1990年のロッテオリオンズ
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1990年のロッテオリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 | |
57勝71敗2分 勝率.445[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県川崎市 |
球場 | 川崎球場 |
球団組織 | |
オーナー | 重光武雄 |
経営母体 | ロッテ |
監督 | 金田正一 |
« 1989 1991 » |
1990年のロッテオリオンズでは、1990年シーズンについてのロッテオリオンズの動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、1978年シーズン以来、2回目の金田正一監督体制の1年目(通算7年目)のシーズンである。
概要
[編集]久々の金田監督体制となり、2年前の首位打者・高沢秀昭や中心選手であった水上善雄との交換で高橋慶彦、白武佳久らが加入した。大ベテランの村田兆治が4月に3勝したものの、前年に先発で躍進した牛島和彦は右肩痛で離脱するなど投手力に苦しむ。5月には村田も調子を落としてリリーフへ回る。6月23日の西武戦では園川一美へのボーク判定に抗議した金田監督が審判の高木敏昭への暴行で退場となり、さらには審判員への技術批判に及んだことで出場停止1ヵ月の処分。その間は、徳武定之ヘッドコーチが代行を務めた。新人の小宮山悟や高卒3年目の伊良部秀輝、同3年目の前田幸長らの若手投手を積極起用した。またチーム活性化のため主砲・ディアズを捕手として起用し、話題となった。この年限りで村田と袴田英利が引退。西村徳文は首位打者を獲得。順位は5年連続Bクラスの5位に終わった。移籍組では白武がリリーフ中心に自身最高の10勝を挙げたが、高橋慶は不調が続いてこの年限りで阪神へトレードとなった。10月に入ると、本拠地の「千葉移転」の報道がされるようになる。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/8 | 5/1 | 6/3 | 7/3 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 遊 | 高橋慶彦 | 中 | 西村徳文 | 遊 | 高橋慶彦 | 指 | 高橋慶彦 | 中 | 西村徳文 | 指 | 高橋慶彦 |
2 | 二 | 佐藤健一 | 遊 | 佐藤健一 | 中 | 西村徳文 | 中 | 西村徳文 | 遊 | 佐藤健一 | 遊 | 佐藤健一 |
3 | 一 | 愛甲猛 | 指 | 岡部明一 | 右 | 愛甲猛 | 右 | 愛甲猛 | 二 | 上川誠二[注 1] | 右 | 愛甲猛 |
4 | 指 | ディアズ | 左 | ディアズ | 指 | ディアズ | 左 | ディアズ | 捕 | ディアズ | 一 | ディアズ |
5 | 右 | ヘンゲル | 一 | 愛甲猛 | 一 | 山下徳人 | 一 | 斉藤巧 | 三 | 初芝清 | 三 | 初芝清 |
6 | 左 | 古川慎一 | 二 | 上川誠二 | 左 | 横田真之 | 遊 | 佐藤健一 | 右 | 愛甲猛 | 中 | 山下徳人 |
7 | 三 | 初芝清 | 三 | 初芝清 | 三 | 初芝清 | 三 | 初芝清 | 左 | 高橋忠一[注 2] | 左 | 平井光親 |
8 | 捕 | 福澤洋一 | 捕 | 福澤洋一 | 捕 | 青柳進 | 捕 | 福澤洋一 | 一 | 山下徳人 | 捕 | 福澤洋一 |
9 | 中 | 西村徳文 | 右 | 横田真之 | 二 | 上川誠二 | 二 | 南渕時高 | 指 | 高橋慶彦 | 二 | 上川誠二 |
投 | 村田兆治 | 投 | 園川一美 | 投 | 園川一美 | 投 | 村田兆治 | 投 | 笠原栄一 | 投 | 小宮山悟 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | ロッテ | 2.5 | オリックス | 5.0 | オリックス | 4.5 | オリックス | 9.0 | オリックス | 16.5 | オリックス | 11.5 | オリックス | 12.0 |
3位 | 日本ハム | 2.5 | 日本ハム | 9.0 | 日本ハム | 7.0 | 近鉄 | 11.0 | 日本ハム | 16.5 | 日本ハム | 13.5 | 近鉄 | 14.5 |
4位 | オリックス | 4.5 | ロッテ | 11.0 | 近鉄 | 12.0 | 日本ハム | 13.5 | 近鉄 | 18.5 | 近鉄 | 15.5 | 日本ハム | 16.5 |
5位 | 近鉄 | 6.0 | 近鉄 | 13.0 | ロッテ | 14.0 | ロッテ | 22.5 | ロッテ | 27.0 | ロッテ | 23.5 | ロッテ | 25.0 |
6位 | ダイエー | 8.5 | ダイエー | 19.0 | ダイエー | 22.5 | ダイエー | 31.0 | ダイエー | 35.5 | ダイエー | 35.0 | ダイエー | 40.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 81 | 45 | 4 | .643 | 優勝 |
2位 | オリックス・ブレーブス | 69 | 57 | 4 | .548 | 12.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 67 | 60 | 3 | .528 | 14.5 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 63 | 1 | .512 | 16.5 |
5位 | ロッテオリオンズ | 57 | 71 | 2 | .445 | 25.0 |
6位 | 福岡ダイエーホークス | 41 | 85 | 4 | .325 | 40.0 |
オールスターゲーム1990
[編集]→詳細は「1990年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 監督推薦 |
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選出なし | 西村徳文 白武佳久(補充選手) |
できごと
[編集]- 6月23日 - 監督の金田正一が対西武ライオンズ戦でボークの判定を巡り猛抗議を行う。退場処分を受け、30日間の出場停止処分を受ける。また金田から暴行を受けた球審の高木敏昭はシーズン途中で辞職。
- 10月13日 - 村田兆治が現役引退。同日の引退試合で若林忠志(1949年)以来2人目となる40歳代での2桁勝利を記録。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
西村徳文 | 首位打者 | .338 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
西村徳文 | 外野手 | 初受賞[注 3] |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
西村徳文 | 外野手 | 初受賞[注 3] |
ドラフト
[編集]→詳細は「1990年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 小池秀郎 | 投手 | 亜細亜大学 | 拒否・松下電器入社 |
2位 | 定詰雅彦 | 捕手 | 新日本製鐵広畑 | 入団 |
3位 | 五十嵐章人 | 外野手 | 日本石油 | 入団 |
4位 | 吉井英昭 | 投手 | 苫小牧工業高 | 入団 |
5位 | 池田宇隆 | 捕手 | 柳川高 | 入団 |
6位 | 榎康弘 | 投手 | 東海大学甲府高 | 入団 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “年度別成績 1990年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月16日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1991』ベースボール・マガジン社、1990年。ISBN 4-583-02882-2。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年4月16日閲覧。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 広島東洋カープ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | オリックス・ブレーブス |
3位 | 横浜大洋ホエールズ | 4位 | 中日ドラゴンズ | 3位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 日本ハムファイターズ |
5位 | ヤクルトスワローズ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 福岡ダイエーホークス |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||