「NINTENDO64」の版間の差分
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日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『[[スーパーマリオ64]]』や『[[ゴールデンアイ 007]]』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム問題については、日本と異なりさほど人気がなかった。 |
日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『[[スーパーマリオ64]]』や『[[ゴールデンアイ 007]]』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム問題については、日本と異なりさほど人気がなかった。 |
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宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている<ref name="It's The Nintendo"/>。新作ソフトの発売も、日本国内においては[[2001年]](平成13年)12月発売の『[[ボンバーマン64]]』が最後だったが、北米では[[2003年]](平成15年)夏まで新作ソフトが発売され続けた。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『[[トニー・ホーク プロスケーター|トニーホークプロスケーター3]]』が[[PlayStation 2]]、[[ニンテンドーゲームキューブ]]、[[Xbox]]など、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開されたことは、北米での成功を表している。 |
宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている<ref name="It's The Nintendo"/>。新作ソフトの発売も、日本国内においては[[2001年]](平成13年)12月発売の『[[ボンバーマン64]]』が最後だったが、北米では[[2003年]](平成15年)夏まで新作ソフトが発売され続けた。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『[[トニー・ホーク プロスケーター|トニーホークプロスケーター3]]』が[[PlayStation 2]]、[[ニンテンドーゲームキューブ]]、[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]など、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開されたことは、北米での成功を表している。 |
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== ハードソフトの評価 == |
== ハードソフトの評価 == |
2020年1月1日 (水) 07:52時点における版
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メーカー | 任天堂 |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第5世代 |
発売日 |
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CPU | 64bit 93.75MHz NEC VR4300カスタム (MIPS) |
GPU | SGI Reality Co-Processor 62.5 MHz 64-bit RCP |
対応メディア | ロムカセット |
対応ストレージ | コントローラパック |
コントローラ入力 | ケーブル接続 x 4 |
外部接続 | 50PIN拡張コネクタ |
オンラインサービス | 64DD |
売上台数 |
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最高売上ソフト |
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互換ハードウェア | iQue Player |
前世代ハードウェア | スーパーファミコン |
次世代ハードウェア | ニンテンドーゲームキューブ |
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん[注 1])は、任天堂が開発して1996年に発売した家庭用ゲーム機。スーパーファミコンの後継・次世代機種であり、略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。
生産は既に終了しており、2007年10月31日をもってファミリーコンピュータやスーパーファミコンと共に公式修理サポートを終了している。NINTENDO64で発売されたゲームソフトの一部はWiiやWii Uのゲームソフト配信サービスであるバーチャルコンソールで購入してプレイすることが可能である。
概要
1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応した。メディアは従来と同じくロムカセット式である。1993年(平成5年)の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」、正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」[注 2](日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。ファミコンやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。上村雅之らによるとほぼ完成していたとされるが、それを没にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は山内溥により「ウルトラファミコン」として発表されていた。
