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Wikipedia‐ノート:削除の方針/2007年

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プライバシー問題に関して

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B-2項に関する節がたくさんある(真上にも^^;)ところ申し訳ないのですが、疑問に思ったことがありますのでお尋ねします。犯罪の被疑者名または被告名または元被告名が削除の対象となっており、この理念には疑義はまったくないのですが、被疑者の名前が事件名になっている場合というのはどうなのでしょうか?これこれなど。この呼び名が一般的であることは疑いようがないことですが、削除の方針を忠実に読めば引っかかる気がするのですがどうでしょう。項目名だけでなく、これら項目中での被疑者名の扱いも気になります。上記2事件では「どうせ記事名でわかっちゃうんだから」という感じで実名フルネームで記載されています。一方これなんかを見ますと、事件名を見れば被疑者の姓は容易に推察できますが(本当にそうなのか実は私は知らないのですが)、あくまで「男性」で統一されています。このあたりの取り扱いについて、今一般的になっている議論はどんなものなのかと思いまして、書き込ませていただきます。--しゃっふる。 2007年1月10日 (水) 18:42 (UTC)

確定して久しい「昔の事件名」は仕方がないのではないでしょうか。--miya 2007年1月24日 (水) 08:02 (UTC)

虚構記事について

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質問します。Wikipedia:削除の方針虚構記事(過去の例だと宇治日記昭府公国など)を削除対象であると明言していないところが気になります。辛うじて「ケース E: 百科事典的でない記事」に該当しそうだな、ぐらいのことしか分かりません。また、Wikipedia:荒らしを見ても悪ふざけの節に「冗談記事」と書いてありますが、これと「虚構記事」が同一のものなのか、ニュアンスが異なるようにも思えます。私にとっては虚構記事の作成はWikipediaの根幹を揺るがす大悪事に見え、虚構記事の作成者には無期限ブロックが相当だと考えるほど許せないことだと思うのですが、明記していないということはWikipediaは虚構記事の作成についてそれほど重く考えていないのでしょうか。--春野秋葉 2007年1月23日 (火) 19:42 (UTC)

扱いとしてはケースDでもいいように思います。ブロック相当かどうかは別として、重く考えていないというよりは、論外としているという気がしますが。ひょっとすると、ユーモアがまぎれこむ余地を残したいのかもしれません。明文化してもいいと思いますよ。--Ks aka 98 2007年1月23日 (火) 20:34 (UTC)
これに関してはen:Wikipedia:Hoaxesが参考になるかもしれません。--miya 2007年1月24日 (水) 08:02 (UTC)

当該ノート等で削除の合意を得たもの

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Wikipedia:削除依頼/LSD (薬物)およびWikipedia:削除の復帰依頼#LSD (薬物) - ノート(過去の版)で、私があばれてしまったので、改めて一般論として提案します。「ノート等(この場合はノート:LSD (薬物)#項目の削除について)で削除についての合意を得たこと」を理由に削除依頼を提出できることを、明記したほうがよいのではないでしょうか。--Tamago915 2007年1月24日 (水) 00:09 (UTC)

Fじゃだめなんすか? ノートで合意を得られるほど明確な理由があるのならば、それを書いて頂くということで。--Ks aka 98 2007年1月24日 (水) 03:30 (UTC)
現状Fで対応しているわけですが、Fはどのような案件にも適用できますので、範囲が広すぎるように感じます。Fの1項目に、「当該記事のノート等で削除の合意を得たもの」というのを追加しておくのでもよいと思います。--Tamago915 2007年1月24日 (水) 03:55 (UTC)
明記する場合、合意を得たもの、と記載すると、記事ノートでの合意を理由に削除することになってしまいます。それは違うと思うのです。つまり、ノートでの合意は、削除依頼提出についての合意に過ぎず、合意内容が適切かどうかを削除依頼提出後の審議で検討し、結論を出すというステップが必要で、ノートでの合意ではなく、合意したその理由が、削除の理由になると考えます。いかがでしょう。--Ks aka 98 2007年1月24日 (水) 05:08 (UTC)

回答が遅れました。削除依頼の手続きを踏む必要があるので、Ks aka 98さんの説明どおりになるのだと思います。ただ、現状ではそのような運用がなされておらず、ノートで削除の合意を得るにも「削除の方針にない理由だから」という理由で合意に至らない、あるいは提案さえ出ない状態になっているのではないでしょうか。Wikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非についてにつながるのですが、そういった記事が別の名称に移動され、本来の名称の記事から履歴が見えない状態に隔離されるということも発生しているようです。「削除の方針にない理由でも、ノートなどで合意を取って削除依頼に出してよい(が、削除されるとは限らない)」という形になればと考えています。--Tamago915 2007年1月28日 (日) 13:34 (UTC)

簡単に、ですが。まず、Fでの提出については、明確な理由さえ提示されていれば、ノートでの合意もなく、削除依頼に提出することは可能だと思います。ノートでの合意は、削除依頼提出についても、対処としての削除についても要件ではなくて、削除審議の過程でその理由が妥当であるとコミュニティに判断されたら管理者は削除する、と。むしろ、安易にFで削除されることがないように、という議論も以前にはあったかと思います。ただ、再加筆する意志があるかどうか、削除される部分の執筆者の同意があるかどうか、というようなことが、審議する上で考慮される場合もあるのではないか、と思います。提示されているコメント依頼についてはじゅうじゅう承知してますが、明確な著作権侵害のおそれがないのに削除できるようにすることと、少なくとも移動記録から(サブページ化案というのもでていますが)以前の文章を手繰れる状態にあるのと、どちらが閲覧者、古い版の執筆者、新規執筆者、それぞれにとってよいことなのかは、検討の余地があると思っています。--Ks aka 98 2007年1月29日 (月) 17:33 (UTC)

ケースFについて

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現在、「投稿者本人から依頼がある場合。」と「削除が妥当だと思われる場合。」の二つが同居していますが、「投稿者本人から依頼がある場合。」を独立させませんか? 即時削除が適用できない場合に使用されると思われますが、これとあくまで列挙されているケースに当てはまらない場合を同列に扱うことは、そろそろ改めるべきと考えます。改定案を考えてみましたが、いかがでしょうか。--open-box 2007年3月18日 (日) 13:50 (UTC)

現行

=== ケース F: その他の問題がある場合 ===

  • 投稿者本人から依頼がある場合。投稿者本人が削除依頼し、かつ、他の参加者から反対がないようであれば、削除できます。本人が該当する項目に{{即時削除}}を貼った場合は、Wikipedia:即時削除で対応可能です。
  • 削除が妥当だと思われる場合。削除すべき理由をしっかりと述べて下さい。後述の「削除対象にならないもの」に含まれていないことを確かめておいて下さい。

改定案

=== ケース F: 投稿者本人から依頼がある場合 ===

  • 投稿者本人から依頼がある場合。投稿者本人が削除依頼し、かつ、他の参加者から反対がないようであれば、削除できます。本人が該当する項目に{{即時削除}}を貼った場合は、Wikipedia:即時削除で対応可能です。

=== ケース Z: その他の問題がある場合 ===

  • 削除が妥当だと思われる場合。削除すべき理由をしっかりと述べて下さい。後述の「削除対象にならないもの」に含まれていないことを確かめておいて下さい。

早期削除希望

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規定の認識における錯誤や事実誤認による提案などを理由に提案者が取り下げを申し出たものについては、1週間を待たず管理者が「存続」で終了を判定することがあります。取り下げを申し出たものでも、管理者が終了と判定しないものについては、議論が続行しています。

