国鉄EF65形電気機関車
国鉄EF65形電気機関車 | |
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基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 日本貨物鉄道 |
製造所 |
川崎車輛→川崎重工業 川崎電機製造 東京芝浦電気 汽車製造 東洋電機製造 日本車輌製造 富士電機 |
製造年 | 1965年 - 1979年 |
製造数 | 308両 |
主要諸元 | |
軸配置 | Bo - Bo - Bo |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500 V (架空電車線方式) |
全長 | 16,500 mm |
全幅 | 2,800 mm |
全高 | 3,819 mm |
運転整備重量 | 96.0 t |
台車 |
DT115B形(両端) DT116C形(中間) |
動力伝達方式 | 1段歯車減速吊り掛け式 |
主電動機 | MT52形直流直巻電動機×6基 |
歯車比 | 18:69 (3.83) |
制御方式 |
抵抗制御・3段組合せ・弱め界磁 (自動進段電動カム軸制御・バーニア制御付) |
制動装置 | EL14AS形自動空気ブレーキ |
保安装置 | ATS-S(新製時) |
最高運転速度 |
100 km/h(0,2000番台) 110 km/h(500,1000番台) |
設計最高速度 | 115 km/h |
定格速度 |
45.0 km/h(全界磁) 72.0 km/h(弱界磁) |
定格出力 | 2,550 kW |
定格引張力 | 20,350 kgf (約 199.43 kN) |
備考 | 基本番台のデータ |
EF65形電気機関車(EF65がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1965年 (昭和40年)に開発した、平坦路線向け直流用電気機関車である。
概要
[編集]EF60形に続く平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、1979年までに国鉄電気機関車史上最多である308両が川崎車輛→川崎重工業兵庫工場[注 1]、川崎電機製造[注 2]、東京芝浦電気府中工場[注 3]、汽車製造会社大阪製作所[注 4]、東洋電機製造[注 5]、日本車輌製造本店(名古屋製作所)[注 6]、富士電機[注 7]の各社によって製造された[注 8]。
高速道路ネットワークが構成されていなかった開発当時、日本の著しい経済成長の中、国鉄に求められる輸送力の増強はかなり逼迫していた。これを補うため、電化工事の促進・主要区間の複線化・列車運転速度の向上・1列車当たりの輸送量の増強・物流システムの効率化を早急に進める必要があった。
電化工事が山陽本線まで及び、コンテナによる輸送方法が確立されると、重い列車を安定した高い速度で長距離運転できる機関車が必要となった。当時の主要幹線用最新型電気機関車であったEF60形(2次車以降)は、牽引力はあったが、定格速度は旧型機関車と大差のない 39.0 km/h と比較的低い設定であり、旅客列車と貨物列車の高速化に応じるには難があった。
このような経緯から、EF60形3次車[注 9]を基本として、その歯数比を16:71 (1:4.44) から18:69 (1:3.83) へ変更、さらに新設計のバーニア付き電動カム軸式制御器[注 10]を搭載することで、高速走行性能と牽引力の両立を図ったのが本形式である。
通常、新型電気機関車の開発・導入時は試作車を作り各種性能試験を長期間にわたって実施し、そこで得られたデータを基に不具合点を解消した上で量産車を改めて設計するか、あるいは1・2号機を先行落成させ試作車と同様に長期テストを行って新規設計部分の信頼性を確認するのが一般的であるが、本形式については制御器以外の主要部分の設計がEF60形3次車とほぼ共通であったこともあり、1号機からそのまま量産が開始された[注 11]。
このEF65形については、基本的に貨物列車用として計画されたが、その高速走行性能から一般形の他、定格速度の低さが問題となっていた上に、AREBブレーキにも対応していないEF60形500番台を置き換えるべく20系客車を牽引するために必要な装置・機器を搭載してブルートレイン牽引用とした500番台(P形)、P形を基に重量貨物列車を高速で牽引するための重連総括制御用機器・装置を搭載した500番台(F形)、F形を基に貫通扉を付け耐雪耐寒装備を強化するなどの改良を加えた1000番台(PF形)と、3つの派生モデルが設計・製作され、寝台列車牽引にも長年に渡り多用された。
2006年3月の「出雲」廃止をもって寝台特急での運用は消滅し、さらに2008年3月の急行「銀河」廃止で定期旅客列車を牽引する運用はすべて終了した。2015年1月時点では主に貨物列車の牽引に充当されているが、老朽化の進行で後継のEF210形への置き換えによる淘汰が進んでいる。
構造
[編集]車体
[編集]普通鋼による箱型車体を採用し、運転整備重量は96 tであるが、車体の中梁内に5 t、車体内に3.4 tの調整荷重を搭載する[1]。屋根は採光窓を備えた4分割式で取り外し可能とし、検査時には内部機器を取り外しやすくするとともにモニタを兼ねた構造とした[2]。
EF60形の設計を踏襲し、軸配置Bo - Bo - Boで先・従輪のない2軸ボギー台車3台にそれぞれ主電動機を2台ずつ装架する、抵抗制御方式の直流電気機関車である。
走行機器
[編集]本形式はEF52形以降の国鉄制式の直流電気機関車で長らく使用されてきた、単位スイッチによる手動進段式抵抗制御器に代え、自動進段式のCS25抵抗バーニア制御器(電動カム軸式超多段制御器)[注 12]を導入し操作性の向上を図るとともに歯車比を変更して高速仕様にシフトし、CS26界磁制御器を併用して従来よりも広い範囲で弱め界磁制御を行うことで運転速度の引き上げを図った[注 13]。
なお制御器については、当初採用されたCS25の自動進段機構において、主回路切り替えに用いるカムスイッチのカム軸を駆動するパイロットモーターを、コストダウンのために主回路とバーニアで共用したことが原因でトラブルが多発した[注 14]。そこで量産中に基本構成を変えずに逐次改良が重ねられ、CS25Aとなったがそれでも問題は解決しなかった[注 15]。そのため昭和40年度予算での発注の途中[注 16]でこれらCS25系制御器の継続採用が断念され、主回路とバーニアのカム軸駆動系を分離した新設計のCS29[注 17]に変更された。また、故障が頻発し続けていたCS25・CS25Aについても、高速貨物列車の重連運用等で特に深刻な不具合が多発した500番台(F形)[注 18]から優先的に主制御器の大改造を実施し、パイロットモーターを追加してバーニア用カム軸の駆動系を独立させたCS25B・CS25Cとする、つまり実質的にCS29相当へ改造する工事が順次施工された。
この自動進段機構の採用により、本形式の運転台に搭載された主幹制御器は簡素化され、その刻みノッチはEF60形の28ノッチから15ノッチ(捨てノッチ4、Sノッチ[注 19]、SPノッチ[注 20]、SP弱界磁段4ノッチ、Pノッチ、P弱界磁段4ノッチ)と大幅に減少した。これに伴い、運転席の主幹制御器を従来タイプから電車類似のものへ変更することも検討されたが、従来の機関車との共通運用や取り扱いの互換性も考慮して従来タイプの主幹制御器が踏襲された[注 21]。
主電動機は設計当時の国鉄電気機関車で標準的に採用されていた直流直巻整流子電動機のMT52(端子電圧750 V時1時間定格定格出力425 kW)を6基吊り掛け式で搭載する。総定格出力は2,550 kWである。
台車形式は両端台車がDT115B、中間台車がDT116Cで、歯数比変更に伴うサフィックス変更はあったものの基本的にはEF60形2次車以降と共通設計の揺れ枕リンク式である[2]。これらの台車は揺れ枕の心皿を低い位置とし、牽引力の作用点を低く抑えることで列車牽き出し時の軸重移動と、それに伴う空転の発生を最小限に抑止する構造である。軸箱支持は側枠から垂直に下ろされたピンと軸箱の円筒ゴムが摺動することで前後左右方向を弾性支持し、上下荷重は軸受直上に位置する2組のコイルばねが負担する。
空転時の対策としては、各車軸に取り付けられた車軸発電機の発生電圧により回転数を随時計測、回転異常時(空転時)には進段を中止し自動ノッチ戻しを行う機構が採用されている。
制御用電源の電動発電機(MG)はEF64形0番台と同じくMH81B-DM44Bを搭載する[3]。二相交流式で交流60 Hz、5 kVAの容量を備え、交流24 V、交流50 V、交流100 Vのほか、整流器を介して直流100 Vを供給する[4]。このMGは101系電車用のMH81-DM44から送風機を外すなどの設計変更を行ったものである[3]。
空気ブレーキなどで使用される圧縮空気を供給する電動空気圧縮機は、MH92B-C3000 を1基搭載する[5]。
電動機などの冷却に使用する電動送風機はMH91A-FK34Aを2基搭載する。内訳は、第1 - 4電動機用が1基、第5・第6電動機、ブレーキ抵抗器用が1基である。
これらにより運転操作、高速運転時の安定性能は飛躍的に向上し、現場でも優秀な機関車として受け入れられたが、試作による性能評価を行っていないため、前述のとおり主制御器のCS29への切り替えまでは当時最新技術であった自動進段機構にトラブルが相次いだといわれている。
本形式は用途により多数の仕様区分があり、個別の仕様については次節に記述する。
形態区分
[編集]0番台(一般型)
[編集]貨物列車牽引用として、1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)に135両 (1 - 135) が製造された。
非貫通式の運転台にシールドビーム2灯を備える。国鉄時代の塗色は、車体が青15号(濃青色)前面下部がクリーム1号の国鉄形直流電気機関車の標準塗色である。
1次車
[編集]昭和39年度第1次債務で1 - 47号機が製造された[6]。中央線電化・増発、山陽本線貨物列車電化・増発、東海道本線などの増発用である[6]。そのため、1 - 16号機は吹田第二機関区、17 - 35・46・47号機は稲沢第二機関区、36 - 45号機は新鶴見機関区に配置された[6]。
EF60形3次車との外観上の相違点は、屋上モニタ屋根の形状の変更やカバー付避雷器 LA15 の採用等に留まり、大きく変更されていない[7]。試作機で十分な性能確認を行わないまま量産を開始したため、前述のように新製直後からCS25抵抗バーニア制御器の故障が相次いだ[6]。
2次車
[編集]昭和39年度第3次債務で48 - 57号機が製造された[6]。中央線電化・増発用である[6]。48 - 50号機は吹田第二機関区、51・52号機は稲沢第二機関区、53 - 57号機は新鶴見機関区に配置された[6]。
加えて、昭和40年度第1次民有で58 - 72号機が製造された[6]。中央線電化および山陽本線貨物列車電化・増発用である[6]。58・59号機は新鶴見機関区、60 - 64号機は東京機関区、65 - 70号機は稲沢第二機関区、71・72号機は吹田第二機関区に配置された[6]。
抵抗バーニア制御器をCS25からCS25Aに変更しているほか、スカート上部にあった通風孔が尾灯上部に移動している[6][注 22]。
3次車
[編集]昭和40年度第2次債務で73 - 76号機が製造された[8]。宇野線完全無煙化用、東北本線等の増強用である[8]。全機が吹田第二機関区に配置された[8]。
加えて、昭和41年度第1次債務で77 - 84号機が製造された[8]。信越本線長岡地区無煙化および長野原線電化開業用である[8]。全機が稲沢第二機関区に配置された[8]。
運転取扱規定の変更により尾灯まわりの形状が見直され[7][注 23]、抵抗バーニア制御器をCS29に変更している[9]。また、入換時に背の高い誘導係に対応するため、手掛けが上方に20 cmほど延長され、機関士側のスカート部分に足掛け用の切り欠きが設けられた[9]。
4次車
[編集]昭和43年度第4次債務で85 - 104号機が製造された[10]。信越本線直江津 - 宮内間電化開業用(18両)、赤穂線電化開業用である[10]。85 - 102号機は岡山機関区に、103・104号機は稲沢第二機関区に配置された[10]。
3次車以前と比べて、以下の大きな変化が見られる[10][11]。
- 主電動機を電機子絶縁の強化を図ったMT52Aに変更
- 界磁制御器をCS26からCS26Bに変更
- 抵抗バーニア制御器をCS29からCS29Aに変更
- 避雷器をLA15AからLA15Bに変更
- 貨物列車の高速化に伴い、非常ブレーキを使用した際に作動する単機増圧ブレーキの追加
- ATS電源未投入防止、警報継続装置の新設
- 主電動機風道のスライド式化
- 車体前面の補強
- 1967年9月30日に発生した、踏切で立ち往生した8 tトラックと寝台特急「あさかぜ」(EF65 502牽引)の衝突事故により機関士が死亡した事故を受けて施工[12]。既存車両にも同様の改造がなされた
- 乗務員室内の整備
5次車
