第1施設団
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第1施設団 | |
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創設 | 1961年(昭和36年)8月17日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 団 |
兵科 | 施設科 |
兵種/任務 | 建設工兵 |
所在地 | 茨城県 古河市 |
編成地 | 朝霞 |
上級単位 | 東部方面隊 |
担当地域 | 茨城県南部(災害派遣)、神奈川県中部(災害派遣) |
第1施設団(だいいちしせつだん、英語:JGSDF 1st Engineer Brigade)は、陸上自衛隊東部方面隊直轄の施設科部隊で各方面隊にある施設団のひとつ。茨城県古河市に所在の古河駐屯地に団本部が駐屯する。
概要
[編集]2個施設群を基幹に施設器材隊、2個の施設隊、ダンプ車両中隊等からなり東部方面隊の各部隊に対する施設作業支援や災害派遣を任務とするほか国際貢献活動および民生協力を行う。
第1施設団長は古河駐屯地司令を兼務する。
沿革
[編集]第500建設群
第1建設群
第1施設団
- 1961年(昭和36年)8月17日:編成完結。
- 第1建設群を母体として第1施設団が朝霞駐屯地において編成完結。
- 第1施設団長が朝霞駐屯地司令に職務指定。
- 第104建設大隊が朝霞駐屯地に新編。
- 編成(団本部、本部付隊、第102建設大隊、第104建設大隊、第107施設大隊(勝田駐屯地)、第312地区施設隊(習志野駐屯地)、第316地区施設隊(松本駐屯地)、第317地区施設隊(北富士駐屯地))。
- 1962年(昭和37年)
- 1968年(昭和43年)8月9日:第107施設大隊隷下の1個中隊が勝田駐屯地から高田駐屯地へ移駐。
- 1971年(昭和46年)10月20日:第102建設大隊および支援部隊が朝霞駐屯地から座間分屯地に移駐。
- 1972年(昭和47年)8月1日:団改編(建設大隊及び施設大隊を廃止し、施設群を新編)。
- 第102建設大隊(座間分屯地)を基幹として第3施設群を座間分屯地に新編し、第317地区施設隊(北富士駐屯地)を編合。
- 第104建設大隊(宇都宮駐屯地)を基幹として第4施設群を宇都宮駐屯地に新編し、第312地区施設隊(習志野駐屯地)を編合。
- 第107施設大隊(高田駐屯地)を基幹として第5施設群を高田駐屯地に新編し、第316地区施設隊(松本駐屯地)を編合。
- 第101施設器材隊を朝霞駐屯地に新編。
- 1984年(昭和59年)3月26日:団改編。第4・第5施設群の第308・第309ダンプ車両中隊を廃止し、第3施設群の第301ダンプ車両中隊を増強のうえ、団直轄に編合[1]。
- 1991年(平成 3年)3月29日:団改編(地区施設隊を廃止し、施設中隊に改編)。
- 第312地区施設隊(習志野駐屯地)を第352施設中隊に改編し、第4施設群隷下に編合。
- 第316地区施設隊(松本駐屯地)を第353施設中隊に改編し、第5施設群隷下に編合。
- 第317地区施設隊(北富士駐屯地)を第351施設中隊に改編し、第3施設群隷下に編合。
- 1994年(平成 6年)11月28日:東部方面総監部の朝霞駐屯地移駐に伴い、朝霞駐屯地司令職務を東部方面総監部幕僚長へ移管。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)3月27日:後方支援体制移行に伴い、整備部門を東部方面後方支援隊第102施設直接支援大隊に移管。
- 2004年(平成16年)3月27日:第307施設隊を高田駐屯地に新編し、隷下に編合。
- 2008年(平成20年)3月26日:第4施設群の改編。
- 2011年(平成23年)4月22日:部隊改編等。
- 第307施設隊が高田駐屯地から宇都宮駐屯地に移駐。
- 第4施設群の改編(施設中隊の改編)。
警備隊区
[編集]警備隊区は茨城県のうち、「古河・霞ヶ浦分区」と呼称される13市4町を第1施設団長が担当・指揮し[3]、隷下の第4施設群長が神奈川県中部の11市4町1村[4]、第5施設群が新潟県上越市を担当・指揮する[5]。
- 古河市、結城市、筑西市、桜川市、下妻市、つくば市、つくばみらい市、土浦市、かすみがうら市、常総市、守谷市、取手市、八千代町、利根町 [3][6]
- 坂東市、五霞町、境町は第1施設団長の指揮下、東部方面後方支援隊第102施設直接支援大隊が担任する[6]。
第4施設群担任地域は第4施設群#警備隊区を参照
編成・駐屯地
[編集]- 編成
整備支援部隊
[編集]主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第1施設団長 兼 古河駐屯地司令 |
陸将補 | 弥頭親善 | 2024年12月20日 | 陸上総隊司令部日米共同部長 |
副団長 | 1等陸佐 | 前原幸雄 | 2022年 | 8月 1日第2施設群長 |
