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西尾市

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にしおし ウィキデータを編集
西尾市
西尾市章
1960年2月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23213-1
法人番号 4000020232131 ウィキデータを編集
面積 161.22km2
総人口 167,185[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 1,037人/km2
隣接自治体 碧南市安城市岡崎市
幸田町蒲郡市
市の木 クスノキ
市の花 バラ
西尾市役所
市長 中村健
所在地 445-8501
愛知県西尾市寄住町下田22番地
外部リンク 西尾市

西尾市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

(吉良町・一色町・幡豆町域を除く)
ウィキプロジェクト

西尾市(にしおし)は、愛知県の中央を北から南へ流れる矢作川流域の南端にあるである。抹茶の生産地として知られる。

地理

  • 山 : 八ツ面山(標高67m)、羽角山(標高118.5m)、万灯山(標高145.9m)、茶臼山(標高291.0m)
  • 河川
    • 一級河川 : 矢作川国土交通省管理)、矢作古川(愛知県管理・以下同じ)、広田川、安藤川、須美川、鹿乗川
    • 二級河川 : 北浜川、二の沢川、朝鮮川

隣接している自治体

人口

西尾市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 130,913人
1975年(昭和50年) 140,563人
1980年(昭和55年) 146,010人
1985年(昭和60年) 152,462人
1990年(平成2年) 155,559人
1995年(平成7年) 158,693人
2000年(平成12年) 159,788人
2005年(平成17年) 163,232人
2010年(平成22年) 165,298人
2015年(平成27年) 167,990人
2020年(令和2年) 169,046人
総務省統計局 国勢調査より


歴史

古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。

市名の由来

1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文には「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とあり、この銘文がこれまで「西尾」の地名の初出とされていたが、2009年9月に横浜国立大学名誉教授の有光友學が発表した『今川義元書状』(江川文庫所蔵)に「西尾之御事」「西尾城」という記述があり、書状の内容から吉良氏が今川氏に反乱を起こした際のものとみられている。吉良氏の反乱は天文18(1549)年と弘治元(1555)年の2度あり、書状の日付は「十月廿三日」で、この時期に反乱の佳境だった弘治元年のものと判断されている。現時点では西尾の地名が歴史に現れる最初の史料になっている。

このほか、『三河物語』には、徳川家康による桶狭間の戦い後の三河統一戦で「西尾の城を得」と記載されている。また、今川氏真判物に「永禄四年酉年、六月十一日、西尾走廻」とある。

なお、かつては同じ愛知県内に類似した名称である尾西市2005年一宮市に編入され消滅)があったが、こちらは「尾張地方の西」という意味で、当市の名称との歴史的な繋がりは全く無い。

