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「16区 (パリ)」の版間の差分

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* [[エミール・ヴォードルメール]](建築家) - ジョルジュ=マンデル大通り27番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
* [[エミール・ヴォードルメール]](建築家) - ジョルジュ=マンデル大通り27番地に居住<!--当通りフランス語版より-->
* [[エクトール・ギマール]](建築家、[[アールヌーヴォー]]の代表的人物) - 1913-1930年の間、モザール通り122番地のギマール館([[:fr:Hôtel Guimard|fr]]) に居住<!--当通りフランス語版より-->。その他[[オートゥイユ]]には、フリリエール大通り ([[:fr:Avenue de La Frillière|fr]]) の旧サクレ=クール小 (École du Sacré-Cœur, 1895年) などギマール作品が数多く残っている。
* [[エクトール・ギマール]](建築家、[[アールヌーヴォー]]の代表的人物) - 1913-1930年の間、モザール通り122番地のギマール館([[:fr:Hôtel Guimard|fr]]) に居住<!--当通りフランス語版より-->。その他[[オートゥイユ]]には、フリリエール大通り ([[:fr:Avenue de La Frillière|fr]]) の旧サクレ=クール小 (École du Sacré-Cœur, 1895年) などギマール作品が数多く残っている。
* [[ル・コルビュジエ]](建築家) - [[ブローニュ=ビヤンクール]]境界界隈ナンジェセール・エ・コリ通り ([[:fr:Rue Nungesser-et-Coli|fr]]) 24番地の「イムーブル・モリトー ([[:fr:Immeuble Molitor|fr]])」 は、1935年から亡くなる1965年までアトリエ兼居住した建物で、現在コルビュジエ財団になっている<ref>{{Lien web|format=Pdf |titre=Appartement-atelier de Le Corbusier |url=http://www.fondationlecorbusier.fr/CorbuCache/2049_3994.pdf |date= |site=www.fondationlecorbusier.fr |consulté le=20 septembre 2016}}.<br/>ちなみに、コルビュジエはメトロ10番線に乗り、事務所があるサンジェルマンの[[セーヴル=バビロヌ駅]]まで通勤していたとのこと({{Lien web|format= |titre=ル・コルビュジェが生涯を過ごしたアトリエとアパート text : taco|url=https://www.vogue.co.jp/blog/taco/archives/1952 |date=26/4 2014 |site=www.vogue.co.jp |consulté le=2/5 2019}})。</ref>。その他オートゥイユ界隈のメゾン・ラ・ロッシュ ([[:fr:Maison La Roche|Maison La Roche]])、メゾン・ジャヌレ ([[:fr:Maison Jeanneret|Maison Jeanneret]])やブローニュ=ビヤンクール界隈に建築作品が残る。
* [[ル・コルビュジエ]](建築家) - [[ブローニュ=ビヤンクール]]境界界隈ナンジェセール・エ・コリ通り ([[:fr:Rue Nungesser-et-Coli|fr]]) 24番地の「イムーブル・モリトー ([[:fr:Immeuble Molitor|fr]])」 は、1935年から亡くなる1965年までアトリエ兼居住した建物で、現在コルビュジエ財団になっている<ref>{{cite web2|title=Appartement-atelier de Le Corbusier|url=http://www.fondationlecorbusier.fr/CorbuCache/2049_3994.pdf|website=www.fondationlecorbusier.fr|format=Pdf|access-date=20 September 2016|publication-date=}}.<br/>ちなみに、コルビュジエはメトロ10番線に乗り、事務所があるサンジェルマンの[[セーヴル=バビロヌ駅]]まで通勤していたとのこと({{cite web2|title=ル・コルビュジェが生涯を過ごしたアトリエとアパート text : taco|url=https://www.vogue.co.jp/blog/taco/archives/1952|website=www.vogue.co.jp|date=26/4 2014|access-date=2/5 2019|publication-date=}})。</ref>。その他オートゥイユ界隈のメゾン・ラ・ロッシュ ([[:fr:Maison La Roche|Maison La Roche]])、メゾン・ジャヌレ ([[:fr:Maison Jeanneret|Maison Jeanneret]])やブローニュ=ビヤンクール界隈に建築作品が残る。
