シベール (同人誌)
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シベール | |
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Cybele | |
『シベール』外観 何ひとつ表記のない黒一色の装幀が特徴的 | |
愛称・略称 | シベ・黒本・黒シベ |
ジャンル |
男性向創作系 ロリコン漫画 アニパロ漫画 近親相姦 百合・レズ 獣耳・ケモノ SF・不条理ギャグ ジュブナイルポルノ 二次元コンプレックス |
読者対象 | 青年・おたく |
刊行頻度 | 季刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 300円(Vol.5以降400円) |
出版社 | 無気力プロ |
編集部名 |
シベール編集部 →グループ・シベール |
発行人 | 吾妻ひでお |
編集長 | 沖由佳雄 |
制作協力 | 蛭児神建=アリスマニア集団・キャロルハウス出版部 |
刊行期間 | 1979年4月8日 - 1981年4月5日 |
特記事項 | 成人向につき18歳未満閲覧禁止(コミックマーケットで頒布された男性向けエロ同人誌の記念すべき第1号) |
『シベール』は、吾妻ひでおの漫画制作プロダクション「無気力プロ」のシベール編集部が、コミックマーケット(コミケ)11〜17で販売していた日本初のロリコン漫画同人誌。1979年4月に創刊され、1981年4月の第7号で終刊した。誌名は吾妻ひでおの命名で、映画『シベールの日曜日』に由来する[1]。黒一色の表紙で、紙袋やビニール袋に入れられて[2][3]人目を忍ぶように販売されていたため「謎の黒本」とも称された[1][注釈 1]。なお『シベール』はコミケで行列が出来た最初の同人サークルといわれる[5][1]。
同誌は「男性向けエロ同人誌」の草分けかつ立役者的役割の同人サークルで、コミケ黎明期における「ロリコンブーム」の起点となったことで名が知られる。また、同誌の潮流は『レモンピープル』『漫画ブリッコ』を始めとする美少女コミック誌の成立に多大な影響を与え、その後の美少女アニメや美少女ゲームの発展にもつながった。現在では資料的価値も指摘されているが[6]、同人誌というメディアの性質上、国立国会図書館など公共機関での所蔵は皆無に等しく[注釈 2]、全体を目にすることは極めて困難となっている。
主な執筆者はシベール編集部の吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建、仁科蒼一、孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさく、三鷹公一、早坂未紀、森野うさぎ、川猫めぐみ、海猫かもめ等で全員別名義で描いている[7][8]。
本項ではロリコンブームの火付け役[9]となった自販機雑誌『少女アリス』(アリス出版)および『少女アリス』に吾妻ひでおが連載していた成人向け漫画作品である『純文学シリーズ』についても解説する。
歴史
シベールの発刊まで
『シベール』は吾妻ひでおの仕事場「無気力プロダクション」[注釈 3]に集まった有志数人により創刊された日本初の男性向けエロ同人誌である。『シベール』の主力作家は、漫画やアニメの愛好家が出入りしていた江古田の喫茶店「まんが画廊」に置かれていた「らくがき帳」[注釈 4][注釈 5]に常連客が残した落書きをみて、吾妻のアシスタントであった沖由佳雄がスカウトしてきた数名の同人で構成された[11][8]。この中には『シベール』に先駆けて日本初のロリコン同人誌『愛栗鼠』を1978年12月17日の「コミックマーケット10」で発表し、後に「ロリコンの神様」と呼ばれるようになる蛭児神建もいた。
吾妻によると本誌は「コミケからやおいを駆逐する」目的で創刊したとのことで、これは同誌のスローガンにもなった[2]。コミックマーケット準備会の資料などによれば、最初期のコミケットに訪れる参加者の9割以上が女性、花の24年組を筆頭とする少女漫画ファンを中心とした女子中高生や漫画誌『COM』の流れを汲む漫画研究会の大学生などであり[12][13][14][注釈 6][16][注釈 7][17][18]、流行していたのも『ポーの一族』の下ネタパロディ『ポルの一族』[注釈 8][14][19][20]をはじめとする「やおい」ものや、『宇宙戦艦ヤマト』ないしサンライズ作品などに登場する美形悪役キャラの同性愛を扱ったものばかりであったことから[2][16][18][21]、ロリコン漫画の出現とは「やおい」が席巻するコミケという場へ向けた、男性側からの一種のカウンターカルチャーであったのだという[22]。
蛭児神建も「やおいがあったからこそ『シベール』ができたということもあるわけです」「ロリコン同人誌を作ること自体、勇気が要ることだったんですよ。やおいがなければ、それをやる勇気はなかったかもしれません。やはり、いくら迫害されてもしようがないという意識があったわけです」と後年回想しており[23]、森川嘉一郎はコミケにおける「やおい」の隆盛について、「それに対する対抗意識と同時に、アニメの、もしくはアニメ調の絵柄のエロパロが許容される場をそこに形成し、 ロリコンマンガの発表を促していたのである。その意味では、やおいはロリコン同人誌の母だったとさえいえるかもしれない」と評している[24]。
また当時の一般的な男性向けエロ漫画はリアルタッチの三流劇画がほとんどで、『シベール』をはじめとするロリコン漫画の出現は「手塚治虫や石ノ森章太郎のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「かわいいエロ」[25]ないし「エロかわいい」という現代の日本的美意識の発見と革命をもたらしたとされる。実際、吾妻と沖によれば同誌を創刊した背景には当時の三流劇画ブームに対する強固な反発心が根底にあったという[26][27][28]。
日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』創刊
創刊号はB5判26ページのコピー誌で、何も印刷されていない黒色無反射ラシャ紙を表紙にした不気味な装幀だった[29]。創刊号の原稿は吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建、そして蛭児神の紹介で加わった仁科蒼一の4名で構成され[30]、併行して蛭児神は『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』を準備し(吾妻は1ページ漫画「美少女製造の手引き」を寄稿)、1979年4月8日に開催されたコミックマーケット11(大田区産業会館)において両誌は隣り合うスペースで頒布された[30]。
なお、吾妻と沖はトラブル回避のためか、C11の実質的な主催者であった「迷宮'79」の米沢嘉博(のちにコミックマーケット準備会2代目代表)と事前に打ち合わせを行っており、吾妻は「無理言ってコミケに潜り込ませてもらいました」と後年述懐している[31]。また蛭児神の証言によれば両誌は袋に入れて糊付けし、とじ目に赤くマル秘の印を押して売っていたとのことで「世間の冷たい視線の痛さが何故か快感で、マゾヒスティックな喜びに震えていた。売り手と買い手の共犯意識による友情に私の体は火照っていた」と当時の心境を振り返っている[2]。
創刊当時の逸話として、創刊号を出した後、事情を知らない吾妻ファンが読者集会に同誌を持参してきて「これ、先生のにそっくりですよ」とわざわざ突っ込みを入れてきたというが、吾妻は「本当に似ているな。なかなかうまいじゃない」と誤魔化したと語っている[32]。また当時はメジャー少年誌・少女誌で活動しているプロの現役漫画家が、成人向け同人誌に作品を執筆するということはタブーに等しく、吾妻ファンでヒルダコン[注釈 9][33]の少女漫画家・和田慎二を『シベール』に同人として勧誘する案も当初はあったものの「それはやっぱしアカンじゃないかい」という吾妻の鶴の一声で取りやめになった。これについて蛭児神は「やはり吾妻先生としては、メジャー作家を巻き込むのは不味いと思われたのだろう」と語っている[34]。
孤ノ間和歩と計奈恵の参加
この頃、編集長の沖がまんが画廊の「らくがき帳」を通じて孤ノ間和歩と接触し[11]、それに伴い弟子の計奈恵も2号目から本誌に参加したが、計奈は「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と立ち読みで騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、例外的にその中のひとりが後でこっそり戻ってきて、中身も見ずにお金だけ置いてすぐに帰っていったと回想している(この出来事を計奈は「こっちは、そういうのを見て『仲間』と思ってた。僕にとっては同志を見つける気持ちでしたね」と述懐する)[35][36][37]。
こうしたエロ本を買う時にありがちな気恥ずかしい状況[37]が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった[38]3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという[36][39]。
シベール同人について
