「プリメーラ・ディビシオン」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 「シャビ」改名によるリンク修正依頼 - log |
||
152行目: | 152行目: | ||
====バルセロナの黄金期==== |
====バルセロナの黄金期==== |
||
2000年代後半には[[ジョゼップ・グアルディオラ]]監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、[[ラ・マシア]]と呼ばれる下部組織出身選手([[リオネル・メッシ]]、[[ |
2000年代後半には[[ジョゼップ・グアルディオラ]]監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、[[ラ・マシア]]と呼ばれる下部組織出身選手([[リオネル・メッシ]]、[[チャビ・エルナンデス]]、[[アンドレス・イニエスタ]]など)を中心としたチームで2008-09シーズンから2010-11シーズンまで3連覇した。グアルディオラ監督は在任中に国内外で14個のタイトルを獲得し、クライフの記録を破った。 |
||
=== 2010年代 === |
=== 2010年代 === |
2021年12月16日 (木) 20:54時点における版
ラ・リーガ サンタンデール LaLiga Santander | |
---|---|
ファイル:LaLiga Santander (2).svg | |
加盟国 | スペイン |
大陸連盟 | UEFA |
創立 | 1929 |
参加クラブ | 20 |
リーグレベル | 第1部 |
下位リーグ | セグンダ・ディビシオン |
国内大会 | コパ・デル・レイ |
国際大会 |
UEFAチャンピオンズリーグ UEFAヨーロッパリーグ UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ |
最新優勝クラブ | アトレティコ・マドリード (2020-21) |
最多優勝クラブ | レアル・マドリード(34回) |
最多得点選手 | リオネル・メッシ(452ゴール) |
テレビ局 |
放送: WOWOW (毎節最大5試合) 配信: DAZN(毎節最大10試合) |
公式サイト | laliga.com |
2021-22 |
プリメーラ・ディビシオン(西: Primera División)は、一般的にラ・リーガ(LaLiga)またスポンサーシップによりラ・リーガ サンタンデール(LaLiga Santander)として知られているスペインのプロサッカーリーグである。リーガ・デ・フトボル・プロフェシオナル(スペインプロリーグ機構)の主催により20チームで争われ、下位3チームはセグンダ・ディビシオンに降格する。2016年にリーグ名が変更されるまで[1]、日本ではリーガ・エスパニョーラの愛称で知られていた[2][3][4]。
概要
イングランドのプレミアリーグ、イタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガ、フランスのリーグ・アンとともにヨーロッパの五大プロサッカーリーグを形成している[5]。
プリメーラ・ディビシオンでは、創設以来計62のチームが参加。9つのチームがチャンピオンを獲得しており、レアル・マドリードCFが34回、FCバルセロナが26回獲得している。バルセロナは1929年に初優勝し、アスレティック・ビルバオがリーグ初期で多くのタイトルを獲得していた。1940年代、バレンシアCF、アトレティコ・マドリードが、いくつかのタイトルを獲得し、レアル・マドリード、バルセロナとタイトルを争う強豪として登場した。1950年代には、レアル・マドリードとバルセロナがチャンピオンシップを支配し、10年間でそれぞれ4つのタイトルを獲得した。1960年代から1970年代にかけて、レアル・マドリードは14のタイトルを獲得し、アトレティコ・マドリードは4つのタイトルを獲得した[6]。1980年代から1990年代にかけても、レアル・マドリードが目立っていたが、アスレティック・ビルバオとレアル・ソシエダの バスククラブが成功を収め、それぞれ2つのタイトルを獲得した。1990年代以降、バルセロナは16のタイトルを獲得している。レアル・マドリードは8つのタイトルを獲得している。また、アトレティコ・マドリードやデポルティーボ・ラ・コルーニャなどの他のチームもタイトルを獲得している。
