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「国鉄201系電車」の版間の差分

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2020年5月6日 (水) 08:25時点における版

国鉄201系電車
中央線快速201系
(御茶ノ水-四ツ谷間)
基本情報
運用者 日本国鉄
JR東日本
JR西日本
製造所 東急車輛製造日本車輌製造川崎重工業近畿車輛日立製作所
製造年 1979年(試作車)
1981年 - 1985年(量産車)
製造数 1,018両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V(架空電車線方式)
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 2.3 km/h/s (2M2T・4M4T)
2.5 km/h/s (6M4T)
2.8 km/h/s (4M2T)
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
編成定員 560名(4連固定)
848名(6連固定)
992名(7連固定)
1,480名(10連固定)
全長 20,000 mm
車体長 19,500 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,140 mm
車体 普通鋼
台車 円筒案内式インダイレクトマウント空気ばね台車
DT46(B)形・TR231(A)形
主電動機 直流直巻電動機 MT60形
主電動機出力 150kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 1:5.6=15:84
定格速度 52.1 km/h
制御方式 サイリスタチョッパ制御
弱め界磁制御
制御装置 CH1/HS36・CS53・CS53A
制動装置 回生制動併用電磁直通ブレーキ
保安装置 ATS-SATS-SNATS-SWATS-BATS-P
EBTE装置(JR西日本所属車一部)
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国鉄201系電車(こくてつ201けいでんしゃ)は、1979年試作車が登場し、1981年に量産が開始された日本国鉄直流通勤形電車である。

概要

抵抗制御に代わるより省エネルギーな主回路制御方式として、1960年代よりチョッパ制御方式が注目された[1]。大容量の半導体素子が開発されたこともこの動きを後押しし、国鉄も1967年以降、101系103系を用いた現車試験を開始した[1]。1970年代後半になると、101系電車の老朽化も進行し、新形式電車の機運も高まってきた[1]。そして1979年、国鉄として初の電機子チョッパ制御サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキを装備した「省エネ電車」として設計・製造された本形式試作車(201系900番台、5両編成2本)が落成した。


1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化JR発足)後は、JR東日本に794両が、JR西日本には224両が継承された。JR東日本では更新改造はせずに未更新のまま2005年から後継系列への取り換えによる所謂老朽廃車が開始され、2011年(平成23年)6月に営業運行をすべて終了した。JR西日本では内外装のリフレッシュ工事を受け、引き続き営業運転を行っているが一部廃車が発生している。2019年6月7日に大阪環状線のオレンジバーミリオンの201系は営業運転を終了し、サハ201は既に形式消滅している。

派生系列として東京メトロ千代田線直通用の地下鉄乗り入れ仕様アルミ合金製車体を備える203系が存在する。この他、福岡市交通局1000系電車は本系列を基本仕様としつつ車体の材料をセミステンレスとした車輌で、(落成時の)主要機器類と台車は本系列と同じ製品を搭載している。

構造

車体

前面上半分に黒パネルがはめ込まれた、独特なスタイル。
クモハ200形(試作車)+クハ201形(量産車)
乗務員扉直後の戸袋窓が存在することが試作車の特徴

車体材質は鋼製とし、基本的な構造は従来の通勤電車を踏襲したが、新系列であることをアピールすべく前面形状は刷新された[2]。試作車1編成5両の製造を担当した東急車輛製造の提案[3]により、591系の平妻側運転台の形状をアレンジした左右非対称型のデザインが採用された。前面の上半分の大半を用いた大きな開口部にジンカート処理と呼ばれる特殊な防錆皮膜処理を行った黒い鋼製パネルをはめ込んだものである[2]

試作車では、基本では103系の構造を踏襲しているが、新系列車両としての新機軸を盛り込んでいる。

  • 外板材質は熱間圧延軟鋼板 SPHC を引き続き採用し、塩化ビニール製絶縁屋根布を張り付けている[4]
  • 車両番号標記は特急形車両と同様のステンレス製切り抜き文字を採用。
  • 固定窓の支持のHゴムを廃し、押え金方式を採用[5]
  • 客用窓は下段上昇・上段下降式の外はめ式ユニット窓が採用され、上段窓にバランサーが取付られた[注 1]
  • 車内は冷房装置搭載を前提として構成の見直しを行ない、そのため平天井となったことから外部屋根のカーブ形状も見直され、103系[6]と比較して緩いものとされた[5]
    • 冷房装置はAU75B形集中式を1基搭載[注 2]。冷気は平屋根構造の車内風洞を介して車内に送り込み、三菱電機製「ラインデリア」(横流補助送風機)によって扇風機なしでもまんべんなく車内に行き渡る構造とした。
  • 換気用通風器はグローブ形からFRP製の角形押し込み式を採用[5]

量産車では以下の変更点がある。

  • 外板材質を2.3mm厚の高耐候性圧延鋼材 (SPA) に変更し[7]、構造から見直すことで構体重量で約1.3tの軽量化を実現[8]
  • 台枠と側板の接合部がスポット溶接から連続溶接に変更[9]。同時に接合点はそれまでの台枠側面全体の要所でかがり縫いのように何点かで点接合したものから台枠上面近くの横一直線のみになり、そこから下は台枠の鋼材がそのまま外部に露出、水の侵入箇所自体を封じた[10]
    • 103系で深刻な問題となっていた雨水の浸入による台枠の腐食がほぼ解決。
  • 屋根部分はビニール布張りを廃止して塗り屋根方式に変更。
  • 試作車では運転台付き車両のみ乗務員扉の開閉角度改善を図って車体長を19.7mと中間車より0.2m長くしたが、量産車では19.5mに統一した。
    • 分割・併合編成で中間に運転台付き車両が入る場合に整列乗車時の扉位置ずれの原因となることが指摘されたためだが、運転台寸法は変わらず干渉する直後の客室スペースが0.2m分縮小されたことに伴い乗務員扉直後の戸袋窓を省略。
  • 前面手すりを大型化。
  • 側面見付の統一感を図る見地から、戸袋窓を客用扉に合わせて小型化した[11]
  • 試作車では「車内の天井高さが低く感じられる」との評が多かったことから構成の見直しが行なわれ、量産車では天井高さが75mm広がった[12]。また、座席そで仕切の形状が単純な一枚板状のものとなった。
  • 冷房装置はAU75D形[注 3]およびAU75G形[注 4]
  • 横流ファン(ラインデリア)は台数を半減させ、扉付近の4ヶ所のみとした[13]

増備は継続されたものの、その後の国鉄の財政状況はきわめて厳しいものとなった。このため1983年度分からはコストダウンを計る見地から設計変更が行われた。このグループは「軽装車」という通称を持ち、以下の変更がされた。

  • 前面黒色部のジンカート処理鋼板を、電解二次着色アルミニウム板に変更[注 5]
  • 通風器は、FRP製から安価な鋼製[注 6]に変更。
  • 客用窓は2段上昇式に変更し、これに伴って構体設計が大幅に変更。
  • 車両番号標記は、一般の通勤形電車と同様の転写式に変更。
  • 車内荷棚は、ステンレス製からアルミニウム製に変更。
  • 一部床下機器のカバー省略。

主要機器

電源・制御機器

MM'ユニットを採用し、M車(モハ201形)にはチョッパ制御器・主制御器・抵抗器・集電装置が、M'車(クモハ200形・モハ200形)には補助電源装置・電動空気圧縮機が搭載される。

主回路にCH1系電機子チョッパ制御器とHS36形補助制御器(試作車のみ)もしくはCS53系主制御器[注 7]を組み合わせて搭載し、これらによってMT60形主電動機直巻整流子電動機)を制御する。

  • 電機子チョッパ制御は主回路で最も大きな電流が流れる電動機の電機子回路をチョッピングする方式であるが、回生ブレーキ作動時に昇圧チョッパ回路を構成するため、高速域での回生電圧が架線電圧を大幅に上回って回生失効しやすいという問題点があった[注 8]。このため本系列が開発された1970年代後半には、地下鉄以外の私鉄各社ではこの方式に代えコスト面でも有利な界磁チョッパ制御方式が普及した。
  • しかし、1960年代後半より独自にチョッパ制御器の開発に着手していた国鉄は、通勤形のみならず近郊形系列などへの幅広い応用を目指しており、電動機の設計変更と主回路構成の工夫(直並列切り替え)によって120km/hからの回生ブレーキを実用可能とする制御システムの構築を研究[注 9]していたこと、力行時の抵抗器によるロスを削減することで得られるメリットよりも無接点・無段階制御・最高速度域からの回生ブレーキが実用可能であるメリットを重視しており、主電動機のMT60形もこの目的に沿うよう新たに設計された。

MT60形は定格回転数1850rpm/最高回転数4850rpmと既存のMT54形[注 10]やMT55形[注 11]といった前世代の標準形電動機と比較して高い定格回転数となった。

