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「シティ・ポップ」の版間の差分

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{{複数の問題
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|name= シティ・ポップ<br/>City pop
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|caption= シティ・ポップの代表的な表象<br/>「[[都市]]と[[海岸|海辺]]」<ref name="sommet_2020_20" />
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* [[1970年代]]{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
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|popularity = 1970年代後期 - 1980年代
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'''シティ・ポップ''' (city pop) は、[[1970年代]]後半から[[1980年代]]にかけて[[日本]]で制作され流行した<ref name="aera" />、[[ニューミュージック]]の中でも<ref name="gendaiyogo" />欧米の音楽の影響を受け[[洋楽]]志向の都会的に洗練された<ref name="sankei_2019" />メロディや歌詞を持つ[[ポピュラー音楽]]のジャンル<ref>[https://diamond.jp/articles/-/307796]日本の昭和シティポップが「海外Z世代」に人気のなぜ、竹内まりや・松原みき….</ref><ref name="jcitypop_129" /><ref name="chiezo" /><ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20220215-W3RBR4JZMVHKVPKKJPZAEDOFLA/|title=https://www.sankei.com/article/20220215-W3RBR4JZMVHKVPKKJPZAEDOFLA/|publisher=産経ニュース|date=2022-02-15|accessdate=2022-02-15}}</ref>。シティ・ポップの主要な[[ミュージシャン|アーティスト]]の多くが[[シンガーソングライター]]である<ref name="jcitypop_129" />。
'''シティ・ポップ''' (City pop) は、日本の[[ポピュラー音楽]]のジャンルのひとつとされていたが、2015年~2020年前後のシティ・ポップブーム再来辺りから、海外のポピュラー音楽にまで概念の幅が広がった{{要出典|date=2020年1月}}。現代では、世界のマニアックな音楽ファン{{誰|date=2020年1月}}から注目を集めているジャンルである。


== 概要 ==
以前の古い概念では{{いつ|date=2020年1月}}、1970年代後期から[[1980年代]]に流行していた都会的なイメージを前面に出したポップスを指していた{{要出典|date=2020年1月}}。当時{{いつ|date=2020年1月}}はシティ・ポップスと呼ばれていたが、同時期にシティ・ポップも使われているため、'''シティ・ポップ=シティ・ポップス'''である{{要出典|date=2020年1月}}。60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識したイージー・リスニング的、ミドル・オブ・ザ・ロード的(中道的)でソフトな[[ロック_(音楽)|ロック]]、ポップスなどの総称である{{要出典|date=2020年1月}}。
[[ロック (音楽)|ロック]]と[[フォークソング|フォーク]]の日本版[[ハイブリッド]]といえるニューミュージックを母胎とする点で<ref name="rollingstone_2" />、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽<ref name="rollingstone_4" />)の日本独自なアレンジという側面を持つ<ref name="aera" />。決まったスタイルのサウンドは無く<ref name="aera" />、「明確な定義は無い<ref name="sankei_2019" />」「定義は曖昧<ref name="brutus_2019" /><ref name="sundaymainichi" />」「ジャンルよりもムードを指す<ref name="rollingstone_2" />」とされることもある。シティ・ポップにおける大事な要素としては、「[[都会的]]」で「洗練された」音楽であるという点が挙げられる{{Sfn|木村|2020|pp=8-9}}。もっぱら[[日本語]]で歌われていた点も主な特徴である<ref name="rollingstone_2" />。


「シティ・ポップ」は商業的な便益のために後付けされた用語<ref name="brutus_2016" />であり、制作過程ではシティ・ポップを想定していない場合もあるため、当時のミュージシャンの制作意図などを説明する場合には用語の使用に注意が必要である。
元々{{いつ|date=2020年1月}}日本国内でのみ通用するジャンルだったが{{要出典|date=2020年1月}}、後に[[ヴェイパーウェイヴ]]勃興の中で、日本のレトロなアニメやゲームを編集した動画の中で流れてる楽曲の[[サンプリング]]元として取り上げられ始め、動画サイトで元ネタの音源の発掘が進むと共に、世界のマニアックな音楽ファン{{誰|date=2020年1月}}に注目されるジャンルとなった{{要出典|date=2020年1月}}。


== 歴史 ==
[[2020年]]前後のシティ・ポップの解釈では、80年代前半の[[フュージョン]]で有名な[[シャカタク]]、[[90年代]]の[[アシッド・ジャズ]]が加えられ[[ジャミロクワイ]]や[[インコグニート]]なども加えられるようになる{{要出典|date=2020年1月}}。
=== 1970年代 ===
昭和51年([[1976年]])発売の[[テリー・メルチャー]]のセカンド・アルバム『ロイヤル・フラッシュ』の宣伝のキャッチ・フレーズに「芳醇な〈メキシカン・カントリー・ハリウッド〉シティ・ポップ!!」とあり<ref>{{Cite magazine |和書 |last = 谷川 |first = 越二 |title = ディスコ・ガイド |magazine = 中南米音楽 = La musica iberoamericana |issue = 269 |publisher = 中南米音楽 |date = 1976-07 |page = 117 |url = https://dl.ndl.go.jp/pid/2267431/1/60 |doi = 10.11501/2267431 }}</ref>、日本のレコード会社が都会的な雰囲気のある国内外の曲やアルバムを紹介する宣伝文句として「シティ・ポップ」という語を使いはじめた。


また、昭和52年([[1977年]])5月25日にリリースした[[日暮し (音楽グループ)|日暮し]]のシングル『オレンジ色の電車』の広告文句に「シティ・ポップス」という語が使われている{{Sfn|柴崎|岸野|メソ|加藤|長谷川|2022|pp=35-36}}。また、同年10月25日にリリースされた[[惣領智子]]のアルバムの帯にも「シティ・ポップス期待のシンガー」の惹句が使われている{{Sfn|柴崎|岸野|メソ|加藤|長谷川|2022|p=37}}。
なお、この記事では、2010年代以降のシティ・ポップについて広く扱う。


1977年7月には、音楽雑誌『[[レコード芸術]]』の記事で、[[吉田美奈子]]、[[来生たかお]]、[[山下達郎]]、[[深町純]]グループ、[[四人囃子]]、[[大橋純子]]([[美乃家セントラル・ステイション]])らを「シティ・ポップス」の音楽家として紹介する記事があり<ref>{{Cite magazine |和書 |title = インフォメーション |magazine =レコード芸術 |issue = 322 |publisher = 音楽之友社 |date = 1977-07 |pages = 372-374 |url = https://dl.ndl.go.jp/pid/7975949/1/191 |doi = 10.11501/7975949 }}</ref>、一音楽ジャンルを指す名称として「シティ・ポップ(ス)」という語が使われはじめたことが確認できる。
== 概要 ==
以前{{いつ|date=2019年11月}}のシティ・ポップの概念は、[[1980年代]]のアダルト・コンテンポラリーの日本版<ref>http://rateyourmusic.com/genre/City+Pop/</ref>{{出典無効|date=2020年1月}}とも解釈することも可能。[[1970年代]]に日本で定着した{{要出典|date=2020年1月}}[[シンガーソングライター]]やバンドのミュージシャンのうち、フォーク寄りではなくポップ寄りのミュージシャンがこれにあたる{{要出典|date=2020年1月}}。「[[パイド・パイパー・ハウス|長門芳郎]]が好む[[はっぴいえんど]]、[[大滝詠一]]の[[ナイアガラ・レーベル]]、[[ティン・パン・アレー]]系などが典型であり、彼らは1970年代末から1980年代初頭にかけてアルバムを発売したとする解釈もあるが{{要出典|date=2019年11月}}、これは後年に後付されたものであり、[[1980年代]]では一派に過ぎない。洋楽ではオハイオ・ノックス、ザ・フィフス・アベニュー・バンド、フル・ムーン、ラーセン=フェイトン・バンドなどが、これにあたる{{要出典|date=2020年1月}}。またプロデューサーではデヴィッド・フォスター<ref>[http://davidfoster.com/]</ref>らがいた{{要出典|date=2020年1月}}。日本のシティ・ポップのミュージシャンの場合、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンのような、多様性や音楽的幅の広さが不足しているのが、難点でもある{{要出典|date=2019年11月}}。