* [[オーギュスト・ペレ]](建築家) - [[モダニズム建築#特徴|鉄筋コンクリート建物の先駆]]たる1902-04年に自ら建築した16区フランクラン通りの建物最上階の他、1932年から亡くなる1954年まで自ら建築したパッシー通り裏手ベルトン通り([[:fr:Rue Berton|fr]], レヌアール通り([[:fr:Rue Raynouard|fr]])51-55番地側)に居住(現在は[[国際建築家連合]]事務局<!--https://whc.unesco.org/archive/websites/valencia/us/conference/institutions/pgs.instit/uia.htm を参照-->)<!--Fichier:Plaque Auguste Perret, 51-55 rue Raynouard, Paris 16.jpg を参照。画像解説文は、Plaque commémorative au numéro51-55 de la rue Raynouard, dernier domicile parisien d'Auguste Perret et siège actuel de l'Union internationale des architectes-->。事務所はブローニュ=ビヤンクール。第二次大戦後の崩壊した[[ル・アーヴル]]の街づくりの中心人物。 
* [[オーギュスト・ペレ]](建築家) - [[モダニズム建築#特徴|鉄筋コンクリート建物の先駆]]たる1902-04年に自ら建築した16区フランクラン通りの建物最上階の他、1932年から亡くなる1954年まで自ら建築したパッシー通り裏手ベルトン通り([[:fr:Rue Berton|fr]], レヌアール通り([[:fr:Rue Raynouard|fr]])51-55番地側)に居住(現在は[[国際建築家連合]]事務局<!--https://whc.unesco.org/archive/websites/valencia/us/conference/institutions/pgs.instit/uia.htm を参照-->)<!--Fichier:Plaque Auguste Perret, 51-55 rue Raynouard, Paris 16.jpg を参照。画像解説文は、Plaque commémorative au numéro51-55 de la rue Raynouard, dernier domicile parisien d'Auguste Perret et siège actuel de l'Union internationale des architectes-->。事務所はブローニュ=ビヤンクール。第二次大戦後の崩壊した[[ル・アーヴル]]の街づくりの中心人物。 
* [[モリエール]](劇作家、俳優) - 生まれは現在の[[1区 (パリ)|1区]][[サントノーレ通り|サントノレ通り]]界隈<!--:en:Neuilly-Auteuil-Passy より-->
* [[モリエール]](劇作家、俳優) - 生まれは現在の[[1区 (パリ)|1区]][[サントノーレ通り|サントノレ通り]]界隈<!--:en:Neuilly-Auteuil-Passy より-->
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=== 学者 ===
=== 学者 ===
* [[エリック・オルセナ]](経済学者・作家)
* [[エリック・オルセナ]](経済学者・作家)
* [[フランソワーズ・ドルト]](女性精神分析医) - 若年期にトロカデロ界隈ヴィヌーズ通り ([[:fr:Rue Vineuse|Rue Vineuse]]) で育ったことを回想し<ref>{{Ouvrage|langue=fr|prénom1=Françoise|nom1=Dolto|titre=Enfances|éditeur=Le Seuil|date=2016-02-26|isbn=9782021326406|lire en ligne=https://books.google.fr/books?id=esSjCwAAQBAJ&pg=PT42&dq=francoise+dolto+rue+vineuse&hl=fr&sa=X&ved=0ahUKEwir_c7N3p7eAhWL2ywKHURCCGEQ6AEIOzAE#v=onepage&q=francoise%20dolto%20rue%20vineuse&f=false|consulté le=2018-10-24}}</ref><ref>{{Lien web|langue=fr-FR|nom1=Ina.fr|prénom1=Institut National de l’Audiovisuel-|titre=Françoise Dolto|url=http://www.ina.fr/audio/PHD98037409|site=Ina.fr|consulté le=2018-12-20}}</ref>、1988年に5区で死去<!--当人フランス語版参照-->。
* [[フランソワーズ・ドルト]](女性精神分析医) - 若年期にトロカデロ界隈ヴィヌーズ通り ([[:fr:Rue Vineuse|Rue Vineuse]]) で育ったことを回想し<ref>{{Ouvrage|langue=fr|prénom1=Françoise|nom1=Dolto|titre=Enfances|éditeur=Le Seuil|date=2016-02-26|isbn=9782021326406|lire en ligne=https://books.google.fr/books?id=esSjCwAAQBAJ&pg=PT42&dq=francoise+dolto+rue+vineuse&hl=fr&sa=X&ved=0ahUKEwir_c7N3p7eAhWL2ywKHURCCGEQ6AEIOzAE#v=onepage&q=francoise%20dolto%20rue%20vineuse&f=false|consulté le=2018-10-24}}</ref><ref>{{cite web2|title=Françoise Dolto|url=http://www.ina.fr/audio/PHD98037409|last=Ina.fr|first=Institut National de l’Audiovisuel-|website=Ina.fr|language=fr-FR|access-date=2018-12-20|publication-date=}}</ref>、1988年に5区で死去<!--当人フランス語版参照-->。
* [[レジス・ドゥブレ]](哲学者)
* [[レジス・ドゥブレ]](哲学者)


