「大喜利 (笑点)」の版間の差分
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大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。 |
大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。 |
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|大喜利メンバーが全員降板した事に従い、メンバー総入れ替え。 |
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! colspan="9" style="text-align:center" | 大喜利ナンバーワン |
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|前田が飛行機の欠航により急遽休演。<br />三波が大喜利司会を[[代理]]担当。<br />戸塚と伊東が特別に座布団運びを担当<ref>この日は北海道収録であり、演芸ゲストが[[てんぷくトリオ]]だったため。</ref>。 |
|前田が飛行機の欠航により急遽休演。<br />三波が大喜利司会を[[代理]]担当。<br />戸塚と伊東が特別に座布団運びを担当<ref>この日は北海道収録であり、演芸ゲストが[[てんぷくトリオ]]だったため。</ref>。 |
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: 年内最後の放送時などに、メンバー6人を3対3に分けて対抗形式で大喜利を行うケースがある。この場合は通常とは異なる司会席を中央に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加する。 |
: 年内最後の放送時などに、メンバー6人を3対3に分けて対抗形式で大喜利を行うケースがある。この場合は通常とは異なる司会席を中央に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加する。 |
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: 2020年4月26日と5月3日放送分の対抗戦は[[2019新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]対策による一時的な配置変更で行われたため、形式上は通常通りの個人戦だった。 |
: 2020年4月26日と5月3日放送分の対抗戦は[[2019新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]対策による一時的な配置変更で行われたため、形式上は通常通りの個人戦だった。 |
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! colspan="10" style="text-align:center" | 対抗戦形式の席順(1985年から2004年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の円楽は6代目円楽) |
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『BS笑点』・『笑点Jr.』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr.に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。 |
『BS笑点』・『笑点Jr.』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr.に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。 |
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! colspan="9" style="text-align:center" | 笑点Jr. |
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2021年8月8日 (日) 11:24時点における版
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本項では、日本テレビの『金曜夜席』及び『笑点』と関連番組『BS笑点』『笑点Jr.』で放送される大喜利コーナーについて記載する。
概要
大喜利は原則として演芸の後に行われるが、稀に放送時間全てを大喜利に充てた拡大版を放送することもある。不定期に演芸の時間帯に日本テレビのアナウンサーによる「アナウンサー大喜利」や、若手噺家による「若手大喜利」を行うこともあり、その際は大喜利メンバーが司会や座布団運びを担当する。
初代司会の立川談志から4代目司会の5代目圓楽の就任当初の1983年3月頃まではCMが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きの状態で挨拶が始まっていたが、1983年4月頃以降は当時ディレクターだった飯田達哉の提案により[1][2]、笑点のオープニング曲に合わせて、上手からメンバーが入場するようになった。現在では、小遊三→好楽→木久扇→三平→6代目円楽→たい平[3]の順に登場する。メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(現在は春風亭昇太)が入場し[4]、席に着いて大喜利が始まるようになった[5]。『リモート大喜利』でも当初はこの演出が踏襲されていたが、収録が舞台上に移行した2020年7月26日放送分から11月15日放送分(リモート形式が終了して暫く)までは省略されていた。
大喜利開始の際に司会者は「皆様方のご挨拶からどうぞ」と言い、続いて大喜利メンバーによる20 - 30秒ほどの短めの挨拶(小遊三→好楽…の順)となる。この時にメンバーが出演する寄席やイベント、書籍などの告知をすることがある。その後、座布団運びの短めの挨拶となる。メンバーの挨拶が一通り終わると、司会者は「良い答えには座布団をあげ、悪い答えには座布団を没収」という基本的なルールの説明と座布団10枚の賞品のキーワードや内容を発表してから本題に入る。
ごく稀に大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られる時があるが、これは時間調節や下ネタなどの関係でその回答がカットされることがあるためである[6]。答えを考えるために動きのない時間も生じるため、実際の大喜利の収録にはテレビ放送の2 - 3倍の時間を要している。
最後の問題(大概は3問目)が終わったら司会者が締めの言葉を述べ、出演者全員が客席に向かって一礼する姿が映し出されて大喜利は終了する。
2016年以前は毎年11月頃になると、大喜利終了後に笑点メンバーが週替わりで翌年の『笑点暦』の告知をしていた(1976年(昭和51年)版が最初)。2017年以降は形式が変更され、メンバーの1人が最初の挨拶の時に1度だけ告知をするようになった。
ルールの起源
大筋は創設者である立川談志が考えたとする話が広く知られている[7][8]。しかし、座布団を使うという点に関して言えば、実際にはのちにチーフプロデューサーを務めた小暮美雄が考案している。小暮によれば、以下のような経緯である。
アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。駄目な答えのペナルティとして、あたかも羽子板遊びのように「顔に墨を塗る」ということなどが行われていた。しかし、新しく始める『金曜夜席』でも「顔に墨を塗る」ということをやったのでは先行の演芸番組との差別化を図ることは難しいと判断されたため、最初は「そばを一杯食べさせる」という案が出たが実現せず、考えた末に「罰を与えるより褒美を与える」という逆転の発想が生まれた。ところが、褒美を与えるのなら何を与えるべきかという点でまたもや詰まってしまい、とりあえず「人形を与える」という案が出たものの気持ち悪いと思われ話が進まなかった。『金曜夜席』の初放送日が間近に迫る中、小暮は「私にまかせてくれ」と言い切って、落語家が喜びそうなことはないかと新宿末廣亭に行ったが、褒美の事で頭がいっぱいで落語を楽しむところではなかった。結局、何も思いつかないまま末廣亭を出た小暮であったが、その時一緒に出てきた2人連れの「どうして落語家さんが代わる時、下の人(前座)が出て来て座布団を裏返すの?」という会話を耳にした小暮は、ここで初めて「座布団を与える」という発想が出てきた。そして、寄席で落語などを演じるところを高座と呼ぶところから「(座布団を重ねることによって)高いところをもっと高くしたら(落語家が)喜ぶかもしれない」と思いつき、「私にまかせてくれ」と周囲に言っていたことや初放送日が間近だったこともあって、「よい答えには座布団を与える」という小暮の案がそのまま通った。[9]
基本ルール
司会者が3問[10]出題し、挙手制で指名されたメンバーが[11]機知を利かせた答えを返す。司会者の判断で良い答えや面白い答えなどに座布団1枚(特に優れた答えには2枚以上)が与えられ、悪い答え(つまらない答えや下品過ぎる答え、司会者を罵倒する答えなど)は座布団を1枚、場合によっては2枚以上や全部没収される[12]。回答後の発言によって座布団の獲得や没収を追加または撤回されたり、自分が答えなくても他のメンバーの回答や発言が原因で座布団が増減するケースもある。
なお、司会者が合いの手を挟む出題において、司会者にとって都合の悪いような回答やオチが分かりやすい回答が出た場合は、司会者が合いの手を無視ししたり[13]合いの手の部分でオチを回答者より先に言うなどして、回答を強制的に打ち切るケースもある。
獲得した座布団は一部の回(主に、後述の特殊な回)を除き、次回に持ち越して引き継がれる。
座布団10枚を獲得すると座布団運び・裏方から紙吹雪を撒かれて祝福され[14]、豪華賞品が贈られる。その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。賞としてoo(キーワード)にちなんだ素晴らしい賞品を差し上げます」と司会者が目録を読み上げ、贈呈される。
座布団10枚の達成は大喜利終了時が多いが、稀に序盤や中盤で発生するケースもある。その場合は賞品贈呈後に大喜利をそのまま続行し、獲得した賞品はその後座布団の枚数が減らされても剥奪されることは無い。
誰かが座布団10枚を達成した場合は、翌週(次の通常回)以降はリセットされて全員が座布団1枚からのスタートとなる。
正月特番の寿大喜利・チーム対抗戦などは全員座布団1枚からスタートし、終了時に座布団が一番多いメンバーに賞品を贈っている。
稀に司会者が座布団を獲得することがあるが[15]、この座布団は次回に持ち越されない。大喜利メンバーが代理司会を務めた際には、自身の定席に座布団を与えることがあった。
座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。他にも司会者罵倒ネタに対して仇を討った答えも座布団獲得の対象になる[16]。また、メンバーのスキャンダルが原因で座布団が没収された例もある(昇太司会時代)[17]。座布団運び(山田)に関する答えが出た場合、座布団運びは司会者の指図を待たずに当該メンバーの座布団を没収したり、与えることがある(五代目圓楽司会時代より)[18]。
座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を没収したり、良い答えでも座布団を与えなかったり没収したりするため、実際は年に1回から3回程度、場合によっては1年以上座布団10枚が達成しないこともある。
