File:KIha53 1 at Tsuyama Station.JPG|thumb|200px|キハ53 1]]
[[ファイル:Kiha 46 6 running near Chitose station 1988-07.jpg|thumb|200px|キハ46 6]]
北海道向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両が[[富士重工業]]で製造された<ref name="RP742p72"/>。1 - 4が[[苗穂運転所|苗穂]]、5が[[旭川運転所|旭川、]]6が函館に新製配置され、廃車まで北海道内で使用された<ref name="RP742p40"/>。
2機関搭載の両運転台車で、1967年から1969年にかけて暖地形の0番台9両、長大編成対応形の100番台2両の計11両が製造された。外観はキハ23形とほとんど同一だが、床下スペースが不足することから床上客室内に水タンクスペースが設けられており、その部分の窓はない。100番台は10両以上の長大編成に対応する番台で、主にブレーキ関係を強化するなど、キハ58系急行形気動車の長大編成仕様車両と同等の対策が施されている。

1987年(昭和62年)1月に廃車されたキハ46 5を除いた5両がJR北海道に継承されたが、気動車の単行運転ができないことから[[1991年]](平成3年)にキハ46 6が、残り4両が [[1992年]]([[平成]]4年)に廃車され、形式消滅した<ref name="RP742p72"/>。


=== キハ53 ===
6は国鉄時代の[[1983年]](昭和58年)、[[木次線]]で築堤崩壊により脱線大破し廃車となった。残りの車両は国鉄民営化に際し、0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ承継された。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、[[1993年]]([[平成]]5年)に全廃。JR西日本では[[木次線]]、[[津山線]]、[[小浜線]]などで使用されたが、ドア位置がワンマン運転に不向きであったことからキハ52形よりも先に廃車され、2003年(平成15年)の小浜線[[鉄道の電化|電化]]により全廃となった。
[[File:Kiha53 1 at Tsuyama Station.jpg|thumb|200px|キハ53 1]]
2機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)3月から1969年(昭和44年)3月にかけて暖地向けの0番台9両、1968年(昭和43年)12月に暖地向け長大編成対応形の100番台2両、計11両が製造された<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p72"/>。床下に水タンクを搭載するスペースがないことから、便所向かい側の3位側客室内に水タンクが設けられ、その部位には窓が設けられず、定員もキハ23に対して2名減少している<ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p40"/>。100番台は10両編成以上の長大編成に対応するため、キハ58 401以降と同様にブレーキ制御継電器などを追設したもので、0番台と外観の差はない<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p21"/><ref name="RP742p41"/>。
[[ファイル:Kiha53 miyanoharuline.jpg|サムネイル|キハ53車内前方の運転台手前右側に便所、左側に水タンク]]
キハ53 6は国鉄時代の[[1983年]](昭和58年)、[[木次線]]で[[斜面崩壊]]により脱線転落し廃車となり<ref name="RP742p23"/>、それ以外の0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ継承された<ref name="RP742p72"/>。JR西日本の全6両に対して1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけてワンマン化工事が施工された<ref name="RP742p74"/>。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、[[1993年]]([[平成]]5年)3月24日付で全車同時に廃車<ref name="RP742p72"/>、JR西日本では[[木次線]]、[[津山線]]、[[小浜線]]などで使用された<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p85"/>が、[[1995年]](平成7年)に津山配置車3両が廃車され、残り3両も2003年(平成15年)3月の小浜線[[鉄道の電化|電化]]により廃車され、全廃となった<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p72"/>。


[[1986年]]([[昭和]]61年)の国鉄末期から分割民営化後の[[1988年]](昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、[[国鉄キハ56系気動車|キハ56形]]改造の[[国鉄キハ56系気動#キハ53形500番台(501 - 510)|500番台]]、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58形]][[国鉄キハ58系気動#キハ53形(両運転台化改造)|改造]]の[[国鉄キハ58系気動車#200番台|200番台]][[国鉄キハ58系気動車#1000番台|1000番台]]が登場し本形式に編入されているが、全く系統をにする存在であるため本項では記載しない。詳細はそれぞれの項目を参照のこと
なお、国鉄末期の[[1986年]]([[昭和]]61年)から分割民営化後の[[1988年]](昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、[[国鉄キハ56系気動車|キハ56形]]からの改造車キハ53形500番台、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58形]]からの改造キハ53形200番台・1000番台にそれぞれ編入されているが、出自がるため本項では扱わない。


=== 製造年・製造会社別一覧 ===
=== 製造年・製造会社別一覧 ===
キハ45系の製造年別製造会社一覧を下表にまとめる<ref name="RP742p23"/>。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align: center; float: left; margin: 0 0 1em 0;"
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align: center; float: left; margin: 0 0 1em 0;"
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!製造</br>年度
!製造<br />年度
!形式
!形式
![[日本車輌製造]]
![[日本車輌製造]]
![[新潟鐵工所]]
![[新潟鐵工所]]
![[富士重工業]]
![[SUBARU|富士重工業]]
![[帝國車輛工業]]
![[帝國車輛工業]]
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|rowspan="5"|1966||キハ</br>23||1 - 22||colspan="3" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|rowspan="5"|1966||キハ<br />23||1 - 22||colspan="3" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
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|キハ</br>24||1 - 10||colspan="3" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />24||1 - 10||colspan="3" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
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|キハ</br>45||1 - 19</br>55 - 61||20 - 25</br>32 - 36||26 - 28</br>37 - 54</br>62 - 69||29 - 31
|キハ<br />45||1 - 19<br />55 - 61||20 - 25<br />32 - 36||26 - 28<br />37 - 54<br />62 - 69||29 - 31
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|キハ</br>46||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||1 - 6||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />46||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||1 - 6||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
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|キハ</br>53||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||1 - 7||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />53||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||1 - 7||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
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|rowspan="2"|1967||キハ</br>23||506 - 509||23 - 28||501 - 505</br>510 - 516||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|rowspan="2"|1967||キハ<br />23||506 - 509||23 - 28||501 - 505<br />510 - 516||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
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|-
|キハ</br>45||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||70 - 74</br>501 - 507||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />45||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||70 - 74<br />501 - 507||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|-
|-
|rowspan="3"|1968||キハ</br>23||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||517 - 521||29 - 33||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|rowspan="3"|1968||キハ<br />23||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||517 - 521||29 - 33||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|-
|-
|キハ</br>45||514 - 517||508 - 513</br>518 - 520||521・522</br>601・602||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />45||514 - 517||508 - 513<br />518 - 520||521・522<br />601・602||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|-
|-
|キハ</br>53||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||8・9</br>101・102||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|キハ<br />53||style="background-color:#ccc;"|&nbsp;||8・9<br />101・102||colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|}
|}
{{-}}
{{-}}