  • 高速域での回生ブレーキ時に発生電圧過大に伴う回生失効を防止することを狙ったため、国鉄の制式電車用直流直巻式電動機としては当時最大の150kW級電動機となったものの特性が高速寄りにシフトしているため、低速域での加速性能は110kW級のMT55形を搭載する103系と大差ないレベルにとどまっている[注 12]

回生制動を常用することを基本として計画されたため、本系列ではパンタグラフ架線からの離線による回生失効を防ぐべく、地下鉄乗り入れ用の301系などと共通の架線追随性が高いPS21形パンタグラフが採用された。

  • 主電動機の大出力化に伴う集電容量の不足も考慮して、試作車では各電動車1ユニット(2両)につき2基ずつパンタグラフが搭載された。

補助電源装置にはブラシレスMG DM106(定格容量190kVA)を、空気圧縮機 (CP) にはメンテナンスフリー化を図って誘導電動機を採用したレシプロ式 MH3075A-C2000M を使用する。

  • 試作車では、MGに MH135-DM92(定格容量160kVA)、CPは立形3シリンダ式の MH113B-C2000M といった115系などの在来車で採用実績のあるものを搭載していたが、後に量産車と同じものに換装されている[14][15]

運転台主幹制御器は、試作車において従来からの縦軸式回転型 MC59X(クモハ201-901、クハ200-901)と新幹線電車に類似する横軸式前後操作型 MC60X(クモハ201-902、クハ200-902)2種類の比較検討が行われた結果[5]、量産車では横軸式ハンドルの MC60 となり[16]、ブレーキ弁は通常のME49形[注 13]が搭載された。

ブレーキ

応荷重装置付き電機子チョッパ制御回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(SELR)と自動ブレーキ部のブレーキ制御弁として3圧力式のE制御弁が採用された。

100km/hからの回生ブレーキに対応するため、定格速度の高いMT60形を45%弱め界磁で使用することで、回生電圧を抑えて回生失効を防ぐ対策がなされたが、それでも高速域では回生電圧が架線電圧を大幅に超えた。

  • 回生失効が発生しそうな場合は主回路電流を絞ることで発電電圧をコントロールできるが、引き換えに電気ブレーキ力が不足し、空気ブレーキ系に依存すると制輪子磨耗過大の問題点がある。
  • 対策として75km/h以上の高速時からブレーキでは主回路に0.27Ωの抵抗を挿入[注 14]し発電電圧を落とし、充分な電気ブレーキ力を確保した。さらに90km/h以上では高速絞りが作動する。

これらの問題点は、国鉄の回生ブレーキに対するノウハウの蓄積も不十分だったためで、当初の予測以上に空気ブレーキ系への依存度が高くなってしまっている。このため、量産開始後も回生ブレーキの動作パターン研究が進められ、増備の度に回生特性の改良が実施された。

台車

DT46B(動力台車)
DT46B(動力台車)
TR231A(付随台車)
TR231A(付随台車)
試作車
301系と同様に乗り心地を重視して車体直結(ダイレクトマウント)式の空気ばね台車が採用され、主としてブレーキ装置の相違からDT46X形・Y形(動力台車)とTR231X形・Y形(付随台車)の計4種が試用された。これらはいずれも軸箱支持方式がシリンダをゴム製シーリングで被覆した円筒案内式である。
量産車
試作車のダイレクトマウント方式が取りやめとなった。このため枕バリ部分をDT32系台車と類似のインダイレクトマウント方式(大径心皿方式)に変更し、軸ばね部シリンダのシーリングを省略したDT46形・TR231形、さらに軸ばねをエリゴばねに変更したDT46B形・TR231A形に変更された。

接客設備

20年程度先を見越した接客設備を目指して、本系列では様々な改善が図られた。

  • 扉間の7人掛けロングシートのモケットを3-1-3に分割し、中央の1人分だけ色を変えることで座席定員どおりの着席乗車を心理的に誘導するというデザイン面での工夫。
    • これ以降モケットの柄を1人ずつに区分するなどの手法は、国鉄形車両の更新修繕や他の鉄道事業者にも波及し、目立たないながらも以後の通勤電車のあり方を変えた改革である[注 15]
  • 試作車では当初客室内にはスタンションポールが設置されて、ラッシュ時の乗客の動線調査が実施された。
    • その後の通勤電車における乗降問題に貴重な資料を提供したが、本系列では後に撤去された。
  • 車内のカラースキームは、当時の国鉄車両においては寒色系が一般的であったが、本系列が新世代通勤電車ということから暖色系が採用された。
    • 壁面→ベージュ(一部ブラウン)・座席→濃茶色+中央部オレンジ[注 16]・床面→ウォームブラウン。
    • 中央線快速用車両の座席モケットは1995年 - 1998年ごろに103系と同時に全編成で下記画像のスカイブルー系に張り替えられた。
  • ステンレス製客用扉内側は無塗装とした。

形式

本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハもしくはクモハの201形と200形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は過去からの慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。

クモハ200形 (M'c)
モハ201形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機や空気圧縮機などの補助的な機器を中心に搭載する。偶数向き専用。試作車のみ存在する。
モハ201形 (M)
クモハ200形またはモハ200形とユニットを組む電動車で、パンタグラフや主制御器などの主回路を構成する機器群を中心に搭載する。
モハ200形 (M')
モハ201形とユニットを組む電動車で、クモハ200形と同様に電動発電機と空気圧縮機を搭載する。
クハ201形 (Tc)
奇数向き専用の制御車。
クハ200形 (T'c)
偶数向き専用の制御車で、試作車には存在しない。
サハ201形 (T)
運転台のない付随車で、試作車落成時には存在しなかった。

各社の状況

国鉄時代を含め、東西間で移動した車両は存在しない。

JR東日本

10両・6両・4両の3種類の編成があり、6両編成と4両編成を連結して10両編成として運用することで、需要に応じた多様な運用形態に対応可能としている。

新製配置(国鉄時代)

登場時の201系900番台。写真左は103系

昭和52年度第2次債務で試作車10両(5両編成2本)が落成し、三鷹電車区(現・三鷹車両センター)に配置された。

試作車落成時の編成表
 
← 東京
青梅・高尾・大月 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
-901
(Tc)

モハ201
-901
(M)
 
モハ200
-901
(M')

モハ201
-902
(M)
 
クモハ200
-901
(Mc')
 
クハ201
-902
(Tc)

モハ201
-903
(M)
 
モハ200
-902
(M')

モハ201
-904
(M)
 
クモハ200
-902
(Mc')

東京寄り5両が東急車輛製造編成、高尾寄り5両が日本車両編成となっている。営業運転開始前に一度3両編成と7両編成に組み直された。この際、東急車輛製造のモハ201-901とモハ200-901は日本車両編成に組み込まれた。

その後1983年に量産化改造が行われ、6両編成と4両編成に分割された。この際、モハ201-903とモハ200-902は電装解除を行ってサハ201-901・902となった。

量産改造後の編成表(1986年11月1日現在[17]
 
← 東京
青梅・高尾・大月 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
-901
(Tc)

モハ201
-901
(M)
 
モハ200
-901
(M')
 
サハ201
-902
(T)

モハ201
-902
(M)
 
クモハ200
-901
(Mc')
 
クハ201
-902
(Tc)
 
サハ201
-901
(T)

モハ201
-904
(M)
 
クモハ200
-902
(Mc')

量産車

1981年7月からは量産車の落成が始まり、昭和55年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和55年度第2次債務で50両(4両編成3本・6両編成3本・10両編成2本)、昭和55年度第3次債務で100両(10両編成10本)の計200両が落成し、三鷹電車区・豊田車両センターに配置された。

次いで昭和56年度第1次債務で100両(4両編成5本・6両編成5本・10両編成5本)、昭和56年度第2次債務で20両(10両編成2本)、昭和56年度第3次債務156両(10両編成15本)で、昭和57年度本予算で40両(4両編成4本・6両編成4本)の計316両が落成した。大半は豊田電車区に配置されたが、一部が三鷹電車区と中野電車区に配置された。なお、昭和56年度第1次債務落成分から冷房装置がAU75Gに、昭和56年度第3次債務落成分からはチョッパ制御機がCH1-G2に、昭和57年度本予算落成分からはチョッパ制御器がCH1Bに変更されている。

加えて、昭和57年度第1次債務で50両(4両編成5本・6両編成5本)、昭和57年度第3次債務で30両(4両編成3本・6両編成3本)、昭和57年度第4次債務で90両(4両編成9本・6両編成9本)、昭和58年度本予算で10両(4両編成1本・6両編成1本)の計180両が落成した。武蔵小金井電車区と中野電車区に配置された。