UEFAのリーグ係数によると、過去5年間ヨーロッパでトップのリーグであり、他のどの国よりも長い間(22年)ヨーロッパをリードしてきた。また、UEFAクラブランキングは、他のどのクラブよりも多く(22クラブ)、2番目に多いセリエAの2倍以上。プリメーラ・ディビシオンのクラブは国際タイトルの、UEFAチャンピオンズリーグ(18回)、UEFAスーパーカップ(15回)FIFAクラブワールドカップ(7回)で、最も多くのタイトルを獲得。個人賞では、バロンドール(23回)、FIFA最優秀選手賞および、ザ・ベスト・FIFAフットボールアワード(19回)、 UEFA年間最優秀選手および、UEFA欧州最優秀選手賞(11回)で最も多く受賞。
プリメーラ・ディビシオンは、世界で最も人気のあるプロスポーツリーグの1つであり、2018-19シーズンのリーグ戦の平均入場者数は26,933人。これは、世界の国内プロスポーツリーグで6番目に高く、世界のプロサッカーリーグではブンデスリーガとプレミアリーグに次いで3番目に高い。
2016年からサンタンデール銀行が命名権を獲得し、ラ・リーガ サンタンデール(LaLiga Santander)と称している。
競技形式
競技形式
リーグ戦方式で行われ、8月から5月までに行われるシーズンの間に、各クラブは38試合、すべてのクラブと2試合(ホームで1試合、アウェーで1試合)対戦する。チームは合計勝ち点によってランク付けされる。チームは勝利で勝ち点3、引き分けで勝ち点1を獲得し、敗北は勝ち点を獲得できない。シーズン終了時の最高ランクのクラブが優勝となる。
順位決定方式
勝ち点が多い順に順位を決定。もし勝ち点が並んだ場合は下記の様な事例が優先される。
- 該当チームの直接対決の結果
- 得失点差
- 総得点
- フェアプレーポイントの少ない方
以上の優先順で順位を決定する。それでも順位が決定しない場合は、順位決定戦を行う。
降格
シーズン終了時点の下位3クラブがセグンダ・ディビシオンへ自動降格となる。
登録選手、外国人選手の登録
登録人数は25名。そしてベンチを含めた各試合で登録できる人数は18名(1999-2000シーズンより移行)。EU加盟国及びEFTA加盟国の国籍を持つ選手は無制限に登録可能(2007年にACPの選手にもEU選手と同等の扱いとなった)。それ以外の国籍を持つ選手は3名のみ登録が認められているが、スペイン市民権(10年以上の居住が必要)を取得した選手や配偶者がEU加盟国のパスポートを保持している選手などはこの枠組みから外れる。またスペイン市民権はラテン・アメリカ出身の選手や、スペイン人と結婚した選手など、特定の条件を満たしている選手は必要居住期間が短縮される場合がある。日本では二重国籍が認められておらず、日本国籍を有する限りは外国人扱いとなるため、日本人のラ・リーガ挑戦の大きな障壁となっている。
移籍期間
基本は夏の移籍市場が7月1日〜8月31日までと、冬の移籍市場が1月1日〜1月31日までの2回。(冬の移籍期間の日程は変更の場合がある)ただし、後者の場合、移籍期限までに5試合以上の公式戦(カップ戦含む)に出場した選手は同リーグのチームに移ることは出来ない。上記以外の時期は、原則として移籍は禁止だが、選手の怪我等の理由(5ヶ月以上の欠場となる怪我の場合)で、特別に認められる場合がある。
累積警告
1人の選手につきイエローカード5枚、レッドカード1枚の警告を受けた時点で1試合の出場停止が科せられる。
試合日程・時間
毎節の試合は土・日・月曜日に分散されている。土曜日が18時、20時、22時キックオフの3枠、日曜日が12時、16時、18時、21時半キックオフの4枠、月曜日が21時半キックオフとなっている[7]。このうち土曜日22時はスペイン国内の地上波放送枠、日曜日12時はアジア市場拡大のための枠となっている[7]。
また試合日程の決定権はテレビ放映権を持つメディアプロ社にあり、試合2週間前まで日程が確定しないことがある[7]。また、放映権料と同様にレアル・マドリードとバルセロナが日程上優遇されているという指摘がある[7]。
2012-2013シーズンより、曜日ごとの最終キックオフ時間が23時になった。また、原則1試合だった月曜日に複数試合開催されることになった[8]。
歴史
全国選手権創設前
1872年、アンダルシア州のウエルバにイギリスからサッカーが伝えられ、それから17年を経た1889年、スペイン初のサッカークラブであるレクレアティーボ・ウエルバが誕生。これを機にマドリード、バルセロナなどの大都市にも次々にサッカークラブが生まれた。1904年にはスペインサッカー連盟の前身団体が国際サッカー連盟(FIFA)に加盟し、1913年にはスペインサッカー連盟(RFEF)が設立された。1920年、アントワープオリンピック出場を主目的としてスペイン代表が創設され、銀メダルを獲得してスペイン国内に一大ブームを巻き起こした。
リーグ創設
