1966年の東京オリオンズ
表示
1966年の東京オリオンズ | |
---|---|
成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
61勝69敗4分 勝率.469[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都荒川区 |
球場 | 東京スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 永田雅一 |
経営母体 | 大映・毎日新聞社 |
監督 | 田丸仁 |
« 1965 1967 » |
1966年の東京オリオンズでは、1966年シーズンの東京オリオンズの動向についてまとめる。
この年の東京オリオンズは、田丸仁が1年だけ、監督を務めたシーズンである。
概要
[編集]前年オフ、南海ホークス監督を勇退した鶴岡一人を次期監督に迎えようとするも、新監督・蔭山和夫の急死→鶴岡復帰で破談(詳しくは南海蔭山新監督急死騒動参照)、田丸二軍監督が新監督となり、これを機会にユニフォームも毎日時代からの縦縞はそのままに、紺主体から赤を加えて一新した。
この他シーズン中には、読売ジャイアンツがマスコット「ミスタージャイアンツ」を採用したのに刺激され、オリオンズでもマスコット「桃太郎」を採用、6月21日から使用した。
しかしユニフォームの変更もカンフル剤にはならず結局は4位、田丸監督は1年で二軍コーチへ降格、変わって戸倉勝城が新監督となった。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 中 | 西田孝之 |
---|---|---|
2 | 二 | 八田正 |
3 | 一 | 榎本喜八 |
4 | 右 | 森徹 |
5 | 左 | パリス |
6 | 捕 | 醍醐猛夫 |
7 | 遊 | 篠原良昭 |
8 | 三 | 前田益穂 |
9 | 投 | 妻島芳郎 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 西鉄 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 東映 | 1.0 | 東映 | 4.5 | 西鉄 | 1.0 | 西鉄 | 1.5 | 西鉄 | 3.5 | 西鉄 | 4.0 |
3位 | 南海 | 1.0 | 西鉄 | 5.0 | 東映 | 2.0 | 東映 | 3.5 | 東映 | 5.5 | 東映 | 9.0 |
4位 | 阪急 | 3.5 | 東京 | 8.0 | 東京 | 8.5 | 東京 | 10.5 | 東京 | 12.0 | 東京 | 18.0 |
5位 | 東京 | 4.5 | 近鉄 | 10.5 | 阪急 | 10.5 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 22.0 |
6位 | 近鉄 | 5.0 | 阪急 | 11.0 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 21.5 | 近鉄 | 31.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 79 | 51 | 3 | .608 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 75 | 55 | 8 | .577 | 4.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 70 | 60 | 6 | .538 | 9.0 |
4位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 4 | .469 | 18.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 57 | 73 | 4 | .438 | 22.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 48 | 82 | 3 | .369 | 31.0 |
オールスターゲーム1966
[編集]→詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 小山正明 | 榎本喜八 | 前田益穂 | 井石礼司 |
---|---|---|---|---|
監督推薦 | 選出なし | |||
補充選手 | 成田文男 |
できごと
[編集]- 6月7日 - 東映フライヤーズ戦(後楽園球場)の7回表、突然照明灯が故障で停電、その後雷雨でグランドは水浸しになり、サスペンデッドゲームが宣告、翌8日に停電前の場面から試合を再開した。
- 6月21日 - 近鉄バファローズ戦から新マスコット「桃太郎」がプリントされたユニフォームを着用。
- 7月6日 - 井石礼司がプロ野球2万号ホームランを放った[2]。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
---|---|---|---|
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
榎本喜八 | 首位打者 | .351 | 6年ぶり2度目 |
最多安打 | 167本 | 4年ぶり4度目 | |
最高出塁率 | .439 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
榎本喜八 | 一塁手 | 2年ぶり8度目 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
第1次ドラフト | ||||
1位 | 園田喜則 | 内野手 | 北陽高 | 入団 |
2位 | 川畑和人 | 投手 | 鹿児島実業高 | 入団 |
3位 | 水谷清仁 | 内野手 | 三重高 | 拒否・中京大学進学 |
4位 | 井深均 | 投手 | 三島南高 | 拒否・中央大学進学 |
5位 | 五島長登志 | 内野手 | 東洋大学第三高 | 入団 |
6位 | 得津高宏 | 外野手 | クラレ岡山 | 入団 |
7位 | 小西克善 | 外野手 | 徳島商業高 | 拒否・明治大学進学 |
第2次ドラフト | ||||
1位 | 八木沢荘六 | 投手 | 早稲田大学 | 入団 |
2位 | 岩崎忠義 | 内野手 | 津久見高 | 入団 |
3位 | 山内健治 | 捕手 | 関東学院大学 | 拒否・川崎トキコ入社 |
4位 | 仲子隆司 | 投手 | 日本楽器 | 拒否 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1966年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月9日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 広島カープ | 3位 | 東映フライヤーズ | 4位 | 東京オリオンズ |
5位 | 大洋ホエールズ | 5位 | サンケイアトムズ | 5位 | 阪急ブレーブス | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||