- 漫画家。1950年に北海道浦幌町で生まれる。1968年に上京後、工員などの職を経て板井れんたろうのアシスタントを務める。1969年に『まんが王』(秋田書店)12月号付録に発表した『リングサイド・クレイジー』でデビュー。その後、1972年から『週刊少年チャンピオン』に連載した『ふたりと5人』で人気作家となる。1970年代は『二日酔いダンディー』『エイト・ビート』『きまぐれ悟空』『やけくそ天使』『チョッキン』『おしゃべりラブ』『ちびママちゃん』『翔べ翔べドンキー』『やどりぎくん』『スクラップ学園』(すべて秋田書店)などのナンセンスギャグ浸画で人気を得る一方、1978年の『不条理日記』を皮切りに発表した一連の作品がSFファン・漫画マニアに熱狂的に受け入れられ、そのマニアックなSFパロディと革新的なギャグセンスから今日の不条理漫画の先駆けになる。また1978年にニューウェーブ漫画誌『Peke』(みのり書房)で連載した『どーでもいんなーすぺーす』によって1980年代に「ロリコンまんが」と呼ばれることになるSFと美少女を中心とした先鋭的な作風をいち早く確立する。1979年4月から日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)を自費出版。さらに並行してアリス出版の自販機本『少女アリス』(川本耕次編集)に『陽差し』『海から来た機械』など「純文学シリーズ」と呼ばれる作品群を発表し、一連の作品で性的表現の中に手塚治虫を系譜とする戦後漫画の正統的な絵柄と少女漫画の内面世界を持ち込んだ[40]ことから今日の「美少女」「萌え」につながる「おたく」的表現に決定的な影響を与えた。その後も『ななこSOS』『おちゃめ神物語コロコロポロン』などの人気作品(2作品ともテレビアニメ化された)を精力的に発表するも、創作に行き詰まり、1989年11月と1992年4月に突如失踪、1998年12月にはアルコール依存症で入院する。その経緯を描いた自伝『失踪日記』(2005年)はロングセラーとなり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第10回手塚治虫文化賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞したほか、2019年10月にはイタリアのグラン・グイニージ賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞する。2019年10月13日没。
- 吾妻ひでおのアシスタント。『シベール』創刊編集長兼スカウト係[8]。同人サークル「グループ601」主宰。吾妻の漫画『オリンポスのポロン』に登場するエロースや『ななこSOS』に登場するDr.チャバネのモデル。『アニメック』で商業誌デビュー後、蛭児神建編集のモンド系ロリコン漫画雑誌『プチパンドラ』などにも執筆した[41]。
- 作家・編集者・僧侶。ロリコンの神様と呼ばれた伝説的人物。東京都生まれ。1978年に日本初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』を創刊。その後『シベール』創刊参画を経て、過激派ロリコン同人誌『幼女嗜好』『SMロリータ』(変質社)をコミケットで発表。1980年代に巻き起こったロリコンブームの立役者・教祖的存在となる。また当時のコミケットには髪を腰まで伸ばし、ハンチング帽にサングラス、トレンチコートにマスク、プティアンジェ人形を逆さまにぶらさげた変質者スタイルで出没[45]していたことから吾妻ひでおの漫画『ななこSOS』『スクラップ学園』やアダルトゲーム『ALICE』などに登場する変質者のモデルにもなった。1982年には商業誌初のロリコン漫画雑誌『レモンピープル』でプロデビュー。1984年から雑誌『プチパンドラ』(一水社)の編集長に就任するが、1987年に引退・絶筆する。後に出家。その経緯に関しては2005年に上梓された自伝『出家日記―ある「おたく」の生涯』(角川書店)に詳しい。
- 仁科蒼一(にしな そういち)
- パロディ漫画家。蛭児神建が初参画した漫画評論サークル「ユニオン・エカルテ」主宰者。吾妻ひでおの漫画に登場するモブキャラクターのモデルのひとり。みのり書房発行の『月刊OUT』『ランデブーコミック』でも活躍した。後に蛭児神の仲介で『シベール』創刊に参加する[2]。
- 漫画家。孤ノ間和歩の弟子。くりいむレモンシリーズ『SF・超次元伝説ラル』『STAR TRAP』キャラクターデザインを孤ノ間和歩と共に担当。『アニメック』でプロデビュー後『漫画ブリッコ』を経て『月刊少年ガンガン』など少年誌にも執筆するかたわら「和猫」名義で成人向け漫画も執筆した。吾妻ひでおの漫画『ななこSOS』に登場する国際セル密売組織の男のモデル。
- 豊島ゆーさく(とよしま ゆーさく/豊島U作)
- 漫画家。東京都生まれ。中村プロダクション出身の元アニメーター[47]。I.N.U.(いぬねこうさぎざえもん)名義にて同人誌で活躍。ケモナーの先駆者で『シベール』時代からケモノを描き続けてきたケモロリおたくの最古参[48]。大塚英志編集のアンソロジーコミック『美少女まんがベスト集成3 プチアップル・パイ』(徳間書店/1983年6月)に発表した『きゃっとがーる』でデビュー。1986年に初単行本『硝霊島』(白夜書房)を上梓。1992年からは同人誌『獣姦王』を創刊し『キャッ党忍伝てやんでえ』や『RPG伝説ヘポイ』のミーヤ・ミーヤなどメスケモを題材にした成人向け漫画をあさりよしとおらと共に次々と発表していた[注釈 10]。なお『シベール』の頃「抜けシベ」を考えていた児童漫画志望[49]の計奈恵に「まんが画廊でロリコンと呼ばれ、今ここ(無気力プロ)を抜けるお前に行く所があるのか?」と釘を刺して退路を断たせ[26][50]、三流劇画誌『漫画大快楽』(檸檬社刊)に谷口敬の起用を投書で推薦するなど[51]、当時のロリコン文化にも少なからず影響を残している。代表作に『下品な魔法使いケツメドアナル』など。
- 三鷹公一(みたか こういち)
- 兵庫県出身。岡山大学卒業。望月三起也、吾妻ひでお、みやたけしの元アシスタント。小学館の学年別学習雑誌やコロコロコミックなど小学生向けの漫画雑誌でも執筆。また、吾妻ひでお原作のテレビアニメ『ななこSOS』の絵本は三鷹が作画を担当している。
- 富山県出身。和田慎二、吾妻ひでお、村上もとかの元アシスタント[8]。同人サークル「トラブルメーカー」所属。1980年に同人誌『フリス』を自費出版。その後、大塚英志が編集していた漫画雑誌『リュウ』『プチアップルパイ』『漫画ブリッコ』などにも執筆し、かがみあきらやあさりよしとおらとともに1980年代前半を代表する美少女SF漫画家として知られた。しかし現在は消息を絶っている模様である[52][53]。
- 漫画家・イラストレーター・キャラクターデザイナー・同人作家。現在の萌え属性につながる「ぷにロリ」の元祖的存在[54]。あさりよしとおやふじたゆきひさらが参画した同人サークル「スタジオ・アオーク」主宰[55]。同人サークル「うさぎ幼稚園]」主宰[注釈 11]。クリエイター集団「いちごはうす」メンバー。また「影夢 優」(えいむ ゆう)名義で成人向け漫画も執筆している。コミケ参加当初は同人誌経験もない高校生だったが[56]、まんが画廊でスカウトされる形で『シベール』に参加する[57]。その後「メカと少女」をテーマにした先駆的なロリコンSF漫画同人誌『TEKUNO RORIA』(STUDIO BAKI)を豊島ゆーさくらと創刊し[57]、二大ロリコン漫画誌『レモンピープル』『漫画ブリッコ』でも活躍する。1984年から同人アニメ『AWAKE』[注釈 12]を自主制作するため同人サークル「スタジオ・アオーク」を結成[57]。これを皮切りに大塚英志原案のアダルトアニメ『魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく』(白夜書房)やテレビアニメ『おやゆび姫物語』(テレビ東京)のキャラクターデザインのほか、スーパー戦隊シリーズ『光戦隊マスクマン』『超獣戦隊ライブマン』や宇宙刑事シリーズ『宇宙刑事ギャバン』『宇宙刑事シャリバン』の怪人デザインなども担当した。
- 『AWAKE』制作後は「スタジオ・アオーク」を解消して同人サークル「SYSTEM GZZY」に移行し、1990年から近親相姦をテーマにした代表作『遊裸戯』シリーズ(影夢優名義)を発表、米沢嘉博から「ちゃんとエロチシズムと少女をテーマにした『作品』が、おそらく初めて同人誌界に誕生することになるだろう」と評された[58]。1980年代に頒布した主なロリコン同人誌に『ま』『ん』『GSPOT』『ZZ』『XSEED』[59]『学習漫画・保健4・女体のひみつ』[60]などがある。
- 漫画家・愛猫家・同人作家・路上詩人[8]。神奈川県横浜市出身[61]。女性。1973年にトキワ松学園女子短期大学卒業後[61]、1974年に『蒼い馬I』(北冬書房)に「花帽子―宵の秋」発表。その後、北冬書房の『夜行』などに四畳半フォーク調で幽玄的雰囲気を漂わせた叙情派作品を発表していた。1976年には『週刊漫画ジョー』(廣済堂出版)に「半夏生」を発表し、一般誌デビュー。1979年には『月刊セブンティーン』(集英社)に掲載した「知らない明日へ」で第1回新人グランプリ努力賞を受賞した。1980年に初単行本『どこか遠い虹の国』(集英社セブンティーンコミックス)上梓。以後フリーとなり、川本耕次監修の美少女専門誌『ロリコンHOUSE』(三和出版)や『シベール』の後継同人誌『アスケロン』(ぐるーぷティンカーベル)のレギュラー作家となる[62][63]。この頃からデフォルメ系少女漫画調のスタイルを確立し、ファンシーかつエロティックな世界観で知られた。主な漫画作品集に『川猫めぐみ没作品集―星野原紙芝居』(虎馬書房・1983年)や『しましまBOOKS』(けいせい出版・1986年)がある。2008年に公式ホームページ[注釈 13]を開設。並行して雑貨販売や音楽活動を行うなど、現在も精力的に創作活動を行っている。
