第四号哨戒特務艇
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第四号哨戒特務艇 | |
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改造完成した漁船熊野丸。本船の左舷側に元哨戒特務艇が繋留されているが、元の艇名は不明 (1947年3月、石巻港) | |
基本情報 | |
建造所 | 山西造船鉄工所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
特務艇(1944年11月) 漁船(1947年) |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,307,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
進水 | 1945年4月30日 |
竣工 | 1947年3月頃(漁船) |
最期 | 1945年8月17日船体工程100%で工事中止[注釈 1] |
その後 | 1947年11月22日漁船改造許可 |
改名 |
第四号哨戒特務艇(1944年11月) 熊野丸(1947年) |
要目(計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 爆雷12個 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀1基 |
第四号哨戒特務艇[注釈 2](だいよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の4番艇。戦後、漁船として竣工した。
艇歴
[編集]マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の4番艇、仮称艦名第2124号艦として計画。1944年11月5日、第四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の4番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月30日、株式会社山西造船鉄工所で進水。8月1日、船体が完成したが同地にて繋留[注釈 3]。
終戦時未成。8月17日、工事中止が発令される。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。同年3月には漁船熊野丸として改造を終えた。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本船の漁船への改造許可が出された。1948年2月18日、船体が日本側に移管され、漁船となった。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66による。ただし、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
- ^ 本来の艇名表記は第四號哨戒特務艇。
- ^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では「20年8月1日横須賀工廠へ引き渡し、兵装工事中終戦」とあるが、石巻から横須賀へ回航された記録が無く、1947年2月1日時点で石巻に所在しており、戦後横須賀から石巻へ回航された記録も存在しない。また福井静夫『昭和軍艦概史III』p。66でも所在は「山西(石巻)」としている。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。