練馬駐屯地
表示
練馬駐屯地 | |
---|---|
位置 | |
所在地 | 東京都練馬区北町4-1-1 |
座標 | 北緯35度45分54秒 東経139度39分32秒 / 北緯35.76500度 東経139.65889度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 第1師団副師団長 兼務 |
主要部隊 |
第1師団司令部 第1普通科連隊 第1後方支援連隊 ほか |
面積 | 224,419平方メートル[1] |
| |
開設年 |
1930年 1951年(陸上自衛隊) |
練馬駐屯地(ねりまちゅうとんち、JGSDF Camp Nerima)は、日本の東京都練馬区北町四丁目1番1号に所在し、第1師団司令部等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
概要
[編集]駐屯地司令は、陸将補が充てられ第1師団副師団長が兼務。
かつては、東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫であった。都心に近い実戦部隊の駐屯地であるため、防衛大臣や政治家が視察に訪れる。
沿革
[編集]日本陸軍
- 1930年(昭和5年):現在地に、東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫が完成。敷地面積1万坪。
- 1943年(昭和18年):東武鉄道線(後の啓志線)の陸軍第一造兵廠構内駅が、敷地内に開業。
- 1946年(昭和21年)3月25日:陸軍第一造兵廠構内駅を練馬倉庫駅に改称。
警察予備隊練馬駐屯地
保安隊練馬駐屯地
陸上自衛隊練馬駐屯地
- 1954年(昭和29年)
- 7月1日:陸上自衛隊発足により、陸上自衛隊へ移管[3]。第1連隊が第1普通科連隊に称号変更。
- 7月5日:第650通信群本部が久里浜駐屯地へ移駐[4]。
- 9月10日:第1補給中隊が第1補給隊に、第1武器中隊が第1武器隊に、保安隊音楽隊が陸上自衛隊中央音楽隊にそれぞれ称号変更。
- 9月25日:第400警務大隊が警務隊に称号変更。
- 1957年(昭和32年)8月27日:中央音楽隊及び警務隊本部が芝浦駐屯地に移駐。
- 1959年(昭和34年)7月22日:練馬倉庫駅が廃止。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:師団制への改編により、第1管区総監部は第1師団司令部に、同付中隊は同付隊に、第1通信中隊は第1通信大隊に、それぞれ称号変更。第1輸送隊が新編。
- 2月10日:第1偵察隊が相馬原駐屯地から移駐。
- 1975年(昭和50年)8月1日:第1音楽隊が新編。
- 1980年(昭和55年)3月25日:豊島分屯地が廃止され、第1衛生隊が豊島分屯地から移駐。
- 1992年(平成 4年)3月27日:第1武器隊、第1補給隊、第1輸送隊、第1衛生隊を統合し、第1後方支援連隊が編成完結。
- 2022年(令和 4年)3月17日:第1偵察隊が第1戦車大隊と統合し、第1偵察戦闘大隊として朝霞駐屯地へ移駐。
駐屯部隊
[編集]東部方面隊隷下部隊
[編集]- 第1師団
- 東部方面システム通信群
- 第105基地システム通信大隊
- 第316基地通信中隊
- 第105基地システム通信大隊
- 東部方面会計隊
- 第338会計隊
- 練馬駐屯地業務隊
防衛大臣直轄部隊
[編集]- 警務隊
- 東部方面警務隊
- 第126地区警務隊
- 東部方面警務隊
かつて駐屯していた部隊
[編集]最寄の幹線交通
[編集]- 高速道路:関越自動車道(練馬IC/所沢IC)、東京外環自動車道(和光IC)
- 一般道:国道17号(新大宮バイパス)、国道254号(川越街道)、東京都道311号環状八号線、東京都道318号環状七号線、東京都道441号池袋谷原線、東京都道442号北町豊玉線、東京都道443号南田中町旭町線(笹目通り)、東京都道445号常盤台赤羽線
- 鉄道:東武東上本線(東武練馬駅)、東京メトロ有楽町線・副都心線(平和台駅)
- 港湾:東京港(指定特定重要港湾)
- 飛行場:東京国際空港(第一種空港)調布飛行場、横田飛行場、入間基地、立川飛行場(その他の飛行場)東京ヘリポート(公共用ヘリポート)
行事
[編集]- 創立記念式典 - 4月(第2日曜日に開催されることが多い)。
- 納涼祭 - 7月。グラウンドでは花火の打ち上げが行われる。
脚注
[編集]- ^ 国有財産の有効活用・フォローアップ有識者会議 各省ヒアリング 調査票 財務省ホームページ
- ^ 朝雲新聞社編集局 監修・陸上幕僚監部『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年。
- ^ “自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年5月29日閲覧。
- ^ (1962)、『自衛隊年表』、防衛庁長官官房広報課 doi:10.11501/1708502
参考文献
[編集]- 練馬駐屯地創立50年史