となっていますが、提案者が提案を取り下げたのに管理者による存続判定がされていないものや、削除コメントが多数出た後で明らかに議論が進行してないのに管理者が削除しないものが多数見受けられます。著作権侵害で削除依頼が出ているものなら、なおさら早急な管理者の判断を望みます。--Blueroses5327 2007年4月12日 (木) 14:52 (UTC)

最大かつ根本的な理由は手が足りていないことで、個人的には作業時間がとれるときは、「先週」のログからできるだけこぼれないように、長期案件である程度判断が容易なものを古いものから順に、というつもりで進めていますが、昨年末から今年にかけては、作業も目も行きわたっていない状態です。なかには、自ら賛否を投じているものもありますし。ログを見て、票が一方に集まっているものや、権利侵害など早期対処が求められるものについてはWikipedia:管理者伝言板/削除あたりへご報告頂けると、多少対処が早まると思います。再執筆意欲に溢れているなど、特定の項目について早期対処が求められるならば、削除対処を行っている管理者の会話ページやIRCほかで連絡することも有効かもしれません。申し訳ないですが、そんなところです。--Ks aka 98 2007年4月12日 (木) 15:10 (UTC)
身も蓋もないことを言いますと『ややこしい』依頼は後回しにされる傾向があります。 -- NiKe 2007年4月13日 (金) 17:02 (UTC)

削除依頼から終了の判定までの期間の延長の提案

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「終了の判定までに削除依頼から最低1週間かけるのが原則」と有りますが、これだと気が付かないうちに削除されてしまう事が多く問題です。現に私の使用しているユーザーボックスのカテゴリーがいつの間にか削除されたことがあり、削除された後に気が付きました。緊急を要するものを除き、せめて議論期間を一ヶ月に延長してもらえないでしょうか?--とろろ 2007年5月30日 (水) 10:15 (UTC)

一週間をすぎても尚終了していない依頼もありますからねぇ・・・伸ばしてしまうと余計に放置案件が増えそうな気がします。--突撃ひとり 2007年5月30日 (水) 10:19 (UTC)
私はむしろ、英語版などのように期間を短縮する方向へ向かうべきだと考えています。ご提案には反対です。Umagurui さんのおっしゃるような問題もありますしね。--Aphaia 2007年5月30日 (水) 12:05 (UTC)
「緊急に対処する必要性がある場合には、削除依頼のページで削除期間短縮を提案できます。」とあるのだから緊急を要しないカテゴリやユーザーボックス等は時間をかけても良いと思いますけどね。--とろろ 2007年5月30日 (水) 12:21 (UTC)

カテゴリ&ユーザーボックス用の削除依頼を別にする、という手もありますね。特に緊急性のあるものはCategory:緊急案件を貼れば良いのですし。英語版のシステムも参考になると思います。

ここまで細分化すべきかどうかはともかく、カテゴリやテンプレートの削除依頼を従来の削除依頼から分離するのは悪くないと思います。--miya 2007年5月31日 (木) 01:58 (UTC)

言語間リンクの削除の方針について

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Wikipedia:削除依頼/女子高生コンクリート詰め殺人事件20070503において、言語間リンク先の英語版の記事に被害者の実名が記載されている(正確にはリンク先記事が被害者の実名を記事名とするものである)という理由で、日本語版記事の言語間リンクが追加された版以降が特定版削除されました。この事件自体は大変痛ましい事件であり、被害者の実名が明らかにならないような配慮は必要でしょう。しかし、話をより一般に広げると、リンク先の他言語版の記事の中に、その言語版では問題がなくても、日本語版の削除の方針上は問題となる記述がある例は、本件の他にも多数あるのではないかと思います(例えば、一般に英語版では実名の記載の基準が日本語版よりも緩やかなようですし、日本語版では著作権肖像権上の問題がある画像が英語版ではフェアユース等を理由に掲載されている例などは無数にあるはずです。)。そうすると、今回の削除は、言語間リンクの削除について、以下のような問題を提起するものだと考えられます。

仮に、日本語版の削除の方針に照らして問題のある他言語版記事への言語間リンクをすべて削除の対象とする場合には、言語間リンクを貼る際に全てのリンク先に問題がないことを確認したり、対応する外国語版の更新を常時監視したりするための大きな負担が生じることになります。また、すでに言語間リンクが貼られている他言語版の記事で、事後的に問題が起きた(または発見された)場合には、日本語版を古い版までさかのぼって削除する必要が生じ、編集の成果が大幅に損なわれる可能性もあります。例えば、(1) 他言語版の記事に言語間リンクを貼る(通常は初版作成時などの早い時期に行われるでしょう)、(2) 他国語版記事に日本語版の削除の方針上問題がある記載が追加される、(3) 他言語版版記事の問題の記載に気付き削除依頼を提出、という時系列を想定すると、他言語版記事で問題が起きたのは(2)の時点ですが、日本語版の(2)以降の版を特定版削除したとしても、(1)から(2)の間の版に言語間リンクが残るので、執筆した時点では何ら問題がなかった(1)の時点までの削除が必要になります。言語間リンクを貼ることによって、このような重い負担とリスクが生じることになれば、記事中に言語間リンクを設けること自体をディスエンカレッジすることにもつながりかねません。このような観点から、どのような場合に言語間リンクの削除という措置を講じるべきかについての検討が必要ではないでしょうか。

そして、仮に、日本語版の削除の方針に照らして問題のある他言語版記事へのリンクをすべて削除の対象とするのではなく、今回の削除のような一定の場合のみに削除の対象とするべきであるとの方針を取るのであれば、Wikipedia:削除の方針において削除するかしないかの線引きを明確にしておく必要があるのではないかと思います。 --Metatron 2007年5月31日 (木) 13:23 (UTC)

チェックから漏れていましたが、Wikipedia:削除依頼/宇治学習塾小6女児殺害事件で、同趣旨の削除依頼が提出されています。また、Wikipedia:削除依頼/久夛良木健とそのノートページ、画像Wikipedia:削除依頼/坂井泉水においては、ウィキメディア・コモンズからの肖像写真が掲載されるとともに、同じ写真を掲載した英語版への言語間リンクが設けられた記事について、画像(へのリンク)を削除することが望ましいとの結論に至っています(実際には坂井泉水の写真へのリンクは削除され、久夛良木健の写真へのリンクは削除されていないようです。)。言語間リンクについては言及がないので、議論の対象として意識されていたのかどうか不明ですが、結果的には現状では残されたままになっています。 --Metatron 2007年6月16日 (土) 00:53 (UTC)
Metatron さんは、データベースから削除 (delete) しなければならないケース(本方針の対象)と、編集による除去 (remove) でよいケース(本方針とは無関係)を、ごちゃ混ぜに論じておられませんか。前者に絞って論じますと、結局のところ、書いてはまずい実名が(言語間リンクとして)加筆されたので特定版削除が必要となっている場合がすべてではないでしょうか。それはすでにケース B-2 がカバーしていますよね。
単に内容が不適切な他言語版へのリンクは、他プロジェクトのこととして黙殺するか、せいぜい編集で除去するのが望ましいとされたのであって、データベースから削除(特定版削除)しなければならないものではないでしょう。 --Kanjy 2007年6月17日 (日) 14:40 (UTC)
ご指摘ありがとうございます。削除依頼の中で英語版の削除といった議論が出ていたので、英語版記事自体の問題と混同してしまったようです。日本語版記事内に記載された言語間リンクの記事名だけが問題とされていて、言語間リンク先の他言語版の記事の内容が日本語版記事の削除の理由となっていないのであれば、何ら問題はないですね。 --Metatron 2007年6月17日 (日) 15:15 (UTC)