さらに、昭和58年度第1次債務で34両(4両編成4本・6両編成3本)、昭和58年度第4次債務で60両(4両編成6本・6両編成6本)の計94両が落成した。第1次債務分が武蔵小金井電車区に、第4次債務分が中野電車区に配置された。昭和58年度第2次債務分からいわゆる「軽装車」となっている。この増備分をもって201系の製造は終了した。そして1985年3月14日改正で101系の置き換えを完了し、中央快速線の201系統一が完了した[18]

中央線関係(豊田車両センター)

中央線快速用オレンジバーミリオン塗装
中央線快速用オレンジバーミリオン塗装
電動幕式大型列車種別表示器
電動幕式大型列車種別表示器
モハ201-24霜取パンタ搭載車 画像左側が霜取パンタグラフ
モハ201-24霜取パンタ搭載車
画像左側が霜取パンタグラフ
中央線快速用分割編成中間組込先頭車
中央線快速用分割編成中間組込先頭車
青梅・五日市線用車両
青梅・五日市線用車両
中央本線青梅線五日市線八高線拝島駅 - 高麗川駅間)

車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。塗色や所属区は同じであるものの、中央線直通運用[注 17]と青梅・五日市線限定運用限定とで編成は分けられていた。中央線運用車両は、2008年3月14日まで富士急行大月線・河口湖線にも乗り入れていた[注 18]2010年までに営業運転を終了した(後述)。

2004年12月から2005年3月までにドアステッカー下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカーが貼付された[注 19]

中央快速線用

快速系列車と早朝・夜間の東京駅発着各駅停車で運用された。10両単独の編成(T編成)と6両+4両の分割可能編成(H編成)の2種類の編成があり、青梅線・五日市線・八高線と富士急行線への乗り入れの関係で運用が分かれていた。2008年1月にT編成が、2010年10月にH編成が営業運転を終了した。

  • H編成は国鉄末期からJR発足直後にかけて、PS21形から折り畳み高さの小さいPS24形に換装された[19][20]
    • モハ201-161 - 163は試作型のPS918形を装備、1984年3月5日から7日にかけて甲府駅までの入線試運転を行っている[21]。翌年10月から臨時列車で大月乗り入れが開始された[18]
    • モハ201-24・87・90・179・185・206は後位寄りに霜取り用パンタグラフを増設[22]。霜取り用パンタグラフはPS24が基本だが、モハ201-90はPS35Cであった[22]
  • T編成は2000年以降に、降雪によるパンタグラフ降下対策としてシングルアーム式のPS35C形に換装[23]

2004年3月までの武蔵小金井電車区所属編成は、分割可能編成・10両単独編成とも白地赤文字の編成札を使用していたが、豊田電車区(現・豊田車両センター)への移籍時に10両単独編成は黄緑地白文字の編成札に交換した。

外観上は、10両運転時に1・10号車となる先頭車両の運転席窓下部に電動幕式の大型列車種別表示器を備えている。

  • 当初は101・103系と同様に「特別快速」などの大型種別表示板を使用していたが、中央線快速の201系統一完了により方向幕での種別表示が完備されたことから1986年3月改正で種別表示板の使用を廃止した。1987年5月からは差し込み式の種別表示板が復活し[24]1992年からは1・10号車は電動幕式の種別表示器へと交換された。
  • 列車種別表示器への取り替え前まで全編成に装備されていた。それ以前にも1987年3月末から4月初頭の国鉄分割民営化前後にヘッドマーク掲出スペースを新設し、分割民営化を告知する特製のヘッドマークを掲出して運転していた[要検証]

分割可能編成の連結部に組成される先頭車には差し込み式の種別表示枠が設置されており、自動解結装置が装備されている。

  • クハ200-87のみ中間先頭車で唯一電動幕式大型列車種別表示器を装備。
  • 2007年11月時点で差し込み式の種別表示枠が取り外されている先頭車も出現した(詳細は後述)。
中央線快速用
 
← 東京
青梅・高尾・大月 →
10両貫通編成
(T編成)
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
搭載機器   CHOP MG,CP   CHOP MG,CP   CHOP MG,CP  
車両重量 32.6t 41.7t 41.5t 30.6t 41.7t 41.5t 30.6t 41.7t 41.5t 32.6t
4+6両分割編成
(H編成)
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
 
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
搭載機器   CHOP MG,CP     CHOP MG,CP CHOP MG,CP  
  • CHOP:チョッパ制御装置、MG:電動発電機(ブラシレスMG)、CP:空気圧縮機
  • T編成のパンタグラフは後年に一部を除いてシングルアーム式に換装されている。
  • 一部のH編成8号車では霜取り用のパンタグラフが増設されている。
  • 車両重量は量産車が落成した時点もので、その後の増備車では仕様変更により重量が変更されている。また、量産車でも後年の改造などにより変更されている場合もある。
青梅・五日市線内運用編成

嘗て中央・総武緩行線で運用されていた車両でE231系の投入に伴い撤退し、青梅線・五日市線用103系の置き換えに転用された。転属の際に前述の軽装車を含めて塗色をカナリアイエロー(黄5号)からオレンジバーミリオンに変更した。又付属編成1本は、後述する「四季彩」に改造された。

  • 1986年3月3日のダイヤ改正からの一時期は中央線快速から転用された6両編成が青梅・五日市線と武蔵野線線内運用にも投入されたが、武蔵野線の全列車8両編成化と中央・総武緩行線への転用により撤退。

中央線快速用とは、以下に示す差異がある。

  • 大型列車種別表示器・列車選別装置停車駅誤通過防止装置は未装備。
  • 助士席側と乗務員室出入口の窓下に「青梅・五日市線」と表記したステッカーの貼付。
  • 編成札の色の相違[注 20]
  • 搭載パンタグラフが小断面トンネル通過に対応していない為高尾以西は走行不可。
  • 車内扉横座席に防寒用風除けを取り付け。
  • 青梅線青梅駅 - 奥多摩駅間は地上設備(ホーム有効長)の制約から乗り入れ可能車は4両付属編成に限られるため、転入時に編成組換を行い中央線快速用のH編成とは6両編成と4両編成の組成順序を逆にした[注 21]
  • 付属編成各客用扉には、軍畑駅(左側のみ)・川井駅(右側のみ)・奥多摩駅では電車とホームの間が広く開いている旨を表記するステッカーを貼付。
  • 一部の6両基本編成は、武蔵五日市駅での折り返し長時間停車時に虫の侵入を防止する観点から、6号車の蛍光灯を青白いタイプのもの(昼光色)に交換。

編成略号は「青○○編成」と呼称される。

  • 編成札は数字のみの表記であり、「60」から「69」が青色に白のゴナに近い字体(武蔵野線でも同様)、「70」から「72」が水色に赤の丸みを帯びた字体(H・T編成のものに近い)である(何も立川寄り6両固定編成において)。
青梅・五日市線内運用編成
 
← 立川・拝島
武蔵五日市・奥多摩 →
6両編成 号車 1 2 3 4 5 6
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
4両編成 号車 1 2 3 4  
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
展望型電車「四季彩」
「四季彩」旧塗装
「四季彩」旧塗装
「四季彩」新塗装
「四季彩」新塗装

JR東日本では、青梅線沿線のイメージアップを目的に豊田電車区で訓練車として使用されていた4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)を展望型電車に改造し、2001年8月4日より運転を開始した。その後愛称の公募が行われ、同年11月23日「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。改造内容を以下に示す。

  • 愛称の通り1両ずつ季節をテーマとしたデザインを採用。
  • 座席配置ならびに側面窓の一部も2段窓から固定式の1枚窓に変更。
    • 奥多摩寄りのクハ200-134はすべての座席を川側に向け、その他の3両は川側にクロスシートを設置。

登場から数か月間だけ五日市線でも運用されたが、以降は土曜・休日の青梅 - 奥多摩間の運用が中心で、送り込みを兼ねた立川発着の運用が1往復あった。

臨時列車では、大月駅開業100周年記念記念列車や「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎まで、2006年からは「四季彩河口湖号」として富士急行線河口湖まで、さらに2007年のゴールデンウィークにはこれまで使用されていた小山車両センター所属115系の廃車により快速「むさしの奥多摩」にも投入され、武蔵野線を経由して大宮駅まで乗り入れた実績を持つ。

また八王子支社管内以外にも、長野支社に貸し出されて中央本線小淵沢駅 - 大糸線白馬駅間の臨時快速「四季彩高原号」や2008年5月24日には信越本線長野駅 - 篠ノ井線姨捨駅間の「姨捨フォトトレイン四季彩」号として運転された。

平日は拝島運転区で訓練車として使用されたほか、他線へ貸し出されることもあり、2006年度には豊田車両センター所属車の廃車時に回送ルートとなる篠ノ井線内の乗務員訓練用に松本車両センターへ貸出された。八高線の予備車も兼ねていたが、こちらでは実際に運用されたことはほとんどない。