[編集]昭和43年度第5次債務で105 - 120号機が製造された[10]。東海道・山陽本線貨物・荷物列車増発用、山陽本線瀬野 - 八本松間補機増強や東北・信越方面の貨物列車増発用である[10]。全車が稲沢第二機関区に配置された[10]。
4次車との大きな違いは見られない。
6次車
[編集]昭和44年度第3次債務で121 - 132号機が、同年第5次債務で133 - 135号機が製造された[10]。121 - 130号機は広島機関区に、131 - 135号機は岡山機関区に配置された[13]。
運転台前面ガラスに熱線入りガラスを採用し、全面デフロスタに変更され、ワイパーも強力形のWP50とされた[14]。前面スカートの形状が変更され、底部が舟底型から直線形状になり、足掛け用切り欠きが機関助士側にも設けられ両側設置となった。また、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置がなされた[14]。
500番台(P形)
[編集]高速旅客列車牽引用として、1965年から1966年に17両 (501 - 512・527 - 531) が製造され、1968年に基本番台(77 - 84) から (535 - 542) が改造竣工された。「P形」は、「旅客」を表す "passenger" の頭文字に由来する。
従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、同形式は定格速度が低く高速運転主体の寝台特急運用に不適当であったことと、寝台特急列車の110 km/hへの速度向上計画が浮上し、AREBブレーキを搭載していないEF60形500番台ではそれに対応できないため、定格速度の高い本形式基本番台の設計を基に、EF60形500番台と同様の20系客車牽引用装備[注 24]を搭載した[注 25]本番台が設計された。
塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、EF60形500番台と同様に特急色と呼ばれる20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。
1次車
[編集]昭和39年度第3次債務で501・502号機が製造された[6]。中央線電化・増発用を名目としている[6]。なお、501号機は500番台では唯一、1966年から1967年にかけて0番台と同じ一般塗装だった時期があり、その塗装で寝台特急を牽引していた[15][16]。
加えて、昭和39年度第5次債務で503 - 512号機が製造された。東海道本線増発用を名目としている[6]。ただし、実際には寝台特急牽引用として投入されたため、全機が東京機関区に配置された[6]。
同時期製造の0番台2次車と同様、抵抗バーニア制御器はCS25Aである。
2次車
[編集]昭和40年度第2次民有で527 - 531号機が製造された[8]。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としているが、1次車と同じく全機が東京機関区に配置された[8]。
抵抗バーニア制御器がCS25AからCS29に変更されている[8]。
改造編入車両
[編集]1968年に寝台特急増発に伴う不足分を補うため、当時竣工したばかりの0番台3次車のうち、昭和41年度第1次債務で製造された77 - 84号機が改造され、535 - 542号機として500番台P形に編入された。
稲沢第二機関区に所属する8両が浜松工場で1968年6月から9月にかけて改造され、改番後に東京機関区に配置された[17]。
主な改造項目を以下に示す。いずれも改造時点での500番台P形車の標準装備である。
- カニ22形電源車に搭載されているパンタグラフの昇降スイッチの取り付け
- 20系客車との通話用としてKE59ジャンパ連結器の取り付け
- 電磁ブレーキ指令用としてKE72ジャンパ連結器の取り付け
- ブレーキ増圧装置の取り付け
500番台(F形)
[編集]高速貨物列車牽引用として、1965年から1966年に17両 (513 - 526・532 - 534) が製造された。
牽引定数1,000 tの貨物列車を100 km/hで牽引する必要から、P形を基本に、重連総括制御機能[注 26]・空気管付き密着自動連結器[注 27]・連結器の自動復心装置[注 28]・編成増圧装置[注 29]・電磁自動空気ブレーキへの指令機能[注 30]などを追加した区分である。「F形」の呼称は、「貨物列車」を表す "freight" の頭文字に由来する。
外観上、3本の空気管コックと3種の電気連結器が前面下部に設けられてホースやジャンパケーブルが装着され、さらに連結器も上部に自動復心装置を付加した空気管付き密着自動連結器であるため、スマートなP形とは一変して複雑かつ物々しい印象となった。
この様に任務も装備もP形とは大きく異なるF形だが、製造に当たっては特に車番を分ける措置はとられず、P形と同じ「500番台」のくくりで連続して車番が振られた。このためP形、F形とも車番が連続していない。
1次車
[編集]昭和39年度第5次債務で513 - 517号機が製造された[6]。東海道本線などの貨物列車増発用を名目としている[6]。全車が東京機関区に配置され、試運転を兼ねてP形と共に寝台特急牽引に当たった。P形・F形の2次車が登場した際に吹田第二機関区に転属している。
0番台2次車と共通のCS25A抵抗バーニア制御器を搭載するが、界磁制御器はCS26Aに改良されている[11]。
2次車
[編集]昭和40年度第2次民有で518 - 526号機が製造された[8]。山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目とし、吹田第二機関区に配置された[8]。
加えて昭和40年度第2次債務で532 - 534号機が製造された[8]。同じく山陽本線広島 - 幡生間貨物列車完全無煙化用を名目としている[8]。
雨水・塵埃防止の観点から[18]密着自動連結器上部の復心装置にカバーが取り付けられたほか[19]、抵抗バーニア制御器がCS25AからCS29に、532号機以降はブレーキ増圧回路が編成増圧仕様から単機増圧仕様に変更されている[8]。
1000番台(PF形)
[編集]旅客列車・貨物列車に広汎に使用可能な汎用機として、1969年(昭和44年)から1979年(昭和54年)にかけて8回に分け、合計139両 (1001 - 1139) が製造された。
標準で重連総括制御機能を備える。基本設計は重連機能を備えていた500番台(F形)に準じ、同番台の東北・上越線運用で問題となった点を改良したモデルである。このため、寒冷地での重連運用を考慮して前面にはEF64形と同様に貫通扉を設置し、運用上運転台の向きの転向が発生しても重連運転に支障がないよう、凍結防止用ヒーターを付加したKE70HDジャンパ連結器を左右に備える両渡り構造としたことなどの点で他区分と異なる。ただし、重連総括制御機能は備えるものの、F形に装備されていた10000系高速貨車対応の空気管付き密着自動連結器ではなく通常の並形自動連結器が装備され、自動復心装置も省略されている。1エンド側の車体裾ステップを切り欠くようにしてKE70HDジャンパ連結器納めを備える。
P形・F形の機能を併設するとされ、PF形と呼ばれる[注 31]。塗色は500番台と同様の「特急色」であるが前面のステンレス製飾り帯は取り付けられていない。制御器は全車CS29であるが、改良によってサフィックスが異なる。
製造期間が足かけ10年にわたり、また途中で増備が途絶えた期間があったことなどから、1972年(昭和47年)までに製造された前期形 (1001 - 1055) と、1976年(昭和51年)以降に製造された後期形 (1056 - 1139) で、外観上大きな差異がある。
1次車
[編集]昭和43年度第5次債務で1001 - 1017号機が製造された[10]。東海道・山陽本線の貨物増発を名目としているが、実際にはF形の代替として東北本線・上越線に投入され[10]、F形が東海道・山陽本線の貨物増発用として転出することとなった[20]。そのため、全機が新鶴見機関区に配置された[10]。
0番台5次車に合わせ、抵抗バーニア制御器はCS29Aであるが、界磁制御器はCS26Cに改良されている[21]。MGは容量が増大され、従来のMH81B-DM44B(5 kVA)に代わって301系電車と同じ容量10 kVAのMH124-DM77が搭載された[22]。
F形での運用不具合が多かった東北本線での重連高速貨物列車の代替用として投入されたため、上越線運用では事実上必須の「つらら切り」を未装着で竣工している[注 32]。
2次車
[編集]昭和44年度民有車両として1018号機が、昭和44年度第2次債務で1019 - 1022号機が製造された[10]。1018号機は新空港建設資材輸送用、1019 - 1022号機は万博輸送用・呉線電化用である[10]。1018号機は新鶴見機関区に、1019 - 1022号機は広島機関区に配置され、万博輸送後は貨物列車用として使用された[10]。
カニ22形のパンタグラフスイッチが撤去され[注 33]、一人乗務に備えてEB装置・TE装置の設置、記録式速度計 (SRD40) の追加がなされた[10]。また、製造時から運転台前面窓と前照灯のつらら切りを備えている[23]。
3次車
[編集]昭和44年度第3次債務で1023 - 1031号機が、昭和44年度第4次債務で1032 - 1039号機が製造された。呉線電化・高島線電化・特急客車列車増発・東北本線・高崎線貨物列車増発・身延線機関車形式改善用である[10]。1023 - 1025号機が下関運転所、1026 - 1028号機が新鶴見機関区、1029 - 1031号機が宇都宮運転所に配置された[10]。
貫通扉下側のステップの長さが手すりの内側まで短縮された以外に2次車との大きな違いは見られない[24]。
4次車
[編集]昭和46年度本予算で1040 - 1049号機が製造された[10]。飯田線の形式改善と東北本線の増発を名目としているが、実際には東北本線の貨物列車増発が狙いであり、1040 - 1048号機が宇都宮運転所に、1049号機が下関運転所に配置された[25]。なお、1049号機の下関運転所所属は寝台列車増発による暫定処置であり、1972年10月には1049号機も宇都宮運転所に移籍している[25]。
3次車以前と比べて、以下の大きな変化が見られる[25]。
- 運転室内へ扇風機が設置され、尾灯直上の通風孔を廃止
- テールライトカバーが内はめ式から外はめ式に
- 抵抗バーニア制御器をCS29AからCS29Bに変更
- 界磁制御器をCS26CからCS26Dに変更
- 以上2点の変更はメンテナンスフリー化に伴うものである
- 新JIS規格メートルネジの採用
- KE59ジャンパ連結器の廃止
- ただし、スカートには変更が施されなかったため、ジャンパ連結器があった箇所には穴が開いたままであった。
5次車
[編集]昭和46年度第3次債務で1050 - 1055号機が製造された[10]。山陽本線における波動輸送用を目的とし、全機が下関機関区に配置された[25]。
継電器の変更に伴い、抵抗バーニア制御器がCS29BからCS29Cに変更された[25]。また、スカートの変更によってKE59ジャンパ栓跡の穴がふさがれている[10]。
6次車
[編集]約4年ぶりにEF65の増備が再開された。昭和50年度第3次債務で1056 - 1068号機が、昭和51年度第1次債務で1069 - 1091号機が製造された[25]。首都圏の旧形電気機関車置き換えを目的とし、全機が新鶴見機関区に配置された[25]。
5次車製造から時間が空いたことから、多くの変更点がある[5][25][26]。
- 各機器・配線に対して難燃化・不燃化対策の実施
- 避雷器をLA15BからLA15Dに変更
- 集電装置をPS17(菱形)からPS22B(下枠交差式)に変更
- 主抵抗器をMR71(格子形)からMR134(山形)に変更するとともに、電動送風機を稼働させないと起動不可能な回路構成とした
- ナンバープレートをステンレスエッチング加工を施したブロック式のものを採用
- 電動送風機をターボファン式のMH91I-FK102に変更(1069号機以降)
- 記録式速度計をSRD40(機械式)からSRD60(電気式)に変更(1069号機以降)
7次車
[編集]昭和52年度第1次債務で1092 - 1118号機が製造された[26]。紀勢本線電化開業および旧形電気機関車置き換えを名目としているが、実際は長距離高速運転による酷使で故障が多発していた500番台(P形)置き換えのためである[26]。1092 - 1095号機の4両が下関運転所[注 34]、1096 - 1116号機の21両が寝台特急牽引用として東京機関区に、1117・1118号機の2両が新鶴見機関区に配置された[26]。
運転台窓ガラスが5 mm厚の強化ガラスに変更されたほか[26]、重連や寒冷地での運用がないために東京区・下関所配置車は配置直後に保守合理化のためスノープラウや汽笛カバーやホース類が外された。砂撒き管のヒーターの配線カットを行っているが、砂撒き管ヒーターの本体とつらら切りは引き続き装着されている。一方新鶴見区配置車は存置されていた。
8次車