証人喚問された人物の扱いについて

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証人喚問された人物の記述を個人情報として削除する対象から取り除くことを提案いたします。

証人喚問という行為は「国政調査権」に基づき行われており、個人のプライバシーを侵害する行為ではありません。 また、国会の情報の開示は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」によって認められており公共の電波による国会中継や新聞などのマスメディアでの公開は当たり前のことです。これは裁判の法廷におきましてはそれをテレビ放映することはできず、不特定多数に公開することは認められていないという事とは一線を画します。

従いまして証人喚問を受けた人物のプライバシーの扱いは議員・政治家のそれと同様にするべきと考えます。--婆娑羅 2007年6月30日 (土) 13:55 (UTC)

証人喚問を受けた人物が「積極的に実名を用いて活動している」のなら良いでしょうが、そうでない人物まで含めてプライバシーを開示すべきとは思えません。--Bellcricket 2007年6月30日 (土) 23:42 (UTC)
ある程度、対象を限定する効果はあるのかな、と思いますが、証人喚問は強制的になされるもので、証人が積極的に進んで行うという趣旨のものではありませんから、それを基準にプライバシーの保護を外すのはおかしいように思います。憲法上、公開が原則とされている裁判であっても、その内容はプライバシーの対象となりうるものですから、法令上公開とされているかどうかは、残念ながら、あまり大きな根拠にはならないと思います。--磯多申紋 2007年7月1日 (日) 02:11 (UTC)
それはどのような判例がありますか?要は公開することで何か実害があるのかを訊いているのです。--婆娑羅 2007年7月1日 (日) 14:46 (UTC)
プライバシーの権利というのは、基本的に対象者の人格的権利ですから、実害もその侵害、ということになるでしょう。証人喚問とプライバシーに関する判例というのはまだ出ていないと思います。--磯多申紋 2007年7月3日 (火) 15:51 (UTC)

翻訳投稿に関する質問

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ここじゃなく、翻訳か引用の方がふさわしいかもしれませんが、とりあえず質問します。たとえばシェークスピアのソネットなり、李白の漢詩なりの翻訳を研究者の著作から引用したとします。その際、誰のどの本からの持ってきたか書いていない場合、その版は削除になるのでしょうか。それとも後から著者・書名・頁数などを追加するといった編集対応で十分なのでしょうか。--219.98.3.222 2007年8月31日 (金) 18:08 (UTC)

引用の「要件」の節を見ていただくと分かりますが、出典が明示されていない場合は削除の対象となります。その他の要件を満たしていない場合も削除対象です。出典以外に問題がない場合、引用文を投稿したAさんの後にAさん以外の履歴がなければ編集対応で救われる可能性があります。Wikipedia:引用のガイドライン/草案もご覧ください。---Redattore 2007年8月31日 (金) 18:33 (UTC)
訳者も忘れずに。--Ks aka 98 2007年8月31日 (金) 18:59 (UTC)
上のお二方、お礼遅くなりましたがありがとうございます。とりあえず怪しいのは削除依頼にかけて、人の意見聞いてみようと思います。では。--219.98.3.222 2007年9月2日 (日) 04:15 (UTC)

「ケース B-2:プライバシー問題に関して」の運用に関し(犯罪者氏名)

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有罪が確定した人物の氏名はそれが年月を経て歴史上の事象にならなくとも多数の書籍にて確認できる。我々に認められている表現の自由を蔑ろにして一人の犯罪者の名前を隠蔽・検閲するのはナンセンスではないのだろうか?宅間守がリダイレクトとして存在しているのに対し河原美代子の記事が白紙保護になっている理由について掻い摘んで説明してはいただけないか?もし納得できれば彼等の記事の作成については数十年を経、完全に歴史上の存在になった時まで待つことにする。--Sionnach 2007年6月23日 (土) 23:55 (UTC)

死者にプライバシーはないのでは?(遺族の問題はありますが) --忠太 2007年6月24日 (日) 01:40 (UTC)

(コメント)お二人の点についてコメントしますが、もともとプライバシーの概念というのは表現の自由と対立するもので調整が求められるものですから、表現の自由が大事だからプライバシーはどうでも良い、という議論にはならないと思います。各記事で削除の原則が違うのは、各記事での事情が違うのと、各記事ごとに合意形成に参加されるメンバーが違うことによります。死者にはプライバシーがない、という法令・判例はないと理解しています。明示で死者でもプライバシーがあると断定した判例もないと思いますが、死んだ途端、何を暴露しても良い、という法理が妥当でないことからすれば、保護がある程度及ぶのは確かといえると思います。--磯多申紋 2007年6月24日 (日) 05:57 (UTC)

(コメント)刑法上の名誉毀損罪でも死者の場合は構成要件が狭くなります。一言に「死者」といっても、聖徳太子徳川家康に関してプライバシーを持ち出すのはちゃんちゃらおかしいでしょう。ただ亡くなった直後とか、遺族の方がいらっしゃる間は、生存中よりレベルは下がるものの、ある程度尊重されるべきと思います。このあたり刑法の学説があった気がします。資料を探してみます。Wikipedia:削除依頼/江藤淳 20070601で問題になっています。--fromm 2007年8月11日 (土) 03:47 (UTC)

資料にもとづいた議論を行うことは、方針の実質的な検討として非常に妥当だと思います。もしお手元に資料があれば、ご呈示頂ければ助かります。なお、死者の権利との観念においては、プライバシーの権利のみならず、名誉毀損も関係してくるところで、削除の方針として検討する場合には、合わせて検討する必要があるのではないか、と思っています。--磯多申紋 2007年8月11日 (土) 04:35 (UTC)
磯多さんが指摘されている名誉棄損との関係では、遺族が故人の死を悼むことの妨げになる場合についての判例がありますね。堀部政男『プライバシー・個人情報に関する日本の判例の展開 ~プライバシー・個人情報保護論議とのコラボレーション~』(国民生活審議会第13回個人情報保護部会資料、PDF)の13ページには『落日燃ゆ』事件の高裁判決が紹介されています。Tomos 2007年8月11日 (土) 11:52 (UTC)
同感。事件で亡くなったからといって、被害者名の記事を立てるのはどうかと。。--hyolee2/H.L.LEE 2007年8月12日 (日) 00:56 (UTC)

リダイレクト化されたカテゴリの削除依頼について。

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Wikipedia‐ノート:リダイレクト削除の方針#カテゴリの削除をリダイレクトの削除依頼で扱わないとする規定の提案。において、リダイレクト化されたカテゴリの削除は通常の削除依頼で扱うように定めるという提案を行ないました。ご意見を募集します。―霧木諒二 2007年7月19日 (木) 04:57 (UTC)

