「アイギュプトス (ギリシア神話)」の版間の差分
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[[ヒュギーヌス]]によるとアイギュプトスは父の王権を独占するためにダナオスとその娘たちの殺害を企み、自分の息子たちとダナオスの娘たちとの結婚を持ちかけた。しかしダナオスはアイギュプトスの企みに気付き、アルゴスに逃げた。アイギュプトスはダナオスの逃亡を知ると、息子たちに彼らを追わせ、殺すまで帰ってくるなと命じた。そのため息子たちはアルゴスにやって来て攻撃し、ダナオスに娘たちとの結婚を認めさせた。しかしダナオスは娘たちに彼らを殺すよう命じたので、結婚後、[[リュンケウス]]を除くすべての者が殺された<ref>ヒュギーヌス、168話。</ref><ref>ヒュギーヌス、170話。</ref>。 |
[[ヒュギーヌス]]によるとアイギュプトスは父の王権を独占するためにダナオスとその娘たちの殺害を企み、自分の息子たちとダナオスの娘たちとの結婚を持ちかけた。しかしダナオスはアイギュプトスの企みに気付き、アルゴスに逃げた。アイギュプトスはダナオスの逃亡を知ると、息子たちに彼らを追わせ、殺すまで帰ってくるなと命じた。そのため息子たちはアルゴスにやって来て攻撃し、ダナオスに娘たちとの結婚を認めさせた。しかしダナオスは娘たちに彼らを殺すよう命じたので、結婚後、[[リュンケウス]]を除くすべての者が殺された<ref>ヒュギーヌス、168話。</ref><ref>ヒュギーヌス、170話。</ref>。 |
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[[アポロドーロス]]によるとアイギュプトスの息子たちはダナオスの娘たちによって首を切り落とされ、首はレルネーに、身体はアルゴスに葬られた<ref name=AP_2_1_5 />。あるいは[[パウサニアス|パウサニアース]]によるとアイギュプトスの息子たちはレルネーで殺された後、殺害の証拠として首を切り落とされ、身体はレルネーに葬られ、首はアルゴスに持ち帰られて葬られたといい、[[アクロポリス]]の道にその墓があったという<ref>パウサニアス、2巻24・2。</ref>。またアイギュプトスは息子たちの死を知ると、アルゴスとダナオスを恐れ、[[アカイア]]地方のアロエー([[パトライ]]の旧名)に逃げ、その地で死んだという<ref>パウサニアス、7巻21・13。</ref>。 |
[[アポロドーロス]]によるとアイギュプトスの息子たちはダナオスの娘たちによって首を切り落とされ、首はレルネーに、身体はアルゴスに葬られた<ref name=AP_2_1_5 />。あるいは[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアース]]によるとアイギュプトスの息子たちはレルネーで殺された後、殺害の証拠として首を切り落とされ、身体はレルネーに葬られ、首はアルゴスに持ち帰られて葬られたといい、[[アクロポリス]]の道にその墓があったという<ref>パウサニアス、2巻24・2。</ref>。またアイギュプトスは息子たちの死を知ると、アルゴスとダナオスを恐れ、[[アカイア]]地方のアロエー([[パトライ]]の旧名)に逃げ、その地で死んだという<ref>パウサニアス、7巻21・13。</ref>。 |
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* [[アポロドーロス]]『[[ビブリオテーケー|ギリシア神話]]』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) |
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* 『ギリシア悲劇I [[アイスキュロス]]』[[呉茂一]]他訳、[[ちくま文庫]](1985年) |
* 『ギリシア悲劇I [[アイスキュロス]]』[[呉茂一]]他訳、[[ちくま文庫]](1985年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
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* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照夫訳、[[講談社学術文庫]](2005年) |
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照夫訳、[[講談社学術文庫]](2005年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
2021年11月15日 (月) 10:50時点における版
アイギュプトス(古希: Αἴγυπτος, Aigyptos, ラテン語: Aegyptus)は、ギリシア神話の人物。エジプトの王であり、エジプトの国名の語源ともなった[1]。
エジプト王ベーロスと河神ナイルの娘アンキノエーの子で、ダナオスと双子の兄弟。アルギュピュエーとの間にリュンケウスとプローテウスをもうけた他、多くの女性と結婚し50人の息子の父となった[1]。
神話
父ベーロスはアイギュプトスにアラビアを、ダナオスにリビアを与えたが、後にアイギュプトスはメラムプース人の地を征服し、自分にちなんでアイギュプトス(エジプト)と呼んだ。しかしその後アイギュプトスは王権をめぐってダナオスと対立した。ダナオスとその娘たち(ダナイデス)はアイギュプトスの息子たちを恐れてギリシアのアルゴスに逃げ[1]、アイギュプトスの息子たちはアルゴスにやって来てダナオスに娘たちとの結婚を求めた[2]。アイスキュロスの作品では、ダナオスとその娘たちはアイギュプトスの息子たちとの結婚を強要されたのでアルゴスに逃げたという[3]。
ヒュギーヌスによるとアイギュプトスは父の王権を独占するためにダナオスとその娘たちの殺害を企み、自分の息子たちとダナオスの娘たちとの結婚を持ちかけた。しかしダナオスはアイギュプトスの企みに気付き、アルゴスに逃げた。アイギュプトスはダナオスの逃亡を知ると、息子たちに彼らを追わせ、殺すまで帰ってくるなと命じた。そのため息子たちはアルゴスにやって来て攻撃し、ダナオスに娘たちとの結婚を認めさせた。しかしダナオスは娘たちに彼らを殺すよう命じたので、結婚後、リュンケウスを除くすべての者が殺された[4][5]。
アポロドーロスによるとアイギュプトスの息子たちはダナオスの娘たちによって首を切り落とされ、首はレルネーに、身体はアルゴスに葬られた[2]。あるいはパウサニアースによるとアイギュプトスの息子たちはレルネーで殺された後、殺害の証拠として首を切り落とされ、身体はレルネーに葬られ、首はアルゴスに持ち帰られて葬られたといい、アクロポリスの道にその墓があったという[6]。またアイギュプトスは息子たちの死を知ると、アルゴスとダナオスを恐れ、アカイア地方のアロエー(パトライの旧名)に逃げ、その地で死んだという[7]。
系図
脚注
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『ギリシア悲劇I アイスキュロス』呉茂一他訳、ちくま文庫(1985年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照夫訳、講談社学術文庫(2005年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年)