== 改造 ==
== 改造 ==
本グループは製造期間が短く、両数も多くないため製造ロットによる形態の差異がほとんどなく、形式号の変更を伴う改造は行われなかった。番を伴わない改造として、次がある。
キハ45系で製造期間が短く、両数も多くないため製造による形態の差異がほとんどない<ref name="RP742p21"/>。改番を伴う改造は行われなかった<ref name="RP742p22"/><ref name="RP742p23"/>。番号の変更を伴わない主な改造工事に以下のようなものがある。


=== 簡易荷物車化 ===
=== 簡易荷物車化 ===
[[1984年]](昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1・2を簡易荷物車に改造したものである。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた。[[1985年]](昭和60年)[[3月]]に木次線の荷物輸送が廃止されたのち、同月に原に復し
[[1984年]](昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1(10月)2(3月)を簡易荷物車に改造した<ref name="RP742p73"/>。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた<ref name="RP742p23"/>。[[1985年]](昭和60年)[[3月]]に木次線の荷物輸送が廃止されたため、同月に原に復ている<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p73"/>

=== 冷房改造 ===
JR西日本[[越美北線]]で使用されていたキハ23 520に対して、サブエンジン式の[[AU34]]形冷房装置を搭載したもので、本グループ唯一の冷房車である。越美北線のキハ120形置換え後は、高岡を経て山口地区に移り、[[2003年]](平成15年)[[10月]]まで使用された。本グループ最後の稼働車となった車である。


=== 車両更新・機関換装 ===
=== 車両更新・機関換装 ===
JR東日本に継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両に対し、[[1990年]](平成2年)から[[1991年]](平成3年)にかけて車更新工事を実、外観上は扉の窓ガラス支持がすべて金属押さえ方式に変更されたのが目立つ。同時に火災対策工事として機関が[[コマツ]]製の[[DMF11系エンジン|DMF11HZ]](SA6D125H-1)に交換されたが、液体式変速機を流用たため出力は330psから250psに落して使用していた。
JR東日本に継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両全車に対し、[[1990年]](平成2年)から[[1991年]](平成3年)にかけて気動車両更新工事工され<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。車両延命および接客設備改善のため車体板の更新、化粧板、カーテン、座席モケットの更新、扉の交換、配管類のステンレス化などが施工された<ref name="年鑑1990p107"/>。隙間風対策として扉の窓ガラス支持が金属押さえ方式に変更され火災対策工事として機関が[[小松製作所|コマツ]]製の[[DMF11系エンジン|DMF11HZ]](SA6D125H-1)に交換された<ref name="RP742p23"/>。変速機及び動力伝達装置の耐久性に影響ないよう、機関出力は250 PS / 2,000 rpmされ<ref name="年鑑1990p106"/>


=== ワンマン改造 ===
=== ワンマン改造 ===
JR西日本保有のキハ23形30両に対し、1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけて施行され、主に中国地方で使用された。運転台と扉が離れているため[[ワンマン運転]]用機器の配置苦心跡が見れる
JR西日本のキハ23形29(1-7・14・16-22・26・29-33・501・502・506-509)、キハ53形6両全車に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施行され、主に中国地方で使用された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p74"/>。運転台と扉が離れていること高運転台であることなどからワンマン運転には不向きで、JR他社ではワンマン化工事対象とはななかった<ref name="RP742p23"/>


=== ビール列車用への改造 ===
=== ビール列車用への改造 ===
長崎運転所に配置されていたキハ45 54に対してビール列車用として前位側半分厨房に改造した
長崎運転所に配置されていたキハ45 54は[[ビール列車]]用として1993年(平成5年)ごろ、前位側半分厨房に改造されている<ref name="RP742p41"/>

=== 冷房改造 ===
[[越美北線]]で使用されていたJR西日本のキハ23 520に対して、[[独立機関式冷房装置|サブエンジン式AU34形冷房装置]]を搭載する工事が施工された<ref name="RP742p23"/>。キハ45系で唯一の冷房車である<ref name="RP742p23"/>。高岡を経て山口地区に移り、[[2003年]](平成15年)[[10月]]まで使用され、キハ45系で最後の稼働車となった<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p23"/>。

== 国鉄分割民営化後の状況 ==
国鉄分割民営化に際しては、[[東海旅客鉄道|JR東海]]<ref group="注">ただしJR西日本の車両が普通列車として[[高山駅]]まで乗り入れた実績はある。</ref>を除く旅客鉄道各社に176両が継承された<ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。JR化後は各地区で独自の塗装が採用された。

1990年代から廃車が進行し、JR北海道では1995年、JR東日本では2000年、JR四国では1991年、JR九州では1993年までに全車廃車された。JR西日本では2003年に運用を終了し、保留車として残った車両も2009年に全車廃車された。

キハ45系のJR各社への継承先を下表にまとめた<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align: center; float: left; margin: 0 0 1em 0;"
|-
!形式
!JR北海道
!JR東日本
!JR西日本
!JR四国
!JR九州
|-
|キハ<br />23||&nbsp;||503-505・510-515
517・518
|| 1-23・26・27・29-33<br />501・502・506-509<br />516・519-521
|| &nbsp;||24・25・28
|-
|キハ<br />24||1-10|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;
|-
|キハ<br />45||&nbsp;||1-6・9-11・61・62<br />501-510・514-516・520||8・12・14-16・18・19<br />28-41・55-60・72-74<br>511-513・517-519・520・521||7・13・17・26・27<br />42-53・63-69||21-25・54・70・71<br />601・602
|-
|キハ<br />46||1-3・5・6||&nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;|| &nbsp;
|-
|キハ<br />53||&nbsp;|| &nbsp;||1・2-5・7 ||&nbsp;||8・9<br />101・102
|}
{{-}}
=== JR北海道 ===
JR北海道所属車のうちキハ24は函館と苫小牧に、キハ46は苗穂に集約されていたが、[[1995年]](平成7年)3月15日までに定期運用を離脱し<ref name="rf_199507">[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1995年7月号 通巻411号 p.159</ref>、同年中までに全車廃車された。

=== JR東日本 ===
JR東日本からは水郡線用が[[1992年]](平成4年)に廃車された後、小牛田に集約された更新済の寒地向けが[[2000年]](平成12年)に廃車されて消滅した。

=== JR西日本 ===
[[File:JR West Kiha 23 507 Higashi Hagi.jpg|thumb|180px|[[東萩駅]]に進入するキハ23。津山色と広島色の混結。<br />1993年10月撮影]]
営業運転での使用はJR西日本山口鉄道部の1両(キハ23 520)による[[2003年]]([[平成]]15年)10月ダイヤ改正前の運用が最後となった<ref name="RP742p8"/>。また、保留車として[[下関総合車両所#本所|下関総合車両所本所]]にて保管されていた1両(キハ23 1)も、[[2009年]](平成21年)6月10日付で廃車<ref name="年鑑2010p60"/>、解体処分され<ref name=railf20090618/>、キハ45系は消滅した<ref name="年鑑2010p205"/>。