第5世代としては最も後発であり、64ビットCPU・パースペクティブ補正・Zバッファ[注 3]を初めて採用しているなど、他の機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、1996年(平成8年)当時に存在していた他のゲーム機より大幅に高性能になっている[注 4]。CPUは当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス (SGI) と提携して開発が行われ、メインにはRISCのMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」、メインメモリには当時はまだ珍しかった高速なRambus DRAMを採用するなど、先鋭的なハードウェア構成となっている。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、スーパーファミコンの35倍もの性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。
また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである。例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)を、メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。
ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) がコンサルタントとして半年間参加。開発のイニシアチブは任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。
ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方で、本体にはイジェクトボタンが搭載されてないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。
コントローラは三つ又の独特な形状を採用。コントローラ中央にアナログスティック「3Dスティック(サンディスティック)」を装備[注 5]し、新しいゲーム感覚をアピールした。しかし、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。「レフトポジション」、「ライトポジション」、「ファミコンポジション」など、握り方が多数存在する特異なコントローラである。主に十字キーと3Dスティックで操作するレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、A・B・Cユニット等の各種ボタン類と3Dスティックで操作するライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。
それまでのファミリーコンピュータ (NES) やスーパーファミコン (SNES) は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に、本体の型番もNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)(XXXには出荷国のコードが入る。日本ならJPN)に統一された。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントはFrutiger。 コントローラーや本体の一部のパーツにグレーが採用されているのは、スーパーファミコンのカラーリングに合わせたからという。
スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)だが、出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない要因であった。本機が発売された1996年(平成8年)当時はRCAコンポジット端子を備えたテレビが既に普及していたことから、RFユニットは外付け・別売りとなった。
本体側の電源端子の形状も統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式を採用する日本・韓国向けのもの(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用するアメリカ合衆国・カナダ向けのもの(カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL方式を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)向けのものの3つに絞られている。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のハイニックス半導体)が「ヒョンデ・コンボイ64」の名称を付けて発売し、本体には「朝鮮語: 컴보이64(コンボイ64)」と「NINTENDO64」のロゴが併記された。
最終的に日本国内では554万台、国外で2,738万台、計3,292万台が出荷された。中国は当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことから本機は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用としたiQue Playerが2003年(平成15年)に発売された。
仕様
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d0/CPU-NUS_01.jpg/150px-CPU-NUS_01.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/RCP-NUS_01.jpg/150px-RCP-NUS_01.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/RDRAM18-NUS_01.jpg/150px-RDRAM18-NUS_01.jpg)
- CPU:MIPS 64ビットRISC R4300iカスタム 93.75MHz (NEC製VR4300カスタム)
- メディアコプロセッサ:Reality Co-Processor (RCP) 62.5MHz
- SP(サウンド及びグラフィックス演算プロセッサ: Signal Processor):32bitCPUコア(MIPS4命令のスカラユニット)、16ビットの固定小数点を8列同時実行できる積和演算機(最大500MIPS)を搭載し、ポリゴンの頂点演算(座標変換)や光源、Z値の計算などを行う。さらに、より高精度な頂点座標の算出や色補間データの生成をするためのサブ・ピクセルポジショニングを行う。