- 海猫かもめ(うみねこ かもめ)
※上記人物のうち、吾妻、沖、蛭児神、仁科、計奈、孤ノ間、豊島、森野、早坂、川本は、吾妻の漫画にサブキャラクターとしてたびたび登場する。
自動販売機雑誌『少女アリス』に「純文学シリーズ」連載開始
1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)[注釈 14][65][66][67]から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり[68][69]、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月[70]まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。
この連作は吾妻が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。大塚英志は著書において、
と評価している。
また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如としてアリス出版の自販機本にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している[71]。そのため大塚は吾妻のことを
- 「まんが界の中にあった少年週刊誌を頂点とするヒエラルキーを最初に崩した一人」[72]
- 「ぼくが師事したみなもと太郎の時代には、少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる」[73]
- 「メジャー少年まんが誌のまんが家が自販機本というエロ本の中でも最底辺であるメディアに現役のまま登場するというのはあり得ないことでした。もちろんこういった壁はばかげたものでしかありません。そして吾妻ひでおはこの壁を最初に乗り越え無化していったまんが家だったのです」[74]
と日本の漫画史におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。
なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」[75]と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは当時としても前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の秋田書店から警告を受けていたが無視したという[76])。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
シベールの終刊
ほどなく巷では吾妻の新作を求めて『少女アリス』(アリス出版)が売られている自動販売機を捜し歩くマニアが続出し[77][78][79][80]、同じく『シベール』も列整理が必要となる最大手の壁サークルに急成長する[81]。その人気を決定づけたのがアニメ雑誌『月刊OUT』(みのり書房)1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」という記事の中でコミックマーケット準備会代表の米沢嘉博が「コミケットなぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である」と同誌を取り上げたことで、その名をアニメファンに広く知らしめるきっかけとなった[78][82]。
しかしブームの折りから次第に吾妻をはじめとする参加者の本職が忙しくなり[35]、それに加えて同誌に追随する複数のロリコンファンジンも現れ始めたことから「やるべきことはやった」という確信のもと[83]、コミックマーケット17(1981年4月5日)で頒布された7号目を最後に本誌は終刊宣言する。なお終刊号の行列は発売前から100人前後にまで達し[84]、この中にはデビュー前の「森山塔」こと山本直樹も並んでいたという逸話がある[85]。
コミケットのみならず一般にもロリコンブームを巻き起こした同誌の存在は終刊後すぐに伝説化した[84][86]。まず志水一夫(原丸太)が「終刊半年足らずにして伝説的存在に」と『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号のロリコン特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」やアニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集』(1982年3月)の寄稿記事などで同誌を布教して回った[87][88][89]。続いて米沢嘉博(阿島俊)が『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から連載を開始した「同人誌エトセトラ[注釈 15]」第1回で「今や神話となった幻のシベール」と同誌を神格化して紹介する[3]。結果として同誌は彼らの批評によって伝説化・神話化がより強調されることになり、終刊後も知名度の上昇に貢献したことは否めない。実際、吾妻は「米沢さんが評論をいっぱい書いてくれたので私は漫画史に名前が残ります」と感謝の弁を述べていた[31]。
『シベール』神話に関して同人の計奈恵は、新宿Naked Loftのトークイベント「プレイバック’80年代〜あの頃の美少女漫画の話をしよう」(2016年10月30日)出席時、同席者から『ミャアちゃん官能写真集』(吾妻ひでおが1981年夏のC18で頒布した伝説的同人誌)の話が出た時、当時からすでに「伝説のシベール」と扱われるような状況だったと述べており、「美少女漫画の黎明期を語る」という趣旨のイベントだったにも関わらず、最古参の計奈は同席者との会話に全く付いて行けなかったと苦笑する[90]。さらに計奈は吾妻ひでおファン葬(2019年11月30日)参加時も「知ってる人がいなかった」と語っており、同人の孤ノ間和歩ともども「確かに吾妻先生と美少女同人誌の歴史に居たけど、私ら〔シベールメンバー〕ってミッシングリンクだよね」と述懐している[91]。また大塚英志も「結局、あの後『シベール』の人たちよりもう一つ下の世代が次々出てきて、そっちの連中の方がもっとエロとしては過激なものを描いてたんで、わりと『シベール』の人たちはそういう世代の狭間にはまっちゃったみたいなところがあった」「吾妻ひでおの許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが、たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ」と語っており、黎明期のロリコン漫画家たちがミッシングリンク化している状況を認めている[92][93]。
シベール・メンバーのその後
吾妻ひでおが定型化したロリコン漫画の形式は、その周辺にいた同人作家たちに継承され拡散していった[94]。吾妻は1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動で同人誌や自販機本といったアンダーグラウンドなインディーズメディアを通して以降の漫画状況をメジャー・マイナーを問わず決定的に変え、それを1980年代以後のおたく文化に繋いだ。そしてこれは無気力プロに集まった同人全員が全速力で駆け抜けた「奇跡の2年間」でもあった。
蛭児神建は1980年から自身が主宰する「変質社」に移り、過激派ロリコン文芸誌『幼女嗜好』を発行。ロリコン界の教祖的存在としてコミケに君臨する[45][95]。それ以外のメンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ、本誌終刊後も活動を継続した[63]。
「グループ601」は『シベール』元編集長の沖由佳雄が主宰する同人サークルであり、1981年12月に創刊された後継同人誌『エピカル』には『シベール』出身メンバー(計奈恵、孤ノ間和歩、三鷹公一、豊島ゆーさく、仁科倉一)も多数参加していた。しかし、その後は離合集散を繰り返し、やがて見解の相違などから一部の初期メンバーが分派・独立した結果、シベール時代の痕跡は跡形もなく雲散霧消した[92][96][97]。
一方「ぐるーぷティンカーベル」は、ファンタジー路線を基調にした創作系同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し、沖由佳雄、豊島ゆーさく、計奈恵、森野うさぎ、川猫めぐみ、よしき志信、毛羽毛現、さえぐさじゅんらが原稿を寄稿した[63][98]。
森野うさぎ主宰の「STUDIO BAKI」は、後に壁サークルとなるクリエイティブ集団「スタジオ・アオーク」[55]に発展し、自主制作アニメ『AWAKE』[注釈 16]の製作を主軸にその資金稼ぎ[57][63]として同人誌以外に『漫画ブリッコ』誌上でメディアミックスも展開し、第2次ロリコン商業誌ブームの嚆矢となる[99]。さらに1985年には活動拠点であった白夜書房を製作母体に大塚英志原案のアダルトアニメ『魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく』の企画制作も行なった[55]。主なメンバーは森野うさぎ、豊島ゆーさく、あさりよしとお、来留間慎一、『プラモのモ子ちゃん』作者のふじたゆきひさ、『レモンピープル』読者欄担当のくあTERO、エディターの町田知之の7人で構成され[63]、編集者の池本浩一はサークル主宰者の森野うさぎについて「彼こそが、それまで夢のまた夢のように思われてきた『同人誌の商業化』という概念をモデル化し、また初めての実証実験にも成功して、のちに〈まんがの森商法〉とも呼ばれるようになる『同人誌リンケージによる複合的な利潤追求』を完成させてしまった第一人者。彼の活躍がなかったなら『販売活動を重視したサークルによる同人誌制作』が全盛となることもなかった」と評している[99][注釈 17]。