=== JR四国 ===
JR四国では[[1991年]]までに全車廃車された。

=== JR九州 ===
JR九州所属車は、末期は大分にキハ23 600番台2両とキハ53 2両が、鹿児島にキハ53 100番台2両が残っていたが、これも[[1993年]](平成5年)に廃車された<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。

== 運用 ==
1966年(昭和42年)10月・11月に房総各線、[[陸羽東線]]、[[城端線]]、[[氷見線]]、[[山口線]]用としてキハ23形1両、キハ45形31両が、北海道各線用としてキハ46形6両が製造され、以降1969年(昭和44年)3月までにキハ23・キハ24・キハ45・キハ46・キハ53の5形式、179両が投入された<ref name="RP742p6"/>。需要に応じ、両数が比較的少ない割に全国各地に配置され、初期は[[国鉄キハ10系気動車|キハ10系]]・キハ20系・キハ35系と、末期はキハ35系・[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ47系]]と混用され、普通列車だけでなく、一部[[急行列車]]にも使用された<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p6"/><ref name="RP742p7"/><ref name="RP768p23"/>。

[[1983年]](昭和58年)3月2日に[[木次線]]で発生した脱線事故でキハ53 6が同年3月22日付で[[廃車 (鉄道)|廃車]]されたのが本系列初の廃車である<ref name="RP742p8"/><ref name="RP742p23"/><ref name="RP742p72"/>。キハ45 20とキハ46 4は国鉄分割民営化直前の[[1987年]](昭和62年)1月と2月に廃車されており、この3両のみがJRに継承されなかった<ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。

=== 北海道地区 ===
[[File:Kiha 24 5 leaving Otoineppu station 1988-07.JPG|thumb|180px|[[音威子府駅]]を発車するキハ24。この時期、道北で運用されていたキハ24は2両のみ。<br />1988年7月撮影]]
北海道では当初キハ24 6両、キハ46 1両が[[函館運輸所|函館]]に配置され<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p72"/>、[[函館本線]]、[[瀬棚線]]、[[松前線]]、[[江差線]]など函館周辺の各線<ref name="JTBp177"/>で、キハ46の残り5両は[[苗穂運転所|苗穂]]に配置され<ref name="RP742p72"/>、[[函館本線]]、[[千歳線]]、[[札沼線]]で運用された<ref name="JTBp177"/>。函館では「[[松前線#急行「松前」|松前]]」、「[[アイリス (列車)#急行→快速「せたな」|せたな]]」、「[[江差線#急行「えさし」|えさし]]」、釧路では「[[オホーツク (列車)|大雪]]」、「[[しれとこ摩周号|しれとこ]]」、苗穂では[[カムイ_(列車)#都市間連絡優等列車|「かむい」、「そらち」(2代目)]]、「[[すずらん_(列車)#運行系統の沿革|えりも]]」の各急行列車に、キハ21、22、27、56形と共に使用された<ref name="RP768p23"/><ref name="RP768p55"/>。[[郡山総合車両センター|郡山]]にキハ24 4両が配置された<ref name="RP742p35"/><ref name="RP742p70"/>が、すぐに[[旭川運転所|旭川]]、[[池田駅 (北海道)|池田]]に移動し、旭川配置車が[[宗谷本線]]、[[天北線]]などで、池田配置車が[[根室本線]]、[[標津線]]、[[池北線]]などの周辺各線で運用された<ref name="JTBp177"/>。

=== 東日本地区 ===
東日本地区では[[千葉気動車区|千葉]]に暖地向け、[[新潟車両センター|新潟]]、[[長野総合車両センター|長野]]、[[小牛田運輸区|小牛田]]、[[郡山総合車両センター|郡山]]に寒地向けが配置された<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>。千葉配置車は房総各線の[[鉄道の電化|電化]]により[[1975年]](昭和50年)に[[水戸鉄道管理局|水戸]]、[[四国]]などに転じ、水戸の車両は[[水郡線]]と[[真岡鐵道真岡線|真岡線]]で運用された<ref name="JTBp177"/>。新潟配置車は[[越後線]]・[[弥彦線]]などで運用されたが、両線が電化された[[1984年]](昭和59年)に水戸に転出した。小牛田・郡山に配置された寒地向けは[[北上線]]、[[陸羽東線]]、[[石巻線]]、[[只見線]]などで運用され<ref name="JTBp177"/>、急行「[[只見線#多層階建て急行「いなわしろ」|いなわしろ]]」に使用されることもあった<ref name="RP742p35"/><ref name="RP768p23"/><ref name="RP768p41"/>。

=== 西日本地区 ===
西日本地区では寒地向けが[[高岡鉄道部|高岡]]、[[福井地域鉄道部|福井]]に投入され、[[氷見線]]、[[城端線]]、[[高山本線]]北側などで、暖地向けが福井、[[七尾鉄道部|七尾]]、[[亀山鉄道部|亀山]]、[[和歌山電車区|和歌山]]、[[姫路運転区|姫路]]、[[広島運転所|広島]]、[[長門鉄道部|長門]]、[[幡生機関区|厚狭]]、[[山口鉄道部|小郡]]に新製配置され、[[関西本線]]、[[和歌山線]]、[[益田駅|益田]]以東の[[山陰本線]]を除く[[中国地方]]全域で運用された<ref name="RP742p69"/><ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/><ref name="JTBp177"/>。

<gallery>
JRW-Kiha23.jpg|キハ23形加古川色
Kiha 53 2 Yamatanoorochi-1 at Shinji Station 1988.jpg|[[ヤマタノオロチ]]塗装の[[木次線]]キハ53 2(1988年)
</gallery>

=== 四国地区 ===
四国に新製配置された車両はなく、いったん北海道各地に配置され、夏季輸送に供された19両が1967年(昭和42年)に[[高松運転所|高松]]、[[徳島運転所|徳島]]、[[高知運転所|高知]]に配置された<ref name="RP742p6"/><ref name="RP742p71"/>。のちに、房総地区電化で千葉から転入した車両が追加されたが、配置は徳島に集約され<ref name="RP742p6"/>、[[高徳線]]、[[牟岐線]]、[[徳島線]]で運用された<ref name="JTBp177"/>。

