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2022年10月6日 (木) 20:48時点における版
埼玉県立熊谷高等学校 | |
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正面より、赤甍。 | |
北緯36度9分14.9秒 東経139度22分45.4秒 / 北緯36.154139度 東経139.379278度座標: 北緯36度9分14.9秒 東経139度22分45.4秒 / 北緯36.154139度 東経139.379278度 | |
過去の名称 |
埼玉縣第二尋常中學校 埼玉縣第二中學校 埼玉縣立熊谷中學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
学区 | 旧第六学区 |
校訓 |
質実剛健 文武両道 自由と自治 |
設立年月日 | 1895年6月1日 |
開校記念日 | 10月6日 |
共学・別学 |
全日制:男女別学(男子校) 定時制:男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D111210000021 |
高校コード | 11102D |
所在地 | 〒360-0812 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
埼玉県立熊谷高等学校(さいたまけんりつ くまがやこうとうがっこう)は、埼玉県熊谷市大原一丁目にある県立高等学校。スーパーサイエンスハイスクール、進学指導重点推進校指定校である。
概要
1895年(明治28年)、埼玉県の第二尋常中学校として創設された。全日制は開学以来男子校である。私服での登校が認められている。なお2010年度より埼玉県教育委員会の進学指導重点推進校、2011年度にはスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けた。2016年度入学生より単位制となっている。
校風・学校生活
- 校風
カクト(各自図書館自習の略と言われている)と称する、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間が設けられ、その利用方法は生徒各々の自主性に任されたり(現在では廃止)[1]、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一切行われない。また、愛校心が強く、生徒が自ら好んで肩を組み校歌を斉唱する習慣がみられる[2]。
- 通称
近年では一般に「くまたか」とされていることが多い。古くは「くまこう」と呼ばれていたが、熊谷工業高校に「熊工」(くまこう)の通称が用いられるようになったため、両校を明確に区別するために次第に変化していったものである。校歌の歌詞にある「熊高」はくまこうと読むとされるが、これは伝統的にそう読まれると言われているにすぎず、正式に校歌中の「熊高」の読み方を明記する根拠文献は存在しない。応援歌では「熊高」をくまこうと読み、在校生・卒業生はくまこうと呼んでいる。
- 部活動
硬式野球部は、1949年・1951年・1982年に夏の甲子園に出場しており、1951年の大会においては準優勝した[3]。このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、音楽部、サッカー部、将棋部などもインターハイや県大会に出場するなどの実績を残している。
- 授業
通常の文系・理系に加え、教科により少人数授業を実施している。また、土曜日の授業が隔週で行われており、夏季休業中には全50講座程度の補講があり生徒は自由に選択することができる。
- 進学実績
詳細は熊谷高等学校公式サイトを参照[4]。
- 設備
校舎は、各教室が集まるホームルーム棟(4階建て)、職員会議室などがある本館(3階建て)、そして各種理科室などがある理科棟(3階建て)の3つがある。このうち本館は1980年に竣工したものであるが、かつての本館(木造2階建て)は1978年3月18日に西半分を焼失した。なお、校歌に歌われている「赤甍」とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣であるが、部分的に旧本館の赤甍が使用されている。全館冷暖房完備。このほか、屋内型温水プール、記念館(図書館)、学生食堂、合宿棟などの設備があり。2009年8月には理科棟の床の張替が行われた。2016年からは埼玉県の新聞協会により無料で全国紙五紙が平日毎朝各クラスに配布されている[5]。
- 校歌
作詞:石坂養平、作曲:山田耕筰。当時音楽教員であった荒井敬正が山田耕筰との間に交流があったことから作曲されたという経緯がある[6]。
- 応援歌
六校応援団連盟による演技発表会「日輪の下に」や埼玉県立熊谷高等学校應援團演技発表会「勝利の伝統」があり、部活動応援で生かされる。
- 校外交流
埼玉県立浦和高校、川越高校、春日部高校との交流がある。音楽部は熊谷女子高校と毎年、合同定期演奏会を行っている。近年では熊谷市の姉妹都市として締結されたニュージーランド・インバーカーギル市に所在する Southland Boys' Highschool, 通称SBHS との交流がある[7]。