前田司会時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版とコスチューム大喜利の2本立てで行っていた。
座布団
大きさは60cm × 72cm。中は木綿。カバーにはちりめんが使われており、高級感もある。1枚当たりの製作費は公開していないが「とても高価」。重さは1枚2.3キロある。10枚重なった時でもバランスが保てるように厚みを追求している[19]。
放送開始時当時は座布団の色は水色で、1年ほどでピンク色に変わり、三波の司会就任後の1973年頃に現在の紫色に変わっている[20]。この他、司会者用に紺色の無地の座布団、座布団運び専用の赤い座布団(メンバー用の色違いで、最初の挨拶の時のみ使用する)が使われている。
座布団の一般販売は行われてない。番組側は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意している[21]。しかし、1991年(平成3年)12月29日の放送で全員が10枚獲得した際には歌丸と小遊三が11枚だったため座布団が足りなくなり、代わりに司会者(当時は5代目圓楽)専用の紺色の座布団や、座布団運び(山田)専用の赤い座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった。賞品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、1992年(平成4年)5月10日放送の慰安旅行にて贈呈された。
役目を終えた座布団は大喜利メンバーの元に引き取られているが、過去には視聴者にプレゼントされたり、1973年(昭和48年)8月に日本テレビ開局20周年記念イベントとして浅草寺で「笑点まつり」を開き、座布団を読経と奉焼で厳かに供養する「座布団供養」が行われた。
座布団は数年に一度不定期で交換されており、2009年(平成21年)3月22日放送分から最新の座布団が使用されている。バランスの関係上座布団に座るのは難しく、座布団が多いと山田の補助を借りて座っている場合がある[22]。
地方収録では万が一に備えて座布団60枚をトラックで運ばなければならないため、移動の際に最も嵩張る荷物は座布団だと言われている[23]。
出題
主な出題例としては以下のものがある。
- 都々逸/川柳(特定の言葉を初句あるいは結句で固定するのがほとんど)/なぞかけ/前句付け/豊竹屋
- 頭文字シリーズ
- 2つ以上の頭文字から始める小話や川柳などを作る。地方収録の1週目1問目に多い。
- あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ
- 二度と○○したくない●●/こんな○○は嫌だ
- 笑点・新漢字の遊び
- 特定の部首に、色々な漢字を書いて新しい読みを作るのが基本。
- 笑点お詫びシリーズ○○編
- 両隣のメンバー(一番端の場合は、隣の2人)とお詫びをした後、司会者もしくは謝罪されたメンバーが「それだけじゃないだろ!」と言った後に答えを返す。
- このお題では、回答した人が両隣のメンバーに罪を被せることがあり、その場合は罪を被ったメンバーが問答無用で没収となるケースが多い。
- 笑点○○自慢合戦
- 相手のメンバーを1人指名して行う。指名された相手は即興で返しを考えなければならないため難度の高い問題だが、後から指名された方に座布団が与えられるケースが多い。
- もっと○○シリーズ
- メンバーが「○○なのは□□」と言い、司会者が「もっと○○なのは?」と聞いた後、もっと○○なものを答える。
- 笑点イエス・ノークイズ
- 司会者は「YES」と書かれた札を持ち、どんな場合でも「イエス」としか答えない(もちろん「NO」の札も持っており、都合が悪いような回答は「ノー」と答えて強制的に打ち切るなど例外あり)。クイズの正解を言った後、答えを返す。
- 笑点お笑い窃盗団○○編
- 窃盗団の子分に扮したメンバーが親分に扮した司会者に「○○を盗んでめえりやした」と報告、親分が「でかした」と言った後に答えを返す。地方収録の2週目3問目で行われることもある。
- 笑点お笑いタクシードライバー○○編
- 地方収録の2週目3問目で行われることがほとんど。タクシードライバーに扮したメンバーが収録地の名所を案内し、観光客役の司会者が「ほんと?」と感心した後に答えを返す。
- 笑点ご当地しりとり
- 地方収録の1問目で行われる。ヒントを言った後、司会者が言う言葉に続けて回答する。但し最後に「ん」がついた場合は、答えの内容に問わず座布団没収となる。
- 運命の○○年
- 老夫婦の会話
1966年(昭和41年)5月15日放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された。後に2001年(平成13年)5月20日放送の35周年記念大喜利でも、同じ問題が出題されている。
1問目、2問目は最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったら嫌な/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。
3問目は後楽園ホール収録分では被り物を使うものが多く、地方収録では「笑点お笑い窃盗団○○編」「笑点お笑いタクシードライバー○○編」などが出される。また、日本テレビがスペシャルウィークを開催する期間中には、それにちなんだお題が出題される[24]。歌丸時代の末期(2016年1月から5月)には、スペシャルゲストが登場する事が多かった。
寿大喜利では毎年「干支大喜利」と称し、3問目に司会者とメンバーがその年の干支の動物の着ぐるみを着て、その干支に関する問題が出される。この場合は2問目の終わりに着替えのため一旦退場し、放送上でもCMを挟んでから改めてオープニングと同じく入場する。
問題では「例の物」として小道具が用いられることがある。「例の物」として一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。中には「被り物(多くがかつら・王冠・帽子・着ぐるみの頭の部分など)」が出てくることがある。被り物ネタでは司会者が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。その他の定番としてはチャイム(デパートなどでの呼び出し。鉄琴風のタイプ)やコップ・帽子・手拭い・鍋・マイク・拡声機・携帯電話・ハンドルなど。時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出されるケースもある。
色紋付
スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。談志時代の頃から導入されていたが、その当時カラーテレビの普及率が低かったため1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、1970年(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に定着した。
カラフルな色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったと言われる。そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着して現在に至った[25]。
例年8月[26]の放送(24時間テレビを除く)では、メンバー全員が同じ「笑点」の柄の入った浴衣もしくは白色の麻の着物で登場する。
現在、色紋付は銀鼠・水色・桃色・黄色・丁子色・薄紫・橙色・朱色の8種類である[27]。
歴代席順
『金曜夜席』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1965年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の円楽は「楽太郎」から襲名した6代目円楽)。また、ここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べる。斜体文字は代理出演、括弧付きはリモートでの出演。
笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望やスタッフの判断により席替えをすることもある。最近では、2016年(平成28年)5月29日より昇太が大喜利メンバーから司会者に昇格、三平が加入のようにメンバーの入れ替えがあっても席替えが行われず前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている。席替えは1992年(平成4年)4月に好楽と小遊三の位置が入れ替わったのを最後に長らく行われていないなかったが、2021年5月9日放送分では『笑点』55周年企画として特別に司会を務めた6代目円楽の要望により、一回限りではあるが29年ぶりにメンバーの大幅な席替えが行われた。
大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。
5人制 | ||||||||
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放送日 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | ||||
1965年3月12日 1965年3月26日 |
圓楽 | 歌丸 | 小痴楽 | 談志 | 円弥 | きん平 | 西 | 『金曜夜席』放送当時の席順。 |
1965年4月9日 | 圓楽 | 歌丸 | 小痴楽 | 談志 | こん平 | きん平 | 西 | 円弥に代わって、こん平が加入。 |
1965年4月23日 - 1966年4月22日 |
談志 | 歌丸 | 小痴楽 | 圓楽 | こん平 | きん平 | 西 | 談志と圓楽が役割を交換する。 談志が司会、圓楽が回答者となる。 |
1966年5月15日 - 1967年1月22日 |
談志 | 金遊 | こん平 | 圓楽 | 小痴楽 | 歌丸 | 勝松 | 『笑点』放送開始当時の席順。 座布団運びが勝松に交代。 『金曜夜席』終了後にきん平が死去したため、金遊が加入。 こん平と小痴楽の位置が入れ替わる。 歌丸が右端に移動。 |
1967年1月29日 - 1968年10月27日 |
談志 | 金遊 ↓ 小圓遊 |
こん平 | 圓楽 | 小痴楽 | 歌丸 | 石井 | 座布団運びが石井に交代。 1968年9月29日、金遊が4代目小圓遊襲名。 |
1968年11月3日 - 1969年3月30日 |
談志 | 歌丸 | こん平 | 圓楽 | 小痴楽 | 小圓遊 | 石井 ↓ 毒蝮 |
歌丸と小圓遊の位置が入れ替わる。 この期間は、毎週メンバー全員色紋付になる。 1968年12月15日、石井が毒蝮に改名。 |
1969年4月6日 - 1969年11月2日 |
談志 | さん吉 | 栄橋 | 好生 | 勝二 | かゑる | 毒蝮 | 大喜利メンバーが全員降板した事に従い、メンバー総入れ替え。 |
大喜利ナンバーワン | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期間 | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 備 考 | ||||
歌奴チーム | 金馬チーム | 歌奴チーム | 金馬チーム | |||||
1969年11月9日 - 1970年6月14日 |
前田 | 歌奴 小圓遊 勝二 木久蔵 |
金馬 歌丸 小きん さん吉 |
夢丸 | 笑遊 | 司会が前田に交代。 勝二とさん吉以外のメンバーが全員降板。 歌奴・金馬・小きん・木久蔵が加入。 歌丸と小圓遊が復帰。 座布団運びが笑遊と夢丸に交代。 この間は歌奴チームと金馬チームによる対抗戦形式で実施[28]。 | ||
