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第百七十四号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第百七十四号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:徳島合同造船
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年5月10日
最期 1945年6月8日被雷沈没
除籍 1947年5月3日
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百七十四号哨戒特務艇[注釈 1](だいひゃくななじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の68番艇[注釈 2]。潜水艦の攻撃により沈没した。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の174番艇、仮称艦名第2294号艦として計画。1944年11月5日、第百七十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の64番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年3月8日、船体概成により徳島合同造船株式会社から呉海軍工廠へ引き渡し。5月10日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第四監視艇隊に編入。

5月18日、第五特攻戦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分第二特攻部隊に配置。5月中は種子島への輸送に2回従事。

6月8日、天草下島魚貫埼よりの方位300度7カイリの地点で、潜水艦の攻撃を受け被雷し沈没した[注釈 3]

以下の艇歴は書類上のもの。

6月15日、第七艦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分対馬海峡方面部隊北九州防備部隊に配置。

7月1日、第四監視艇隊から削除され舞鶴鎮守府敦賀港湾警備隊に編入。

1947年5月3日、第百七十四号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。

脚注

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注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第百七十四號哨戒特務艇。
  2. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は64番艇、これら4隻を含めると通算で68番艇となる。
  3. ^ 第二十二戦隊戦時日誌(昭和20年6月1日-30日)による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「終戦時敦賀に所在」とあるが、1945年12月1日以降に第二復員省、復員庁、在東京アメリカ極東海軍司令部が調製した文書中に本艇の艇名は存在しない。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年5月10日付 内令第418号、内令第419号。
    • 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
    • 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
    • 第二十二戦隊戦時日誌。
    • 第五特攻戦隊戦時日誌。
    • 第七艦隊戦時日誌。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
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