1927年4月、アレナス・クルブ・デ・ゲチョのホセ・マリア・アチャ監督は全国選手権の創設を提案した。リーグの規模や参加クラブなどについて議論が重ねられた結果、スペインサッカー連盟(RFEF)は1929年にプリメーラ・ディビシオンを創設した。参加クラブは10クラブであり、コパ・デル・レイの優勝経験があったFCバルセロナ、レアル・マドリード、アスレティック・ビルバオ、レアル・ソシエダ、アレナス・クルブ、レアル・ウニオンはすべて選出された。それ以外には、コパ・デル・レイで準優勝の経験があったアトレティコ・マドリード、RCDエスパニョール、CEエウロパの参加が決定し、トーナメント戦を通じてラシン・サンタンデールが10クラブ目に選ばれた。
創設時の10クラブ | |||||
---|---|---|---|---|---|
クラブ | 本拠地 | 創設年 | リーグ 優勝 |
20-21 所属 |
備考 |
FCバルセロナ | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1899年 | 26回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝31回 |
レアル・マドリード | マドリード | 1902年 | 34回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝19回 |
アスレティック・ビルバオ | バスク地域, ビルバオ | 1898年 | 8回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝23回 |
レアル・ソシエダ | バスク地域, サン・セバスティアン | 1909年 | 2回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝3回 |
アレナス・クルブ・デ・ゲチョ | バスク地域, ゲチョ | 1909年 | なし | セグンダB | コパ・デル・レイ優勝1回 |
レアル・ウニオン | バスク地域, イルン | 1915年 | なし | セグンダB | コパ・デル・レイ優勝4回 |
アトレティコ・マドリード | マドリード | 1903年 | 11回 | プリメーラ | コパ・デル・レイ優勝10回 |
RCDエスパニョール | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1900年 | なし | セグンダ | コパ・デル・レイ優勝4回 |
CEエウロパ | カタルーニャ地域, バルセロナ | 1907年 | なし | テルセーラ | |
ラシン・サンタンデール | カンタブリア地域, サンタンデール | 1913年 | なし | セグンダB |
1930年代
アスレティックのリーグ支配
1929年の第1回大会を制したのはバルセロナであり、1931-32シーズンと1932-33シーズンにはレアル・マドリードが2連覇したが、初期のリーガでもっとも成功を収めたのはアスレティック・ビルバオだった。1929-30シーズン、1930-31シーズン、1933-34シーズン、1935-36シーズンに優勝し、1931-32シーズンと1932-33シーズンには2位となった。1934-35シーズンにはベティス・バロンピエが初優勝したが、これは現在でもベティスにとって唯一のリーグ優勝である。
スペイン内戦
スペイン内戦中はリーグ戦そのものが中断され、1936-37シーズンから1938-39シーズンまでの3シーズンは行なわれていない。スペイン第二共和政下の1937年にはカタルーニャ地方やバレンシア地方のクラブが参加したリーガ・メディテラネア(地中海リーグ)が行なわれ、バルセロナが優勝した。70年を経た2007年、バルセロナはスペインサッカー連盟にリーガ・メディテラネアの公式タイトル承認を求めた。
1940年代
- 群雄割拠の時代
スペイン内戦終結後にプリメーラ・ディビシオンが再開されると、アトレティコ・アビアシオン(現在のアトレティコ・マドリード)、バレンシア、セビージャFCが台頭して強豪に成長した。スペイン内戦では多くのサッカー選手が犠牲となり、また他国への亡命や身柄の拘束などで選手を失ったクラブが多かったが、アトレティコは合併でチーム力強化を行なった。スペイン内戦前にはレアル・オビエドも強豪の一角だったが、内戦中にグラウンドが荒らされたために参戦の権利をアトレティコに譲り、1939-40シーズンと1940-41シーズンにはアトレティコが2連覇を飾った。また、内戦前の戦力が損なわれずに残っていたバレンシアは、1941-42シーズン、1943-44シーズン、1946-47シーズンに優勝を飾り、1947-48シーズンと1948-49シーズンに2位となった。セビージャは短期間だが黄金期を迎え、1939-40シーズンと1941-42シーズンに2位となったほか、1945-46シーズンには初優勝を飾った。1940年代後半にはバルセロナも強豪に成長し、1945-46シーズン、1947-48シーズン、1948-49シーズンに優勝した。1949-50シーズンと1950-51シーズンにはエレニオ・エレーラ監督に率いられたアトレティコが2連覇した。なお、フランシスコ・フランコ独裁政権は世界中から批判され、スペインサッカー界も長い間孤立を余儀なくされた。