沿革

中世〜江戸期

明治〜市制施行前

  • 1869年3月 - 藩主の松平乗秩版籍奉還の願書を出し、同年6月19日に許可される。
  • 1871年7月14日 - 廃藩置県により西尾藩は西尾県となる。
  • 1871年11月15日 - 西尾県は額田県に併合される。
  • 1871年12月10日 - 西尾郵便局が設置される。
  • 1872年3月 - 西尾城が解体される。
  • 1872年11月27日 - 愛知県となる。
  • 1876年6月17日 - 平坂村に郵便受取所(現・平坂郵便局)が設置される。
  • 1878年 - 西尾城が廃城となる。
  • 1879年 - 西尾警察署が設置される。
  • 1883年5月24日 - 棉祖神を祀る天竹神社が建てられる。
  • 1884年 - 西尾二等電信分局が設置される。
  • 1891年10月28日 - 濃尾地震による津波で奥田新田の堤防が決壊し、死者60名が出る。
  • 1899年 - 雲母坑での事故により、千年以上続いた八ツ面山での雲母採掘が中止される。
  • 1904年12月16日 - 寺津村に郵便受取所(現・西尾寺津郵便局)が設置される。
  • 1906年5月1日 - 次のような大合併が行われた。
    • 西尾町が久麻久村、西野町村(田貫を除く)、大宝村の一部(矢曽根、町田、寄近、徳次)、奥津村住崎を編入する。
    • 平坂村が西野町村田貫、中畑村、奥津村(住崎を除く)を編入する。
    • 井崎、六郷、豊田、大宝村の一部(今川、川口、菱池、深池)が合併し福地村になる。
    • 寺津村が西崎村を編入する。
    • 御鍬村、吹羽良村、川崎村の3村が合併し三和村となる。
  • 1908年5月6日 - 岩瀬弥助が私立図書館の岩瀬文庫を開館する。
  • 1909年3月24日 - 愛知県幡豆郡立農蚕学校(鶴城丘高等学校の前身)が創立される。
  • 1910年 - 現在の市域内で電話が開通する。
  • 1911年10月30日 - 西尾鉄道(開業時は西三軌道)の西尾〜岡崎新駅が開業する。
  • 1914年10月30日 - 西尾鉄道が、西尾〜平坂臨港間(のちの名鉄平坂支線)を開業する。
  • 1915年 - 北浜川(北浜悪水路)が完成する。
  • 1918年2月22日 - 西尾町立西尾高等女学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1919年4月1日 - 愛知県立蚕糸学校(鶴城丘高等学校の前身)が設立され、翌年3月31日に農蚕学校を併合する。
  • 1920年4月16日 - 室場郵便局が設置される。
  • 1924年 - 平坂村が町制を施行し平坂町になる。
  • 1926年4月1日 - 愛知県立西尾中学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1926年9月1日 - 三河鉄道が大浜港から、中畑・平坂・寺津を経由して神谷まで開業する。
  • 1928年10月1日 - 碧海電気鉄道が西尾まで開業する。
  • 1929年4月1日 - 寺津村が町制を施行し寺津町になる。
  • 1932年4月19日 - 上永良神明社の大椎の木が国の天然記念物に指定される。
  • 1932年9月1日 - 室場村が花明、家武、平原の3村を編入する。
  • 1933年5月21日 - 福地郵便局が設置される。
  • 1933年9月21日 - 室戸台風で奥田新田、西奥田新田、南奥田新田の堤防が決壊する。
  • 1935年10月1日 - 米津郵便局が設置される。
  • 1941年6月1日 - 米野郵便局が設置される。
  • 1942年4月1日 - 蚕糸学校を西尾実業学校に改称する。
  • 1943年5月16日 - 西尾鶴城郵便局が設置される。
  • 1943年12月16日 - 戦争による金属資材(レール)供出のため、名古屋鉄道(名鉄)西尾線(初代)の西尾〜岡崎新駅が休止される。
  • 1944年12月7日 - 東南海地震により、現在の市域で死者32名が出る。
  • 1945年1月13日 - 三河地震により福地村、三和村を中心に甚大な被害を受ける。死者765名。
  • 1948年4月1日 - 学制改革により西尾高等女学校、西尾中学校をそれぞれ幡豆高等学校、西尾高等学校に、西尾実業学校を西尾実業高等学校に改組する。
  • 1948年9月1日 - 西尾中町郵便局が設置される。
  • 1948年10月1日 - 幡豆高等学校と西尾高等学校が合併し西尾高等学校となる。
  • 1952年12月1日 - 西尾町が福地村の一部(小焼野)を編入する。

市制施行後

幡豆郡3町の編入合併

周辺自治体との合併はこれまでにも検討されてきたが実現には至らなかった。近年、榊原康正市長が中心となって合併協議を進め、2010年8月27日幡豆郡3町(一色町吉良町および幡豆町)との合併調印式が行われ、2011年4月1日に各町が当市に編入合併した。

行政

市政

市役所出張所

  • 寺津出張所(寺津公民館内)

広域行政

旧西尾市と旧幡豆郡3町で、ゴミ処理などの広域連合を設置していた。国の消防広域化構想では、人口30万人以上の要件に満たないため、さらに近隣との広域化が必要とされている。西三河の4広域行政圏域の中では、合計人口16万余と最も人口が少ない。国政の選挙区では、岡崎市・幸田町と同一だが、ケーブルテレビではKATCH(碧海五市)に後発加入した。

警察

  • 愛知県警西尾警察署 - 市内には本署の他に、鶴城・中央・国森・平坂・一色幹部・吉良の6交番と、米野・東部・室・鵜ケ池・熱池・赤羽・松木島・佐久島・鳥羽・西幡豆・東幡豆・宮崎の12の駐在所がある。

消防

  • 西尾市消防本部 - 本署(矢曽根町)の他に、西分署(楠村町)と北出張所(米津町)、東出張所(米野町)がある。消防車はポンプ車9台(うち水槽付き3台)、はしご車1台、化学車2台など、救急車は計4台が各署・出張所に配置されている。
消防団

