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[[2010年]]は、[[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]の加入で主にDHや代打の切り札として出場。この年はここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は[[里崎智也]]、[[大村三郎|サブロー]]の離脱や[[大松尚逸]]の不振から6番や5番を打つことも多くなり、[[9月8日]]の対[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。[[5月13日]]の対[[横浜ベイスターズ|横浜]]戦([[横浜スタジアム]])にて6回表1死満塁の場面で代打出場し、[[真田裕貴]]から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファールを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され'''代打逆転満塁ビデオ判定弾'''となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率は.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録した。また、指名打者部門で[[ベストナイン]]に選ばれた。ベストナイン受賞は自身初である。
[[2010年]]は、[[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]の加入で主にDHや代打の切り札として出場。この年はここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は[[里崎智也]]、[[大村三郎|サブロー]]の離脱や[[大松尚逸]]の不振から6番や5番を打つことも多くなり、[[9月8日]]の対[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。[[5月13日]]の対[[横浜ベイスターズ|横浜]]戦([[横浜スタジアム]])にて6回表1死満塁の場面で代打出場し、[[真田裕貴]]から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファールを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され'''代打逆転満塁ビデオ判定弾'''となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率は.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録した。また、指名打者部門で[[ベストナイン]]に選ばれた。ベストナイン受賞は自身初である。

[[2011年]]は開幕戦で3ランを放ち、その後は4番を打つことが多くなるものの不振に陥り、6月に月間打率.346と持ち直すものの7月以降は再び不振、8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席にも達せず、最終的に打率.223、本塁打3、打点43と自己最低の成績でシーズンを終えた。


== プレーの特徴 ==
== プレーの特徴 ==

2011年10月23日 (日) 13:29時点における版

福浦 和也
千葉ロッテマリーンズ #9
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1975-12-14) 1975年12月14日(49歳)
身長
体重
183 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1993年 ドラフト7位
初出場 1997年7月5日
年俸 1億円+出来高(2011年)
※2011年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手内野手)。

2001年から2006年まで6年連続で打率3割を記録したアベレージヒッター。3度ゴールデングラブ賞を獲得したこともあり守備の評価も高い。家族は夫人と一男。なお息子の名前の一部に彼を見出した山本功児前監督にあやかって「功」の字が使われている。

来歴・人物

愛称は「はっちゃく」で本人のブログでも使われている。また「はっちゃく」という地酒も発売されている。

元々右利きだが、幼少時の怪我が原因で左投げに転向した[要出典]。ちなみに足は左利きである。

1993年のドラフト千葉ロッテマリーンズに投手として7位指名され入団。しかし半年で3回肩を壊し打者に転向。入団4年目の1997年振り子打法を引っさげ一軍デビュー、即座に一塁のレギュラーに定着。しかしその後は石井浩郎ボーリック初芝清などにポジションを譲り外野を守ることも多くなった。

2001年一塁手に復帰し、才能が開花。7年連続首位打者イチローメジャーリーグに渡った最初の年に、小笠原道大(当時・日本ハム)との熾烈な争いを制し打率.346で首位打者を獲得。また18本塁打を放ち、初芝清以来不在だったロッテの和製大砲としての期待にも応えた。

2002年はタイトルホルダー故の厳しいマークに遭い17死球を受けるも打率3割を記録。

2003年には全140試合に出場し、打率3割、50二塁打に加え21本塁打も記録。外国人選手起用の都合上で夏場に3年ぶりに外野を守ったが、2試合で元に戻された。また初めて一塁手部門でゴールデングラブ賞を獲得。

2004年、韓国で56本塁打を記録した李承燁が入団したが、この年も打率.314 11HRと安定した実力を見せ一塁のレギュラーを守った。

2005年は故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで辛うじて5年連続の打率3割を達成。チャンスでの強さは変わらず、ロッテのプレーオフ進出に大きく貢献した。そのプレーオフでも好調を維持し、ロッテの31年ぶりのリーグ優勝に貢献した。日本シリーズ第3戦では阪神桟原将司から満塁本塁打を放った。アジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかった。また、この年にはリーグトップの犠飛(9本)を打っている。

2006年4月、初の月間MVPを受賞。また7月に死球により左手を骨折し、約1か月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312、4本塁打。同年、FA権を取得。

2007年は開幕から故障し、5月までは3割を維持して復帰直後こそ高打率だったものの、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258、本塁打4という自己最低の成績に終わってしまった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。しかし勝負強さは健在で、得点圏打率は.339だった。更に打点は57と前年より多かった。規定打席にはわずか1打席足りず届かなかった。それでも守備では往年の動きが健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した。[1]

2008年も怪我をし、前年度の自己最低記録を更新してしまった。復帰後はDHや代打での出場が多くなった。

2009年 シーズン当初はここ数年同様低調で打率は2割前半に沈み、またチャンスに弱く得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半まで低くなり打順は主に2番や8番で堀幸一ゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていたが、8月後半から徐々に調子を上げ、勝負強さと長打力を取り戻しシーズン終盤には再び3番に定着、3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。

2010年は、金泰均の加入で主にDHや代打の切り札として出場。この年はここ数年の不振から脱却し、序盤は7番や代打で出場していたものの後半戦は里崎智也サブローの離脱や大松尚逸の不振から6番や5番を打つことも多くなり、9月8日の対オリックス戦では不振の金泰均に代わって、7年ぶりに4番でのスタメン出場を果たした。5月13日の対横浜戦(横浜スタジアム)にて6回表1死満塁の場面で代打出場し、真田裕貴から、ライトポール際へ大飛球を放ち、最初は一塁塁審にファールを宣告されるも、2010年から導入されたビデオ判定により本塁打と認定され代打逆転満塁ビデオ判定弾となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初。規定打席には到達しなかったものの最終的に打率は.295を記録し、ここ数年減少していた本塁打も13本と2004年以来の2桁を記録した。また、指名打者部門でベストナインに選ばれた。ベストナイン受賞は自身初である。