また、[[エリック・カルメン]]を「ニューヨークのシティ・ポップ風」と評したり<ref>{{Cite magazine |和書 |title = 最先端をゆくアメリカン・バンド リトル・フィート |magazine = ミュージック・ライフ = Music life |issue =368 |publisher = シンコー・ミュージック |date = 1977-09 |pages = 143-147 |url = https://dl.ndl.go.jp/pid/2339558/1/74 |doi = 10.11501/2339558 }}</ref>、来日した[[:en:Alessi Brothers|アレッシー・ブラザーズ]]を「アメリカン・シティ・ポップス」の担い手と評した音楽雑誌や芸能雑誌もあった<ref>{{Cite magazine |和書 |magazine = 週刊明星 |issue =1084 |publisher = 集英社 |date = 1979-07 |doi = 10.11501/1825744 }}</ref>。
今日{{いつ|date=2019年11月}}の[[音楽評論家|音楽ジャーナリスト]]は、日本の[[ポップミュージック]]の歴史をやたら[[はっぴいえんど]]に結びつける者が多いが<ref name="citypop">[https://realsound.jp/2015/12/post-5494.html はっぴいえんど、ユーミン、サザン……萩原健太に訊く、70年代に“偉大な才能”が多数登場した背景]、[https://www.hmv.co.jp/news/article/507040069/ シティーポップ勢のベスト盤!|HMV&BOOKS onlineニュース]、[http://www.1242.com/lf/articles/85670/?cat=entertainment&pg=asa 2018年は日本の音楽が世界を席巻! 再評価高まる“80年代シティポップ”とは]、[http://www.billboard-japan.com/special/detail/808 シティ・ポップス NOW & THEN]、[https://www.shinko-music.co.jp/item/pid063618x/ ディスク・コレクションジャパニーズ・シティ・ポップ]、[https://www.bookbang.jp/review/article/536260 サザンを正しく語りたい/スージー鈴木『サザンオールスターズ 1978-1985』]</ref><ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = ROCKS OFF Vol.04 | volume = 2008年3月16日発行 | title = ニューロック基礎講座 証言#2 つのだ☆ひろ | publisher = [[シンコーミュージック・エンタテイメント]] |isbn = 9784401631827 | page = 21 }}{{cite book |和書 |author = 野地秩嘉 |year = 2006 |title = 芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代 |publisher = [[新潮社]] |isbn = 9784104141029 |pages = 96 - 99 }}</ref>、このシティ・ポップも1980年代の芸能ジャーナリズムは、そこには結びつけていない{{要出典|date=2020年1月}}。


このように、シティ・ポップ(ス)は都会的で洗練された雰囲気をもつ音楽(必ずしも日本と限らない)の宣伝文句や批評として、主にレコード会社や音楽雑誌編集部が1970年代後半から使いはじめた[[和製英語]]である。その用法は厳密ではなく、今日から見るとシティ・ポップよりもむしろ[[フォークソング|フォーク]]に分類される曲や音楽家に使われることもあった。
またシティポップを「都会的で洗練された楽曲」などと説明するケースが多いが{{要出典|date=2019年11月}}、これも好イメージでは捉えられてはいない。[[Myojo|月刊明星]]1984年2月号に1983年のフォークとロックを総括した記事があり、シティ・ポップスについて
{{Quotation|「83年は、かなりフォーク&ロック系のアーチストの活躍が目立ったような気がする。ヒット・チャートの上位にズラリなんて数年前みたいな状況もちょっと見られた。だけど言ってみれば、軟弱ポップスの全盛ってことだろう。音楽に対する好みが、すごく多様化してきた。硬派から軟派まで入り乱れてるのが83年のフォーク&ロック界だったと思う。軽い'''シティ・ポップス'''風、言ってみれば[[バックグラウンドミュージック|BGM]]によさそうなのがうけた。山本達彦なんてのがその筆頭だろう。それに稲垣潤一。彼のLP『J.I.』なんか、すごく売れた。[[女子大生]]人気が圧倒的みたいだ、山本と稲垣は。新人群もそのセンを狙ってどんどん出てくる気配だ。[[鈴木雄大]]、[[岩崎雄一]]、[[宇佐元恭一]]、安部恭弘とめじろ押しだ。シティ・ポップス全盛はレコード会社の営業政策。そのおかげでフォーク&ロック界が数年ぶりに活況を呈したわけだ。そんな音楽的状況の根っこはやはり[[オフコース]]が作ったんじゃないか」}}
と書いている<ref name="月刊明星198402">{{Cite journal|和書|title= SPACE{{small|/OF}} FOLK{{small|/&}}ROCK 恒例、'83年フォーク&ロック界大総括『本気の歌はどこへ行ったか!?』|journal=[[Myojo|月刊明星]]|issue=1984年2月号|publisher=[[集英社]]|pages=156–157頁}}</ref>。


当時はシティ・ポップよりもシティ・ポップスのほうがよく使われていた。また似た言葉で「シティ・ミュージック」という語も使われていた。[[シュガー・ベイブ]]やその解散後、メンバーだった[[大貫妙子]]や山下達郎を紹介する記事にシティ・ミュージックの語が使われている<ref>{{Cite magazine |和書 |title = 輝きはじめたシティ・ミュージックの花 |magazine = ヤングフォーク |issue = 1976年秋号 |publisher = 講談社 |date = 1976 |page = 151 }}</ref>。ほかにも[[南佳孝]]、[[荒井由実]]、吉田美奈子、[[矢野顕子]]にシティ・ミュージックが使われている{{Sfn|柴崎|岸野|メソ|加藤|長谷川|2022|pp=96-97}} 。
月刊明星はそれから一年後の1985年2月号で、1984年のフォークとロックを総括した記事を載せ、今度は'''シティミュージック'''という表現も用い、ここでの言及は「84年のもう一つの特徴に、シティ・ミュージックの下火という現象がある。
{{Quotation|「リアリティーがまるでない。このテの歌には、なんか、やたら甘ったるい愛だ恋だばっかり。日本全国シティ化しちゃったか、もう[[カフェバー]]での恋は夢じゃなくなったってこともあるよ。ソート―な田舎にだって、今や[[六本木]]風のカフェバーがある時代だもの。もうみんな誤魔化されなくなったんだよ。そんな中では山本達彦とか[[角松敏生]]なんかがソコソコ頑張ったんじゃかな。それにちょっとニュアンスが違うけど、[[オメガトライブ|杉山清貴&オメガトライブ]]ね。彼らもコンスタントに売れるグループになった。でもオフコースなんかシティ・ミュージックの元祖みたいにいわれるけど、彼らの歌の良さって詩がすごく重要な部分を占めているよ。よく読んでみると、かなりきわどいことを歌にしてる感じだ。同じことはシティ・ポップスのクイーン・ユーミンにも言えるね。彼女の今度のアルバム『[[NO SIDE]]』なんかも、はっきりした方向性を示しているから。本当に詩もいいね。やっぱり詩がダメな曲はダメってことだ。今のシティ・ミュージックはカフェバーで女の子を口説いているみたいな詩ばっかりだ。そんな感覚で歌を作っちゃいけない。ユーミンはシティ・ミュージックなんて枠からとうに抜け出してる感じがする」}}と書いていている<ref name="月刊明星198502">{{Cite journal|和書|title= SPACE{{small|/OF}} FOLK{{small|/&}}ROCK 恒例、1984年フォーク&ロック大総括 第一線記者座談会 『ビジュアル派が制したF&R戦国時代』|journal=[[Myojo|月刊明星]]|issue=1985年2月号|publisher=[[集英社]]|pages=144–145頁}}</ref>。


シティ・ポップの起源について統一した見解は得られていない。音楽評論家の木村ユタカはシティ・ポップ(ス)を「ジャパニーズ・シティ・ポップ」と再定義して、その起源を[[はっぴいえんど]](1969年 - 1972年)とした{{Sfn|木村|2020|p=9}}。またシュガー・ベイブのアルバム『[[SONGS (シュガー・ベイブのアルバム)|SONGS]]』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い<ref name="cdjournal_2012" />{{Sfn|栗本|2022|p=4}}。一方で、上述したようにシティ・ポップ(ス)の語は彼らの活動時期にはまだ使われていないか、普及していなかったため、はっぴいえんどやシュガー・ベイブをシティ・ポップの起源とする説に対して批判的な見解もある{{Sfn|柴崎|岸野|メソ|加藤|長谷川|2022|p=92}}。
[[1987年]]に[[松任谷由実]]は、当時の音楽状況について
{{Quotation|「男性のミュージシャンにとって今はつらい時期でしょうね。男が出てってメッセージしなきゃいけないような立場にないもの。女だったらメッセージ色が濃くなくてもロックをやるだけでメッセージのように見える。男はロックの次に、だから何だと要求される。[[HOUND DOG]]や[[浜田省吾]]さんのように、肉体派というか、もくもくとステージをこなすことが今は正解のような気がしますね」}}
と述べ<ref name="週刊明星19871210">{{Cite journal|和書|title=HUMAN THEATER 人間劇場 第132回 松任谷由実 『美人を作る白魔術教えます!』|journal=[[週刊明星]]|issue=1987年12月10日号|publisher=[[集英社]]|pages=60}}</ref>、[[週刊明星]]は「いつのまにかミュージックシーンも女性上位になったのか、それともユーミンが強いのか、"男ユーミン"と呼ばれるような"'''シティー派'''"が女性ファンの人気を集めるようになった」と解説している<ref name="週刊明星19871210"/>。


