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第四号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第四号哨戒特務艇
改造完成した漁船熊野丸。本船の左舷側に元哨戒特務艇が繋留されているが、元の艇名は不明 (1947年3月、石巻港)
改造完成した漁船熊野丸。本船の左舷側に元哨戒特務艇が繋留されているが、元の艇名は不明
(1947年3月、石巻港
基本情報
建造所 山西造船鉄工所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇(1944年11月)
漁船(1947年)
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,307,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
進水 1945年4月30日
竣工 1947年3月頃(漁船)
最期 1945年8月17日船体工程100%で工事中止[注釈 1]
その後 1947年11月22日漁船改造許可
改名 第四号哨戒特務艇(1944年11月)
熊野丸(1947年)
要目(計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
爆雷12個
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀1基
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第四号哨戒特務艇[注釈 2](だいよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の4番艇。戦後、漁船として竣工した。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の4番艇、仮称艦名第2124号艦として計画。1944年11月5日、第四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の4番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月30日、株式会社山西造船鉄工所で進水。8月1日、船体が完成したが同地にて繋留[注釈 3]

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令される。

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。同年3月には漁船熊野丸として改造を終えた。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本船の漁船への改造許可が出された。1948年2月18日、船体が日本側に移管され、漁船となった。

脚注

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注釈
  1. ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66による。ただし、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第四號哨戒特務艇。
  3. ^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では「20年8月1日横須賀工廠へ引き渡し、兵装工事中終戦」とあるが、石巻から横須賀へ回航された記録が無く、1947年2月1日時点で石巻に所在しており、戦後横須賀から石巻へ回航された記録も存在しない。また福井静夫『昭和軍艦概史III』p。66でも所在は「山西(石巻)」としている。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
    • 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。