高級幕僚 | 2等陸佐 | 外園浩幸 | 2023年 | 3月13日第5旅団司令部第1部長 |
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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1 | 後藤友三郎 | 1961年 | 8月17日 - 1963年 7月31日陸士44期・ 陸大55期 |
第1建設群長 →1961年7月17日 東部方面総監部付 |
第3師団副師団長 兼 千僧駐とん地司令 |
2 | 渡辺太郎 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日陸士43期・ 陸大50期 |
陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 |
東部方面総監部付 →1965年5月31日 退職 |
3 | 北崎昌安 | 1965年 | 3月16日 - 1966年 3月16日陸士45期・ 砲工42期 |
陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 |
退職 |
4 | 井川静男 | 1966年 | 3月16日 - 1967年 7月16日陸士47期 | 第3施設団長 兼 南恵庭駐とん地司令 |
第3施設団本部付 →1967年12月31日 退職 |
5 | 小林寿彦 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 7月15日陸士48期 | 第3施設団長 兼 南恵庭駐とん地司令 |
陸上幕僚監部付 →1970年1月1日 退職 |
6 | 近藤又一郎 | 1969年 | 7月16日 - 1972年 7月16日陸士50期 | 第2施設団長 兼 船岡駐とん地司令 |
東部方面総監部付 →1972年8月16日 退職(陸将昇任) |
7 | 外口行雄 | 1972年 | 7月17日 - 1975年 3月16日陸士55期 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 第1教育団長 兼 武山駐とん地司令 |
8 | 遠藤健 | 1975年 | 3月17日 - 1977年 6月30日陸士57期 | 自衛隊札幌地方連絡部長 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 |
9 | 横江金吾 | 1977年 | 7月 1日 - 1979年 3月15日陸士58期 | 第4施設団長 兼 大久保駐とん地司令 |
東部方面総監部付 →1979年7月1日 退職 |
10 | 片岡博文 | 1979年 | 3月16日 - 1980年 3月16日海兵74期 | 陸上幕僚監部装備部施設課長 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 |
11 | 齊藤和治 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 3月15日陸航士60期 | 陸上自衛隊施設補給処長 兼 古河駐とん地司令 →1982年1月1日 陸将昇任 | |
12 | 三島正治 | 1982年 | 3月16日 - 1984年 3月15日関西学院大学 昭和30年卒 |
第2施設団長 兼 船岡駐とん地司令 | |
13 | 杉山邦一 | 1984年 | 3月16日 - 1986年 3月16日新潟大学 昭和29年卒 |
陸上幕僚監部装備部施設課長 | 陸上幕僚監部付 →1986年4月1日 退職 |
14 | 東俊 | 1986年 | 3月17日 - 1987年 7月 6日防大1期 | 陸上自衛隊幹部学校教育部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
15 | 坂本滋 | 1987年 | 7月 7日 - 1989年 6月 29日防大2期 | 陸上自衛隊施設補給処長 兼 古河駐屯地司令 |
陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐屯地司令 |
16 | 浅井輝久 | 1989年 | 6月30日 - 1991年 3月15日防大5期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部監察官 |
17 | 岸良征 | 1991年 | 3月16日- 1993年 3月23日防大6期 | 自衛隊福岡地方連絡部長 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐屯地司令 |
18 | 長池政彦 | 1993年 | 3月24日 - 1995年 6月30日防大7期 | 第5師団副師団長 兼 帯広駐屯地司令 |
退職 |