当初の外装による運転は2005年5月8日で一旦終了し、新塗装変更後の同年6月25日に三鷹電車区一般公開で展示され7月2日から再度運転を開始した。

しかし、老朽化のため2009年6月28日をもって一般運用を離脱。同年7月中は団体臨時列車として「さよなら四季彩号」が運転され、7月20日のさよなら運転を最後に営業運転を終了し、7月23日に長野総合車両センターへ廃車を前提とした回送が行われた。

松本地区への貸し出し
2代目T110編成
廃車回送を兼ねた最後の貸し出し

毎年上諏訪駅近くの諏訪湖畔で開催される花火大会(8月15日諏訪湖祭湖上花火大会と9月初旬の全国新作花火競技大会)の観客輸送の応援用として、豊田車両センター所属のH編成(T編成)2本(20両)が松本地区に貸し出され、中央本線小淵沢駅 - 塩尻駅 - 篠ノ井線明科駅間で臨時列車(一部は定期列車の運用変更)として運行されていた。

  • ホーム長と小淵沢・松本方面の双方に列車を走らせる関係上、送り込みを兼ねた小淵沢始発上諏訪行の快速以外は6両と4両に分けて運用される。
  • 当地区ではトイレを設置していない電車が少ないため、時刻表にも「通勤電車・トイレなし」の表記がされる。
    • 通勤電車特有の利点(4ドアで詰め込みの利くロングシートなど)から、4両でも115系6両編成を使用した時以上の混雑緩和の効果が確認されている。

2007年には、本系列最後の貸し出しが実施された。

  • 従来と異なっていたのは8月15日(諏訪湖祭湖上花火大会)・9月1日(全国新作花火競技大会)とも甲府発着の臨時快速が設定されたことで、本系列が甲府駅 - 小淵沢駅間で営業運転に使用された。貸し出し最終日の9月1日は2本が使用された。
  • 貸し出し編成は、H編成ではなく3月18日のダイヤ改正(後述)でT編成に編入された「旧H編成」の2代目T110編成とT118編成である。
    • 2代目T110編成は、8月30日に一旦長野総合車両センターに回送された時点で方向幕の空きコマにカッティングシートを使用して運用に必要な表示(上諏訪・スターマイン・ナイアガラ)を追加(この時種別表示幕は文字なしの白1色)し、運用当日に日野春まで回送後小淵沢から臨時快速で営業を開始し、臨時列車と定期列車で運用され終了後に廃車のため長野へ回送された。
    • T118編成は豊田電車区から直接送り込まれたが、方向幕の空きコマへの運用に必要な表示追加は未施工。

2008年以降はE233系が貸し出されている。

京葉線関係(京葉車両センター)

京葉線用スカイブルー塗装
京葉線外房線東金線

車体塗装色はスカイブルー(青22号)。京葉車両センターに配置された編成は、青梅・五日市線内運用編成と同様にかつて中央・総武緩行線で使用されていた車両で、205系とともに京葉線の103系を置き換えた。転入の際に以下の仕様変更が施工された。2000年8月27日から運用を開始した[25]

  • 塗色をカナリアイエロー(黄5号)からスカイブルー(青22号)に変更。
  • 車内非常通報用ボタンの丸型から角型へ変更。
  • 尾灯LED化。
  • 運行番号表示器と側灯のLED化(一部除く)。
  • 停車駅通過防止装置を京葉線仕様の交換ならびに運転台横に大型時刻表差しを取付。
  • 方向幕の交換。
    • 先頭車正面の方向幕は転入時が白地・黒文字だった(山手線からの205系転入車も同様)。これは幕を発注する際に「103系と同じ幕を作ってほしい」というJR東日本側の意図を製作会社が「内容が同じ」ではなく「103系と全く同じ」と取り違えたため本系列のブラックフェイスに合わない白地・黒文字のものを製造したためである[注 22]。その後、2005年秋ごろから順次黒地・白文字に交換するとともに側面のものも上部に「京葉線」を表記するものに交換し、フォントも新しくなった。[注 23]

2000年から2001年にかけて転入した10両編成7本は中間に先頭車が挟まった4両+6両で構成されていた[26]。そのうち4本(K1 - K4 + 51 - 54編成)は自動解結装置を取り付けて4両+6両に分割併合を行う運用に、残り3本(71 - 73編成)は同装置を取り付けずに分割併合がない運用に投入された[26]。72・73編成は中間に試作車(900番台)を組み込んでいた[26]

2007年2月 - 3月には中央線快速で使用されていた10両貫通編成2編成が転入した[27]。これは、武蔵野線直通列車の増発ならびに埼京線用205系の踏切事故による不足補充分として京葉線205系2編成が転用されたためである[27]。転用に際し前述の変更に加えて以下の仕様変更が施工された。

  • 大型列車種別表示器が撤去されてその跡をパテで埋めた。
    • パテで埋めたところには小さな跡がある。
  • 分割編成のクハの組成位置に合わせてJR東日本では初となるサハ201形2両連続連結に組成変更[27]
    • 非常通報装置の取付は未施工[27]
  • 編成番号の変更。
    • トタT32編成(クハ201-58以下10両) → 70編成
    • トタT130編成(クハ201-56以下10両) → 74編成

この2編成は209系500番台に置き換えられ、2008年12月に長野総合車両センターへ廃車回送された。

 
← 上総一ノ宮・成東・蘇我
東京 →
4+6両
分割編成
号車 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 備考
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
 
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
K1 - K4編成+K51 - K54編成
71編成・試作車廃車後の72編成
4+6両
試作車組込編成
形式  
クハ201
(Tc)
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
クモハ200
(Mc')
 
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
試作車(太字)の組み込まれていた72・73編成
車両番号 103
104
901
902
902
904
901
902
901
902
213
903
213
902
214
215
214
215
103
104
10両貫通編成 形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
サハ201
(T)
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
中央線快速用から転用された70・74編成
車両番号 58
56
133
127
133
127
63
59
64
60
134
128
134
128
135
129
135
129
58
56

置き換え

中央線快速・青梅線・五日市線
H7編成さよなら運転 2010年10月17日 上野原
H7編成さよなら運転
2010年10月17日 上野原
保留車 クハ201-1 2014年11月8日 豊田車両センター
保留車 クハ201-1
2014年11月8日 豊田車両センター

JR東日本では103系の置換えに時間がかかり、東中野駅列車追突事故被災のミツ6編成を除いて全編成が落成から25年以上が経過した2005年上半期まで在籍していたが、中央線快速運用では東京都から山梨県にまたがる長距離高速運転や日中も走行する機会が多く、累積走行キロの伸びや機器などの老朽化が進んだ。更に本形式で採用された電機子チョッパ制御は導入が少ないため保守部品の調達が困難になった。21世紀に入るとJR東日本では保守に手間のかかる鋼製車輌は更新工事を行なわずに淘汰する方針に転換したことから、2006年12月26日からE233系688両を投入し、本系列714両を置き換えることになった。

  • E233系投入に伴い編成番号の改称が実施された。
    • 2006年11月から2007年3月18日までにT編成が改称された。ほとんどの編成が元の番号+100とされた(例・T1→T101)。
    • 2007年3月18日のダイヤ改正から分割を伴う運用に本系列とE233系が共通に充当されるため、本系列のH編成7本を6+4から4+6に組み替えた[27]。これらの編成は、3月下旬までにH1編成を除いて編成番号が振り直された。
      • 組替対象とならなかったH編成は3月下旬までにT編成に編入された。置き換えとの関連は不明だが、2005年以降に豊田電車区の6+4編成(H編成)の4・5号車の列車種別表示枠が撤去され、オリジナルに近い前面に戻された編成があった[注 24]
2007年3月以降のH編成
 
← 東京
青梅・高尾・大月 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
 
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')

三鷹駅 - 立川駅間の連続立体化工事中は、武蔵小金井駅折り返し運用が構内配線の都合で一度留置線を経由する必要からすぐに折り返せないため予備車の不足が懸案事項となった。そのため、E233系の投入完了後もH4(クハ201-107以下10両)・H7(クハ201-128以下10両)の2編成が[注 25]残存した。

残存編成も工事が終了する2009年秋に中央線での営業運転を終了する予定であると東京新聞で報道されていたが、最終的に、2010年6月20日にH4編成が[28]10月17日にH7編成が[29]、それぞれ、長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた、中央本線豊田発篠ノ井線松本行きのさよなら運転を行い、本系列の運用を終了した。

青梅線・五日市線用の置き換えは2007年11月から2008年3月までに順次行われたが、4両編成の置き換えは2008年2月19日に一斉に行われた。

長野総合車両センターへの廃車回送は編成単位で自力による。中央本線の高尾駅以西の小断面トンネル通過未対策車は、パンタグラフをシングルアーム式に換装した後回送となる。以下に例外を記す。

