「海部郡 (愛知県)」の版間の差分
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[[画像:Aichi Ama-gun.png|frame|愛知県海部郡の位置(1.大治町 2.蟹江町 3.飛島村)]] |
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'''海部郡'''(あまぐん)は[[愛知県]]([[尾張国]])の[[郡]]。[[名古屋市|名古屋]]西部に隣接している場所。 |
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2021年9月6日 (月) 03:19時点における版
海部郡(あまぐん)は愛知県(尾張国)の郡。名古屋西部に隣接している場所。
人口73,983人、面積40.11km²、人口密度1,845人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
現在は以下の2町1村。
郡域
1913年(大正2年)に行政区画として発足した当時の郡域は、2町1村のほか、下記の区域にあたる[注釈 1]。
平安時代に海西郡を分割する以前は、海津市の一部(平田町岡、平田町者結、平田町蛇池、海津町松木、海津町鹿野、海津町草場、海津町駒ヶ江、海津町立野、海津町長久保、海津町石亀、海津町森下以東)が郡域であったが、1586年に美濃国海西郡として分割された後明治時代にそのまま海津郡に編入されているため、近代以降は海部郡の郡域とはなっていない。
歴史
名称の由来
「あま」は、古来より漁業や航海などの職業に携わった海人部(あまのべ)に由来するとされる[1]。
古代
かつての郡域であった津島市内の寺野遺跡からは約2000年ほど前の弥生時代に作られたと推定される土器や土錘が見つかっている[2]。また寺野廃寺からは白鳳期の軒丸瓦が見つかっており、古代に大伽藍が存在したと推定される[2]。
701年の大宝律令制定以前から、評として「海評(あまのこおり)」が置かれていた[1]。飛鳥京跡苑池遺構から出土した678年(天武天皇7年)頃のものとされる木簡には「戊寅年十二月尾張海評津嶋五十戸・韓人部田根舂 赤米斗加支各田部金」と記載されており、この頃すでに「津嶋」の郷に1000人ほどが居住していたことが分かる[3][2]。701年の大宝律令の制定により評が郡となり「海郡」となった[4]。713年(和銅6年)以降、好字二字令により「海部郡」と記されるようになった[1]。奈良時代の古文書である正倉院文書[3]や927年成立の延喜式にも海部郡(あまのこおり)との記載がみられる[5]。延喜式によると域内に「馬津駅(うまづえき)」[注釈 3]という駅家が存在したとされ、古代東海道のルートとなっていたことがわかる。
「佐織町史通史編」によれば平安時代後期すなわち11世紀頃に東西に分割されて海東郡と海西郡になり[2]、海東郡と海西郡の境界は善太川の旧河道と推定されている[3]。
郷
938年頃に成立した和名類聚抄に「海部郡」の郷として掲載されているのは以下の通り[6]。ただし読みが特定できるものについては括弧内に記載した。
- 新屋(にいや)
- 中島(なかしま)
- 津積(つつみ)
- 志摩(しま)
- 伊福(いふく)
- 島田(しまだ)
- 海部(あま)
- 日置(へき)
- 三刀(みと)
- 物忌(ものいみ)
- 三宅(みやけ)
- 八田(やた)
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
尾張国海部郡 8座(並小) | |||||||
漆部神社 | ウルシヘノ | 小 | (論)漆部神社 | 愛知県あま市甚目寺東門前 | |||
諸鍬神社 | モロクハノ | 小 | 諸鍬神社 | 愛知県愛西市諸桑町郷城 | |||
国玉神社 | クニタマノ | 小 | 国玉神社 | 愛知県名古屋市中川区富田町万場2丁目 | |||
藤島神社 | フチシマノ | 小 | 藤島神社 | 愛知県あま市秋竹字柏田 | |||
宇太志神社 | ウタシノ | 小 | 宇太志神社 | 愛知県愛西市鵜多須町下中山 | |||
由乃伎神社 | ユノキノ | 小 | 由乃伎神社 | 愛知県愛西市柚木町東田面 | |||
伊久波神社 | イクハノ | 小 | 伊久波神社 | 愛知県稲沢市平和町下三宅郷内 | |||
憶感神社 | オカムノ | 小 | 憶感神社 | 愛知県津島市神守町上町 | |||
凡例を表示 |
近代以降
1913年(大正2年)7月1日に海東郡と海西郡が合併して海部郡となった。海東郡役所の置かれた津島町は両郡における生活の中心地であり、海西郡の住民にとっても海西郡役所のおかれた弥富町より便が良かったため、郡制施行以来長年の懸案だった。もっとも1921年(大正10年)には郡制そのものが廃止され、郡役所も1926年(大正15年)に廃された。
2005年3月時点では全国で一番人口の多い郡だったが、愛西市の誕生により福岡県糟屋郡に次いで2位に、弥富市の誕生で愛知県知多郡に次いで3位となった。2020年7月現在はあま市の誕生で19位。
沿革
- 大正2年(1913年)7月1日 - 海東郡・海西郡の区域をもって発足。以下の町村が所属。(3町16村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)4月1日 - 佐織村の一部(古川)が津島町に編入。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和7年(1932年)8月1日 - 甚目寺村が町制施行して甚目寺町となる。(4町15村)
