Wikipedia‐ノート:削除の方針/ケースE「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」の文言修正
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2006年(履歴情報の追補 - non-notable - 削除の方針に該当するケースの明記 - 私人を理由とした削除依頼 - 削除理由の運用 - ケースB-1:著作権問題に関して - 転載を削除できる規定 - 削除の方針B-2の運用)
2007年(対象がケースBだが即時削除の対象にもなる場合 - ケースAの扱い - 著作権侵害の蓋然性が極めて高い場合 - 日本に深い関係を持たない人物のプライバシー - 削除対象にならないもの - 外国語で書かれた記事 - 実名表記の問題 - 30SEP2007実名記載条件緩和の提案 - 「初音ミク」のケースに関しての質問) - 2008年(B-2:プライバシー問題に関しての範囲について)
2009年(履歴不継承についての扱いの変更提案) - 2010年(「ケース B-2:プライバシー問題に関して」・実名記載に関して - 「特筆性・著名性」の「特筆性」について) - 2011年 - 2012年(「ケース B-2:プライバシー問題に関して」・死亡した犯罪者の実名記載の可否について) - 2013年(参加資格表記の改訂について) - 2014年(「記事」等の概念の文書上での調整)
2015年(削除依頼の意見募集の期間の延長を提案) - 2016年(ケースHおよびI(またはG-2およびH)新設の提案) - 2017年 - 2018年 - 2019年(芸能人の出身地記載について - ケースYの作成提案)
2020年(ケースE「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」の文言修正 - ケースB-2案件の変更を提案します - ケースB-2案件の文面の変更について - 学歴の削除は必要か) - 2021年 - 2022年(ケースGの改訂提案(機械翻訳) - 削除の方針策定提案2022年4月 - カテゴリを対象としたケースの追加の提案) - 2023 - 2024 (edit)
ケースE「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」の文言修正
[編集]ケースEの事由の一つである
- 「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」
という言い回しを
- 「ウィキペディアにおける独立記事作成の目安・特筆性を満たさない記事。」
に変更することを提案します。
一つ目の理由は、現在の文言に含まれる「著名性」という語は、一般的な意味での著名なのかどうかを示唆する表現で誤解を招きますのでこれを無くしたいと思います。この言葉は、2008年までWikipedia:独立記事作成の目安がWikipedia:著名性だった時代の名残りだと思いますが、現在の各種の特筆性関連文書(WP:N、および草案・プロジェクト名前空間含む分野別文書)でも「著名性」という語はもはや使われていません。「特筆性」という語も同種の問題を孕んでおり、この語の適否について議論にもなっていますが、現実として「特筆性」の方は各種文書で今でも使われておりますので今回の提案でこれを無くすことはしません。
もう一つの理由は、「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない...」という表現では、百科事典一般において扱うに値しないと断じているような誤解を生みます。純粋にウィキペディア(という一つのウェブサイト)では扱わないと判断しただけ、という点をもっと淡々と表現した方が良いと思います。ウィキペディアにおける独立記事作成の目安・特筆性が指し示すものの説明は、中途半端にここに書くよりもリンク先の説明に委ねる方がいいでしょう。
以上です。変更が成立したら、他のページで現在の文言を引いている箇所も同じように変更を行います。--Yapparina(会話) 2020年2月6日 (木) 20:15 (UTC)
- 賛成 「百科事典に記載するほどの」という言葉は記事対象ご本人が見たらやはり気を悪くされる可能性がある表現だと思うのです。「百科事典に記載するほどの」と言う表現は受け取り方によっては「この人物に価値はない」というニュアンスで受け止められることはないかというとありえますよね。記事対象ご本人が知らないところで勝手に記事を作られ、なおかつ「百科事典に記載するほどの著名性がない」から削除された履歴がググって出てきてしまうわけです。同じことを言うにしても表現に工夫はするべきでしょう。--ぱたごん(会話) 2020年2月7日 (金) 03:41 (UTC)