当市は数少ない消防団が無かった自治体(他は大阪市のみ)であった。

1961年に自治体の消防組織である西尾市消防署が設置されたのを機に消防団を縮小、翌1962年に解団して水防団警防団と改編した。これらはほぼ同じ役割を持つものであり、一般的には水・警防団または単に水防団と総称される。2004年に近隣自治体との合併が議論されたさい、この議論にあわせて消防団を復活させることが検討されかけたが、合併が不調に終わったために立ち消えとなっている。

2011年4月、幡豆郡3町の編入合併にともない、3町内の消防団を引き継ぐ形で49年ぶりに消防団が復活した。

経済

産業

  • 工業
    • 自動車・輸送機器製造 - 主な大規模事業所は、アイシン精機(西尾工場ほか)、デンソー(西尾製作所・善明製作所)など。
    • 鋳物製造 - 鋳造工場は主に平坂町に分布している。
    • 綿織物 - 愛知県下10産地のうち、西尾市を中心とした周辺地域は三州産地と呼ばれ、産業用資材の綿スフ(ステープル・ファイバー)織物では生産量全国一。
  • 農業
  • 水産業 - 海苔養殖アサリの採貝、ウナギの養殖。

金融・郵政

西尾銀行協会に加盟する金融機関は以下のとおり。(五十音順

郵便局

局名の後にある5桁の番号は取扱局番号。

姉妹都市・友好都市

姉妹都市

友好都市

教育

小学校

中学校

高等学校

おもな各種学校

  • 西尾高等家政専門学校(専修学校。学校法人白百合学園が運営。)
  • 西尾市立看護専門学校
  • 西尾幡豆医師会准看護学校

交通

鉄道

路線バス

  • 名鉄東部交通バス - 自治体がバス運行補助金を拠出し、名鉄東部交通が運行している。運行頻度は毎時1-2本程度で、設定のない時間帯もあるが、西尾-西尾市民病院は路線の重複があるため、昼間帯の運行頻度はやや多い。
    • 寺津線:西尾 - 矢田小学校前 - 徳永東 - 東脇 - 刈宿 - 寺津神社前 - 徳永東 - 矢田小学校前 - 西尾
    特定時間帯に西尾-西尾市民病院(昼間帯)-総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長される。徳永東→東脇→刈宿→寺津神社前→徳永東は循環運転のため逆方向となる停留所への利用ができない。
    • 平坂・中畑線:西尾 - 下町住宅 - 法光寺 - 中畑 - 港前 - 西尾勤労会館前 - 住崎北 - 下町住宅 - 西尾
    特定時間帯に西尾-西尾市民病院(昼間帯)-総合体育館西尾東高校前(夕1本復路のみ)の運行が延長される。下町住宅-中畑-港前-下町住宅間は循環運転で13時台以降は逆回りになる。
    • 一色線:西尾市民病院 - 西尾 - 深池 - 福地 - 憩いの農園口 - 市子 - 一色大宝橋 - 三河一色
    西尾-西尾市民病院(昼間帯と朝夕の一部)-総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長され、三河一色→一色渡船場→一色大宝橋は昼・夕の2本のみ運行。
    • 岡崎・西尾線(三和小学校前・高須経由):西尾 - 西尾市民病院 - 総合体育館・西尾東高校前 - 三和小学校前 - 中島 - 高須 - 岡崎駅西口
    • 岡崎・西尾線(室場・下青野経由):西尾 - 西尾市役所前 - 高河原 - 室場 - 永良 - 中島 - 下青野 - 岡崎駅西口 - 芦池橋 - 東岡崎
    朝の一部と最終は岡崎駅西口止まり。

いずれの運行状況も平日のもの。

  • ふれんどバス
    名鉄三河線碧南-吉良吉田間の鉄道廃止に伴い、2004年4月1日より運行開始した代替バスで、旧沿線区間の西尾市など2市2町によるふれんどバス運行協議会が、名鉄バス東部に運行を委託している。運行頻度は毎時1-2本で、碧南と吉良吉田で鉄道路線に連絡している。但し名鉄東部交通バス路線とは運賃体系が異なる。西尾市内には西小梛から刈宿まで9つの停留所が設置されている。
    2005年4月1日に西尾市関係分として、 西小梛、楠村、刈宿の3停留所を増設、寺津大明神を寺津二ッ家と改称し、巨海と共に移設した。
    • 碧南駅 - 西小梛 - 平坂郵便局前 - 平坂小南 - 平坂港前 - 楠村 - 寺津二ッ家 - 寺津神社前 - 巨海 - 刈宿 - 一色高校西 - 吉良吉田駅 - 吉良高校
  • 六万石くるりんバスコミュニティバス