1950年代
- スター選手の共演
1950年代はFCバルセロナとレアル・マドリードの2強のリーグ支配が開始された時代だった。1930年代から1950年代には外国人選手数に厳しい制限が課せられ、ほとんどの期間は外国人選手の登録は3人までに限られた。しかし1950年代、2強はルールの穴を突いてアルフレッド・ディ・ステファノ、フェレンツ・プスカシュ、ラディスラオ・クバラなど外国出身スター選手を出場させた。クバラに率いられたバルセロナは1951-52シーズンと1952-53シーズンに2連覇し、ディ・ステファノやプシュカーシュ、フランシスコ・ヘントなどが核となったレアル・マドリードは1950年代後半のリーグを支配した。1953-54シーズンと1954-55シーズンに2連覇し、1955-56シーズンはアスレティック・ビルバオが間隙を突いたが、1956-57シーズンと1957-58シーズンにもレアル・マドリードが優勝した。またこの時代のレアル・マドリードはUEFAチャンピオンズカップで5連覇を達成した。エレーラ監督に率いられたバルセロナは、ルイス・スアレスを擁して1958-59シーズンと1959-60シーズンに2連覇し、スアレスはスペイン人として初めてバロンドールを受賞した。
1960年代・1970年代
マドリード勢の時代
1961年から1980年まではレアル・マドリードがプリメーラ・ディビシオンを支配し、この期間だけで14回も優勝した。1960-61シーズンから1964-65シーズンまで5連覇を達成し、その他にも2回の3連覇(1966-67シーズンから1968-69シーズン、1977-78シーズンから1979-80シーズン)を果たした。アトレティコ・マドリードも1965-66シーズン、1969-70シーズン、1972-73シーズン、1976-77シーズンの4回優勝したが、その他のクラブではバレンシアCFが1970-71シーズンに、ヨハン・クライフを擁したバルセロナが1973-74シーズンにマドリード勢の牙城を崩すのみに終わった。
リーグ改編
1976-77シーズンまではプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、テルセーラ(3部)、ディビシオネス・レヒオナレス(4部以下、地域リーグ)という構成だったが、1977年にテルセーラとレヒオナレスが改編され、セグンダとテルセーラの間にセグンダ・ディビシオンBが創設された。これにより、1977-78シーズンからはプリメーラ(1部)、セグンダ(2部)、セグンダB(新3部)、テルセーラ(新4部)、レヒオナレス(新5部以下、地域リーグ)という構成に変更された。
1980年代
バスクの時代
レアル・マドリードの栄光の時代は過ぎ去り、1980-81シーズンと1981-82シーズンにはレアル・ソシエダが初優勝を含む2連覇を飾った。1982-83シーズンと1983-84シーズンには、ソシエダと同じバスク州のクラブであるアスレティック・ビルバオが2連覇を達成した。
キンタ・デル・ブイトレ
1984-85シーズンには、テリー・ベナブルズ監督がバルセロナを優勝に導いたが、1985-86シーズンから1989-90シーズンにはレアル・マドリードが2度目の5連覇を達成した。レオ・ベーンハッカー監督が指揮し、エミリオ・ブトラゲーニョ、マノロ・サンチス、マルティン・バスケス、ミチェル、ミゲル・パルデサ、ウーゴ・サンチェスなどを擁したチームはキンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)と称された。
1990年代
エル・ドリーム・チーム
1988年にはヨハン・クライフがバルセロナ監督に就任し、1990-91シーズンにはエル・ドリーム・チームと呼ばれるチームで3年ぶりの優勝を飾った。1991-92シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝に進出し、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行なわれた決勝ではUCサンプドリア(イタリア)を破って初優勝を飾った。国内リーグでは1993-94シーズンまで4連覇を達成した。クライフ監督は在任中に国内外で10個のタイトルを獲得し、ひとりの監督によるタイトル数のスペイン記録を作った。エル・ドリーム・チームはジョゼップ・グアルディオラ、ロナルト・クーマン、ミカエル・ラウドルップ、ロマーリオ、フリスト・ストイチコフなどで構成された。1984年から1996年にかけて、リーガのトロフィーは2強が独占した。