シベール以後―ロリコン文化の浸透と拡散
『シベール』は初期のコミケでブームを呼ぶも早期に終刊したが、日本漫画界ならびにコミックマーケットに与えた影響は計り知れず、これを嚆矢として1981年夏のC18ではロリコン同人誌が氾濫するに至り[101]、その後のロリコンブームの直接的な起爆剤となった。志水一夫はロリコン漫画同人誌ブーム到来と共に本誌が突然廃刊したことで、欲求不満になった有志が次々にロリコン同人誌を出しはじめたと言い「盛り上がったところで消滅しちゃったもんだから、どんなモノでも売れた」と述懐している[101][102]。
なお当時流行していたロリコン漫画というジャンルは頽廃的な幼女趣味に基づく漫画表現のみを単純に指していたわけではなく[103]、SFアニメや特撮などに育てられた若い世代の描き手たちが生み出した「パロディ的・アニメ的で必ずといっていいほど美少女が登場するような作品群」を半ば冗談で括ったネーミングとして現れたもので、広義の意味では「美少女をキーワードとする新しい感覚の少年漫画」[104]全般を指していた(米沢嘉博は同人誌における少年漫画がロリコン漫画によって「復権」したと結んでいる)[105][106]。
また志水によれば、それ以前から類似同人誌に存在していた「メルヘンチックな、あるいはオトメチックなかわいいものに接したい」「エロチックな、あるいはセクシャルなものに接したい」「(主にアニメの)ひいきのキャラクターに接したい」という3つの異なる志向がロリコン漫画ブームにより部分的に重なり合ったと言い[101][89]、その結果「ロリコン」は美少女を素材とした広い意味でのファンタジー表現を包括する概念として汎用化され[107]、このジャンルは後に「美少女コミック」として括られることになる。
おたく文化におけるロリコン文化の受容と拡散について、コミックマーケット準備会2代目代表で漫画評論家の米沢嘉博は次のように説明している。
ロリコンは、吾妻ひでおブームと重なって出てきた。マンガの中の少女のエロチシズムを認め、自覚しようとするものであり、当初提唱された概念は、今で言う「萌え」に非常に近い。即物的な少女姦、ペドフィリア、ではなく、精神的な「少女」への愛しさ、自らの子供時代に向けた追憶、世界として自律していた「少女」という美など様々なものを含んでいた。小説、映画、絵画などの中に散らばっている「少女」のモチーフのフレクト。無垢な現実の少女たちを、時間を記憶する装置であるカメラやビデオによって、その時を止め置く行為。それは、SEXという行為とは無関係に成立する。かわいさへの憧憬であり、「美」の収集の一つでもあったはずだ。ほんの一時の間、少女は輝き、子供でも女でもない「時間」の中に生きる。それが失われるものであるなら、その刹那的なまでのはかなさを記録しようとすることに、他意はない。ロリコンが、「少女の美」にこだわっていたのは、「少女」という存在が孕む物の大きさ故だったのでもあるのだろう。しかし、それは少女への性犯罪という現実の犯罪と混同され、一方では「ロリコン」という言葉から「商品化された性」として消費されていく、プラグマティックなエロマンガを生み出していった。こうした「ロリコン」の一般化、混乱などが、後に問題を引き起こしていったのかもしれない。
ただ、マンガ状況の中では「ロリコンマンガ」は八〇〜八三年のわずかな時期、マンガの中の「少女」にエロスを感じたり、萌えたりすることの言い訳として、ちょっと危なげでオシャレな言葉として燃え上がっただけだ。少女の美学は、ナバコフ、キャロル、ラスキンといった作家と関係付けて語られ、ペダンティックに取り扱われもしたし、古今東西の文化や芸術も漁られた。それは「JUNE」「耽美」が、ジュネ、澁澤龍彦、三島由紀夫などと共に一つの文学的少女趣味として「少年愛」を語ったのに似ていた。ジュネは、より普通の少年たちによる「やおい」によって一般化したように、ロリコンマンガは、アニメ、少女マンガ、少年マンガなどの絵によって描かれる「エロマンガ」である「美少女コミック」へと一般化し、消えていくことになるのだ。 — 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 pp.279-280「第35章/ロリコンマンガと美少女劇画」
さらに米沢は吾妻ひでお人気とも重なる同人誌発のロリコンブームについて「“少女”というモチーフを少年漫画や青年漫画の中で浮上させていくだけでなく、SF/ニューウェーブ/少女漫画/アニメ等と結びつかせたことで新世代にとっての心地良さ感覚をエロスとして描いていく方法論を内在させていた」と説明し、昭和30年代以後の世代のためのエロ表現として従来の三流劇画とは一線を画した「アニメ絵によるエロ漫画」が登場したと位置づけている[108]。また、こうした作品への思い入れは青年男性を中心に「二次元コンプレックス」なる現象を生み出すことにもつながっていった[107]。
とりわけ宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』を題材にしたさえぐさじゅんの『クラリスMAGAZINE』や高橋留美子の『うる星やつら』をはじめとするアニメ調や少女漫画風の男性向け同人誌がコミケで急増し[109][110][111][112]、そこから描き手の供給を得ながらロリコン漫画同人誌ブームのひとつの到達点として1981年12月に商業初の美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)が創刊される[113]。創刊に際しては米沢嘉博の全面協力[114]のもと、蛭児神建、千之ナイフ、破李拳竜、孤ノ間和歩、森野うさぎ、猫井るとと、MEIMU、阿乱霊、火野妖子らコミケ出身の同人作家が大量に起用されたほか、吾妻ひでお、内山亜紀、中島史雄、村祖俊一、あさりよしとお、御茶漬海苔、ちみもりを、雨宮じゅん、しのざき嶺、新田真子、牧村みき、阿島俊らも執筆陣として参画した[104][115]。
ここまでの経緯を阿島俊[注釈 18]は次のように総括している。
79年末[注釈 19]、たぶん『OUT』で連載されていた「病気の人のためのマンガ考現学」(米沢嘉博)で、さりげなく「シベール」のことが紹介され、「ロリコン」というキーワードがあたえられた時、同人誌は大きく変化し、コミケットでは、シベールに大きな列が出来、混乱が起きた。続く横浜で行なわれたコミケット18では、吾妻ひでおの出した「ミャアちゃん官能写真集」が一人一冊という頒布にもかかわらず1500冊を売っている。そして、この刺激を受けて、ロリコン同人誌と呼ばれる新たな波が同人誌界で生まれるのだ。その方向性は大きく分けて3つあった。一つは、少女という美学にこだわり、キャロル以来の流れにある「ロリータコンプレックス」という「少女妄想」をテーマに創作、研究などを行なう本。ロリコンという言葉をもっと単純に捉えて、女の子の出てくるエッチなマンガ、エロマンガを描く方向。そして、アニメやマンガの中に出てくる少女キャラクターを、男性の性的妄想をテコにパロディにする方向だ。「シベール」を核にして、同人誌界にはロリコンブームが訪れることになる。アリス、変質社、キャロリータ。さらにピグマリオニズムをテーマにした「人形姫」(サーカスマッドカプセル)。アニメキャラ系では「カリオストロの城」のヒロインを扱った小冊子「クラリスマガジン」。80年から82年、サークルの数は20から30もなかったにも関わらず、女性が8割を占めていた同人誌界に、大量の男性参加者を呼び込むことになっていった。こうした「ロリコン」という方法論、キーワードによって、留美子系サークルなどのジャンルも築かれていったのだ。(中略)
一方、創作少女マンガサークルは、JUNE系の特化が行なわれていき、ロリコンにたいする「アダルトコンプレックス」(おじさま趣味)がまのとのま[注釈 20]などを中心に提唱される一方、かわいい系少女マンガの描き手を中心に「ショタコン」という言葉が作られることになる。これらは明らかに「ロリコン」への女性たちの対抗文化であった。(中略)
こうした中、初の商業誌としてのロリコンマンガ誌『レモンピープル』が創刊されることになるのである。 — 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.22「序章/マンガ同人誌の歴史 〜1981」より一部省略して引用
美少女コミック誌『漫画ブリッコ』とその周辺
コミックマーケットの創設母体となった漫画批評集団「迷宮」と深い関わり[117]のあった村上知彦は、1982年3月発刊の『マンガ宝島』(JICC出版局『月刊宝島』臨時増刊号/高取英編)に寄稿した「ニューコミック派宣言」という記事の中で、1970年代後半に「迷宮」を中心として勃興した「ニューウェーブ」が、少女漫画・三流劇画・アニメ・同人誌などの要素を混然一体と巻き込みながらロリコン漫画(=ポスト・ニューウェーブ・コミック)に移行したと指摘しつつも、その流れが結局は女の子を中心に展開するメジャーな少年漫画(あだち充『みゆき』や鳥山明『Dr.スランプ』など。80年前後からメジャー少年誌を中心にラブコメ作品が大人気となった)の売り上げに奉仕させられているに過ぎないという現状と憂慮を記していた[118]。