1970年2月8日 | 三波 | 歌奴 小圓遊 勝二 木久蔵 |
金馬 歌丸 小きん さん吉 |
戸塚 夢丸 (補佐役) |
伊東 笑遊 (補佐役) |
前田が飛行機の欠航により急遽休演。 三波が大喜利司会を代理担当。 戸塚と伊東が特別に座布団運びを担当[29]。 |
6人制 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期間 | 司会 | 出演メンバー(左側が下手) | 座布団運び | 備考 | |||||
1970年6月21日 - 1970年12月13日 |
前田 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | 小きん | 小圓遊 | 小野 米助 (補佐役) |
前田・歌丸・木久蔵・小きん・小圓遊以外のメンバーが全員降板。 圓楽が復帰し、圓窓が加入。 現在のメンバー数が確立。 座布団運びが小野と補佐役の米助に交代。 1970年秋頃から、毎週メンバー全員色紋付になる。 |
1970年12月20日 - 1971年7月11日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | 小きん | 小圓遊 | 小野 米助 (補佐役) |
司会が三波に交代。 |
1971年7月18日 - 1972年7月23日 |
三波 | 歌丸 | → 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | 小きん | 小圓遊 | 松崎 | 座布団運びが松崎に交代。 1971年秋頃に、木久蔵の色紋付が赤から黄色に変わる。 |
1972年7月30日 - 1977年3月27日 |
→ 三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | こん平 | 小圓遊 | 松崎 | 小きんが降板し、こん平が復帰。 1972年秋頃に、三波の色紋付が白に変わる。 |
1977年4月3日 - 1977年8月21日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | こん平 | 小圓遊 | 松崎 | 圓楽が再び降板。この間は5人で大喜利を行う。 | |
1977年8月28日 - 1979年9月2日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 楽太郎 | 夢之助 | こん平 | 小圓遊 | 松崎 | 圓窓が降板し、夢之助と楽太郎が加入。 |
1979年9月9日 - 1980年10月12日 |
三波 | 楽太郎 | こん平 | 歌丸 | 九蔵 | 木久蔵 | 小圓遊 | 松崎 | 夢之助が降板し、九蔵が加入。 同時に、小圓遊以外のメンバーが席を移動。 |
1980年10月19日・ 1980年10月26日 |
三波 | 楽太郎 | こん平 | 歌丸 | 九蔵 | 木久蔵 | [30] | 松崎 | 10月5日未明に小圓遊が急逝。 小圓遊追悼で、残りのメンバーで大喜利を行う。 |
1980年11月2日 - 1981年12月27日 |
三波 | 楽太郎 | 木久蔵 | 歌丸 | 朝次 | 九蔵 | こん平 | 松崎 | 朝次がピンク色の紋付で加入。 これにより九蔵の色紋付がピンク色から水色になると同時に5列目に移動。 木久蔵が2列目に移動。 こん平が右端に移動。 |
1982年1月3日 - 1982年9月26日 |
三波 | 朝次 | 楽太郎 | 木久蔵 | 歌丸 | 九蔵 | こん平 | 松崎 | 朝次が1列目の位置に移動。 |
1982年10月3日 - 1982年12月26日 |
三波 | 九蔵 | こん平 | 歌丸 | 朝次 | 楽太郎 | 木久蔵 | 松崎 | メンバーの順番が入れ替わる。 |
1983年1月2日[31] | 愛川 | 歌丸 | 九蔵 | 楽太郎 | 木久蔵 | 朝次 | こん平 | 松崎 | 三波が急逝。 愛川が鶴亀大喜利の司会を代理[32]。 この日は新春スペシャルであるため、全員黒紋付。 |
1983年1月9日 - 1983年10月9日 |
圓楽[33] | 九蔵 ↓ 好楽 |
こん平 | 歌丸 | 朝次 | 楽太郎 | 木久蔵 | 松崎 | 圓楽が司会者として復帰。 1983年4月3日、九蔵が圓楽門下に移籍、好楽に改名。 |
1983年10月16日 - 1984年9月30日 |
圓楽 | 楽太郎 | 木久蔵 | 小遊三 | 歌丸 | 朝次 | こん平 | 松崎 | 好楽が降板し、小遊三が加入。 メンバーの順番が入れ替わる。 1984年頃に、圓楽の色紋付が紺色に定着する。 |
1984年10月7日 - 1985年3月31日 |
圓楽 | 楽太郎 | 木久蔵 | 小遊三 | 歌丸 | 朝次 | こん平 | 山田 | 座布団運びの松崎が降板し、山田に交代。 |
1985年4月7日・ 1985年4月14日 |
圓楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 楽太郎 | こん平 | 朝次 | 山田 | 歌丸が病気療養のため一時休演。 小遊三と楽太郎の位置が入れ替わる。 こん平が4列目に移動。 | |
1985年4月21日 - 1985年6月30日 |
圓楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 楽太郎 | こん平 | 朝次 | 歌丸 | 山田 | 1985年4月21日放送分より、歌丸が復帰と同時に右端に移動。 |
1985年7月7日 - 1985年12月29日 |
圓楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 朝次 ↓ 才賀 |
→ 山田 | 歌丸が3列目の位置に移動。 1985年9月1日、朝次が真打昇進・7代目才賀襲名。 1985年秋頃に、山田の紋付の色が朱色に変わる。 |
1986年1月5日 - 1988年3月27日 |
圓楽 | 才賀 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 山田 | 才賀が左端に移動。 |
1988年4月3日 - 1992年4月12日 |
圓楽 | 好楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 山田 | 才賀が降板し、好楽が復帰。 以後18年間は代理出演を除き、大喜利メンバーは不変となる。 |
1992年4月19日 - 1998年6月28日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 山田 | 好楽と小遊三の位置が入れ替わる。 |
1998年7月5日 | 圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 亀蔵 | 山田が4週にわたって休演。 若手落語家が週代わりで座布団運びを担当[34]。 |
1998年7月12日 | 圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | たい平 | |
1998年7月19日 | 圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 柳八 | |
1998年7月26日 | 圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 昇太 | |
1998年8月2日 - 2004年9月5日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 山田 | 1998年8月2日放送分より、山田が座布団運びに復帰。 |
2004年9月12日 - 2004年12月19日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | [35] | 山田 | こん平が病気療養のため一時降板。 この間は5人で大喜利を行う。 |
2004年12月26日 - 2005年10月16日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平[36] | 山田 | たい平がこん平の代理として加入。 |
2005年10月23日 | 歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | 圓楽が脳梗塞のため休演。 たい平以外[37]の大喜利メンバーが、週替わりで大喜利司会を代理。 | |
2005年10月30日 | 楽太郎 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | たい平 | 山田 | ||
2005年11月6日 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | ||
2005年11月13日 | 好楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | ||
2005年11月20日 | 木久蔵 | 小遊三 | 好楽 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | ||
2005年11月27日 - 2006年5月7日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | この回より、代理司会が歌丸に固定される。 | |
2006年5月14日 | 圓楽 歌丸 |
小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | 40周年記念特番。 圓楽が最後の大喜利司会を務める。 | |
2006年5月21日 - 2008年6月22日 |
→ 歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 ↓ 木久扇 |
昇太 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | 歌丸が正式に司会者就任。 新メンバーとして昇太が加入。 こん平の降板に伴い、たい平が正式なメンバーとなる。 2007年9月9日、歌丸の色紋付が深緑に変わる。 2007年9月23日放送の「ダブル襲名披露口上[38]」を以て、木久蔵が木久扇に改名。 |
2008年6月29日 | たい平 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 楽太郎 | 山田 | 歌丸が腰の手術・療養のため休演。 たい平と昇太が大喜利司会を代理[39]。 | |
2008年7月6日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 楽太郎 | たい平 | 山田 | ||
2008年7月13日 - 2010年2月28日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 楽太郎 ↓ 円楽 |
たい平 | 山田 | 2008年7月13日放送分より、歌丸が復帰。 2010年2月28日放送の「六代目円楽襲名披露口上」を以て、楽太郎が6代目円楽襲名。 |
2010年3月7日 | 木久扇 | 小遊三 | 好楽 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2010年2月24日の歌丸入院に伴う休演。 木久扇と好楽が大喜利司会を代理[40]。 | |
2010年3月14日 | 好楽 | 小遊三 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | ||
2010年3月21日 - 2014年5月4日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2010年3月21日放送分より、歌丸が復帰。 |