- 賛成 ウィキペディアでは一般的な百科事典より掲載基準がずっと緩く、一般的な百科事典としては特筆するに値しない項目(例:超一流というほどでもないスポーツ選手・芸能人・政治家、特定地域で有名な中小企業や店舗その他地域施設)でも記述が認められていること、一方でネットや一部界隈の噂話レベルでのみ有名な事物などは載せられない場合もあること、それらがWikipedia:独立記事作成の目安(特筆性)に集約されていることを踏まえて。「著名性・特筆性」に比べて意味がわかりにくくなってしまうのが欠点ですが、削除依頼はそんなに初心者が出すものでもないでしょうし。もしこの方針変更が原因で特筆性のない事物の記事があふれかえるなど何か不具合が発生した場合は修正もきくでしょう。--Muyo(会話) 2020年2月7日 (金) 04:20 (UTC)
- コメント ご提案の趣旨は理解できますが、本書が方針であるのに対しWikipedia:独立記事作成の目安はガイドラインであるという点が気になります。ご提案の構成ですと方針文書の一部をガイドライン文書に依存・権限委譲する形になり、言い換えるとWikipedia:独立記事作成の目安を事実上方針として扱うことになります。その位置付けが曖昧になるのではないでしょうか。この構成でいくならばWikipedia:独立記事作成の目安を方針に格上げする必要があると思います。もしくは、ケースEの定義自体はあくまで外のガイドライン文書に依らない書き方として、具体例や実運用上の話をガイドラインで示す構成にすべきかと思います(今まではまがりなりにもそうなっていたと思います)。--Yukida-R(会話) 2020年2月7日 (金) 15:36 (UTC)
- 個人的には、方針とガイドラインの差異にそんなにこだわらなくてもいいと思うんですけどね...。あまり実りの無い形式論だと思うんですが...。英語版とかどう書いてるのかなとチラ見してみましたが、今回提案と同じような書き方でした。"Articles whose subjects fail to meet the relevant notability guideline (WP:N, WP:GNG, WP:BIO, WP:MUSIC, WP:CORP, and so forth)"
- ム~~。
- この文書中にも、事由の箇条書きの後に「削除依頼のケースEを主張するに...」で始まる特筆性の説明が存在しており、特に「『特筆性がない』ことを示すためには、WP:FAILNに示されているような調査を行っても適切な情報源が見当たらなかったことを具体的に報告すべきです」の文は、特筆性とは何かを間接的ながらも定義づけているといえる。そのため、本提案のように変更したとしても、この文書自体もケースEの定義を持っているといえる。
- っていう感じで、その文書位置付け論は解決されるってことではダメでしょうか?
- 今の方が良いとおっしゃるならば、今の文言のまま「著名性」という語を外すという案を折衝案としてご提示しておきます。しかし、私は提案文の方がトータルで見て問題が少なく望ましいと思っています。--Yapparina(会話) 2020年2月8日 (土) 00:12 (UTC)
- コメント 運用する上では違いを意識する必要はそうないと思いますが、本来方針とガイドラインでは合意の強さ・範囲に違いがあるはずです。私としては形式を気にしているというよりは、本件に限らずルール組み立ての段階でその違いを見ないことにしてしまうと、将来的にどこかで矛盾が生じて困ることになるのではないか、という懸念からの意見です。「そんな問題は起きない、無視していい」という意見が大勢なら、絶対に反対とまでは申しません(しかしそれが大勢の意見となるなら、悪い方向へ向かっているな、という感覚は持ちます)。「現在の文から『著名性』を外す」というご提案については、特に問題は感じずコメントはありません。--Yukida-R(会話) 2020年2月8日 (土) 12:07 (UTC)
- <方針&ガイドライン>と、それ以外(草案・私論など)とのあいだには大きな違いはあると思います。が「方針とガイドラインとの差異にはそんなにこだわらなくていい」というのは同感です。
- WP:Nをガイドラインに昇格させてから5年ほど経ちます。通例ケースE案件ではWP:Nが参照されていて、「あっちは方針じゃないから云々」として有効性をめぐって紛糾したようなことはないのでは。なので、本件について「方針とガイドライン」の違いを気にする必要はさほどない、とは思います。
- WP:Nにはさらに細則的な分野別基準が別文書として付随していて、それらの中には草案、私論、JAWPでは正式に採用されていないもの(外国語版へのリンク)などが混在していますので、そこらへんは要注意ではあるとは思います。