- 交通
- 熊谷駅より徒歩30分
- 秩父鉄道秩父本線上熊谷駅・石原駅より徒歩20分
- 朝日バス熊谷駅-妻沼仲町経由-太田駅・西小泉駅・妻沼聖天前・(東武CITY)妻沼 各線:気象台入口停留所または円光停留所下車、徒歩10分
- その他
本校には夏目漱石の『坊つちやん』のモデルとなった教育者の弘中又一や作家の杉森久英が教員として在籍していた。また、田山花袋の『田舎教師』のモデルとなった郷土作家の小林秀三が生徒として在籍していた[8][9]。
学校行事
- 40キロハイク
- 5月中・下旬ごろに行われる行事。戦前に熊谷から秩父の間で行われていた「剛健行軍」を再現したもので、1975年から実施されている[10]。熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを完歩する[11]。
- 臨海学校
- 1年次の7月中旬に行われる行事。新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。2007年度は臨海学校の前日に起こった新潟県中越沖地震の影響で、長い歴史において初めて中止となった[要出典]。2020年度も新型コロナウイルスパンデミックにより同じく中止となった。
- 熊高祭
- 毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称。前者に関しては、仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行う。また、應援團による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった種目がみられる。
- クロスカントリー大会
- 毎年11月頃に熊谷スポーツ文化公園で行われ、公園内10キロメートル走るという行事。通称「クロカン」。完走後に参加賞としてりんごが配られることが通例となっている。かつては荒川の堤防で行われていたが変更となった。
- 修学旅行
- 2年次の11月頃に行われる。大まかな行き先を学年で関西地方や九州地方、北海道などから選択する。また宿泊地をグループ毎に各自選択することができる。
- 例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。
このほかにも各種スポーツ大会(1年次:バレーボール・ラグビー、2年次:柔道・バスケットボール、3年次:テニス卓球・サッカー)や、百人一首大会(1年次)、水泳大会(各学年別)などがある。
沿革
- 1895年(明治28年) - 埼玉縣第二尋常中學校(旧制)が設立される。
- 1899年(明治32年) - 埼玉県第二中学校と改称する。
- 1901年(明治34年) - 埼玉県立熊谷中学校と改称する。
- 1946年(昭和21年) - 昭和天皇巡幸の途次に行幸せられる。
- 1948年(昭和23年) - 埼玉県立熊谷高等学校(新制)と改称。定時制設置。
- 1949年(昭和24年) - 第31回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1951年(昭和26年) - 第33回全国高等学校野球選手権大会に出場。準優勝する。
- 1969年(昭和44年) - 制服、制帽の規制を廃し、服装自由となる。
- 1978年(昭和53年) - 赤甍校舎が火災により焼失する。
- 1982年(昭和57年) - 第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1995年(平成7年) - 創立100周年記念式典挙行される。
著名な出身者
- 政治・行政
- 新井家光 - 元埼玉県議会議員、前深谷市長
- 石坂養平 - 元衆議院議員、埼玉県議会議員、文芸評論家
- 内田全一 - 元秩父市長
- 江利川毅 - 元厚生労働事務次官、元内閣府事務次官、人事院総裁
- 奥貫賢一 - 元行田市長
- 鴨田宗一 - 元衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)、従三位勲一等、熊谷市名誉市民
- 鴨田利太郎 - 元衆議院議員(2期)
- 北爪由紀夫 - 元カタール 駐箚 特命全権大使
- 桑原茂裕 - 元金融庁検査局長、元日本銀行理事
- 佐々木正峰 - 元文化庁長官、国立科学博物館長
- 島田博 - 元鴻巣市長、元埼玉県議会議長
- 高田直芳 -埼玉県教育委員会教育長
- 田並胤明 - 元衆議院議員
- 富岡清 - 熊谷市長、元埼玉県議会議員
- 富田能成 - 横瀬町長
- 中川直木 - 元行田市長
- 藤原弘 - 元根室市長、元根室支庁長
- 増田敏男(旧制中学退学 - 少年航空兵) - 元熊谷市長、元衆議院議員・厚生労働副大臣等
- 松岡秀夫 - 元行田市長
- 森田光一 - 東松山市長
- 森田俊和 - 衆議院議員、元埼玉県議会議員
- 山崎俊巳 - 元総務省大臣官房総括審議官、元内閣官房内閣審議官
- 神山敬次 - 元国土交通大学校長
- 経済