[[1960年代]]後半から現れた自作自演の[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のうち<ref name="sundaymainichi" />、[[演奏]]や[[編曲|アレンジ]]に凝った楽曲が[[1970年代]]になると「[[ニューミュージック]]」とカテゴライズされ、従来の楽曲との差別化が図られたが<ref name="brutus_2016" />、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった<ref name="sundaymainichi" />。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリである<ref name="sundaymainichi" />。
「歌謡曲」の職業作家もこのジャンルに乗り出すようになり、都会的で洗練された音楽性に合わせて、歌詞世界も、それまでの「反戦平和」「政治権力批判」などを歌う傾向にあったフォークとは一線を画した。都市生活者の快適な生活や、生活感の薄い無機的な描写、ローカル、田舎の生活感の切り捨て、豊かさを背景にした享楽的傾向、[[しらけ世代]]を象徴する無気力、などが強く表れる歌詞の楽曲が増えていった{{要出典|date=2019年11月}}。


シュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した[[大瀧詠一]]、[[山下達郎]]、[[吉田美奈子]]、[[荒井由実]]、[[竹内まりや]]、[[大貫妙子]]、[[南佳孝]]、[[山本達彦]]などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる<ref>[https://www.billboard-japan.com/special/detail/808 シティ・ポップスNOW & THEN](Billboard Japan)</ref>。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが[[東京]]出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった<ref name="jcitypop_129" />。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは[[高度経済成長]]を経た「現代の東京」であり<ref name="jcitypop_129" />、それも[[写実主義|リアリズム]]から一歩引いた、広告都市的な消費の街という[[フィクション]]性を多分に含んでいた<ref name="cdjournal_2012" />。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を<ref name="showa40s_8" />、良い[[メロディ]]と洒落た[[和音|コード]]に乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった<ref name="kimura_2006_52" />。
広告会社、テレビ局、レコード会社の営業マンが好むような、「企業のCMのタイアップソング」という現象が増えたのも、この時期である{{要出典|date=2019年11月}}。[[バブル景気]]への移行過程で商業主的、都会的なものが日本中にあふれ、「都会的なこと」自体がセールスポイントになった{{要出典|date=2019年11月}}。フォークの[[たま (バンド)|たま]]、ロックの[[レベッカ (バンド)|レベッカ]]や[[THE BLUE HEARTS]]などが中心となった[[バンドブーム|第二次バンドブーム]]は、シティ・ポップとは異なったブームだったが、すぐに[[ピチカート・ファイヴ]]などの[[渋谷系]]が台頭し、シティ・ポップ、AOR的な音楽は残っていった{{要出典|date=2020年1月}}。


シティ・ポップが成立した背景には、[[日本人]]の生活水準の向上と、[[変動相場制]]導入と[[円高]]による海外の文物の流入、いわば東京の[[国際都市]]化という社会的変化があり<ref name="kimura_2006_55" />、シティ・ポップの盛衰は[[日本の経済|日本経済]]の盛衰と重なるところが多い<ref name="kimura_2006_54" />。
[[1990年代]]以降はシティ・ポップという呼称は、あまり使用されなくなっていた{{要出典|date=2019年11月}}。この頃、[[イギリス]]では、[[アシッド・ジャズ]]界から[[ジャミロクワイ]]がデビューする。しかし、ジャミロクワイの楽曲が、日本でシティ・ポップに認定され、[[ボーカル]]の[[ジェイ・ケイ]]がシティ・ポップの[[アイコン]]の一人となるのは、[[1993年]]のデビューから、25年の歳月がかかる{{要出典|date=2019年11月}}。


{{Quotation|[[バブル景気|バブル]]前夜、[[日本人]]の生活がどんどん豊かになって、一般市民の中に経済的、精神的余裕が生まれていった。そんな中で、平日は街で夜遊びして、オフには[[伊豆半島|伊豆]]とか[[湘南]]で[[サーフィン]]するという若い人たちのライフスタイルが構築されていった。平日と週末、都会の夜の喧騒と[[海水浴場|ビーチ]]の[[リゾート]]感覚がセットで、多くの人の意識にあったんだ。全てにおいて勢いがあって、手探りで新しいものを作ろうという時代の雰囲気。そんななかでシティポップという流れができてきて、聴く人にもウケたんだと思う<ref name="showa40s_24" />。|[[角松敏生]]}}
[[2000年代]]後半に入ると、1980年代に青年期を過ごした聴衆が音楽業界や社会の中枢を占めるようになり、シティ・ポップというジャンルの再評価・再発見が[[無秩序]]に行われている。また、現在{{いつ|date=2019年11月}}では[[YouTube]]など[[動画共有サービス]]でシティ・ポップの曲が多数アップロードされているため容易にシティ・ポップに触れることができるようになったことで、新たにシティ・ポップのファンとなった人も多い{{要出典|date=2020年1月}}。ヴェイパーウェイヴから派生したフューチャーファンクで頻繁にサンプリングされた事で、元ネタであるシティ・ポップの人気が海外でも高まっており{{要出典|date=2020年1月}}、海外からの来日客の中には、シティ・ポップのアナログレコードを求めて日本の中古レコード・CD店巡りをする人も見られている<ref>[https://tvtopic.goo.ne.jp/program/tx/33235/1085750/ YOUは何しに日本へ? YOUに大切な物をあげる…ひと夏の経験SP(2017年8月7日放送分)] - goo tv(関東版)</ref>。


[[1970年代]]において、シティ・ポップ・アーティストの多くは[[演奏会|ライブ]]行脚よりは[[録音スタジオ|スタジオ]]での[[レコード]]制作に重点を置いていたため、[[松任谷由実]]などの例外を除けば、シティ・ポップはまだ東京周辺でのムーブメントに過ぎず、全国区での[[ヒット曲]]はあまり生まれていない<ref name="kimura_2006_56" /><ref name="showa40s_24" />。しかし1970年代末、[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]がシティ・ポップをさらに先鋭化させた[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]で世間の耳目を集めたことで、彼らの周辺のシティ・ポップ・アーティストたちにも次第に関心が向けられるようになった<ref name="kimura_2006_102" />。
2000年以降では[[キンモクセイ (バンド)|キンモクセイ]]がシティ・ポップ・グループを自称し{{要出典|date=2020年1月}}、[[キリンジ]]なども「自分たちの音楽はシティ・ポップだ」という趣旨の発言をしている{{要出典|date=2020年1月}}。他にも[[土岐麻子]]や[[Suchmos]]などが、こうした路線に追随する作品を発表している。また、[[山口美央子]]は1980年代前半にシングル・アルバムを数枚発売したあとは職業作曲家に専念していたが、平成末期に再評価されたことで[[2018年]]に35年ぶりに歌手活動を再開した。