- まあそういうのは本文書に限らず、他の方針・ガイドライン類でも、現実社会でも多々あります。抽象的な根本理念から、分野ごとの施行細則のようなものまでを同一文書とするのは、いかにもハンドリングが悪いし現実的でない。WikipediaはBUROではなく、ここらへんを突き詰めようとしたり形式・整合性に過度にこだわるのは生産的でない(手間に見合わない)、てところじゃないでしょうか。--柒月例祭(会話) 2020年2月8日 (土) 01:23 (UTC)
- 反対 山田の理解では、方針とガイドラインは根本的に違うものです。Wikipediaが目指すのは百科事典であり、それを変える必要があるのでしょうか?この提案は、憲法の中に個別法への言及を入れるようなもので本末転倒です。もし本気でやるなら、「Wikipedia:独立記事作成の目安」の方針への昇格を先に提案して実現すべきでしょう。--山田晴通(会話) 2020年2月8日 (土) 01:54 (UTC)
- 山田さんが「方針とガイドラインは根本的に違う」とお考えになることは否定しません。格付けが違う文書を紐つけることへの異論は、まあわかります。ですが、現実論としては本件に限らずWikipedia内で多数みられることです。たとえばWP:Vは「方針」、WP:RS・WP:CITEは「ガイドライン」です。ですが両者は緊密に結びついていて、WP:Vの理念を実現するための具体的手段としてRSやCITEが示されています。方針文書は方針文書以外を一切参照するな、となると、ちょっとBUROすぎるかなーとも思います。また「憲法と個別法」という比喩はちょっと違うと感じます。「Wikipedia:方針とガイドライン」の上には基本原則たるWikipedia:五本の柱があり、それが「ウィキペディア憲法」に値するものでは(その上には「ウィキメディア原理」がある)。「法律」と「施行規則/細則」ぐらいの関係じゃないでしょうかねえ。--柒月例祭(会話) 2020年2月8日 (土) 03:20 (UTC)
- 賛成 私も今の表現では誤解を生むなとうすうす思っていましたが、ではどういう文体にすればいいのかと言われたときにそれが思いつかなかったため、提案しておりませんでした。よってYapparinaさんに感謝するとともにYapparinaさんの意見に賛成いたします。
- 方針とガイドラインの違いについて上で議論がされていますが、ガイドラインは強制することが出来ません。ですから事柄(Aとする)を強制させるにはAの書いてあるガイドラインを方針に格上げするか、Aを別の方針となっているものに書くことが必要となる、という考え方が出来ます。 おそらく ここから山田晴通さんの「「Wikipedia:独立記事作成の目安」の方針への昇格を先に提案して実現すべき」という考えが生まれたものと思います。しかし、そもそも強制させる必要があるでしょうか。特筆性とは場合に応じて微妙に変化してしまいますし、臨機応変に対応できるようにするにはWP:GUIDESにある「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかま」わない、というほうがぴったりかと思います。そして、この特筆性というものをWP:DPに当てはめるとき、そこにWP:NNと同じことをもう一度書くと、それは方針に書いてある⇒強制されなければならないという解釈でとらえられてもおかしくありません。ですから、WP:DPにはWP:NNへのリンクのみを張っておき、特筆性に関しての事柄の説明はガイドライン文書であるWP:NNに任せることで特筆性はガイドラインだが削除の方針は方針であるといったような使い分け方ができるのではないでしょうか。
- まとめ まとめると私は特筆性は方針化する必要がないと考えました。そしてWP:DPにはWP:NNへのリンクのみを張っておき、方針にする必要のあるものはWP:DPに、ガイドラインでよいものはWP:NNに書くことで使い分けたらいいのでは、というのが私の意見です。
- メモ 「Wikipediaが目指すのは百科事典であり、それを変える必要があるのでしょうか?」という山田晴通さんの意見について。柒月例祭さんのおっしゃる通り百科事典とウィキペディアには多少の相違がありますし、ウィキペディアと百科事典が同じであるからにはどちらを書いても同じ意味になるはずです。それならばウィキペディアと書いた方がより具体的でいいのではないでしょうか。--Tmv(会話|投稿記録) 2020年2月8日 (土) 07:27 (UTC)
- まとめ まとめると私は特筆性は方針化する必要がないと考えました。そしてWP:DPにはWP:NNへのリンクのみを張っておき、方針にする必要のあるものはWP:DPに、ガイドラインでよいものはWP:NNに書くことで使い分けたらいいのでは、というのが私の意見です。