スーペル・デポル
1992-93シーズンから2003-04シーズンの12シーズンにおいて、デポルティーボ・ラ・コルーニャは計10シーズンで3位以内に入った。1994-95シーズンにはコパ・デル・レイで初優勝し、1995-96シーズンにはスーペルコパで初優勝。ハビエル・イルレタ監督に率いられ、1999-2000シーズンにはリーグ戦で初優勝を飾った。
1995-96シーズンにはアトレティコ・マドリードが19シーズンぶりのリーグ優勝を飾ったが、アトレティコはこの後長い低迷期に入ることになる。翌シーズンにはレアル・マドリードが優勝した。バルセロナではまたもオランダ人のルイ・ファン・ハールが監督に就任し、ルイス・フィーゴ、ルイス・エンリケ、リバウドなどの名選手を集め、1997-98シーズンと1998-99シーズンに2連覇した。1990年代、レアル・マドリードは国内リーグで2度しか優勝していないが、1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝でユヴェントスFC(イタリア)を破り、32年ぶりの優勝を果たした。
2000年代
バレンシアの躍進
エクトル・クーペル監督に率いられたバレンシアCFは1999-2000シーズンと2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝した。後任のラファエル・ベニテス監督は2001-02シーズンにリーグ優勝し、2003-04シーズンには国内リーグとUEFAカップの2冠に導いた。
ロス・ガラクティコス
国内外でバレンシアとタイトルを争ったのがレアル・マドリードであり、2000-01シーズンと2002-03シーズンにリーグ優勝し、1999-2000シーズンと2001-02シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで優勝した。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグはバレンシア対レアル・マドリードというスペイン勢同士の決勝となり、レアル・マドリードが勝利した。2001-02シーズンはレアル・マドリードが決勝でバイエル・レバークーゼン(ドイツ)と対戦し、ジネディーヌ・ジダンが決勝点を決めて優勝した。2000年代前半から中盤にかけてのレアル・マドリードはロス・ガラクティコスと呼ばれ、ルイス・フィーゴ、ジダン、ロナウド、デビッド・ベッカムなどのスター選手が在籍した。
2004-05シーズン、ロナウジーニョを擁したバルセロナは21世紀初の優勝を飾り、2005-06シーズンには国内リーグとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成した。レアル・マドリードはラウル・ゴンサレス、ルート・ファン・ニステルローイなどを擁し、2006-07シーズンと2007-08シーズンに2連覇した。
バルセロナの黄金期
2000年代後半にはジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルセロナが新たな黄金期を迎え、ラ・マシアと呼ばれる下部組織出身選手(リオネル・メッシ、チャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタなど)を中心としたチームで2008-09シーズンから2010-11シーズンまで3連覇した。グアルディオラ監督は在任中に国内外で14個のタイトルを獲得し、クライフの記録を破った。
2010年代
2強の独走優勝
2011-12シーズン、ジョゼ・モウリーニョ監督に率いられたレアル・マドリードはリーグ歴代最多の勝ち点100を記録し、32回目の優勝を飾った。また、得点数(121)、通算勝利数(32)、アウェーでの勝利数(16)もリーグ記録を更新した。
しかし翌2012-13シーズン、フランセスク・ビラノバ監督率いるバルセロナが同じくリーグ歴代最多タイとなる勝ち点100を記録し優勝。ホームでの勝利数(18)はリーグ最多記録を単独で更新した。
新たな王者と3強化
2013-14シーズン、ディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコ・マドリードがレアル・マドリード、バルセロナと熾烈な優勝争いを繰り広げ、最終節に勝ち点差3の2位バルセロナとの直接対決に引き分け18シーズンぶり10回目のリーグ優勝を達成した。レアル・マドリード、バルセロナ以外のチームが優勝したのは2003-04シーズンのバレンシア以来10年ぶりのことであった。