非公開の根拠の提示がないから削除するべきではないかどうか

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削除依頼時に著名人の本名記載を削除するべきとする根拠についてです。

2 削除対象になるもの ケース B-2:プライバシー問題に関して

ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例

本名を敢えて非公開にしている著名人の実名(例:覆面作家)。

ウィキペディア日本語版内で、削除されず、伝統的に認められている例を挙げます。

本名を公開している著名人の本名。

とあります。

個人的には公式サイトにおいて本名が確認できず、本人や所属事務所が本名公開の意思を示した根拠となる出典の明記がない場合は、そのときに削除依頼しています。しかし・・・

「公式サイトなどに非公開、非公表と明記されていない限りは、敢えて非公開にしているとはいえないために削除対象ではない」という見解が他所に複数ありました。

この見解が正しいかどうか、つまり削除依頼する側が非公開である根拠を示さねばならないかどうかです。また、示すのであればどんな方法が適切であるのか教えていただきたいと思います。

Wikipedia:検証可能性における2 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」 を示し、「公式サイトに本名が明記されていないという事実」を確認すべきであって、「明記されていないことが非公開の意思表明かどうか」を確認することは真実追求であるから不要である、同検証可能性から3.1 出典を示す責任は掲載を希望する側に を示し、こちらは「非公開」と明記することを求めるものではないために「非公開であることの出典の明記は不要である」とし、ないものを ないとする根拠は見つかりにくいという悪魔の証明も示しました。

また、美川憲一木の実ナナのように本名を公式サイトにおいて公開している人もいるために、(美川憲一の所属事務所サイトにあるプロフィール木の実ナナの所属事務所サイトにあるプロフィール)この場合には「本名を公開している著名人」として削除されないと解釈していますが、同時に引田天功のように未公開(未公表)と示している場合もあります。引田天功公式サイトのプロフィールギル 2007年7月30日 (月) 04:28 (UTC)

この場合、先ず、その本名が正しいということの出典を求めるのが先なのではありませんか。非公開なら、まともな出典は出て来ないでしょう。本名が一流の新聞や雑誌に載って、本人が坐視しているなら公開を黙認していると考えて良いでしょう。HOTUMA 2007年9月9日 (日) 10:34 (UTC)

削除の方針に基づかない削除

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Wikipedia:削除の復帰依頼#南京事件 (1937年) - ノートおよび、中国の核はきれいな核 - ノートで、削除の方針に基づかない削除が行われていますのでご参照ください。さらに、削除復帰同意者をある管理者が次々に投稿ブロックしています。若干暴走気味ですが良いのでしょうか?削除がコミュニティの合意に基づかない独自の基準で次々に行われたら、公式見解としての削除の方針に何の意味もなくなってしまいます。皆様で宜しくご検討ください。 --Yude-Tamago 2007年9月17日 (月) 03:17 (UTC)

  • (コメント)今回の削除依頼及び復帰依頼で指摘されている事項を考慮すると、「ケースZ:その他の問題がある場合」に該当しています。指摘事項は次の2点。
  1. 重複記事である(削除依頼)
  2. 保護逃れである(復帰依頼)
  • よって削除の方針に基づかないとの指摘は失当と思われます。--Kodai99 2007年9月17日 (月) 03:40 (UTC)
    • 「ケースZ:その他の問題がある場合」の直後に、削除対象にならないものとして、同一主題の記事がある場合に該当し、Wikipedia:統合提案に出して下さい。削除依頼は不適切でした。「保護逃れである」というのは同一記事とされる南京大虐殺のことだと思われますが、当該記事は保護がかかっており、この保護を何らかのハッキング的手段によって無理に編集を行ったような形跡があれば「保護逃れ」「保護回避」と呼ばれますが、そのようなログ記録、事実などはありません。よって、「保護」の目的・意義を取り違えていらっしゃると考えられます。 --210.209.207.32 2007年9月18日 (火) 13:06 (UTC)
      • (コメント)同一主題の記事があり、その記事が保護されているのであれば、保護の解除をすべきで、新しい記事を立ち上げるのは保護逃れそのものです。正規な手段を用いないで記事を編集しようとすることだけが保護逃れとみなされているわけではありません。--Kodai99 2007年9月19日 (水) 13:29 (UTC)

バンドの著名性について。

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インディーズやメジャー様々なバンドがあると思いますが、中にはケースE宣伝訂正を理由に即時削除をされていたり、削除依頼により削除されてしまうものもあると思います。どの程度のバンドなら百科事典にのせて大丈夫なのかイマイチ基準が不明確です。CDを発売したとか、オリコンでトップ100に入るとか、何かで賞をとるとか、どこかでライブをしたとか、何か基準がありましたら教えて下さい。--草苺 2007年9月17日 (月) 07:55 (UTC)

まずは、図書館などで百科事典を見て、どれくらいのバンドなら載っているかを、自分の目で確認するのが良いと思います。草案ですが、Wikipedia:著名性というのもあります。そこから先は、個々の百科事典観やウィキペディア観に拠る、のではないかなあと思います。--Ks aka 98 2007年9月17日 (月) 08:26 (UTC)
(コメント)Wikipedia:著名性を見させていただきました。図書館の百科事典では最近のアーティストは何も載っていないでしょう。ビートルズエルヴィスプレスリーなら記述があると思いますが・・・それ以外は個人の主観での対応になるのですか?客観的な基準がほしいです。Wikipedia:著名性#著名性は主観的ではない--草苺 2007年9月17日 (月) 08:45 (UTC)

ウィキペディアは紙製ではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかから引用します。

ウィキペディアは紙製ではありません。ゆえに、ウィキペディアは、サイズの制限がなく、リンクを含むことができ、タイムリーであります。つまり、紙面用として作られた文章の長さやそのスタイルが、ウィキペディアでは必ずしも適切というわけではありません。

サイズの制限がなというのは、個々の記事の容量のみならず、記事の数についてもいえます。これはen:Wikipedia:What Wikipedia is notに明記されています。ウィキペディアはタイムリーです。既存の百科辞典の収載基準はウィキペディアに通用しません。Wikipedia:五本の柱から引用します。

ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。

Wikipedia:著名性から引用

著名性に関しては、ウィキペディアに掲載するかどうかは、その話題が信頼できる公表された著作に含まれるかどうかを反映します。

何が百科事典的でないかはWikipedia:ウィキペディアは何でないかに書かれています。主観的に「百科事典的でない」という前に、どういう理由で百科事典的でないかを考えるようにおねがいします。但し、百科事典的でないものが即削除対象ではありません。百科事典的でないもののうち、削除対象になるものはWikipedia:削除の方針に書かれています。逆に、マイナーなバンドの記事を作る前に、出典(信頼できる公表された著作)を確保するようにおねがいします。HOTUMA 2007年9月17日 (月) 09:20 (UTC)

(コメント)つまり信頼できる出典さえ確保できれば、マイナーなインディーズバンドでも掲載することは何の問題も無いという見解でしょうか?
訂正:上の記述に間違いがありました。wikipedia:即時削除の方針#全般Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の広告があります。混同していたようです。すみません。


たとえば、シナトラは平凡社の百科事典(1971)に載ってました。現在のミュージシャンでも、シナトラやビートルズほど知名度や影響力があるなら、文句なく掲載可能でしょう。捉え方に多少幅があるにしても、「百科事典」そのものを参照にしているのですから、これは一つの基準となりえます。これなら、比較的客観的に判断できるでしょう。ザ・フーなら多少議論の余地はあるけれど、モット・ザ・フープルなら無理かな、みたいな。