2014年5月11日 | 木久扇 | 小遊三 | 好楽 | [41] | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 歌丸が、2014年3月29日の入院、および同年5月7日の再入院に伴う休演。 昇太・たい平以外の大喜利メンバーが週替わりで大喜利司会を代理[42]。 |
2014年5月18日 | 好楽 | 小遊三 | [41] | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2014年5月25日 | 小遊三 | [41] | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2014年6月1日 | 円楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | [41] | たい平 | 山田 | |
2014年6月8日 - 2014年7月20日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2014年6月8日放送分より、歌丸が復帰。 |
2014年7月27日 - 2014年10月12日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | [35] | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 木久扇が、初期の喉頭癌のため休演[43]。 |
2014年10月19日 - 2015年1月18日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2014年10月19日放送分より、木久扇が復帰。 |
2015年1月25日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | [44] | 円楽 | たい平 | 山田 | 歌丸が、2015年1月5日の入院に伴う休演。 昇太・たい平が大喜利司会を代理[45]。 |
2015年2月1日 | たい平 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | [41] | 山田 | |
2015年2月8日 - 2015年7月5日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2015年2月8日放送分より、歌丸が復帰。 |
2015年7月12日 | 木久扇 | 小遊三 | 好楽 | [41] | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 歌丸が、2015年6月14日の入院に伴う休演[46][47]。 大喜利メンバー全員が週替わりで司会を代理[48]。 2015年7月26日は、女性アナウンサーとのペア大喜利を放送(司会は昇太)。 |
2015年7月19日・ 2015年8月30日 |
円楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | [41] | たい平 | 山田 | |
2015年8月2日 | 小遊三 | [49] | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2015年8月9日 | 好楽 | 小遊三 | [41] | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2015年8月16日 | たい平 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | [41] | 山田 | |
2015年9月6日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | [41] | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2015年8月23日・ 2015年9月13日 - 2016年5月22日 |
歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 昇太 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2015年8月23日の『チャリティー大喜利』及び同年9月13日放送分より、歌丸が復帰。 |
2016年5月29日 - 2016年8月21日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | → 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | 歌丸が大喜利司会を勇退。 昇太が6代目司会者に就任。 三平が加入。 2016年6月5日に、三平の色紋付が丁子色に定着する。[50] |
2016年8月28日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | [51] | 山田 | 『24時間テレビ』にて行われた、『チャリティー大喜利』。 たい平は同年の『チャリティーマラソン』のランナーだったため、大喜利には不参加。 |
2016年9月4日 - 2018年3月25日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2018年4月1日 | 円楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 昇太[52] | たい平 | 山田 | エイプリルフール企画として、6代目円楽が特別に司会を担当。 昇太は約2年ぶりに回答者として出演。 |
2018年4月8日 - 2019年8月11日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2019年8月18日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | [35] | たい平 | 山田 | 6代目円楽が脳腫瘍により休演[47]。 ピンチヒッターとして、若手大喜利から昇也と晴の輔が出演。 |
2019年9月1日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | [35] | たい平 | 山田 | |
2019年9月8日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 昇也[52] | たい平 | 山田 | |
2019年9月15日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 晴の輔[52] | たい平 | 山田 | |
2019年8月25日・ 2019年10月6日 - 2020年5月10日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | 2019年8月25日の『チャリティー大喜利』及び同年10月6日放送分より、6代目円楽が復帰。 2020年5月10日放送分は並びは同じだが、 新型コロナウィルス対策としてメンバー1人1人の間隔を開けて配置された[53]。 |
2020年5月17日 - 2020年7月19日 |
昇太 | (小遊三) | (好楽) | (木久扇) | (三平) | (円楽) | (たい平) | [54] | 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言発令に伴い、 昇太のみスタジオ、メンバーは自宅からリモート出演、山田は休演となった[55]。 座布団の増減は、CGアニメーションの山田で表現した。 |
2020年7月26日 - 2020年8月16日 |
昇太 | (小遊三) | (好楽) | (木久扇) | (三平) | (円楽) | たい平 | - | 舞台上での収録が再開。 たい平がスタジオでの収録に復帰し、他のメンバー5人は引き続き自宅からリモート出演。 山田も引き続き休演し(VTRでのみ出演)、たい平が回答者と座布団運びの代理を兼任。 |
2020年8月23日 | 昇太 | (小遊三) | (好楽) | (木久扇) | [56] | (円楽) | たい平 | 山田 佐々木 |
24時間テレビチャリティー笑点。 2代目三平は扁桃腺の腫れのため、生放送分の大喜利は休演[57]。 リモートメンバーの出演先が自宅から、日本テレビの別室に変更。 山田が復帰。 |
2020年8月30日 - 2020年9月20日 |
昇太 | (小遊三) | (好楽) | (木久扇) | 三平 | (円楽) | たい平 | 山田 | 三平がスタジオに復帰。 |
2020年9月27日 - 2021年5月2日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | 小遊三ら4人がスタジオに復帰し、4ヶ月ぶりに全員が揃う。 ソーシャルディスタンスを配慮して、メンバーは1列ではなくジグザグに座り[58]、 1人1人の間にアクリル板が多数設置されている。 |
2021年5月9日 | 円楽 | たい平 | 木久扇 | 三平 | 好楽 | 小遊三 | 昇太[52] | 山田 | 『笑点』55周年企画として、6代目円楽が特別に司会を担当。 昇太は回答者として出演。 さらに6代目円楽の要望により、1回限りの席替えが行われた[59]。 |
2021年5月16日 - 2021年6月27日 |
昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久扇 | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2021年7月4日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵[60] | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | 木久扇が骨折のため、休演。 ピンチヒッターとして、木久扇の長男である2代目木久蔵をはじめとした 様々な落語家が週替わりで出演。 |
2021年7月11日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 小朝[60] | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2021年7月18日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | 文枝[60] | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | |
2021年7月25日 | 昇太 | 小遊三 | 好楽 | (木久扇) | 三平 | 円楽 | たい平 | 山田 | 木久扇がリモート出演で復帰。 |
チーム対抗戦
- 年内最後の放送時などに、メンバー6人を3対3に分けて対抗形式で大喜利を行うケースがある。この場合は通常とは異なる司会席を中央に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加する。
- 2020年4月26日と5月3日放送分の対抗戦は新型コロナウイルス対策による一時的な配置変更で行われたため、形式上は通常通りの個人戦だった。
対抗戦形式の席順(1985年から2004年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の円楽は6代目円楽) | |||||||||