=== 1980年代 ===
== 著名なミュージシャン ==
そして1981年には年間アルバムチャートで、[[寺尾聡]]の『[[Reflections]]』と[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、[[1980年代]]前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた<ref name="kimura_2006_102" />。1980年代前半においてシティ・ポップは、[[山本達彦]]、[[稲垣潤一]]、[[杉山清貴]]といった美形男性シンガーによる都会派楽曲というイメージも持たれており<ref name="suzuki_2017_252" />、特に山本と稲垣は女子大生から圧倒的な支持があった<ref name="myojo_198402_156" />。また[[松田聖子]]が『[[風立ちぬ (松田聖子の曲)|風立ちぬ]]』(1981年)や『[[赤いスイートピー]]』(1982年)といったシティ・ポップ・ナンバーを大ヒットさせたように、シティ・ポップは[[歌謡曲|歌謡界]]にも浸透していった<ref name="sundaymainichi" />。[[音楽プロデューサー]]の[[藤田浩一]]が代表を務める[[トライアングル・プロダクション]]もシティ・ポップで多数のアーティストを[[プロデュース]]<ref>{{Cite web|和書|title=藤田浩一{{!}}Official Fan Site |url=http://koich-fujita.jp/index.html |website=koich-fujita.jp |access-date=2022-12-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=藤田浩一&オメガトライブ、シティポップとトライアングル・プロダクションの秘密 |url=https://reminder.top/774553500/ |website=reminder.top |access-date=2022-12-15 |language=ja}}</ref>し、その爽やかな作風は'''トライアングル・サウンド'''と呼ばれるようになった<ref>{{Cite web|和書|title=藤田浩一{{!}}Official Fan Site{{!}}トライアングルサウンドレビュー |url=http://koich-fujita.jp/review.html |website=koich-fujita.jp |access-date=2022-12-15}}</ref>。
*参考文献
*『昭和40年男 2014年 02月号』(クレタパブリッシング)
* 『ジャパニーズ・シティ・ポップ』(木村ユタカ監修・シンコーミュージック・2006年)
** 参考文献と文献以外の中から、特に著名な音楽家を掲載する。
=== 海外ミュージシャン ===
*[[ジャミロクワイ]]
*:『スペース・カウボーイの逆襲 (The Return of the Space Cowboy)』(1994年)
*:『[[ヴァーチャル・インサニティ]]』(1996年)
*:『[[トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ ]]([[Travelling Without Moving]])』より
*:『[[Time Won’t Wait]]』(2005年)(『[[ダイナマイト]]』より)
*:『[[ファンク・オデッセイ]]』(2001年)
*[[インコグニート]]
*[[シャカタク|Shakatak]] (シャカタク)


[[バブル景気|バブル期]]の消費礼賛の時代において、[[コマーシャルメッセージ|CM]]との[[タイアップ]]から多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた<ref name="kimura_2006_103" />。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとの相性が非常に良く<ref name="kimura_2006_103" />、またテレビの[[音楽番組|歌番組]]出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとってもCMタイアップは貴重な[[宣伝|プロモーション]]の機会となった<ref name="showa40s_48" />。その点でシティ・ポップは、[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のように何らかのメッセージ(例えば[[反戦運動|反戦]][[平和運動|平和]]、[[管理社会]]への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており<ref name="rollingstone_5" />、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできる<ref name="rollingstone_5" />。
=== 日本国内ミュージシャン ===
*[[Suchmos]]
*[[竹内まりや]]
*:『[[プラスティック・ラブ]]」(1984年)
*:『[[セプテンバー]]』
*:『[[不思議なピーチパイ]]』
*[[サカナクション]]
*:『[[忘れられないの/モス|忘れられないの]]』(2019年)
*[[田島貴男]]([[ORIGINAL LOVE]])
*[[相曽晴日]]
*[[安部恭弘]]
*[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]
*[[杏里]]
*[[池田聡]]
*[[池田政典]]
*[[石川優子]]
*[[1986オメガトライブ]]
*[[伊藤銀次]]
*[[稲垣潤一]]
*:『[[246:3AM (アルバム)|246:3AM]]』(1982年)
*:『Personally』(1984年)
*[[井上鑑]](あきら)
*:『PROPHETIC DREAM』(1982年)
*[[EPO]]
*:『[[DOWN TOWN]]』(1980年)
*:『GOODIES』(1981年)
*[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]
*[[大澤誉志幸]]
*[[大滝詠一]]
*:『[[A LONG VACATION]]』(1981年)
*[[大貫妙子]]
*:『[[アヴァンチュール (大貫妙子のアルバム)|アヴァンチュール]]』(1981年)
*[[尾崎亜美]]
*[[オメガトライブ]]
*:『[[AQUA CITY]]』(1983年)
*:『[[Navigator (アルバム)|Navigator]]』(1986年)
*加藤有紀
*[[門あさ美]]
*[[角松敏生]]
*:『[[WEEKEND FLY TO THE SUN]]』(1982年)
*:『[[ON THE CITY SHORE]]』(1983年)
*:『[[REASONS FOR THOUSAND LOVERS]]』(1989年)
*[[金井夕子]]
*[[紙風船]]
*[[カルロストシキ]]
*[[KAN]]
*[[菊池桃子]]
*[[来生たかお]]
*[[楠瀬誠志郎]]
*小林健
*:『Urban Blue』(1986年)
*:『SIZZLE』(1987年)
*[[久保田利伸]]
*:『SHAKE IT PARADISE』(1986年)
*:『GROOVIN'』(1987年)
*[[黒住憲五]]
*[[桑名晴子]]
*[[国分友里恵]]
*[[児島未散]]
*[[小比類巻かほる]]
*[[サーカス (歌手)|サーカス]]
*:『ミスター・サマータイム』(1977年)
*[[斉藤哲夫]]
*[[崎谷健次郎]]
*[[佐藤隆]]
*[[佐藤奈々子]](nanaco)
*[[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]](ハックルバック)
*:『[[awakening (佐藤博のアルバム)|awakening]]』(1982年)
*:『[[THIS BOY]]』(1985年)
*サミー
*:『ストンプアンドシューター』シングル
*[[佐野元春]]
*[[しばたはつみ]]
*[[ジャッキー・リン&パラビオン]]
*[[SING LIKE TALKING]]
*[[杉山清貴]]
*:『[[beyond...]]』(1986年)
*:『[[realtime to paradise]]』(1987年)
*[[杉真理]]
*[[鈴木茂 (ギタリスト)|鈴木茂]]
*[[スターダストレビュー]]
*:『[[RENDEZ-VOUS (スターダストレビューのアルバム)|RENDEZ-VOUS]]』(1988年)
*[[スペクトラム]]
*[[センチメンタル・シティ・ロマンス]]
*[[惣領智子]](TINNA)
*[[高木麻早]]
*[[高中正義]]
*:『[[TRAUMATIC 極東探偵団]]』(1985年)
*[[高野寛]]
*:『[[CUE]]』(1990年)
*[[田島貴男]]([[ORIGINAL LOVE]])
*[[寺尾聰]]
*:「[[Reflections]]」(1981年)
*[[当山ひとみ]]:沖縄出身
*[[徳永英明]]
*:『[[夏のラジオ]]』(1986年)
*[[刀根麻理子]]
*[[DREAMS COME TRUE]]
*[[中西保志]]
*[[中原めいこ]]
*:『君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだね』
*:『mint』(1983年)
*:『MOODS』(1986年)
*:『PUZZLE』(1987年)
*:『鏡の中のアクトレス』(1988年)
*:『303 EAST 60TH STREET』(1990年)
*PIPER
*:『I'M NOT IN LOVE』(1981年)
*:『LOVERS LOGIC』(1985年)
*[[ハイ・ファイ・セット]]
*:『White Moon』(1990年)
*[[原田真二]]
*:『[[Save Our Soul]]』(1983年)
*:『[[MODERN VISION (原田真二のアルバム)|MODERN VISION]]』(1984年)
*[[濱田金吾]]
*:『Manhattan in the Rain』(1980年)
*:『Feel the Night』(1981年)
*:『midnight cruisin'』(1982年)
*:『MUGSHOT』(1983年)
*[[平松愛理]]
*[[藤谷美和子]]
*[[ブレッド&バター]]
*:『Late Late Summer』(1979年)
*[[松原みき]]
*:『[[真夜中のドア〜Stay With Me]]』(1979年)
*[[丸山圭子]]
*[[南佳孝]]
*:『SILKSCREEN』(1981年)
*:『SEVENTH AVENUE SOUTH』(1982年)
*[[村田和人]]
*[[八神純子]]
*:『[[FULL MOON]]』(1983年)
*:『[[COMMUNICATION (八神純子のアルバム) |COMMUNICATION]]』(1985年)
*[[泰葉]]
*:『[[フライディ・チャイナタウン]]』(1979年)<!-- Friday(フライデー)ではなくFry-Day(フライディ) -->
*:『TRANSIT』(1981年)
*[[矢野顕子]]
*[[やまがたすみこ]]
*[[山口美央子]]
*[[山下達郎]]
*:『[[SPACY]]』(1977年)
*:『[[RIDE ON TIME (山下達郎のアルバム)|RIDE ON TIME]]』(1980年)
*:『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)
* 『[[MELODIES (山下達郎のアルバム)|MELODIES]]』(1983年)
*[[山下久美子]]
*[[山根麻以|山根麻衣]]
*[[山本達彦]]
*:『MUSIC』(1984年)
*[[吉田美奈子]]
*[[芳野藤丸]](SHOGUN)
*:『YOSHINO FUJIMARU』(1982年)
*:『ROMANTIC GUYS』(1983年)
*[[ラ・ムー]]


またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる<ref name="kimura_2006_102" /><ref name="showa40s_24" />。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚な[[コンポーネントステレオ|ステレオセット]]に[[レコード]]をかけて聴くものだったが<ref name="kimura_2006_102" />、1980年代には[[レンタルCD|レンタルショップ]]でレコードを安く借りて自宅の[[テープレコーダー|カセットデッキ]]で[[コンパクトカセット|テープ]]に[[ダビング]]し<ref name="rollingstone_6" />、そのテープを[[ウォークマン]]や[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]、[[カーオーディオ]]で外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった<ref name="kimura_2006_102" />。そうした「外で聴く [[背景音楽|BGM]]」として、聞き心地のよいシティ・ポップはまさにうってつけであり<ref name="kimura_2006_102" />、特に[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』(1981年)と[[山下達郎]]の『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった<ref name="kimura_2006_102" />。そしてこの2枚により、東京のみならず[[横浜市|横浜]]から[[湘南]]にかけてのリゾート色の強いエリアもシティ・ポップの射程内へ入るようになった<ref name="suzuki_2017_253" />。[[自家用車]]を所持し、こうした音楽的環境へ加わるために必要な機器を全て所持する余裕のある、裕福な都会の[[ホワイトカラー|職業人]]をモデルにしていたシティ・ポップは、[[ティーンエイジャー]]向けのポップソングではなく、より大人(またはそんな彼らに憧れを抱く若者)のリスナーを対象にしていた<ref name="sommet_2020_23" />。
=== スタジオ・ミュージシャン ===
*江藤勲
*[[今剛]]
*岡沢章
*[[佐橋佳幸]]
*[[清水信之]]
*[[惣領泰則]]
*高橋ゲタ夫
*[[林立夫]]
*[[松原正樹]]
*[[村上秀一]]
*[[村松邦男]]
*[[矢島賢]]
*[[芳野藤丸]]


1980年代初頭にあらわれたシティ・ポップには、概ねより明確に定義されうる既存の様々な[[ポピュラー音楽]]ジャンルが混在しており、独自の音楽的[[アイデンティティ]]をほぼ持っていないが、大まかに理解するならば、概ね[[電子楽器]]と[[アコースティック楽器|アナログ楽器]]を組み合わせたサウンドと制作手法による、明るくクリーンで洗練された音楽が特徴である<ref name="sommet_2020_21" />。多くの場合、日本語で歌われる歌詞を除いて、日本の近代大衆歌謡において「日本的」と通常考えられるような楽理的特徴の痕跡はほとんど見られず、歌詞についても日本語と[[インド・ヨーロッパ語族|ヨーロッパ諸言語]](もっともよく用いられるのは[[英語]])が頻繁に切り替わる<ref name="sommet_2020_21" />。シティ・ポップは、この「日本的な音楽」の証をも見出し得ない、という点こそが、その文化的[[コンテクスト]]を最も明確に定義しうる要素となっている<ref name="sommet_2020_21" />。
=== 作曲家、編曲家、プロデューサー ===

*[[林哲司]]
[[File:Hiroshi Nagai 2020.jpg|200px|thumb|イラストレーターの永井博。作品とともに]]
*[[松岡直也]]
[[イラストレーター]]の[[永井博 (イラストレーター)|永井博]]や[[鈴木英人]]、[[わたせせいぞう]]<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210806-OYT8T50055/ [週刊エンタメ]<トレンド>シティ・ポップ イラストにも光…永井博・鈴木英人・わたせせいぞう] [[読売新聞]]、2021年8月7日付</ref><ref>[https://urbanlife.tokyo/post/14881/2/ 竹内まりや、山下達郎……欧米で大人気の日本音楽「シティポップ」、その中に封じ込められた「幻の東京」とは] URBAN LIFE METRO</ref>といった卓越した一握りのアーティストは独自のスタイルを確立し、真夏の[[砂浜|ビーチ]]や海沿いの[[ハイウェイ]]、[[プール|スイミングプール]]などのイメージを通して、1980年代初頭の[[カノン]]において支配的となった独自のスタイルを生み出した<ref name="sommet_2020_19" />。彼らのイラストは、山下達郎、大瀧詠一といったシティ・ポップミュージシャンの[[ディスクジャケット|アルバム・ジャケット]]に用いられ、代表的な視覚的記号表現となった<ref name="sommet_2020_19" />。一方で彼らが描いた海岸や海といった典型的な[[モチーフ]]は、ありのままの自然というよりも「疲れ切った都会人が夢見る[[レジャー]]空間」を表象しており、たいてい快適な都市生活のシンボルに囲まれている<ref name="sommet_2020_19" />。その後、1980年代半ばになるとシティ・ポップのジャケットはイラストから、よく似た構図の写真へと置き換えられ、時にはそこへ類型的なポップスターの[[ポートレート]]写真が組み合わされた<ref name="sommet_2020_19" />。これほど特徴的ではないもののしばしば見られるのは、そのジャンル名が暗示する「大都市」というテーマをより直接的にアピールするとともに、富裕な都市環境を描くことで現代的洗練を表そうとするカバー・アートのスタイルであった<ref name="sommet_2020_20" />。当時のシティ・ポップのアートワークは、[[アメリカ]](おおむね[[カリフォルニア]]を想起させる)ものか、「トランスナショナル」な大都会を描いたものであるが、[[東京]]や横浜の[[オフィスビル|ビル]]街の夜景であっても、それら都市景観のうちに日本らしさを示す要素は皆無に近く<ref name="sommet_2020_20" />、音楽的性質や歌詞と同様にシティ・ポップの「文化的無臭性」を反映している<ref name="sommet_2020_21" />。このような「都市と海辺」という図像は「シティ・ポップ」というジャンルが最初に誕生してから終焉するまで一貫しており、このジャンルを最も容易に識別する特徴となっている<ref name="sommet_2020_20" />。音楽ジャーナリストのイアン・マーティンはかつて「''基本的に80年代に出たアルバムでプールの絵を表ジャケットに配したものはなんでも、おそらくシティ・ポップということになるだろう''」と述べている<ref name="sommet_2020_19" /><ref>Martin, Ian F. 2016. Quit Your Band! Musical Notes from the Japanese Underground. New York:Awai Books.([[邦訳]]:坂本麻里子訳『バンドやめようぜ! あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記』[[Pヴァイン]]、2017年)p.84</ref>。このように、シティ・ポップの歌詞が間[[メディア (媒体)|メディア]]的にしばしば変換され、またアルバムのアートワークや雑誌の表紙、あるいはサウンドの特色等々を反復・強化していくことによって「ジャンルの特徴」が形作られていった<ref name="sommet_2020_22" />。
*[[松任谷正隆]]

=== 1990 - 2000年代 ===
シティ・ポップは当時から「[[形骸化]]した浮わついた音楽<ref name="cdjournal_2012" />」「現実感に欠ける<ref name="showa40s_44" />」などと批判的に捉えられることもあった。1980年代後半になると、まずロック中心主義的な「[[バンドブーム]]」の勃興が最初の向かい風になった<ref name="sommet_2020_23" />。さらに[[J-POP]]という広範な[[パラダイム]]の登場や、シティ・ポップの音楽環境が別の技術的・視聴覚的モデルへ取って代わられることによって存在感をなくしていった<ref name="sommet_2020_23" />。そして[[1990年代]]に入り[[バブル崩壊]]によって社会に停滞感が漂うようになると、シティ・ポップと呼べる楽曲は激減し<ref name="kimura_2006_55" /><ref name="rollingstone_8" />、代わりに[[KAN]]の『[[愛は勝つ]]』の大ヒットに象徴されるように、地に足の着いた内省的な歌がリスナーから好まれるようになった<ref name="showa40s_36" />。シティ・ポップは「J-POP」の中へ埋没してゆき<ref name="sundaymainichi" />、「シティ・ポップ」は[[廃語|死語]]<ref name="showa40s_24" />、[[クリシェ]]<ref name="cdjournal_2012" />と化した。シティ・ポップの影響を受けた[[渋谷系]]が後継ジャンルとされることもあるが、制作意図や音楽的特徴は異なる<ref>{{Cite web|和書|title=「シティポップ」新・時事用語|url=https://imidas.jp/newjijiword/?article_id=l-91-003-20-01-g743|website=情報・知識&オピニオン imidas|accessdate=2021-09-23|language=ja}}</ref>。

