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== 概要 ==
== 概要 ==

2021年8月17日 (火) 23:18時点における版

ガンジー
Gandhi
監督 リチャード・アッテンボロー
脚本 ジョン・ブライリー
製作 リチャード・アッテンボロー
製作総指揮 マイケル・スタンレー・エバンス
出演者 ベン・キングズレー
キャンディス・バーゲン
ジョン・ギールグッド
マーティン・シーン
音楽 ラヴィ・シャンカール
ジョージ・フェントン
撮影 ビリー・ウィリアムズ
ロニー・テイラー
編集 ジョン・ブルーム
製作会社
配給 コロンビア映画
公開 インドの旗 1982年11月30日
イギリスの旗 1982年12月3日
アメリカ合衆国の旗 1982年12月8日
日本の旗 1983年4月16日
上映時間 188分
製作国 イギリスの旗 イギリス
インドの旗 インド
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語ヒンディー語
製作費 $22,000,000
興行収入 $52,767,889[1]
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ガンジー』(Gandhi)は、1982年公開のイギリスインドアメリカの合作映画。製作会社はコロンビア ピクチャーズで、監督はリチャード・アッテンボロー。脚本はジョン・ブライリー第55回アカデミー賞作品賞受賞作品。

概要

弁護士宗教家であり、イギリス領インド帝国の独立運動を率いた1人であり、「インド独立の父」として知られるマハトマ・ガンディーの青年時代から暗殺までを描いた歴史映画

初めて映画に出演したインド人の血を引くイギリス人俳優ベン・キングズレーが、極限までガンディーの外見と仕草を模倣し、アカデミー主演男優賞を初め、数多くの映画賞を受賞したことが大きな話題を呼んだ。

また、動員したエキストラは30万人を超え、1つの映画作品に動員したエキストラの最多記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。

ストーリー

1948年の独立を勝ち取ったインド。夕刻の礼拝時に大勢のインド人がガンジーを取り囲む中、1人の男がピストルを隠したままガンジーに近づき、ガンジーが祈りを返すなか3発の銃弾が命を奪った。

1893年のイギリス領南アフリカ。列車の一等車に乗っていたイギリス領インド人の青年弁護士ガンジーは、被差別人種である有色人種であるがゆえに三等車に移るように白人の係員に指示されたものの、それを拒否したために列車から放り出されてしまう。

イギリス連邦の一員でありながら不当な差別を行う白人政府に憤ったガンジーは、有力者のカーンたちと協力して抗議活動を行い、有色人種が所有を義務付けられていた身分証を焼却して逮捕される。逮捕されたものの、無抵抗だったガンジーに対して警察が暴力を振るったことに抗議の声が挙がり、ガンジーは釈放される。

釈放後、ガンジーは人種・宗教・階級の垣根を超えたアーシュラム共同農園を作り、イギリスの人種政策に対抗する。ガンジーの元には牧師のアンドリューや記者のウォーカーが集まり、運動は拡大していく。ガンジーは南アフリカ政府が新たに制定した人種政策を拒否するための集会を開き、有色人種を不当に酷使する農場で抗議デモを実施するが、暴動を起こした罪で再び逮捕されてしまう。しかし、ガンジーの活動に注目が集まり抗議の声も高まっていたため、人種政策を制定したスマッツ将軍は政策を撤回し、ガンジーを釈放する。

釈放されたガンジーは第一次世界大戦中の1915年に故郷インドに帰国して、イギリスの植民地支配下で抑圧されていた民衆から大歓迎され、また、ジャワハルラール・ネルーらが率いるインド独立を目指す「インド国民会議」に迎え入れられる。

ガンジーは知見を広めるためインド全土を旅し、やがてイギリスの植民地政府の暴力に対抗するために「非暴力」を掲げて抵抗を開始する。イギリス植民地政府はガンジーを数度に渡り逮捕するが、その都度民衆や新聞の猛抗議を受け彼を釈放する。勢い付いた民衆は各地で集会を開き非暴力運動を呼びかけるが、イギリス軍のダイヤー将軍は集会を排除するために民衆を虐殺し、アムリットサル事件を引き起こす。

ガンジーたち国民会議のメンバーは総督と会談してイギリスからの独立を目指す考えを伝えるが、インド政府高官たちは彼らの宣言を真に受けようとはしなかった。ガンジーはウッド新総督就任を狙いインド全土でゼネストを呼びかけ、インド政府を混乱させる。ウッドは抵抗運動を弾圧し、怒り狂った民衆が暴動を起こして警官を殺害する事件が発生する。ショックを受けたガンジーは抵抗運動を止めるように訴え、断食を実施する。衰弱するガンジーを見たネルーたち国民会議のメンバーは抵抗運動の中止を指示し、ゼネストは終結した。