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放送日 | タイトル | 司会 | 出演メンバー | 座布団運び | 勝利チーム | 敗北チーム | |||
下手側 | 上手側 | 下手側 | 上手側 | ||||||
1985年12月22日 | 1000回記念大喜利 | 圓楽 | こん平チーム こん平 楽太郎 才賀 |
歌丸チーム 歌丸 木久蔵 小遊三 |
山田 | うん平 | 歌丸チーム | こん平チーム | |
1999年1月1日 | 寿大喜利 | 圓楽 | 年金チーム 歌丸 木久蔵 こん平 |
中年チーム 楽太郎 好楽 小遊三 |
山田 | 昇太 | 年金チーム | 中年チーム | |
2000年12月24日 | 年忘れ大喜利大会 | 圓楽 | こん平チーム こん平 好楽 小遊三 |
歌丸チーム 歌丸 木久蔵 楽太郎 |
山田 | 愛楽 | 歌丸チーム | こん平チーム | |
2001年12月23日 | 年忘れ大喜利大会 | 圓楽 | こん平チーム こん平 木久蔵 好楽 |
歌丸チーム 歌丸 楽太郎 小遊三 |
山田 | 愛楽 | 歌丸チーム | こん平チーム | |
2002年12月29日 | 年忘れ大喜利大会 | 圓楽 | こん平チーム こん平 木久蔵 好楽 |
歌丸チーム 歌丸 楽太郎 小遊三 |
山田 | 愛楽 | 歌丸チーム | こん平チーム | |
2004年1月4日 | 新春大喜利 | 圓楽 | こん平チーム こん平 楽太郎 小遊三 |
歌丸チーム 歌丸 木久蔵 好楽 |
山田 | 愛楽 | 歌丸チーム | こん平チーム | |
2007年12月30日 | 年忘れ大喜利大会 | 歌丸 | おじさんチーム 好楽 木久扇 小遊三 |
若手チーム 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | おじさんチーム | 若手チーム | |
2009年12月27日 | 年忘れ大喜利大会 | 歌丸 | 年寄りチーム 木久扇 好楽 小遊三 |
壮年チーム 昇太 楽太郎 たい平 |
愛楽 | 山田 | 壮年チーム | 年寄りチーム | |
2010年12月26日 | 年忘れ大喜利大会 | 歌丸 | 年寄りチーム 木久扇 好楽 小遊三 |
若手チーム 円楽 昇太 たい平 |
愛楽 | 山田 | 若手チーム[61] | 年寄りチーム[61] | |
2011年12月25日 | 年忘れ大喜利大会 | 歌丸 | ベテランチーム 木久扇 好楽 小遊三 |
若手チーム 円楽 昇太 たい平 |
愛楽 | 山田 | 若手チーム | ベテランチーム | |
2012年12月23日 | 年忘れ大喜利 | 歌丸 | 高齢者チーム 木久扇 好楽 小遊三 |
幼稚園チーム 円楽 昇太 たい平 |
愛楽 | 山田 | 幼稚園チーム | 高齢者チーム | |
2018年12月23日 | 林家vs三遊亭大喜利 | 昇太 | 三遊亭チーム 円楽 好楽 小遊三 |
林家チーム 木久扇 三平 たい平 |
愛楽 | 山田 | 三遊亭チーム | 林家チーム | |
2020年4月26日・ 2020年5月3日 |
対抗戦大喜利 | 昇太 | 木久扇 好楽 小遊三 |
三平 円楽 たい平 |
きく麿 | 山田 | - | - |
座布団10枚の豪華賞品
前身番組の『金曜夜席』から「座布団10枚の豪華賞品プレゼント」は企画されていたが、実際に獲得して賞品を出したのは「笑点」に改題されてからである。基本的に賞品の発表は達成時に行われ、それまでは賞品を示唆するキーワードのみが発表される。
最初の賞品は「香港に行って餃子が食べられる」で、歌丸と小痴楽が獲得。当時の番組に香港へ行く予算は無かったが、事情を聞いたとある船会社から香港までの2名分の船チケットの提供があり、実際に10日間の船旅に行っている。旅の様子は写真のみで、獲得した翌回の大喜利の冒頭(1967年6月4日放送)で紹介された。
番組初期の賞品に関するデータはほとんど残っていない。これは、当時は司会者の思いつきで賞品を決めてその場で渡したり、ロケでも上記のように写真しか残していなかった事情による。
賞品が『旅行』などのロケの場合は翌回の演芸の時間帯にその様子が放送され、賞品を獲得していない他のメンバーも同行したり乱入するケースが多い。
以下に、座布団10枚の達成者と達成年月日、キーワードと実際の賞品を紹介する。
豪華賞品
()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。ただし、10枚達成直後に贈られたものや、10枚達成のロケーションを行っていないものは、10枚達成をした放送日である。
三波時代以前の豪華賞品
- 石鹸箱一つを獲得。(放送日・獲得者不明)
- ただ皆で笑うだけだった。(放送日・獲得者不明)
- 拍手だけだった。(放送日・獲得者不明)
- 「ボーナスがもらえる」ということで、棒(ボー)と茄子(ナス)がもらえた。(放送日・獲得者不明)
- 「先祖を敬う」として、位牌がプレゼントされた。(放送日・獲得者不明)
- 「富士山頂に自分の像が建てられる権利」を獲得。(放送日・獲得者不明)
- 歌丸が「海の幸三昧」を獲得。しかし、実際は食べ放題ではなく自分で海に潜って獲るものだった。そこではサザエの壺焼きなどを食べた。(放送日不明)
- 5代目圓楽が「イギリスでダービーステークスが見られる権利」を獲得。しかし、「イギリスのダービーまで自腹で行け」と言われたため、結局行けなかった。(放送日不明)
- 木久蔵が「ヌードデッサン」を獲得。しかし、モデルは自分で探さなければならず、スカウトした女性に噴水の池に突き落とされる羽目になった。(放送日不明)
- 小圓遊が「アフリカで猛獣狩り」を獲得。豊島園にあったアフリカ館へ行って猛獣を見学した。(放送日不明)
- 木久蔵が「旅館の美人女将に会える権利」を獲得。意気揚々と伊豆の旅館へ行ったものの、散々扱き使われてタダ働きさせられただけだった。(放送日不明)
- 小圓遊が「長良川の鵜飼い」を獲得。(1971年8月1日放送)
- 小圓遊が「歌手デビュー権」を獲得。レコード「マドモワゼル」を発売した。(1972年放送)
- レコードジャケットは大喜利で座布団10枚を獲得した時の高座着姿の写真を使用しているが、実際に小圓遊が番組などで披露する時は白いスーツに赤いバラをつけて歌っていた。B面には当時の笑点メンバーによる「アリャリャン音頭」という曲が収録されている。
- 木久蔵が「花の都の人力車遊び」を獲得。(1973年5月13日放送)
- 最も古く残されている「笑点」の映像で5代目圓楽が左足に包帯を巻いた姿で出ているのはこのためである。(同年8月26日放送)
- このカレンダーは非売品であり、視聴者からの問い合わせが殺到したため、翌年の1976年(昭和51年)版から『笑点暦』という名で商品化されて現在でも毎年発行されている。
- 松崎と聖火を揚げてアテネ市内を走った。しかし、聖火はオモチャで映像もコント仕立てであり、最後に海に入った。この時の映像は2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番などでも放送された。番組史上最も豪華な賞品とされている[63][64]。
- この賞品が歌丸初の座布団10枚として扱われる事が多いが、先述の談志時代に獲得した香港旅行や獲得者不明の賞品もあるため、正確ではない。
- こん平が「美女と遊園地デート」を獲得。(1975年9月28日放送)
- 木久蔵が「善光寺参り珍道中記」を獲得。(1977年1月23日放送)
- 三波が「豪華食べ歩きの旅」を獲得。(1977年4月3日放送)
- 5代目圓楽が座布団10枚を超えたが、番組を降板するため賞品の獲得は見送られ、その代わりに獲得した12枚の座布団を持ち帰った。(1977年3月27日放送)
- しかし他メンバーの答えの出来が悪かったため、三波が司会者特権で賞品を強奪。メンバーの反感を買い、逆襲に遭う。
- 夢之助と楽太郎が「東海道五十三次二人旅」を獲得。(1978年3月26日放送 共に初の座布団10枚獲得)
- 東海道中膝栗毛風、弥次喜多コントをさせられた。
- こん平が「落語一席披露権」を獲得。落語「宮戸川」を披露した。(1978年8月13日放送)
- 夢之助が「湯屋番奮闘記」を獲得。(1978年10月1日放送)
- 夢之助が「珍佐渡情話」を獲得。(1979年4月22日・29日放送)
- こん平が「餅つきお大尽」を獲得。九蔵と楽太郎が手水役を務め、こん平が餅をついた。(1979年12月23日放送)
- 九蔵が「最後の楽園騒動記」を獲得。(1980年6月1日放送 九蔵、初の座布団10枚獲得)
- しかし、花見の場所取り役を押しつけられただけだった。
- 朝次が「光り輝く小粒の貴重品」を獲得。しかし、マッチ箱だった。(1982年10月3日放送 朝次、初の座布団10枚獲得)
5代目圓楽時代の豪華賞品
- 歌丸が「家一軒」を獲得。しかし、犬小屋だった。(1983年1月16日放送 特典自体は三波時代に発表されていた)
- 歌丸と木久蔵が「皇居一周マラソンに挑戦」を獲得。(1983年10月23日放送)
- こん平が実況を担当。木久蔵は完走したが、歌丸は途中で倒れて酸素吸入を受け、担架に乗せられてゴールした。この時の映像は、2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番でも放送された。
- 歌丸と小遊三が「エアロビクス入門」を獲得。(1986年4月13日放送)
- 日ごろから卓球で鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。一方で歌丸は、開始早々ダウンしてしまった。
- 歌丸が「ドッキリ中吊り広告」を獲得。(1987年11月22日放送)
- 都営地下鉄の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。歌丸も私服に眼鏡を付けた姿で電車に乗り込み、中吊り広告を見た乗客がインタビューを受けているところに、背後から歌丸本人が現れるドッキリを仕掛けた。
- こん平が「珍説のさぎ参り」を獲得。(1988年2月21日放送)
- 才賀が「ゴルフ・イン・ハワイ」を獲得。(1988年3月6日放送 才賀、降板前最後の10枚獲得)
- 好楽が「テレホンカード」を獲得。(1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得)
- 木久蔵が「プロ野球入門」を獲得。(1988年9月18日放送)
- 「進学塾入塾」を獲得。(1988年放送 獲得者不明)
- 歌丸が「クィーンエリザベスIIの夕べ」を獲得。(1989年5月21日放送)
- 木久蔵が「奥の細道を行く」を獲得。(1989年11月12日放送)
- こん平が「黒潮紀行」のセットを獲得。(1990年7月22日放送)
- 小遊三が「花火指南」を獲得。(1990年11月25日放送)
- 歌丸が「パリで自由にショッピングを楽しめる」を獲得。(1991年4月7日放送)
- しかし、先述の「イギリスのダービー」の時と同じく「自分のお金でパリに行き、自分のお金で自由にパリでショッピングしていいよ」というものだった。
- ちなみに、この年に放送25周年を記念してパリで大喜利を開催する予定だったが、湾岸戦争の影響で中止になった。
- こん平が「長崎から船に乗ってどこかへ行ける」を獲得。(1991年4月21日放送)
- メンバー全員が「岩清水を飲む権利」を獲得。(1992年5月10日放送)
- しかし、汲んだ岩清水を山田が途中でこぼし、代用品として鰯を漬けた水(いわし・水)をメンバーに飲ませた。この事実を知ったメンバーは激怒し、これ以降「山田のクビ」ネタを多用するようになった。
- 好楽が「ハワイ5泊6日の旅」を獲得(1992年5月24日放送)
- 好楽だけでなく、当時の笑点メンバー全員が同行した。
- 小遊三も同行し時代劇コントの脱線もあったが、美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。
