第六十四号哨戒特務艇
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第六十四号哨戒特務艇 | |
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基本情報 | |
建造所 |
船体:佐賀造船鉄工所 兵装艤装:舞鶴海軍工廠 |
運用者 |
大日本帝国海軍 復員庁 |
艦種 |
特務艇(1944年11月) 特別輸送艦(1947年1月) |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,350,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
進水 | 1945年4月2日 |
最期 | 1945年8月17日工程99%で工事中止[注釈 2]、戦後は部品取りとして使用 |
除籍 | 1947年4月15日(復員庁) |
その後 | 1947年11月22日漁船改造許可 |
改名 |
第六十四号哨戒特務艇(1944年11月) 哨特第六十四号(1947年1月) |
要目(計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 12センチ噴進砲2門 爆雷12個、魚雷落射機2基 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀三型1基 |
第六十四号哨戒特務艇[注釈 3](だいろくじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の28番艇[注釈 4]。
艇歴
[編集]マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の64番艇、仮称艦名第2184号艦として計画。1944年11月5日、第六十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の25番艇に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。1945年4月2日、株式会社佐賀造船鉄工所で進水。
5月25日、船体概成により佐賀造船鉄工所から舞鶴海軍工廠へ引き渡し。29日、艤装員事務所を舞鶴海軍工廠内に設置し事務開始[1]。
終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程99%で工事中止[注釈 2]。戦後は舞鶴港内に繋留され、部品取りとして使用される。
1947年1月27日、舞鶴地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、艦名を哨特第六十四号と改称し、特別保管艦(特)に指定される。2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。4月15日、特別輸送艦の定めを解かれた。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本船の漁船への改造許可が出された。その後の消息は詳らかではない。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 撮影日不明のため、艦名は哨特第六十四号の可能性もある。
- ^ a b 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66によるが、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
- ^ 本来の艇名表記は第六十四號哨戒特務艇(1947年1月27日から4月15日の間は哨特第六十四號)。
- ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は25番艇、これら3隻を含めると通算で28番艇となる。
- 脚注
- ^ 昭和20年6月17日付 秘海軍公報 第5044号。
参考文献
[編集]- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年6月17日付 秘海軍公報 第5044号。
- 昭和22年1月27日付 復員庁第二復員局 復二第75号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 昭和22年4月15日付 復員庁第二復員局 復二第284号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。