[[2000年代]]には [[cero (バンド)|cero]] などの[[インディーズ]]・アーティストが「シティポップ・リバイバル」という形で言及されることもあった<ref name="brutus_2015" />。

=== 2010-2020年代 ===
[[イギリス]]では早くから[[山下達郎]]の曲などのシティ・ポップが[[ダンス・ミュージック|ダンスナンバー]]として評価され、「J・[[レアグルーブ]]」「J・[[ブギー (音楽ジャンル)|ブギー]]」と称されていた<ref name="aera" />。

2000年代に入って[[インターネット]]環境が普及し、[[ストリーミング]]や[[動画共有サービス|動画配信サイト]] ([[YouTube]]) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った<ref name="sundaymainichi" />。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、[[AOR]]を再評価していた[[アメリカ合衆国|米国]]の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った<ref name="sankei_2019" />。彼らにとってシティ・ポップは「'''AORの秘境'''」であり<ref name="sankei_2019" />、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった<ref name="anan" />。海外では日本語を扱える者が少なく、ネットでも日本語を入力して検索する事が難しいため、海外の音楽マニアではない一般人は依然としてシティ・ポップの存在に気付くことはなかった。

2010年代前半には音楽家が[[ヴェイパーウェイヴ]]や[[フューチャー・ファンク]]に使うレトロな大量消費社会のモチーフを探す一環で、特にシティ・ポップや[[日本]]の[[バブル景気|バブル期]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]等をサンプリングして作品で用いるようになった。また、アートワークやミュージック・ビデオなどの視覚的イメージにも日本語や日本の1990年代までのCMやアニメの断片が用いることが多くなった。その後、それらの作品の愛好家が更にサンプリング元となった曲を探したことで、シティ・ポップも徐々に一部の音楽マニアの間でのみ知名度を獲得して行った<ref name="rollingstone_7" /><ref name="ismedia_1" />。また[[ヴェイパーウェイヴ]]の[[背景音楽|BGM]]的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっている[[チルアウト]]の音楽にも影響を与えた<ref name="rollingstone_7" />。2010年代にはシティポップは[[欧米]]圏のみならず[[アジア]]圏でも評価されるようになって音楽マニアの間で多数のファンを獲得するようになり<ref name="sundaymainichi" />、[[2017年]]頃からはネット配信されていない[[レコード]]や[[コンパクトディスク|CD]]を[[爆買い]]するために来日する外国人が多くみられるようになった<ref name="sankei_2019" />。また[[2018年]]にはYouTubeに[[違法アップロード|無許可アップロード]]された[[竹内まりや]]の「[[プラスティック・ラヴ]]」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・[[アルゴリズム]]により偶然世界中のユーザーに推薦されると、音楽マニアではない[[私人|一般人]]の間でも謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された<ref name="sankei_2019" /><ref name="rollingstone_7" />。

[[2020年]]には、10月に[[YouTuber]]の[[Rainych]]が[[カバー]]曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、[[松原みき]]の『[[真夜中のドア〜Stay With Me]]』(1979年)が[[Spotify]]グローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、[[Apple Music]]のJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作の[[レコード]]盤が[[ポニーキャニオン]]から復刻されることとなった<ref>{{Cite news |title=リリースから40年の快挙!! Spotify15日連続世界1位の松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」復刻盤商品化決定! |publisher=PONYCANYON NEWS |date=2020-12-25 |url=https://web.archive.org/web/20201225032255/https://news.ponycanyon.co.jp/2020/12/45682 |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=森村潘 |title=【大人のエンタメ】松原みきの名盤が復刻へ 『真夜中のドア』と1STアルバム |publisher=zakzak |date=2020-12-27 |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20201227-DOSZYG6RCFP35ASOS4GFA6RQJ4/ |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=松永良平 |title=松原みき「真夜中のドア~stay with me」なぜ今話題に? 世界のシティ・ポップ・ファンに愛されたアンセム<コラム> |publisher=Billboard JAPAN |date=2020-12-10 |url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95073/2 |accessdate=2020-12-30}}</ref>。2022年1月、カナダのアーティストである[[ザ・ウィークエンド]]が、[[亜蘭知子]]の『[[浮遊空間|MIDNIGHT PRETENDERS]]』(1983年)をサンプリングしたシングル『[[:en:Out of Time (The Weeknd song)|Out of Time]]』をリリースした<ref>{{Cite web|和書|date=2022-01-07 |url=https://natalie.mu/music/news/460824 |title=ザ・ウィークエンドがニューアルバムで亜蘭知子の「Midnight Pretenders」をサンプリング |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |accessdate=2022-01-08 }}</ref>。この曲は、同年1月22日付のBillboard Hot 100で最高位32位を記録した<ref>{{Cite web |date=2022-01-22 |url=https://www.billboard.com/charts/hot-100/2022-01-22/ |title=The Hot 100: WEEK OF JANUARY 22, 2022 |publisher=ビルボード |accessdate=2022-01-23 }}</ref>。

[[杏里]]もシティポップ・ブームにより再評価された一人であり、国内外で作品の再生数が増加したほか、海外ではサンプリングに使用された例もある<ref>{{cite web|url=https://www.billboard-japan.com/special/detail/3501|title=<コラム>シティポップ・ブームを紐解く重要な存在、杏里のデビューからブレイクまでの足取り|publisher=Billboard JAPAN|access-date=27 June 2024}}</ref>。更に海外ではシティ・ポップのレジェンドとしても紹介されており、シティ・ポップ愛好家のDJのプレイリストからも頻繁にプレイされている<ref>{{cite web|url=https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/anri-produce/|title=日本の歌謡シーンにダンスミュージックを融合させ、今、シティ・ポップとして再評価される杏里。たどり着いたプロデュースの本質とは|publisher=オーディオテクニカ|date=10 November 2021|access-date=27 June 2024}}</ref>。

このように、[[レトロ]]志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代[[ノスタルジア]]全般の復権と結びついたという指摘もある)<ref name="sommet_2020_30" />。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある<ref name="sommet_2020_31" />。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に[[美学]]的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている<ref name="sommet_2020_31" />。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている<ref name="sommet_2020_32" />。

日本の[[レコードレーベル|音楽レーベル]]は長らく日本に閉じた市場で作品をリリースしてきたことから、シティ・ポップへの世界的[[評価]]が高まりつつあった[[2010年代]]も、[[海外]]への作品の売り込みに消極的な立場を取っていたが、[[YouTube]]における大量の違法アップロード音源の問題もあって[[2010年代]]末に「なるべく世界のユーザーに聴いてもらう」ように考え方が変化<ref>{{Cite web|和書|title=シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線|url=https://kompass.cinra.net/article/202107-citypop_ymmts|website=Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA|accessdate=2021-11-30|language=ja}}</ref>し、[[日本]]の[[レコードレーベル|音楽レーベル]]各社も積極的に[[YouTube]]に公式[[ミュージック・ビデオ]]を[[アップロード]]したり、[[ダウンロード販売]]や[[サブスクリプション]]を[[解禁]]するなど、海外への売り込みを開始している。

== 代表的アーティスト ==
<!-- 信頼できる情報源で「(シティ・ポップの)代表的アーティストとして○○や△△が挙げられる」と名指しされている人を出しています。ノートで詳しくコメントしました。 -->
上述したとおり、あくまで[[消費者]]側における認識であり、本人が意図していない場合もある。
* [[はっぴいえんど]]{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[大滝詠一]]<ref name="chiezo" />{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[細野晴臣]]{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[鈴木茂 (ギタリスト)|鈴木茂]]{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[ティン・パン・アレー (バンド)|ティン・パン・アレー]]{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[松任谷由実]](荒井由実)<ref name="chiezo" /><ref name="sundaymainichi" />{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[吉田美奈子]]<ref name="nippon" />{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
* [[南佳孝]]<ref name="nippon" />{{Sfn|木村|2020|pp=13-80}}
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[ニューミュージック]]
* [[ニューミュージック]]
*[[フュージョン]]
* [[湘南サウ]]
* [[ヴァイナル・ミュージック〜歌謡曲2.0〜]] - [[文化放送]]はじめ4局ネットで[[2021年]][[3月30日]](29日深夜)から、火曜〜土曜の未明(前日の月曜〜金曜の深夜)に生放送されている、文化放送が保有する[[レコード|アナログレコード(ヴァイナルレコード)]]を活用し、シティ・ポップや歌謡曲を中心に届ける[[音楽番組|音楽]][[ワイド番組]]。
*[[AOR]]
* [[土岐麻子]]<ref name ="natalie2019">{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/pp/tokiasako04|title=土岐麻子は現代のシティポップとどう向き合ってきたのか?|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|date=2019-10-02|accessdate=2020-03-08}}</ref>。山下達郎のバックメンバーだった[[土岐英史]]の娘。2010年代のミュージックシーンにおける「シティポップの女王」と呼ばれることがある<ref name ="natalie2019"/>。
*[[アダルト・コンテンポラリー]]
* [[GOODYEAR MUSIC AIRSHIP シティポップレイディオ]] - 2022年から[[エフエム東京|TOKYO FM]]で放送されているシティ・ポップを扱うラジオ番組。
*[[ディスコ]]
*[[クロスオーバー]]
*[[ヴェイパーウェイヴ]]
*[[レア・グルーヴ]]
*[[音楽のジャンル一覧]]・[[ポピュラー音楽のジャンル一覧]]
**[[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・個人)]]
**[[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ)]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
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== 外部リンク ==
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[[Category:音楽のジャンル]]
[[Category:J-POP]]
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[[Category:日本の音楽のジャンル]]
[[Category:1970年代の音楽]]
[[Category:1980年代の音楽]]