- こん平が「道路工事のお手伝い」を獲得。(1993年7月25日放送)
- 木久蔵が「美女と滝修行」を獲得。(1993年11月14日放送)
- 三重県の寺院に美人の尼を訪ねたが、迎えてくれたのは厳格な和尚だった。その後、フンドシ一丁で水温0(レイ)度の滝に打たれる木久蔵の絶叫が寒空に響き渡った。そして、番組ブレーン[65]の1人で心霊研究家の新倉イワオが背後霊の如く現れ、「あなたの知らないレイ度の世界」と呟いた(「あなたの知らない世界」のパロディ風)。
- 歌丸が「白樺高原の休日」を獲得。(1994年3月6日放送)
- ワカサギ釣りを満喫した後、歌丸が最も楽しみだった雪見風呂だったが、それはスキー場の真ん中にポツンと立つドラム缶風呂だった。そのため、報告VTRのタイトルが「白樺高原の休日」から「歌丸の極寒雪見風呂」に摩り替わっていた。
- 小遊三が「故郷に錦を飾る」を獲得。(1994年7月10日放送)
- 楽太郎が「秋の香り満載」を獲得。(1994年10月30日放送)
- 秋なので松茸を予想した楽太郎だったが、山田が持ってきたのは銀杏で、しかも焼きたての銀杏だったため独特の匂いを会場に撒き散らしてしまう。これはスタッフが、収録前日の明治神宮の銀杏並木で拾い集めてきたものだった。番組史上最も安い賞品とされている[66]。
- こん平と小遊三が「川中島の決戦」を獲得し対決。(1995年4月16日放送)
- 木久蔵が「稲刈り奮闘記」を獲得。苦労して収穫した米をおにぎりにして5代目圓楽に振舞った。(1995年10月22日放送)
- 好楽が「一攫千金を夢見て宝石翡翠取り大作戦」を獲得。(1996年9月15日放送)
- しかし、この時期は翡翠が取れないらしく、結局は5代目圓楽に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。
- 獲得直後、強制的に弟子入りさせられた。この賞品は木久蔵本人以外のメンバーに不評だったため、“良い答えの時は座布団が取られ、悪い答えの時に座布団を進呈される”という、普段とは逆の展開が多く見られた。
- 当然ながら弟子入りするというのはあくまでも番組でのネタであり、本当に弟子になった訳ではない。
- 木久蔵が「那須トリックアート」を獲得。木久蔵の絵画が出現。(1997年9月14日放送)
- 小遊三が「はやりのマウンテンバイク」を獲得。しかし、出てきたマウンテンバイクに乗れず、実際にもらったのは子供用自転車だった。(1998年8月30日放送)
- 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。(1999年1月24日放送)
- 小遊三が「楽園パラオのバカンス」を獲得。(1999年6月20日・27日放送)
- 新婚旅行をしていなかった小遊三夫婦にとっての代わりのバカンスを満喫していたところに、こん平と楽太郎も乱入。この賞品の真の目的は「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」と知らされる。言葉や文化の違いに戸惑ったものの、パラオの人々に落語「桃太郎」 を披露し見事成功した。
- 歌丸が「世界の大スターと共演できる権利」を獲得。(1999年9月5日放送)
- 客席で5代目圓楽と共に大スターが来るのを待っていたが、その大スターの正体は山田隆夫(5代目圓楽曰く、一度だけハリウッド映画(「太陽の帝国」)に出演したことがあり、自称「笑点が生んだ世界的スター」)で、「みかん色の恋」を熱唱しながら登場しただけだった[67]。期待を裏切られた歌丸は激怒し、腹いせにプレゼントされた山田の写真パネルを折り曲げた。
- 木久蔵が「ある組織の長になれる権利」を獲得。(1999年12月12日放送)
- 組織の長とは、幼稚園の一日園長だった。
- 元気な園児たちとダンス、お絵描き、お弁当の楽しい時間を過ごし、最後は本業の落語を披露し大爆笑。大役を果たした。
- 木久蔵が「好きな番組を製作出来る権利」を獲得。(2000年7月9日放送)
- そこで木久蔵が「木久蔵ラーメンを海外で出店したい」と発言したことから、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を放送。現地で、こん平・小遊三・きくお(現:2代目木久蔵)・菊川怜と合流。タイ人は何にでも砂糖を入れる習慣があることから砂糖壺を屋台に用意。また、タイの昆虫食として珍重される“ツムギアリの卵”を入れたタイ・オリジナル木久蔵ラーメンを提供した。この特別番組は、獲得から1年後の2001年7月8日に放送された。
- 賞品獲得から放送が遅れた理由として、木久蔵がロケ直前に胃がんの手術を行ったことで、その術後の回復を待って収録されたためである[68]。
- スーツの他、着物やドレスといった女装姿を含めた写真集が製作された。当初は店頭で発売する予定だったが、出版してくれる出版社が無かったため5代目圓楽の自腹で10冊のみ製本し、抽選による視聴者プレゼントに変更となった。この写真集は、50周年スペシャルでも紹介された。
- 小遊三が「2001年宇宙の旅」を獲得。(2001年8月12日放送)
- 楽太郎が「いざさらば 雪見にころぶ 所まで(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2001年12月16日放送)
- 賞品は「笑点特製スノーボード」で、豪快に笑う5代目圓楽のイラストが描かれていた。
- こん平が「花の雲 鐘は上野か 浅草か(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年3月31日放送)
- 賞品は「花見場所取りセット」であり、5代目圓楽のシール付きオマルもあった。
- 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年8月25日放送)
- こん平の道連れとして山田が同行することとなり、仲直り旅行と称してタヒチ島へ行くこととなった。
- 歌丸が「似たもの夫婦」を獲得。賞品は煮込みうどん(煮た物フーフー)だった。(2003年12月28日放送)
- 楽太郎が「古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2004年4月25日放送)
- 5代目圓楽からは「神々の島であるバリ島の古池に飛び飛んで、黒い腹を清めて来い」と言われる。現地乱入のこん平と好楽の案内でカルデラ湖近くの滝壺へ行くが、楽太郎が拒否。結局、高級リゾートの露天ジャグジーに飛び込んだあと、バリ式マッサージで腹を白くした。
- 番組の構成チーフだった城啓介の後日談として、楽太郎が飛び込むことを拒否したカルデラ湖の中に温泉が湧いていて、当初は本当に飛び込むことを予定していたが、その湖の周りに風葬を習慣としている村が存在し、湖の周りに風葬された遺体がそのまま埋められていることもあり、スタッフの配慮によってリゾート内のジャグジーに変更されたとのことである[68]。
- 歌丸が「濡れ手で粟のひとつかみ」を獲得。(2005年5月15日放送 歌丸、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得)
- フィリピン紙幣「ペソ」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。さらにその掴み取ったペソを元手に、「セブ島カジノツアー一攫千金の旅」へ。
- 現地乱入の楽太郎を交え、スロットマシンで1000ペソ稼いでルーレットで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーである『黒』を避けて赤に賭け続けた結果大敗し、成功を予定して組まれた祝賀会の費用を自腹で払う羽目になった。
- 小遊三が「明日は明日の風が吹く(映画「風と共に去りぬ」の名台詞)」を獲得。(2005年10月16日放送)
- 賞品は、5代目圓楽の自宅の押し入れから出てきた10年前の扇風機だった。この翌週から5代目圓楽が病気で休演したため、5代目圓楽時代の事実上最後の10枚獲得。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/41/Tai-no-ishi_at_Yokohama_Nigiwaiza.jpg/220px-Tai-no-ishi_at_Yokohama_Nigiwaiza.jpg)
- たい平が「少年よ、大志を抱け(クラーク博士の名言)」を獲得。(2006年5月7日放送 たい平、初の座布団10枚獲得)
- 賞品は「タイの石」(証拠写真付き)。たい平はこの巨大な石を、収録会場の山口県周南市から東京まで持ち帰る羽目になった。この石は当時の笑点メンバーのサインが入れられ、現在は横浜にぎわい座の演芸資料館に展示されている。
- 歌丸は代理司会・たい平は代理メンバーとして唯一の座布団10枚。この翌週の40周年記念SPで5代目圓楽が『笑点』から勇退、その翌週より歌丸が正式に司会に就任し、同時にたい平も正式なメンバーとなった。
歌丸時代の豪華賞品
- 好楽が「芸は身をたすく」を獲得。(2006年12月24日放送)
- レイザーラモンHG(ゲイは身をたすける)のコスプレだった。
- この回は2006年最後の放送だったため、歌丸が「10枚獲得者が出なくても1番多い人に賞品を差し上げる」と発言したが、好楽は10枚獲得したうえで商品を獲得した。
- 楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる」を獲得。(2007年4月29日放送)
- 韓国・済州島で旅行を楽しんでいる最中に木久蔵・好楽が合流、韓国の「天才」少女と楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決をすることに。結果は楽太郎が敗れ、罰ゲームとしてお馬さんごっこの馬役をやらされた。6代目円楽襲名前最後の10枚獲得。
- 昇太が「花より団子」を獲得。(2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10枚獲得)
- 昇太が「耳をすませば」を獲得。(2008年12月14日放送)
- 5代目圓楽の笑い声が聞こえてくるお守り袋(笑い袋)だった。
- たい平が「渡りに船」を獲得。(2009年9月13日放送)
- 歌丸の賞品の説明では海外で豪華クルージングだったが、実際はベトナムのジャングルの川をスコールの中、小さな船で自分で漕いで下るというものであった。
- その後ホーチミン市へ移動。アオザイをまとったベトナム美女と食事デートを楽しむが、好楽がシクロの運転手やレストランの店員に扮して邪魔をし、最後はスパイとなった好楽が携帯電話でたい平の妻・千華にこれまでの事を密告、電話に代わったたい平が携帯電話に向かって土下座するオチとなった。コーナー終わりのテロップは「こんなこと 錦江湾でも あったよね [楽]」。
- 昇太が「身から出たサビ」を獲得。(2009年12月20日放送)
- 歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでのトルコ・カッパドキアの旅を贈呈。前編は陶器の絵付や熱気球に乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編はイスタンブールに行った。山田も同行する事になり、木久扇は最初嫌がっていたものの、結局は2人旅を楽しんだ。現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は、視聴者に抽選でプレゼントされた。ナレーションはたい平が担当。
- 6代目円楽が「至福の時」を獲得。(2011年6月12日放送)