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=== 芸能 ===
=== 芸能 ===
* [[カトリーヌ・ドヌーヴ]]、[[フランソワーズ・ドルレアック]](女優姉妹) - 両人とも出生は[[17区 (パリ)|17区]]内のクリニック<!--フランス語版17区シテ・デ・フルール参照-->、育ちは{{仮リンク|ミュラ大通り|fr|Boulevard Murat}}界隈<!--Ses interviews / Presse 1960-79 / L'Express 1966 (http://toutsurdeneuve.free.fr/Francais/Pages/Interviews_Presse6079/Express66.htm) , フランス語版 fr:Boulevard Muratより-->。ドヌーヴは1960年代に16区トロカデロ界隈ヴィヌーズ通り ([[:fr:Rue Vineuse|Rue Vineuse]]) に[[ロジェ・ヴァディム]]と居住し<ref>{{Lien web|langue=|titre=Interview accordée au magazine ''L'Express'' en 1966|url=http://toutsurdeneuve.free.fr/Francais/Pages/Interviews_Presse6079/Express66.htm|site=|date=|consulté le=}}.</ref><ref>{{Lien web|langue=|titre=Paris Cinéma Région : les adresses de Catherine Deneuve|url=http://www.pariscinemaregion.fr/adresses-de-catherine-deneuve|site=|date=|consulté le=}}.</ref>、後年、同ラ・ミュエット地区西側のイムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--http://www.lepoint.fr/societe/le-prince-des-escroqueries-a-la-tva-cyril-astruc-s-est-volatilise-22-06-2017-2137320_23.php 参照-->。
* [[カトリーヌ・ドヌーヴ]]、[[フランソワーズ・ドルレアック]](女優姉妹) - 両人とも出生は[[17区 (パリ)|17区]]内のクリニック<!--フランス語版17区シテ・デ・フルール参照-->、育ちは{{仮リンク|ミュラ大通り|fr|Boulevard Murat}}界隈<!--Ses interviews / Presse 1960-79 / L'Express 1966 (http://toutsurdeneuve.free.fr/Francais/Pages/Interviews_Presse6079/Express66.htm) , フランス語版 fr:Boulevard Muratより-->。ドヌーヴは1960年代に16区トロカデロ界隈ヴィヌーズ通り ([[:fr:Rue Vineuse|Rue Vineuse]]) に[[ロジェ・ヴァディム]]と居住し<ref>{{cite web2|title=Interview accordée au magazine ''L'Express'' en 1966|url=http://toutsurdeneuve.free.fr/Francais/Pages/Interviews_Presse6079/Express66.htm|publication-date=}}.</ref><ref>{{cite web2|title=Paris Cinéma Région : les adresses de Catherine Deneuve|url=http://www.pariscinemaregion.fr/adresses-de-catherine-deneuve|publication-date=}}.</ref>、後年、同ラ・ミュエット地区西側のイムーブル・ワルテール ([[:fr:Immeubles Walter|Immeubles Walter]]) に居住<!--http://www.lepoint.fr/societe/le-prince-des-escroqueries-a-la-tva-cyril-astruc-s-est-volatilise-22-06-2017-2137320_23.php 参照-->。
* [[ジャック・フランソワ]](男優)
* [[ジャック・フランソワ]](男優)
* [[フランソワ・ベルレアン]](男優)
* [[フランソワ・ベルレアン]](男優)

2021年4月15日 (木) 22:47時点における版

パリ・16区の位置
地図
パリ・16区の位置

パリ16区 (16く、16e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。第16区、パリ16区ともいう。市の西部に位置しており、ブローニュの森を含む。南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。

概要

パリの16区は、市の西部にある行政区。「パッシー区 (Arrondissement de Passy)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川が南北に蛇行する区域にあり、区の東西はセーヌ川に面している。ペリフェリック(パリ環状道路)が区の中央部を縦断しており、その西側がブローニュの森となっている。20区のうちでは12区に次いで2番目に大きい。人口は、161,773人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその16番目にあたることから「16区」と名づけられた。