とはいえ、紙の百科事典ではなく、項目数に制限はないということで、いくらか拡張することは許容されると思います。また、音楽分野におけるポピュラー音楽の位置づけも変わってきているでしょうし、学術的な研究も始まっていて、そこでは、ヘンリー・カウやレジデンツなども扱われています。とはいえ、ポピュラー文化の中では、様々な価値観が混在していますから、客観的な基準を設けることは、困難です。売れてればいい、というわけでもないし、メジャー/マイナーとかの契約状況にしても、最近のメジャーの新人とかだと活動実績ほとんどなかったりもするわけで。そのへんは、その場その場でやるということにしておくのが、いちばん落としどころ何じゃないかなあ、とも思います。オフィシャルのバイオの改変ではなくて、音楽雑誌やライナーなどを調べた形跡があって、それなりに高い評価を受けていることがわかれば、そうそう削除されないと思います。

ということで、もっとも理想的な打開策は、プロジェクトで、自制的にラインを設定するよう働きかけることではないかと考えます。何人かでも包括的な知識がある参加者がいて、それぞれに冷静に、自分が好きな分野を抑える方向で議論が進められるなら、不可能ではないでしょう。

そういう、全体的な基準を考えるのではなく、個々の執筆者としては、単に好きなバンドではなく、百科事典に掲載されるにふさわしいと考えられ、自分に執筆する意欲があるバンドから書き始める、十分な情報源を集めて、相当に厳しい基準であっても、削除されることがないように努め、情報源が揃わないようであれば、あきらめる、というのが望ましいのではないかなあと思います。基準をクリアしてるから書ける、ではなく、どれを書くのが百科事典であるウィキペディアにとって有意義か、というふうに考えて頂きたいなと思うのです。--Ks aka 98 2007年9月17日 (月) 10:12 (UTC)

Ks aka 98さんの最後の一文、「基準をクリアしてるから書ける、ではなく、どれを書くのが百科事典であるウィキペディアにとって有意義か、というふうに考えて頂きたい」に全面的に同意します。同様に、基準を満たさなそうな記事(灰色)を削除するときに、目障りだから削除基準を拡大解釈して削除するというのではなく、削除することがウィキペディアの発展につながるのかと考えていただきたいと思います。大河の水も一滴から。HOTUMA 2007年9月17日 (月) 10:44 (UTC)
コメントありがとうございます。基準を設けるのは難しく、ケースバイケースの判断をしないといけないみたいですね。何が百科事典に掲載されるに相応しいのか考えるのも結局は主観によるでしょうから、難しい判断になるとは思いますが・・・「基準をクリアしてるから書ける、ではなく、どれを書くのが百科事典であるウィキペディアにとって有意義か、というふうに考えて頂きたい」ということですが、私はその点の考えが足りなかった気がします。「基準をクリアしてるから書ける、ではなく、どれを書くのが百科事典であるウィキペディアにとって有意義か、というふうに考えて頂きたい」は本当にその通りだと思います。--草苺 2007年9月17日 (月) 11:06 (UTC)

特定版削除依頼の際に対象となる版の直前の版にリバートしてはどうか?

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井戸端に表題のような提案をしてみたところ、こちらで議論をしてはどうかとのご意見をいただきましたので、改めてこちらに提案をしてみたいと思います。ご意見をよろしくお願いいたします。--Unfair devil 2007年10月24日 (水) 10:15 (UTC)

井戸端での議論の要約
  • 特定版削除の議論が長引いた結果、削除が行われた場合削除の対象となる版以降がすべて削除をされてしまうため、その間の(有意な)投稿がすべて無駄になってしまうため、表題のよう対処をすることで、その版までの中抜き削除で対応できるようにして欲しい。
  • 削除提案中のテンプレートには削除依頼中の加筆については削除される可能性が注記されているので、それが消されても加筆したものの責任である。
  • 上のような意見は特に新規参加の投稿者等にとって敷居が高いという問題がある。
  • 管理者さんたちにとっては中抜き削除は面倒。

--Unfair devil 2007年10月24日 (水) 10:15 (UTC)

すみません。今思い出したのですが、中抜き特定版削除や、履歴上適切な差し戻しや、取り消し(Undo)機能についてきちんと解説した文書がまだなかったのではないかとと思います。まずそちらを取りまとめなければ、「どうやってやるの?」ということになってしまいます。--スのG 2007年10月24日 (水) 10:41 (UTC)
実は特定版削除そのものについても、まともな説明文がなかったりします。方針文書内でリンクされているWikipedia:特定の版の削除はかなり古い文章、そもそも説明用のものではありませんし、そこからリンクされたHelp:管理者マニュアル 特定版復帰も本当に「マニュアル」で、理解を助けるようなものではないです。
Wikipedia:特定の版の削除を一旦白紙化、上の提案も含め、現状に合わせてアップデートするのがいいと思いますが、誰かこの辺まとめて解説書きませんか(他力)--co.kyoto 2007年10月27日 (土) 17:56 (UTC)

個人の住居をドコまで載せるべきか

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井戸端で現在話題になっているのですが、例えばある人物がA市の巨大マンションに住んでいるという表記が書かれている場合、これによってその人物の具体的な住居が分かってしまうことを懸念される方も居るようです。そこで提案なのですがその人物本人が住所を明らかにしているというソースを提示できない場合は削除するという用にしたら良いと思うのですがいかがでしょうか?--とろろ 2007年10月24日 (水) 10:53 (UTC)

確認いたしました。井戸端で提案している文にも問題があるかと思われます。個人情報が厳密に扱われている現代では住居をしるすのは良くないことかも知れませんね。本人が○○区に住んでいるといっても外観などまで記述するのは厳しいでしょう。--Feeltheskydream 2007年10月25日 (木) 06:05 (UTC)
「個人の住居をあまり詳細に説明することはない」という認識では、ほとんどの利用者が一致しているように思います。さて、この「削除の方針」で話し合うということは、このような住居に関する記述を「削除」するのか、それとも「編集で除去」するのかということを決めた方がよいということでしょうか。私は必ずしも「削除」する必要は無いように思いますが。もちろん住所まで正確に記述されているようでしたら方針B-2「プライバシー侵害」として削除すべきだと思いますが、とろろさんが挙げられている「A市のマンション」くらいならば編集で除去する程度でかまわないように思います。いかがでしょうか。--Bellcricket 2007年10月25日 (木) 11:03 (UTC)

Bellcricketさんの意見に賛成です。で疑問なんですが「A市のマンション」で削除する場合はノートに何か残すべきなのでしょうかね。よく「告知」ってノートで提案されてる方がいらっしゃいますが同じように告知をすべきなのでしょうか。--Feeltheskydream 2007年10月25日 (木) 12:02 (UTC)

私なら、要約欄に「真偽不明の情報を除去」と書いて編集します。ノートで告知した方が親切だとは思いますが、要約欄で説明できていれば、ノートでの告知は必要ではないと、私は思います。自分の編集が差し戻された時に、初めてノートで話し合うくらいでよろしいのではないでしょうか。--Bellcricket 2007年10月25日 (木) 12:29 (UTC)
そうですよね。要約欄ですよね。わざわざ回答有難うございます。--Feeltheskydream 2007年10月25日 (木) 13:08 (UTC)

