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1964年の東京オリオンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1964年の東京オリオンズ
成績
パシフィック・リーグ4位
77勝68敗5分 勝率.531[1]
本拠地
都市 東京都荒川区
球場 東京スタジアム
球団組織
オーナー 永田雅一
経営母体 大映毎日新聞社
監督 本堂保次
« 1963
1965 »

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1964年の東京オリオンズでは、1964年シーズンの東京オリオンズの動向についてまとめる。

この年の東京オリオンズは、本堂保次監督の2年目のシーズンである。1960年に毎日新聞社が実質的に経営から撤退した以後も、毎日大映オリオンズという名称であったが、この年からチーム名が東京オリオンズに変更された。

概要

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東京スタジアム開場後の1962年1963年と、山内一弘を中心にするミサイル打線が打ちまくりながら、頼れる投手がエース・小野正一だけの状態で一向に上昇しないオリオンズは、前年オフにチームを大改造、山内を阪神タイガース小山正明と交換トレード(通称「世紀のトレード」)、葛城隆雄中日ドラゴンズ前田益穂と交換トレードし、田宮謙次郎は現役引退、ミサイル打線は空中分解し、「打線のチーム」から「守りのチーム」へと大変貌した。

だがシーズンが始まると、小山投手は期待通りの大活躍を見せるも、すっかり小粒化した打線は打てない状態が続き、結果は4位と1位上がっただけ。そして小山は30勝を上げて初の「最多勝」を獲得するも、最優秀防御率妻島芳郎は防御率とは裏腹に「6勝」しか上げられなかった。これ以後オリオンズは、1967年まで「打てないチーム」が続く事になる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 石黒和弘
2 八田正
3 パリス
4 榎本喜八
5 前田益穂
6 ソロムコ
7 谷本稔
8 西山和良
9 堀本律雄
1964年パシフィック・リーグ順位変動
順位 3月終了時 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 西鉄 -- 阪急 -- 西鉄 -- 阪急 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 南海 1.5 西鉄 1.0 阪急 0.0 南海 2.0 阪急 0.5 阪急 6.0 阪急 3.5
3位 阪急 2.5 南海 2.5 南海 2.0 東京 3.5 東京 8.5 東京 9.5 東映 5.5
4位 東京 東京 東京 3.0 西鉄 7.5 西鉄 10.5 東映 11.5 東京 6.0
5位 東映 4.0 東映 3.0 東映 6.0 東映 10.0 東映 11.5 西鉄 17.5 西鉄 19.5
6位 近鉄 4.5 近鉄 9.0 近鉄 10.0 近鉄 19.0 近鉄 23.0 近鉄 30.5 近鉄 28.5


1964年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 84 63 3 .571 優勝
2位 阪急ブレーブス 79 65 6 .549 3.5
3位 東映フライヤーズ 78 68 4 .534 5.5
4位 東京オリオンズ 77 68 5 .531 6.0
5位 西鉄ライオンズ 63 81 6 .438 19.5
6位 近鉄バファローズ 55 91 4 .377 28.5

オールスターゲーム1964

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ファン投票 小山正明
監督推薦 坂井勝二 石黒和弘
  • 取り消し線は出場辞退

できごと

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選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
妻島芳郎 最優秀防御率 2.15 初受賞
小山正明 最多勝利 30勝 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
榎本喜八 一塁手 6年連続7度目

出典

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