第19普通科連隊
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第19普通科連隊 | |
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自衛官候補生の入隊式 | |
創設 | 1956年(昭和31年)1月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
兵種/任務 | コア部隊 |
所在地 | 福岡県 春日市 |
編成地 | 春日 |
上級単位 | 西部方面混成団 |
担当地域 | 福岡県福岡地方 |
第19普通科連隊(だいじゅうきゅうふつうかれんたい、JGSDF 19th Infantry Regiment)は、福岡県春日市の福岡駐屯地に駐屯する陸上自衛隊西部方面混成団隷下の普通科連隊である。
概要
[編集]1956年(昭和31年)1月に第4師団隷下部隊として編成完結。1998年(平成10年)3月に陸上自衛隊初となる即応予備自衛官を主体として構成されるコア部隊に改編された。
連隊長は1等陸佐が充てられている。担当隊区は福岡県のうち、福岡地方である。
沿革
[編集]- 1956年(昭和31年)1月25日:第4師団隷下に第19普通科連隊が編成完結。
- 1966年(昭和41年)3月1日:飯塚駐屯地開設に伴い、警備隊区のうち、筑豊地区を第2施設群長に移管。
- 1990年(平成 2年)3月26日:第4師団近代化への改編により、自動車化。
- 1998年(平成10年)3月26日:即応予備自衛官指定部隊(コア部隊)に改編。
- 2003年(平成15年)3月27日:第4師団が「沿岸配備型師団」に改編。
- 軽装甲機動車及び01式軽対戦車誘導弾が配備。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第4後方支援連隊第2整備大隊へ移管。
- 2011年(平成23年)4月:東日本大震災に伴う災害派遣活動、南三陸町にて捜索救難活動、物資輸送支援を実施[1]。
- 2013年(平成25年)3月26日:第4師団隷下から西部方面混成団隷下に異動。整備部門は、第4後方支援連隊第2整備大隊から西部方面後方支援隊第304普通科直接支援中隊へ移管。
部隊編成
[編集]- 第19普通科連隊本部
- 本部管理中隊「19普-本」
- 第1普通科中隊「19普-1」 - 軽装甲機動車
- 第2普通科中隊「19普-2」 - 軽装甲機動車
- 第3普通科中隊「19普-3」 - 軽装甲機動車
- 第4普通科中隊「19普-4」 - 軽装甲機動車
- 重迫撃砲中隊「19普-重」
整備支援部隊
[編集]- 第4後方支援連隊第2整備大隊第2普通科直接支援中隊「4後支-2-2普」(福岡駐屯地):2003年(平成15年)3月27日から2013年(平成25年)3月25日の間。
- 西部方面後方支援隊第304普通科直接支援中隊「304普直支」(福岡駐屯地):2013年(平成25年)3月26日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第19普通科連隊長 | 1等陸佐 | 西村修 | 2024年 | 3月18日国際活動教育隊長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 戸伏長久 | 1956年 | 1月25日 - 1958年 3月15日陸上幕僚監部所属 防衛大学校派遣勤務 防衛大学校訓練部訓練課長 | |
2 | 渡辺博 | 1958年 | 3月16日 - 1958年 7月31日陸上幕僚総監部第5部勤務 | 第5管区総監部幕僚長 |
3 | 西川次郎 | 1958年 | 8月 1日 - 1960年 7月31日第1管区総監部勤務 | 中部方面総監部総務課長 |
4 | 山崎祐至 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 3月15日東部方面総監部第3部長 | 練馬駐とん地業務隊長 |
5 | 藤原環 | 1962年 | 3月16日 - 1964年 3月15日陸上自衛隊富士学校研究部副部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校教育部長 |
6 | 山内竹治 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 3月15日陸上幕僚監部第3部勤務 | 陸上幕僚監部第5部総括班長 |
7 | 武岡淳彦 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸上自衛隊幹部学校付 | 陸上幕僚監部第5部訓練演習班長 |
8 | 長南元皓 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 3月15日陸上自衛隊調査学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
9 | 河野恂 | 1970年 | 3月16日 - 1971年 7月15日第4師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部第5部総括班長 |
10 | 原一喜 | 1971年 | 7月16日 - 1974年 3月15日防衛大学校勤務 | 西部方面総監部募集課長 |