  • T32(クハ201-58以下10両)・T130(クハ201-56以下10両)の2編成は京葉車両センターへ転出。
  • 青66(クハ201-144以下6両)・青69(クハ201-150以下6両)・青70(クハ201-154以下6両)の3編成は、パンタグラフ未換装のためEF64形の牽引による上越線経由での配給回送。
  • T110「2代目」編成(クハ201-117以下10両)は一旦長野へ回送後、全国新作花火競技大会での臨時列車に使用され、豊田へ戻らずに廃車。
  • T116編成(クハ201-54以下10両)はサハ201-55を抜いた9両編成で回送。
  • T133編成(クハ201-60以下10両)はモハ201-141+モハ200-141を抜いた8両編成で回送。
    • 抜かれた2両は故障を起こした車両で青70編成(クハ201-152以下6両)とともに先に回送。
  • H1編成(クハ201-1以下10両)は運用離脱後に組替え、2007年3月以前の組成になり6両編成が回送。
    • 残った4両は豊田車両センターに留置された後、2008年6月に保存前提で保留車扱いとなったクハ201-1以外の3両を青3編成に挿入した形で回送。

クハ201-1は書類上では2019年(令和元年)10月1日現在も廃車になっておらず、保留車となっている。

中央・総武緩行線

国鉄時代当時の中野電車区に配置され、1982年(昭和57年)8月14日から営業運転を開始した。車体色は中央線快速向けに続く色としてカナリアイエロー(黄色5号)となった。10両編成として使用されていたが、検修設備の関係から6両+4両の分割編成が配置された。

JR東日本化後の2000年(平成12年)以降に三鷹電車区へのE231系0番台の投入に伴い、置き換えが進められ2001年(平成13年)11月をもって中央・総武緩行線からは引退した(約19年間使用)。なお、最終的に残っていた10両編成(6+4両編成)19本(190両)は120両が青梅・五日市線用として転用され、残りは京葉線に転用された。

 
← 千葉
三鷹 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
 
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
搭載機器   CHOP MG,CP     CHOP MG,CP CHOP MG,CP  
京葉線・外房線・東金線
ヘッドマークを掲出したK4編成
(2011年6月11日 潮見駅

先述の900番台は、老朽化が進んでいるなどを理由として、2005年10月に山手線からの205系転入車で置き換えられた。このうちクハ201-902・モハ201-903は2005年10月14日に大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用され、同月中に解体された[注 26]

  • 900番台と混結で2編成(72・73編成)を組んでいた[注 27]残りの量産車は、組み合わせて1編成にされて72編成(クハ201-104以下10両)となり、73編成は欠番となった。

京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入により捻出された209系500番台の転入に伴い、2008年12月には74編成(元・T130編成)・70編成(元・T32編成)が、2009年1月に71編成(クハ201-7以下10両)が、2009年2月に72編成(クハ201-36以下10両)が長野総合車両センターへ廃車回送され、固定編成は消滅した。なお、廃車に先立つ2008年6月に、K1+51編成のクハ201-37・クハ200-36と72編成のクハ201-103・クハ200-104の入替えが行われており、旧72編成が新K1+51編成(クハ201-104以下10両)に、旧K1+51編成が新72編成となった。この編成替えで比較的古い車両が中心となった新72編成が廃車回送されている。[注 28]JR東日本の201系は、廃車まで新製時の編成を崩さなかったものが多く、この様な組換えは珍しい。[注 29]

  • これによりJR東日本の所属車両からサハ201形が消滅した。

廃車回送に際し、豊田車両センターの201系と同様にパンタグラフの換装を行ったのちに中央本線経由で自力回送された。なお、70・74編成は、中央線快速用として使われていた時に既にパンダグラフ換装がされていた。

  • 2009年2月に72編成のみが日中に長野車両センターに到着する以外は、夜に到着するダイヤ設定で回送された。

連結・切り離しが絡む運用の置き換えは209系500番台で行うことができず、残存する4編成(K1 - K4 + 51 - 54編成)には取り付けが必須になったデジタル無線装置が2008年に搭載された[30]。2011年からはE233系5000番台導入、分割編成が営業を開始した同年3月以降、京葉線に残っていた4編成の廃車が始まった[31]。K3+53編成(クハ201-111以下10両)が4月5日、K2+52編成(クハ201-109以下10両)が4月26日、K1+51編成(クハ201-104以下10両)が5月17日に長野総合車両センターへそれぞれ廃車回送され、同年6月時点での残存車は6両編成1本(54編成、クハ201-114以下6両)と4両編成1本(K4、クハ201-113以下4両)で、京葉線関係では6両編成と4両編成が連結されて10両編成で運転されていた。同年6月10日から同月20日までヘッドマークを掲出して運行され[32]、同月20日の81運用で定期営業運転を終了[33]、同23日に長野総合車両センターへ廃車を前提として回送された[34]

JR西日本

新製配置(国鉄時代)

東海道山陽本線投入分(高槻電車区・明石電車区)

車体塗装色はスカイブルー(青22号)。

 
← 草津・京都
西明石・加古川 →
号車 7 6 5 4 3 2 1
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
搭載機器   CHOP MG,CP   CHOP MG,CP  

高槻電車区向けとして、昭和56年度第3次債務で56両(7両編成8本)、昭和57年度本予算で14両(7両編成2本)の計70両が落成・配置された。1983年2月21日から東海道・山陽本線の京都駅 - 西明石駅間で営業運転を開始した[35]

明石電車区向けとして、昭和57年度第1次債務で42両(7両編成6本)、昭和57年度第4次債務で42両(7両編成6本)、昭和58年度本予算で7両(7両編成1本)、昭和58年度第2次債務で63両(7両編成9本)の計154両が落成・配置された。昭和58年度第2次債務分から「軽装車」となっている。

新製投入により余剰となった103系は他区所に転属し、101系など老朽車両の置き換えがなされた。1985年3月14日ダイヤ改正では運用区間を草津駅 - 加古川駅間に拡大するとともに、運用を見直すことで[注 30]昼間の普通列車はすべて201系で運行されるようになった[35]。1986年3月には、高槻電車区に配置された201系が明石電車区に転属し、京阪神地区で運用される201系は明石電車区に224両(7両編成32本)が集中配置されることになった[35]

網干総合車両所明石支所

C3編成(クハ201-63以下7連)
C3編成(クハ201-63以下7連)
C11編成(クハ201-89以下7連) ベンチレーターが撤去されている
C11編成(クハ201-89以下7連)
ベンチレーターが撤去されている

JR西日本発足以来、明石電車区所属の103系・205系とともに東海道・山陽本線の各駅停車で運用されていたが、1994年3月1日ダイヤ改正から207系1000番台吹田工場高槻派出所所属)が運用を開始し、103系を完全に置き換えた[35]。これによる本系列の廃車は発生していないが、103系の運用を持ち替える形で湖西線の山科駅 - 堅田駅間での運用が追加された[35]。1997年9月1日ダイヤ改正で福知山線新三田駅まで乗り入れを開始した[36]。明石電車区の検修部門は、2000年4月1日付の組織改編に伴い網干総合車両所明石支所となっている。

スカート(簡易排障器)は1991年度にJR東日本とは異なるタイプが、2004年から従来型より大型で鉄板を厚くしたタイプが設置された。1998年から、座席モケットが207系に準じたシーマンブルーに変更され[注 31]、ATS-Pの搭載が1998年8月から2001年3月までに全編成に対して行われた[36]。座席モケットの交換及びATS-Pの搭載は網干電車区と鷹取工場で行われた[36]

弱冷車サボ受けが全車の片側2か所に設置された。施工時期によってビス止めタイプと溶接タイプがあったが、転属に前後して撤去され、2002年以降には雨水の侵入により屋根の腐食の原因となる屋根上のベンチレーター(通風器)の撤去がC4編成(クハ201-64以下7連)から順次行われ、2005年以降は体質改善工事施工車に限り同時施工された。

2003年11月からは、大阪環状線などの103系体質改善40N工事車に倣った「体質改善工事」(30N)が開始された[37](詳細は#体質改善工事を参照)。

また体質改善工事施行前から、側面方向幕を国鉄形式の白地黒文字からJR形式の黒地白文字のものに交換した車両もある。交換は編成単位ではなく、編成内で幕が違うものも見られた。前面方向幕の「高槻」のローマ字表記は、ほとんどが「TAKATSUKI」(ヘボン式)だが、一部の車両では「TAKATUKI」(訓令式)も存在した。

2004年3月13日ダイヤ改正時点で運用範囲を以下に示す[38]。本形式のほか、205系や207系試作車と共通運用とされた[38]

