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2003年のシーズン後にプレーオフの際の継投ミスの責任を問う形で[[ボストン・レッドソックス]]は監督の{{仮リンク|グレイディ・リトル|en|Grady Little}}を解任したが、フランコーナはその後任として監督に就任した。
2003年のシーズン後にプレーオフの際の継投ミスの責任を問う形で[[ボストン・レッドソックス]]は監督の{{仮リンク|グレイディ・リトル|en|Grady Little}}を解任したが、フランコーナはその後任として監督に就任した。


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{{by|2004年}}のシーズンに98勝64敗で[[アメリカンリーグ]]東部地区2位の成績を残し、[[ワイルドカード]]を獲得する。[[ディビジョンシリーズ]]で[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]]を3勝0敗で撃破し、[[リーグチャンピオンシップシリーズ]]では[[ニューヨーク・ヤンキース]]を史上初の3連敗4連勝で倒す。[[2004年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では[[セントルイス・カージナルス]]を4連勝で下し、レッドソックスを86年ぶりのワールドシリーズ制覇に導く。


喫煙者であるが、{{by|2007年}}の[[スプリングトレーニング]]中に禁煙宣言をした。もし、シーズン中に失敗した場合は、がんの研究機関に2万ドル寄付すると発表した一方で、今季終了まで続いた場合は、2度のがんを乗り越えた球団社長の[[ラリー・ルキーノ]]が研究機関に2万ドルを寄付するという(地区優勝のインタビューで、禁煙していたタバコをふかした。)。
喫煙者であるが、{{by|2007年}}の[[スプリングトレーニング]]中に禁煙宣言をした。もし、シーズン中に失敗した場合は、がんの研究機関に2万ドル寄付すると発表した一方で、今季終了まで続いた場合は、2度のがんを乗り越えた球団社長の[[ラリー・ルキーノ]]が研究機関に2万ドルを寄付するという(地区優勝のインタビューで、禁煙していたタバコをふかした。)。

2021年9月11日 (土) 23:51時点における版

テリー・フランコーナ
Terry Francona
クリーブランド・インディアンス 監督 #77
クリーブランド・インディアンスでの監督時代
(2015年12月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスダコタ州ブラウン郡アバディーン
生年月日 (1959-04-22) 1959年4月22日(65歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1980年 MLBドラフト1巡目
初出場 1981年8月19日
最終出場 1990年4月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

テリー・ジョン・フランコーナTerry Jon Francona, 1959年4月22日 - )は、アメリカ合衆国サウスダコタ州ブラウン郡アバディーン出身の元プロ野球選手外野手)、監督。左投左打。現在は、MLBクリーブランド・インディアンスの監督を務める。

父親は1956年から1970年に主に外野手として活躍したティト・フランコーナ英語版で、通算1395安打、125本塁打、656打点などの成績を残した。

経歴

プロ入り前

アメリカ合衆国サウスダコタ州アバディーンで生まれ、ペンシルベニア州ニューブライトン英語版で育つ。

1977年MLBドラフト2巡目(全体38位)でシカゴ・カブスから指名されたが、契約せずにアリゾナ大学へ進学した。大学在学中の1980年には最優秀選手としてゴールデンスパイク賞を受賞する。

現役時代

1980年のMLBドラフト1巡目(全体22位)でモントリオール・エクスポズから指名され、プロ入り。

1981年8月にメジャー昇格を果たす。左打ちの外野手として活躍し、フィラデルフィア・フィリーズとのナショナルリーグ・ディビジョンシリーズでは12打数4安打で、チームのシリーズ勝利に貢献する。その後、一塁手に転向、確実性の高い打者として評価を受ける。

1985年のシーズン後にエクスポズから放出され、その後カブス、シンシナティ・レッズクリーブランド・インディアンスミルウォーキー・ブルワーズに在籍する。

1990年に引退した。10年間の通算成績は708試合出場、打率2割7分4厘、16本塁打、143打点という記録が残っている。

監督時代

1992年から指導者としてマイナーリーグの監督を任される。

1993年から1995年までシカゴ・ホワイトソックス傘下のAA級バーミングハム・バロンズの監督を務めた。その間の1994年には著名なバスケットボール選手であるマイケル・ジョーダンが在籍していた。

1996年には、デトロイト・タイガースで初めてメジャーレベルでのコーチを経験した(三塁コーチ)。

1997年から2000年までフィリーズの監督を務めるが、ナショナルリーグ東部地区2位以上の成績を残すことはできずに終わる。フィリーズ時代の最高成績は1999年の77勝85敗だった。

フィリーズ監督退任後の2001年から2003年の間は、インディアンスのGM補佐、テキサス・レンジャーズオークランド・アスレチックスのベンチコーチをそれぞれ1年ずつ歴任した。

2003年のシーズン後にプレーオフの際の継投ミスの責任を問う形でボストン・レッドソックスは監督のグレイディ・リトル英語版を解任したが、フランコーナはその後任として監督に就任した。

2004年のシーズンに98勝64敗でアメリカンリーグ東部地区2位の成績を残し、ワイルドカードを獲得する。ディビジョンシリーズアナハイム・エンゼルスを3勝0敗で撃破し、リーグチャンピオンシップシリーズではニューヨーク・ヤンキースを史上初の3連敗4連勝で倒す。ワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを4連勝で下し、レッドソックスを86年ぶりのワールドシリーズ制覇に導く。