そうした状況のなか、ふゅーじょんぷろだくと編集部によるアンソロジー『ロリコン白書─ロリコン同人誌ベスト集成』が同年7月に白夜書房から発売される。内容は同人誌紹介や少女写真、ルポルタージュ、青山正明や蛭児神建らの過去発表済みの原稿など、雑多な記事を寄せ集めたものだったが、ロリコンブームの後押しもあって同書は中ヒットを記録した[119]。
これを契機として同年9月[注釈 21]には藤脇邦夫の企画[119]で三流劇画誌『漫画ブリッコ』(セルフ出版→白夜書房)が創刊され、ほどなく先行誌『レモンピープル』の後を追って「夢見る男の子のための美少女コミック誌!」をキャッチコピーに同誌は1983年5月号から突如ロリータ路線に誌面刷新した。この過程で『漫画ブリッコ』は徳間書店の契約編集者[120]であった大塚英志(オーツカ某)と『少女アリス』『Peke』『ロリコン大全集』編集人の川本耕次と関係があった元ふゅーじょんぷろだくと編集部/群雄社の緒方源次郎(おぐゎた)[121]を迎えた二頭体制となる[122][123]。
さらに1983年6月号[124]から中森明夫が『東京おとなクラブ[125]』の出張版[126]として「『おたく』の研究[127]」を全3回にわたり連載し、同誌は「おたく」の語源として日本のサブカルチャー史に名を残すことになった(ただし中森の連載は読者から猛反発を受けた結果、大塚の一存で打ち切りとなる)[122][123][128]。その後、売上不振で休刊が決まっていた同年11月号より表紙を三流劇画出身の谷口敬から少女漫画風のあぽ(かがみあきら)に変更し、アリス出版に嘱託社員として勤務[129][130]していた藤原カムイと、当時10代であった岡崎京子、桜沢エリカ、白倉由美ら3人の非少女漫画系ニューウェーブ女性漫画家[62][123][131][132]を雑誌の主軸とした。結果としてリニュアール号は完売し雑誌の存続が決定する[133]。
なお『漫画ブリッコ』では直接的・実用的な性的描写よりも『シベール』の雰囲気を受け継いだナンセンス色の強い不条理系作品が多く、実際に計奈恵、豊島ゆーさく、早坂未紀、森野うさぎら『シベール』出身の同人作家が執筆陣として関わっていたほか[8]、洋森しのぶ、中田雅喜、寄生虫、早坂みけ、あびゅうきょ、いくたまき、水縞とおる、西秋ぐりん、ちみもりを、ねぐら☆なお、外園昌也、五藤加純、中森愛、悶悶、後藤寿庵、竹熊健太郎、飯田耕一郎ら「一人一派」とも言えるほどの個性的なニューウェーヴ作家が多数起用されていた[128]。言い換えれば、ここに「迷宮」の米沢嘉博や川本耕次らが主導した三流劇画ブーム[117][134]→ニューウェーブ運動[18]→ロリコン漫画革命[135]へと連なる表現運動としてのエロ漫画史の流れが確立したといえる(この潮流は「祭りの時間は終わった」という大塚英志の終了宣言により雑誌を「自殺」させた1985年前後まで続いた)[136]。
ちなみに大塚が『漫画ブリッコ』で唱導した「美少女コミック」とは、成人向け漫画というより「男性も読める少女漫画的なもの」[137][138]ないし「ちょっとエッチで可愛い女の子が出てくる青少年向けのマニア雑誌」[139]という位置づけが強く、作り手も18歳以下の未成年を読者に想定していた節があったため、必ずしもエロ要素は必要条件ではなく「美少女さえ出ていれば何をしてもいい」という非常に自由で実験的な漫画ジャンルだったとされている(同誌の顛末については大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』などに詳しい)[139]。
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といった模倣誌・亜流誌・類似誌・競合誌が雨後の筍のごとく猛烈な勢いで産み出され、このムーブメントはロリータ総合情報誌『ヘイ!バディー』(白夜書房)や川本耕次監修『ロリコンHOUSE』(三和出版)の誌面にも大いに反映された。たとえば前者では蛭児神建が連載に起用[141]されたほか、ねぐら☆なおが商業誌デビューを果たしている[142]。また後者では川猫めぐみが挿絵を担当したほか、あらきあきらが商業誌デビューを果たした。
これらの雑誌は比較的短命に終わる状況が続いたが、現在では老舗エロ漫画誌の『COMICペンギンクラブ』『コミックMate』『COMIC快楽天』『コミックマショウ』『COMIC LO』『コミックホットミルク』[140]などがロリコン漫画〜美少女コミックの血脈を引き継いでいる。
また、この流れを受けて1980年頃から三流劇画誌もロリコン劇画に舵を切り[143]、とくに三大エロ劇画誌のひとつ『漫画エロジェニカ』(海潮社)は中島史雄、村祖俊一、ダーティ松本、谷口敬らを起用するなど、いち早く美少女路線に移行する[144]。これを口火として『漫画大快楽』(檸檬社)も内山亜紀、谷口敬、村祖俊一、火野妖子、五藤加純、牧村みき、小鈴ひろみ、西江ひろあきを起用し[注釈 22]、亀和田武と米沢嘉博が編集長を務めた自販機専門の三流劇画誌『劇画アリス』(アリス出版/迷宮)も吾妻ひでおの『不条理日記』『るなてっく』を連載する。以降、三流劇画における女性キャラの低年齢化が進み『漫画エロス』(司書房)では丸尾末広の残酷劇画『少女椿』(青林工藝舎)が連載され、美少女に特化した『漫画エロリータ』『漫画聖少女』『漫画ロリータ』『劇画ロリコン』『劇画ジッパー』『コミックひろこ』といったロリコン劇画誌すら出現するようになる[101][145][146]。
さらにこの潮流は漫画界のみならず美少女ゲーム業界にも波及し、PSKからは吾妻ひでお風の絵柄[147]を採用したアダルトゲーム『ロリータ(野球拳)』(1982年12月)や『不思議の国のアリス』をモチーフにしたアドベンチャーゲーム『ALICE』(1984年7月)がリリースされ[148]、同時期にはエニックス(現・スクウェア・エニックス)からも『マリちゃん危機一髪』(1983年2月発売。ダイナミックプロの槙村ただしが原画担当)や猟奇作品『ロリータ・シンドローム』(1983年10月発売。学習漫画で知られる望月かつみが制作[149]。1985年3月に光栄から発売された続編『マイ・ロリータ』は前作を上回る過激さ[148]からエニックスに販売拒否される)といった話題作・問題作もリリースされ、いずれも好セールスを記録した[150]。
アニメ界では1977年放送の『女王陛下のプティアンジェ』[151][152]、1982年放送の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』[151]、1983年放送開始のぴえろ魔法少女シリーズ『魔法の天使クリィミーマミ』[153]を皮切りに「大きいお友達」と呼ばれる視聴層が女児向けアニメに流入するようになり[154]、1984年夏には中島史雄原作のアダルトアニメ『仔猫ちゃんのいる店』がワンダーキッズから発売され、続いてフェアリーダストから美少女アニメの金字塔『くりぃむレモン パート1 媚・妹・Baby』(パート3『SF・超次元伝説ラル』およびパート10『STAR TRAP』には『シベール』出身の計奈恵と孤ノ間和歩も原作・キャラクターデザイン・作画監督などでアニメーション制作に参加している)[155]がリリースされるなど、漫画・アニメ・雑誌・同人誌・ゲーム・SF大会・三流劇画・官能小説・ラブコメ・OVA・ロリータビデオ・ロリコンショップ・少女ヌード写真集にまたがる複合的な流れが「ロリコンブーム」として形成されていく[109]。
ちなみにロリコン漫画における「美少女=ロリータ」というイメージは、漫画やアニメの受容年齢層の上限が拡大したことで現れた「漫画・アニメ調のかわいい絵柄でセクシャルな漫画が読みたい」という「劇画に対して劣勢であった手塚系漫画絵の復権運動におけるアイコン」として祭り上げられたものに過ぎず、別にロリコン縛りである必然性もなかったが、当時の出版業界・写真業界ではロリコンブームの実質的な火付け役となった山木隆夫撮影『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版/1979年1月)や石川洋司撮影『les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち』(世文社/同年11月)といった少女ヌード写真集[注釈 23]が大流行しており[156][157][158]、版元にとってもセールスしやすいネーミングとして現在の「萌え」に相当する言葉の不在から「ロリコン」という呼称が美少女作品全体を集約・包括するキャッチコピーとして便宜的に用いられたとみられている[159][160]。また志水一夫は「ロリコン」という言葉がアニメ雑誌で初めてクローズアップされた米沢嘉博の記事「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」(みのり書房『月刊OUT』1980年12月号掲載)で意味が曖昧なまま「ロリコン」という言葉だけが世に広まった結果、本来「ロリータ・コンプレックス」とは異なる対象までも「ロリコン」と呼ばれるような状況が生み出されてしまったと指摘していた[161]。
ロリコン漫画から美少女コミックへ―祭りの終わりと皮肉な餞別
漫画評論家の永山薫は、ロリコン漫画の隆盛と三流劇画の敗北について、その形成要因と歴史的な意義について次のように語っている。