=== 九州地区 ===
[[ファイル:Hosenjistn.jpg|thumb|[[宮原線]]のキハ53 8([[宝泉寺駅]]、1983年)]]
九州では[[筑豊篠栗鉄道事業部|直方]]、[[大分鉄道事業部|大分]]、[[鹿児島車両センター|鹿児島]]に計8両が新製配置されたにとどまった<ref name="RP742p70"/><ref name="RP742p71"/><ref name="RP742p72"/>が、のちに直方には他地区からキハ23、キハ45が転入し、[[筑豊]]地区で使用された<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p6"/>。

大分にはキハ45 600番台全2両とキハ53 8、9が配置され、[[豊肥本線]]、[[久大本線]]などで運用された<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p72"/>。この4両は廃車まで大分を離れなかった<ref name="RP742p72"/>。


鹿児島にはキハ53 100番台全2両が配置されたが、キハ45系の配置はこの2両のみだった<ref name="RP742p72"/>。鹿児島近郊の[[吉都線]]、[[肥薩線]]、[[山野線]]などで運用され、急行「[[くまがわ (列車)|からくに]]」に使用されることもあった<ref name="RP768p23"/><ref group="注">鹿児島配置のキハ53が長大編成対応の100番台となったのは、「からくに」に運用され、[[吉松駅|吉松]] - [[宮崎駅|宮崎]]間で「かいもん」「えびの」と併結されることを想定したものと思われる。</ref>。この2両も廃車まで鹿児島を離れなかった<ref name="JTBp177"/><ref name="RP742p72"/>。
=== タイフォンシャッター撤去 ===
細かい点では1980年代前半に四国地区配属車の一部に対して、タイフォンのシャッター撤去が行われている。


== 保存車 ==
== 保存車 ==
[[File:JRH-DC Kiha24-2 20110824.jpg|thumb|180px|札幌市内の店舗で利用されていたキハ24 2<br />2011年8月撮影]]
キハ24 2が、廃車後札幌市内のCarクラブ ノルテにて利用されていたが、2015年に撤去された。これにより当系列の残存車が消滅した<ref name=Response>[http://response.jp/article/2015/02/23/244977.html 近郊型気動車キハ45系の生き残りがついに消滅] - [[Response.]](2015年02月23日(月) 23時41分版)2015年3月2日閲覧</ref>。
キハ24 2が、廃車後札幌市内の店舗にて利用されていた<ref name="RP742p20"/><ref name="rf_199608">[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1996年8月号 通巻424号 p.117</ref>が、2015年に解体処分された<ref name=Response/>。片方の前頭部が個人で保存されている{{要出典|date=2018年4月}}。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2|refs=
<ref name="JNR100-3p460">[[#JNR100-3|『100年の国鉄車両(3)』p460]]</ref>

<ref name="JNRsh42p128131">[[#JNRsh42|『国鉄車両諸元一覧表 昭和42年版』pp128-131]]</ref>
<ref name="JNRsh51p155159">[[#JNRsh51|『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』pp155-159]]</ref>

<ref name="Sekai77p60">[[#Sekai77|『世界の鉄道 ‘77』p60]]</ref>

<ref name="Natori1995p213">[[#Natori1995|『キハ58と仲間たち』p213]]</ref>

<ref name="JTBp176">[[#JTB|『国鉄車両一覧』p176]]</ref>
<ref name="JTBp177">[[#JTB|『国鉄車両一覧』p177]]</ref>
<ref name="JTBp444">[[#JTB諸元|『国鉄車両一覧』p444]]</ref>
<ref name="JTBp445">[[#JTB諸元|『国鉄車両一覧』p445]]</ref>

<ref name="Kiha47p97">[[#JTB2009|『キハ47物語』p97]]</ref>

<ref name="RF66p9"> [[#RF66|『鉄道ファン』通巻66号p9]]</ref>
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<ref name="年鑑1990p106">[[#年鑑1990DC|『新車年鑑1990年版』p106]]</ref>
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<ref name="年鑑2004p48">[[#年鑑2004動向|『鉄道車両年鑑2004年版』p48]]</ref>
<ref name="年鑑2004p206">[[#年鑑2004一覧|『鉄道車両年鑑2004年版』p206]]</ref>

<ref name="RP768p23">[[#RP823大全|『鉄道ピクトリアル』通巻768号p23]]</ref>
<ref name="RP768p41">[[#RP823撮った|『鉄道ピクトリアル』通巻768号p41]]</ref>
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=== Web資料 ===
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== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
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国鉄キハ45系気動車
キハ45 27(1988年頃、高松駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
北海道旅客鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所 日本車輌製造新潟鐵工所富士重工業帝國車輛工業[1]
製造年 1966年 - 1969年[2][3][4][5]
製造数 179両[6]
引退 2003年10月[7]
廃車 2009年6月10日[8]
主要諸元
最高速度 95[11][12][13] km/h
車両定員 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)
76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)
85(席)+25(立)=110名(キハ46形)
76(席)+40(立)=116名(キハ23形)
77(席)+25(立)=102名(キハ24形)
73(席)+41(立)=114名(キハ53形)[11][12][13]
自重 33.0t(キハ45形)
33.2t(キハ46形)
34.2t(キハ23形)
34.5t(キハ24形)
39.7t(キハ53形)[11]
全長 21,300[9][10] mm
車体長 20,800[9][10] mm
全幅 2,928[9][10] mm
車体幅 2,800[9][10] mm
全高 3,925[9][10] mm
車体高 3,680[9][10] mm
車体 普通鋼
台車 コイルばね台車
DT22C(動力)/TR51B(付随)[11][12][13]
車輪径 860 mm[12][13]
固定軸距 2,100 mm[9][10]
台車中心間距離 14,400 mm[9][10]
機関 DMH17Hディーゼルエンジン[11][12][13]
機関出力 180 馬力/1,500 rpm×1[11][12][13]
変速機 液体式(TC2A/DF115A)[11][12][13]
制動装置 自動空気ブレーキ
キハ45形・キハ46形:DA1
キハ23形・キハ24形・キハ53形:DA1A[11][12][13]
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キハ45系気動車(キハ45けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の気動車である。キハ23系気動車と呼ばれることもある。

1966年昭和41年)から1969年(昭和44年)にかけて179両が製造された。

キハ45系の呼称は、正式の系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造されたキハ23キハ24キハ45キハ46キハ53の各形式を総称したものである。

概要

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都市近郊通勤輸送と中長距離輸送の機能を併せ持つ気動車として構想され[14]、従来の一般形気動車よりも出入口幅、通路幅が広くとられた[9][10][15]近郊形と位置付けられる[16][17][18][19][20][21][22][6][23][24]エンジン変速機台車などは当時の標準的なものを採用している[16][25][9]