- 大塚陸毅 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)相談役、元同社代表取締役社長、日本経団連副会長等歴任
- 須田征男 - 元東鉄工業社長、元北海道旅客鉄道会長
- 土屋哲雄 - ワークマン専務取締役
- 長島恭助 - 旧埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)元・頭取、会長、協和埼玉銀行元・相談役
- 藤重貞慶 - ライオン相談役、ACジャパン理事長、日本マーケティング協会会長、日本卓球協会会長
- 学者・研究者
- 石川弘道 - 元高崎経済大学学長
- 石川光庸 - 京都大学名誉教授
- 井上宇市 - 早稲田大学名誉教授
- 井上幸治 - 西洋史学者 元津田塾大学教授
- 今村都南雄 - 山梨学院大学法学部教授
- 伊藤公雄 - 大阪大学・京都大学名誉教授、京都産業大学教授
- 押田茂實 - 日本大学医学部法医学教授
- 川野辺敏 - 元常葉学園大学教授、元星槎大学副学長
- 桑子敏雄 - 東京工業大学大学院社会理工学研究科教授
- 小島孝夫 - 成城大学文芸学部教授
- 小林直人 - 愛媛大学医学部教授、総合医学教育センター長
- 小林圭二 - 京都大学元講師
- 小宮義孝 - 寄生虫学者 元群馬大学教授
- 坂本忠久 - 東北大学大学院法学研究科教授
- 嶋村紘輝 - 早稲田大学名誉教授
- 関根義彦 - 三重大学大学院生物資源学研究科教授
- 薗田稔 - 京都大学名誉教授、秩父神社宮司
- 田嶋一 - 國學院大學名誉教授
- 竹本修三 - 京都大学大学院理学研究科教授
- 田代順孝 - 千葉大学園芸学部名誉教授
- 田村均 - 埼玉大学教育学部教授
- 千代田邦夫 - 立命館大学名誉教授
- 中澤渉 - 立教大学社会学部教授
- 根岸雄一 - 東京理科大学理学部応用化学科教授
- 根岸雅史 - 東京外国語大学教授
- 蓮見惠司 - 東京農工大学教授
- 原田範行 - 慶應義塾大学文学部人文社会学科教授
- 樋口忠彦 - 京都大学大学院工学研究科教授
- 細川亮一 - 九州大学 名誉教授
- 松本健一 - 麗澤大学教授、日本思想史研究者、司馬遼太郎賞受賞
- 松本直司 - 名古屋工業大学教授
- 宮川公男 - 一橋大学名誉教授
- 茂木貞純 - 國學院大學教授
- 山崎聡一郎 - 教育研究者、ミュージカル俳優、写真家
- 山村秀夫 - 東京大学 医学部名誉教授
- 吉田宏晢 - 大正大学名誉教授
- 米倉迪夫 - 東京文化財研究所名誉研究員、元上智大学教授
- スポーツ
- 音楽・美術
- 俳優・タレント
- 詩歌文芸
- メディア関連
- 斎藤勉 - 産業経済新聞社取締役副社長 ソビエト連邦崩壊(共産党独裁の放棄)を世界に先駆けスクープした。
- 佐藤健 - 元毎日新聞論説委員
- 江森陽弘 - 元朝日新聞論説委員
- 関口健 - NHKアナウンサー
- 吉田匠 - モータージャーナリスト
- 大野治夫 - 気象予報士
- 増田卓 - NHKアナウンサー
- 池田耕一郎 - NHKアナウンサー
- 佐藤克樹 - NHKアナウンサー
- その他
- 秋笹政之輔 - 日本共産党中央委員、日本共産党スパイ査問事件に加わる。
- 清水勉 - 弁護士 明るい警察を実現する全国ネットワーク代表
- 関口照生 - 写真家・コメンテーター
- 代島治彦 - 映画プロデューサー・映画監督
- 入江悠 - 映画監督
- 近藤信輔 - 漫画家
- 堀口レオ - 漫画家
- 山田醇 - 建築家
脚註
- ^ 「われら」(熊谷高校生徒会発行)第50号 15頁、「われら」(熊谷高校生徒会発行)第47号 17-33頁
- ^ 「われら」(熊谷高校生徒会発行)第50号 17、21頁
- ^ 森岡浩『高校野球甲子園全出場校大事典』東京堂出版、2000年、85-86頁。ISBN 978-4490105414。
- ^ “熊谷高校 平成27年度大学入試結果速報” (PDF). 熊高公式ウェブサイト. 2015年6月22日閲覧。
- ^ http://www.kumagaya-h.spec.ed.jp/zen/index.php?action=journal_view_main_detail&block_id=65&p_id=831&nc_session=3e7df04106c7456223361695fe45d61d
- ^ 『熊谷高校百周年誌』「甲子園大会出場と新校歌の誕生」(記:鈴木長作)606-608頁
- ^ “国際交流”. 熊高公式サイト. 2009年2月14日閲覧。
- ^ 埼玉県高等学校国語科教育研究会埼玉現代文学事典編集委員会 編『埼玉現代文学事典』埼玉県高等学校国語科教育研究会、1990年、166, 258-261頁。 NCID BN06037676。
- ^ 埼玉県教育局. “「坊ちゃん」と「田舎教師」の記念碑除幕式”. kumagaya-h.spec.ed.jp. 2020年6月18日閲覧。
- ^ “開校記念日にあたって〜熊谷高117年の歴史” (PDF). 埼玉県立熊谷高等学校 (2012年10月1日). 2016年9月7日閲覧。
- ^ “旬熊 40キロハイク無事終了”. 埼玉県立熊谷高等学校 (2016年5月31日). 2016年9月7日閲覧。