[編集]昭和53年度第1次債務で1119 - 1139号機が製造された[26]。関西圏で寝台列車を牽引していたEF58形の老朽取替え用である[26]。1119 - 1128号機が下関運転所に、1129 - 1139号機が宮原機関区に配置された[26]。
関西 - 九州間の寝台列車牽引を目的としていたため、耐寒耐雪設備の一部であるスノープラウ、汽笛カバー、砂撒き管ヒーター、主電動機用歯車箱の防雪覆いを省略した[注 35][27][28]。さらにこれまでの使用実績から主電動機をMT52B[注 36]に、避雷器をLA16に変更した[26]。加えて、亀裂防止の観点から台車枠は溶接が強化され、台車にとりつけられたオイルダンパーが折損した際に車両外側に飛び出すのをふせぐため、アイボルトの取り付け方向が90度変更された[26]。
JR貨物所有機のナンバープレートの色について
[編集]車体前面の機関士側と車体側面の中央には車体ナンバーが記されており、1056号機以降はエッチングプレート式となっている。プレートは車体塗装に合わせて前面がクリーム色、側面が紺色であったが、改造により変更が発生した。
国鉄分割民営後、常用減圧促進改造を施工した車両のプレートが、非施行車と区別するために赤色に塗装された。
常用減圧促進改造施行と前後して、新鶴見機関区所属車を中心にプレートが青色に変更された[注 37]。また、2000年以降、JR西日本からJR貨物に移籍した車両の一部が同様に変更された例がある。
- 1056号機:1990年ごろ、前面プレートが青色に変更された。
- 1061号機:1990年ごろ、前面プレートが青色に変更された。2005年5月に更新工事が施工され、車体塗装に合わせて前面プレートがライトパープル、側面プレートがディープブルーとなったが、大宮車両所から新鶴見機関区に戻された直後に前面プレートがディープブルー、側面プレートがライトパープルに変更された。
- 1062号機:1990年ごろ、前面プレートが青色に、側面プレートがクリーム色に変更された。
- 1121・1137号機:2005年11月にJR西日本からJR貨物に売却されて新鶴見機関区に配置された際、前面プレートが青色に、側面プレートがクリーム色に変更された[注 38]。
- 1122号機:2000年11月にJR西日本からJR貨物に売却されて高崎機関区に配置された際、前面プレートが青色に変更された。
さらに、2012年6月以降、保安装置の関係から車体番号の変更が行われたが、この際に常用減圧促進改造非施行車のナンバープレートが青色に統一された。但し、一部は全般検査出場後にナンバープレートが白色に変更された。
改造・仕様変更
[編集]本節では、JR貨物所有機(一部国鉄時代もあり)を中心に施工された様々な改造・仕様変更について記述する。
更新工事
[編集]JR貨物が所有するEF65形に対して、全般検査2回分(約10年分)の延命・更新工事が大宮車両所と広島車両所、JR西日本鷹取工場で行われた[29]。
0・500番台に対しては1989年から、1000番台に関しては1993年から施工された。1989年から施工された更新A工事の施工内容は以下のとおりである[30][31]。
更新工事を施工した機関車は未施工機と区別する必要性から車体塗装が変更されている。しかし2016年までに未施工機が全て運用離脱、施工機のみの稼動となり、区別する必要がなくなったため、国鉄特急色に復帰するようにした[39]。
0・500番台
[編集]ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーで塗り分け(3色更新色[注 48])、乗務員扉はからし色のJR貨物標準色に改められた。
後に広島車両所で全般検査が行われた車両に関しては検査後も3色更新色を維持するが、大宮車両所で全般検査が施工された場合はライトパープルとディープブルー(2色更新色)になっている。
1000番台(大宮車両所施行機)
[編集]0・500番台と同様に3色更新色にからし色の乗務員扉とされ、更新工事後の全般検査で2色更新色にからし色の扉というように車体塗装が区別された。しかし、2004年10月以降に施工された更新工事は、更新出場時点から2色更新色を纏っている[40][41][注 49]。そのため3色塗装の更新機は年々減少し、2011年5月12日に1058号機が大宮車両所を2色更新色で全検出場したのを最後に3色更新機は消滅した[42]。
1000番台(広島車両所施行機)
[編集]岡山機関区配置機は広島車両所で施工された。大宮車両所とは異なり、2色更新色だが乗務員扉に加えて貫通扉もからし色という独自のデザインである。広島更新色と称することがある。また、初期に施工された1008・1010・1012・1031 - 1033号機はナンバープレートもからし色になっている[注 50]。
更新工事の施工車は、2009年4月現在、次のとおりである。
- 17・19・24・27・28・31・35・36・47・49・55・57・62・64・67・68・72 - 76・101・104・108・113 - 115・118 - 122・124・125・127 - 130・502・504 - 509・511・512・514・515・528・530・1002 - 1010・1012・1031 - 1037・1039・1040・1042 - 1051・1055・1057・1058・1060・1061・1063・1065 - 1071・1074 - 1076・1080・1081・1083 - 1097・1101・1117・1127・1138・1139号機
常用減圧促進改造
[編集]JR貨物所有の一部の車両は、電磁給排弁を併用せずに貨物列車制動時の空走距離を短縮させるため、自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施工されている。この改造はツリアイ空気ダメの容量を縮小した上で、膨張ダメおよびJB中継弁の設置を行うものである。これはコキ50000形改造の100 km/h運転対応車(250000番台)牽引に対応するもので、改造当初はナンバープレートの地色を、側面はコキ50000形250000番台の外部塗色に合わせた淡緑色、正面を青15号としたが、夜間作業等、暗い時に判別がつきにくいため、当時試験塗装を纏っていたEF64 1010号機に倣い、赤色で区別した。1991年から1992年にかけて39両に施工されたが[46]、CLE電磁自動空気ブレーキを装備し110 km/h運転が可能なコキ100系貨車の量産開始後、コキ250000で組成された編成はコキ100系への置き換えが進み、機関車もEF66形に置き換えられたため、限定仕業を解除された改造施工機は非改造機と共通の運用に充当されている。
改造工事の施工機は次のとおりである。
- 1045・1057・1058・1060・1063 - 1092・1096・1097・1117・1138・1139号機
運転状況記録装置の省略による改番
[編集]国土交通省の鉄道に関する技術上の基準を定める省令によって、100 km/hを超える運転を行う車両には運転状況記録装置の搭載が義務付けられたが、JR貨物のEF65形1000番台は100 km/h以下で運転されるため、同装置の搭載を省略することになった[47]。運転状況記録装置を搭載するJR旅客会社の所有機と最高速度の相違を区別するために、2012年5月からJR貨物所有の本形式に対して車両番号が元番号に1000を加算する措置が取られている[48]。
前述の常用減圧促進改造を施工された車両は、赤色プレートの上に切り抜き文字を、それ以外の車両はディープブルー色プレートの上に切り抜き文字を貼り付けている。但し、2119・2121号機は改番前のものに近い鮮やかな青色プレートの上に切り抜き文字となっている。切り抜き文字はすべて金色である。更新工事未施工車で改番が行われたのは2077・2119・2121号機のみである。
一方、0番台は既に全廃され、500番台はJR貨物所属機が全て運用離脱しているため改番の対象とならなかった。
赤色プレート以外の更新工事施工機は、改番時ディープブルー色プレートに統一されたが、2094は2015年9月の全般検査時に改番前と同色の白色プレートに変更された。文字色は金色のままである。
- 1036・1037・1040・1050・1057・1058・1060・1061・1063・1065 - 1070・1074 - 1077・1080・1081・1083 - 1097・1101・1117・1119・1121・1127・1138・1139号機
- → 2036・2037・2040・2050・2057・2058・2060・2061・2063・2065 - 2070・2074 - 2077・2080・2081・2083 - 2097・2101・2117・2119・2121・2127・2138・2139号機
塗装変更
[編集]本節では、様々な色に塗装変更された車両について、「旅客会社所属機の塗装変更」、「JR貨物所属機の塗装変更」の小節に分けて記述する。
旅客会社所属機の塗装変更
[編集]JR東海は「「ユーロライナー」色」、JR西日本は「ゆうゆうサロン岡山」→「ユウユウサロン岡山」専用機、「トワイライトエクスプレス」塗装、JR東日本は「スーパーエクスプレスレインボー」塗装へそれぞれ変更となった。
JR東海 「ユーロライナー」色
[編集]- 105・106・112号機
- 旅客用として東海旅客鉄道(JR東海)に承継された5両のうち、105・106・112号機は1985年8月に登場した12系ジョイフルトレイン、「ユーロライナー」専用機として「ユーロライナー」色となった。
- 2005年4月に「ユーロライナー」を含む客車編成が使用終了・廃車となったが、105号機は1996年2月29日に、106号機は2000年3月31日に廃車となった[51]。
- 残った112号機は工事臨時列車などで使用されたが、2007年12月3日付けで廃車となり、ユーロライナー専用機は消滅した[52]。廃車直前の2007年7月には、112号機が浜松工場一般公開で展示された。
JR西日本 「ゆうゆうサロン岡山」→「ユウユウサロン岡山」
[編集]- 123号機
- 1986年にジョイフルトレイン、「ゆうゆうサロン岡山」専用機に指定され、客車と同じマルーン(赤7号)に金色帯の塗装に変更された。
- 分割民営化後はJR西日本が承継し、1994年に客車は「ユウユウサロン岡山」に名称変更されてリニューアルされ、当機は全体を黄かん色に、乗務員扉を白色とした塗色に変更された(鷹取工場で実施)。その後パンタグラフが下枠交差形のPS22Bに変更された(1998年の全般検査にて下関車両センターで実施)。2002年8月31日に廃車となり[51]、下関地域鉄道部下関車両センター一般公開で展示された後に解体された。
- これに伴い、「ユウユウサロン岡山」の牽引は下関総合車両所所属のEF65形1000番台が担当した。
JR東日本 「スーパーエクスプレスレインボー」塗装
[編集]- 1019・1118号機
- 1987年に運用を開始した「スーパーエクスプレスレインボー」専用機として、1019号機が供された。車体全体がチェリーレッドで塗装され、側面に大きく「EF65」と白で描かれたロゴを、裾部分に白帯を配している。1998年9月1日に1019号機が廃車となり、専用機は1118号機に変更された。
- 1118号機は、側窓にかかるEF65ロゴ部分はロゴと同じく白で塗装されていたが、2009年1月の検査出場以降、1019号機と同じく塗装が省略されている。「スーパーエクスプレスレインボー」の運用は2000年に終了したが、その後も塗装は変更されることなく臨時列車や工事臨時列車などに使用された。
- 1118号機は2015年10月17日、高崎線鴻巣駅 - 北本駅間を単機走行中に車両故障・電源火災が発生し、11月26日に長野総合車両センターへ廃車回送された[53]。
JR西日本 「トワイライトエクスプレス」塗装
[編集]- 1124号機
- 2015年11月、1124号機が「トワイライトエクスプレス色」へと塗装が変更された。『特別な「トワイライトエクスプレス」』が運行された2016年3月まで専用機として牽引した[54][55]。トワイライトエクスプレスは運行終了したが、2022年4月に全般検査を受け、現在もこの塗装のまま工臨や臨時列車の牽引を担当している[56]。
JR貨物所属機の塗装変更
[編集]0番台の4機が「茶色塗装」、0・1000番台の計4機が「貨物試験塗装」に変更された。稼動機では「広島車両所更新色」が2000番台で1機ある。
茶色塗装
[編集]- 9・56・57・75号機
- 9号機は1988年に廃車となっていたが、民営化後の1989年に車籍復活がなされ、同時に塗装を茶色(ぶどう色2号)に変更した[51]。近江長岡駅付近を走行中に車軸の異常発熱が発生、そのまま近江長岡駅ヤード内に留置後、移動が不能と判断され、1994年9月9日に廃車となり現地で解体された。
- 56号機は、9号機の廃車と入れ替わるように茶色への塗装変更がなされた。高崎機関区に所属していたが、2001年11月22日に運用を離脱し、2003年3月31日に廃車となった[51]。