- DP(ピクセル描画プロセッサ: Display Processor):32bitCPUコア
- トライリニアミップマップインターポレーション・テクスチャ
- パースペクティブコレクション
- 環境マッピング
- フォグ
- フラットシェーディング/グーローシェーディング/フォンシェーディング
- Zバッファ
- アルファブレンディング
- LOD(Level-of detail)フィルタ:各詳細度に応じたモデルデータを用意することで(詳細度が低いほどポリゴン数の少ないモデルになる)描画速度の向上を図ることができる。
- エッジ・アンチエイリアシング
- シャドウマッピング
- 浮動小数点演算性能:187.5MFLOPS
- メモリ:NEC製RAMBUS DRAM 36Mbit(標準4.5MB、メモリー拡張パック増設時9MB) 最大転送速度: 4500Mbit/秒 (562.5MB/s)
- ポリゴン表示能力:最大10万ポリゴン/秒
- 最大解像度:256×224 - 640×480ドット
- 色数:RGBA21bitカラー 最大32bitカラー 8bit階調の色混合機能(アルファブレンディング)
- サウンド機能:ステレオADPCM音源 16bit(チャンネル数の概念はなく、RCPの配分で変動する。100%をサウンドに使うと100チャンネルほど出せるとされる)
- メディア:ロムカセット 容量: 4MB - 64MB
- 外形寸法:260mm(幅)×190mm(奥行き)×73mm(高さ)
- 質量:880g
本体色
- ブラック(1996年6月23日 - )
- クリアブルー(1999年12月1日 - )
- クリアレッド(1999年12月1日 - )
限定販売品
- ゴールド(1998年11月 - )トイザらス限定カラー
- クリアオレンジ&クリアブラック(1999年9月26日 - )ダイエーホークス優勝記念 ダイエー限定カラー
- ミッドナイトブルー(1999年11月 - )トイザらス限定カラー第二弾
- クリアグレー(1999年12月 - )ジャスコ限定カラー
- クリアブラック(1999年11月 - ) 64DDと本体とのセットでの購入のみ。
- ピカチュウNINTENDO64(2000年7月21日 - )
沿革
1993年(平成5年)
- お盆頃 - SGIと正式合意。
- 8月22日 - 第5回初心会展示会で任天堂がSGI、ミップス・テクノロジーズと共同で64ビット機を開発することが公表された(プロジェクトリアリティ)。価格は250ドル以下、1995年(平成7年)末発売を予定。
1994年(平成6年)
- 5月 - アメリカのE3で64ビット機の本体外観写真を公開、仮称は「ウルトラ64」になったと発表。
- 6月23日 - コンシューマー・エレクトロニクス・ショーで、アメリカでの正式名称が「Nintendo Ultra64」に決定したと発表。
- 10月15日 - 第6回初心会ソフト展示会で、ウルトラ64のデモ映像公開。
- 秋 - アメリカのアーケードゲームのトレードショー(Amusement Manufacturers Of America)で、ミッドウェイゲームズからアーケードゲームとして公開された。ソフトは『キラーインスティンクト(Killer Instinct)』(対戦型格闘ゲーム 開発:レア社)と『クルージンUSA(Cruis'n USA)』(レースゲーム 開発:ミッドウェイゲームズ)だった。オープニング画面では、「Nintendo ULTRA64」のロゴが表示されている。
1995年(平成7年)
- 5月11日 - E3で、Ultra64の最終モデルを公開。
- 8月10日 - 正式名称が「NINTENDO64」に決定。
- 9月14日 - 第7回初心会展示会でNINTENDO64とコントローラを公開。価格と発売日(1996年4月21日)を発表。『スーパーマリオ64』と『カービィボウル64』をプレイアブル出展。64DDの発表。
- 10月 - NINTENDO64の試作機を公開。
- 11月24日 - ファミコンスペースワールド'95で、1996年4月21日に発売する事を発表。
1996年(平成8年)
- 3月7日 - NINTENDO64の発売日を6月23日に延期すると発表。
- 6月23日 - NINTENDO64を発売。希望小売価格25,000円(税別)。
- 11月23日 - ニンテンドウ64スペースワールド'96で、64DDの実機を世界初公開。
1997年(平成9年)
- 3月14日 - 本体価格を16,800円(税別)に改定[4]。
- 6月 - 64DDの発売日を1998年3月に延期。
- 11月21日 - ニンテンドウスペースワールド'97で64DDを1998年6月に発売すると発表。
1998年(平成10年)
- 7月1日 - 本体価格を14,000円(税別)に改定。
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
- 2月28日 - ランドネットサービスが終了。
- 9月14日 - 次世代機「ニンテンドーゲームキューブ」国内販売開始。
- 12月20日 - ハドソンが日本国内ではNINTENDO64最後のソフトとなる『ボンバーマン64』を発売。
2007年(平成19年)
- 10月31日 - 「部品の確保が困難になった」としてNINTENDO64の修理サポートを終了。
苦戦
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当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期による発売の遅延(ライバル機より2年近くも遅れた)により、登場時にはPlayStationとセガサターンが市場を占拠し始めていたことが大きかった(NINTENDO64が発売された1996年(平成8年)6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。1997年(平成9年)3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、1998年(平成10年)3月末時点は315万台。対するPlayStationは1997年(平成9年)3月末時点で累計出荷台数650万台、1998年(平成10年)3月末時点で1,151万台だった[5])。開発環境の問題や64DD構想が難航したのに加えサードパーティー離れによる参入メーカー不足の現象が起き、普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStationはもとより、国内ではセガサターンにさえ及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになった。
