飯田房太郎
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飯田 房太郎(いいだ ふさたろう、1906年(明治39年)8月7日[1][2] - 1975年(昭和50年)5月8日[1][2])は、昭和時代の土木工学者、実業家。
経歴・人物
[編集]神奈川県に生まれる[1]。1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、間組に入社[1][2]。各出張所次長、土木部次長[1]、取締役、常務および専務をへて1967年(昭和42年)副社長、1969年(昭和44年)社長に就任した[2]。この間、大井川千頭堰堤や久野脇発電所の建設、羽田飛行場の拡張工事などに携わり、1952年(昭和27年)大井川水系の開発が始まると井川ダム、奥泉ダム、畑薙ダム(第一、第二)などを次々と完成させた[1]。
ほか、日本土木工業協会・日本建設業連合会・日本経済団体連合会・海外建設協会などの理事、日本建設機械化協会・土木学会各会長などを歴任した[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。