第百八号哨戒艇
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(第108号哨戒艇から転送)
艦歴 | |
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起工 | |
進水 | |
竣工 | 1930年(オランダ) |
就役 | 1944年1月31日(日本海軍) |
喪失 | 1945年3月28日戦没 |
除籍 | 1945年5月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:795トン |
全長 | 70.15m |
水線長 | 66.5m |
全幅 | 7.95m |
吃水 | 2.80m |
機関 | レシプロエンジン 2基2軸 3,350馬力 |
燃料 | 重油 |
速力 | 15ノット |
航続距離 | |
乗員 | 定員105名[1] |
兵装 | 8cm単装高角砲 1基 13mm単装機銃 2基 25mm単装機銃 4基 25mm連装機銃 2基 爆雷48発 |
同型艇 | 2隻 |
第百八号哨戒艇[2](だいひゃくはちごうしょうかいてい)とは大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つ。元はオランダ領東インド政府の哨戒艇「Arend(アーレンド)」。
概要
[編集]1942年(昭和17年)3月1日バタビアで自沈。浮揚後、スラバヤの第百二海軍工作部が修理して哨戒艇とした。本艇の前身アーレンドと第百四号哨戒艇の前身ファルクは姉妹艇である。
艇歴
[編集]- 1930年(昭和5年) オランダのフィジェノルド造船所で竣工。
- 1942年(昭和17年)3月1日 ジャワ島タンジュンプリオク港沖で自沈、スラバヤの第百二海軍工作部が浮揚整備にあたる。
- 1944年(昭和19年)7月31日 第百八号哨戒艇と命名[2]、哨戒艇に類別[3]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[4]。第二南遣艦隊第二十二特別根拠地隊に編入[5]。
- 10月12日 整備完成[6]。
- 1945年(昭和20年)3月28日 セレベス沖でアメリカ艦上機の攻撃により沈没。
- 5月10日 帝国哨戒艇籍から除かれる[7]。
- 第百八号哨戒艇長
脚注
[編集]- ^ 昭和19年7月31日付 内令員第1366号。この数字は特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
- ^ a b 昭和19年7月31日 海軍大臣 逹 第243号。「昭和19年8月~9月 秘海軍公報(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070495800
- ^ 昭和19年7月31日付 内令第906号。
- ^ 昭和19年7月31日付 内令第909号。
- ^ 戦史叢書『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、附表第二。
- ^ 世界の艦船 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 106。
- ^ 昭和20年5月10日付 内令第410号。
- ^ 昭和19年8月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1555号。0
- ^ 昭和20年8月20日付 秘海軍辞令公報 甲 第1890号。
参考文献
[編集]- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。