最初は全部ロリコン漫画だった。ロリコン漫画を語る上で、まず二〇〇五年に『失踪日記』(イースト・プレス)でカムバックした吾妻ひでおの名を挙げておかなければならない。吾妻が画期的だったのは、それまではつげ義春、宮谷一彦といった劇画作家が得意とした不条理文学的な表現や、三流劇画の専売状態だったエロティシズムを、児童漫画の丸っこい絵で描いてしまったことだ。当時はそれだけで強烈な異化効果があり、「児童漫画のエロパロディ」として誤読することも可能だった。
欲望の細分化はすでにこの時期から進行しており、それこそ一人一派ともいえそうなほどだった。八〇年代前半の『レモンピープル』と『漫画ブリッコ』のラインナップをざっと眺めるだけでも(中略)それぞれの作家の属性はバラバラで、初期のロリコン漫画は「美少女さえ出てくれば何をやってもロリコン」と認証されていたわけだ。エロス以上に「可愛い少女キャラ」が最優先で、エロスは主に内山、村祖、中島史雄らの三流劇画経験者が担当していたが、それとても具体的で露骨な性的行為描写は抑えられており、現在の目で見れば一般青年誌の方がよほどセクシャルに映るだろう。なにしろ当時はレイプやハードなセックス場面があると読者から「ひどいことをしないで下さい」という抗議が来たほどで、読者の側が求めていたのも実はセックスシーン満載のエロ漫画ではなく、可愛くてエッチな漫画だったわけだ。
そもそも初期のロリコン漫画の中核にあったのは手塚ミームの「かわいい」と「エロティシズム」であり、「セックス」は「かわいいエロティシズム」に奉仕する構成要素の一つでしかなかったのだ。
セックス志向であれば三流劇画を読めばいい。しかし、三流劇画は結果的にポスト団塊/ポスト全共闘世代のスタンダードにはなれなかった。端的にいえば、劇画は漫画じゃなかったからだ。アニメ絵っぽくなかったからだ。可愛くなかったからだ。
後にオタクと呼ばれることになる六〇年代生まれの世代は劇画のエロティシズムに官能するような「大人」にはならなかった。セックスそのものではない、セックスの周辺にもやもやと甘く切なく愛らしく漂うなにものかを求めていた。
エロ漫画におけるネオテニー(幼形成熟)と呼んでもいい。手塚漫画やアニメ絵の、つまり「幼児形態」を保ちつつ、性的刺激をもたらすこと。倒錯した表現になるが、初期ロリコン漫画の登場こそが、真の意味で「大人が漫画を読む時代」を確定したともいえるだろう。 — 永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房〈ちくま文庫〉2014年4月 pp.133-136
これら経緯から『シベール』は今日まで連綿と受け継がれている二次元美少女(二次ロリ)文化すべての産みの親であり原点とみなされている[162][163]。
しかし、その一方でロリコン漫画から派生した美少女コミックが80年代後半以降、急速に大衆化・商業化・肥大化して行く過程で森山塔などセックスに特化した次世代のエロ漫画が人気を博すようになり[164][165]、美少女漫画の始祖的存在であった吾妻ひでおは読者からのプレッシャー[166][167][168]に耐えきれず、二度の失踪事件や自殺未遂を私生活で起こすなど初期のロリコン漫画を支えた先駆的作家の多くは世代交代の波に揉まれるなどして消えていくことを余儀なくされた。ロリコン漫画界では最古参の谷口敬も「まあ、これで谷口敬の役目は終わったのでありましょう。もはや初期のロリコン漫画の実験的な雰囲気は薄れ、マイナーなものがメジャーへと躍り出るとき、どうしても数の多い方へと移行せざるを得ないのは自然なことであります。『ロリコン漫画』がエロ主体の『美少女コミック』に変質していった、そんな時代でありました…」と行き場を失った当時の状況を述懐している[169]。
大塚英志は「吾妻ひでおが忘れられた理由」について1992年に太田出版から刊行された『夜の魚』の解説で以下のように述べている[170]。
吾妻ひでおは私たちが置き去りにしてきた作家である。いや、置き去りにされることの[注釈 24]望んだのは吾妻ひでおのほうかもしれない。どちらにせよ私たちは吾妻ひでおを忘れることで八〇年代のあの狂おしくもばかばかしい狂騒を生きていたことだけは確かだ。誰もが気づいていたことだが、ただ一人、吾妻ひでおだけが八〇年代の不毛と不可能性をあらかじめ体現し、そして黙って時代から降りていったのである。(中略)もっと器用に気軽に全てやりすごしていいはずなのに吾妻ひでおは行き詰まり、私たちはそんな彼から目をそむけ、そして忘れた。(中略)多くの人々がそうであったようにこの種の流行にさりげなく身をゆだねれば吾妻は八〇年代をそれなりの「カルト作家」として生きられたはずである。しかし吾妻が不幸だったのはこれらの不毛な諸現象が自分の中のどこから立ちあらわれるのかを彼が知っていた点にある。ただ不毛と気軽に戯れることに終始した時代にあって、その不毛の出自を知っている作家はやはり忘れなれなくて[注釈 25]ならなかったのである。
本書の表題となった『夜の魚』は吾妻が見てしまい私たちが顔をそむけたものをめぐって描かれている。そして吾妻しかそれを描き得なかった以上、そんなことは免罪符にならないが、八〇年代の不毛と未だ[注釈 26]地続きのこの時代に編集者であり続けるぼくは自分で始めて[注釈 27]持つレーベルの最初の配本として『夜の魚』を流通させる。 — 大塚英志「吾妻ひでおを再び「流通」させる理由」より抜粋
やがて『シベール』が蒔いたロリコン漫画の種はアニメ調の明るくポップな絵柄で描かれる実用的な「美少女コミック」へと一般化する過程で拡散・消滅し[145][164][165]、コミケにおける男性向け同人誌の主流ジャンルなども「ロリータ」の範疇から大きく外れた「美少女もの」や「アニパロ」などになっていく[171][172][173][174]。明治大学准教授の森川嘉一郎によれば『シベール』を起点とするこの潮流と併行してコミケの規模拡大とともに、それまで継続的に展開されていたエロパロ系の同人誌から美少女コミック誌やエロゲーメーカーへの描き手の供給が拡大していき、次第に一般誌のみならず秋葉原の屋外広告物といった街の景観レベルで美少女(萌え)キャラが露出・展開されるようになっていったという[175]。
永山薫はロリコン漫画ブームの顛末について
ロリコン漫画は起爆剤として有効だったが、ありがたいことに偏狭なロリコン原理主義はほとんど存在しなかった。元々、「ロリコン」は「お祭りのテーマ」にすぎなかったからだ。祭りが終われば、神輿は倉庫に収納される。ロリコン漫画ブームはたかだか二年も続かずに下火になってしまう。とはいえ、ロリコンは充分に役目を果たした。漫画読者の注目を集め、新しいエロ漫画の可能性をプレゼンテーションすることができた。雑誌が増え、作者が増え、読者が増えれば、ありとあらゆるものが拡大していく。
元々ペドファイルでもなんでもなかった読者の九九・九%は、あっさりと次の波に乗る。(中略)エロ漫画の歴史ということを考える上で、重要なのは「一度生まれたモード、スタイル、テーマ、モチーフ、趣味趣向、傾向は盛衰があっても決してなくならない」ということだ。どんなに時代が進んでも、相変わらずベタなロリコン漫画は存在するし、明朗な巨乳ラブコメもなくならない。年を追うごとに、エロ漫画は多様化し、細分化し、幅と奥行きが拡がり、交雑し、越境し、浸透し、拡散することを繰り返すことによって豊穣な土壌を形作っていく。[177]
と指摘しており、後に人口に膾炙して大衆化する「おたく文化」「萌え文化」の前哨戦的存在として同ブームを位置づけている[178]。
書誌情報
号数 | 発行日 | 判型 | 印刷形態 | 頁数 | 定価 | 備考 |
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創刊号 (Vol.1) | 1979年4月8日 | B5 | コピー | 26ページ | 300円 | 1979年6月15日に第2版刊行。最終項の編集後記、本文2か所に差異あり |
Vol.2 | 1979年7月27日 | B5 | コピー | 46ページ | 400円 | 1980年8月にVol.1の一部を合わせたオフセット第2版刊行。 |
Vol.3 | 1979年12月 | B5 | オフセット | 54ページ | 300円 | この号より完全オフセット化 |
Vol.4 | 1980年5月 | B5 | オフセット | 46ページ | 300円 | 劇画調に描かれた掲載作品がメンバー間で議論となる[179][180] |
Vol.5 | 1980年9月 | B5 | オフセット | 80ページ | 400円 | 掲載のアニパロ漫画が好評。この号からアニパロが増えたとのこと |
Vol.6 | 1980年12月 | B5 | オフセット | 82ページ | 400円 | 「メンバー間の意見の相違が作品中に」[181]表出 |
Vol.7 (終刊) | 1981年4月 | B5 | オフセット | 108ページ | 400円 | 「終刊それ自体をテーマとした作品」[181]多数 |
- この他にも『プチ・シベール』(1981年4月発行の補遺・番外編)[182],『アニベール』(1981年4月発行のアニパロ系コピー誌)[183],『ホワイトシベール Vol.10』(1981年12月発行のB6判フォトブック),Vol.0(吾妻・沖の2名で1978年秋に作成した限定50部のコピー誌)[26]がある。
掲載情報
すべて無気力プロダクション刊
- ALICE(1977年〜1978年頃)