セーヌ川を挟んでエッフェル塔の対岸にあたる16区北側地域一帯は「パッシーPASSY)」と呼ばれ[3]、“貴族街”と呼ばれるアンヴァリッド地区あるいはフォーブール・サンジェルマン界隈(7区)と並んで旧貴族や富裕層が住む高級住宅街として有名である[4]

メトロ パッシー駅, ビラケム橋

16区の主要な施設としては、シャイヨ宮トロカデロ・11月11日広場(トロカデロ広場)、パリ市立近代美術館パルク・デ・プランスなどのほか、8区17区との境界にエトワール凱旋門がある。また、ブローニュの森 には、バガテル庭園ダクリマタシオン遊園地パリロンシャン競馬場スタッド・ローラン・ギャロスなどがある。

なお、セーヌ川に沿った地域のうち、イエナ橋より上流は「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

地理

パリ・16区の概略図

16区は、パリの西部に位置している。南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域にあり、東西でセーヌ川に接している。市内では、セーヌ川の北岸地域にあたり [5]エッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園の対岸にある。ペリフェリック (パリ環状道路)が、区のほぼ中央部を縦断しており、その西側の地域はブローニュの森となっている。面積は16.31 平方キロメートルで、20区のうちでは12区に次いで2番目に大きい。ブローニュの森を除くと7.85 平方キロメートルとなる。

エッフェル塔からパッシーを望む。奥にブローニュの森、下はシャイヨ宮

北は、同じパリの行政区である8区17区に接しているが、ペリフェリック以西はオー=ド=セーヌ県自治体であるヌイイ=シュル=セーヌに接している。南は、同じくオー=ド=セーヌ県のブローニュ=ビヤンクールに接している。東は、セーヌ川を挟んで7区15区に接している。西は、南から蛇行してきたセーヌ川を挟んで、北西はピュトー、西はシュレンヌ、南西はサン=クルーの各自治体に接している。

Rue Agar

地形

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

カルティエ区分図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。16区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

エッフェル塔から見るシャイヨ地区

住民

人口

16区の人口は、1962年に227,418人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年にはピーク時の7割程度の161,773人となった。2005年の推計では146,900人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度(区の面積からブローニュの森を除いて算出)は、ピーク時の7割程度の20,619人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 43,332 1,851,792 2.34% 5,523 21,303
1954年 214,042 2,850,189 7.51% 27,280 32,788
1962年 227,418 2,790,091 8.15% 28,985 32,097 人口がピークに達する。
1968年 214,120 2,590,771 8.26% 27,290 29,804
1975年 193,590 2,299,830 8.42% 24,674 26,457
1982年 179,446 2,176,243 8.25% 22,871 25,035
1990年 169,863 2,152,423 7.89% 21,650 24,761
1999年 161,773 2,125,246 7.61% 20,619 24,449
2005年 146,900 2,166,200 6.78% 18,723 24,920 人口は推計。

歴史

政治・行政・司法

主な官公庁・公共機関

国際機関

OECD本部(旧ラ・ミュエット宮殿), 2019年

外国の施設

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16区内には各国大使館等が多く所在する。モナコトルコロシアボリビア旧仏領アフリカ諸国など90ヶ国以上の駐仏大使館が16区内にあり、フランス駐在大使館の約4割が集中する。

マスコミ

旧ブーランヴィリエ城(fr、現ラジオ・フランス)。または "パッシー城"

放送局(テレビ・ラジオ)