- 57号機は、1998年に岡山機関区から高崎機関区に転属し[51]、2004年12月の全般検査において茶色に変更した[57]。56号機と比べて、飾り帯が塗装であること[注 51]、ガラス支持が白ゴムではなく黒ゴムであることなどの違いがあげられる。2008年4月に岡山機関区に再び転属した[58]。2010年現在で車籍を有しており[59]、運用にもついていたが2011年2月末で車籍を失った[60]。
- 75号機は更新色で運用についていたが、車体を茶色に塗り替え、2003年10月に行われた広島車両所の一般公開で展示[61]された。2003年12月24日に廃車となり[51]、解体された。
貨物試験塗装
[編集]- 21・116・1059・1065号機
- 21号機は国鉄清算事業団からの車籍復活車で、前面の飾り帯が撤去され、前面のブロック体ナンバーが右に寄ったものとなっていた。貨物更新機の基礎となった塗装であり、後に一般色に戻されるが、前面ナンバーはそのままとなったため異彩を放っていた。
- 116号機は1969年8月27日付で稲沢第二機関区に新製配置され、JR貨物に引き継がれた[52]。1987年7月21日付で塗装変更がなされた[62]。側面に大きくやまぶき色でJRと描かれ、前面には同じくやまぶき色の帯が配された[62]。1991年11月26日に鷹取工場で行われた全般検査において原色に塗り替えられた[63]。1994年12月3日付で岡山機関区に転属し[52]、2010年9月19日で運用を離脱した[64]。
- 1059号機は1977年1月21日付で新鶴見機関区に新製配置され、JR貨物に引き継がれた[52]。1987年7月24日付で塗装変更がなされ[65]、前面に警戒色の黄色を、側面に大きくJRのロゴを配した。他の試験塗装機と異なり、2009年3月31日付で廃車になるまで試験塗装を保持し続けた。新製後一貫して新鶴見機関区に配置されていたが、2008年10月から12月にかけて岡山機関区に貸し出された[66]。
- 1065号機は1977年1月13日付で新鶴見機関区に新製配置され、JR貨物に引き継がれた[52]。1987年7月9日付で塗装変更がなされ[65]、ホワイトとブルーを基調にブラックとイエローの前面警戒色を配した塗色に変更された。変更当初はナンバープレートは青色であったが、常用減圧促進工事が実施された以降は赤色に変更されている。1998年6月の全般検査で国鉄色に[67]、2004年3月の全般検査で更新工事が施工され3色更新色に[40]、2010年5月の全般検査で2色更新色に、2017年10月の全般検査にて国鉄色に復元されている[68]。
広島車両所更新色
[編集]- 2127号機
- 最後まで稼働していた広島車両所更新色機で、からし色の貫通扉が特徴である。
2023年11月6日に運用を終了し、翌日にDE11 2002と共に大宮車両所へ回送された[69]。その後、2023年11月25日に開催された鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェアに展示されたのち、2024年1月17日から18日未明にかけて、隅田川駅での撮影会実施のため、EH500-43と共に新鶴見経由で同駅に回送された。撮影会終了後は、3月11日から12日にかけてEH500-50と共に新鶴見経由で再び大宮車両所へと戻った。
JR貨物更新機の国鉄色復帰
[編集]-
フタル酸塗料を使用した2065号機
(2021年2月13日 深谷駅) -
2000番台標準仕様の2081号機
(2023年6月1日 尻手駅) -
蛍光灯カバー付きの2089号機
(2021年3月6日 新座駅) -
スノープラウがない2091号機
(2021年3月17日 新習志野駅) -
クリーム色プレートの2101号機
(2019年11月29日 城北公園通駅) -
JRマークとスノープラウがない2139号機
(2018年7月30日 大宮駅)
JR貨物所属のEF65 2000番台は、2016年までに所属36機が更新工事施工機のみの稼動となったため、2016年4月にかつての塗色であった国鉄特急色に復帰するようにした。これは未更新機と区別する必要がなくなったためと、更新機の塗装が国鉄特急色に比べ配色が多いため作業工程が煩雑となり、日数が増え塗料代もかさむため、これらの問題の解消及び経費削減を目的としていた[70]。
復帰第一号は貨物2色更新色であった2139号機で、同年5月の大宮車両所での一般公開時に「EF65 2139 国鉄色復活 大宮車両所 新鶴見機関区」のヘッドマークを取り付けて展示された[注 52]。同機は、JRマークが貼り付けられておらず、また、2000番台への改番時は赤プレート・金文字であったナンバープレートが赤プレート・銀文字になるなどより国鉄時代に近づけている[72]。なお、2139号機以降2016年7月から2017年9月までに全般検査を受けた6機[注 53]は、貨物更新色で出場[73]、本格的に国鉄特急色化が始まったのは、2017年10月出場の2065号機からであった。
また、2139・2065号機は、国鉄時代と同じフタル酸エナメル系塗料を使用していたが、フタル酸塗料は耐用年数が4年程度で、2~3年過ぎると色合いが変わることと、民営化直後から採用され、EF200形以降の新製機や更新機で使用されていた、耐候性に優れた「ハイテントップ」と呼ばれるアクリルシリコーン樹脂系塗料[注 54]が製造中止になったため、2018年2月出場の2066号機以降から使用塗料を変更し、「Vトップ」(正式名称:Vトップ車輌用イノーバNクリーン)と呼ばれるアクリルウレタン樹脂系塗料[注 55]が採用され[注 56]、同機以降はこの塗料を使用している[74]。さらに、2065号機以降に国鉄特急色化された同形機は側面ナンバープレート上にJRマークが付き、屋根上のモニターが黒塗装となっている[68][75]。なお、塗装変更前は青プレートであった2101号機に関しては、他機との識別も兼ねて[要出典]国鉄特急色と同色(前面がクリーム色、側面が紺色)のものに改められている。
2065号機以降、全般検査と同時に順次塗装を国鉄特急色に復帰させる処置を取ったが[39]、2022年3月の2085号機の出場をもって、本形式の全般検査を終了した[76]ため、国鉄特急色復帰施工機は計22機に留まり[77]、前述の6機とそれ以前に全検切れを迎えていた8機[注 57]を含む14機[注 58]は、同塗色に復帰しない[77]。
国鉄特急色の復帰施工機は、次のとおりである[77]。
2065 - 2068・2070・2074・2080・2081・2083 - 2092・2096・2097・2101・2139号機
他形式への改造
[編集]EF67形100番台への改造
[編集]山陽本線の瀬野駅 - 八本松駅間(通称「瀬野八」)専用で使用されていた補助機関車のうちEF61形200番台の置き換えと1990年3月ダイヤ改正での輸送力増強のため、1990年にEF65形0番台からEF67形への改造車が5両登場している[78]。広島車両所で5両 (EF65 131 - 135) 改造され、既存のEF60形改造車 (EF67 1 - 3) と区別のため100番台 (EF67 101 - 105) を付番した。
改造では制御方式が電機子チョッパ制御となり、歯車比は低速域での牽引力増大のため16:71 (4.44) に変更されたが、0番台と異なり1エンド(東京寄り)へのデッキと貫通扉の設置は省略された[79]。2003年の更新工事では尾灯の角形LEDタイプへ変更するなどの変更も行われた[79]。
EF210形300番台への置き換えに伴い、2022年3月12日ダイヤ改正で定期運用を終了した[80]。
所有状況と運用推移
[編集]JR旅客会社では寝台列車の廃止による淘汰が進行している。JR貨物では継続使用しつつも、保存車両である1001を除き更新工事未施工の車両が淘汰された。またEF210形の増備により更新工事を受けた車両も全般検査が切れた車両から順次運用離脱し廃車になっている。
国鉄時代
[編集]1965年(昭和40年)には、貨物列車増発用として0番台が運用を開始した。また、同年10月1日からEF60形500番台と交代する形で、500番台P形(東京機関区所属)が東海道・山陽本線における寝台特急5往復(東京 - 下関間)と寝台特急「あかつき」(新大阪 - 下関間)の牽引機として運用を開始した[81]。運用入りに際して、同年8月25・26日には営業列車(寝台特急富士)を用いた試運転が行われた[81]。
配置区所 | 種別 | 車両番号 | 両数 | 総数 |
---|---|---|---|---|
東京機関区 | 一般型 | 60 - 64 | 5両 | 22両 |
P形 | 501 - 512・527 - 531 | 17両 | ||
新鶴見機関区 | 一般型 | 36 - 45・53 - 59 | 17両 | |
稲沢第二機関区 | 一般型 | 17 - 35・46・47・51・52・65 - 70・77 - 84 | 37両 | |
吹田第二機関区 | 一般型 | 1 - 16・48 - 50・71 - 76 | 25両 | 42両 |
F形 | 513 - 526・532 - 534 | 17両 |
1965年10月の牽引開始時点ではP形が12両落成していたが、所要機も12両であったため予備車がなかった[81]。そこで同時期製造のF形(513 - 517号機)を東京機関区に配置してP形と共通運用させたほか、0番台(60 - 64号機)も予備として東京機関区に配置した[81][83]。それを解消するため、1966年3月25日ダイヤ改正で527 - 531号機が落成、F形は吹田第二機関区に転出した[84]。さらに1968年10月ダイヤ改正での寝台特急増発に対応するため、535 - 542号機が配置された[84]。
1966年(昭和41年)10月からは、レサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引にF形(吹田第二機関区所属)が充当された。600 t 以下の牽引定数の列車は単機で、600 tを超え1000 tまでの牽引定数の列車は当時の大型電気機関車には珍しい重連運転で運用された。ただし、これはEF66形落成までのつなぎ的な役割であった。1968年(昭和43年)10月にEF66形量産車が登場、東海道-東北-北海道ルートの特急貨物列車に充当された後は新鶴見機関区に配置され、新設された東北-北海道間を結ぶ特急貨物列車の運用に充てられた[19]。またEF15形が牽引する急行貨物列車にも充当され上越方面でも運用された。積雪地区での使用に際し、一部の車両につらら切り[注 59]・ホイッスルカバー・スノープラウ[注 60]といった簡単な耐雪耐寒装備が施された。ただし貫通扉が無いため冬季の多雪地域での重連運用の折り返し時に一旦車外に出なくてはならないこと[注 61]や、凍結防止用ヒーターなどの耐寒耐雪装備が不十分でトラブルが多発したこと[注 62]、ジャンパ連結器栓受がスカートに左右非対称の配置であるため、デルタ線の通過などで車両の向きが変わる運用に充当しづらい[注 63]などといった難点が存在した。
配置区所 | 種別 | 車両番号 | 両数 | 総数 |
---|---|---|---|---|
宇都宮運転所 | PF形 | 1001 - 1051 | 51両 | |
東京機関区 | P形 | 527 - 531 | 5両 | 26両 |
PF形 | 1096 - 1116 | 21両 | ||
新鶴見機関区 | P形 | 505 - 512・535 - 542 | 16両 | 52両 |
PF形 | 1056 - 1091 | 36両 | ||
沼津機関区 | P形 | 501 - 504 | 4両 | |
米原機関区 | 一般形 | 4 | 1両 | 13両 |
F形 | 518 - 526・532-534 | 12両 | ||
稲沢第二機関区 | 一般型 | 17 - 37・46・47・51・52・ 65 - 70・103 - 120・129・130 |
51両 | |
吹田第二機関区 | 一般型 | 1 - 3・5・6・8 - 16・38 - 45・48 - 50・ 53 - 64・71 - 76・85 - 86・128 |
46両 | 51両 |
F形 | 513 - 517 | 5両 | ||
岡山機関区 | 一般型 | 87 - 102・121 - 127・131 - 135 | 28両 | |
広島機関区 | PF型 | 1052 - 1055 | 4両 | |
下関運転所 | PF型 | 1092 - 1095 | 4両 |
1969年(昭和44年)には東北本線の東北・北海道輸送を担う旅客・貨物列車の上野方 - 黒磯間の短い直流区間を牽引する客貨両用で汎用性の高い機関車として、1000番台PF形が落成し新鶴見機関区に新製配置、その後宇都宮運転所に集中配置され東北本線・上越線での500番台F形運用(貨物列車)を置き換えた[10]。次いで旅客運用にも投入され、1970年(昭和45年)7月1日より運転開始した寝台特急「あけぼの」(7月1日から9月30日までは臨時列車として運転)の上野 - 黒磯間を1000番台PF形(宇都宮運転所)が牽引することとなった。これが本番台初の寝台特急牽引となった。またP形の所要両数不足を補うため、同時期から「彗星」の牽引に下関運転所のPF形が使用された。東京機関区へのP形増備による0番台予備機の転出やF形の新鶴見機関区転出により、0番台は1970年までに東京機関区と新鶴見機関区の配置がなくなり、東海道・山陽本線を中心に山手貨物線、宇野線、赤穂線、岡多線などで特急貨物列車B以下の貨物列車に使用されるようになった。
