コンテンツにスキップ

「アンティマコス (ギリシア神話)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: パウサニアスの改名に伴うリンク修正依頼 (パウサニアス (地理学者)) - log
26行目: 26行目:
* [[スミュルナのコイントス|クイントゥス]]『ギリシア戦記』[[松田治]]訳、[[講談社学術文庫]](2000年)
* [[スミュルナのコイントス|クイントゥス]]『ギリシア戦記』[[松田治]]訳、[[講談社学術文庫]](2000年)
* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年)
* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年)
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』[[松平千秋]]訳、岩波文庫(1992年)
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』[[岩波書店]](1960年)
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』[[岩波書店]](1960年)

2021年11月15日 (月) 10:54時点における版

アンティマコス古希: Ἀντίμαχος, Antimachos)は、ギリシア神話の人物である。主に、

のほか数人が知られている。以下に説明する。

トロイアの武将

このアンティマコスは、トローイアの武将で、ペイサンドロスヒッポロコス[1]、ヒッポマコス[2]ティーシポネーの父[3]

トロイア戦争のさい、最初にギリシア軍はメネラーオスオデュッセウスを使者として送り、メネラーオスはトローイア人にヘレネーの返還を要求したが、アンティマコスはパリスから報酬が得られると考えてメネラーオスの要求に反対し、さらにメネラーオスを殺すべきだと主張した。しかしこのために息子たちがアガメムノーンに命乞いをしたとき、聞き入れられずに殺された[1]

一説によれば、メネラーオスとオデュッセウスが派遣されてきたとき、アンテーノールパントオスをはじめとするトローイアの議会は2人の主張の正当性を認めたが、アンティマコス1人はパリスに票を投じた[4]。さらに扇動的な主張をしたためにアンテーノールと激しく対立し、議会から追放された[5]。ただしヘクトールアイネイアースは過激な主張こそしなかったが、アンティマコスと同様にヘレネーの返還に反対したとされる[6]。アンティマコスの子供たちはトローイアを去ったヘレノスの説得に向かった帰りに、ディオメーデース小アイアースに捕らえられ、アンティマコスの発言のために石打ちにされて殺され[7]、アンティマコス自身はトローイアから追放された[8]

ヘーラクレイダイの1人

このアンティマコスは、ヘーラクレイダイの1人である。ヘーラクレースの子クテーシッポス[9]の子トラシュアノールの子で、デーイポンテース[10]、アムピアナクスの父[11]

その他のアンティマコス

脚注

  1. ^ a b 『イーリアス』11巻。
  2. ^ 『イーリアス』12巻。
  3. ^ スミュルナのクイントゥス、1巻。
  4. ^ クレータのディクテュス、2巻23。
  5. ^ クレータのディクテュス、2巻24。
  6. ^ クレータのディクテュス、2巻25-26。
  7. ^ クレータのディクテュス、4巻21。
  8. ^ クレータのディクテュス、5巻4。
  9. ^ アポロドーロス、2巻7・8。
  10. ^ パウサニアス、2巻19・1。
  11. ^ パウサニアス、3巻25・10。
  12. ^ アポロドーロス、2巻7・8。
  13. ^ スミュルナのクイントゥス、12巻。
  14. ^ アポロドーロス、適用(E)7・27。

参考文献