1960年代中期、国鉄では一般形気動車として主に地方線区向けのキハ20系と、大都市近郊線向けのキハ35系を製造していた[20]。しかし、キハ20系は扉幅が850 mmと狭くラッシュ時の乗降に不便であり、キハ35系はもともと関西本線湊町駅 - 奈良駅間に投入されることを念頭に設計された通勤輸送に主眼を置いた構造で、当時はこれほどの収容力を必要とする線区はそれほど多くなかった[26][20]。本系列は、前出2系列の中間的な存在である近郊形として開発され[16][20]、1966年(昭和41年)から1969年(昭和44年)までにキハ23・キハ24・キハ45・キハ46・キハ53の5形式、179両が製造された[6][20]

需要に応じて投入されたため、両数が比較的少ない割に全国各地で広く運用され[6]、国鉄時代は普通列車だけでなく、一部急行列車にも使用された[14][6][27][28]座席配置は扉間と車端部がボックスシート、扉付近にロングシートのセミクロスシートで、座席の構造、ピッチ1,400 mm、幅930 mmは当時の近郊形電車(113系など)と同一[20][9][10]となり、従来の一般形気動車よりも通路幅、出入口幅が広く取られた[29][9][10][15]

形式一覧

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キハ45系には5形式が存在した。各形式・番台の特徴を下表にまとめた[14]

キハ45系 新造時形式・番台別特徴一覧
運転台[20] 客扉[14] 形式 番台区分[14] 仕向け地[14] デッキ[14] 機関[14] 両数[20] 製造年 備考
両開き キハ23 0 暖地 1台 33 1966年 - 1969年[2][3]
500 寒地 21 1967年 - 1969年[3]
片開き キハ24 酷寒地 10 1967年[3]
両開き キハ45 0 暖地 74 1966年 - 1968年[3][4]
500 寒地 22 1967年 - 1969年[4][5]
600 暖地 2 1969年[5] 簡易郵便荷物車 [30]
片開き キハ46 酷寒地 6 1966年[5]
両開き キハ53 0 暖地 2台 9 1967年・1969年[5]
100 2 1968年[5] 長大編成対応[31]
  • 酷寒地:北海道向け、寒地:本州の寒冷地向け、暖地:それ以外の地域向け[20]

構造

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車体

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三次駅で待機するキハ45 59とキハ47の普通列車
1990年3月撮影

都市近郊の通勤輸送と中距離輸送の機能を併せ持つ構造[6]として、本州向けについては1,300 mm幅の両開き扉を片側2か所に備える。北海道向けは防寒・保温のためキハ22と同様に車端部に片開き扉を配置しデッキを設けているが、扉幅は1,000 mmに拡大されている[29][20]。いずれの場合も扉にはステップが設けられた[20]

車体幅は併結を考慮して従来の一般形気動車と同じ約2,800 mmとなり、急行形気動車のような幅広車体は採用されなかった[16][32]。1エンジン搭載車と2エンジン搭載車で全長が統一され、急行形気動車同様に最大長21,300 mm(車体長約20,800 mm)となった[20][32]

運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300 mmかさ上げされた高床式となり、前面窓には角R 200 mmのパノラミックウィンドウが一般形気動車として初めて採用された[16][20][33]。前面下部には大型の排障器(スカート)が設置され、排障器の下に取り外し式の雪かき器が取り付けられた[34][32]。貫通扉上部には行先表示器が設置され[16][32]、前照灯は急行形同様、前頭部にシールドビーム2灯が設置された[16]

側窓は、一般形気動車として初めて外はめ式のユニット窓(下段上昇、上段下降)が採用されたが、北海道向け車については、防寒のため従来同様の一段上昇式の二重窓とされ、内窓の枠はFRP製となった[16][20][32]。全車に便所が設けられている[20]

オリジナルの塗装 (キハ45)

床下機器の配置、機器選定、運転台寸法などが標準化され、これらの組み合わせで各車種が構成できるよう工夫された[16]

製造当初は、車体下部から910 mmと雨樋より220 mmが朱色4号(朱色)、それ以外がクリーム4号(クリーム色)の一般形気動車の標準塗装だった[20]が、1977年(昭和52年)以降一般形気動車の標準塗装が朱色5号(朱色)一色のいわゆる首都圏色に変更されたことから、キハ45系各型式も1980年(昭和55年)ごろまでに順次首都圏色に塗り替えられた[20][35]。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった[35][36]

キハ45系は、昭和41年度から43年度まで7回に分けて発注されているが、その間の設計変更点は細部の改良・材質変更などに留まっており、外観に影響するような変化は、昭和41年度第2次債務車以降[注 1]車側灯形状が変更されたこと、昭和42年度本予算以降の暖地向け[注 2]で、タイフォンシャッターが廃止された程度である[10][11]

車内設備

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座席配置は扉間と車端部がボックスシート、扉付近にロングシートのセミクロスシートで、座席の構造は当時の近郊形電車と同一となり、シートピッチ1,400 mm、幅930 mmも近郊形電車と同一である[20][9][10]。キハ20系の幅987.5 mm、シートピッチ1,470 mmに対し、幅、間隔ともに縮小されている[29][15]

北海道向けでは室内の防寒・保温のためキハ22と同様にデッキが設けられ、デッキとの仕切り付近はロングシート、それ以外の部分はボックスシートとなった[16][20]。便所の扉は本州向けの引き戸に対し北海道向けでは開き戸となり、デッキに便所扉が設けられた[32]。本州向け車両の床は耐水性防腐鋼板の上に塩化ビニールの床材を張ったもの、北海道向けでは厚さ25 mmの板張りとされた[32]暖房については急行形気動車同等の温水式が標準となった[9]。客室内壁は、本州向けが淡緑1号(薄緑色)、北海道向けが薄茶色4号(サンドベージュ)、天井が白、運転室は仕向け地にかかわらず淡緑3号(ミストグリーン)、北海道向けのデッキは運転室と同色とされた[9]。前面ガラスのデフロスタは従来の電熱式から温気式に改良されている[16]。運転台の操作機器類は、運転士側に若干傾斜して配置され、操作性の改善が図られた[29]

簡易郵便荷物車であるキハ45 601・602は、半室をロングシートとし、2か所に設けられたアコーディオンカーテンで車内を仕切ってロングシート部を郵便室・荷物室として使うことができた[10][31]。郵便・荷物輸送の廃止後はアコーディオンカーテンが撤去されたが、半室ロングシートはそのままとされた[31]

主要機器

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DMH17H形ディーゼルエンジン
DT22C形台車

騒音防止と標準化を狙い、横形[16]DMH17Hディーゼル機関 (180 PS / 1,500 rpm)が採用され、神鋼造機製TC2A形又は新潟コンバーター製DF115A形液体変速機を組み合わせて1軸を駆動する[37][9]。エンジンと変速機は勾配線区向けのキハ53のみ2組を搭載し、それ以外は1組を搭載した[11]。台車は、キハ20系後期形や、キハ58系と同様のウイングばね式DT22C(動台車)・TR51B(付随台車)を採用、1エンジン車では前位側が動台車、後位側が従台車となっている[38][25][9]