- 無気力プロが吾妻ひでおの愛読者に向けて無料で郵送していた『シベール』の前身誌に相当するコピー新聞[184][185]。主筆は吾妻とチーフアシスタントの沖由佳雄とみぞろぎ孝[184]。なお沖は紙上で「アリス狂い、ロリータ・コンプレックス、戦記マニア」(吾妻いわく「軍事おたくでアニメおたく。おたくのかたまりのような奴」とのこと[186])を自称していたが、当時は「ロリコン」「アリコン」という概念が一般に普及しておらず、読者からは谷村新司のフォーク・グループ「アリス」に沖が熱中しているのかと勘違いされたという逸話がある[11]。
- 同紙の詳細については『シベール』創刊直前の1979年春頃まで無気力プロに出入りしていた吾妻ひでおファンのh-aokiが運営するウェブサイト「吾妻ひでお作品のあらすじ[187]」内「無気力プロのこと[188]」の項を参照されたい[184]。ちなみに吾妻が同紙に掲載した漫画作品やカットイラストなどは2016年3月に復刊ドットコムから出版された単行本『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』に初収録されている[189]。
或る日、無気力プロ(昼下がりで無人だった)へ沖さんと行ってみると、フェルトで自作した人形がいくつか吊り下げてあるのです。(中略)この人形の作者は男性であり後日お会いする事になるのですが、もしかすると彼こそが蛭児神建その人だったのかも知れません(2006年7月17日付記:沖さんのお話によれば、その通りだったようです)。(中略)沖さんはその人と、同人誌発行について相談するために朝のカトレアへ来てもらったようでした。「見本誌を1冊、即売会主催者に提出するきまりで……」と聞かされた沖さんが「あ、提出しなくちゃいけないの?」と言っていたりしましたが、一体何を発行しようとしているのか僕には説明してくれません。(中略)そのあと解散し店を出て、沖さんとその人と僕の3人だけになりました。すると沖さんが悩んだ表情で「この人(と言って沖さんは僕を指差しました)も入れちゃおうか」と提案し、「いや、この苦しみに人を引きずり込むのはつらい」とその人が止めたのでした。もしこの謎の会話が『シベール』創刊準備に関するものであったとすれば1979年4月以前であり、この時に吾妻先生の『猫日記』(月刊OUT 1979年3月号)の話もしたので、たぶん1979年春の出来事だったのでしょう。
──吾妻ひでお作品のあらすじ98「無気力プロのこと」
などという作品をだれか描いて下さい。あなたのアイドルをあなたの歯牙に!! ピピを! まゆを! 龍子を! ヒルダを! あなたの手で!!
- シベール発行に際して(沖由佳雄)
- Vol.1(1979年4月8日発行/コミックマーケット11)扉絵:沖由佳雄
- Vol.2(1979年7月27日発行/コミックマーケット12)扉絵:孤ノ間和歩
- Vol.3(1979年12月発行/コミックマーケット13)扉絵:孤ノ間和歩
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- 羅留下有介(沖由佳雄)「野良神様」
- 魔化留奈ルナ(計奈恵)「ライヴ」
- 怨訃居士「BLOODY.MARY」
- T.ルナ「もぎたて新聞」
- あ〜さ〜・ゆ〜ばん(孤ノ間和歩)「だれもしランドファンタジー」
- いぬねこうさぎざえもん(豊島ゆーさく)「エレネアの子ら」
- なんだかとってもイラスト展
- 羅留下有介(沖由佳雄)「美少女のおろし方」
- あ〜さ〜・ゆ〜ばん(孤ノ間和歩)「いっぺえじのたわごと」
- 魔化留奈ルナ(計奈恵)「ネるほうほう」
- いぬねこうさぎ(豊島ゆーさく)「君は何を見ているのかな?」
- いぬねこうさぎのぺいじ「てれびあにめきゃらくたあるうむ」(キッカ、おちゃめ、テンプルちゃん、さよちゃん、ハイジ、スー)
- にせ海がめ(吾妻ひでお)「赤い風」
- 作者アンケート
- 後記(吾妻ひでお)
- Vol.4(1980年5月発行/コミックマーケット14/カセット付)扉絵:沖由佳雄
- Vol.5(1980年9月発行/コミックマーケット15/B4ポスター付)扉絵:早坂未紀
-
- じゃっく・ぱんぷきん(早坂未紀)「フリーザ」
- 久輪言(沖由佳雄)「学園無稽帳」
- うにほやなまこ(孤ノ間和歩)「プラトニック ソルジャー」
- 美少女通信社
- マドーラほしい(森野うさぎ)「鏡の中のマリー」
- G・クローバー「シベール・アニメ考 あくと2」
- 息鳴漠「火星の赤い砂と白い肌」
- リムジン・アルファ「雨」
- 堂納豆聖(計奈恵?)「ふろむ いんなあすぺぃす うぃず るぅあぶ」
- シベールアートギャラリー(堂納豆聖・ひろひろ・ふんぼるとぺんぎんかものほしざえもんあるまじろ・マドーラほしい・久輪言・じゃっくぱんぷきん・うにほやなまこ)
- ふんぼるとぺんぎんかものほしざえもんあるまじろ(豊島ゆーさく)「我が国のTVアニメーションドラマにおける幼女キャラクターの魅力と人気についていささか極私的な考察」[注釈 32]
- どーどー(吾妻ひでお)「10月の空」
- あとがき(担当:どーどー=吾妻ひでお)
- Vol.6(1980年12月発行/コミックマーケット16)扉絵:三鷹公一
-
- 無墓誇負(三鷹公一)「西遊記 in wonder land」
- 典薪霰(森野うさぎ)「落葉」
- しゅうあいはら&ゆきちゃん(計奈恵?)「FOX HUNTING」
- I・C INC.「the Bright Side Of the MOON」
- 濡亜樹羅「渚にて…」
- マケルナ・ポピー「シベール・アニメ考 ACT3:こすちゅーむ」
- みどりのおやま(緑沢みゆき?)「れいめい」
- 鶸出矢嵐(孤ノ間和歩)「プラトニック・ソルジャーはどこいった」
- めめめこねねね(無題のイラスト)
- 亜炒孤茶「アスタルエゴ・シュベール」
- 堡褻絞(沖由佳雄)「ブルートレイン異聞」
- INUNECO USAGI & FL.PRO(豊島ゆーさく)「ぱーるぴんく くりすます」
- どーどー(吾妻ひでお)「マイナースペース ササミストリート」[注釈 34]
- シベール通信販売のお知らせ
- Vol.7 終刊号(1981年4月発行/コミックマーケット17)扉絵:川猫めぐみ
-
- 蔵栗鼠(三鷹公一)「西遊記 in wonder land 2&3」
- 海猫かもめ「Faiys meking love story.」
- 山の一本杉「流れたら」
- 藤野矢舞「メデュウム 雨 Part.2」
- 畦砥夢兎蘭(森野うさぎ)「ミルキィ♡ピンク」
- ×××(川猫めぐみ)「ねねねこ山のハイジ」(終刊それ自体をテーマとした作品)
- 美少女通信社「びしょーじょつーしん」
- MORINO(森野うさぎ)「KOEDA」(こえだちゃんの性的なパロディ)
- かっぱふえにっくす(孤ノ間和歩)「シベールの星だなどと思うなよ」
- タイバーン・ヘルミ(沖由佳雄)「アクシデント プラネット」
- 佐久間心眼「ザクと少女が」
- 糧丹新聖(計奈恵?)「幻の震駭戦」
- らぶりい・ψ・きゃっつ(豊島ゆーさく)「南風」
- どーどー(吾妻ひでお)「妄想のおと(ロリコン編)」(散文的に描かれた美少女イラスト集)
- どーどー(吾妻ひでお)「うわさ」(シベール作家陣の噂について)
- らぶりい・ψ・きゃっつ(豊島ゆーさく)「シベオン」
- パパラパー(孤ノ間和歩)「シベール・マンガ考」(うる星やつらのラムなど)
- 編集後記(終刊のお知らせ)
- Vol.8 プチ・シベール(1981年4月26日発行)扉絵:吾妻ひでお
- 通販で終刊号を希望したのに買えなかった人のために作ったというイラスト集[194]
- Vol.9 アニベール(シベール終了記念臨時特別増刊創刊廃刊号/1981年5月号)扉絵:豊島ゆーさく
- 『シベール』廃刊時に臨時増刊として頒布された限定50部のアニパロ系コピー誌。登場キャラクターはクラリス、ラナ、ボッコ、ウラン、リーズ、神北恵子、アラレ、チャオ、マドーラ、ケーナ、ララァ、怪子、うらら、アンジェ、ビュウティ、レイカ、ペリーヌ、アン、マリア・フリードなど。
- Vol.10 ホワイトシベール(別冊特別版/1981年12月20日発行)表紙:孤ノ間和歩[195]
- 吾妻ひでおを除く『シベール』同人のカラーイラスト45葉で構成されたB6判のフォトブック[196]。発行部数が極端に少なく私家版に近い[196]。発行人は森野うさぎ。本誌『シベール』と違って表紙が白色のため「白本」「白シベ」等とも呼ばれる。
- ミャアちゃん官能写真集(1981年8月発行/コミックマーケット18)
- 吾妻ひでお(あじましでお)が20世紀に発行した最後の同人誌。1981年8月発行[197]。吾妻の漫画『スクラップ学園』の主人公・猫山美亜(ミャアちゃん)のイラスト等を収録。巻末には沖由佳雄、このま和歩、森野うさぎ、早坂未紀、豊島ゆーさく、三鷹公一らがイラストを寄稿した。C18(81年夏のコミケ)にて1,600冊を6時間かけて頒布[198]。なお当時のコミケ参加者は1万人規模であったが、1日の頒布部数は未だ破られていない[199]。続編として『ミャアちゃんラブワールド―吾妻ひでおイラスト集』(秋田書店・1983年7月)に描き下ろされたPart.3がある(Part.1のあとがきでPart.2は出さないと明言したため、いきなりPart.3に飛んでいる)[注釈 35]。また二次創作として沖由佳雄、このま和歩、三鷹公一、計奈恵、ちみもりをらによるPart.2(24頁のB5判コピー合同誌)がC24(83年夏のコミケ)で頒布されている[200]。
