保戸野鉄砲町
保戸野鉄砲町 | |
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北緯39度43分21.02秒 東経140度6分35.36秒 / 北緯39.7225056度 東経140.1098222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 秋田県 |
市町村 | 秋田市 |
人口 | |
• 合計 | 661人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
010-0913 |
市外局番 | 018[2] |
ナンバープレート | 秋田 |
保戸野鉄砲町(ほどのてっぽうまち)は秋田県秋田市にある町。郵便番号は010-0913。住居表示実施済み地区。
本項では、保戸野鉄砲町の前身であり1966年(昭和41年)4月1日に廃止された保戸野表鉄砲町(ほどのおもててっぽうまち)・保戸野北鉄砲町(ほどのきたてっぽうまち)・保戸野南鉄砲町(ほどのみなみてっぽうまち)についても記述する。
地理
[編集]秋田市の中央部、保戸野地域の中では南西部に位置する。西部に秋田中央郵便局がある。南部には声体寺・来迎寺・蓮住寺や妙信寺・勝平神社など寺社が多い。北部は新興住宅街である。
北は秋田市道(通称「保戸野学園通り」)を挟んで保戸野千代田町、東は秋田市道(通称「保戸野みその通り」)を挟んで保戸野すわ町・保戸野通町、南東は大町一丁目、南は秋田市道(通称「鉄砲町通り」「旧国道」)を挟んで旭北栄町、西は秋田県道56号秋田天王線(国道7号旧道、通称「新国道」)を挟んで高陽幸町に隣接する。
歴史
[編集]久保田城下で鉄砲足軽が居住した保戸野表鉄砲町・北鉄砲町・南鉄砲町を前身とする(但し南鉄砲町は、現在の保戸野鉄砲町の町域には含まれない)。表鉄砲町は羽州街道沿いの町で、西の土崎湊町・八橋村方面から城下への入口にあたり、楢山や川口と共に防衛の最前線を担っていた[3][4]。保戸野表鉄砲町を抜けると、「六道ノ辻」と呼ばれる土手と堀を巡らせた関門を経て、外町(町人町)の大工町に出る[4]。現在の保戸野鉄砲町の南東端、鉄砲町通りがクランクになっている箇所が六道ノ辻の跡地である。
『梅津政景日記』寛永6年8月26日(1629年10月14日)の条に「ほとの上町次ニ而御足軽屋敷六拾五間相渡申候、内廿間ハ北浦町ニ有、四拾五間ハ南浦町ニ在」と記されているのが初見で、北浦町が北鉄砲町、南浦町が南鉄砲町である[4]。享和3年(1803年)の『出羽国郡村仮名附帳』、万延元年(1860年)の『佐竹藩士禄附町附覚』には保戸野表町・同北裏町・同南裏町とあり、当時の正式名称と考えられている[4]。久保田藩士の賀藤景琴写による寛保期(1741 - 1743年)頃の絵図では、表鉄砲町だけが鉄砲町と記されている[4]。
1884年(明治17年)の戸長調によると、保戸野表鉄砲町に表鉄砲町・北鉄砲町・南鉄砲町と花立町の計4町の戸長役場が置かれていた[5]。
沿革
[編集]- 1612年(慶長17年)
- 1620年(元和6年) - 保戸野北鉄砲町に蓮住寺が建立される[6](文禄元年に開山した久保田最古の寺であるという説もある[5])。
- 1877年(明治10年)1月19日 - 保戸野鉄砲町に公立鉄街学校が開校する[7]。
- 1880年(明治13年) - 鉄街学校が保戸野中町の保戸野小学校に合併される[6]。
- 1886年(明治19年) - 俵谷火事により、南鉄砲町の1軒を除き全焼[5][8]。
- 1887年(明治20年) - 俵谷火事で焼失した北鉄砲町の珍宝神社に、境内の秋葉神社・表鉄砲町の勝平神社・八橋の毘沙門天を合祀し、勝平神社として再建する[5][6][9]。
- 1908年(明治41年)2月16日 - 保戸野表鉄砲町に秋田表鉄砲町郵便局が開設[10]。
- 1937年(昭和12年)12月11日 - 秋田表鉄砲町郵便局にて電信および電話通話事務を開始[11]。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、保戸野表鉄砲町・保戸野北鉄砲町・保戸野南鉄砲町が廃止され、保戸野鉄砲町など数町が設置される。
- 1984年(昭和59年)7月16日 - 秋田郵便局(後の秋田中央郵便局)が大町四丁目から新築移転してくる[12]。
町名の変遷
[編集]特記のないものはすべて住居表示実施に伴う変更。
実施前 | 実施年月日 | 実施後(各町ともその一部) | 備考 |
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保戸野表鉄砲町 | 昭和40年4月1日 | 旭北栄町 きょくほくさかえまち |
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昭和41年4月1日 | 高陽幸町 こうようさいわいちょう |
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山王二丁目 さんのうにちょうめ |
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保戸野鉄砲町 ほどのてっぽうまち |
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保戸野北鉄砲町 | 昭和41年4月1日 | 高陽幸町 こうようさいわいちょう |