なお、本形列が開発される前の1963年(昭和38年)より国鉄ではDMF15系エンジンの開発を行っていたが、採用は見送られた。

形式各説

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形式ごとの相違点、歴史をまとめる。キハ45系の製造に先立ち、客車改造気動車のキハ40形(初代)・キハ45形(初代)がそれぞれキハ08形・キハ09形(2代)に改称されている[39][19][40]

キハ23

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キハ23 5

1台機関搭載の両運転台車で、1966年(昭和41年)11月から1969年(昭和44年)2月にかけて暖地形の0番台33両、1967年(昭和42年)11月から1969年(昭和44年)1月にかけて寒地形の500番台21両の計54両が製造された[10]

国鉄時代に廃車になった車両はなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の計40両、九州旅客鉄道(JR九州)に0番台3両、各社合計で54両が継承された[2][3]。JR西日本の29両に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施工されるとともに、キハ23 520には冷房化改造工事も施工された[1][41]。JR東日本では全11両に対して、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけて車体・機関更新工事を施工した[1][41]2003年(平成15年)までJR西日本に残っていたキハ23 520がキハ45系最後の稼働車となった[7][42][43]。キハ23 1が運用離脱後も保留車となっていたが、 2009年(平成21年)6月10日付で廃車され、全廃された[44]

キハ24

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キハ24形

北海道向け1機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)4月に10両が日本車輌製造で製造された[10][5]

新製当初は1 - 4、9、10が函館機関区、5 - 8が郡山機関区に配置された[3]。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動した[3]

全車が北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承された[3]。1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、1992年平成4年)から1995年平成7年)にかけて全車廃車された[3]

キハ45

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キハ45 43

本州向け、1機関搭載の片運転台車で、各番台合わせて98両が製造された[10]。暖地向けの0番台74両は1966年(昭和41年)10月から1968年(昭和43年)2月に、床下機器の保温対策を強化した寒地向けの500番台22両は1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)3月に、暖地向け簡易郵便荷物車の600番台2両は1969年(昭和44年)3月にそれぞれ製造され、全国各地で使用された[10]。キハ20形・キハ22形・キハ52形にも簡易郵便荷物車があり、同様に600番台に区分されていたが、これらはすべて改造車である[45][46]一方、キハ45形600番台は新製車である[5]。1967年(昭和42年)4月から5月にかけて製造されたキハ45 32 - 36・42 - 61の25両は、夏季の観光客輸送のため函館・苗穂・旭川・池田・釧路に新製配置され、夏季輸送終了後、32-36は中国地区へ、54は九州へ、それ以外の19両は四国へ転属している[14][6][4]。キハ45 20は1987年(昭和62年)2月に直方気動車区で廃車され、JRには継承されなかった[4]

JR東日本に0番台11両・500番台14両の計25両、JR西日本に0番台30両、500番台8両の計38両、四国旅客鉄道(JR四国)に0番台24両、JR九州に0番台8両・600番台2両の計10両、各社合計97両が継承された[3][4][5]。民営化直後の1989年(平成元年)から各社で急速に廃車され、1991年(平成3年)にJR四国から、1992年(平成4年)にJR東日本から、1994年(平成6年)にJR西日本からそれぞれ消滅した[3][4][5]。1994年(平成6年)10月以降はJR九州にキハ45 22が残るのみとなったが、これも翌1995年(平成7年)8月に廃車され、形式消滅した[4]

キハ46

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キハ46 6

北海道向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年(昭和41年)12月に6両が富士重工業で製造された[5]。1 - 4が苗穂、5が旭川、6が函館に新製配置され、廃車まで北海道内で使用された[30]

1987年(昭和62年)1月に廃車されたキハ46 5を除いた5両がJR北海道に継承されたが、気動車の単行運転ができないことから1991年(平成3年)にキハ46 6が、残り4両が 1992年平成4年)に廃車され、形式消滅した[5]

キハ53

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キハ53 1

2機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)3月から1969年(昭和44年)3月にかけて暖地向けの0番台9両、1968年(昭和43年)12月に暖地向け長大編成対応形の100番台2両、計11両が製造された[10][5]。床下に水タンクを搭載するスペースがないことから、便所向かい側の3位側客室内に水タンクが設けられ、その部位には窓が設けられず、定員もキハ23に対して2名減少している[10][30]。100番台は10両編成以上の長大編成に対応するため、キハ58 401以降と同様にブレーキ制御継電器などを追設したもので、0番台と外観の差はない[14][10][31]

キハ53車内前方の運転台手前右側に便所、左側に水タンク

キハ53 6は国鉄時代の1983年(昭和58年)、木次線斜面崩壊により脱線転落し廃車となり[1]、それ以外の0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ継承された[5]。JR西日本の全6両に対して1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけてワンマン化工事が施工された[41]。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、1993年平成5年)3月24日付で全車同時に廃車[5]、JR西日本では木次線津山線小浜線などで使用された[7][36]が、1995年(平成7年)に津山配置車3両が廃車され、残り3両も2003年(平成15年)3月の小浜線電化により廃車され、全廃となった[7][5]

なお、国鉄末期の1986年昭和61年)から分割民営化後の1988年(昭和63年)にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、キハ56形からの改造車がキハ53形500番台、キハ58形からの改造車がキハ53形200番台・1000番台にそれぞれ編入されているが、出自が異なるため本項では扱わない。

製造年・製造会社別一覧

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キハ45系の製造年別製造会社一覧を下表にまとめる[1]

製造
年度
形式 日本車輌製造 新潟鐵工所 富士重工業 帝國車輛工業
1966 キハ
23
1 - 22  
キハ
24
1 - 10  
キハ
45
1 - 19
55 - 61
20 - 25
32 - 36
26 - 28
37 - 54
62 - 69
29 - 31
キハ
46
  1 - 6  
キハ
53
  1 - 7  
1967 キハ
23
506 - 509 23 - 28 501 - 505
510 - 516
 
キハ
45
  70 - 74
501 - 507
 
1968 キハ
23
  517 - 521 29 - 33  
キハ
45
514 - 517 508 - 513
518 - 520
521・522
601・602
 
キハ
53
  8・9
101・102
 

改造

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キハ45系では、製造期間が短く、両数も多くないため、製造時による形態の差異がほとんどない[10]。改番を伴う改造は行われなかった[11][1]。番号の変更を伴わない主な改造工事には以下のようなものがある。

簡易荷物車化

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1984年(昭和59年)に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1(10月)2(3月)を簡易荷物車に改造した[47]。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた[1]1985年(昭和60年)3月に木次線の荷物輸送が廃止されたため、同月に原形に復旧している[1][47]