私見ですけどこんな感じでどうでしょう

A、自身で住所を明らかにしている場合は地区名まで記載可能でそれ未満の番地は削除

B、自身で住所を明らかにしていない場合は都道府県まで記載可能で市町村、地区名表記は編集対応で丁、番地は削除

C、巨大マンションなど外観に触れたら編集対応、詳細は削除

--とろろ 2007年10月25日 (木) 23:29 (UTC)

ちょっと待って欲しい。井戸端で最初に提案したのは私だが、このような欠席裁判のようなことは止めて頂きたい。詳しい土地勘や事情を知らないあなた方のみで決められては困ります。とろろさんの意見は大体正しいと思いますが、Aは、せいぜい市町村までで留めておくのが良いと思います(本人がそれ以下を正当な手段で発表しており、随時検証可能な場合を除く)Bは、東京、大阪等の、例えば今回の世田谷区のような、人口が巨大且つ、著名人が多数居住している地域については、問題ないと思いますが、あまりメジャーとは言えない市町村の記述は控えた方が良いと思います。どちらにせよ、都道府県までは全く問題が無いと思いますが、それ以下については、あまり詳しくこの場で記載すると、調べる人間もいるかもしれない為、無難な程度に留めておくのが宜しいかと。又、以前、石原さとみのページで本名を記載する投稿があったと思いますが、本名よりも、居住地の方が情報の希少性は高いと思います。--以上の署名のないコメントは、Sk1006会話投稿記録)さんが 2007年10月26日 (金) 09:01 (UTC) に投稿したものです(Feeltheskydreamによる付記)。
とろろさんに一つ確認を。とろろさんのおっしゃる「削除」は、管理者による削除ということでよろしいのでしょうか。だとすると、Aの「住所を明らかにしている場合」を削除してしまうのはいかがなものでしょうか。住所が明らかならば、削除の方針B-2「プライバシー侵害」にはあたらず、削除の理由が無くなってしまいます。--Bellcricket 2007年10月26日 (金) 21:00 (UTC)

これはある人物の体験なのですが過去に著書で住所の詳細を明らかしていた人が有る事をきっかけに住居に嫌がらせが来る場合があったそうなのです。その方はその後、住居の詳細を公開しないようにし、記載のある本は改訂時に削除したそうです。こういうこともあるので地区名までならトモカク番地まで記載するのは後に問題化した場合、削除などの対処が大変であり、そこまで細かい住所を百科事典に記載する必要はないという判断です。--とろろ 2007年10月26日 (金) 23:12 (UTC)

細かい住所まで載せる必要はないというお考えは、私も賛成です。ただ、その細かい住所が必ずしも削除の対象になるとは考えにくいです。たとえば記念館が併設されていてランドマークになっている松井秀喜の実家、ハリウッドスターの大邸宅、自宅兼芸能事務所など、ある程度周知の事実になっていて、削除の必要がないケースもあるのではないでしょうか。とろろさんのお考えはよく理解できるのですが、かと言ってとろろさんの案を「削除の方針」としてすべての記事に一律にあてはめるのは問題がある気がします。個々の状況に応じて判断すべき事案なのではないでしょうか。--Bellcricket 2007年10月26日 (金) 23:59 (UTC)

「削除するかしないか」と「記載しないかするか」を同じレベルで考えてはいませんか。本人の意志で公開しているものなら削除する必要はありませんが、だからといって全て記載する必要があるとは思えません。何を削除するかしないか、何を記載するかしないかについて、市町村までとか地番までとかいう基準を設けるのが適当とは思えません。「ある人物」が誰なのか知りませんが、その人物が「A市の巨大マンションに住んでいる」ということに何の意味が有るのですか。意味が有って、出典が有る(公知になっている)のなら部屋番号まで書いても構わないでしょう。逆に、「謎の人」で売っている覆面の手品師などは都道府県すら書くべきではないということになるかもしれません。HOTUMA 2007年10月27日 (土) 04:31 (UTC)

基準を設けるのが無理という結論で議論は打ち切りにしましょうか?--とろろ 2007年10月27日 (土) 06:26 (UTC)
住所を公開している者、そうでない者の2通りで基準を作成するというのは如何でしょうか?Sk1006-Information is money.- 2007年10月27日 (土) 07:21 (UTC)

依頼者票はいつから推奨になったのか

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Wikipedia:削除依頼/ノート:五十嵐冬樹で依頼者票を求められたのですが、いつから推奨になったのでしょうか。過去の議論ではWikipedia‐ノート:削除の方針#依頼者の票の扱いについて(2005年7月17日 (日) 17:17 時点)しか見つからず、提案していたAphaiaさんは現在無期限のブロック中です。

削除依頼は多数決ではないので票数は意味を持ちませんし、迅速な判断が行えるとした、Aphaiaさんが期待したメリットも得られていないように思われます(賛否が拮抗していれば、依頼者の票がどうあっても結果に影響を及ぼしているとは判断できない)。Aphaiaさんが根拠としていた英語版でも、もはや依頼者票は出ていないようです(en:Wikipedia:Deletion today)ので、依頼者票の推奨を廃止したいと思います。--Tamago915 2007年11月1日 (木) 10:15 (UTC)