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シティ・ポップ
シティ・ポップの代表的な表象
都市海辺[1]
様式的起源
文化的起源
派生ジャンル
関連項目
ヨット・ロック英語版J-POP
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シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行した[9]ニューミュージックの中でも[10]欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練された[11]メロディや歌詞を持つポピュラー音楽のジャンル[12][13][14][15]。シティ・ポップの主要なアーティストの多くがシンガーソングライターである[13]

概要

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ロックフォークの日本版ハイブリッドといえるニューミュージックを母胎とする点で[2]、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽[16])の日本独自なアレンジという側面を持つ[9]。決まったスタイルのサウンドは無く[9]、「明確な定義は無い[11]」「定義は曖昧[17][18]」「ジャンルよりもムードを指す[2]」とされることもある。シティ・ポップにおける大事な要素としては、「都会的」で「洗練された」音楽であるという点が挙げられる[19]。もっぱら日本語で歌われていた点も主な特徴である[2]

「シティ・ポップ」は商業的な便益のために後付けされた用語[3]であり、制作過程ではシティ・ポップを想定していない場合もあるため、当時のミュージシャンの制作意図などを説明する場合には用語の使用に注意が必要である。

歴史

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1970年代

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昭和51年(1976年)発売のテリー・メルチャーのセカンド・アルバム『ロイヤル・フラッシュ』の宣伝のキャッチ・フレーズに「芳醇な〈メキシカン・カントリー・ハリウッド〉シティ・ポップ!!」とあり[20]、日本のレコード会社が都会的な雰囲気のある国内外の曲やアルバムを紹介する宣伝文句として「シティ・ポップ」という語を使いはじめた。

また、昭和52年(1977年)5月25日にリリースした日暮しのシングル『オレンジ色の電車』の広告文句に「シティ・ポップス」という語が使われている[21]。また、同年10月25日にリリースされた惣領智子のアルバムの帯にも「シティ・ポップス期待のシンガー」の惹句が使われている[22]

1977年7月には、音楽雑誌『レコード芸術』の記事で、吉田美奈子来生たかお山下達郎深町純グループ、四人囃子大橋純子美乃家セントラル・ステイション)らを「シティ・ポップス」の音楽家として紹介する記事があり[23]、一音楽ジャンルを指す名称として「シティ・ポップ(ス)」という語が使われはじめたことが確認できる。

また、エリック・カルメンを「ニューヨークのシティ・ポップ風」と評したり[24]、来日したアレッシー・ブラザーズを「アメリカン・シティ・ポップス」の担い手と評した音楽雑誌や芸能雑誌もあった[25]

このように、シティ・ポップ(ス)は都会的で洗練された雰囲気をもつ音楽(必ずしも日本と限らない)の宣伝文句や批評として、主にレコード会社や音楽雑誌編集部が1970年代後半から使いはじめた和製英語である。その用法は厳密ではなく、今日から見るとシティ・ポップよりもむしろフォークに分類される曲や音楽家に使われることもあった。

当時はシティ・ポップよりもシティ・ポップスのほうがよく使われていた。また似た言葉で「シティ・ミュージック」という語も使われていた。シュガー・ベイブやその解散後、メンバーだった大貫妙子や山下達郎を紹介する記事にシティ・ミュージックの語が使われている[26]。ほかにも南佳孝荒井由実、吉田美奈子、矢野顕子にシティ・ミュージックが使われている[27]

シティ・ポップの起源について統一した見解は得られていない。音楽評論家の木村ユタカはシティ・ポップ(ス)を「ジャパニーズ・シティ・ポップ」と再定義して、その起源をはっぴいえんど(1969年 - 1972年)とした[28]。またシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い[29][30]。一方で、上述したようにシティ・ポップ(ス)の語は彼らの活動時期にはまだ使われていないか、普及していなかったため、はっぴいえんどやシュガー・ベイブをシティ・ポップの起源とする説に対して批判的な見解もある[31]

1960年代後半から現れた自作自演のフォークロックのうち[18]演奏アレンジに凝った楽曲が1970年代になると「ニューミュージック」とカテゴライズされ、従来の楽曲との差別化が図られたが[3]、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった[18]。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリである[18]

シュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一山下達郎吉田美奈子荒井由実竹内まりや大貫妙子南佳孝山本達彦などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる[32]。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった[13]。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た「現代の東京」であり[13]、それもリアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性を多分に含んでいた[29]。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を[33]、良いメロディと洒落たコードに乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった[34]

シティ・ポップが成立した背景には、日本人の生活水準の向上と、変動相場制導入と円高による海外の文物の流入、いわば東京の国際都市化という社会的変化があり[4]、シティ・ポップの盛衰は日本経済の盛衰と重なるところが多い[35]

バブル前夜、日本人の生活がどんどん豊かになって、一般市民の中に経済的、精神的余裕が生まれていった。そんな中で、平日は街で夜遊びして、オフには伊豆とか湘南サーフィンするという若い人たちのライフスタイルが構築されていった。平日と週末、都会の夜の喧騒とビーチリゾート感覚がセットで、多くの人の意識にあったんだ。全てにおいて勢いがあって、手探りで新しいものを作ろうという時代の雰囲気。そんななかでシティポップという流れができてきて、聴く人にもウケたんだと思う[36] — 角松敏生

1970年代において、シティ・ポップ・アーティストの多くはライブ行脚よりはスタジオでのレコード制作に重点を置いていたため、松任谷由実などの例外を除けば、シティ・ポップはまだ東京周辺でのムーブメントに過ぎず、全国区でのヒット曲はあまり生まれていない[7][36]。しかし1970年代末、YMOがシティ・ポップをさらに先鋭化させたテクノ・ポップで世間の耳目を集めたことで、彼らの周辺のシティ・ポップ・アーティストたちにも次第に関心が向けられるようになった[37]

1980年代

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そして1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた[37]。1980年代前半においてシティ・ポップは、山本達彦稲垣潤一杉山清貴といった美形男性シンガーによる都会派楽曲というイメージも持たれており[38]、特に山本と稲垣は女子大生から圧倒的な支持があった[39]。また松田聖子が『風立ちぬ』(1981年)や『赤いスイートピー』(1982年)といったシティ・ポップ・ナンバーを大ヒットさせたように、シティ・ポップは歌謡界にも浸透していった[18]音楽プロデューサー藤田浩一が代表を務めるトライアングル・プロダクションもシティ・ポップで多数のアーティストをプロデュース[40][41]し、その爽やかな作風はトライアングル・サウンドと呼ばれるようになった[42]

バブル期の消費礼賛の時代において、CMとのタイアップから多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた[43]。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとの相性が非常に良く[43]、またテレビの歌番組出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとってもCMタイアップは貴重なプロモーションの機会となった[44]。その点でシティ・ポップは、フォークロックのように何らかのメッセージ(例えば反戦平和管理社会への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており[45]、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできる[45]

またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる[37][36]。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚なステレオセットレコードをかけて聴くものだったが[37]、1980年代にはレンタルショップでレコードを安く借りて自宅のカセットデッキテープダビング[46]、そのテープをウォークマンラジカセカーオーディオで外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった[37]。そうした「外で聴く BGM」として、聞き心地のよいシティ・ポップはまさにうってつけであり[37]、特に大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)と山下達郎の『FOR YOU』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった[37]。そしてこの2枚により、東京のみならず横浜から湘南にかけてのリゾート色の強いエリアもシティ・ポップの射程内へ入るようになった[47]自家用車を所持し、こうした音楽的環境へ加わるために必要な機器を全て所持する余裕のある、裕福な都会の職業人をモデルにしていたシティ・ポップは、ティーンエイジャー向けのポップソングではなく、より大人(またはそんな彼らに憧れを抱く若者)のリスナーを対象にしていた[48]

1980年代初頭にあらわれたシティ・ポップには、概ねより明確に定義されうる既存の様々なポピュラー音楽ジャンルが混在しており、独自の音楽的アイデンティティをほぼ持っていないが、大まかに理解するならば、概ね電子楽器アナログ楽器を組み合わせたサウンドと制作手法による、明るくクリーンで洗練された音楽が特徴である[49]。多くの場合、日本語で歌われる歌詞を除いて、日本の近代大衆歌謡において「日本的」と通常考えられるような楽理的特徴の痕跡はほとんど見られず、歌詞についても日本語とヨーロッパ諸言語(もっともよく用いられるのは英語)が頻繁に切り替わる[49]。シティ・ポップは、この「日本的な音楽」の証をも見出し得ない、という点こそが、その文化的コンテクストを最も明確に定義しうる要素となっている[49]

イラストレーターの永井博。作品とともに

イラストレーター永井博鈴木英人わたせせいぞう[50][51]といった卓越した一握りのアーティストは独自のスタイルを確立し、真夏のビーチや海沿いのハイウェイスイミングプールなどのイメージを通して、1980年代初頭のカノンにおいて支配的となった独自のスタイルを生み出した[52]。彼らのイラストは、山下達郎、大瀧詠一といったシティ・ポップミュージシャンのアルバム・ジャケットに用いられ、代表的な視覚的記号表現となった[52]。一方で彼らが描いた海岸や海といった典型的なモチーフは、ありのままの自然というよりも「疲れ切った都会人が夢見るレジャー空間」を表象しており、たいてい快適な都市生活のシンボルに囲まれている[52]。その後、1980年代半ばになるとシティ・ポップのジャケットはイラストから、よく似た構図の写真へと置き換えられ、時にはそこへ類型的なポップスターのポートレート写真が組み合わされた[52]。これほど特徴的ではないもののしばしば見られるのは、そのジャンル名が暗示する「大都市」というテーマをより直接的にアピールするとともに、富裕な都市環境を描くことで現代的洗練を表そうとするカバー・アートのスタイルであった[1]。当時のシティ・ポップのアートワークは、アメリカ(おおむねカリフォルニアを想起させる)ものか、「トランスナショナル」な大都会を描いたものであるが、東京や横浜のビル街の夜景であっても、それら都市景観のうちに日本らしさを示す要素は皆無に近く[1]、音楽的性質や歌詞と同様にシティ・ポップの「文化的無臭性」を反映している[49]。このような「都市と海辺」という図像は「シティ・ポップ」というジャンルが最初に誕生してから終焉するまで一貫しており、このジャンルを最も容易に識別する特徴となっている[1]。音楽ジャーナリストのイアン・マーティンはかつて「基本的に80年代に出たアルバムでプールの絵を表ジャケットに配したものはなんでも、おそらくシティ・ポップということになるだろう」と述べている[52][53]。このように、シティ・ポップの歌詞が間メディア的にしばしば変換され、またアルバムのアートワークや雑誌の表紙、あるいはサウンドの特色等々を反復・強化していくことによって「ジャンルの特徴」が形作られていった[54]

1990 - 2000年代

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シティ・ポップは当時から「形骸化した浮わついた音楽[29]」「現実感に欠ける[55]」などと批判的に捉えられることもあった。1980年代後半になると、まずロック中心主義的な「バンドブーム」の勃興が最初の向かい風になった[48]。さらにJ-POPという広範なパラダイムの登場や、シティ・ポップの音楽環境が別の技術的・視聴覚的モデルへ取って代わられることによって存在感をなくしていった[48]。そして1990年代に入りバブル崩壊によって社会に停滞感が漂うようになると、シティ・ポップと呼べる楽曲は激減し[4][56]、代わりにKANの『愛は勝つ』の大ヒットに象徴されるように、地に足の着いた内省的な歌がリスナーから好まれるようになった[57]。シティ・ポップは「J-POP」の中へ埋没してゆき[18]、「シティ・ポップ」は死語[36]クリシェ[29]と化した。シティ・ポップの影響を受けた渋谷系が後継ジャンルとされることもあるが、制作意図や音楽的特徴は異なる[58]

2000年代には cero などのインディーズ・アーティストが「シティポップ・リバイバル」という形で言及されることもあった[59]

2010-2020年代

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イギリスでは早くから山下達郎の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた[9]

2000年代に入ってインターネット環境が普及し、ストリーミング動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った[18]。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、AORを再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った[11]。彼らにとってシティ・ポップは「AORの秘境」であり[11]、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった[6]。海外では日本語を扱える者が少なく、ネットでも日本語を入力して検索する事が難しいため、海外の音楽マニアではない一般人は依然としてシティ・ポップの存在に気付くことはなかった。

2010年代前半には音楽家がヴェイパーウェイヴフューチャー・ファンクに使うレトロな大量消費社会のモチーフを探す一環で、特にシティ・ポップや日本バブル期CM等をサンプリングして作品で用いるようになった。また、アートワークやミュージック・ビデオなどの視覚的イメージにも日本語や日本の1990年代までのCMやアニメの断片が用いることが多くなった。その後、それらの作品の愛好家が更にサンプリング元となった曲を探したことで、シティ・ポップも徐々に一部の音楽マニアの間でのみ知名度を獲得して行った[60][61]。またヴェイパーウェイヴBGM的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっているチルアウトの音楽にも影響を与えた[60]。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも評価されるようになって音楽マニアの間で多数のファンを獲得するようになり[18]2017年頃からはネット配信されていないレコードCD爆買いするために来日する外国人が多くみられるようになった[11]。また2018年にはYouTubeに無許可アップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・アルゴリズムにより偶然世界中のユーザーに推薦されると、音楽マニアではない一般人の間でも謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された[11][60]

2020年には、10月にYouTuberRainychカバー曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、松原みきの『真夜中のドア〜Stay With Me』(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻されることとなった[62][63][64]。2022年1月、カナダのアーティストであるザ・ウィークエンドが、亜蘭知子の『MIDNIGHT PRETENDERS』(1983年)をサンプリングしたシングル『Out of Time』をリリースした[65]。この曲は、同年1月22日付のBillboard Hot 100で最高位32位を記録した[66]

杏里もシティポップ・ブームにより再評価された一人であり、国内外で作品の再生数が増加したほか、海外ではサンプリングに使用された例もある[67]。更に海外ではシティ・ポップのレジェンドとしても紹介されており、シティ・ポップ愛好家のDJのプレイリストからも頻繁にプレイされている[68]

このように、レトロ志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代ノスタルジア全般の復権と結びついたという指摘もある)[69]。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある[70]。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に美学的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている[70]。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている[71]

日本の音楽レーベルは長らく日本に閉じた市場で作品をリリースしてきたことから、シティ・ポップへの世界的評価が高まりつつあった2010年代も、海外への作品の売り込みに消極的な立場を取っていたが、YouTubeにおける大量の違法アップロード音源の問題もあって2010年代末に「なるべく世界のユーザーに聴いてもらう」ように考え方が変化[72]し、日本音楽レーベル各社も積極的にYouTubeに公式ミュージック・ビデオアップロードしたり、ダウンロード販売サブスクリプション解禁するなど、海外への売り込みを開始している。

代表的アーティスト

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上述したとおり、あくまで消費者側における認識であり、本人が意図していない場合もある。

脚注

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注釈

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  1. ^ 本人は海外における高い評価については肯定的であるが、『レコード・コレクターズ』増刊『シティ・ポップ 1973-2019』のインタビュー[要ページ番号]で、自身の作品がシティ・ポップであることを否定している。
  2. ^ 当時、シティポップの貴公子と呼ばれた。
  3. ^ Future Funkから派生したVaporwave界隈において人気となり、角松敏生が制作した「Remember Summer Days」「Last Summer Whisper」などの楽曲がアンセム的存在となるなどシティポップのクイーンと讃えられている。

出典

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参考文献

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関連項目

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脚注

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外部リンク

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