  • 東海道・山陽本線:加古川駅 - 草津駅間
    • 日中は西明石駅 - 京都駅間で運用されていた。加古川駅への乗り入れは平日朝ラッシュの3往復、草津駅への乗り入れは1往復(平日朝夕ラッシュ)のみ。
  • 福知山線:尼崎駅 - 新三田駅間
    • 朝晩のみ運用。大阪駅発着の列車に充当されることもあり、その場合は外側線で運行されるために塚本駅を通過していた。
  • 湖西線:山科駅 - 堅田駅間
    • 平日朝ラッシュのみ、1往復で充当[39]

2005年12月1日から2006年12月にかけて明石支所に321系が273両(7両編成39本)投入されたため、2007年3月18日のダイヤ改正をもって定期運用を離脱し、後述の線区に転用された。

体質改善工事
JR西日本体質改善車 外観(上) 車内(下)
JR西日本体質改善車
外観(上)
車内(下)

2003年から2008年にかけて、後継の207系との格差改善ならびに延命を目的としたリニューアル工事が施工された。工事施工車の車番標記は、国鉄および東海旅客鉄道で採用されているすみ丸ゴシック体からJR西日本独特の書体(モリサワの新ゴシック)に変更されている。改造内容を以下に示す[40]

車体
外板腐食対策として、雨樋と外板の一体化による屋根の張上化・戸袋窓の埋め込みが行われた。ドア間窓を下段:固定・上段:2分割上昇の3分割バス風逆T字サッシに交換された。運転台周りに関しては、窓周囲の材質をステンレスに、前照灯はガラス内収納式に変更された。
接客設備
壁面を223系に準じたカラーリングのものに張り替え、吊り手の増設が行われた。ただし、網棚・ドア上の壁面の色は原型のままである。

体質改善第1号編成は2003年11月21日竣工のC8編成で、この編成は現在、奈良に転属してND604編成となっている。2005年末の321系投入時点では7両×11本に施工され、残る21本は他線区転用と同時施に工された。2008年2月7日竣工のND615編成を(旧C31編成)最後に全編成の体質改善が完了した。

特別編成

新製投入以後、他線区への転属までは7両編成(TcMM'TMM'Tc')で運用されたが、以下の特別編成が組成された実績がある。

阪神・淡路大震災後の一時的な組替
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって、東海道・山陽本線の大阪駅 - 姫路駅間が不通、山陽新幹線や並行私鉄も甚大な被害を受けていた。発生翌日の1月18日から徐々に復旧区間を伸ばしていき、30日には他私鉄に先駆け、西側(姫路方面)からの神戸駅乗り入れ、2月20日には灘駅乗り入れを再開することとなった。また、東側(大阪方面)からは芦屋駅まで復旧されており、代行バスを利用した阪神地区直通需要や、振り替え輸送などによる乗客の相当数の増加が予想されたため、特にラッシュ時における1列車あたりの輸送力を増加させるため[注 32]に編成組み換えを行った[41][42]
7両編成8本を用意し、そのうち4編成から1両(サハ201形)を抜き取り、残り4編成に組み込んだ。これによって6両編成4本、8両編成4本に組み替えられ、6両編成は2本連結した12両編成として運用することで輸送力の大幅な増加を図った[42][43]。2月20日の灘乗り入れ再開にあわせて12両編成での運用を開始し、4月1日の全線開通に合わせ、この変則編成は3月31日運用終了後に解消され、元の7両編成に復元された[44]
  • 12両編成(6+6の編成・TcMM'MM'Tc'+TcMM'MM'Tc')は本系列では最長となる。12両編成化にあわせて上りホームのみ有効長延長[注 33]が行われたため[42]、12両編成の停車が不可能な駅が発生する下り列車は快速運用にも投入された[45]
和田岬線用103系の代走
  • サハ201形を抜いた6両編成で運用されていた。

転用について

201系転用直前での関西圏における103系在籍数[46]
電車区 8両編成 6両編成 4両編成 3両編成
森ノ宮 29編成 4編成 - -
奈良 - 14編成 17編成 -
日根野 1編成 11編成 24編成 1編成

321系の投入によって余剰となった201系224両(7両編成32本)は車齢が20年程度であったことから、より車齢の高い103系のうち体質改善工事を施工していない車両置き換え用として転用することとした[47][48]

201系転用前における103系在籍数を右に示す。転用候補先では7両編成は存在しないことから組み換えに関しては8・6・4両編成に組み替えるパターンも考案された。しかし、4両編成は通勤時間帯において2編成連結した8両での運用が存在し、制御方式の違いから103系と201系は併結できず、共通運用ができないことから8・6両編成16編成ずつに組み替えられることとなった[49]。そして、103系6両編成を置き換えるために6両編成14本を奈良電車区に、8両編成16本と6両編成2本は森ノ宮電車区に転配する計画とした[49]

車両転配は2007年度で終了し、2017年10月1日時点で森ノ宮電車区に128両(8両編成16本)、奈良電車区に96両(6両編成16本)が配属されていた[50][51]。計画とは異なり、6両編成は奈良電車区に集約された[注 34]

吹田総合車両所森ノ宮支所
大阪環状線オレンジバーミリオン塗装
大阪環状線オレンジバーミリオン塗装
スカイブルー塗装のまま運用された車両
スカイブルー塗装のまま運用された車両
大和路線快速運用
大和路線快速運用
路線記号が導入される前まで見られた かつての大阪環状線の表示(LED化された行先表示器) (2013年5月10日撮影)
路線記号が導入される前まで見られた かつての大阪環状線の表示(LED化された行先表示器)
(2013年5月10日撮影)
2014年以降の路線記号が使用されたLED表示 (2016年10月17日撮影)
2014年以降の路線記号が使用されたLED表示
(2016年10月17日撮影)

2019年4月1日時点では、吹田総合車両所森ノ宮支所には8両編成5本が配置されていた[52]が、2019年10月1日現在は配置が無い。

 
(大阪駅基準)
← 京橋
桜島・加茂 →
号車 8 7 6 5 4 3 2 1
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
サハ201
(T)
 
サハ201
(T)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
大阪環状線桜島線(JRゆめ咲線)・関西本線大和路線

103系8両編成を置き換える目的で、2005年12月から順次配属された。営業運転は、2005年12月15日からクハ201-62以下7連(旧C2編成)にサハ201-96(旧C28編成)を組み込んだ8両編成が検査周期の都合からスカイブルーのままで開始した[53]。続いて、オレンジバーミリオンに塗装変更されたクハ201-64以下6連(旧C4編成のサハ以外)と旧C25編成のクハ201-136・クハ200-136を組み合わせた4+4の8両編成が登場した。中間にクハを組み込んだ編成は暫定的なものであり、奈良電車区への転配が開始されると解消された[注 35]

体質改善工事未施工であった車両は工事施工のうえ転入しており、2011年4月現在の配置車両は全て体質改善車である。弱冷車表記札の差し込み枠が撤去され、ステッカー表記に変更された。方向幕は、JR西日本の標準である黒地白文字のものに交換されている。

本系列の転入により、103系は廃車または奈良電車区および日根野電車区(現:吹田総合車両所日根野支所)への転出が進められた。

車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)である。但し一部の編成は、前述のようにスカイブルーのまま運用を開始した。スカイブルー塗装で転入した編成はその後クハ201-137以下を始めとしてオレンジバーミリオンに塗り替えられ、2009年に最後まで残ったクハ201-62以下8連[注 36]が塗り替えられて関西圏からスカイブルー塗装の201系は消滅した[54]。2012年には組織改組を受け、「近モリ」となった。

転入当初残されていたスカートの車両番号表記は消去され、代わって前面の車体左側黒い部分にヘルベチカで車両番号が表示され、その後2007年以降定期検査に合わせて冷房装置をAU75系からWAU709に換装し、施工済みとなった。また、2012年11月にはLB8編成(クハ201-93以下8両)の行先表示器がLED式のものに更新された。これを始めとして他の編成にも施工が進み、全編成の更新が完了した。

運用は基本的に大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)である。ラッシュ時には関西本線(大和路線)でも快速・区間快速としても使用されたが、2016年9月を以って大和路線の快速運用から撤退した。また、適時ラッピング広告編成となって運用されている。最初は201・103系に施されていたが、2006年8月以降は201系のみが対象とされている。4号車のサハ201形は女性専用車。当初は平日朝夕ラッシュ時に設定されていたが、2011年4月18日からは終日設定されている。

