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[[学校法人石川高等学校・石川義塾中学校|学校法人石川高等学校]]を卒業後、5回目の受験で日本競輪学校に入学。本人曰く、度々受験に失敗した理由は学科試験にあるといい「学科試験のなくなった今なら一発で合格していましたよ。」と回想している。デビューの1年後にS級に特別昇班し、[[2005年]]の[[ヤンググランプリ]]で優勝。翌[[2006年]]には[[伊東温泉競輪場]]で[[東西王座戦|東王座戦]]に優勝すると、さらには[[高松宮記念杯競輪]]で[[競輪の競走格付け#GI (G1)|GI]]初優勝を果たし、一気にトップスターの仲間入りを果たした。 |
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[[2007年]]には年明け最初のGI[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭]]を優勝しGI2勝目を奪取。その後8月には[[函館競輪場]]で行われた[[ふるさとダービー]]を制し、12月にも[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]を優勝してGI年間2勝目を挙げた。[[2008年]]には[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント| |
[[2007年]]には年明け最初のGI[[朝日新聞社杯競輪祭|競輪祭]]を優勝しGI2勝目を奪取。その後8月には[[函館競輪場]]で行われた[[ふるさとダービー]]を制し、12月にも[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]を優勝してGI年間2勝目を挙げた。[[2008年]]には[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寬仁親王牌]]を制覇している。 |
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[[2009年]]は1月の競輪祭と8月の全日本選抜決勝で優勝し、[[2010年]]には9月に地元の[[いわき平競輪場]]で開催された[[オールスター競輪]]を優勝するなど、これまで2006年以降年間1つ以上のGIタイトルを獲得しており、これで5種目のGIを制覇したことになった。 |
[[2009年]]は1月の競輪祭と8月の全日本選抜決勝で優勝し、[[2010年]]には9月に地元の[[いわき平競輪場]]で開催された[[オールスター競輪]]を優勝するなど、これまで2006年以降年間1つ以上のGIタイトルを獲得しており、これで5種目のGIを制覇したことになった。 |
2021年4月27日 (火) 21:28時点における版
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基本情報 | ||||
本名 |
山崎 芳仁 やまざき よしひと | |||
生年月日 | 1979年6月12日(45歳) | |||
国籍 | 日本 | |||
身長 | 174cm | |||
体重 | 75kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会福島支部 | |||
期別 | 88期 | |||
分野 | 競輪 | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | 先行・捲り | |||
アマチュア経歴 | ||||
1996-1998 | 学校法人石川高等学校 | |||
プロ経歴 | ||||
2003- | 日本競輪選手会福島支部 | |||
主要レース勝利 | ||||
高松宮記念杯競輪 2006 競輪祭 2007 2009.1 全日本選抜競輪 2007 2009 2015 寛仁親王牌 2008 オールスター 2010 2012 ふるさとダービー 1回 東日本王座決定戦 2006 ヤンググランプリ 2005 共同通信社杯秋本番2009 S級S班 2008 - 2011 2013 2016 | ||||
最終更新日 2015年2月15日 |
山崎 芳仁(やまざき よしひと、1979年6月12日 - )は競輪選手。福島県いわき市出身。日本競輪学校第88期卒業。日本競輪選手会福島支部所属。師匠は添田広福。初出走は2003年7月14日の西武園競輪場で初勝利は同開催の翌日。血液型はAB型。
戦績
学校法人石川高等学校を卒業後、5回目の受験で日本競輪学校に入学。本人曰く、度々受験に失敗した理由は学科試験にあるといい「学科試験のなくなった今なら一発で合格していましたよ。」と回想している。デビューの1年後にS級に特別昇班し、2005年のヤンググランプリで優勝。翌2006年には伊東温泉競輪場で東王座戦に優勝すると、さらには高松宮記念杯競輪でGI初優勝を果たし、一気にトップスターの仲間入りを果たした。
2007年には年明け最初のGI競輪祭を優勝しGI2勝目を奪取。その後8月には函館競輪場で行われたふるさとダービーを制し、12月にも全日本選抜競輪を優勝してGI年間2勝目を挙げた。2008年には寬仁親王牌を制覇している。
2009年は1月の競輪祭と8月の全日本選抜決勝で優勝し、2010年には9月に地元のいわき平競輪場で開催されたオールスター競輪を優勝するなど、これまで2006年以降年間1つ以上のGIタイトルを獲得しており、これで5種目のGIを制覇したことになった。
グランドスラムまで残すタイトルは日本選手権競輪であったが、2012年日本選手権競輪の決勝は最終3コーナーから捲りを放って直線では外から一気に伸びたものの、インを突いて伸びた同県の成田和也に先着され2着となり達成できなかった。同年のオールスター競輪の決勝では渡邉一成・成田との福島88期トリオで連携し、逃げた渡邉の後位より直線前から追い込んで2年ぶりの優勝を果たしたもののタイトルからは遠ざかる。その後、2015年の全日本選抜競輪決勝では最終バック8番手からの鋭い捲り追い込みが決まり、同レース3回目の優勝を果たした。
主な獲得タイトルと記録
- 2005年 - ヤンググランプリ05(平塚競輪場)
- 2006年 - 高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 2007年 - 競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(小倉競輪場)、読売新聞社杯全日本選抜競輪(熊本競輪場)
- 2008年 - 寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)
- 2009年 - 競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(小倉競輪場・1月)、読売新聞社杯全日本選抜競輪(大垣競輪場)
- 2010年 - オールスター競輪(いわき平競輪場)
- 2012年 - オールスター競輪(前橋競輪場)
- 2015年 - 読売新聞社杯全日本選抜競輪(静岡競輪場)
競走スタイル
デビュー当初から同期の武田豊樹と共に競輪界の一時代を担う逸材として期待されており、長距離の先行をこなすほど豊富なスタミナと群を抜くトップスピードで、その実力は現在の競輪界を背負って立つほどになった。
通常選手が用いる自転車の前後ギア比は3.54から3.64が主流であったが、山崎は4.00(フロントギア52・リアギア13)などの重たい大ギアを使いこなし、2012年のオールスター競輪では4.33のギアで優勝したほどである。重いギアは加速力の悪さと引き換えに持久力とトップスピードを補うために用いられてきたものだが、山崎は重いギアでの捲りもこなす前例のない強さを発揮した。
大ギアは競輪道や競輪のセオリーから言えば、脚力の衰えたベテラン選手が使うものであるとされていたが、山崎が記念や特別競輪で優勝を重ねて威力を実証したことにより、他の若手選手も大ギアの使用を追随し、競輪におけるエポックメイキングとなった。
しかし2015年の開催より4.00以上の大ギアの使用が規制されたため、これが山崎にとって不利になると見られていたが、規制後初の特別である全日本選抜では新たな上限近くの3.92で優勝している[1]。
エピソード
- 2010年1月28日放送のモヤモヤさまぁ〜ず2(テレビ東京系列)で視聴者からの投稿写真にて、さまぁ〜ずの三村マサカズにそっくりという事を番組で紹介された。
- 2011年の東日本大震災以降、練習場所の基盤を宮古島に求め、家族と共に一時避難中。
脚注
- ^ 【静岡・全日本選抜競輪】山崎復活!ギア規制後初のG1制した - スポーツニッポン・2015年2月16日
関連項目
外部リンク
- 選手プロフィール - KEIRIN.JP