喫煙者であるが、2007年スプリングトレーニング中に禁煙宣言をした。もし、シーズン中に失敗した場合は、がんの研究機関に2万ドル寄付すると発表した一方で、今季終了まで続いた場合は、2度のがんを乗り越えた球団社長のラリー・ルキーノが研究機関に2万ドルを寄付するという(地区優勝のインタビューで、禁煙していたタバコをふかした。)。

2007年シーズンでは、投手と守備の補強と若手の台頭で、前半戦から首位を独走し、後半は疲れが出たものの、12年ぶりに地区優勝とメジャー最高勝率を果たし、ワールドシリーズでも初出場のコロラド・ロッキーズを4連勝で下し、3年ぶりの世界一に導いた。

2011年は、8月まではプレーオフ進出が確実な状況だったが、9月以降は歴史的な大失速でプレーオフ進出を逃した。この責任を取る形で、9月30日にレッドソックスの監督を退任した。

2011年時点での監督としての通算成績は1029勝915敗、勝率.529であった。

2012年ESPNの解説者を務めた。レギュラーシーズン終了後の10月6日に翌シーズンよりクリーブランド・インディアンスの監督に就任することが発表された[1]

監督へと復帰した2013年はレギュラーシーズンを地区2位で終え、ワイルドカードゲームに進出した。また自身初の最優秀監督賞を獲得し[2]、復帰のシーズンに花を添えた。

2016年ワールドシリーズに出場し、2度目の最優秀監督賞を受賞した。

2017年、監督としてベンチ入りする予定だったオールスターでは、不整脈の治療に専念するため欠場した(代役はインディアンスのベンチコーチであるブラッド・ミルズが務めた。)[3]

人物

  • 試合中にベンチで通常のユニフォーム姿でいることはほとんどなく、常にトレーニングウェアやジャンパーを羽織っている。
  • 愛称は「Tito(ティト)」。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1981 MON 34 104 95 11 26 0 1 1 31 8 1 0 3 0 5 1 1 6 0 .274 .317 .326 .643
1982 46 144 131 14 42 3 0 0 45 9 2 3 5 0 8 0 0 11 2 .321 .360 .344 .703
1983 120 238 230 21 59 11 1 3 81 22 0 2 0 2 6 2 0 20 7 .257 .273 .352 .625
1984 58 223 214 18 74 19 2 1 100 18 0 0 1 2 5 3 1 12 4 .346 .360 .467 .828
1985 107 296 281 19 75 15 1 2 98 31 5 5 2 0 12 4 1 12 1 .267 .299 .349 .648
1986 CHC 86 133 124 13 31 3 0 2 40 8 0 1 0 2 6 0 1 8 3 .250 .286 .323 .608
1987 CIN 102 219 207 16 47 5 0 3 61 12 2 0 1 0 10 1 1 12 5 .227 .266 .295 .561
1988 CLE 62 221 212 24 66 8 0 1 77 12 0 0 2 2 5 1 0 18 4 .311 .324 .363 .687
1989 MIL 90 244 233 26 54 10 1 3 75 23 2 1 1 2 8 3 0 20 4 .232 .255 .322 .577
1990 3 4 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .00
MLB:10年 708 1826 1731 163 474 74 6 16 608 143 12 12 15 10 65 15 5 119 30 .274 .300 .351 .652

年度別監督成績

年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考 プレーオフ
勝敗
1997年 PHI NL 東 38 162 68 94 .420 5 / 5  
1998年 39 162 75 87 .463 3 / 5  
1999年 40 162 77 85 .475 3 / 5  
2000年 41 162 65 97 .401 5 / 5  
2004年 BOS AL 東 45 162 98 64 .605 2 / 5 WS優勝 11勝03敗
2005年 46 162 95 67 .586 2 / 5 ALDS敗退 00勝03敗
2006年 47 162 86 76 .531 3 / 5
2007年 48 162 96 66 .593 1 / 5 WS優勝 11勝03敗
2008年 49 162 95 67 .586 2 / 5 ALCS敗退 06勝05敗
2009年 50 162 95 67 .586 2 / 5 ALDS敗退 00勝03敗
2010年 51 162 89 73 .549 3 / 5  
2011年 52 162 90 72 .556 3 / 5  
2013年 CLE AL 中 54 162 92 70 .568 2 / 5 ALWC敗退 00勝01敗
2014年 55 162 85 77 .525 3 / 5
2015年 56 161 81 80 .503 3 / 5
2016年 57 161 94 67 .584 1 / 5 WS敗退 10勝05敗
2017年 58 162 102 60 .630 1 / 5 ALDS敗退 02勝03敗
2018年 59 162 91 71 .562 1 / 5 ALDS敗退 00勝03敗
2019年 60 162 93 69 .574 2 / 5
2020年 61 60 35 25 .583 2 / 5 ALWC敗退 00勝02敗
MLB:20年 3136 1702 1434 .543 40勝31敗
  • 2020年度シーズン終了時
  • 太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)

表彰

背番号

  • 16(1981年 - 1986年)
  • 10(1987年)
  • 24(1988年)
  • 30(1989年 - 1990年)
  • 55(1996年)
  • 7(1997年 - 2000年)
  • 11(2002年)
  • 47(2003年 - 2011年)
  • 17(2013年 - 2017年)
  • 77(2018年 - )

脚注

関連項目

外部リンク