Wikipedia:即時存続のノートにある文案1-c.から、かな。Wikipedia:即時存続#適用範囲の2.は、そういう表現をとっていませんが。--Ks aka 98 2007年11月1日 (木) 10:50 (UTC)
私の発言についてのことかと思うのですが、私は依頼者票を書き忘れていらっしゃるのではという老婆心から書かせて頂いただけで、票を入れることを求めているわけでも推奨しているわけでもありませんでした。
この依頼者票がほとんどの場合で書かれるようになった理由として私が考えるのは、雛形を使って依頼文を作成する時の例文からかと思われます。--Broad-Sky [note] 2007年11月1日 (木) 11:04 (UTC)
了解です。ひな形というのは、Template:新規削除依頼サブページですね。議論次第ですが、このテンプレートから依頼者票の項目を外したほうがよさそうです。
即時存続のノートについては、「依頼者が削除の意志を持っている」≠「依頼者による削除票が出ている」は自明ですが、後者の有無をもって前者の判断を下すような形式主義に陥っている感があります。それから、こことは論点がずれてしまいますが、依頼者の意志によらない削除依頼もあってよいと思います(いたずらや荒らしによるものを防ぎたいのでしょうが、規制が違うところにかかってしまっています)。--Tamago915 2007年11月1日 (木) 11:19 (UTC)
「削除依頼」という名義で、実は削除の依頼ではなく、削除の議論の依頼と見なす運用になっていますから、削除依頼を出して削除する意志を示すためには依頼者票が必要であるということを、初めて削除依頼を出そうとする人に自然と理解して貰えるようになっていなければなりません。従って、テンプレートから依頼者票の項目を外すことには反対です。逆に、依頼者票は(存続)でも良いと注記してはいかがでしょうか。HOTUMA 2007年11月1日 (木) 11:56 (UTC)
>実は削除の依頼ではなく、削除の議論の依頼と見なす運用になっています
認識に誤りがあるようです。削除依頼の場での議論は適切ではないとされており、議論になるようならノートなどに移動する必要があります。各参加者がそれぞれの見解を持ち寄り、管理者が総合的に判断して削除するかどうかを決める運用です。
>削除依頼を出して削除する意志を示すためには依頼者票が必要である
これも違います。依頼自体が削除の意思表示ですし、逆に削除の意志なく依頼を出す場合に、それを文章で明示する運用のほうが自然です。依頼者票が必要などという理解を強いるのは、むしろ害悪です。
上で「形式主義」と批判的に書きましたが、HOTUMAさんの考え方が典型的に形式主義だと考えています。つまり依頼者票の有無でのみ、依頼者による削除の意志を判断し、場合によっては依頼の有効性も問おうとすることになるのですが、このような本質を見失った方法で適切な結論を導き出せるとはいえません。機械的な判断ですべてが成り立っているわけではないのです。--Tamago915 2007年11月1日 (木) 13:15 (UTC)
いきなり「認識を誤っている」「本質を見失った」とか批判するのは、いかがなもんですかねえ。私などはTamagoさんの見方も、HOTUMAさんの見方も、一理あると思いますが。ただ、「推奨」という言葉の受け止め方に、差があるように思いました。「あるといいけど、なくてもいいよ」くらいの弱い感じで私は受け取ってたのですが、「基本的に、あるべきだ!」という受け取り方もあるのですね。
依頼者票って、けっこうありがたいと思うんですよ。依頼者の考えに賛同できるか否かという判断材料ができますから。それのみで判断するのもまずいですが、でも材料は多い方がよいです。もちろん依頼者票をつけられないケースもあるでしょうし、どうしても気になるのでしたらTamagoさんご提案のように「推奨」は無くしてもよいのではと思います。でもテンプレートには残しておいて「依頼者も意見を述べることができます」くらいは言及してよいのではないでしょうかね。--Bellcricket 2007年11月1日 (木) 14:05 (UTC)
言葉が過ぎたかもしれません。私のスタンス的は「あってもいいし、なくてもいい」程度なので、Bellcricketさんに近いか、もう少し弱い表現になります。現状は、依頼者票がなければ忘れていないかどうか質問されるくらいですから(質問されたことを批判するわけではありませんが)、「依頼者票があることが前提」なのでしょうけど、違和感を持っています。
依頼者票が役に立つというのは、稀なことのように思います。「(削除)依頼者票。」しか書いていなくてどんな役に立つのかわかりませんし、ほかに何か書いてあるのなら、それは依頼文に書かれていても同じだと思うからです。そういう意味では、依頼者票という形式が有用なのではなくて、票や依頼とともに書かれている内容に賛同できるかどうか、が大事なのではないでしょうか。私が形式主義だと批判しているのは、その部分の考え方のところです。--Tamago915 2007年11月1日 (木) 14:54 (UTC)
Tamago915さんが言わんとしていることは理解しましたが、削除依頼は議論の場です。「削除依頼は削除の方針について議論する場ではありません」という記述で誤解されているのかもしれませんが、削除依頼は個別案件について議論する場です。議論という言葉にネガティブな印象を持っていなさるなら、審議とか、討議とか、言い替えても良いです。しかし、自分の主張だけを述べ、それに対する他人の意見を顧みず、後の判断は管理者に任せますという場ではありません。HOTUMA 2007年11月1日 (木) 15:08 (UTC)
被ったので追記。「票や依頼とともに書かれている内容に賛同できるかどうかが大事」というのは良いです。しかし、その論法でもって、全ての票に形式的に付いている(削除)や(存続)が無用だということにはなりません。依頼者の意志を依頼者票という形で要約して貰うことも有用です。HOTUMA 2007年11月1日 (木) 15:08 (UTC)
おっかなそうなの見つけたけど自分では十分判断できなくて、でも放置するのもなあ、というような依頼もあるでしょうし、積極的な削除票を投じるのを避け、コミュニティに判断を委ねることはあるだろうと思います。そういう場合を前提とすると、依頼者の削除すべきかどうかの判断は、表明されていたほうがよいかなと思います。依頼者以外票が入らないまま長期案件になることもありますし。票が入っていなければ、削除してほしいという判断があるかどうかを、依頼者に問うこともあってよいかなと思います。--Ks aka 98 2007年11月1日 (木) 15:26 (UTC)
あー。すいません。日本語版で流行らせたのはおれかもしんない。Aphaiaとかいう人は、おそらくほとんど関係ないよ。
えっとね。依頼事項について、「依頼者は当然に結果の招来を期待しているはず」という考え方が一方にあるのはわかっているんです。だけど、「みんなの意見を聞きたいので問題提起をしてみる」というひともいて、その場合では「提案内容に基づいての結果の招来を期待してはいない」ということがあり得るわけなんだ。そして、「問題提起=結果の招来期待」とされると、「みんなの意見を聞きたい」という主旨での問題提起がしにくくなるという問題があるんだよ。
具体的には、「問題だと思うんだがブロックすべきかどうかについては迷っている(ブロック依頼の場合)」「問題だと思うんだが削除が相当なのか編集対応なのかわからない(削除依頼の場合)」などだね。
なので、依頼を出すのだったら、明示的に自分の姿勢を明記してくれ、というのがおれの提案の理由だ。「依頼を出すけど、わたしはブロックを求めていない(削除を求めていない)」ってのはありだ。「依頼を出すし、わたしはブロックを求めている(削除を求めている)」というのもありだ。ただ依頼を出しただけでそのどちらであるかがわかるかっていうと、わからない。わからないと困るので、問題提起者の問題意識のあり方についての旗色をはっきりさせるようにつとめようぜってことだ。
もちろん手はいろいろありますよ。「依頼者票を投じる」以外にも、「問題提起に、依頼者の問題意識を明記し、期待する結果をはっきりと書く」などの方法でもいいです。ただ、わかりやすい定型的手法として、おれは「依頼者票を投じる」というのを推奨するし、自分でもやって見せている。これがはやったのは、もろもろわかりやすいからだろうと思う。現状でなにか問題があるのだろうか?(問題があり、是非廃止すべきだということならば、その理由を聞かせていただけるとありがたい。英語版にそろえるべきとかいう根拠をおれは主張していないので、推奨廃止の有意な理由がいまひとつおれにはわからないという感じです)--Nekosuki600 2007年11月1日 (木) 16:07 (UTC)