- 方針とガイドラインの違いについて上で議論がされていますが、ガイドラインは強制することが出来ません。ですから事柄(Aとする)を強制させるにはAの書いてあるガイドラインを方針に格上げするか、Aを別の方針となっているものに書くことが必要となる、という考え方が出来ます。 おそらく ここから山田晴通さんの「「Wikipedia:独立記事作成の目安」の方針への昇格を先に提案して実現すべき」という考えが生まれたものと思います。しかし、そもそも強制させる必要があるでしょうか。特筆性とは場合に応じて微妙に変化してしまいますし、臨機応変に対応できるようにするにはWP:GUIDESにある「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかま」わない、というほうがぴったりかと思います。そして、この特筆性というものをWP:DPに当てはめるとき、そこにWP:NNと同じことをもう一度書くと、それは方針に書いてある⇒強制されなければならないという解釈でとらえられてもおかしくありません。ですから、WP:DPにはWP:NNへのリンクのみを張っておき、特筆性に関しての事柄の説明はガイドライン文書であるWP:NNに任せることで特筆性はガイドラインだが削除の方針は方針であるといったような使い分け方ができるのではないでしょうか。
- 細かい点ですが、「独立記事作成の目安・特筆性」という表現だと、目安と特筆性を別のものとして併記してあるようにも見えますが、そういう解釈をされにくくするために、「独立記事作成の目安(特筆性)」の方がいいのではないでしょうか。 --2001:240:2416:3D3E:CD17:C330:E7B2:4AD4 2020年2月10日 (月) 07:50 (UTC)
- 山田晴通さんが、方針とガイドラインとでの違いを根拠に反対なさっているのを見て、私はどうしてこの人は私のことを「為にする議論、愉快犯、法律家ごっこ」などとののしったのだろうと頭をかしげてしまいます。さて、日本国憲法でも「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とか「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」といった法律への委譲がされています。そしてこれらの法律には政令や省令、さらには告示へと細かなことが委譲されています。柒月例祭さんがおっしゃっていますが、これらは、(「憲法」と)「法律」と「施行規則/細則」でしかなく、Wikipedia:削除の方針(法律)に真っ向から反するWikipedia:独立記事作成の目安(政令・省令)であればこれは正していかなくてはなりません(これこそ私が竹島 (島根県)を改名すべきだと考えた理由であります)が、今のところ、そういう方向からの反論はないようです。細かい点ですが、上記匿名利用者の意見に賛成します。 片割れ靴下(会話) 2020年2月10日 (月) 14:55 (UTC)
- つまり、高々ウィキペディアの方針ごときで傷つく人がいるのであれば、解釈を変えないように文言を変更することは歓迎されることだということです。かつては痴呆病と言われていた病気は認知症と言われてきましたし、障害だって障がいと言い直されてきています。それなのに、『高々』ウィキペディアの方針でなぜ、人が傷つかなくてはならないのでしょうか? 片割れ靴下(会話) 2020年2月10日 (月) 15:03 (UTC)
- (中間まとめ)一旦まとめると、ご意見の趨勢は以下のような感じでしょうか。
- 賛成:Yapparina(提案者)、ぱたごんさん、Muyoさん、柒月例祭さん、Tmvさん
- 反対:山田晴通さん
- 反対寄りコメント:Yukida-Rさん
- 賛成寄りコメント:片割れ靴下さん
- コメント:2001:240:2416:3D3E:CD17:C330:E7B2:4AD4さん
- 引き続きご意見をよろしくお願いします。--Yapparina(会話) 2020年2月14日 (金) 09:29 (UTC)
- 反対 僭越ではございますが、これまでの意見とは別の観点からコメント申し上げます。
- そもそも「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」(あえて内部リンクをはずしています)と「ウィキペディアにおける独立記事作成の目安・特筆性を満たさない記事。」では全く意味が異なります。独立記事作成の目安を満たさないからといってウィキペディア内に記載できないとは限らず、何か別の記事に統合してそこで言及しておき、記事は削除することなくリダイレクトとして存続させられる場合がほとんどです。「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」という文言であれば、他の記事に統合するまでもない、ウィキペディア内に記載するような情報ではないということになり、削除依頼の敷居が高くなると考えます。