1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正では、貨物列車が多い山陽区間の深夜時間帯に規格ダイヤ(最高速度を95 km/hとする)が採用された[86]。その影響で「あかつき」「彗星」「日本海」でスピードダウンが行われ、EF58形で牽引可能となった[86]。ただし、EF58形に対して20系客車に関して必須であるMRP追加工事を行う関係から、当初はP形、PF形に加えて下関運転所配置の500番台F形も運用された。1972年10月2日以降、寝台特急牽引はEF58形(当初は「あかつき」が下関運転所所属、「彗星」・「日本海」と新設の「つるぎ」が米原機関区所属)に置き換えられた[86][87]。EF58形を使用することによって東京機関区のP形は運用に余裕ができ、加えて下関運転所で集中台車検査時の代替機が必要であることから、501 - 504号機が同年9月から10月にかけて下関運転所に転属し、以前から同所に配置されていたPF形と共に使用された他、1975年3月改正までは関西発着列車も一部受け持った。また、東北本線で1往復だけ存在していたPF形による重連統括運用は、牽引係数の見直しにより単機牽引とされた[88]。1975年3月改正直前にはF形の一部が米原機関区に転属し、EF58形と共に寝台特急を牽引することがあった[89]。
1978年(昭和53年)6月30日付で7号機が事故廃車となり、本形式初の廃車となった。
1978年(昭和53年)7月28日からは、東京機関区・下関運転所に配置されたPF形後期型(7次車)によるP形の置き換えが行われ、同年10月のダイヤ改正までに東京発着の寝台特急7列車16本の牽引を開始した[90]。次いで宮原機関区・下関運転所に配置された8次車では、関西圏で活躍していたEF58形などの旧型機関車を置き換えることとなった[88]。下関配置車は、先行して配置されていた7次車と共通で東京配置車の集中台車検査代替機として、東京発着列車にもヘッドマークを装着して使用されることがあった。
1984年(昭和59年)2月1日ダイヤ改正では旅客・貨物運用双方で大きな変化が発生した。旅客運用では夜行列車が再編され、東北方面への旅客運用は宇都宮運転所から田端機関区への移管が行われた。
以下に牽引列車を示す。
- 東京機関区(集中台車検査代替機は下関運転所所属)
- 寝台特急「さくら」1往復(東京 - 下関間)
- 寝台特急「はやぶさ」1往復(東京 - 下関間)
- 寝台特急「みずほ」1往復(東京 - 下関間)
- 寝台特急「富士」1往復(東京 - 下関間)
- 寝台特急「あさかぜ」2往復(東京 - 下関間)
- 寝台特急「瀬戸」1往復(東京 - 宇野間)
- 寝台特急「出雲」1往復(東京 - 京都間)
- 宮原機関区
- 寝台特急「なは」0.5往復(新大阪 → 下関間)
- 寝台特急「あかつき」0.5往復(下関 → 新大阪間)
- 寝台特急「出雲」1往復(東京 - 京都間)
- 寝台急行「ちくま」1往復(大阪 - 名古屋間)
- 寝台急行「銀河」1往復(東京 - 大阪間)
- 寝台急行「きたぐに」1往復(大阪 - 米原間)
- 下関運転所
- 田端機関区
- 寝台特急「あけぼの」3往復(上野 - 黒磯間)
PF形の投入によりP形・F形は貨物列車運用に転用され、再び東海道・山陽本線で一般貨物列車に充当された[注 65]。
配置区所 | 種別 | 車両番号 | 両数 | 総数 |
---|---|---|---|---|
東京機関区 | 一般型 | 17 | 1両 | 28両 |
P形 | 501・502 | 2両 | ||
PF形 | 1089 - 1091・1096 - 1116・1118 | 25両 | ||
田端機関区 | PF形 | 1003・1006 - 1051 | 47両 | |
新鶴見機関区 | P形 | 505 - 512・539 - 542 | 12両 | 57両 |
F形 | 527・528・536 - 538 | 5両 | ||
PF形 | 1004・1005・1052 - 1088・1117 | 40両 | ||
沼津機関区 | 一般型 | 2 - 4・6・85 - 87・128 | 8両 | 17両 |
P形 | 503・504 | 2両 | ||
F形 | 513 - 519 | 7両 | ||
稲沢第二機関区 | 一般型 | 5・18 - 37・46・47・51・52・ 65 - 70・103 - 120・129・130 |
55両 | 65両 |
F形 | 520 - 526・532 - 534 | 10両 | ||
吹田第二機関区 | 一般型 | 1・8 - 16・38 - 45・48 - 50・ 53 - 64・71 - 76 |
37両 | |
宮原機関区 | PF形 | 1001・1128 - 1139 | 13両 | |
岡山機関区 | 一般型 | 88 - 102・121 - 127・131 - 135 | 27両 | |
下関運転所 | PF形 | 1002・1092 - 1095・1119 - 1127 | 14両 |
1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正の際、「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ」の東京 - 下関間での牽引がEF66形に置き換えられた[92]。これは、「はやぶさ」の編成中にロビーカーを増結して牽引定数が増加し、従来のEF65形では牽引力が不足するためである。同時に東京機関区・宮原機関区配置がなくなり、それぞれ新鶴見機関区・吹田機関区に転属となった。東京機関区の運用はそのまま新鶴見機関区が担当したが、原則として東京区から転属した車両が同区に常駐の上で使用され、台車検査と交番検査の際に新鶴見区に回送された。宮原機関区の運用は新鶴見機関区と下関運転所に移管された。運用減による余裕から一部が貨物列車牽引機に転用された。東海道・山陽本線での旅客運用は5列車10本(寝台特急6本、急行4本)までに縮小されたが[93]、東北方面での運用は急行2列車4本が追加された[94]。
1986年11月には、国鉄分割民営化を見据え以下のような車両配置換えが行われた。
- 東京機関区から新鶴見機関区への移籍車のうち、分割後にJR東日本に所属するPF後期形は田端機関区へ、入れ替わる形で田端区に所属していたPF前期形の大半はJR貨物に引き継がれることから新鶴見区に移籍した。
- 宮原機関区から吹田機関区への移籍車のうち、分割後にJR西日本に所属するPF形は下関運転所に移籍した。
- 沼津機関区、稲沢第二機関区、高崎第二機関区に分散配置されていたF形が高崎第二機関区に集中配備され、同機関区のEF60形が置き換えられた。
JR発足後
[編集]1987年の国鉄分割民営化では本形式は269両(0番台88両、500番台P形25両、500番台F形17両、1000番台139両)がJR東日本・JR東海・JR西日本・JR貨物に継承された。
会社 | 所属 | 車両番号 | 総数 | |
---|---|---|---|---|
JR東日本 | 高崎運転所 | 501 | 1両 | 42両 |
田端運転所 | 1011・1013 - 1030・1052・1053・1098 - 1116・1118 | 41両 | ||
JR東海 | 名古屋南車両区 | 105・106・110 - 112 | 5両 | 5両 |
JR西日本 | 下関運転所 | 123・1093 - 1095・1119 - 1137 | 23両 | 23両 |
JR貨物 | 高崎機関区 | 43・53・502 - 537 | 38両 | 199両 |
新鶴見機関区 | 538 - 542・1001・1002・1004・1005・1031 - 1051・1054 - 1091・1096・1097・1117 | 71両 | ||
稲沢機関区 | 19・22・24・25・27 - 32・34 - 37・47・67・68・85 - 87・103・104・107・108・113 - 120・128 - 130・1003・1006 - 1010・1012 | 42両 | ||
吹田機関区 | 50・54 - 63・71 - 76・1092・1138・1139 | 20両 | ||
岡山機関区 | 49・64・88 - 102・121・122・124 - 127・131 - 135 | 28両 | ||
国鉄清算事業団 | 1 - 6・8 - 10・14・17・18・20・21・23・26・33・38・44・46・51・52・66・69・70 | 25両 | (車籍なし) |
JR東日本
[編集]定期運用は持っておらず、工事臨時列車や配給列車を牽引するほか、JR貨物の機関車に不具合が生じた際には貨物列車牽引に充当されることもある[96]。分割民営化時から唯一高崎運転区に所属する501号機は、イベント列車の牽引にも頻繁に充当される。
- 推移
民営化当時の旅客運用を以下に示す。牽引区間はカッコ内に示す。
- 寝台特急「出雲」2往復(東京 - 京都間)
- 寝台特急「瀬戸」1往復(東京 - 宇野間)
- 寝台特急「彗星」1往復(新大阪 - 下関間)
- 寝台急行「ちくま」(大阪 - 名古屋間)
- 寝台急行「銀河」1往復(東京 - 大阪間)
- 寝台特急「あけぼの」3往復(上野 - 黒磯間)
- 夜行急行「八甲田」1往復(上野 - 黒磯間)
- 夜行急行「津軽」1往復(上野 - 黒磯間)
1988年3月ダイヤ改正で「あけぼの」1往復が廃止、1990年9月には「津軽」が使用車種を583系に変更、「あけぼの」1往復が経路変更により上越・羽越経由の「鳥海」とされた。1993年12月ダイヤ改正では「あけぼの」の牽引機がEF81形に、「八甲田」は廃止(臨時格下げ)となり、このダイヤ改正をもって、上野駅発着列車での本形式の定期運用は見られなくなった。1997年には「ちくま」が383系化、1998年には「出雲」1往復と「瀬戸」が285系化され、四国への乗り入れ運用が消滅した。「彗星」の牽引は「出雲」の牽引機の間合い運用となっていたが、2000年に彗星とあかつきの併結運転開始に伴い下関乗り入れが消滅した。これら運用の減少により、1995年から2001年にかけて初・中期PF形にあたる1011・1013 - 1030・1052・1053・1098・1099号機が廃車となり、1101・1116号機がJR貨物に譲渡された[97][98]。
その後しばらくは「出雲」「銀河」の牽引機として活躍したが、「出雲」は2006年3月ダイヤ改正で、「銀河」は2008年3月ダイヤ改正で廃止となった。ほぼ同時期、九州ブルトレの牽引機であった下関所属のEF66形に不具合が生じた際には代走に充てられる場合もあった[99][注 66]。両列車の廃止以降、JR東日本の本形式は定期運用を持たない。
1990年ごろ、田端運転所所属の初期PF形はATS-P保安装置の取り付けに伴い、テールライトが外はめ式に改造された。
2005年秋ごろから2007年12月まで、JR貨物所有のEF65形にATS-PF保安装置を取り付けるために不足する機関車を補うため、501号機を含む数台がJR貨物に貸し出され、貨物列車の牽引に当たった[100][101]。
2006年からは、冷房装置の設置工事が行われている[28]。外見上の特徴として、避雷器後部にグレーの台形をした箱状のものが載っている。設置された車両を以下に示す[28]。
- 1102 - 1107・1113 - 1115・1118号機
運用の減少に伴い、2006年から2008年にかけて1100・1108 - 1114号機が廃車となった[97][98][102]。また、運用の見直しにより、2015年3月14日改正で3両が余剰となり[103]、1106・1107・1118号機が廃車となった(1118号機は機器火災後廃車(JR東日本 「スーパーエクスプレスレインボー」塗装の項を参照)。
2021年、2022年にかけて、昨今の工事用臨時列車用気動車登場によるレール、バラスト運搬配給の減少により、1104・1105号機が長野総合車両センターへ回送された。 これにより、2023年ダイヤ改正時点では、1102・1103・1115の3機まで減少している。
車両の老朽化に伴い、2024年秋を以て501号機の営業運転を終了予定[104]。
JR東海
[編集]JR東海には0番台5両が承継され、ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の牽引や工臨などに充当された。
民営化時は名古屋南運転区に配置されていたが、1988年に5両とも静岡車両区に転属した[105]。2005年に「ユーロライナー」が消滅してからは、専ら工臨に充当されたが、2007年12月3日付で112号機が廃車となったことでJR東海所有分の本形式は消滅するとともに、旅客会社が所有する0番台が消滅した。
JR西日本