1930年、ガンジーは十数年振りにウォーカーと再会し、新たな抵抗運動として塩の行進を決行する。ガンジーは塩の専売権をイギリスから取り戻し、インドの独立を訴える。直後にガンジーは逮捕されるが、残された民衆は塩を作り続け、再び非暴力運動を展開していく。第二次世界大戦が勃発すると、ガンジーは反英運動を理由に逮捕され、収監先の刑務所で妻カストゥルバと死別する。戦争の終結後、戦勝国となるも日本ドイツとの戦いで疲弊した上に、大戦中に日本軍の協力を受けて活動していたインド国民軍参加者への裁判に反対するデモなどを受け、もはや植民地支配を続けることができないと悟ったイギリスはインドの独立を承認し、最後の総督としてマウントバッテンが赴任する。

国民会議のメンバーはマウントバッテンと独立に向けた交渉を始めるが、インドでは少数派であるムスリムの権利が侵されることを危惧したジンナーは、インドとは別のムスリム国家の樹立を模索する。宗教対立を望まないガンジーは、ジンナーを独立インドの初代首相としたムスリム内閣を提案するが物別れに終わり、イギリス領インドは1947年に「インド」と「パキスタン」それぞれ別の国家として独立した。

インドが分裂したことを嘆くガンジーは、それぞれの国家に取り残されたヒンドゥー教徒、ムスリムが迫害を受け、その報復として互いが殺し合う姿を見てさらに衝撃を受ける。宗教対立を止めるように訴えたものの、民衆は怒りからガンジーの言葉を聞き入れようとせず、彼を裏切者として弾劾する。ガンジーは対立を止めようと再び断食を行うが、老齢の彼は次第に衰弱していく。首相となったネルーはガンジーを助けるため奔走し、民衆もガンジーの姿を見て我に返り、暴動は鎮静化する。

インドが落ち着きを取り戻した頃、ガンジーは夕べの祈りに出かけ民衆と触れ合うが、彼を敵視するヒンドゥー原理主義者ゴードセーに射殺される。ガンジーの国葬が執り行われ、インド全土から民衆が駆け付け、各国の要人も弔意を示す中、ガンジーの遺体は火葬され、遺灰はガンジス川にまかれた。

スタッフ

キャスト

役名 俳優 日本語吹き替え
ソフト版 フジテレビ
マハトマ・ガンジー ベン・キングズレー 井上倫宏 寺田農
カストゥルバ・ガンジー英語版 ロヒニ・ハタンガディ
ジャワハルラール・ネルー ロシャン・セス 水野龍司 津嘉山正種
パテル サイード・ジャフリー 楠見尚己 富田耕生
ムハンマド・アリー・ジンナー アリク・パダムゼ 津田英三 小林勝彦
マーガレット・バーク=ホワイト キャンディス・バーゲン 泉裕子 鈴木弘子
レジナルド・ダイヤー英語版 エドワード・フォックス 稲葉実 麦人
アーウィン卿エドワード・ウッド総督 ジョン・ギールグッド 大木民夫 中庸助
ブルームフィールド判事 トレヴァー・ハワード 有本欽隆 上田敏也
フレデリック・セシジャー総督 ジョン・ミルズ 浦山迅 石森達幸
ヴィンス・ウォーカー マーティン・シーン 堀内賢雄 西村知道
チャーリー・アンドリュー牧師英語版 イアン・チャールソン 小川真司
コリンズ リチャード・グリフィス
コリン ダニエル・デイ=ルイス 大久保利洋
役不明又はその他 屋良有作
幸田直子
有馬瑞香
小林清志
池田勝
松村彦次郎
峰恵研
玄田哲章
村松康雄
柳沢紀男
藤本譲
伊井篤史
竹口安芸子
大滝進矢
小室正幸
翻訳 高間俊子 宇津木道子
演出 安江誠 小林守夫
調整 丹波晴道
効果 遠藤堯雄
桜井俊哉
制作 東北新社
初回放送 - 1987年2月21日
ゴールデン洋画劇場

評価

エピソード

  • 当初、ガンジー役にベン・キングズレーが起用された際には、彼がイギリス人であることに反発の声が上がったが、キングズレー自身がインド人の血を引いていることがわかり、一応の解決を見た。
  • ロケ地では、ベン・キングズレー自身の風貌があまりにも酷似していたため、周囲の住民は「ガンジーが生き返った」と思い込み、彼の元に参拝するものが後を絶たなかった。
  • アイルランド出身の活動家マーク・ボイルは大学卒業直前この映画を見て、大変感動したという。2008年より彼は「金銭を介在させない生活」を営んでいるが、その原点となった作品である[2]

出典

  1. ^ Gandhi (1982)” (英語). Box Office Mojo. 2010年11月5日閲覧。
  2. ^ アエラ2010年2月15日号より。

関連項目

外部リンク