経済

主な企業

主な店舗・商業施設

  • パッシー・プラザ(Passy Plaza
  • フランク・エ・フィス(Franck et Fils
    • パッシー通り80番地にあったプチ高級百貨店だったが2016年7月閉店。跡には、7区セーヴル通り (Rue de Sèvres) 38番地にあり、ボン・マルシェ百貨店隣り、かつ同系列の高級食品店ないしスーパーの「ラ・グランド・エピスリー・ド・パリ (La Grande Epicerie de Paris)」2号店が2017年秋にオープン。
  • ベル=フイユ・ショッピングセンター(Centre Commercial des Belles Feuilles
    • メクシコ広場からブローニュの森まで640mあるポルト=ドーフィーヌ地区ベル=フイユ通り(Rue des Belles-Feuilles)沿い、16番地界隈にあるショッピングセンター。
  • セリーヌ[要曖昧さ回避]Celine
  • バカラ・メゾン・パリ(Baccarat
    • 2003年に開館したクリスタルガラスのバカラのブティックや美術館。エトワール凱旋門から凡そ500m南側、イエナ大通り沿い合衆国広場 (エタ=ジュニ広場, Place des Étas-Unis) 11番地にある。ブティックの他、レストラン&バー (クリスタルルーム・バカラ・パリ)、バカラ美術館 (ギャルリー=ミュゼ・バカラ) がある。建物自体は、芸術関連のメセナや、建築上「ノアイユ子爵夫妻邸 (ヴィラ・ノアイユ)」で知られるシャルル・ド・ノアイユ (fr)の妻マリ=ロール・ド・ノアイユ (fr) が社交や居住に用いた館であった。その他、8区フォーブール=サントノレ通りや百貨店等に店舗がある。

健康・福祉

保健・医療

墓地等

学術・研究

研究施設

教育

大学等

  • パリ第9大学 (パリ・ドーフィーヌ) (Université Paris IX (Paris Dauphine)

高等学校

※ 以下、区内の主なリセをピックアップ。

宿泊施設

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主な宿泊施設

文化施設

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美術館・博物館

動物園・水族館

映画館・劇場

  • シャイヨ劇場 (Théâtre National de Chaillot) - シャイヨ宮内にある。
  • マジェスティック・パッシー (Majestic Passy) - パッシー通りにある映画館。

その他

体育施設

ロンシャン淑女たち (Mesdames à Longchamp), 1908年

陸上競技場・体育館など

その他

宗教施設

教会・寺院

ノートル=ダム=ド=グラス・ド・パッシー教会
ノートル=ダム=ドートゥイユ教会
エッフェル塔からトロカデロ庭園及びシャイヨ宮の眺め

観光・憩い

自然

建築

バガテル庭園及びバガテル城

公園・緑地等

名所・娯楽

交通

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鉄道

高速道路・有料道路

道路

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左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔 左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔 左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔
左から、メクシコ広場からトロカデロ広場へ走るエロー大通り (Avenue d'Eylau)、同大通りから見るエッフェル塔、トロカデロ広場から見るエッフェル塔

橋梁

16区は、南北に蛇行するセーヌ川に挟まれた区域であり、区の東西でセーヌ川に接している。そのため、橋梁については、区の東側と西側に分けて記述する。

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区東側

16区の東側では、セーヌ川は北から南へ流れる。セーヌ川に架かる橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

区西側

16区からパリ市外に出たセーヌ川は蛇行して、南から北へ大きく方向を変え、16区の西側(すなわち、ブローニュの森の西側)で再び接する。橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

広場・交差点

画像をクリックして拡大

パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もある。16区の広場や交差点には、次のようなものがある。