大阪環状線内のドア数統一目的で2016年度から片側3ドア車の323系が新製投入され、置き換えが進められた。2017年11月3日付でLB8編成が、2017年12月28日付でLB10編成が、2018年2月7日付でLB7編成が、それぞれ付随車2両を抜いた6両編成となり奈良支所へ転出。余剰となった付随車とLB5編成の計14両が2018年3月31日付で廃車された[55]。 2018年6月27日付でLB11編成が、同年10月13日付でLB12編成が、2019年1月22日付でLB13編成が、それぞれ6両編成となり奈良支所へ転出。2018年6月1日付でLB1編成とLB11編成の付随車2両が廃車、同年8月31日付でLB12編成の付随車2両が廃車、同年12月11日付でLB2編成が廃車、同年12月13日付でLB13編成の付随車2両が廃車、2019年1月15日付でLB4編成が廃車、2018年12月27日付と2019年3月31日付でLB16編成が廃車された[56][57]USJラッピング車は同年6月1日に運行が終了[要出典]。同年6月7日をもって(LB9編成で運用[58])大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)での201系運行が終了した[59][60]。同年6月3日付でLB3編成とLB14編成が廃車、同年7月1日付でLB9編成とLB15編成が廃車、同年8月1日付で最後まで残ったLB6編成が廃車された[61]

吹田総合車両所奈良支所
大和路線(関西本線)用ウグイス塗装
大和路線(関西本線)用ウグイス塗装
おおさか東線での運用
おおさか東線での運用
森ノ宮支所から転属した編成
森ノ宮支所から転属した編成

2019年10月1日現在、吹田総合車両所奈良支所には6両編成22本が配置されている[62]

 
← JR難波・新大阪
加茂・久宝寺 →
号車 6 5 4 3 2 1
形式  
クハ201
(Tc)

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')

モハ201
(M)
 
モハ200
(M')
 
クハ200
(Tc')
大和路線(関西本線)・万葉まほろば線(桜井線)・和歌山線おおさか東線

103系6両編成を置き換える目的で、2006年12月から順次配属された。塗色は本系列では初めてとなるウグイス色(黄緑6号)で、103系に引き続き先頭車の前面には白色の警戒帯が配されている。編成は明石時代の編成からサハを外したものである。103系は偶数向き先頭車がJR難波寄り先頭だが、本系列は奇数向き先頭車(クハ201形)がJR難波寄り先頭となっている[注 37]

最初の編成は同年12月11日に8両編成[注 38]で構内試運転、翌12日に本線試運転を実施し、翌13日に6両編成[注 39]で吹田工場を出場、奈良区に回送された[63]。同月20日から同じく奈良区所属の103系6両編成と共通運用で営業運転を開始した[63]。最終的には置き換え前の103系より2本多い16本96両となった。ただし、2017年10月時点では103系6両編成3本が残存していた。

森ノ宮支所配置編成同様、定期検査に合わせて冷房装置をAU75系からWAU709に換装した。また、全車両の行先表示器がLED式に変更された。

2017年11月から2018年2月にかけて、森ノ宮支所の8両編成3本が2両減車・ウグイス色に塗装変更したうえで転入し、残存していた103系6両編成3本を全て置き換えた。

また、おおさか東線放出駅 - 新大阪駅間延伸開業による増備のため、前述の103系の淘汰後も2018年6月から2019年1月にかけて森ノ宮支所の8両編成3本が2両減車・ウグイス色に塗装変更したうえで転入した。これにより、森ノ宮支所からの転入車は6本となった。さらに、この延伸区間での試運転が同車で実施されていた[64]

運用は基本的に大和路線・おおさか東線の普通列車であるが、朝夕には大和路線の快速・和歌山線王寺駅 - 高田駅間・万葉まほろば線でも運用されている。3号車のモハ201形は女性専用車であり、大和路線JR難波駅 - 奈良駅間・おおさか東線・和歌山線王寺駅 - 高田駅間で設定されている[65]

2019年8月の検査出場車から、床下機器の塗装が黒色から灰色に変更されている[66]

沿革

中央・総武緩行線での運用 1998年
中央・総武緩行線での運用
1998年
解体待ちのクハ201-3 2006年2月28日 大宮
解体待ちのクハ201-3
2006年2月28日 大宮
  • 1979年8月20日:試作車10両を中央線快速に投入。各種性能試験後に営業運転を開始[注 40]
  • 1981年:中央線快速に量産車を投入開始。
  • 1982年中央・総武緩行線にも投入。11月15日ダイヤ改正より、青梅線では、中央線快速電車の直通運用として運転開始。
  • 1983年京阪神緩行線にも投入。10月1日より中央線快速の青梅線直通電車の分割運用が開始され、五日市線にも運行されるようになる。
  • 1984年:コストダウンのため、窓構造など細部の設計を変更。これ以降生産された車両は「軽装車」と称されることもある。このタイプのサハ201形(付随車・T)は関西地区のみに投入。
  • 1985年:製造終了。試作車10両を含む1,018両が製造。3月14日ダイヤ改正から中央線快速・京阪神緩行線の日中時間帯はすべて本系列で運用されるようになり、運用区間も草津駅・加古川駅まで拡大。
  • 1986年3月3日のダイヤ改正に併せて首都圏各線で車両配置の見直しがあり、本系列も多数が転属。また、予備車から捻出された車両により武蔵野線でも運転開始(後に全編成の8両編成化により、中央・総武緩行線へ転用)。11月1日ダイヤ改正で快速が大月駅まで直通運転を開始し、本系列も同駅まで乗り入れるようになる。
  • 1987年4月1日:国鉄分割民営化により、全1,018両のうち試作車を含む794両がJR東日本に、224両がJR西日本に継承された。
  • 1988年12月5日:中央緩行線東中野駅構内でクハ200-4を先頭とした10両編成の中野行が同駅に停車中だった103系10両編成に追突し、運転士と乗客各1人が死亡する事故が発生(東中野駅列車追突事故)。10両のうち最後尾のクハ201-3を除く9両が大破して廃車となり、後日中野電車区構内で解体。
  • 1990年3月10日施行のダイヤ改正により、中央線快速に富士急行線河口湖まで直通する列車が設定される。
  • 1997年10月12日:大月駅構内で入換中の201系6両編成が特急列車と衝突する事故(大月駅列車衝突事故)が発生。
  • 1998年12月29日:中央・総武緩行線に本系列と103系・205系の置き換えを目的とした209系500・950番台投入開始。その後継車種のE231系0番台投入と合わせて同線で運用されていた201系は青梅線五日市線京葉線に転用され(205系も京葉線・武蔵野線・南武支線に転用)、既存の103系置き換えを促進。
  • 2001年8月4日:展望型車両に改造した「四季彩」が運転開始される。
    • 11月18日:中央・総武緩行線から撤退。同時期に京葉線・青梅線・五日市線でも営業運転を開始。
  • 2002年4月:青梅線・五日市線の列車がすべて本系列で運用されるようになる。
  • 2005年:京阪神緩行線(JR京都線JR神戸線JR宝塚線)は12月1日以降321系へ、中央線快速は2006年12月以降E233系へそれぞれ置き換えが決定。
    • 10 - 11月:京葉線で使用されていた試作車(900番台)が廃車。大宮総合車両センターにて解体された。
    • 12月15日大阪環状線でスカイブルーの8両編成が運用を開始。翌16日にはJRゆめ咲線(桜島線)に初めて営業運転で入線。その後大和路線関西本線)でも本系列の客扱いを実施。
    • 12月20日:1988年12月の東中野事故で唯一廃車を免れたクハ201-3が廃車回送された。この車両は事故発生後予備車となり、ほとんど利用されることなく三鷹電車区(現・三鷹車両センター)に留置されていたが、クモヤ145形2両に挟まれて回送して大宮運転区に2か月以上留置後、大宮総合車両センターで2006年3月上旬に解体された。事故以外での量産車の廃車は初。
  • 2006年10月19日:中央線快速のT6編成(クハ201-26以下10両)が廃車された。編成単位における量産車としては初の廃車。
    • 12月20日:大和路線でウグイス色の6両編成が営業運転を開始。
  • 2007年3月18日:京阪神緩行線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線)から撤退。
    • 3月 - 4月ごろ:豊田電車区から京葉電車区に10両2本 (T130, T132) が転属、京葉所属初の貫通編成となるK70・74編成が登場。
  • 2008年(平成20年)3月15日おおさか東線でウグイス色の6両編成が営業運転を開始[67]
    • 3月26日:四季彩を除く青梅線・五日市線用の車両が営業運転を終了する。
    • 6月19日:四季彩を除く青梅線・五日市線用の車両が廃車される。
    • 7月20日:四季彩が営業運転を終了する。
    • 12月:京葉線用の10両貫通編成が廃車回送される。
    • 12月:大阪環状線に最後まで残っていたスカイブルーの編成がオレンジに塗装変更される[54]
  • 2010年2月1日 - 3月31日:中央線快速において本系列の営業運転開始30周年を記念し、「201系愛されて30周年キャンペーン」を開催[68]
  • 2011年
    • 6月20日:京葉線・外房線・東金線用の車両がすべて営業運転を終了した。同時にJR東日本から事実上全廃された[注 41]
  • 2012年
    • 11月30日:吹田総合車両所森ノ宮支所の201系LB8編成がLED式の行先表示器に更新され、運転を開始した。これを手始めに更新工事は奈良支所の201系を含む他の編成にも波及した。
  • 2016年
    • 9月30日:大和路線ダイヤ改正により、大阪環状線用の8両編成が大和路線直通の快速運用から撤退。
  • 2017年
    • 11月:森ノ宮支所から奈良支所へ2両減車した6両編成(旧LB8編成)が、オレンジからウグイス色へ塗装変更した上で転属。以後も同様の転属が続く。
  • 2019年
  • 2020年度〜2023年度(予定)