現在起こっている不都合は、そういったいきさつを知らずに(あるいは無視して)、依頼者票の有無の形式にこだわることが生じ、本来の依頼者票の意味が失われていることです。具体的にいえば、「よくわからないけれど依頼者票を出すことになっているようなので削除票を出しておくか」と「こういう理由で削除を求めるし、その意思を明示するために依頼者として削除票を出しておく」というのが、形式上はどちらも同じになるため、依頼者票の意味が失われているということになります。
是非廃止したい、というつもりはありませんが、原則非推奨、どうしても意思表示したいときには認める、くらいの運用にしたほうが、依頼者票の重みが増すのではないかと思います。依頼者の意思がわからなくて困るときは、個別に確認するほうがよいのではないでしょうか。--Tamago915 2007年11月1日 (木) 16:38 (UTC)
どうも申し訳ない。おれはそれには全くもって同意しない。
なんていうの。「依頼を出したのだから、結果の招来を期待しているはずだ」と即断するやつって、けっこう短慮だと思うんだよ。その短慮連中のおかげで、「意見を聞きたい」という問題提起が抑圧されてきたという時代は確かにあるわけ。
例示された具体的に言えばの2例は、いずれも「これは意見聴取のための問題提起ではない」ということの明示手段にすぎないのであって、それは形式は問わず当然に表示しておく意思でしょう。また、Tamago915さんのその問題の立て方は、「問題提起をした以上、結果の招来を期待しているはずだ」という固定観念に強くひきずられたものだと思う。おれが「別途意思を明らかにせよ」と述べているのは、その固定観念があるがゆえに「意見聴取のための問題提起がしにくくなっている」という副作用があるからなんで。おそらくこの問題は、あなた自身が視点を変えて見直してみてくれない限り、理解されないものだろうと思う。あなたの主張する方法では「意見聴取のための問題提起が極めてやりにくくなるのだ」という問題点を、いまいちど真剣に見て再考してはもらえないものだろうか。
依頼者の意思だけどさ。それがわかんないような依頼なんか出すべきじゃないんですよ。よくわかんないときはニュートラルにしとけ。よくわかんないから「結果招来を期待していると看做す」ことにする必要がどこにあるというのだろうか。個別に確認することと、個別に「依頼者票を出しておけ」と言うのと、どう違うというんだろう。それは全然違わないだろ?--Nekosuki600 2007年11月1日 (木) 16:53 (UTC)
競合したがそのまま。
「依頼者票が必要だから依頼者票を投じている」というのがどういう状況なのかよくわかりません。むしろ、しっかりした意見をもたないのに依頼されても困りますから、現在のように「推奨」でいいんじゃないでしょうか。同様に、「依頼者でない代理の依頼提出」というのも状況が想像つきません。
現状でも、「依頼者は削除票を投じなければならない」ということはないです。実際、保留票や存続票を投じている例はありますし、依頼者票がなくても審議が進行している例もあります。こういった例が全体からみて少ないのは、削除がテーマになる依頼ですから当然のことですが、決して形式的に依頼者票が投じられているわけではないとおもいます。 --Hatukanezumi 2007年11月1日 (木) 16:59 (UTC)
「原則非推奨」ってのはまたおかしい気がしますね。Tamagoさんは依頼者票の重みがというものを真剣に考えられているようですが、過去に「よくわからないけど依頼者票を」なんてケースがそんなに多くあったのかわかりませんし、そもそも依頼者がそんないいかげんに票を入れているなんて、なぜ言えるんでしょう。--Bellcricket 2007年11月1日 (木) 21:31 (UTC)
依頼者票に特別な重みがあるわけではないし、特別な重みを持たせるべきでもないし、Tamago915さんの心配は無用です。「よくわからないけど依頼者票」を懸念するなら、他の人の「よくわからないけど投票」も同様に懸念しなければなりません。HOTUMA 2007年11月2日 (金) 01:47 (UTC)
いろいろなご意見、ありがとうございます。ここまでの議論を自分なりにまとめてみました。
  1. 依頼者票は推奨。ただし「あったほうがよい」レベルの弱いもので、なくてもかまわない。
  2. 依頼者自身が削除の意志をどの程度持っているかを判断するために、依頼者票は有用。
  3. 依頼者票の重みは、他の参加者の投票と同じ重みであり、依頼者票だからといって優遇されたり軽視されたりすることはない。
というあたりだと思いますが、バイアスがかかっているかもしれません。
1については、依頼者票を入れるのがルールだと誤解している人もいるのではないかと思われます(「よくわからないけど依頼者票」というのは、この誤解の存在を前提として書きました。「(削除)依頼者票。」と入れるのがルールだからそうしているのではないか、という想定です)。削除の方針に「依頼者票の投票は自由」「依頼者票がないことをもって削除依頼自体を無効とすることはできない」といった内容の注記を入れていただければと思います。
2は私は懐疑的でしたが、皆さんの意見を検討すると、有用だということなのでしょう。この点については自分の見解を改めます。
3は文意通りですが、そもそも多数決ではないので票の重みを考慮すること自体が無意味かもしれませんし、削除するという判断のために「他の参加者の賛同」が必要となっていますので、依頼者票のほうが軽いということはできるかもしれません。このあたりは突き詰めてもしかたがなさそうなので、同じ重みであるとしておいてよいと考えます。--Tamago915 2007年11月2日 (金) 04:26 (UTC)
で、Tamago915さんは結局何をどうしたいんですか?--Hopedanger 2007年11月2日 (金) 08:35 (UTC)
んー。もともと厳密な票数勝負なわけじゃないし、問題があるとすればそれは「依頼者票がないから依頼が無効」みたいな意見が出てきたときくらいではないだろうか。それは、おれは見かけたことがないし(ないとは言わん、確認していないから)、出てきてもどうせレアケース、「こぉの不勉強モンっ!」と一喝すればしまいで、さして手間がかかるわけでもない。
おれとしては、問題提起者がどういう落としどころを考えているのか(あるいはそんなこと何も考えていないのか)は、それなりに審議をする上で大事だと思う。依頼者票はその意思表示として重要だし、依頼者票を出さないというのも問題提起の方向性や質をはかる手がかりになる。今のままでも特段に問題があるとは思わないし、規定を見直し合意形成をする手間を考える、このままでいいんじゃなかろうかと思うんですが(というか、今に至るも実はなにが問題だという問題提起なのかがよくわかっていない(=^_^;=))。--Nekosuki600 2007年11月2日 (金) 08:39 (UTC)
1についてのTamagoさんのまとめは、提案と捉えてよろしいのでしょうかね。でも、「依頼者票が無いから依頼無効」となった例が、私には思い当たりません。即時存続が採用された直後は、依頼者票が無いイコール削除意志の無い依頼として即時存続票を入れる方もいましたが、実際に即時存続になることもなく無く通常通りの議論が行われていたと、思います。必要の無い文章を方針に入れることは、無いのではないでしょうか。「依頼者票は自由です」というのも、そんなに意味がないような気が。依頼者票が入ることによる大きなデメリットは無いと思いますし、わざわざ表現を後退させることは無いんじゃないでしょうかね。--Bellcricket 2007年11月2日 (金) 08:46 (UTC)
私の認識では、依頼者票がなし崩し的に推奨事項とされたのが現状で、そのうち必須になるのではないかと考えていました。個人的には依頼者票は不要だと考えていますので、今の段階で廃止の方向に持って行きたかった、というのが当初の提案です。皆さんの話を伺って、最初の認識で違いがあり、依頼者票の提出を推奨するに十分な理由も提示されました。あとは義務化されることのないように、方針に注記しておいてほしいと考えていますが、そうする必要もない、ということだと受け取りました。
提起していた問題は、理由を説明していただいたことで、改善する必要がないと考えを変えています。また、なぜこのような運用がなされているかの理由は、ログとして残しておかないと忘れ去られてしまいがちなので、意見を残してもらえたことはありがたく思っています。
何も変えるつもりがないのに議論のための議論を行って、コミュニティを疲弊させようとしたわけではないので、そのあたりはご理解いただけますでしょうか。--Tamago915 2007年11月2日 (金) 09:21 (UTC)
まっ、問題提起者様もご満足なされたようですので、この件に関しては現状維持ということで終了ですね(ためいき)。--Hopedanger 2007年11月2日 (金) 09:54 (UTC)