この時代の次世代ゲーム機戦争の特徴は3Dを導入したハードが登場したことであり、それに伴いソフトの開発環境が激変した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発人員も増大した。PlayStationはソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニーがスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂はソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいたため、プログラムのライブラリを作るという発想がなく、ましてやそれをサードパーティに配布するノウハウなどなく、当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた。 開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、SGI Onyxが使用された。後にSGI Indyも使用された。日本では、安価なMicrosoft Windowsベースの「PARTNER-N64」も用意された。
任天堂自体はファミコン・スーパーファミコン時代よりソフト開発が早くなったとしていたが、発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が2年も発売が遅れるほどハード機能に依存した製作に突入してしまう事態が起きる[要出典]。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はファミリーコンピュータ ディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたこと等が響き、ほとんど定着しなかった。
NINTENDO64は発売初期からすでに慢性的な参入メーカー不足によりソフト不足に見舞われ、特にハード発売より約3ヶ月は、少ないサードパーティはおろかハードメーカーである任天堂からも新作ゲームが1本も発売されないという深刻なものだった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売にこぎつけたものすら半分ほどで、残りのものは発売中止となった。
参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけにいずれもPlayStationに移籍。RPG不足は後々まで尾を引いた。
また当時は対戦格闘ゲームの絶頂期でもあり、セガサターンは『バーチャファイター』、PlayStationは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、NINTENDO64は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で任天堂は自社で格闘ゲームを開発しない[6][注 6]独自路線を取った。同時期はPlayStationやセガサターンのマルチプラットフォーム作品が度々登場していたものの、NINTENDO64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームでNINTENDO64に発売された作品があまりなく、対戦型格闘ゲームなどは後期になってもあまり発売されなかった。
ハードの価格においても、PlayStationは発売時39,800円、セガサターンは44,800円と高価格だったが、NINTENDO64は25,000円という高性能の割りに安い値段を打ち出した。しかし、NINTENDO64発売前にPlayStationとセガサターンは熾烈な価格競争を始め、NINTENDO64発売時にはPlayStationは19,800円、セガサターンは20,000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年(平成9年)3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年(平成10年)7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。本体販売価格の値下げは任天堂ハードとして初めての施策であった。
日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム問題については、日本と異なりさほど人気がなかった。
宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている[6]。新作ソフトの発売も、日本国内においては2001年(平成13年)12月発売の『ボンバーマン64』が最後だったが、北米では2003年(平成15年)夏まで新作ソフトが発売され続けた。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』がPlayStation 2、ニンテンドーゲームキューブ、Xboxなど、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開されたことは、北米での成功を表している。
ハードソフトの評価
発売されたソフトは日本では全206タイトルに過ぎないが、人気を博したソフトや、作品として極めて高く評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。
特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などは、それぞれかなりの人気を獲得し、売上も好調だった。本ハードで初めて登場したマリオパーティシリーズは、現在も続編が発売される人気タイトルとなっている。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として現在も根強く支持されている。
