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第百七十六号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第百七十六号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:徳島合同造船
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
艦種 特務艇(1945年5月)
掃海艦(1945年12月)
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 不明、1945年8月17日船体工程100%で工事中止[注釈 1]
最期 1946年4月18日遭難擱坐
除籍 1946年8月20日(復員庁)
その後 1947年11月22日解体指令
改名 第百七十六号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百七十六号(1945年12月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百七十六号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくななじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の70番艇。太平洋戦争後に掃海艦として就役したが、掃海作業中に遭難した。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の176番艇、仮称艦名第2296号艦として計画。1945年5月5日、第百七十六号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の70番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年5月31日、船体概成により徳島合同造船株式会社から呉海軍工廠へ引き渡し。

終戦時は呉で兵装艤装中。8月17日、工事中止が発令された。本艇は後述するとおり第二復員省の掃海艦となったが、工事を再開した建造所と竣工年月日は、いずれも不明。

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、佐世保地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部佐世保支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百七十六号としている。

1946年4月18日、下関市吉見沖で掃海作業中、荒天に遭遇し擱坐した。同日、同じ場所で哨特第百三十七号も座礁し、こちらは同地で放棄されている。その後哨特第百七十六号は林兼重工業彦島造船所へ移送されたが、部品取りとして使用され行動を再開することは無かった。5月10日、佐世保支部から除かれ、呉地方復員局掃海部下関支部所属に改められる。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を下関掃海部に改められる。8月20日、哨特第百七十六号は下関掃海部から削除され、掃海艦の定めを解かれた。

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。

脚注

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注釈
  1. ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66による。ただし、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百七十六號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百七十六號)。
脚注

参考文献

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  • 海軍省第二復員省復員庁
    • 昭和20年5月5日付 達第97号、内令第381号、内令第389号。
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
    • 昭和21年5月10日付 内令第66号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
    • 昭和21年8月20日付 復二第182号、復二第183号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。