登場した作品

アニメ

映画

コンピューターゲーム

脚注

注釈

  1. ^ 行先表示器設置箇所は下段上昇・バランサーなし上段下降式。
  2. ^ 当時落成していた103系と同一のタイプ。
  3. ^ 1次 - 3次量産車(1980年(昭和55年)度1次 - 3次債務製造分
  4. ^ 4次量産車以降(1981年(昭和56年)度1次債務製造分以降)外キセをステンレスとし、省エネルギーと軽量化を図ったタイプ
  5. ^ 同じ黒色板を前面ガラス越しとして採用した211系電車では、後になって白化現象を発生した。
  6. ^ 2001年に鋼製通風器脱落事故が発生したことにより他系列を含めて、JR東日本ではステンレス帯板による取付け補強工事が、JR西日本では通風器撤去を実施する一因にもなった。
  7. ^ リレー・スイッチ類を内蔵する。
  8. ^ 1970年代初頭の段階で、電機子チョッパ制御は高加減速性能が要求され、最高速度が低くしかも発熱を極力抑えることが求められる地下鉄用には好適であるが、高速運転する近郊電車には向かない方式であると評価されていた。
  9. ^ 1974年(昭和49年)には103系を用いたチョッパ制御器の現車試験によって実用可能であることが確認されていた。
  10. ^ 定格回転数1630rpm〈全界磁)/最高回転数4320rpm。
  11. ^ 定格回転数1350rpm〈85%界磁)/最高回転数4400rpm。
  12. ^ なお、定格出力・定格速度が高いため弱め界磁は45%までとしている。
  13. ^ 民営化以降、JR東日本ではATS-P導入時に非常抜き取り対応改造が施され当該ブレーキ弁はME48P形に形式を変更した。
  14. ^ 抵抗で熱に変えた分回生電力量は減少するが、より高速から回生ブレーキが作用するため、直列抵抗を使用しなかった場合よりも総回生電力量は多くなる。
  15. ^ これはその後他系列でも更新や新造の際に採用した車両も存在する。
  16. ^ 座席モケットに使われた2色は、同時期に設計・製造された車両の座席モケットにも採用されている。117系185系キハ183系0番台→茶色・781系電車→オレンジ色。後者2形式にはアクセントとして、同系色と黒の縦ラインが複数配されている。
  17. ^ 一部の間合い線内運用を含む。
  18. ^ 富士急行線の地上設備側の制約により、6両編成+4両編成による10両編成中の4両付属編成のみ乗り入れを実施。
  19. ^ このステッカーはこのほか横浜線南武線の車両にも見られたほか、JR東日本の駅構内の飲食店などの施設の自動ドアにも貼付されていることがある。
  20. ^ 中央線快速用とは異なり青地のものを使用しており、裏面に「青梅・五日市線用201系 中央線快速には使用できません」の注意書きが表記されている。
  21. ^ 中央線快速用は高尾寄りが6両編成、青梅・五日市線用は奥多摩寄りが4両編成である。
  22. ^ 103系と本系列の幕に互換性はない。
  23. ^ 最終的には72編成の中間組成先頭車の正面幕のみが白地・黒文字(京葉線)表示だった。
  24. ^ 特別快速で河口湖や武蔵五日市などへの運用で分割された中間車は特別快速の表示がなかったが、これも新車投入を見越したものとされる。
  25. ^ それらはいずれも6+4編成であるが、分割せずに10両固定運用で使用された。
  26. ^ 実車の解体日の方が書類上の廃車日より早かった。
  27. ^ 先頭車の一方が制御電動車のクモハ200形で床下に充分な空きスペースが無く、ATS-Pが搭載が難しく首都圏で本格導入された1989年ごろから試作車編成の先頭車両を量産車の中間に組み込んで使用していた。
  28. ^ この209系500番台による置き換え時点で、比較的新しく、中間クハに電気連結器を装備せず非分割編成であった72編成をデジタル無線装置搭載対象にするために、電気連結器装備のクハ201-37・クハ200-36を代わりに組み込んで分割編成に改めたと言える。
  29. ^ 廃車時に製造所・落成年月日が異なる車両で編成を組んでいたのは、同じ京葉線のケヨ71(クハ201-7以下10両)、中央線快速のT101(←T1、クハ201-13以下10両)、T104(←H4、クハ201-11以下10両)、T117(←T17←H30、クハ201-8以下10連)、青梅・五日市線の青5(クハ201-84以下4両)、青71(クハ201-153以下6両)の6本がある(廃車回送のための一時的な編成替えを除く)。また「四季彩」(クハ201-134以下4両)が中央線快速用として使用されていた時代に、製造所・落成日の異なる車両と10両を組んでいた。
  30. ^ 昼間の快速列車を高槻駅 - 京都駅間で各駅停車とすることで、普通列車の運転系統を高槻駅 - 西明石駅・加古川駅間に短縮したため。
  31. ^ クッションの素材は207系と異なるものである。
  32. ^ 当初は使用可能な設備でラッシュ時の輸送力を確保するため、朝ラッシュ時の上り列車(神戸駅 - 西明石駅間)は全列車各駅停車としており、ホーム有効長の関係から最長8両編成とされたために輸送力が地震前と比較して大幅に不足していた。
  33. ^ 朝ラッシュ時の上り列車に比べて下り列車は乗客が少ないため、下りホーム延伸は見送られた。
  34. ^ おおさか東線開業に伴い所要増となったため予定より配置が2本増加したにもかかわらず、2018年2月までは103系6両編成の完全置き換えには至っていなかった。
  35. ^ この転配により、一旦スカイブルーからオレンジに塗装を変更したものの、再度塗装変更され奈良電車区へ転出した車両もある。
  36. ^ 所属基地の表記は大阪支社森ノ宮電車区を示す「大モリ」に書き換えられた
  37. ^ 天王寺駅で見れば車両の向きは森ノ宮区配置の201系と同一となる。
  38. ^ Tc122+M273+M'273+M243+M'243+M274+M'274+T'c122
  39. ^ M273+M'273を脱車したTc122+M243+M'243+M274+M'274+T'c122
  40. ^ 中央緩行線でも運用。
  41. ^ クハ201-1のみ保留車として豊田車両センターに在籍している。

出典

  1. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.10
  2. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.12
  3. ^ 多摩川新聞社「京浜急行今昔物語」p.116
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.15
  5. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.13
  6. ^ 鉄道ピクトリアル国鉄形車両ライブラリー105系電車 2018, p. 7.
  7. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.48
  8. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.49
  9. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.53
  10. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.46"
  11. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.51
  12. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.50
  13. ^ 『鉄道ファン』通巻246号、p.54
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参考文献

鉄道ファン
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  • 鉄道友の会東京支部JR電車部会「201系四半世紀の歩み」『鉄道ファン』第526号、交友社、2005年2月、6 - 69頁。 
  • 桑原清充(JR西日本鉄道本部運輸部輸送計画課)「201・205系の動向について」『鉄道ファン』第554号、交友社、2007年6月、100 - 103頁。 
  • 鉄道友の会東京支部JR電車部会「平成19年3月18日ダイヤ改正で変化した 中央快速線の分割運用」『鉄道ファン』第554号、交友社、2007年6月、70 - 71頁。 
  • 2005年5月号 No.529 pp.140 - 145 特集:201系四半世紀の歩み〔補遺〕
  • 鉄道友の会東京支部JR電車部会「中央線快速ものがたり後編 201系の時代 - E233系の登場へ」(交友社『鉄道ファン』2007年3月号 No.551 p.18 - 31)
鉄道ピクトリアル
  • 編集部「201系・203系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』第774号、電気車研究会、2006年4月、10 - 24頁。 
  • 1996年3月号 No.618 特集:中央快速
  • 2007年11月号 No.796 特集:中央線快速電車
J-train
  • 石田敦巳「終焉。首都圏の鋼製通勤電車 京葉線201系の10年」『J-train』第43号、イカロス出版、2011年10月、56 - 59頁。 
  • イカロス出版『季刊j train』2008年 Vol.29・Vol.30 さらば201系(上・下)
その他

外部リンク