羽下晃生
羽下 晃生 はが あきお | |
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生誕 |
1966年7月8日(58歳) 静岡県静岡市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京学芸大学[1] |
業績 | |
専門分野 |
自動車エンジニア レーシングカー・デザイナー デザインディレクター |
雇用者 |
トムス(1991年 - 1998年) ジョーダン(1998年 - 2005年) MF1レーシング(2006年) スパイカー(2007年) フォース・インディア(2008年 - 2018年) レーシング・ポイント(2018年 - 2020年) アストンマーティンF1(2021年 - ) |
設計 |
フォース・インディア VJM09 フォース・インディア VJM10 フォース・インディア VJM11 レーシング・ポイント RP19 レーシング・ポイント RP20 など |
成果 | F1選手権 1勝(2020年) |
羽下 晃生(はが あきお、1966年7月8日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカー・デザイナー。静岡県静岡市出身。
主にフォーミュラ1カーの設計に携わり、F1チーム「ジョーダン」「MF1」「スパイカー」「フォース・インディア」「レーシング・ポイント」「アストンマーティンF1」の要職を歴任している。
略歴
[編集]トムス時代
[編集]幼少期のいわゆるスーパーカーブームがきっかけで車に興味を持ち出し、1976年のF1世界選手権イン・ジャパン(日本グランプリ)を契機にF1にも関心を抱く。高校生時代はオートバイレーサーを目指した時期もあったが、大きな事故に遭いその道を断念、技術者を目指すこととなる[1]。
東京学芸大学機械工学科を卒業後、日本のモータースポーツ企業トムスに入社。エンジニア・メカニックとしての下積み経験の後、1993年に当時のフォーミュラ3(F3)用シャシーであるトムス・033F/034Fの設計に参画。その後トムスのイギリス法人であるトムスGBに移ることになり、イギリスで引き続きレーシングカーの開発に関わった。
F1時代
[編集]1998年にトムスGBがアウディに売却されたのを期にトムスを退社、ジョーダン・グランプリに移る。ジョーダンではジョーダン・199で冷却系・排気系の設計に関わったのを契機に、徐々にマシン全体の設計にも関わるようになり、ジョーダンがMF1レーシング→スパイカーF1を経てフォース・インディアとなった2007年にプロジェクトリーダー(デザインディレクター)に就任した[1]。日本人として(日本国外の)F1コンストラクターでチーフデザイナー相当の役職に就いたのは羽下が史上初[1]。
フォース・インディアでは2チームのデザインチームが1年交代でマシンの設計を行う体制が取られているため、羽下はその片方のリーダーとして、以後VJM01を皮切りに同チームのF1マシンの開発を率いる。そして2018年半ばから同チームを継承したレーシング・ポイント(後にアストンマーティンF1に改称)でも、同デザインディレクターを務めている。
2020年シーズン用に開発した「レーシング・ポイント RP20」が第16戦サヒールGPにてチーム初優勝を果たし[2]、勝利に大きく貢献した。
人物
[編集]基本的にはファクトリー詰めの勤務体制のため、ファクトリーの近くで開催されるイギリスGPを除き、F1のレース現場にはほぼ顔を出さない[3]。そのせいもあって、メディアに登場することは少ない人物である。
脚注
[編集]- ^ a b c d “決して諦めない、 その一点だけが、 ここにいる理由”. NUA WORLD / NEC (2016年). 2020年3月9日閲覧。
- ^ “デビュー10年目のペレスが初優勝「表彰台でメキシコ国旗を眺めたことを生涯忘れない」レーシングポイント【F1第16戦】”. autosport web (2020年12月7日). 2021年2月28日閲覧。
- ^ 【特別インタビュー】フォースインディア羽下晃夫プロジェクトリーダー - F1 LIFE・2016年10月21日