[編集]定期運用は持っておらず、下関総合車両所に所属する10両のうち1両が岡山電車区に、4両が網干総合車両所宮原支所と吹田総合車両所京都支所に常駐しており、工事臨時列車や網干総合車両所や下関総合車両所などへの入場列車の牽引、団体列車を牽引している[106]。なお、ATS-P保安装置を搭載している機関車は5両(1124・1128・1132・1133・1135号機)であり、京阪神地区に貸し出される機関車は限られる[106]。うち1124号機は2015年11月に「トワイライトエクスプレス」色に塗装変更されている[107]。
東海道・山陽本線での運用が主体であるが、湖西線を経由して北陸本線敦賀駅[注 67]や山岳区間である伯備線新見駅[108][注 68]までのほか、本四備讃線(瀬戸大橋)を経由してJR四国予讃線高松駅や松山駅、土讃線琴平駅までの入線実績がある[109][110]。
- 推移
全車が 下関運転所(現在の下関総合車両所)に配置されていたが、123号機のみ1988年に岡山運転区に転属した。
民営化当時の旅客運用を以下に示す。牽引区間はカッコ内に示す。
このほか、東海道・山陽本線での臨時列車や工臨牽引を主としていた。
2000年3月11日のダイヤ改正では、「あかつき」が寝台特急「彗星」と併結するに伴って牽引機をEF66形に変更した。2005年10月1日ダイヤ改正では、「なは」が「あかつき」と併結のうえ、牽引機がEF66形に変更され、定期運用を失った。ただしダイヤ改正後も、EF65形を下関運転所から関西などに送り込む際には「なは」「あかつき」の牽引機として使用されることもあった[111]。
その後も「ムーンライト山陽」「ムーンライト九州」「ムーンライト高知」「ムーンライト松山」などの臨時列車の牽引に当たることもあったが、近年運転されていない。
運用の減少に伴い、2000年から2007年にかけて1119・1121 - 1123・1127・1129・1136号機がJR貨物に売却された。また、2002年には123号機が、2008年には1125号機が廃車となっている。
下関総合車両所に所属する車両の特徴として、検査入場の際に下回りをグレーに塗装すると同時に、貫通扉上部のわずかな青塗装を省略およびKE70ジャンパ連結器納めを青塗装したものが見られる[注 69][112]。これは、気密性確保の観点から貫通扉のみをステンレス製のものに交換したためであり[113]、よく見ると青とクリームの境目が一直線になっておらず、下のクリームが少し上に突き出しているのがわかる。なお、1135号機は2016年3月に全般検査から出場した際、貫通扉上部の青塗装を省略せずに出場したことが確認されている。
2009年11月から2010年9月にかけて映像音声記録装置の取り付けが全車に対して[114]、2010年6月から9月にかけてATS-P保安装置の取り付けが5両(1124・1128・1132・1133・1135号機)に対して下関総合車両所で施工された[115]。
また2015年より、テールランプのレンズが順次クリアレンズに交換され、2016年3月をもって全車への施工が完了した。
JR貨物
[編集]配置区所 | 種別 | 車両番号 | 両数 | 総数 |
---|---|---|---|---|
新鶴見機関区 | PF形 | 1001 - 1007・1040・1043 - 1051・1054 - 1092・ 1096・1097・1117・1138・1139 |
61両 | |
高崎機関区 | 一般型 | 28・31・38・46・49・50・53・54・56・ 58 - 62・86・113・115・117 - 119 |
20両 | 62両 |
P形 | 502 - 512・528・530・531・535 - 537・539 - 542 | 21両 | ||
F形 | 513 - 520・523・524・526・532 | 12両 | ||
PF形 | 1009・1034 - 1039・1041・1042 | 9両 | ||
岡山機関区 | 一般型 | 17・19・21・35・36・47・52・55・57・64・ 66 - 68・70 - 76・85・87 - 104・107・ 108・114・116・120 - 122・124 - 130 |
53両 | 59両 |
PF形 | 1008・1010・1012・1031 - 1033 | 6両 |
2013年3月のダイヤ改正現在、東北本線(宇都宮以南)、高崎線、鹿島線に加えて、岡山運用として東海道・山陽本線岡山以東と予讃線において定期運用を有する。
- 推移
分割民営化直後の1988年度には、貨物列車増発に対して機関車が不足することから、国鉄清算事業団から購入した車両16両(2 - 6・8 - 10・14・17・18・20・21・38・46・52・66・69・70号機)が復活した[116]。これにより稲沢機関区に所属する7両のPF形は新鶴見機関区に転出し、稲沢機関区は0番台のみ所属することとなった[117]。1988年4月の瀬戸大橋開業により、新鶴見機関区所属機による岡山から瀬戸大橋線を経由して高松までの運用された。
EF66形100番台の吹田機関区新製配置に伴いPF形は新鶴見機関区に、500番台は高崎機関区に集約された[116]。EF66形100番台のさらなる増備により、1991年には吹田機関区と広島機関区から本形式の配置がなくなった[116]。ほぼ同時期には、延命を図る更新工事の施工が開始された(#更新工事を参照)。一方、1992年からはEF200形量産車の投入が行われ、翌1993年には国鉄分割民営化後、初となる廃車(更新工事未施工車)が発生した[118]。
1992年には予讃線貨物列車の牽引に本形式を充当するため、新鶴見機関区から岡山機関区にPF形7両(1008 - 1010・1012・1031 - 1033号機)が転属し、岡山機関区に初めてPF形が配置された[118]。1996年3月ダイヤ改正に合わせて車両所属基地の集約が行われ、愛知機関区所属車両33両のうち20両が岡山機関区に、7両が高崎機関区へ転出した[117]。残った保留車も1997年には配置がなくなり、本形式は高崎機関区、新鶴見機関区、岡山機関区の三区所に配置されるようになった。
1998年以降EF210形量産車が落成し、2000年以降にはJR旅客会社で余剰となったPF形の譲渡を受けて0・500番台を置き換える動きが活発化した[119][120]。
1999年時点の運用範囲は、高崎機関区が東北本線・高崎線、新鶴見機関区が関東圏と東海道・山陽本線を経由して四国まで、岡山機関区が名古屋から下関を中心とした西日本エリアである[121]。2002年12月のダイヤ改正では四国乗り入れ運用が岡山機関区担当に変更され、新鶴見機関区所属機関車による運用は吹田信号場以東となった。
2008年3月のダイヤ改正では、JR東日本管内でのATS-P保安装置使用開始によって高崎機関区に所属する0・500番台が運用を終了した。これによりJR貨物所有の500番台は全車運用を離脱し、廃車となった。0番台の一部は岡山機関区に転属し、同機関区は0番台が所属する唯一の機関区になった。2009年3月のダイヤ改正では、EH200形の増備によって余裕が生じたEF64形に置き換えられる形で高崎機関区所属の本形式は運用を失い、同機関区から配置がなくなり、岡山機関区、新鶴見機関区に転属するものもあった。
0番台が唯一所属する岡山機関区も、新鶴見機関区へのEF210形投入で運用に余裕のできたPF形が転入して置き換えが行われた。2011年3月のダイヤ改正では、岡山機関区から本形式の配置がなくなり、新鶴見機関区に集中配置されることとなった。岡山機関区所属機のうち、ATS-PF保安装置を搭載する車両のみが新鶴見機関区に転属し、搭載しない車両は運用から離脱している[122][注 70]。この改正で0番台は運用から離脱し、1000番台PF形のみが運用されるようになった。運用範囲も変更され、山陽本線岡山以西には入線しなくなる一方、2008年3月以来となる東海道本線吹田信号場 - 米原間での定期運用が復活している[注 71]。
現状
[編集]2019年4月1日現在[123][124](JR貨物のみ2021年1月27日現在[125])の配置は以下の通り。
- JR貨物
- 新鶴見機関区
- 1001号機
- 2060・2063・2065 - 2068・2070・2074・2080・2081・2083 - 2092・2096・2097・2101・2127号機
- 新鶴見機関区
- JR東日本
- JR西日本
- 下関総合車両所運用検修センター
- 1120・1124・1126・1128・1130 - 1135号機
- 1120・1124・1126号機は下関運転所に新製配置された車両で転属歴がない。
- 1120・1124・1126・1128・1130 - 1135号機
- 下関総合車両所運用検修センター
配置区所
[編集]国鉄時代とJR化後を通して地域別に解説する。
関東地区
[編集]新鶴見機関区
[編集]新鶴見機関区には1965年よりEF65形0番台が投入され、捻出されたEF60形が1965年度中に岡山・広島地区へ転用された[126]。
1968年10月のヨンサントオ改正で東北本線に最高速度100 km/hの高速貨物列車が設定されたのに伴い、吹田第二機関区の500番台F形と新鶴見機関区の一般形0番台が差し替えられ、新鶴見のF形は隅田川駅 - 黒磯駅間で貨物列車を重連で牽引した[126]。500番台は耐寒耐雪性能が不十分なため1970年までに1000番台PF形の新製により置き換えられ、東海道・山陽本線に再転用された。
1971年までにEF65形全車が宇都宮運転所へ転出したため、新鶴見へのEF65形の配置は一旦なくなったが、1976年以降はEF13形やEF15形の置き換え用として再転入した[127]。置き換えられたEF13形やEF15形は廃車あるいは甲府機関区や立川機関区等へ転出した[127]。
1985年には東京機関区の車両配置がなくなったため、同区のEF58形やEF65形500番台、ブルートレイン牽引用のEF65形1000番台が新鶴見区に転入した[127]。東京発着のブルートレインや臨時「踊り子」などの旅客列車に新鶴見のEF65形が使用されることもあったが、1986年11月改正では分割民営化を見据えて旧東京機関区所属の旅客列車用EF58形・EF65形が田端運転所へ転出した[127]。
1987年4月1日の国鉄分割民営化で新鶴見機関区はJR貨物の管轄となり、発足時点で新鶴見機関区のEF65形1000番台は66両が所属していた[127]。1987年からはコキ50000形250000番台を使用した東北本線の高速貨物列車用として常用ブレーキ減圧対応改造が開始されており、改造車はナンバープレートの地色が変更され、最終的に赤色で識別された[127]。
1988年の瀬戸大橋線開業後は新鶴見機関区のEF65形の四国乗り入れが開始されている。1993年には四国乗り入れが岡山機関区に移管されたが、2011年には新鶴見機関区に再移管された。
1989年にはJR貨物のEF65形1000番台の配置が新鶴見機関区に集約され、配置両数は最大の76両となった[127]。この際に新鶴見に所属していた500番台5両が高崎機関区に転属し、新鶴見区のEF65形は1000番台に統一された。1992年以降はEF200形が新鶴見機関区に新製配置されたのに伴い、EF65形は一部が新鶴見から岡山機関区・高崎機関区へ転出した。
2012年には法令改正により運転状況記録装置等を搭載しないJR貨物のEF65形1000番台の稼働車が2000番台に改番された。EF65 1001は2008年に運用を離脱したが、社員研修用教材として使用されている。
東京機関区
[編集]東京機関区には1965年よりEF65形500番台P形が投入され、EF60形500番台に代わって東海道・山陽本線で20系ブルートレインの牽引を開始した[128]。1978年には1000番台21両が投入されて従来の500番台P形が置き換えられた[129]。
1985年に東京機関区への車両の配置がなくなり、新鶴見機関区への一時転属を経て田端機関区へ移管された。
宇都宮運転所
[編集]宇都宮運転所には1970年より1000番台の配置が開始され、新鶴見機関区からの転入車を含めて東北本線を中心に旅客・貨物列車で使用された[130]。1984年にEF65形の配置が田端機関区へ移管されて配置がなくなった。
田端機関区→田端運転所→尾久車両センター
[編集]田端機関区へは1984年に宇都宮運転所から東北方面への旅客列車運用を移管する形で配置された。1985年には東京機関区の旅客運用も移管され、東海道・山陽本線系統でも運用された。
1987年の国鉄分割民営化直前に田端機関区の旅客列車研修部門が田端運転所となり、民営化でJR東日本の管轄となった。2008年の東海道本線寝台急行「銀河」廃止をもってJR東日本所有のEF65形による旅客列車運用が消滅し、以後は定期運用を持たず工事列車などに使用されている[47]。2022年には田端運転所の検修部門が尾久車両センターに統合された。
高崎第二機関区→高崎機関区
[編集]高崎機関区(旧・高崎第二機関区)は1987年の民営化でJR貨物の管轄となり、民営化時点で0番台2両と500番台の配置があった。1989年に新鶴見機関区の500番台5両が転入してからはJR貨物で500番台の配置がある唯一の機関区となった。運用は首都圏のローカル運用が中心であった[131]。