11 | 岩藤良平 | 1974年 | 3月16日 - 1976年 3月15日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 陸上自衛隊関西地区補給処企画室長 |
12 | 下園勝彦 | 1976年 | 3月16日 - 1977年11月30日陸上幕僚監部第5部勤務 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 |
13 | 松下政昭 | 1977年12月 | 1日 - 1980年 3月16日陸上幕僚監部第1部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
14 | 多田壽美雄 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 3月15日西部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部監理部総務課 企画班長 |
15 | 山崎友久 | 1982年 | 3月16日 - 1984年 3月15日陸上幕僚監部調査部付 | 第11師団司令部幕僚長 |
16 | 黒木正夫 | 1984年 | 3月16日 - 1987年 3月31日第1師団司令部第3部長 | 北熊本駐屯地業務隊長 |
17 | 速水誠一 | 1987年 | 4月 1日 - 1989年 3月31日自衛隊大阪地方連絡部募集課長 | 自衛隊長野地方連絡部長 |
18 | 笠井好秋 | 1989年 | 4月 1日 - 1991年 7月31日第5師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
19 | 袖井孝 | 1991年 | 8月 1日 - 1994年 7月31日第1混成団本部高級幕僚 | 北熊本駐屯地業務隊長 |
20 | 呑田好文 | 1994年 | 8月 1日 - 1996年 7月31日自衛隊体育学校第1教育課長 | 防衛大学校教授 |
21 | 宮崎悟介 | 1996年 | 8月 1日 - 1999年 7月31日陸上幕僚監部人事部援護業務課 総括班長 |
自衛隊京都地方連絡部長 |
22 | 田上正 | 1999年 | 8月 1日 - 2002年 7月31日西部方面総監部装備部後方運用課長 | 西部方面総監部総務部長 |
23 | 椎葉辰也 | 2002年 | 8月 1日 - 2005年 3月22日陸上自衛隊研究本部研究員 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
24 | 渡邊公博 | 2005年 | 3月23日 - 2007年 7月31日西部方面情報保全隊長 | 西部方面後方支援隊副隊長 |
25 | 中島英樹 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 7月31日統合幕僚学校研究員 | 陸上自衛隊幹部学校研究課長 |
26 | 長野耕治 | 2009年 | 8月 1日 - 2012年 3月31日陸上自衛隊幹部候補生学校主任教官 | 防衛研究所主任研究官 |
27 | 井手正 | 2012年 | 4月 1日 - 2013年11月30日防衛大学校教授 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
28 | 賦勺義矢 | 2013年12月 | 1日 - 2015年 7月31日空挺教育隊長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
29 | 浅野正尚 | 2015年 | 8月 1日 - 2017年 3月22日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 北部方面後方支援隊副隊長 |
30 | 松﨑早博 | 2017年 | 3月23日 - 2019年11月30日自衛隊沖縄地方協力本部募集課長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部教官 |
31 | 今村英二郎 | 2019年12月 | 1日 - 2022年 3月13日北関東防衛局防衛補佐官 | 退職[2] |
32 | 足達好正 | 2022年 | 3月14日 - 2024年 3月17日陸上自衛隊関東補給処装備計画部 企画課長 |
防衛大学校教授 |
33 | 西村修 | 2024年 | 3月18日 -国際活動教育隊長 |
主要装備
[編集]- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 84mm無反動砲
- 01式軽対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
警備隊区
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
福岡市、筑紫野市、春日市、大野城市、宗像市、太宰府市、糸島市、福津市、那珂川市、糟屋郡(宇美町、篠栗町、志免町、須恵町、新宮町、久山町、粕屋町)
脚注
[編集]出典
[編集]- “防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- 陸上自衛隊第19普通科連隊(@jgsdf_19ir_pr) - Twitter