道路

一般国道

主要地方道

一般県道

市内の道路通称名

  • 西尾中央通り(愛知県道383号蒲郡碧南線の一部)
  • 本町通り(愛知県道301号西尾新川港線の一部)
  • 中町通り(愛知県道301号西尾新川港線の一部)
  • 肴町通り
  • 順海町通り
  • 一色中町通り(愛知県道12号豊田一色線の一部)
  • 平坂街道

道の駅

名所・観光・祭事

名所・旧跡・観光スポット

久麻久神社本殿
市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要文化財に指定された本殿は八ツ面町にあり、鰐口・棟札2枚・厨子が附[2]指定を受けている。延喜式式内社で、幡豆郡熊来郷と読みは同じである。
西尾市岩瀬文庫
西尾の実業家、岩瀬弥助が1908年に私立図書館として創設したものを、のちに市への移管を経て、2003年に博物館として開館させた。幅広い分野の書籍が約8万冊収蔵されており、旧書庫と旧児童館(現・市立図書館おもちゃ館)は国の登録有形文化財に、また収蔵品の後奈良天皇宸翰般若心経(ごならてんのうしんかんはんにゃしんぎょう)は国の重要文化財の指定をうけている。
西尾市歴史公園・西尾城趾
再建された本丸丑寅櫓や二の丸の表門・鍮石門があり、二の丸跡に京都の公家屋敷・旧近衛邸の茶室が移築されている。
西尾市憩いの農園西尾市バラ園
西尾市憩いの農園は植木・観葉植物・盆栽などや、園芸資材を産地直売方式で展示即売する大規模な緑化木ショッピングセンターで、他にも農・海産物など地域の特産品も扱う。また西尾市バラ園は、憩いの農園の西に併設され200種以上のバラが楽しめる。
上永良神明社の大椎の木
樹齢約1000年と推定される樹高8m、根囲20m、胸高囲7mのの巨木で、国の天然記念物に指定されている。
三河工芸ガラス美術館
ガラス工芸を扱った私設美術館で、2002年版の『ギネス・ワールド・レコーズ』に掲載された巨大万華鏡があり、体験工房ではステンドグラスや万華鏡などのガラス工芸が体験できる。

祭事・催事・民俗芸能

西尾まつり
7月13日から15日に開催され、市中を練り歩く。かつては「西尾の祇園祭」と呼ばれていたが、のちに改称されている[3]
てんてこ祭り
毎年1月3日に熱池(にいけ)町八幡社で行われる豊作祈願の神事。赤装束の厄男が太鼓の拍子に合わせて、腰に結んだ男根をかたどる大根を振る。県の無形民俗文化財に指定されている。
貝吹のかぎ万燈
毎年8月14日に貝吹町の万燈山で行われる旧盆の行事。万燈山の西側斜面に108基の松明を焚き、鉤(かぎ)状に炎を映し出す。鍵万燈とも表記。市の無形民俗文化財に指定されている。
森下万歳三河万歳・御殿万歳)
太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の二人が一組になり、祝言を謡いながら舞ったり言葉の掛け合いをする伝統芸能で、西尾のものは発祥地の名から森下万歳と呼ぶ。一般に三河万歳とも呼ばれる。森下万歳の発祥は鎌倉時代と言われ、江戸時代には幕府から優遇されて元旦の江戸城の開門の儀式も勤めた。新年を祝う芸能でもあったが、他の地域に伝承する万歳と違って門付けではなく、大名などの屋敷内の座敷で披露されたことから御殿万歳(演目や種類を御殿万歳と呼ぶ地域もあるが、西尾の場合は万歳形態そのものを指す)とも呼ばれる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
棒の手
農民が自衛のため棒を使う武術として江戸時代に始まったといわれ、愛知県内の各地に伝わる。田貫町の鎌田流は古式を大切に受けついでおり、六尺棒の棒さばきが毎年10月の第3日曜日に披露される。県の無形民俗文化財に指定されている。

出身有名人

歴史上の人物

その他・一般

脚注

  1. ^ 図典 日本の市町村章 p138
  2. ^ 「つけたり」と読み、本体に附属するものの意。
  3. ^ 祇園祭への思い - 伊文神社

関連項目

外部リンク

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