2011年は開幕戦で3ランを放ち、その後は4番を打つことが多くなるものの不振に陥り、6月に月間打率.346と持ち直すものの7月以降は再び不振、8月以降はスタメンを外れることが多くなり規定打席にも達せず、最終的に打率.223、本塁打3、打点43と自己最低の成績でシーズンを終えた。

プレーの特徴

打撃・走塁面

幕張の安打製造機」とも呼ばれるパ・リーグを代表する巧打者の一人。2001から2006年まで6年連続で3割を記録した。

長身で均整の取れた体型にそぐわず足はあまり速くなく、内野安打は少ない。ライナーで外野の間を抜く二塁打を量産し、2001年には首位打者を獲得したが盗塁数はゼロだった。「首位打者&盗塁ゼロ」はプロ野球史上初のことだった。通算盗塁数でも10個に満たない。

2003年は50二塁打・21本塁打を記録するなど、元々長打力がない訳ではないが、ここ数年は怪我の影響で本塁打が減少している。それでも2005年の日本シリーズ2007年クライマックスシリーズでは本塁打を放ち、勝負強さを発揮している。

春先は調子の出ないことも多いが、5~6月に調子を上げ、夏場に調子を落とすケースが多い。しかし、秋に入ると再び調子を取り戻す傾向にある。2006年は3・4月度月間MVPを獲得し6月まで打率ランキング1位だったが、夏場の不振[2]で最終的にはランキング5位となった。

守備面

若手の頃には外野手として出場したこともあったが、守備に就くのは専ら一塁である。一塁手として過去3度のゴールデングラブ賞を受賞するなど、守備に対する評価は高い。内野手からのワンバウンド送球でも巧みに捕球する姿がよく見られる。しかし、近年は一塁の守備に就く機会は少なく、DH代打での出場が中心になっている。

今江敏晃は「福浦さんがいなかったらチームの失策数は倍に増えている」と話し、小坂誠は「自分の守備がうまいと言われているのは福浦がいたおかげ」と話している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 ロッテ 67 242 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 1 19 2 3 36 5 .289 .353 .417 .770
1998 129 526 465 61 132 32 3 3 179 57 1 2 0 6 51 3 4 78 10 .284 .356 .385 .740
1999 114 284 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 0 3 21 1 4 38 5 .277 .338 .379 .717
2000 131 494 446 58 132 21 4 7 182 56 1 1 6 4 34 2 4 59 15 .296 .348 .408 .756
2001 120 519 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 2 3 58 3 5 74 10 .346 .424 .550 .973
2002 135 565 493 48 148 40 0 9 215 66 2 1 0 3 52 3 17 73 10 .300 .384 .436 .820
2003 140 623 567 75 172 50 1 21 287 76 2 3 1 5 48 6 2 89 22 .303 .357 .506 .863
2004 128 569 506 67 159 42 1 11 236 73 2 1 2 4 47 0 10 82 8 .314 .381 .466 .847
2005 114 491 434 54 130 25 1 6 175 72 0 2 0 9 39 0 9 55 5 .300 .363 .403 .766
2006 114 484 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 3 7 33 5 5 52 11 .312 .362 .390 .752
2007 110 445 395 41 102 20 1 4 136 57 0 1 2 6 38 3 4 44 8 .258 .325 .344 .669
2008 105 371 310 39 78 9 0 1 90 44 0 0 1 7 50 2 2 49 10 .252 .352 .290 .643
2009 129 460 396 47 108 18 0 6 144 39 1 0 11 3 46 0 4 65 8 .273 .352 .364 .716
2010 116 359 322 42 95 19 0 13 153 61 0 0 3 3 28 2 3 47 8 .295 .354 .475 .829
通算:14年 1652 6432 5695 705 1682 349 18 112 2403 778 9 17 32 64 564 32 76 841 135 .295 .363 .422 .785
  • 2010年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


一塁 外野
























1997 65 546 30 7 47 .988
1998 127 1116 65 6 133 .995
1999 74 258 23 5 35 .990 18 20 1 1 0 .955
2000 93 644 43 2 54 .997 58 74 2 4 1 .950
2001 116 1122 59 5 92 .996
2002 133 1195 76 6 97 .995
2003 135 1328 101 7 109 .995 2 3 0 0 0 1.000
2004 111 1040 65 6 106 .995
2005 112 1020 48 7 95 .993
2006 112 1019 70 6 80 .995
2007 103 902 68 5 73 .995
2008 86 642 56 2 58 .997
2009 124 869 73 1 74 .999
2010 10 75 4 1 7 .988
通算 1401 11776 781 66 1060 .995 78 97 3 5 1 .952

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に斉藤和巳から中前安打 ※史上225人目
  • 1000試合出場:2005年5月12日、対阪神タイガース3回戦(千葉マリンスタジアム)、3番・一塁手として先発出場 ※史上402人目
  • 300二塁打:2007年8月3日、対北海道日本ハムファイターズ13回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏にブライアン・スウィーニーから左翼線適時二塁打 ※史上46人目
  • 1500本安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、8回表に水田章雄から左中間へ2点適時二塁打 ※史上99人目
  • 1500試合出場:2009年8月19日、対オリックス・バファローズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手として先発出場 ※史上166人目
  • 100本塁打:2010年3月22日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、3回表に岸孝之から右中間へ2ラン ※史上258人目
  • 350二塁打:2011年4月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に川岸強から右翼線二塁打 ※史上30人目
その他の記録

背番号

  • 70 (1994年 - 1997年)
  • 9 (1998年 - )

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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