- 賞品の内容は台湾での温泉旅行。「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。その後市内を観光するが、途中で小遊三と好楽も乱入。続いて2人と食事をしたが、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームで臭豆腐を食べさせられた。最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。ナレーションは前回に続いてたい平が担当。
- 思わず「あー、痛かった」と言ってしまう、番組特製健康マットがプレゼントされた。
- たい平が「晴れたらいいね」(DREAMS COME TRUEの楽曲)を獲得。(2012年8月12日放送)
- 「張れたらいいね」で賞品はテントだった。この時、たい平は一時的に13枚まで座布団を増やした。なお、本来はテントを使ってキャンプのロケが計画されていたが、収録日にロケ地に台風が接近した影響でお流れとなっている。
- 木久扇が「人の振り見て我が振り直せ」を獲得。(2013年4月14日放送)
- 賞品は33年前と同じ「徳島・阿波踊り」だった。この放送分は四国放送開局60周年のため、徳島で収録を行っていた。
- 小遊三が「日本テレビ開局60周年に因んだものすごい賞品」を獲得。(2013年12月1日放送)
- 同年の汐博のアトラクション「幸せを呼ぶ歌丸スライダー」の一部分である巨大な歌丸の人形だった。両手には扇子を持ち、頭には「祝日テレ60年」の旗が付いている。歌丸は「笑点史上最大の賞品」と称した。その後は落語芸術協会の備品となり、芸協のイベントなどで担ぎ出されることもある。
- 木久扇とたい平が「お・も・て・な・し」(2013年流行語大賞)を獲得。(2014年6月29日放送)
- 歌丸の地元の横浜でもてなしを受けるもの。歌丸行きつけの蕎麦屋で歌丸は蕎麦湯を注文するが、2人は沢山注文する。最後に歌丸が代金を払おうとするが想像を超える額だったため(金額は非公開)、「歌丸もこんなになるとはおもってなし」というオチだった。ナレーションは日本テレビアナウンサーの桝太一が担当。
- 好楽が「銀の匙」を獲得。(2014年11月16日放送)
- 「銀のスプーンを咥えて生まれてきた子供は、一生食べるのに困らない」という西洋の言い伝えにちなんで、日本テレビの社員食堂のメニューが無料で食べられる利用カードが贈呈された。さらに、限度額は「無制限」、有効期限は「死ぬまで」、本人が連れてきた家族や一門も対象となった(但し、10枚達成時に渡された巨大パネル型のカードを持参しなければ無効)。獲得日の翌週の放送で(実際の訪問日は獲得した収録日の翌日)、好楽が息子の王楽をはじめとした家族や親類、とむなどの一門の者、さらに王楽と親交があるガッポリ建設など30名を従え、巨大カードを持ち込んで日テレ社食を訪れて食事する模様が放送された[69]。その際社食の責任者が登場し、「金額無制限、死ぬまで有効」の確約を得た。ナレーションはたい平が担当。
- このカードはあくまでも番組のネタであり、これ以降は日本テレビがカードを保管しているため、実際に好楽がこのカードを使用したのはこの1回のみだった。
- たい平が「笑点50年にふさわしいものすごい賞品」を獲得。(2015年5月24日・5月31日放送)
- 日本テレビ地下3階の鍵が貸し出され、その鍵で開いた麹町分室地下3階の扉の先にある日本テレビの歴史が詰まった番組の記録写真が保管された部屋から、その中にある写真の中から気に入った1枚を持ち帰られるという賞品だった。その中には笑点の写真以外にも日本テレビの他番組の多くの写真が保存されていた。最終的にたい平が選んだ写真は5月31日放送の大喜利の冒頭で発表され、1967年「ご両人登場」から歌丸と歌丸の妻の冨士子が出演した際の写真が選ばれた。ナレーションは徳光和夫が担当。
- 昇太が「笑点50年にふさわしい超ものすごい賞品」を獲得。(2016年5月8日放送、昇太、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得)
- 賞品は50万円の南部箒で、この箒を使って翌週の50周年記念特番に向けて会場の掃除をすることを命じられた。
- さらに、昇太が賞品を獲得してからは6代目円楽の発言により、10枚に達すると昇太の掃除を手伝うというルールで大喜利を続行。その結果、6代目円楽・たい平・木久扇の3人が歌丸によって即10枚に達し、手伝うことになった。
昇太時代の豪華賞品
- 昇太の司会就任後は、座布団10枚の賞品のキーワードは特に設けられていない(一時期は、『十枚箱』と呼ばれる鍵付きのケースが用意されていた)。
- 好楽が「新時代の笑点にふさわしい賞品」を獲得。(2017年3月19日放送で獲得、3月26日放送)
- 内容は「番組前半の演芸コーナー出演権」で、今回は「観客を必ず笑わせる」という条件付きで、出演者や内容など全ての決定権が与えられた。
- 獲得翌週の演芸コーナーで放送され、好楽に加えて息子の王楽を始めとする家族、弟子達がほぼ総出で出演し、いつもここからと『悲しい時』ネタでのコラボ演芸を披露した。
- 6代目円楽が「2018年Shotan(昇太)カレンダー」を獲得。(2017年11月5日放送、史上初の同一放送回で同一出演者が2度10枚達成)
- 1975年以来、42年ぶりにカレンダーが座布団10枚の賞品となった。表紙にはメンバー全員の写真が使われているが、中身は昇太の写真集カレンダーだった。円楽は1問目で10枚に達成した後に没収があったため、この放送回で2度10枚に達成し、同じカレンダーを2部獲得した(しかし、1部は観客の女性に譲っている)。このカレンダーは『笑点暦』[70]と異なり、非売品である。
- たい平が「ズワイガニ」を獲得。(2019年3月17日放送)
- 6代目円楽が「笑点特製電動アシスト自転車」を獲得。(2020年10月18日放送)
- 『十枚箱』の中からは、自転車の鍵が出現。ホイールには、昇太の顔写真がプリントされている。
その他の豪華賞品
10枚達成ではないが、スペシャルなどで最も座布団を獲得したメンバーに賞品が贈られることがある。
- 特別大喜利での豪華賞品
- 小圓遊が「ミス桜の女王とキスができる権利」を獲得。しかし、キスが出来るのは実際に登場したミス桜の女王ではなく、女装した松崎真だった。(1978年5月7日 サンフランシスコ大喜利)
- 楽太郎が「ハワイの美女とキスができる権利」を獲得。今回は本物の美女だった。(1980年10月12日 ハワイ大喜利)
- 木久蔵が「トイレットペーパー1999本」を獲得。(1999年12月26日 年忘れ大喜利)
- 好楽が「「メイドの衣装」を獲得。(2006年5月14日 天国よいとこ昇天大喜利)
- 好楽と小遊三が「モアイ像の人形」を獲得。(2006年5月14日 5代目圓楽司会最後の大喜利)
- メンバー全員が「歌丸の写真入りアイマスク」を獲得。(2011年5月15日 45周年記念大喜利)
- たい平が「大喜利の司会を出来る権利」を獲得。しかし、出来るのはその回の締めの挨拶だけだった。(2018年5月13日 ニコニコ超会議2018超笑点ステージ)
- 小遊三・三平が「ゴジラ賞」を獲得。内容はこの回のVTRゲストだった松井秀喜のサイン入りのバットとグローブで、じゃんけんの結果三平がバット、小遊三がグローブを獲得した。(2021年5月16日 55周年記念大喜利)
- 対抗戦大喜利での豪華賞品
- 歌丸・木久蔵・楽太郎(歌丸チーム)が「笑点特製クリスマスケーキ」を獲得。(2000年12月24日)
- 歌丸・楽太郎・小遊三(歌丸チーム)が「木久蔵ラーメンと山田隆夫のCD」を獲得。(2001年12月23日)
- 歌丸・楽太郎・小遊三(歌丸チーム)が「島津製作所風オリジナル笑点作業着」を獲得。(2002年12月29日)
- 歌丸・木久蔵・好楽(歌丸チーム)が「大掃除セット」を獲得。(2004年1月4日)
- 木久扇・好楽・小遊三(おじさんチーム)が「歌丸羽子板」を獲得。(2007年12月30日)
- 楽太郎・昇太・たい平(壮年チーム)が「歌丸湯たんぽ」を獲得。(2009年12月27日)
- 両チームがブブゼラを獲得。(2010年12月26日)
- 6代目円楽・昇太・たい平(若手チーム)が「歌丸サンタ人形」を獲得。(2011年12月25日)
- 6代目円楽・昇太・たい平(幼稚園チーム)が「歌丸ホットカーペット」を獲得。(2012年12月23日)
- 6代目円楽・好楽・小遊三(三遊亭チーム)が「木久蔵ラーメン」を獲得。敗北した林家チームにも「円楽腹黒ラーメン」が特別に与えられた。(2018年12月23日)
- 寿大喜利での豪華賞品
- 歌丸が「バナナ」を獲得。楽太郎が1本つまみ食いしていた。(2004年1月1日 新春スペシャル)
- 小遊三が「骨」を獲得。(2006年1月1日 『大笑点』)
- 獲得者不明・野菜セット。(2007年1月1日 『大笑点』)
- 昇太が「チーズ」を獲得。(2008年1月1日 『大笑点』)
- 小遊三が「よだれ掛け」を獲得。(2009年1月1日 新春スペシャル)
- 好楽・小遊三・昇太が「巨大猫じゃらし」を獲得。(2010年1月1日 新春スペシャル)
- 木久扇が、「ホッピング」を獲得。(2011年1月1日 新春スペシャル)
- 小遊三が、「笑点特製凧」を獲得。(2012年1月1日 新春スペシャル)
- 6代目円楽が、「蛇口」を獲得[71]。(2013年1月1日 新春スペシャル)
- 木久扇・昇太が、「高級食パン」を獲得。(2014年1月1日 新春スペシャル)
- 6代目円楽・たい平が、「歌丸枕」を獲得。(2015年1月1日 新春スペシャル)
- 6代目円楽が、「高級バナナ」を獲得。箱に8本入っていたことから、たい平が勝手にメンバー全員に1本ずつ分配してしまい、その後は全員が舞台上で食べていた。(2016年1月1日 新春スペシャル)
- 木久扇が、「綾瀬はるかと個室で過ごす権利」を獲得。翌週1月8日にその様子が放送された。(2017年1月1日 新春スペシャル)
- 好楽・木久扇が、「骨型のクッション」を獲得。(2018年1月1日 新春スペシャル)
- 木久扇が、「綾瀬はるかと付き合える権利」を獲得。しかし、実際は綾瀬と羽根突き(「付き合える」ではなく、「突き合える」)が出来るということだった。(2019年1月1日 新春スペシャル)
- たい平が、「はるかとキスを出来る権利」を獲得。しかし、キスを出来る相手はゲストの綾瀬はるかではなく、ネズミの着ぐるみを着て突如現れたハリセンボンの箕輪はるかだった。(2020年1月1日 新春スペシャル)
- 6代目円楽が、「綾瀬はるかと一緒になれる権利」を獲得。しかし、内容は綾瀬の顔出しパネルに顔を入れて、綾瀬と同じ姿になれるというものだった。(2021年1月1日 新春スペシャル)
BS笑点・笑点Jr.の大喜利
『BS笑点』と『笑点Jr.』の大喜利は、基本的なルールは本家の大喜利と同様である。
座布団・独自ルール
番組で使われる座布団の大きさが本家のものより一回り小さい(笑点グッズの一つとして販売されている座布団カバーと同じ位の大きさ)。また、用意された座布団も少ない[72]。
独自のルールとして、獲得した座布団の枚数が一番少ないメンバーは次回の大喜利に出演できない(メンバー入れ替え制)。また、それぞれ獲得した座布団は毎回1枚にリセットされる。座布団0枚の状態で座布団剥奪に相当する答えを出すと、1歩あとずさりさせられる(2005年(平成17年)12月頃から追加)。座布団0枚のメンバーが複数名いる場合は座り位置が最も奥に引っ込んだメンバーが入れ替えの対象となる。
地方収録では特別ルールとして、地方収録2回目時点で座布団枚数が一番多かったメンバーには「豪華賞品」が贈られ、そのメンバーは次回お休みとなる(事実上出演権を剥奪される訳ではない)。
席順
『BS笑点』・『笑点Jr.』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr.に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。
BS笑点 | ||||||||