- なお、英語の「Notability」は「記述する条件を満たしていて記述できるか」と「記述するに値するか」の2つの意味合いを含むように感じられます。そうすると、前者は「著名性=信頼できる情報源における第三者言及の有無」、後者は「特筆性」という解釈ができます。また、特筆性はあっても著名性(信頼できる情報源からの第三者言及)がないという場合もあります(例えば業界内で知る人ぞ知るという人物であっても、あえて表舞台に立たないようにしているケース)。そのため著名性と特筆性は併記されるべきと考えますが、著名性という言葉を別の表現に置き換えるということは検討されてよいと思います。
- また、「Wikipedia:削除の方針#削除対象にならないもの」に「他のページへのリダイレクトにできるようなページ」が挙げられているため一定の抑えになっていると思いますが、ご提案の文言ですと「独立記事作成の目安を満たさなければ削除してよい」という「誤解」にお墨付きを与えかねないと考えられます。大変恐縮ながら、今回は反対とさせていただきたい次第です……。--Assemblykinematics(会話) 2020年2月16日 (日) 00:56 (UTC)
- 「……を満たさない記事」の部分を「……を満たさず他記事への統合もしえない記事」に変えたとしたらいかがですか? 統合・リダイレクトの可能性が見落とされるという点については、今回の提案と独立して検討した方がよさそうにも思いますが。 --2001:240:241B:36C4:11E:9DF4:B2E:77D9 2020年2月21日 (金) 08:29 (UTC)
- 安易な手ですが先頭に「削除対象にならないもの」を移動するのもありではないかと考えます。最後に例外ケースを並べるのではなく、標準ケースとして最初に削除対象から外れるようにするだけでも安易な依頼は軽減されそうです。--Open-box(会話) 2020年3月1日 (日) 17:50 (UTC)
- コメント - 基本的には、どちらでも良いのではないかというのが私の正直な感覚です。
- 百科事典を作っているのだから、百科事典に収載するほどの事項ではないとして「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」という文言を用いても大きな問題を感じません。
- ただ、ここはWikipediaですから、Wikipediaの説明をしている文章の1つと考えて「ウィキペディアにおける独立記事作成の目安・特筆性を満たさない記事。」としても良いでしょう。
- というわけで、賛成数の多い方に、私の票を加えていただいて構いません。つまり、今回の御提案につきまして、どちらにするかは、皆様に委任致します。
- なお、個人的な希望を申し上げますと、新しいページを見ると日本人の人物の記事の増加が目立ち、Wikipedia日本語版は紳士録に近付きつつあるように見えるのと、酷い場合には「売名」と疑われる記事まで作成されているように見えますので、存命人物については、作成基準を厳しくする文言を盛り込んでいただけると、百科事典らしくなるように思えます。もはやWikipedia:特筆性 (人物)があるだけでは不充分で、Wikipedia:独立記事作成の目安にも何らかの言及が欲しいところです。今回修正提案がなされた文言に、何らかの形で盛り込むことも1つの方法と思いましたので、最後に付言させていただきました。--G-Sounds(会話) 2020年2月27日 (木) 19:58 (UTC)
- コメントリンク先をWP:FAILNにするか、「……を満たすことができず、他記事への統合もしえない記事」(Assemblykinematicsさんの指摘および「誠実な調査」なしの削除を防ぐ)にするか、でどうでしょう。--Ks aka 98(会話) 2020年2月28日 (金) 05:12 (UTC)
- G-Soundsさんが懸念されているように人物記事については紳士録化の危険性はあるのですが、これは売名行為に過剰反応して問題が無い「名鑑」レベルを削除する一方で売名行為である「紳士録」的な人物を残してしまうところに原因があると考えます。売名に結びつきやすい芸能・スポーツを中心に過剰反応が見られ、政治家は地方政治家に過剰反応が見られるもののそれなりに機能する一方で、経済界等に関しては作成された記事の検証が手薄です。ここで必要なのは検討・対処であって、基準値に手を入れることではありません。対処どころか検討の放置に対して基準引き上げでは、荒らしに武器を与えるだけです。あえて制限を入れるなら「記事の作成権限」でしょうか。--Open-box(会話) 2020年3月1日 (日) 17:50 (UTC)
- 最初にこれは認識していただきたいのですが、この提案は「表現」の改訂のつもりであっても大きな変更をもたらします。この改訂案を適用すると、「認めないから削除」が難しくなる代わりに「前例」への依存度が増し、「分野毎の「独立記事作成の目安」書き換えてきたから削除/存続」が発生するケースが増えます。
