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第百三十四号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第百三十四号哨戒特務艇
1960年に撮影された おとしま MSI-681(中央) 左は うみつばめ MSI-697(元第72号駆潜特務艇) 右は しらとり MSI-694(元第231号駆潜特務艇) いずれも大阪基地隊第5掃海隊の掃海艇
1960年に撮影された おとしま MSI-681(中央)
左は うみつばめ MSI-697(元第72号駆潜特務艇
右は しらとり MSI-694(元第231号駆潜特務艇

いずれも大阪基地隊第5掃海隊の掃海艇
基本情報
建造所 船体:四国船渠工業所
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
運輸省
海上保安庁
保安庁警備隊
 海上自衛隊
艦種 特務艇(1944年11月)
掃海艦(1945年12月)
掃海船(1948年5月)
掃海艇(1954年7月)[注釈 1]
支援船(1961年3月)
級名 第一号型哨戒特務艇(1944年11月)
うきしま型掃海船(1951年12月)
うきしま型掃海艇(1954年7月)
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年2月26日
除籍 1945年11月30日(日本海軍)
1948年1月1日(復員庁)
1952年8月1日(海上保安庁)
1962年3月31日(海上自衛隊)
改名 第百三十四号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百三十四号(1945年12月)
MS-20(1948年5月)
哨特第一三四号(1948年8月)
おとしま(1951年12月)
掃海雑船18号(1961年3月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百三十四号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくさんじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の52番艇[注釈 3]太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。

艇歴

[編集]

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の134番艇、仮称艦名第2254号艦として計画。1944年11月5日、第百三十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の49番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年1月20日、船体概成により株式会社四国船渠工業所から呉海軍工廠へ引き渡し。2月26日竣工し、本籍を呉鎮守府に定められ、佐伯防備隊に編入。

3月2日、佐伯防備隊から削除され、連合艦隊第二十二戦隊第四監視艇隊に編入。4月1日、第四監視艇隊は鹿児島への進出を開始し、4月10日以降は鹿児島で整備と訓練に従事。

5月18日、第五特攻戦隊作戦指揮下に編入され、軍隊区分第二特攻部隊に配置。5月中は種子島への輸送に3回従事。

6月15日、第七艦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分対馬海峡方面部隊北九州防備部隊に配置され、掃海と対潜掃蕩に従事。

7月1日、第四監視艇隊から削除され大阪警備府大阪港湾警備隊に編入。掃海、航路啓開、空襲監視に従事。

終戦時残存。8月31日現在、機関の運転不能で木津川船渠にて繋留[1]。戦後は掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、大阪地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部大阪支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百三十四号としている。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を阪神掃海部に改められる。6月25日、阪神掃海部は神戸掃海部に改称。11月1日、神戸掃海部は阪神掃海部に改称。1947年8月1日、阪神掃海部が廃止され、所属を下関掃海部に改められる。

1948年10月、海上保安庁初の閲艇式に参加するため神戸港を出港中の同庁掃海船群。手前から3隻は哨特第八四号、哨特第一三四号、哨特第一三六号の順。

1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-20となる。8月20日、船名を哨特第一三四号 MS-20に定められる。朝鮮戦争の際、本船は日本特別掃海隊第1掃海隊指揮官船として、1950年10月11日から10月30日にかけて仁川沖の掃海に従事した。1951年12月1日、船名をおとしま MS-20に改正。

1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部舞鶴航路啓開隊第9掃海隊に編入。1954年1月15日、舞鶴地方総監部舞鶴基地警防隊第9掃海隊に編入。

1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる[注釈 1]。舞鶴地方総監部舞鶴基地警防隊第9掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-681に改正。1958年9月9日、呉地方総監部大阪基地隊第5掃海隊に編入。1961年3月31日、支援船に編入され船名を掃海雑船18号 YAM-18に改正。1962年3月31日、海上自衛隊から除籍された。

脚注

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注釈
  1. ^ a b 世界の艦船『海上自衛隊全艦艇史』p. 42による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では、「昭和27年8月1日保安庁警備隊に移管、掃海艇に分類」としている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百三十四號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十四號)。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は49番艇、これら3隻を含めると通算で52番艇となる。
脚注
  1. ^ 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。

参考文献

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  • 海軍省
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年2月26日付 内令第170号、内令第171号。
    • 昭和20年3月2日付 内令第196号ノ2、内令第196号ノ4。
    • 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
    • 佐伯防備隊戦時日誌。
    • 第二十二戦隊戦時日誌。
    • 第五特攻戦隊戦時日誌。
    • 第七艦隊戦時日誌。
    • 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。
  • 第二復員省復員庁
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
    • 昭和21年6月25日付 復二第36号。
    • 昭和21年11月1日付 復二第368号、復二第369号。
    • 昭和22年8月1日付 復二第543号。
  • 運輸省海上保安庁
    • 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
    • 昭和26年12月24日付 海上保安庁告示第31号。
  • 保安庁警備隊海上自衛隊
    • 昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。
    • 昭和28年9月16日付 政令第281号。
    • 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。
    • 昭和33年9月9日付 海上自衛隊内訓第13号。
    • 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1]
    • 『朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊』、1978年。[2]
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 世界の艦船 No. 630 増刊第66集 『海上自衛隊全艦艇史』、海人社、2004年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。