周辺機器として発売された「振動パック」や、コントローラーの3Dスティックといったいくつかの試みは後々のゲーム機に影響を残している。当時としては圧倒的な3D表現能力を低価格で実現したことは高く評価され、『タイム誌』の1996年(平成8年)「MACHINE OF THE YEAR」に選出された。
2001年(平成13年)にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売。当時はN64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出し、ニンテンドーゲームキューブやニンテンドーDS、さらにはスマートフォンアプリにもなるなど現在も続く任天堂の看板タイトルとなった。
その他
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- NINTENDO64というネーミングは、コピーライターの糸井重里が命名した。
- 型番に見られる「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略といわれている。
- 3Dスティックは「さんディスティック」と呼ぶのが正しい。テレビや雑誌等で「スリーディースティック」と呼称する場合があったが、これは誤りで、任天堂の広報が対応する場合、スリーディーと言われるとその場で訂正することがあった。
- 発売当初は『スーパーマリオ64』(1996年)、『マリオパーティ』(第1作、1998年)など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。
- 発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、ターミネータパックを外した状態で起動すると、動作が不安定になったり、起動しなくなることがある。
- スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である[7]。
- 対戦型格闘ゲームが少ないため、ホリ電機(現・ホリ)がジョイスティックを発売しなかった珍しいハードでもある(アメリカでは別の会社から1種類だけジョイスティックがリリースされている)。
- 当時、任天堂ハードでは発売されていなかったリッジレーサーシリーズだが、海外では、任天堂(Nintendo Software Technology)によって開発された「Ridge Racer 64」が発売された。
- NINTENDO64互換アーケードゲーム基板「ALECK64」が、セタによって開発された。
周辺機器
任天堂純正
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Nintendo64_controller_pacs.jpg/100px-Nintendo64_controller_pacs.jpg)
パック
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/NUS-005.jpg/100px-NUS-005.jpg)
ブロス
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/41/NUS-006.jpg/100px-NUS-006.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/NUS-007.jpg/100px-NUS-007.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/NUS-008.jpg/100px-NUS-008.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/NUS-019.jpg/100px-NUS-019.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/NUS-021.jpg/100px-NUS-021.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Nintendo-64-Bio-Sensor.jpg/99px-Nintendo-64-Bio-Sensor.jpg)
型番 | 名称 | 備考 |
---|---|---|
NUS-001 | NINTENDO64 | 1996年(平成8年)6月23日発売。 |
NUS-002 | ACアダプタ | 本体に直流電源を供給するアダプタ。本体に同梱。 |
NUS-003 | RF モジュレータ |
本体をテレビにRF接続させるための変換器。コンポジットビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。 スーパーファミコンジュニア(スーパーファミコンの廉価機)、ニンテンドーゲームキューブでRF接続する際にもこれが必要。なお、AV仕様ファミコン用(HVC-103)で代用すると、問題がある[8]。 |
NUS-004 | コントローラ パック |
コントローラの拡張コネクタに接続して対応ソフトのゲームデータを保存することが出来る。データ容量は256Kbit(32KB)。保存領域は全123ページあり、データのページ数はソフト毎に異なる。 |
NUS-005 | コントローラ ブロス |
三つ又の特徴的な外観で、左側には十字キーと側面のLトリガーボタン、右側に主要操作を担うAボタン(青)・Bボタン(緑)と、補助操作を担うCボタンユニット(黄)、側面のRトリガーボタンを配する。中央にはSTARTボタン(赤)と、3Dスティック(サンディースティック)と呼ばれる入力デバイスがある。3Dスティックは倒す角度によって信号に強弱がつけられ、立体空間での微妙な操作を実現した。 また、背面中央にはZトリガーボタンと拡張用コネクタ(コントローラポート)が装備されている。ゲームの内容によって3種類の使い方ができるのが特長で、 左と中央を持つレフトポジション、右と中央を持つライトポジション、左右を持つファミコンポジションがある。一個が本体に同梱。 |
NUS-006 | カセット | N64のゲームプログラムを格納した専用メディア。 本体上部のスロットに挿入する。データ容量は32Mb(4MB) - 512Mb(64MB)で、転送レート5.3MB/sec.。 海外版とは下部の切り欠きの形が異なり物理的に挿入できない。 |