- 「百科事典に記載するほど」は修正すべきです。こと日本語版に限れば「百科事典」という表現は悪用が可能です。「encyclopedia」は百科事典とは限らず、数々の分野の専門事典をも指しますし、Wikipediaの方向性は「各分野の専門事典」の集合体に寄っていますが、他方で「百科事典的ではない」としてお堅くない分野やマイナーな主題に対する攻撃が行われています。実際には明らかに専門分野の辞典よりは高い基準で運用されており、あくまで「日本語版ウィキペディアの都合」であることが判る形式に書き換えるべきです。よって「ウィキペディアにおける」とすることは妥当と考えます。ただしいかなる文言であっても、罵倒・嘲弄したり、気取ったり、選定者として振る舞い支配欲を満たすための口実であってはなりません。
- 次いで「著名性・特筆性」の修正は必須と考えます。この記述が残っているがために「著名性優先」「特筆大書」といった誤解は後をたちませんし、削除依頼における暴言や個人的な基準での重要度判断による依頼がみられます。つまり原案で「特筆性」が残っていることは問題です。「特筆性」は解消中の古い表現という扱いにすべきであって、問題のある既得権を強化する方向性は与えるべきではありません。この表現を残す限り、今と同じ問題は続きます。
- 一方、これを置き換える「独立記事作成の目安・特筆性を満たさない」という記述には疑問が残ります。既に述べたように「特筆性」は不要ですが、「独立記事作成の目安」を本文に直接組み込むのも違うと考えます。目指すところは、日本語版の基準に適合するかどうかで、基準を超えた判断も必要になるので「独立記事作成の目安」がガイドラインであることは問題とは考えませんが、文章として違和感が強く残ります。
- 本質的にWikipediaで削除されるべき記事は「有効な出典が得られないために記事として構成できない主題」です。しかし、日本語版では著名性・特筆性がその上に立っています。そしてこれは、「客観的理由を超越して記事の存在を認めない」という主張を許容しています。これは、中立的な観点とはかけ離れています。もはやこの様な主張は許容すべきではありません。真に著名性・特筆性がないのであれば、「有意な扱い」がなされている出典は得られないはずです。「有意な扱い」がされている上で更なる制限を課しているなら、それは著名性・特筆性ではなく慣習や「日本語版ウィキペディア」の特殊事情の問題です。これは、「独立記事作成の目安」ではカバーできませんし(「独立記事作成の目安」そのものはかなり緩い基準です)、「第三者」を果てしなく広げる原因にもなるのでするべきでもありません。
- 分野毎の「独立記事作成の目安」で異常に高い基準を設けて正当化を図るケースもあるので、その意味でも本文に記載すべきではありません。削除するために分野毎の「独立記事作成の目安」に手を入れる行為が多発するでしょうし、理論的には逆のケースも考えられます。
- 「独立記事作成の目安」の意味するところを考慮するならば、「ウィキペディアにおける有意な扱いが確認されていない」ぐらいになると考えます。あくまで「確認」ですから、有意な扱いがされている有効な出典が得られれば「確認が完了」するわけです。そしてその「有意な扱い」とは何かという理解を助けるのが「独立記事作成の目安」以下の各文書でしょう。なお日本語版では「言及」に限定されていますが、これも悪用を招く表現なので解消が必要です。「言及」は第三者による有意な取り扱いではあるのですが、有意に取り扱われていることより文章形式になっていることが上位に来るのは本末転倒です。実際の審議の場では「実態」+「言及」の総和を見ることができているので、無茶な依頼は必ずしも通らないのですが、削除主義者に紛れる削除を目的とする荒らし(利用者:123front等)に翻弄されることも少なくありません。ですから、この点は明文化しなければダメ元の依頼は発生すると思われます。
- 加えて、一覧を初めとするサブページの扱いにも問題が生じていまして、「日本語版で独自に作成されたサブページ」の削除に乱用されています。こちらは、サブページのガイドラインを作るべきであって「独立記事作成の目安」で対処するのは違う気がします。
- 結論としては、無理に一行に収めたり「独立記事作成の目安」をいきなり持ち出すのではなく複数行使って丁寧に説明を行った方が有効に機能するであろうと考えるのです。--Open-box(会話) 2020年3月1日 (日) 17:50 (UTC)
- どうもみなさんご意見ありがとうございました。提案の改定で合意が得られる見通しはなさそうなので、提案者としては今回の改定は見送りで終わりたいと思います。提出された反対意見も多様なので、落としどころ的な案を作るのも難しそうです。--Yapparina(会話) 2020年3月8日 (日) 13:50 (UTC)