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2003年〜2005年 | ||||||||
回数 | 出演メンバー(左側が下手) | 備考 | ||||||
3回 | 笑志 | 愛楽 | きくお | たい平 | 柳好 | 玉の輔 | ||
2005年〜2007年 | ||||||||
5回 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 笑志 | 柳好 | 玉の輔 | この席順の場合は、柳好が最下位になることが多い。 | |
4回 | 愛楽 | 文左衛門 | きくお | 彦いち | 柳好 | 玉の輔 | この席順の場合は、きくおが最下位になることが多い。 | |
3回 | 愛楽 | 文左衛門 | 栄助 | 彦いち | 柳好 | 玉の輔 |
笑点Jr. | ||||||||
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回数 | 出演メンバー(左側が下手) | 備考 | ||||||
12回[73] | 愛楽 | 文左衛門 | 木久蔵 | 生志 | 柳好 | 玉の輔 | 『笑点Jr.』以降は、この席順が基準となった。 | |
6回 | 愛楽 | 文左衛門 | 木久蔵 | 生志 | 蘭 | 玉の輔 | ||
5回 | 愛楽 | 文左衛門 | 百栄 | 生志 | 柳好 | 玉の輔 |
座布団10枚の豪華賞品
- 愛楽が「美味しい牛肉のお店に行ける権利」を獲得。(2009年3月22日放送)
- 木久蔵とセイラも合流し、大田原牛の専門店へ。そこではすき焼きとしゃぶしゃぶが出された(しかし選択制だったため、愛楽はすき焼きを選択)。
- しかし本当は牛肉の店に入れるだけで牛肉そのものを食べることができないとなっていたため、愛楽はクイズに答えれば牛肉を食べられるという条件で木久蔵が出した問題(内容は自身のペットにちなんだ問題だった)に挑戦するも結局不正解となり、すき焼きは木久蔵とセイラが食べ、自身は食べられなかった上に椅子に縛り付けにされた。
※()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。
その他の豪華賞品
地方収録などで最も座布団獲得したメンバーに送られた「ものすごい賞品」
- 『BS笑点』
- これは2007年(平成19年)4月よりBS日テレから日テレプラス&サイエンス(現:日テレプラス ドラマ・アニメ・スポーツ)へ放送枠を移動し、「笑点Jr.」として放送されることに因んだ賞品だが、日テレプラス&サイエンスを見るための視聴料は獲得者の自己負担となった。
- 『笑点Jr.』
- 愛楽が「初代セントレア名人」に認定し、「2泊3日のサイパン旅行」を獲得。セントレアのマスコットキャラクター「なぞの旅人フー」に伴われてサイパンへ。(2007年12月16日放送 第1回セントレア名人決定戦)
- 国際的平和のために、サイパンの人々に自分のギャグを広めようとしたが、受けなかった(しかしモノマネは受けた)。
- 愛楽が「使い道に困った番組の座布団全部」を獲得。(2011年2月13日放送)
脚注
- ^ 『笑点五〇年史』ぴあ、2016年。ISBN 978-4-8356-3118-9。 p.113
- ^ 『笑点五〇年史』p.142
- ^ 2020年5月10日放送分以前は座布団運び(山田)も入場していたが、同年11月22日放送分以降は舞台上の面積の関係により、入場しなくなった。
- ^ 歌丸は体調の関係により、2014年7月13日放送分以降は下手から入場した。
- ^ 但し、第2384回(2013年10月13日放送)など、歌丸時代は何度かこれが省略された回が存在し、後述の対抗戦など特殊な形式の場合も行われない。
- ^ なお、カットされた回答を含めた完全版は「笑点 特大号」でオンエアされる。
- ^ “追悼立川談志「反骨の美学」と「喧嘩人生」(3) 「笑点」の大喜利を考案した”. 徳間書店. 2016年5月23日閲覧。
- ^ “「笑点」最高視聴率は74年36・1% 座布団は立川談志さん考案”. スポーツニッポン (2016年5月23日). 2016年5月23日閲覧。
- ^ 小暮美雄「座布団が笑点を生んだ」『笑点』日本テレビ放送網、2006年。ISBN 4-8203-9955-1。 p.35
- ^ 特別編成では2問や1問のみの場合がある。過去のスペシャルでは、4問出題された事もあった。
- ^ 状況によっては、司会者が強制指名する場合がある。
- ^ 稀に噛んでしまったり、自身の回答が滑ったことを察した回答者が、自ら座布団を返上するケースもある。
- ^ その際には司会者が「誰か他に?」などと言ったり、次の問題に移る(3問目の場合は番組を締めくくる)。
- ^ 2020年10月18日放送分は舞台上にアクリル板が多数設置されていた関係上、行われなかった。
- ^ 主に大喜利メンバーへの上手い返答時、観客の反応を見たり他の出演者が判断して与えることがあるが、司会者が自ら座布団を持ってくるように指示するケースもある。また特殊な例として、昇太が2問目で番組を終わろうとするミスを犯した際にたい平に司会者専用の紺色の座布団を没収されたことがあり、その後はメンバーから与えられた回答者用の紫色の座布団に座っていた。
- ^ 笑点公式サイトなどに記録がある。
- ^ 円楽タジタジ…「笑点」ラブホ不倫イジり 昇太“容赦なし”座布団没収6代目円楽の不倫疑惑が報じられた直後の収録にて、メンバーの自己紹介の前に問答無用で座布団を全て没収された。
- ^ “幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」”. リクナビNEXT (2015年11月20日). 2017年12月24日閲覧。
- ^ 『笑点五〇年史』p.142
- ^ 『笑点五〇年史』p.114
- ^ 公式サイト[1]2015年12月11日閲覧
- ^ 第2157回放送分2016年6月13日閲覧
- ^ 『笑点五〇年史』p.150
- ^ 出題の際には、画面右上にスペシャルウィークのロゴが掲示される。
- ^ 2006年(平成18年)11月6日放送の「極上の月夜」で林家木久蔵(当時)談
- ^ 期間はその年によって異なり、収録時期の関係によって7月下旬や9月上旬も含まれた年もあれば、逆に1週のみしか着用しなかった年もある。2020年に関しては当時リモートで収録を行っていた影響もあって、1度も着用しなかった。
- ^ 現在メンバーにつけているピンマイクのスポンジ部分は黄色か黒となっている。
- ^ 前田の席は左端ではなく、歌奴と金馬の間の中央部分だった。
- ^ この日は北海道収録であり、演芸ゲストがてんぷくトリオだったため。
- ^ 定位置には座布団、その上に折りたたまれた水色の紋付が置かれた。
- ^ この日の席順は鶴亀大喜利の席順で、愛川の左側に上方噺家がいる東西対抗戦方式だった。
- ^ ドレミファ大喜利は、こん平が代理。
- ^ この頃は週代わりで自前の紋付を着ていた。
- ^ 昇太以外は、その回の前半に放送された大喜利下克上でMVPに選ばれた若手落語家。
- ^ a b c d 定位置には、それまでに獲得していた座布団が積まれていた(この間も他のメンバーの回答によって、枚数が増減する場合がある)。
- ^ 代理加入時、こん平が休演前までに獲得していた4枚の座布団を引き継いだ。
- ^ 当時たい平はこん平の代理として出演していたため、本人は「師匠を差し置いて司会をすることはできない」という理由で辞退している。
- ^ 木久蔵が実子きくおの真打昇進・2代目木久蔵襲名に伴うもの
- ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも木久扇と楽太郎の2人で担当。
- ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介も2人が担当。
- ^ a b c d e f g h i j 代理司会を担当したメンバーの定位置には、前回までに獲得した座布団が積まれていた。
- ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも昇太とたい平の2人が担当(5月11日放送分は挨拶なし)。
- ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
- ^ 前回の2015年1月18日放送分で円楽の歌丸罵倒ネタにメンバー全員が巻き込まれたため、全員の座布団が全没収で終了。そのため、見た目上は山田用の赤い座布団のみが置いてある状態でスタートした。
- ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、演芸の放送日の変更などがあった影響もあって2週とも行われず、オープニング終了後すぐに演芸が開始された。
- ^ 桂歌丸が体調不良で休養発表 『笑点』収録もお休み
- ^ a b この間に生放送で行われた『チャリティー大喜利』には、復帰後だったため出演した。
- ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、その放送分の代理司会者が担当(2015年7月19日分は木久扇が担当。2015年7月12日・7月26日・8月2日放送分は挨拶なし)。
- ^ 2015年7月19日放送分で代理司会を務めた6代目円楽が、自身を除いた全員の座布団を全部没収したため、9枚ある円楽の席の座布団と山田の赤い座布団が置かれた状態で開始。
- ^ 「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定 スポーツ報知 2016年5月29日閲覧
- ^ 定位置には、座布団が1枚置かれていた。
- ^ a b c d 一時的に、6代目円楽の座布団を引き継いだ。
- ^ 山田に関しては舞台上の面積の関係から最初の挨拶の時は座布団に座らず、たい平の後ろに立っていた。
- ^ メンバーが映し出されているモニターの隣に、山田の等身大写真パネルが置かれていた。
- ^ 2020年6月14日放送分以降は、冒頭の挨拶の時のみ電話音声やVTRで出演。
- ^ 定位置には座布団が1枚置かれ、2問目はスペシャルゲストの佐々木がこの席で回答者として参加し2枚獲得したため、最終的に3枚となった。
- ^ メインパーソナリティーとの対抗大喜利は、事前に収録されたため参加。
- ^ 2週ごとに、メンバーの前列と後列を入れ替えている。
- ^ メンバーの席替えは、1992年以来29年ぶりとなった。
- ^ a b c 一時的に、木久扇の座布団を引き継いだ。
- ^ a b この回は、特別に両チームに賞品が与えられた。
- ^ 『笑点五〇年史』p.177
- ^ 『笑点五〇年史』p.24
- ^ 『笑点五〇年史』p.132
- ^ 『笑点五〇年史』ぴあ、2016年。ISBN 978-4-8356-3118-9。 p.187
- ^ 『笑点五〇年史』p.134
- ^ 『笑点』日本テレビ放送網、2006年。ISBN 4-8203-9955-1。 p.122
- ^ a b 日本テレビ『笑点』P111より。
- ^ “好楽“一生無料”日テレ社食へ 30人で20年食べると3億円超”. sponichi annex (2014年11月23日). 2014年11月23日閲覧。
- ^ この年も例年通り、これとは別に製作されている。
- ^ 単なる蛇口ではなく、トロフィーを模して台座が付いた物になっている。また、後に「リモート大喜利」にて自宅の物を使ったお題が出された際に、円楽はこの蛇口を回答に用いた。
- ^ 林家たい平の著書「笑点絵日記」に『BS笑点の座布団はトータル20枚程度しか用意されていない』という記述がある。
- ^ 愛知収録の回を含めると14回。
参考文献
- 『笑点五〇年史』(2016年 ぴあ ISBN 978-4-8356-3118-9)