車両更新・機関換装

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JR東日本に継承され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両全車に対し、1990年(平成2年)から1991年(平成3年)にかけて気動車車両更新工事が施工された[1][41]。車両の延命および接客設備改善のため、車体外板の更新、化粧板、カーテン、座席モケットの更新、扉の交換、配管類のステンレス化などが施工された[48]。隙間風対策として扉の窓ガラス支持が金属押さえ方式に変更され、火災対策工事として機関がコマツ製のDMF11HZ(SA6D125H-1)に交換された[1]。変速機及び動力伝達装置の耐久性に影響しないよう、機関出力は250 PS / 2,000 rpmとされた[49]

ワンマン改造

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JR西日本のキハ23形29両(1-7・14・16-22・26・29-33・501・502・506-509)、キハ53形6両全車に対し、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけてワンマン化工事が施行され、主に中国地方で使用された[1][41]。運転台と扉が離れていること、高運転台であることなどからワンマン運転には不向きで、JR他社ではワンマン化工事の対象とはならなかった[1]

ビール列車用への改造

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長崎運転所に配置されていたキハ45 54はビール列車用として1993年(平成5年)ごろ、前位側半分が厨房に改造されている[31]

冷房改造

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越美北線で使用されていたJR西日本のキハ23 520に対して、サブエンジン式AU34形冷房装置を搭載する工事が施工された[1]。キハ45系で唯一の冷房車である[1]。高岡を経て山口地区に移り、2003年(平成15年)10月まで使用され、キハ45系で最後の稼働車となった[7][1]

国鉄分割民営化後の状況

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国鉄分割民営化に際しては、JR東海[注 3]を除く旅客鉄道各社に176両が継承された[1][2][3][4][5]。JR化後は各地区で独自の塗装が採用された。

1990年代から廃車が進行し、JR北海道では1995年、JR東日本では2000年、JR四国では1991年、JR九州では1993年までに全車廃車された。JR西日本では2003年に運用を終了し、保留車として残った車両も2009年に全車廃車された。

キハ45系のJR各社への継承先を下表にまとめた[2][3][4][5]

形式 JR北海道 JR東日本 JR西日本 JR四国 JR九州
キハ
23
  503-505・510-515

517・518

1-23・26・27・29-33
501・502・506-509
516・519-521
  24・25・28
キハ
24
1-10        
キハ
45
  1-6・9-11・61・62
501-510・514-516・520
8・12・14-16・18・19
28-41・55-60・72-74
511-513・517-519・520・521
7・13・17・26・27
42-53・63-69
21-25・54・70・71
601・602
キハ
46
1-3・5・6        
キハ
53
    1・2-5・7   8・9
101・102

JR北海道

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JR北海道所属車のうちキハ24は函館と苫小牧に、キハ46は苗穂に集約されていたが、1995年(平成7年)3月15日までに定期運用を離脱し[50]、同年中までに全車廃車された。

JR東日本

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JR東日本からは水郡線用が1992年(平成4年)に廃車された後、小牛田に集約された更新済の寒地向けが2000年(平成12年)に廃車されて消滅した。

JR西日本

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東萩駅に進入するキハ23。津山色と広島色の混結。
1993年10月撮影

営業運転での使用はJR西日本山口鉄道部の1両(キハ23 520)による2003年平成15年)10月ダイヤ改正前の運用が最後となった[7]。また、保留車として下関総合車両所本所にて保管されていた1両(キハ23 1)も、2009年(平成21年)6月10日付で廃車[8]、解体処分され[51]、キハ45系は消滅した[44]

JR四国

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JR四国では1991年までに全車廃車された。

JR九州

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JR九州所属車は、末期は大分にキハ23 600番台2両とキハ53 2両が、鹿児島にキハ53 100番台2両が残っていたが、これも1993年(平成5年)に廃車された[2][3][4][5]

運用

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1966年(昭和42年)10月・11月に房総各線、陸羽東線城端線氷見線山口線用としてキハ23形1両、キハ45形31両が、北海道各線用としてキハ46形6両が製造され、以降1969年(昭和44年)3月までにキハ23・キハ24・キハ45・キハ46・キハ53の5形式、179両が投入された[6]。需要に応じ、両数が比較的少ない割に全国各地に配置され、初期はキハ10系・キハ20系・キハ35系と、末期はキハ35系・キハ47系と混用され、普通列車だけでなく、一部急行列車にも使用された[14][6][27][28]

1983年(昭和58年)3月2日に木次線で発生した脱線事故でキハ53 6が同年3月22日付で廃車されたのが本系列初の廃車である[7][1][5]。キハ45 20とキハ46 4は国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)1月と2月に廃車されており、この3両のみがJRに継承されなかった[4][5]

北海道地区

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音威子府駅を発車するキハ24。この時期、道北で運用されていたキハ24は2両のみ。
1988年7月撮影

北海道では当初キハ24 6両、キハ46 1両が函館に配置され[3][5]函館本線瀬棚線松前線江差線など函館周辺の各線[14]で、キハ46の残り5両は苗穂に配置され[5]函館本線千歳線札沼線で運用された[14]。函館では「松前」、「せたな」、「えさし」、釧路では「大雪」、「しれとこ」、苗穂では「かむい」、「そらち」(2代目)、「えりも」の各急行列車に、キハ21、22、27、56形と共に使用された[28][52]郡山にキハ24 4両が配置された[53][3]が、すぐに旭川池田に移動し、旭川配置車が宗谷本線天北線などで、池田配置車が根室本線標津線池北線などの周辺各線で運用された[14]

東日本地区

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東日本地区では千葉に暖地向け、新潟長野小牛田郡山に寒地向けが配置された[3][4][5]。千葉配置車は房総各線の電化により1975年(昭和50年)に水戸四国などに転じ、水戸の車両は水郡線真岡線で運用された[14]。新潟配置車は越後線弥彦線などで運用されたが、両線が電化された1984年(昭和59年)に水戸に転出した。小牛田・郡山に配置された寒地向けは北上線陸羽東線石巻線只見線などで運用され[14]、急行「いなわしろ」に使用されることもあった[53][28][54]

西日本地区

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西日本地区では寒地向けが高岡福井に投入され、氷見線城端線高山本線北側などで、暖地向けが福井、七尾亀山和歌山姫路広島長門厚狭小郡に新製配置され、関西本線和歌山線益田以東の山陰本線を除く中国地方全域で運用された[2][3][4][5][14]

四国地区

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四国に新製配置された車両はなく、いったん北海道各地に配置され、夏季輸送に供された19両が1967年(昭和42年)に高松徳島高知に配置された[6][4]。のちに、房総地区電化で千葉から転入した車両が追加されたが、配置は徳島に集約され[6]高徳線牟岐線徳島線で運用された[14]

