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第二十五号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第二十五号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:村上造船所
兵装艤装:横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,307,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年4月27日
最期 1945年9月18日遭難沈没
除籍 1947年5月3日
その後 1947年11月22日解体指令
要目
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
爆雷12個
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀1基
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第二十五号哨戒特務艇[注釈 1](だいにじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の10番艇。戦後、台風により遭難沈没した。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の25番艇、仮称艦名第2145号艦として計画。1944年11月5日、第二十五号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の10番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月4日、船体概成により村上造船所から横須賀海軍工廠へ引き渡し。4月27日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に定められ、第七艦隊下関防備隊に編入[注釈 2]。軍隊区分対馬海峡方面部隊関門防備部隊に配置。

5月21日、門司へ向け横須賀発。22日、駿河湾口で空襲を受け被爆し小破。5月23日、本籍を呉鎮守府に改められる。

終戦時は下関に所在。9月18日、枕崎台風のため下関市吉見沖で沈没[注釈 3]

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。5月3日、第二十五号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。

脚注

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注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第二十五號哨戒特務艇。
  2. ^ 第七艦隊戦時日誌(昭和20年4月10日-30日)では、本艇が4月25日付で「下関防備隊所属ニ改メラル」と複数回の記述があるが、本艇の本籍設定に関する法令(昭和20年4月27日付 内令第363号)や、所属を下関防備隊と定めた法令(昭和20年4月27日付 内令第364号)との相関が取れない。
  3. ^ 枕崎台風によって遭難沈没した海軍艦艇は、ほかに伊号第一潜水艦 (2代)第160号駆潜特務艇第228号駆潜特務艇第193号哨戒特務艇などがある。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年4月27日付 内令第363号、内令第364号。
    • 昭和20年5月23日付 内令第458号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
    • 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
    • 第七艦隊戦時日誌。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。