2014-15シーズンから2019-20シーズンにかけてはバルセロナとレアル・マドリードがタイトルを分け合ったが、アトレティコ・マドリードはいずれのシーズンも3位以内に入っており、3強として扱われるようにもなった[9][10]。
2020年代
所属クラブ
- 2021-22シーズンの所属クラブ。
- ホームタウン名の前にある画像は、ホームタウンが所在する州の旗。
☆印はセグンダ・ディビシオンでの成績。監督・本拠地などは現時点でのもの。
歴代優勝クラブ
クラブ別成績
クラブ名 | 優勝 | 2位 | 優勝年度 |
---|---|---|---|
レアル・マドリード | 34 | 24 | 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12, 2016-17, 2019-20 |
バルセロナ | 26 | 26 | 1929, 1944-45, 1947-48, 1948-49, 1951-52, 1952-53, 1958-59, 1959-60, 1973-74, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1997-98, 1998-99, 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16, 2017-18, 2018-19 |
アトレティコ・デ・マドリード | 11 | 10 | 1939-40, 1940-41, 1949-50, 1950-51, 1965-66, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1995-96, 2013-14, 2020-21 |
アスレティック・クルブ | 8 | 7 | 1929-30, 1930-31, 1933-34, 1935-36, 1942-43, 1955-56, 1982-83, 1983-84 |
バレンシア | 6 | 6 | 1941-42, 1943-44, 1946-47, 1970-71, 2001-02, 2003-04 |
レアル・ソシエダ | 2 | 3 | 1980-81, 1981-82 |
デポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ | 1 | 5 | 1999-00 |
セビージャ | 1 | 4 | 1945-46 |
ベティス | 1 | 0 | 1934-35 |
レアル・ラシン・クルブ | 0 | 1 | |
ラス・パルマス | 0 | 1 | |
サラゴサ | 0 | 1 | |
スポルティング・デ・ヒホン | 0 | 1 | |
ビジャレアル | 0 | 1 |
国際大会での主要な戦績
※2020-21シーズン終了時点
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 18回
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝 11回
- アトレティコ・マドリード 3回 (1974, 2014, 2016)
- FCバルセロナ 3回 (1961, 1986, 1994)
- レアル・マドリード 3回 (1962, 1964, 1981)
- バレンシアCF 2回 (2000, 2001)
- UEFAヨーロッパリーグ優勝(注 : UEFAカップ、フェアーズカップ優勝を含む)18回
- UEFAヨーロッパリーグ準優勝(注 : UEFAカップ、フェアーズカップ準優勝を含む)8回
- UEFAカップウィナーズカップ優勝(注 : UEFAカップに統合)7回
- FCバルセロナ 4回 (1979, 1982, 1989, 1997)
- バレンシアCF 1回 (1980)
- アトレティコ・マドリード 1回 (1962)
- レアル・サラゴサ 1回 (1955)
- UEFAカップウィナーズカップ準優勝(注 : UEFAカップに統合)7回
- FCバルセロナ 2回 (1969, 1991)
- アトレティコ・マドリード 2回 (1963, 1986)
- レアル・マドリード 2回 (1971, 1983)
- RCDマヨルカ 1回 (1999)
- UEFAスーパーカップ優勝 14回
- FCバルセロナ 5回 (1992, 1997, 2009, 2011, 2015)
- レアル・マドリード 4回 (2002, 2014, 2016, 2017)
- アトレティコ・マドリード 3回 (2010, 2012,2018)
- バレンシアCF 2回 (1980, 2004)
- セビージャFC 1回 (2006)
- FIFAクラブワールドカップ/インターコンチネンタルカップ優勝 10回
- レアル・マドリード 6回 (1960, 1998, 2002, 2014, 2016, 2017)