九州地区

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宮原線のキハ53 8(宝泉寺駅、1983年)

九州では直方大分鹿児島に計8両が新製配置されたにとどまった[3][4][5]が、のちに直方には他地区からキハ23、キハ45が転入し、筑豊地区で使用された[14][6]

大分にはキハ45 600番台全2両とキハ53 8、9が配置され、豊肥本線久大本線などで運用された[14][5]。この4両は廃車まで大分を離れなかった[5]

鹿児島にはキハ53 100番台全2両が配置されたが、キハ45系の配置はこの2両のみだった[5]。鹿児島近郊の吉都線肥薩線山野線などで運用され、急行「からくに」に使用されることもあった[28][注 4]。この2両も廃車まで鹿児島を離れなかった[14][5]

保存車

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札幌市内の店舗で利用されていたキハ24 2
2011年8月撮影

キハ24 2が、廃車後札幌市内の店舗にて利用されていた[9][55]が、2015年に解体処分された[56]。片方の前頭部が個人で保存されている[要出典]

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ キハ23 13以降、キハ45 62 以降と601・602、キハ53 6以降と101・102が該当[11]
  2. ^ キハ23 23以降、キハ45 70 以降と601・602、キハ53 8・9・101・102が該当[11]
  3. ^ ただしJR西日本の車両が普通列車として高山駅まで乗り入れた実績はある。
  4. ^ 鹿児島配置のキハ53が長大編成対応の100番台となったのは、「からくに」に運用され、吉松 - 宮崎間で「かいもん」「えびの」と併結されることを想定したものと思われる。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p23
  2. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p69
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p70
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p71
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p72
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p6
  7. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p8
  8. ^ a b 『鉄道車両年鑑2010年版』p60
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p20
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p21
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p22
  12. ^ a b c d e f g h 『国鉄車両一覧』p444
  13. ^ a b c d e f g h 『国鉄車両一覧』p445
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『国鉄車両一覧』p177
  15. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p24
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ファン』通巻66号p10
  17. ^ 『100年の国鉄車両(3)』p460
  18. ^ 『世界の鉄道 ‘77』p60
  19. ^ a b 『鉄道ファン』通巻235号p26
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『国鉄車両一覧』p176
  21. ^ 『キハ58と仲間たち』p213
  22. ^ 『キハ47物語』p97
  23. ^ 『国鉄車両諸元一覧表 昭和42年版』pp128-131
  24. ^ 『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』pp155-159
  25. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p13
  26. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p11
  27. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p7
  28. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻768号p23
  29. ^ a b c d 『鉄道ファン』通巻66号p11
  30. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p40
  31. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p41
  32. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p19
  33. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p39
  34. ^ 『鉄道ファン』通巻66号p9
  35. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p84
  36. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p85
  37. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p12
  38. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p10
  39. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻702号p46
  40. ^ 『鉄道ファン』通巻235号p27
  41. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p74
  42. ^ 『鉄道車両年鑑2004年版』p48
  43. ^ 『鉄道車両年鑑2004年版』p206
  44. ^ a b 『鉄道車両年鑑2010年版』p205
  45. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p20
  46. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻823号p21
  47. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742号p73
  48. ^ 『新車年鑑1990年版』p107
  49. ^ 『新車年鑑1990年版』p106
  50. ^ 交友社鉄道ファン』1995年7月号 通巻411号 p.159
  51. ^ キハ23 1が解体される”. railf.jp (2009年6月18日). 2016年5月29日閲覧。
  52. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻768号p55
  53. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻742p35
  54. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻768号p41
  55. ^ 交友社鉄道ファン』1996年8月号 通巻424号 p.117
  56. ^ 近郊型気動車キハ45系の生き残りがついに消滅”. Response. (2015年2月23日). 2015年3月2日閲覧。

参考文献

[編集]

書籍

[編集]
  • 日本国有鉄道工作局『国鉄車両諸元一覧表 昭和42年版』1967年。 
  • 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』交友社、1975年。 
  • 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』1977年。 
  • 『世界の鉄道 ’77』朝日新聞社、1977年。 
  • 『国鉄車両一覧』ジェイティービー、1986年。ISBN 4533044468 
    • 「キハ23・45系」 pp. 176-177
    • 「国鉄車両諸元表」 pp. 328-510
  • 名取紀之『キハ58と仲間たち』ネコ・パブリッシング、1995年。 
  • 石井幸孝『キハ47物語』JTBパブリッシング、2009年。ISBN 9784533074271 

雑誌記事

[編集]
  • 鉄道ファン』通巻66号(1966年12月・交友社)
    • 「新車インタビュー 通勤形ディーゼル動車 キハ45形」 pp. 8-11
  • 『鉄道ファン』通巻235号「特集 国鉄の気動車」(1980年10月・交友社)
    • 寺内良和「国鉄気動車ショートヒストリー」 pp. 14-30
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻534号「新車年鑑1990年版」(1990年10月・電気車研究会
    • 「キハ58形ほか 気動車機関更新工事・車両更新工事」 pp. 106-107
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻702号「特集 60系鋼体化客車(II)」(2001年6月・電気車研究会)
    • 「60系鋼体化客車【郵便荷物・事業用車編】」 pp. 33-49
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻742号「特集 キハ35・45系」(2004年2月・電気車研究会)
    • 「キハ45系」 pp. 6-8
    • 「国鉄通勤型・近郊型 ディーゼル動車のあゆみ」 pp. 10-32
    • 「キハ35・45系 登場のころ」 pp. 33-35
    • 「キハ35・45系気動車 形式集」 pp. 36-45
    • 「キハ35・45系 車歴表」 pp. 64-74
    • 「キハ45系カラーバリエーション」 pp. 84-85
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻753号「鉄道車両年鑑2004年版」(2004年10月・電気車研究会)
    • 「2003年度 JR車両動向」 pp. 36-53
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 192-208
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻768号「特集 遜色急行」(2005年11月・電気車研究会)
    • 寺本光照「遜色急行大全」 pp. 10-25
    • 根本幸男「私の撮った"遜色急行"」 pp. 38-41
    • 山田亮「北と南の遜色急行」 pp. 53-55
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻823号「特集 キハ20系」(2009年9月・電気車研究会)
    • 岡田誠一「国鉄キハ20系気動車のあゆみ」 pp. 10-23
    • 「キハ20系形式図」 pp. 24
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻840号「鉄道車両年鑑2010年版」(2010年10月・電気車研究会)
    • 「2009年度JR車両動向」 pp. 44-66
    • 「各社別新造・改造・廃車一覧」 pp. 190-206
    • 「2009年度JRの形式消滅車両」 pp. 210-211

関連項目

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