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保戸野鉄砲町 ほどのてっぽうまち |
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保戸野南鉄砲町 | 昭和40年4月1日 | 旭北栄町 きょくほくさかえまち |
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昭和41年4月1日 | 山王二丁目 さんのうにちょうめ |
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保戸野鉄砲町(一部) | 平成11年10月1日 | 保戸野すわ町 ほどのすわちょう |
住居表示変更 |
保戸野鉄砲町 ほどのてっぽうまち |
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町・字ともその一部) | 備考 |
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保戸野鉄砲町 | 昭和41年4月1日 | 新大工町 しんだいくまち |
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保戸野字阿弥陀田 ほどの あざあみだでん |
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保戸野字寺ノ腰 ほどの あざてらのこし |
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保戸野表鉄砲町 ほどのおもててっぽうまち |
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保戸野北鉄砲町 ほどのきたてっぽうまち |
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平成11年10月1日 | 保戸野すわ町 ほどのすわちょう |
住居表示変更 | |
保戸野鉄砲町 ほどのてっぽうまち |
世帯数と人口
[編集]2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
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保戸野鉄砲町 | 364世帯 | 661人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内に鉄道路線はない。最寄り駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
1965年(昭和40年)までは秋田市電が、後に保戸野鉄砲町となる土地に敷設されており、表鉄砲町信号所が設置されていた。信号所から分岐していた新大工町線(1959年〔昭和34年〕廃止)の新大工町駅は、名の通り新大工町にあったが、現在の保戸野鉄砲町、声体寺の向かい付近にあたる。
バス
[編集]- 秋田中央交通
- (新国道経由の多数路線) - 秋田中央郵便局前 -
- (通町・寺内経由将軍野線) - 旭北栄町 - 鉄砲町 -
- (千秋トンネルノースアジア大学線) - 中央郵便局前 -
- (泉ハイタウン線) - 聖園短期大学前 -
道路
[編集]- 秋田県道56号秋田天王線(国道7号旧道、新国道)
- 鉄砲町通り(旧国道)
- 保戸野みその通り
- 保戸野学園通り
施設
[編集]- 秋田中央郵便局
- 日本年金機構秋田年金事務所
- ほどの保育園
- 秋田銀行あきぎん体育館
- 羽後日産モーター本社・秋田店サービスセンター
- 立木医院
- 保戸野鉄砲町街区公園
- 声体寺
- 来迎寺
- 蓮住寺
- 妙信寺
- 勝平神社
-
秋田中央郵便局
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秋田年金事務所
-
羽後日産モーター本社
著名出身者
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」角川日本地名大辞典編纂委員会、1980年
- 「図説 久保田城下町の歴史」渡部景一、無明舎出版、1983年、ISBN 978-4-89544-499-6
- 秋田市 地名小辞典
脚注
[編集]- ^ a b “秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 「図説 久保田城下町の歴史」p.31。
- ^ a b c d e f g 「図説 久保田城下町の歴史」p.110。
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.595。
- ^ a b c 「図説 久保田城下町の歴史」p.111。
- ^ 「秋田市史」p.89。
- ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.597。
- ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.729。
- ^ 明治41年逓信省告示第126号(明治41年2月13日付官報第7386号掲載)
- ^ 昭和12年逓信省告示第3967号(昭和12年12月9日付官報第3282号掲載)
- ^ 「新築の秋田郵便局オープン 広さ3倍窓口ゆったり」『秋田魁新報』1984年7月16日付夕刊