第二十五号哨戒特務艇
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第二十五号哨戒特務艇 | |
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基本情報 | |
建造所 |
船体:村上造船所 兵装艤装:横須賀海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特務艇 |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,307,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
竣工 | 1945年4月27日 |
最期 | 1945年9月18日遭難沈没 |
除籍 | 1947年5月3日 |
その後 | 1947年11月22日解体指令 |
要目 | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 爆雷12個 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀1基 |
第二十五号哨戒特務艇[注釈 1](だいにじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の10番艇。戦後、台風により遭難沈没した。
艇歴
[編集]マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の25番艇、仮称艦名第2145号艦として計画。1944年11月5日、第二十五号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の10番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月4日、船体概成により村上造船所から横須賀海軍工廠へ引き渡し。4月27日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に定められ、第七艦隊下関防備隊に編入[注釈 2]。軍隊区分対馬海峡方面部隊関門防備部隊に配置。
5月21日、門司へ向け横須賀発。22日、駿河湾口で空襲を受け被爆し小破。5月23日、本籍を呉鎮守府に改められる。
終戦時は下関に所在。9月18日、枕崎台風のため下関市吉見沖で沈没[注釈 3]。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。5月3日、第二十五号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 本来の艇名表記は第二十五號哨戒特務艇。
- ^ 第七艦隊戦時日誌(昭和20年4月10日-30日)では、本艇が4月25日付で「下関防備隊所属ニ改メラル」と複数回の記述があるが、本艇の本籍設定に関する法令(昭和20年4月27日付 内令第363号)や、所属を下関防備隊と定めた法令(昭和20年4月27日付 内令第364号)との相関が取れない。
- ^ 枕崎台風によって遭難沈没した海軍艦艇は、ほかに伊号第一潜水艦 (2代)、第160号駆潜特務艇、第228号駆潜特務艇、第193号哨戒特務艇などがある。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年4月27日付 内令第363号、内令第364号。
- 昭和20年5月23日付 内令第458号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
- 第七艦隊戦時日誌。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。