- 昭和14年(1939年)11月3日 - 佐織村が町制施行して佐織町となる。(5町14村)
- 昭和18年(1943年)1月1日 - 甚目寺町の一部(土田・上条)が西春日井郡清洲町に編入。
- 昭和19年(1944年)2月11日 - 富田村が町制施行して富田町となる。(6町13村)
- 昭和22年(1947年)3月1日 - 津島町が市制施行して津島市となり、郡より離脱。(5町13村)
- 昭和24年(1949年)6月1日 - 南陽村が町制施行して南陽町となる。(6町12村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 永和村が分割し、一部(善太新田の一部)が蟹江町、一部(善太新田の一部)が十四山村、一部(大井・鰯江新田・大野新田)が佐屋町、残部(半右衛門新田・頭長・唐臼・鹿伏兎・中一色)が津島市にそれぞれ編入。(5町7村)
- 昭和33年(1958年)1月1日 - 美和村が町制施行して美和町となる。(6町6村)
- 昭和41年(1966年)4月1日 - 七宝村が町制施行して七宝町となる。(7町5村)
- 昭和50年(1975年)4月1日 - 大治村が町制施行して大治町となる。(8町4村)
- 平成17年(2005年)4月1日 - 佐屋町・立田村・八開村・佐織町が合併して愛西市が発足し、郡より離脱。(6町2村)
- 平成18年(2006年)4月1日 - 弥富町が十四山村を編入のうえ市制施行して弥富市となり、郡より離脱。(5町1村)
- 平成22年(2010年)3月22日 - 七宝町・美和町・甚目寺町が合併してあま市が発足し、郡より離脱。(2町1村)
変遷表
1913年 | 1925年 | 1932年 | 1939年 | 1943年 | 1944年 | 1947年 | 1949年 | 1955年 | 1956年 | 1958年 | 1966年 | 1975年 | 2005年 | 2006年 | 2010年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
富田村 | 富田町 | →名古屋市中川区 | |||||||||||||
南陽村 | 南陽町 | →名古屋市港区 | |||||||||||||
蟹江町 | |||||||||||||||
永和村 | →蟹江町 | ||||||||||||||
→十四山村 | 弥富市 | ||||||||||||||
→津島市 | |||||||||||||||
→佐屋町 | 愛西市 | ||||||||||||||
佐屋村 | 佐屋町 | ||||||||||||||
立田村 | |||||||||||||||
八開村 | |||||||||||||||
佐織村 | 佐織村 | 佐織町 | |||||||||||||
→津島町 | 津島市 | ||||||||||||||
津島町 | |||||||||||||||
市江村 | →佐屋町 | 愛西市 | |||||||||||||
→弥富町 | 弥富市 | ||||||||||||||
弥富町 | |||||||||||||||
鍋田村 | →弥富町 | ||||||||||||||
十四山村 | |||||||||||||||
神守村 | →津島市 | ||||||||||||||
七宝村 | 七宝町 | あま市 | |||||||||||||
美和村 | 美和町 | ||||||||||||||
甚目寺村 | 甚目寺町 | 甚目寺町 | |||||||||||||
→西春日井郡清洲町 | 清須市 | ||||||||||||||
大治村 | 大治町 | ||||||||||||||
飛島村 |
※ 着色部は海部郡に現在属する自治体。
※ →は編入、斜字体は合併・編入によって海部郡以外の郡あるいは市となったことを示す。
備考
- 海部地域盛り上げ隊(AMT)- 愛知県海部地域4市2町1村のアイドルグループ、メンバーは愛知県のアイドルユニットP-LOCOから選抜。
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 大正2年(1913年)7月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
出典
- ^ a b c “partⅠ”. 愛知地域建設コンサルタント協会. 2020年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e “津島の歴史・祭礼 概要”. 2020年11月3日閲覧。1ページ 「1 津島の歴史」
- ^ a b c 石田、鬼頭、蔭山 (2012年3月31日). “付論 日置の古地理環境 愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第177集”. 公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター. 2020年11月3日閲覧。9ページ 「5.文献資料からみた旧河道と日置」
- ^ “木簡庫”. 奈良文化財研究所. 2021年4月2日閲覧。
- ^ “延喜式 : 校訂. 下巻 国立国会図書館デジタルコレクション”. 2020年11月2日閲覧。巻二十二 民部式 上 29ページ
- ^ “倭名類聚鈔 20巻3 国立国会図書館デジタルコレクション”. 2020年11月2日閲覧。43ページ
注釈
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4040012305。
関連項目
先代 海東郡・海西郡 |
行政区の変遷 1913年 - |
次代 (現存) |