19 | 中里紀一 | 1995年 | 6月30日 - 1997年12月 8日防大7期 | 陸上自衛隊幹部学校研究部長 | 退職 |
20 | 得田憲司 | 1997年12月 | 8日 - 1999年12月 9日防大15期 | 陸上幕僚監部防衛部研究課長 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 |
21 | 大西正俊 | 1999年12月10日 - 2001年 | 3月26日防大18期 | 陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 | 陸上自衛隊研究本部総合研究部長 |
22 | 亀田津治男 | 2001年 | 3月27日 - 2003年 3月26日防大15期 | 陸上自衛隊富士学校普通科部長 | 陸上自衛隊東北補給処長 |
23 | 市川菊代 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 3月27日防大17期 | 防衛大学校防衛学教育学群 統率・戦史教育室長 兼 防衛大学校教授 |
陸上自衛隊北海道補給処長 兼 島松駐屯地司令 |
24 | 馬見塚裕 | 2005年 | 3月28日 - 2005年12月 4日防大18期 | 防衛医科大学校学生部長 | 東部方面総監部付 →2006年11月10日 死去 |
25 | 石下義夫 | 2005年12月 | 5日 - 2007年 7月 2日防大20期 | 自衛隊宮城地方連絡部長 | 陸上自衛隊幹部学校副校長 |
26 | 宮嵜泰樹 | 2007年 | 7月 3日 - 2008年11月30日防大22期 | 第11師団副師団長 兼 真駒内駐屯地司令 |
陸上幕僚監部監察官 |
27 | 森田展茂 | 2008年12月 | 1日 - 2010年 6月 7日千葉工業大学 昭和53年卒[7] |
東北方面総監部装備部長 →2009年12月7日 陸将補昇任 |
陸上幕僚監部付 →2010年7月26日 退職 |
28 | 岸川公彦 | 2010年 | 6月 8日 - 2011年 8月 4日防大28期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊研究本部総合研究部長 |
29 | 町田英俊 | 2011年 | 8月 5日 - 2013年 8月21日香川大学 昭和55年卒[8] |
陸上自衛隊幹部学校教育部長 | 陸上自衛隊関東補給処副処長 |
30 | 小瀬幹雄 | 2013年 | 8月22日 - 2014年12月18日東京大学 昭和61年卒[9] |
陸上幕僚監部人事部厚生課長 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐屯地司令 |
31 | 堀井泰蔵 | 2014年12月19日 - 2016年 | 3月22日二松学舎大学 昭和62年卒[10] |
中央即応集団副司令官 | 中部方面総監部幕僚副長 |
32 | 平栗浩一 | 2016年 | 3月23日 - 2018年12月19日防大29期 | 防衛大学校防衛学教育学群 統率・戦史教育室長 兼 防衛大学校教授 |
退職 |
33 | 豊田真 | 2018年12月20日 - 2020年12月21日 | 防大33期 | 陸上総隊司令部総務部長 | 自衛隊体育学校長 |
34 | 仲西勝典 | 2020年12月22日 - 2023年 | 3月29日防大37期 | 自衛隊熊本地方協力本部長 | 防衛監察本部監察官 |
35 | 安田百年 | 2023年 | 3月30日 - 2024年12月19日防大36期 | 東部方面総監部幕僚副長 | 自衛隊大阪地方協力本部長 |
36 | 弥頭親善 | 2024年12月20日 - | 防大40期 | 陸上総隊司令部日米共同部長 |
廃止(改編)部隊
[編集]- 第3施設群(座間分屯地):2001年(平成13年)3月26日 廃止。
脚注
[編集]- ^ 陸上自衛隊. “第301ダンプ車両中隊 部隊紹介”. 2021年1月11日閲覧。
- ^ 『官報』号外第94号(平成13年5月11日)
- ^ a b “自衛隊茨城隊区指揮指揮系統及び災害派遣担任区分”. 茨城県. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “神奈川県災害時広域受援計画-資料編-”. 神奈川県. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “防衛省防災業務計画(令和6年3月28日)”. pp. 63. 2024年12月20日閲覧。
- ^ a b “防衛省防災業務計画(令和6年3月28日)”. pp. 59. 2024年12月20日閲覧。
- ^ 昭和53年入隊、59期幹候・防大22期相当
- ^ 昭和55年入隊、61期幹候・防大24期相当
- ^ 工学部土木工学科卒、昭和61年入隊、67期幹候・防大30期相当、米国海兵隊指揮幕僚課程修了
- ^ 昭和63年入隊、69期幹候・防大32期相当