2009年3月14日のダイヤ改正でEF65形の定期運用が終了した[131]。2012年に廃車となったEF65 535は東芝府中事業所へ譲渡された[131]。
高崎運転所→ぐんま車両センター
[編集]高崎運転所は1987年の国鉄分割民営化でJR東日本の管轄となり、発足時にはEF65 501が配置されていた[47]。区所名は「高崎車両センター」、「高崎車両センター高崎支所」と順次変更され、2022年に「ぐんま車両センター」となった。
EF65 501は工事用臨時列車や高崎地区のイベント列車などで使用されている。
中部地区
[編集]稲沢第二機関区→愛知機関区
[編集]稲沢第二機関区には1965年より0番台が配置された。1985年に稲沢第一機関区と統合して稲沢機関区となり、1987年の民営化でJR貨物の管轄となった。
民営化時点で0番台35両と1000番台7両が配置されていたが、1997年3月22日のダイヤ改正でEF65形の配置がなくなった[131]。この間の1994年に稲沢機関区は稲沢貨車区と統合して愛知機関区となっている[131]。
沼津機関区
[編集]沼津機関区には1978年に下関運転所から転入したEF65 501 - 504の4両が配置され、東海道本線の貨物列車牽引に使用されるようになった[129]。沼津機関区は1986年に廃止されている。
名古屋南運転区・静岡車両区
[編集]名古屋南運転区(旧・名古屋第一機関区)にはJR東海に承継されたEF65形0番台5両が配置されたが、1988年に静岡運転所へ転出した。静岡運転所は2000年に静岡車両区となっている[105]。
定期運用はなく、波動輸送や客車ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の牽引、工事用列車の牽引にも使用されたが、2007年までに全廃されて配置がなくなり、JR東海が運用する機関車が消滅した[132]。
関西・中国地区
[編集]吹田第二機関区→吹田機関区
[編集]吹田第二機関区には1965年より一般形の0番台が配置され、高速貨物列車用に500番台F形の配置もあった。1984年に吹田第一機関区と統合して吹田機関区となり、1987年の国鉄分割民営化でJR貨物の管轄となった。民営化時点で0番台17両と1000番台3両が配置されていたが、EF66形100番台の新製投入により1990年にEF65形の配置がなくなった[133]。
宮原機関区
[編集]宮原機関区には1000番台の後期型が配置された。1985年にEF65形の配置がなくなり、吹田機関区や下関運転所に転出した。
米原機関区
[編集]米原機関区には1975年より500番台P形の配置があり、寝台特急列車の牽引にも使用された。1986年に米原機関区は廃止された。
岡山機関区
[編集]岡山機関区には1969年より0番台が新製配置された。1987年の民営化でJR貨物の管轄となり、0番台28両が配置されていた。1988年の瀬戸大橋線開業後は予讃線乗り入れ運用も設定された[133]。
その後は1000番台の転入等で経年機の置き換えが進められたが、EF210形の増備により2011年に岡山機関区へのEF65形の配置がなくなり、ATS-PF設置車は新鶴見機関区へ転出、未設置車は廃車された[134]。
広島機関区
[編集]広島機関区には500番台の転入や0番台・1000番台の新製配置があったが、一旦は全機が他区所へ転出した。国鉄分割民営化でJR貨物の管轄となった後の1989年に0番台11両が配置された。1991年にEF66形100番台が新製配置されたのに伴ってEF65形の広島機関区への配置はなくなった[133]。
下関運転所→下関総合車両所運用検修センター
[編集]下関運転所には1970年より1000番台が新製配置された。1972年には集中台車検査施行時の代走のため東京機関区の500番台P形4両が転入した[135]が、1000番台の増備により1978年に沼津機関区へ転出した[129]。1986年にはジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」指定機となったEF65 123も配置された。
1987年の国鉄分割民営化でJR西日本の管轄となり、0番台1両(123号機)と1000番台22両が配置されていた[131]。区所名は1995年の組織変更で「下関地域鉄道部下関車両管理室」に、2009年の組織変更で「下関総合車両所運用検修センター」に改称されている。
「ゆうゆうサロン岡山」指定機の123号機は1988年に岡山電車区へ転出した。1000番台は寝台特急の牽引などに使用されたが、2005年の寝台特急「彗星」廃止と「なは」「あかつき」併結運転開始とともにEF66形での牽引に変更され、JR西日本によるEF65形の定期運用が消滅した[131]。以後は工事用列車や臨時列車などに使用される。
岡山電車区
[編集]岡山電車区にはJR西日本の客車ジョイフルトレイン「ゆうゆうサロン岡山」指定機のEF65 123が1988年に下関運転所より転入した[131]。1993年の客車延命工事で「ユウユウサロン岡山」となった際にEF65 123も塗装変更されて使用されていたが、客車よりも早く2002年8月に廃車となり、岡山電車区へのEF65形の配置はなくなった[131]。
保存機
[編集]保存機を「静態保存機」、「先頭部のみ」、「保存後解体」、「所在不明機」に分けて下記に示す(データは2017年4月1日現在[136])。なお、所在不明機は、特記事項がなければ確認できない車両である。[注 72]
静態保存機
[編集]画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
EF65 1 | |||
EF65 520 |
| ||
EF65 535(画像は大宮車両所) | |||
EF65 1001 |
先頭部のみ
[編集]番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|
EF65
529 |
東京都品川区
JR貨物中央研修センター(非公開) |
|
EF65 536 | ||
EF65 539 |
|
|
保存後解体
[編集]番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|
EF65 5 |
|
|
EF65
33 |
静岡県焼津市焼津駅内「ビアステーション焼津」[151] | |
EF65
59 |
||
EF65
75 |
広島県広島市広島車両所 | |
EF65
112 |
所在不明機
[編集]- EF65 65 最終所在地:静岡県浜松市浜松工場[151]
- 国鉄末期の1987年2月10日除籍(最終配置区;稲沢機関区(現・愛知機関区))。
- 1988年より上記にて静態保存[158]。
- EF65 110 最終所在地:静岡県浜松市浜松工場
- 1998年3月31日除籍(最終配置区;静岡運転所(現・静岡車両区))。
- 1999年より上記にて静態保存[159]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 車体および台車を担当。川崎車輛は1969年に川崎重工業に合併された。
- ^ 川崎重工業とのコンビで電装品を担当したが、1968年に川崎電機製造は富士電機へ合併されたため、以後は富士電機名義となる。
- ^ 車体・台車・電装品のすべてを一貫製造。
- ^ 車体および台車を担当。1972年の川崎重工業への吸収合併により、以後は同社担当分を川崎重工業兵庫工場が肩代わりした。
- ^ 電装品を担当。当初は汽車会社とコンビを組んだが、同社の吸収合併以後は合併先である川崎重工業とコンビを組んだ。
- ^ 車体および台車を担当。
- ^ 電装品を担当。当初は日本車輌製造とコンビを組んでいたが、1968年以降は川崎電機製造を吸収合併したため、川崎重工業ともコンビを組んだ。
- ^ 製造実績は、車体と台車については汽車製造時代の実績を除外しても川崎重工業が最多で、東芝は交流電機の指定メーカーとなったこともあって昭和42年度発注分をもって担当から外れ、日本車輌製造も昭和44年度発注分の0番台を最後に撤退している。このため、2社の撤退後に量産された1000番台はほとんどの車体と台車を川崎重工業が担当した。
- ^ クイル式駆動方式が不調であった1次車のMT49に代えて、ばね下重量が大きく軌道保守に負担が掛かるが信頼性の高い吊り掛け駆動方式に変更し、併せて定格出力の向上も図ったMT52を主電動機に採用した2次車以降、EF60形は牽引力に余裕が生じており、3次車で駆動系や台車はほぼ熟成の域に達していた。
- ^ EF60形は従来どおり単位スイッチ式制御器を搭載していたが、この方式は構造が簡素であることの代償としてコンパクト化が難しく、また多段化や自動進段といった高機能化の点でも難があった。これらの問題はシーケンスドラム(順路開閉器あるいは制御円筒)の導入によりいずれも一応は解決可能であったが、構造の複雑化と機器の大型化を招き、また電動カム軸式と比べて特に大きなメリットもなかった。このため、国鉄電車では1951年度製造の80系電車以降はCS10として電動カム軸式制御器を制式機種として採用、私鉄向けでも保守の都合から単位スイッチ式ABS制御器で統一していた営団丸ノ内線が900形最終増備車(1969年)に採用した事例があった程度で、1960年代以降、日本では電車・電気機関車ともに新製車両に単位スイッチ式制御器を採用する例は激減した。
- ^ この事実からも輸送力増強と列車高速化の要求が厳しく、開発スケジュールが逼迫していたことがうかがえる。
- ^ 限流継電器(リミッタ・リレー)の作用により、主回路の電流量が予めセットされた規定値を下回るか上回るかした場合にパイロットモーターが回転し、これによって駆動されるカムスイッチ群のオンオフで主回路の切り替えを自動的に行う。これにより、速度に応じて乗務員が電流計を監視しつつ手で運転台に置かれた主幹制御器のノッチを1段ずつ進めずとも、最初から必要な段数までノッチを進めてしまえば後は主制御器が必要に応じて細かいノッチ操作を自動で行うようになった。この方式には主幹制御器と主制御器を結ぶ指令信号線の本数(=指令段数)が少なくともきめ細かな加速操作が可能で、かつ乗務員の負担を軽減できるという大きなメリットが存在し、日本では主に電車用としてイングリッシュ・エレクトリック社と提携した東洋電機製造製の制御器を導入した各社で大正時代から普及が始まり、その後各電機メーカー製の同種制御器が幅広く普及している。なお、バーニア制御は交流電気機関車をルーツとする技術で、空転防止を目的として主回路電流量が一定値(本形式の場合は550 A)を超過した場合にのみ機能し、各ノッチ間の進段中の制御をさらに細分化(EF65形の場合はノッチ1段を5分割する)することで加速を円滑にする。これにより定格速度到達までの最大制御段数は合計142段となり、事実上無段階加速に近い制御特性が得られるようになった。もっとも、その一方で本形式の主回路つなぎには、主電動機の直並列切り替え時の牽引力変動を最小限に抑制する橋絡わたりは採用されていない。
- ^ 全界磁時の定格速度は45.0 km/h。
- ^ 主回路カム軸1ステップの移動角が15°に対し許容誤差が5°しかないため、バーニアカムが進段中に主回路カムのオーバーランによって接触器が開いてしまい、発生した火花によって制御器を焼損するトラブルが頻発した。
- ^ パイロットモーターの減速比を大きくしたが、バックラッシュ角が影響するようになった。
- ^ したがって竣工時期は1966年に入ってからとなる。
- ^ CS25で一体であった抵抗制御器のカム軸およびバーニアの駆動に用いるパイロットモーターを個別に搭載、カム角度の見直しを行い動作信頼性の向上を図った。併せてリレーに代わりシリコン整流器を採用、進段時の応答性能も向上した。
- ^ 500番台は新製時期がCS25からCS29への切り替え期に当たっており、双方の搭載車が混在していた。CS25とCS29では直並列制御のステップ数およびバーニア制御の開始ステップが異なるため、両者を重連運用で混用すると、各制御器がバラバラに動作して引張力の不釣合いが起きてしまい、主電動機や連結器に悪影響を与えるため、一時は重連運用のローテーション管理を厳密に行い、CS25・CS29搭載車を別々にペアを構成するようにして不具合の回避を図ることを強いられた。
- ^ SはSeries=直列接続を示す。
- ^ PはParallel=並列接続の略で、つまりSPは直並列接続を示す。
- ^ コンパクトな構造の新型主幹制御器は続くEF66形で本格採用された。
- ^ 乗務員用の通風口は初期製造の0番台ではスカート部に設置されていたが、同時期に製造した500番台(P形)においてKE59・KE72ジャンパ栓や元空気溜管(MRP)などがスカート部に設置された際に位置的に通気口ダクトが干渉したため、移設を行ったことに由来する。これ以後に量産された本形式の他の区分番台車についても、これらの追加装備の有無にかかわらずこの設計が踏襲された。
- ^ 尾灯に取り付けられていた標識用円盤が不要になり、取り付けを考慮する必要がなくなったため。