NUS-007 | メモリー拡張パック | 旧称「ハイレゾパック」。36Mb(4.5MB)の増設メモリで、本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに接続、メモリ容量を倍加できる。上部の放熱口は赤色になっている。 ソフトによってはメモリ拡張が必須となっており、そういったソフトには同梱されて発売されることもあった。また、64DDを使用する場合も必要になる。必須ではないが対応しているソフトも存在し、画面解像度の向上等の効果がある。 非対応ソフトでも接続したままで問題は無いので取り外す必要はない。ただし説明書には取り外すことを推奨するものもある。 |
NUS-008 | ターミネータ パック |
本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに予め接続されている。ターミネーターはバスの終端に配置された未接続のコネクタの信号反射などを抑える役目がある。メモリー拡張パックを接続するときには取り外す。 |
NUS-009 | RFスイッチUV | アンテナ線を介してテレビに接続させるための混合器。 ビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。 |
NUS-010 | 64DD | 本体下部の50PIN拡張コネクタに接続するディスクドライブ。64DDが正式名称だが、発売前はNINTENDO64 DISK DRIVEとも呼ばれていた。 |
NUS-011 | 64DDディスク | 64DDのゲームプログラムを格納した専用メディア。 データ容量は約64MBだが、その内約38MBは追記用の領域になっている。 DDD(ダイナミック・データ・ディスク)という呼称もあった。 |
NUS-012 | ターミネータ パック イジェクタ |
メモリー拡張パックに同梱。 ターミネータパックを「てこ」の要領で取り出すことができる。 |
NUS-013 | 振動パック | コントローラの拡張コネクタに接続する。 内部にバイブレータが内蔵されており、その振動によってゲームの臨場感を高めることができる。使用には単4電池が必要となる。最初の対応ソフトは『スターフォックス64』。 |
NUS-014 | クリーニング カセット |
本体のカセット用コネクタをクリーニングするカセット。日本未発売。 |
NUS-015 | クリーニング パック |
コントローラの拡張コネクタをクリーニングするパック。日本未発売。 |
NUS-016 | クリーニング スティック |
カセットやパックをクリーニングするスティック。日本未発売。 |
NUS-017 | マウス | ボール式の2ボタンマウス。 コントローラポートに接続する。『マリオアーティスト ペイントスタジオ』に同梱されたのみであり、ランドネット会員しか正式に入手することができなかった。 そのためマウス対応と表示されているソフトは64DD関係のソフトに限られるが、『デザエモン3D』のように対応しているカセットソフトも存在する。 なお、非対応ゲームでも使用は可能で、マウスの動きが3Dスティック、左ボタンがAボタン、右ボタンがBボタンの役割を果たす。 |
NUS-019 | 64GBパック | コントローラの拡張コネクタに接続する。 ゲームボーイやゲームボーイカラーのカートリッジを本体に繋げるアダプタ。これが使用できるのは一部の対応ソフトのみであり、使用方法としてはプレイデータをリンクさせるものである。 『ポケモンスタジアム』シリーズと『ポケットモンスター』シリーズの組み合わせのように特別に対応したソフトを除けば、スーパーファミコンにおけるスーパーゲームボーイのように、ゲームボーイソフトをテレビでプレイするための周辺機器としては使用できない。 また、コントローラにつけるには少々重すぎるのか、きちんと装着したにもかかわらず存在自体を感知できなかったり、操作中にエラーが出たりすることも多い。 スーパーゲームボーイ3(仮)が出る予定もあったが発売されず、次世代機のニンテンドーゲームキューブのゲームボーイプレーヤーが出るまでの5年間はゲームボーイカラー専用のゲームは64GBパック対応ゲーム以外テレビではできなかった。 |
NUS-020 | VRSユニット | Voice Recognition System(音声認識システム)の略。「声」をゲームの操作に利用できる 画期的な機器だが、対応ソフトは『ピカチュウげんきでちゅう』『電車でGO!64』の2本のみ。 |
NUS-021 | マイク | 単一指向性のモノラルコンデンサマイク。VRSユニットとキャプチャーカセットに附属。 |
NUS-022 | マイク ホルダー |
マイクを固定して首から提げるタイプのホルダー。VRSユニットに附属。 |
NUS-023 | スマートメディア専用カセット | 汎用メモリーカード「スマートメディア」を挿入できるカセット。 画像編集ソフト『マリオのふぉとぴー』に同梱。類似した周辺機器に、ゲームキューブ用SDカードアダプタがある。 |
NUS-025 | コントローラ用マイクホルダー | マイクをコントローラに固定するタイプのホルダー。VRSユニットに附属。 |
NUS-026 | マイクカバー | 球状の黄色いスポンジで、マイクに入る風や息などのノイズを軽減する。マイクに附属。 |
NUS-028 | キャプチャー カセット |
RCAジャック(映像、音声L・R)とマイク用ミニジャックがついたカセットで、 映像や音声を取り込むことが出来る。『マリオアーティスト タレントスタジオ』に同梱。 ファンタム電源とも異なるプラグインパワー方式[9][10]で電源を供給している為、専用マイク等のコンデンサマイク以外は絶対にミニジャックに接続してはいけない。 |
NUS-029 | モデム | 通信速度28.8kbpsの専用モデムカセット。モジュラジャックは背面にある。 |
NUS-101 | ピカチュウNINTENDO64 | 2000年(平成12年)7月に発売された。このモデルは、本体にポケットモンスターのキャラクター「ピカチュウ」があしらわれたものとなっている。 電源ランプの位置が本体正面からピカチュウのほっぺ部分に移動しており、従来モデルよりも若干サイズが大きくなった。また、底面にあったEXTポートがふさがれている為、64DDを使用することが出来なくなっている。それ以外の機能は従来モデルとの変更は無い。 「ブルー&イエロー」のカラーリングは発表時はブルー部分がバイオレットに近い色合いだったが、後に青に近い色に変更されている。 |
NUS-A-BIO | バイオセンサー | コントローラの拡張コネクタに接続し、センサーがついたクリップを耳たぶに装着して使用する。 プレイヤーの脈拍数を測定し、脈拍の変化をゲーム内容に反映させるというもの。対応ソフトは『テトリス64』のみ。任天堂ではなくセタからの発売だった。 |