- FCバルセロナ 3回 (2009, 2011, 2015)
- アトレティコ・マドリード 1回 (1974)
観客動員とテレビ放映権
観客動員
2016-17シーズンの平均観客動員数は2万6247人で欧州リーグで3位であった[11]。
テレビ放映権
各クラブが個別に放映権について放送局と交渉し契約を結んでいたため、長年リーグ全体の放映権収入の41%がバルセロナとレアル・マドリードの2チームに渡る不均衡が続いていた。しかし2016-17シーズンからはリーガによって一括管理され、放映権による収益全体の45パーセントはプリメーラ(1部)のクラブに均等に分配され、22.5パーセントは直近5年間に行われたリーグ戦の成績を参考に配られることになり、さらに他の22.5パーセントは観客動員数などの要素を考慮して支払われ、残りの10パーセントはセグンダ(2部)へ渡ることとなった[12]。
主な選手
得点ランキング
2020-21シーズン終了時 ※太字選手は、現在プリメーラ・ディビシオンに所属している選手。
# | 選手 | 所属クラブ | 期間 | 得点 | 出場 | 割合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | リオネル・メッシ | バルセロナ | 2004–2021 | 474 | 520 | 0.91 |
2 | クリスティアーノ・ロナウド | レアル・マドリード | 2009–2018 | 311 | 292 | 1.07 |
3 | テルモ・サラ | アスレティック・ビルバオ | 1940–1955 | 251 | 278 | 0.90 |
4 | ウーゴ・サンチェス | アトレティコ・マドリード, レアル・マドリード, ラージョ・バジェカーノ | 1981–1994 | 234 | 347 | 0.67 |
5 | ラウール | レアル・マドリード | 1994–2010 | 228 | 550 | 0.41 |
6 | アルフレッド・ディ・ステファノ | レアル・マドリード, エスパニョール | 1953–1966 | 227 | 329 | 0.69 |
7 | セサル・アルバレス | グラナダ, バルセロナ, クルトゥラル・レオネサ, エルチェ | 1939–1955 | 223 | 353 | 0.63 |
8 | キニ | スポルティング・ヒホン, バルセロナ | 1970–1987 | 219 | 448 | 0.49 |
9 | パイーニョ | セルタ, レアル・マドリード, デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 1943–1956 | 210 | 278 | 0.76 |
10 | エドムンド・スアレス | バレンシア, アルコヤーノ | 1939–1950 | 195 | 231 | 0.84 |
出場ランキング
2020-21シーズン終了時
# | 選手 | 所属クラブ | 期間 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
1 | アンドニ・スビサレッタ | アスレティック・ビルバオ, バルセロナ, バレンシア | 1981–1998 | 622 | 0 |
2 | ホアキン | レアル・ベティス, バレンシア, マラガ | 2001–2013 2015– |
579 | 76 |
3 | ラウール | レアル・マドリード | 1994–2010 | 550 | 228 |
4 | エウセビオ・サクリスタン | バジャドリード, アトレティコ・マドリード, バルセロナ, セルタ | 1983–2002 | 543 | 36 |
5 | フランシスコ・ブーヨ | セビージャ, レアル・マドリード | 1980–1997 | 542 | 0 |
6 | マノーロ・サンチス | レアル・マドリード | 1983–2001 | 523 | 32 |
7 | リオネル・メッシ | バルセロナ | 2004–2021 | 520 | 474 |
8 | ラウル・ガルシア | オサスナ, アトレティコ・マドリード, アスレティック・ビルバオ | 2004- | 519 | 102 |
9 | イケル・カシージャス | レアル・マドリード | 1999–2015 | 510 | 0 |
10 | セルヒオ・ラモス | セビージャ, レアル・マドリード | 2003–2021 | 508 | 74 |
日本人選手
1996年に財前宣之がCDログロニェスへ期限付き移籍で加入し、スペイン1部クラブに所属する日本人選手となった。しかし、怪我の影響もありスペインデビューは叶わなかった[13]。
2000年にレアル・バリャドリードへ移籍した城彰二が日本人初のスペイン1部リーグデビューと初ゴールを記録した(スペイン2部では安永聡太郎が1997年に得点を挙げている)[13]。
