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2023年1月9日 (月) 23:20時点における版
村山内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第81代 村山富市 |
成立年月日 | 1994年(平成6年)6月30日 |
終了年月日 | 1995年(平成7年)8月8日 |
与党・支持基盤 |
自由民主党 日本社会党 新党さきがけ |
施行した選挙 | 第17回参議院議員通常選挙 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
村山内閣(むらやまないかく)は、村山富市が第81代内閣総理大臣に任命され、1994年(平成6年)6月30日から1995年(平成7年)8月8日まで続いた日本の内閣。
自社さ連立政権最初の内閣である。
内閣の顔ぶれ・人事
国務大臣
1994年(平成6年)6月30日任命。在職日数561日。
所属政党・出身
職名 | 氏名 | 出身等 | 特命事項等 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
内閣総理大臣 | 村山富市 | 衆議院 日本社会党 (右派) |
日本社会党委員長 | ||
副総理 外務大臣 |
河野洋平 | 衆議院 自由民主党 (宮澤派) |
内閣総理大臣臨時代理 (副総理) |
自由民主党総裁 | |
法務大臣 | 前田勲男 | 参議院 自由民主党 (小渕派) |
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大蔵大臣 | 武村正義 | 衆議院 新党さきがけ |
新党さきがけ代表 | ||
文部大臣 | 与謝野馨 | 衆議院 自由民主党 (渡辺派) |
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厚生大臣 | 井出正一 | 衆議院 新党さきがけ |
年金問題担当 | ||
農林水産大臣 | 大河原太一郎 | 参議院 自由民主党 (渡辺派) |
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通商産業大臣 | 橋本龍太郎 | 衆議院 自由民主党 (小渕派) |
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運輸大臣 | 亀井静香 | 衆議院 自由民主党 (三塚派) |
新東京国際空港担当 | ||
郵政大臣 | 大出俊 | 衆議院 日本社会党 (右派) |
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労働大臣 | 浜本万三 | 参議院 日本社会党 (右派) |
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建設大臣 | 野坂浩賢 | 衆議院 日本社会党 (中間派) |
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自治大臣 国家公安委員会委員長 |
野中広務 | 衆議院 自由民主党 (小渕派) |
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内閣官房長官 | 五十嵐広三 | 衆議院 日本社会党 (中間派) |
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総務庁長官 | 山口鶴男 | 衆議院 日本社会党 (右派) |
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北海道開発庁長官 沖縄開発庁長官 |
小里貞利 | 衆議院 自由民主党 (宮澤派) |
1995年1月20日辞任 | ||
小沢潔 | 衆議院 自由民主党 (宮澤派) |
1995年1月20日就任 | |||
防衛庁長官 | 玉澤徳一郎 | 衆議院 自由民主党 (三塚派) |
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経済企画庁長官 | 高村正彦 | 衆議院 自由民主党 (旧河本派) |
総合交通対策担当 | ||
科学技術庁長官 | 田中眞紀子 | 衆議院 自由民主党 (無派閥) |
原子力委員会委員長 | ||
環境庁長官 | 桜井新 | 衆議院 自由民主党 (三塚派) |
地球環境問題担当 | ||
宮下創平 | 衆議院 自由民主党 (三塚派) |
地球環境問題担当 | 1994年8月14日就任 | ||
国土庁長官 | 小沢潔 | 衆議院 自由民主党 (宮澤派) |
研究・学園都市担当 | ||
国務大臣 | 小里貞利 | 衆議院 自由民主党 (宮澤派) |
震災対策担当 | 1995年1月20日就任 |
内閣官房副長官・内閣法制局長官
政務次官
1994年(平成6年)7月1日任命。
- 法務政務次官 - 角田義一
- 外務政務次官 - 柳澤伯夫
- 大蔵政務次官 - 萩山教嚴・石井智
- 文部政務次官 - 岡崎トミ子
- 厚生政務次官 - 狩野勝
- 農林水産政務次官 - 谷津義男・吉田達男
- 通商産業政務次官 - 真島一男・谷畑孝
- 運輸政務次官 - 細谷治通
- 郵政政務次官 - 鹿熊安正
- 労働政務次官 - 森英介
- 建設政務次官 - 簗瀬進
- 自治政務次官 - 小林守
- 総務政務次官 - 宮路和明
- 北海道開発政務次官 - 大島慶久
- 防衛政務次官 - 渡瀬憲明
- 経済企画政務次官 - 細田博之
- 科学技術政務次官 - 関根則之
- 環境政務次官 - 喜岡淳
- 沖縄開発政務次官 - 尾辻秀久
- 国土政務次官 - 久野統一郎
内閣の動き
1994年(平成6年)6月、前の羽田内閣が少数与党内閣となって総辞職した後、政権復帰を目指した自由民主党(総裁:河野洋平)は、日本社会党(委員長:村山富市)・新党さきがけ(代表:武村正義)と連立政権を組むことに合意した(自社さ連立政権)。そこで、社会党の村山を内閣総理大臣として成立したのが、村山内閣である。1947年(昭和22年)5月から1948年(昭和23年)3月まで続いた片山内閣以来、46年ぶりの社会党委員長を首班とする内閣である。
このときの内閣総理大臣指名選挙では、中曽根康弘・渡辺美智雄ら、一部議員を除く自由民主党議員の大半と日本社会党、新党さきがけの大半の議員が村山に投票し、新生党・公明党など、羽田内閣の与党側が推した海部俊樹を破った。
副総理兼外相に河野、蔵相に武村が就いたほか、内閣の要の内閣官房長官には社会党から五十嵐広三が就任[1]。村山の側近だった社会党の野坂浩賢は建設相に起用された[1]。自民党からは橋本龍太郎が通産相に就いたほか、野中広務が自治相、亀井静香が運輸相に抜擢された[1]。
この「自社さ」の枠組は、第2次橋本改造内閣が終了する1998年(平成10年)半ばまで引き継がれる。
日本史に残る村山政権下で発生した事件や災害としては次の3つが挙げられる。
脚注
- ^ a b c “平成政治の興亡 私の見た権力者たち禁じ手「自社さ」村山政権の意義と限界 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(7)星浩 政治ジャーナリスト”. WEBRONZA. (2019年1月5日) 2021年10月9日閲覧。