著名な居住者

王侯貴族・軍人

政治

財界・富豪

学者

文化

芸能

ヴィラ・モンモランシー (Villa Montmorency) 居住者

スポーツ

その他

著名な出身者

政治

学者

文化

芸能

その他

その他ゆかりのある人

王侯貴族・軍人

政治

財界

文化

芸能

その他

16区を舞台にした作品

映画

脚注

  1. ^ フランス語の 「16e 」 = 「seizième 」 は、英語の「sixteenth 」 に相当する序数。「第16の」 「16番目の」を意味する。したがって、原語の「16e arrondissement 」を直訳し すると「第16区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 元々、南側地域一帯は「オートゥイユAUTEUIL)」と呼ばれ、「パリ改造」の流れの中で1860年にパッシー及びオートイユの二つのコミューヌが合併して「16区」が設立された。
  4. ^ リセ・ジャンソン=ド=サイイフランス語版英語版記述によると、当校が"パリの最名門校の一校"とされている理由としては、"高級な16区"に居住する上流階級貴族階級の子弟が通っているからだと、社会学者のミシェル・パンソンフランス語版モニーク・パンソン=シャルロフランス語版らは言う。また、フランスの人気お笑いトリオ「レ・ザンコンニュ (Les Inconnus)」は、 ラップ調の曲『Auteuil Neuilly Passy (Rap B.C.B.G.)』(1991年)で、"オートゥイユ ヌイイ パッシー、コレが深窓のお坊ちゃまのゲットー"シニカルウイットたっぷりに表現した。
  5. ^ セーヌ川の右岸にあたる。
  6. ^ ディネ・アン・ブラン 東京
  7. ^ 但し、居住用ではない「フォリー」とは異なる
  8. ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.144.
  9. ^ 同通り5番地は,「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972) やジャン=ポール・ベルモンド「プロフェッショナル」(1981) の映画ロケ地。
  10. ^ ラデュレと同グループで、国内外各店あわせて620店舗展開するリールに本社を置くブーランジュリーないしパティスリーのチェーン店。
  11. ^ 山口昌子 『フランスよ、どこへ行く』、産経新聞社、2007年、p.315.
  12. ^ メルヴェイユ (fr) で内外で知られ、パリ4区ヴィエイユ=デュ=タンプル通り (Rue Vieille-du-Temple)、5区モンジュ通り (Rue Monge)、7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique)、その他12区15区17区やブローニュ=ビヤンクールなどパリ市内外、リールボルドー、ロンドンケンジントン在英仏大使館界隈やベルギードイツなど欧州域内でも展開するパティスリーチェーン店。
  13. ^ パッシー通り クラシックとカジュアルが同居するフランス観光開発機構
  14. ^ 共にパリ6区ジャコブ通りや東京の表参道界隈等にブティックを持ち、同じくファッションデザイナーのジェローム・ドレフュス (Jérôme Dreyfuss) は夫。
  15. ^ 1986年にフランス学士院付属ティエール財団 (Fondation Thiers) が売りに出し、英政治家の所有クラブを経て、1990年に現在のホテルになった。五つ星の同ホテルは、フォッシュ大通り至近のブジョーとベル=フイユ通り (fr) とに挟まれた場所にある。ベル=フイユ通りにはチャドやコンゴ共和国、ベナン、カメルーンなど旧仏領サブサハラアフリカ諸国の大使館が軒を連ねる。また、1930年代のカルティエの宝飾品(アンティークジュエリー)デザイナーを務めたアンヌ=トゥサン (fr) 等が同ベル=フイユ通りに居住していた。
  16. ^ Emmanuel Rubin, «Ces trente tables qui ont changé le goût de Paris», Le Figaroscope, semaine du mercredi 20 au 26 décembre 2017, p. 10-11.
  17. ^ Jean-Luc Barré, François Mauriac, biographie intime, t. I : 1885-1940, Éditions Fayard, 2009 ISBN 978-2-213-62636-9, p. 219 et 450.
  18. ^ Marie-Dominique Lelièvre, Brigitte Bardot. Plein la vue, Flammarion, 2012, ISBN 978-2081246249, p. 15.
  19. ^ Marie-Dominique Lelièvre, Jacques Attali. Plein la vue, Flammarion, 2012, p. 15.
  20. ^ « 2013 DU 243 Attribution à une voie de la dénomination “allée Irène Némirovsky” (15e) », paris.fr, consulté le 20 juin 2018.
  21. ^ サンジェルマン=デプレ地区界隈のパリ7区バック通り69番地、パリ6区サン=シュルピス通り34番地、ヌイイ=シュル=セーヌシェルなどの他、2018年12月から2019年12月まで東京南青山6丁目でも展開していた、パリ唯一のビントゥバー(豆から板チョコまで)を謳うショコラトリー。
  22. ^ Béatrice Gurrey, « Jérôme Solal-Céligny, l’inconnu de la rédaction de la Constitution de 1958 » Le monde fr, 2018年9月27日
  23. ^ « Une salle en délire pour la première collection d'Yves Saint Laurent » Le Figaro fr, 1962年1月29日
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    Entreprise Madame Olivia De Havilland à Paris (75116) Le figaro.fr économie,
    American actress Olivia de Havilland posing in her Paris apartment located 3 rue Bénouville in the 16th arrondissement. c.1969 Alamy (Photo Michael Holtz)
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    ちなみに、コルビュジエはメトロ10番線に乗り、事務所があるサンジェルマンのセーヴル=バビロヌ駅まで通勤していたとのこと("ル・コルビュジェが生涯を過ごしたアトリエとアパート text : taco". www.vogue.co.jp. 26/4 2014. 2/5 2019閲覧 {{cite web}}: |access-date=|date=の日付が不正です。 (説明))。
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参考文献

  • MICHELIN編、『Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud – 』、ISBN 978-2-06-710591-1、MICHELIN、2007年 (仏語。パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク