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1964年の中日ドラゴンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1964年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ6位
57勝83敗 勝率.407[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 与良ヱ
経営母体 中日新聞社
監督 杉浦清(6月8日まで)
西沢道夫(6月9日から)
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1965 »

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1964年の中日ドラゴンズでは、1964年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、2回目の杉浦清監督体制の2年目のシーズンである。

概要

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杉浦監督1年目を2位で終えたチームは1954年以来10年ぶりのリーグ優勝が期待されたが、開幕の大洋3連戦で河村保彦ら投手陣が大洋のメガトン打線に滅多打ちされ、3試合で30失点を喫する最悪のスタート。4月終了時点でチームは最下位に沈むとその後も浮上できず、杉浦監督は6月8日に休養。後を受けた西沢道夫ヘッドコーチが監督代行で指揮を執ったが、板東英二や河村、柿本実などが投げるたびに打たれ、また権藤博も酷使の後遺症で勝ち星が低下するなど投手陣が崩壊。それでも柿本がチームトップの15勝をあげたが、それに続いたのは河村・山中巽中山義朗の7勝で、板東・権藤も6勝に終わりチーム防御率も前年の2.84から3.63へ低下。打撃陣では木俣達彦が入団し、それまでの正捕手だった江藤慎一は内野手に復帰。この年首位打者の江藤や中利夫の活躍でチーム打率はリーグ2位だったが123失策はリーグワーストだった。チームは2位の大洋に13勝15敗と健闘したが、優勝した阪神には8勝20敗と、大きく負け越した。この年は優勝の阪神に25ゲーム、4位の広島に8.5ゲームも離されて1948年以来16年ぶり、そしてセ・リーグになって初の最下位で終了。ドラゴンズブルーのユニフォームは西沢新監督の意向により1962年以前の紺色主体のデザインに戻され、1968年まで続く。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 高木守道
2 中利夫
3 マーシャル
4 江藤慎一
5 葛城隆雄
6 伊藤竜彦
7 今津光男
8 小川敏明
9 河村保彦
1964年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 阪神 -- 大洋 -- 大洋 -- 阪神 -- 阪神 --
2位 阪神 2.5 大洋 0.5 阪神 3.5 阪神 5.0 大洋 2.0 大洋 1.0
3位 巨人 3.0 巨人 5.5 巨人 8.5 巨人 8.5 巨人 9.0 巨人 11.0
4位 国鉄 6.0 広島 6.5 広島 11.0 国鉄 12.5 国鉄 15.0 広島 16.5
5位 広島 7.0 国鉄 7.0 国鉄 13.0 広島 13.0 広島 15.5 国鉄 18.5
6位 中日 8.5 中日 10.5 中日 18.0 中日 21.0 中日 24.5 中日 25.0


1964年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪神タイガース 80 56 4 .588 優勝
2位 大洋ホエールズ 80 58 2 .580 1.0
3位 読売ジャイアンツ 71 69 0 .507 11.0
4位 広島カープ 64 73 3 .467 16.5
5位 国鉄スワローズ 61 74 5 .452 18.5
6位 中日ドラゴンズ 57 83 0 .407 25.0

[1]

オールスターゲーム1964

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ファン投票 江藤慎一
監督推薦 マーシャル

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
江藤慎一 首位打者 .323 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
高木守道 二塁手 2年連続2度目
江藤慎一 外野手 2年連続3度目

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1964年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月2日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 108 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7