2005年にはRCDマヨルカに移籍した大久保嘉人がデビュー戦で得点を挙げるなど活躍し、チームの1部残留に貢献した[13]。
その後、イタリアで活躍した中村俊輔やドイツで活躍した清武弘嗣などがスペイン1部でプレーするも目立った活躍が出来ず、ニュースサイトでは「(スペインは日本人にとって)鬼門」と言われるようになった[14]。
2015年に乾貴士がドイツからSDエイバルへ移籍すると、レギュラーとして活躍し、2019年には日本人として初めてスペイン1部リーグ100試合出場を達成[15]。2019年現在、日本人で最多の出場記録を持ち、日本人としてスペインで最も成功した選手となった[13]。
2019年頃には、アンドレス・イニエスタやフェルナンド・トーレス、ダビド・ビジャなど元スペイン代表がJリーグのクラブに所属[16]。Jリーグのスペイン人選手増加とは直接関係無いが、同時期に日本人選手もスペインリーグに増加。乾の他に2部ではあるが、柴崎岳(2017年に移籍)や岡崎慎司、香川真司と日本代表選手が移籍し[17]、久保建英がレアル・マドリード、安部裕葵がFCバルセロナに共にBチームながら移籍し、世界を代表する強豪2クラブに日本人選手が所属する事になった[18]。
シーズン別大会名
- Primera División (1929–2008)
- Liga BBVA (2008–2016)
- LaLiga Santander (2016–現在)
脚注
注釈
出典
- ^ 日経クロステック(xTECH). “成長は海外にあり、ラ・リーガは日本から何を学ぶのか”. 日経クロステック(xTECH). 2020年12月15日閲覧。
- ^ “「余命5年」 “ 死”に近づくリーガ・エスパニョーラ”. フットボールチャンネル. 2021年12月12日閲覧。
- ^ “~各国リーグの基礎知識~ リーガエスパニョーラ基礎知識”. [ワールドサッカー] All About. 2021年12月12日閲覧。
- ^ “7強時代到来か=07-08シーズン リーガ・エスパニョーラ展望”. スポーツナビ. 2021年12月12日閲覧。
- ^ 清水正典「スポーツ社会システムのトータルシステムマネジメント I -ヨーロッパチャンピオンズリーグの隆盛と社会的背景-」『吉備国際大学社会学部研究紀要』第18巻、吉備国際大学社会学部、2008年3月、83-93頁、NAID 110006633568、NCID AN10560756、2019年4月17日閲覧。
- ^ Lara, Lorenzo (2017年5月22日). “The Real Madrid domination of the 1960s and 70s” (英語). MARCA in English. 2020年3月23日閲覧。
- ^ a b c d “イレギュラーなリーガのキックオフ時間、その背景には…”. スポーツニッポン (2012年4月21日). 2012年8月20日閲覧。
- ^ “異例のリーガ開催日程にアトレティコ会長が激怒”. Goal.com (2012年8月5日). 2012年8月20日閲覧。
- ^ “シメオネ、リーガ3強として扱われる現状に…「私たちはバルサでもマドリーでもない。アトレティコに対する要求をしてくれ」”. サッカーキング. (2018年9月25日) 2021年4月26日閲覧。
- ^ “リーガ3強が対象…今週末もリーグ戦が開催されたらどんなスタメンになる!?”. サッカーキング. (2019年10月10日) 2021年4月26日閲覧。
- ^ “欧州最多の観客動員数はブンデスで平均4万2388人!一方で集客率トップは?”. footballchannel. 2019年4月17日閲覧。
- ^ “リーガ、来期以降の放映権契約に合意…3年合計3500億、さらに上昇も”. サッカーキング (2015年12月4日). 2016年12月18日閲覧。
- ^ a b c d 財前宣之から乾貴士まで! 日本人リーガ挑戦の歴史を振り返るサッカーキング 2018年4月20日
- ^ スペインが日本人の鬼門だった“意外な理由”とは?柴崎獲得のヘタフェSDが分析/インタビューGoal.com 2017年10月30日
- ^ 乾貴士が日本人史上初の快挙!リーガ通算100試合出場達成…スペイン紙も賛辞ゲキサカ(2019年2月24日)
- ^ 注目集まるリーガ、“日本ブーム”なぜ到来? 「唯一無二のアジア市場」とスペイン紙指摘football-zone2019年7月14日
- ^ 香川真司がスペイン2部のサラゴサに移籍へ!「合意に達した」と現地紙報じるサッカーダイジェスト 2019年8月9日
- ^ 久保建英と安部裕葵の主戦場。スペイン「2部B」のレベルは?Sportiva 2019年7月19日