- ^ 各車の台車に備えられた空気ばねやブレーキ装置への安定した空気圧供給を可能とする元空気溜管 (MRP)、カニ22形電源車のパンタグラフ昇降制御機能と車掌室との電話による通話機能、それにそれらのために必要となるKE59ジャンパ連結器(19芯コネクタ)の追加設置など。ただし、当時20系客車牽引に充てられていたEF58形の一部には搭載されていた電源車の発電装置に対する遠隔制御機能は省略された。
- ^ 1968年10月のダイヤ改正で寝台特急の最高速度が110 km/hへ引き上げられた際には、ブレーキ系への編成増圧装置と電磁自動空気ブレーキ用指令回路等の追加を実施している。
- ^ 釣り合い引き通し管(本務機と補機の2両の機関車の間で、通常は1両で完結する単独ブレーキを均衡動作させるための空気管)やKE70-6ジャンパ連結器(制御器の指令線を引き通すための55芯コネクタ)などを搭載して実現。
- ^ 10000系貨車連結対応としてブレーキ管 (BP) と元空気溜管 (MRP) を併設したもので、特に元空気溜管は10000系貨車の場合、空気ばねの空気圧供給源として必須の装備であった。なお、この連結器は本番台の後継となるEF66形基本番台にも採用されている。
- ^ 密着自動連結器は左右だけでなく上下にも首を振るようになっているが、自動連結器を装着した車両と連結する際は上下方向の首振りは不要である。そのためエアシリンダーにより上下方向の動きを固定する機構を備えていた。これは517号機まではカバーなしで復心装置がむき出しであったが、518号機以降はカバーが追加された。
- ^ 高速域でのブレーキの動作を改善するため、一定速度域以上でブレーキ圧を約 30 % 程度増圧する装置。後に20系客車が110 km/h運転対応のためにAS自動空気ブレーキに中継弁と電磁給排弁を付加してAREB増圧装置付き電磁中継併用自動空気ブレーキ搭載へ改修された際には、P形にも追加搭載されている。
- ^ 10000系貨車はCLE電磁自動空気ブレーキを装備することで100 km/h運転に対応した。この機構は運転台のKE14ブレーキ弁に電気接点を追加し、そこから信号線を引き通してKE72電気連結器(9芯コネクタ)経由で各車の電磁給排弁にブレーキ指令を伝達することで迅速なブレーキ弁の給排気を実現し、後部車のブレーキ動作遅れをなくし、応答性能を向上させるものである。こちらも20系客車のAREBブレーキ化に伴いP形にも追加され、使用されるようになった。
- ^ ただし実際には基本となったF形自体、上述のとおりP形相当の機能を備えており、実際にも寝台特急運用に充当される機会が少なからず存在した。1000番台については、後期形の一部が酷使で疲弊しきっていた500番台(P形)の代替用として製作され、客車列車牽引の機会が多かったことから、便宜上あるいは区分上、このように呼ばれているに過ぎない。
- ^ のちに前面窓には追加で取付けられたが、前照灯は未装着のままである。
- ^ カニ22形は重装備による過大重量が原因で入線可能線区や運転速度に制限があったことから電動発電機と集電装置を撤去する工事が1968年までに実施された。
- ^ 集中台車検査予備機として配置されていた501 - 504号機置き換え用である。
- ^ 重連総括制御機能は無効化されておらず、後に広域運用に備え汽笛カバーとスノープラウを追加装備した車両も存在する。
- ^ 従来のMT52Aから高速走行時のフラッシュオーバー対策として、電機子軸の直径を増大し軸の剛性を高めた。
- ^ 基本的に常用減圧促進改造非施行車が対象となったが、1065・1139号機のように一旦青プレートに換装後、改造施行により赤プレートに変更された機体もある。
- ^ ただし、同時期にJR貨物に売却された1119号機はこの時点では変更されていない
- ^ 大電流を遮断する遮断器や断流器の電流遮断時に発生するアークを安全に断ち切る箱または空隙のこと[32][33]。遮断時に接点で発生した高温・高エネルギーのアークを安全に冷却しアークを断ち切る(消弧という)ため、アークを誘導しそのアーク熱を効率的に冷やす金属板と耐熱性に優れた磁器やセラミックとで構成される。接点間で発生したアークは空気や磁気の力によりアークシュートまで別途、導かれる。
- ^ 更新工事未施工機においても一体圧延車輪に交換された機関車は存在する。
- ^ 貫通扉の交換は1000番台のみ。
- ^ 従来から使用されているフタル酸樹脂エナメル系塗料が4年程度であるのに対し、ハイテントップは10年近い耐候性を持っている。ただし、更新工事を施工されずに国鉄色を維持した機関車は従来通りフタル酸樹脂エナメル系塗料で塗装されている[35][36]。
- ^ 更新工事施工第一号となった506号機は床下機器グレー塗装の指示が出ていなかったため、従来と同様の黒色塗装で出場した。
- ^ 1000番台のみ。ただし、1008号機は更新工事施工後も切り抜きナンバーのままであった。
- ^ 1993年度に施工された1003・1004号機は台車枠の新製交換(川崎重工業製)を行っている。
- ^ 車軸装架方法を平軸受方式からコロ軸受方式に変更。
- ^ 1000番台で更新A工事を施工された機体は1002・1005・1007・1010・1032・1035・1037・1042・1046・1055号機である。
- ^ 広島車両所で施工された場合、大宮車両所で施工された車両に比べて、裾帯と上半分の青が僅かに明るい。
- ^ 3色更新色を纏って最後に出場したのは1066号機(2004年8月)、更新工事施工後から2色更新色を纏って初めてに出場したのは1074号機(2004年10月)。
- ^ 1033号機は2003年の全般検査で青色プレートに変更された。
- ^ 更新機であるため飾り帯部分がライトパープルで塗装されてしまっていた。
- ^ 「祝 EF65 2139 栄光のラストナンバー 国鉄特急色復活記念 平成28年4月28日 大宮車両所」と書かれていた看板がそばに置かれた[71]。
- ^ 内訳は、出場順に2117(2016年7月出場)・2050(2016年11月出場)・2127(2017年2月出場、塗色は広島更新色)・2057(2017年6月出場)・2060(2017年8月出場)・2063号機(2017年9月出場)。
- ^ 更新しない車両は従来のフタル酸を使用した[74]。
- ^ この塗料の利点は、光沢があり仕上がりが美しく、色見本に忠実で「ハイテントップ」よりも原色に近く、安価である[74]。
- ^ 採用された理由は、フタル酸よりも耐候性に優れ、実際に塗装する現場からも良好な評価を得たことや、塗装設備の塗料を統一したいとの思惑から[74]。
- ^ 内訳は、2061・2069・2075・2076・2093 - 2095・2138号機[77]。
- ^ その内2061・2069・2075・2094号機は、2022年初頭までに廃車された[77]。
- ^ 518 - 522・526の6両につらら切りを装備したが、518のみ1985年3月に大宮工場で行われた全般検査の際に撤去され、廃車までつらら切り非装備で使用されたがホイッスルカバーは残された。なお、518のつらら切りは他の機と比べてやや上方に装備されていた。
- ^ 518・522・525・532 - 534にスノープラウが取り付けられている。518号機のみ国鉄時代に一旦撤去されたが、高崎機関区に転属してから再取付された。
- ^ これは豪雪地帯を走行する上越線運用では致命的であった。
- ^ 元々寒冷地での運用を前提とした設計ではなかったことによるものである。
- ^ このような構造を片渡り構造と呼ぶ。これは暫定的な重連運用への充当であることや、東海道・山陽本線限定で運用する限りはほとんど方向転換が発生する機会がないことを前提として、コストダウンを重視して採用されたものであった。しかし、新鶴見機関区時代には山手貨物線・品鶴線・大崎支線のいずれかを経由する運用の組み合わせにより、所属機関車の方向転換が頻繁に発生していた。このため、この時期にも東北本線でごくわずかながら存在した重連運用では充当される2両の機関車の向きの管理に多大な労力を払う必要が生じた。これに対し、各車の方向によらず重連が可能な構造を両渡り構造と呼び、具体的には前面のスカートの左右に同じ結線のジャンパ連結器を実装して対処する。後述の1000番台PF形はこちらを採用しており、スカートの連結器両脇に同じKE70ジャンパ連結器が左右対称となる位置に搭載されている。
- ^ うち1往復は「明星」と併結運転。
- ^ この時期にはF形が重連運用に充当される可能性はなくなっており、重連に必要であったKE70ジャンパ連結器の回路撤去やBPとMRP以外の不使用ホース・配管類の省略が順次進められている。もっとも、EF66形とは異なり空気管付き密着自動連結器の撤去は行われていない。ただし、この時期に事故でスカート部を破損した522号機については並形自動連結器装備で修理され、不要となった連結器直上の復心装置も省略されるなど、基本番台車に近い仕様となっていた。
- ^ 2008年当時、「富士」「はやぶさ」の客車編成は12両と、牽引定数不足から機関車をEF66形に変更した1985年3月当時に比べて短くなっており、牽引定数に関する問題は考慮する必要がなかった。
- ^ 2006年10月までは同区間を含む北陸本線長浜以北が交流電化区間で有ったために乗り入れそのものが不可であった。2015年度春季および夏季に「特別なトワイライトエクスプレス」の下関発大阪行きが運転された際、山陽本線・東海道本線・湖西線・北陸本線を経由して敦賀駅乗り入れが実現した。
- ^ 米子支社向けレール輸送の場合、向日町操車場 - 米子操車場間のうち新見以南をEF65形、新見以北をDD51形重連(後藤総合車両所所属)が牽引していた。2014年以降、岡山以北をDD51形重連(後藤車)で牽引する形に改められている。
- ^ 貫通扉上部の青塗装は、特急色の塗り分けラインに合わせたものである。
- ^ 当時PF形の中で最も車齢を重ねていた1036号機がATS-PFを搭載していたために運用を継続したのに対し、PF形最終ロットであった1123・1129号機は、同保安装置を搭載していないために廃車となった。
- ^ 稲沢 - 幡生間での臨時貨物運用を岡山機関区の本形式が担当していたため、同区間での臨時運用は残っていた。なお、2008年3月ダイヤ改正でこの臨時貨物牽引機がEF66形に変更された。
- ^ JTBキャンブックス『全国保存鉄道II 保存車全リスト3700両』の「全国保存車両リスト」p.153(1994年8月31日時点)か、トラベルMOOK『EF65形メモリアル 登場から50年。高速直流電機の栄光の軌跡』の「資料 EF65形車歴簿」(2013年11月時点)に記載されたが、イカロスMOOK『国鉄&JR保存車大全 2015-2016 国鉄・JR車の全カテゴリー1340両を完全網羅』「保存車リスト」p.122には記載されず、これ以降のイカロス出版の保存車大全のリストに記載なしの車両。
出典
[編集]- ^ 『直流電気機関車 EF65 国鉄新性能電機の軌跡』p.30
- ^ a b 『直流電気機関車 EF65 国鉄新性能電機の軌跡』p.31
- ^ a b 平石大貴「EF65形電気機関車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2019年12月号、p.67
- ^ 『Rail Magazine』340、ネコ・パブリッシング、2011年、p.111
- ^ a b 『直流電気機関車 EF65 国鉄新性能電機の軌跡』p.39
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『直流電気機関車 EF65 国鉄新性能電機の軌跡』p.40
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参考文献
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- 仮屋昭典「西日本地区DD51の話題2014」『鉄道ファン』第55巻5号(通巻649号)、交友社、2015年5月、82 - 87頁。
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- 編集部「鉄道車両用塗料の話 JR貨物の場合」『鉄道ファン』第58巻6号(通巻686号)、交友社、2018年6月、92 - 95頁。
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- 編集部 「いま、最もメジャーな機関車EF65を見る」『レイルマガジン』第1巻5号 №5、ネコ・パブリッシング、1984年6月、16 - 19頁。
- 西村慶明 「けいめいのイラストノート (3)EF65Fのヴァリエーション」『レイルマガジン』第1巻5号 №5、ネコ・パブリッシング、1984年6月、20 - 21頁。
- 坂井智孝 「もっと知りたい! EF65 500」『レイルマガジン』第12巻3号 №138、ネコ・パブリッシング、1995年3月、24 - 29頁。
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関連項目
[編集]- 日本の電気機関車一覧
- 国鉄EF81形電気機関車 - 本形式をベースに、交直両用とした機関車。
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