NUS-NMSJ | 通信カートリッジ | モジュラーケーブルで電話線を通じて通信をすることができるソフトのカセット。セタから発売された『森田将棋64』のみ。カートリッジと通信用の機構が一体化しており、接続も容易なため、簡単に扱うことができる。 |
不明 | 64GBケーブル | ゲームボーイを画面付きコントローラとして使用するためのケーブルが試作されていたが、その機能を活用したゲームの開発は滞り発売には至らなかった。しかしこの構想は後継機のゲームキューブとゲームボーイアドバンスで実現することとなる。 |
HVC-053 | モジュラーケーブル | 電話線。ニンテンドーゲームキューブ・ファミリーコンピュータでも使用可能。 |
SHVC-008 | ステレオAVケーブル | 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブ・AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。 |
SHVC-009 | S端子ケーブル | 映像と音声をテレビに出力するケーブル。
ステレオAVケーブルより高い画質で出力できる。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブでも使用可能。 |
その他、ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO64でも使用可能。
他社製品
発売元 | 型番 | 名称 | 備考 |
---|---|---|---|
アスキー | ASC-0901 | アスキーパッド64 | 連射機能付きのコントローラ。外観は純正コントローラと大差ないが、連射スイッチとスタートボタン附近が異なっている。A/B/Z/L/Rボタンに連射が設定できる他、ホールド機能も搭載
[11]。 |
ASC-0905 | つりコン64 | 釣り竿型のコントローラその名の通り釣り竿の形をしたコンローラー。対応ソフトは『糸井重里のバス釣りNo.1』、『バスラッシュ』。 | |
タイトー | TCPP-20003 | 電車でGO!64コントローラ | 『電車でGO!64』専用のコントローラ。コントローラコネクタ3に接続して使用する。 |
ハドソン | HC-739 | ジョイカード64 | 連射機能付きのコントローラ。純正とグリップの形状が大きく異なる他、連射スイッチ付近が盛り上がっている。3Dスティックのアジャスト機能がある。A/B/Zボタンに連射が設定できる他、スローモーション機能(スタートの連射)を搭載[11]。 |
ホリ | HN6-01 | ステレオAVケーブル64 | 任天堂純正のステレオAVケーブル(SHVC-008)の互換品。 |
HN6-02 - 6(カラーにより異なる) | ホリコマンダーN64 | 連射機能付きのコントローラ。左右のグリップが純正と大きく異なり、丸っぽくなっている。A/B/Zボタンに連射が設定できる[11]。 | |
HN6-07 - 9,12 - 13,19,20,22 - 24(カラーにより異なる) | ホリパッドミニ64 | コンパクトなコントローラ。純正コントローラとゲームキューブコントローラの中間のような形状になっている[12]。 |
この他にも、多くの機器が発売されている。
ゲームソフト
- NINTENDO64のゲームタイトル一覧 - 国内で発売された全タイトルのリスト(発売日順)。
- Category:NINTENDO64用ソフト - 日本語版ウィキペディアに記事の作成されているタイトルのリスト(タイトルでの五十音順)。
- ローンチタイトル
参考文献
- 井上理「任天堂 驚きを生む方程式」(2009年、日本経済新聞出版社)
- 武田亨「It's The NINTENDO」(2000年、ティーツー出版)
脚注
注釈
- ^ ニンテンドーゲームキューブやニンテンドーDSなどと違い、NINTENDO64は「ニンテンドウ64」が公式なカタカナ表記である(同時期のサービス「ニンテンドウパワー」も同様)。
- ^ その名残があるといわれる本体などの型番については「#その他」を参照のこと。
- ^ 本機以降、スーパーファミコンジュニアや同世代競合機種のマイナーチェンジ機種を除く全ての据置型ゲーム機はZバッファを標準で搭載している。また携帯型ゲーム機でもニンテンドーDS以降、ゲームボーイミクロを除く全ての機種で搭載している。
- ^ PlayStationと3DOは固定小数点演算かつZソートで、セガサターンは変形スプライトで3Dグラフィックを描写。
- ^ アナログスティックを搭載したゲームコントローラは1989年(平成元年)に電波新聞社から発売されたメガドライブ用のアナログコントローラ「XE-1 AP」が初であり、NINTENDO64のコントローラはそれに次ぐ2例目。
- ^ ただし、後に『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などの格闘ゲームが人気シリーズになった。
出典
- ^ McCall, Scott (1996年9月28日). “N64's U.S. Launch” (English). Teleparc. 2019年5月23日閲覧。
- ^ a b c “任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表” (PDF). 任天堂. 2019年5月23日閲覧。
- ^ Nintendo 64 - VGChartz
- ^ “任天堂、64ビットゲーム専用機「NINTENDO64」を3月14日から16,800円に値下げ”. PC Watch (1997年2月21日). 2019年5月23日閲覧。
- ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』
- ^ a b 武田亨『It's The Nintendo』
- ^ N64のRGB出力化改造可能本体について
- ^ RF接続の世界
- ^ 1119 :ファンタムパワーとプラグインパワーは全く違いますよ|ShinさんのPA工作室
- ^ プラグイン・パワーとは - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
- ^ a b c 64対応ハード・アクセサリー - ウェイバックマシン(2008年2月4日アーカイブ分)
- ^ ホリパッドミニ64 - ウェイバックマシン(2016年5月13日アーカイブ分)