本誌4号で予告したとおり、あの「ミャアちゃん官能写真集」がついに出てしまった! この情報、リュウ9月号でも引用されたこともあってか、8月15・16日のコミケットでは、朝早くからならんでいた人間(♂)が開場と同時に売場へ殺到、一人一冊の制限にもかかわらず、大混乱のうちにたった一時間で売り切れるという前代未聞の記録になりました。三千部つくったのですが、もはや一冊の在庫もないそうで、買いそびれて悲嘆の涙にくれている人も多いとか。
先生にお聞きしたら、実は前々から、いつ出そうかと機会をねらっておられたそーで、決してヒョウタンからコマではなかったと言うから恐れ入りました。さすがに、同人誌の乄切があるからと、商業誌の仕事を断わるという吾妻ひでおだけのことはある! こんなとこが根強い人気の秘密なんでしょーね!
このぶんだと「出ません」と言う「ミャア官」第2巻とか、ポルノ編とかも、かるーく出てしまうかもしれませんなあ。恐ろしや、恐ろしや…。
──漫画の手帖事務局『漫画の手帖』6号(1981年12月)5頁「吾妻ひでおする人のぺえじ」
- 同人誌『シベール』『ロリータ』掲載作品
作品名 | 作品を収録している単行本 | 名義 | 初出 | 発表年月日 | 発行所 |
---|---|---|---|---|---|
日ヘンの美子ちゃん 官能編 | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド (2015年 復刊ドットコム)[190] |
あほらしい | シベール Vol.0 | 1978年秋 | 無気力プロダクション |
赤ずきん・いん・わんだあらんど | れおなるど・だ・ひでお →れおなるど・だ・ちんぽ |
シベール Vol.1 | 1979年4月8日 | ||
美少女製造の手引き | KAWADE夢ムック 文藝別冊 [総特集]吾妻ひでお(2011年) 陽射し -reissue-(2018年) |
あじましでお | ロリータ Vol.1 | アリスマニア集団 キャロルハウス出版部 | |
マイ・タウン | 贋作ひでお八犬伝(1985年 秋田書店) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) |
じゃ・じゃばあ・うおっく | シベール Vol.2 | 1979年7月27日 | 無気力プロダクション |
赤い風 | にせ海がめ | シベール Vol.3 | 1979年12月 | ||
夢の少女 | 贋作ひでお八犬伝(1985年) 夜の帳の中で(2006年) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) |
ぐりほん | シベール Vol.4 | 1980年5月 | |
10月の空 | 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
どーどー | シベール Vol.5 | 1980年9月 | |
マイナースペース ササミストリート | - | シベール Vol.6 | 1980年12月 | ||
妄想のおと(ロリコン編) | 陽はまた昇る(1985年 双葉社) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
シベール Vol.7 | 1981年4月 | ||
うわさ | - | ||||
(イラストのみ2P) | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2 (2016年 復刊ドットコム)[189] |
プチ・シベール | 1981年4月26日 |
純文学シリーズ
『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称[注釈 36]。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり[202][203][204]、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している[40]。
発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外SF小説を元ネタにしたマニアックなパロディ漫画『どーでもいんなーすぺーす』[65][205]を連載していたニューウェーブ漫画雑誌『Peke』(みのり書房)[206]の担当編集者であった川本耕次が自販機本出版専門のアリス出版に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー少年誌出身の漫画家が成人向けの自販機本に、それも写真・文芸中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった[74][207]。連載はアリス出版の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した群雄社に移籍)とともに打ち切りとなるが[207]、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。
単行本はアリス出版から発行されず、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『マンガ奇想天外 SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と描き下ろしのイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しいB5判ハードカバーの装幀で単行本化された[注釈 37]。
その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会[208]には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった[209][210]。
- 自販機本『少女アリス』掲載作品
作品名 | 作品を収録している単行本 | 初出[211] | 発表年月[80] | 担当編集者 | 発行所 |
---|---|---|---|---|---|
ゴタゴタブラザース「我ら、少女を愛す」[67] | 人間失格(1980年 奇想天外社) ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2 (2016年 復刊ドットコム) |
プレイコミック 1974年 少女アリス Vol.7 1980年1月号(再録) |
1974年 | 川本耕次[79] | アリス出版 |
午後の淫荒[注釈 38] | 陽射し(1981年 奇想天外社) 十月の空(1984年 双葉社) 夜の魚(1992年 太田出版) COMIC新現実 Vol.3(2005年 角川書店) 夜の帳の中で(2006年 チクマ秀版社) 陽射し -reissue-(2018年 復刊ドットコム) |
増刊少女アリス | 1980年1月? | ||
水仙 | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.8 1980年3月号 |
1980年2月 | ||
さまよえる魂[注釈 39] | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 夜の帳の中で(2006年) |
少女アリス Vol.9 1980年4月号 |
1980年3月 | ||
不思議ななんきん豆 | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.11 1980年6月号 |
1980年5月6日[212] | ||
夜のざわめき | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) さまよえる成年のための吾妻ひでお (2013年 河出書房新社) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.12 1980年7月号 |
1980年6月 | ||
陽射し[注釈 40] | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 夜の帳の中で(2006年) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.13 1980年8月号 |
1980年7月 | ||
水底[注釈 41] | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.14 1980年9月号 |
1980年8月 | ||
夕顔[注釈 42] | 陽射し(1981年) 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.15 1980年10月号 |
1980年9月 | ||
海から来た機械[注釈 43] | 海から来た機械(1982年 奇想天外社) 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) コミックスクライマックス エッチ編 (1995年 竹書房) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
少女アリス Vol.25 1981年8月号 |
1981年7月 | 草間緑[80] | |
妄想画廊 | 陽射し(1981年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
単行本『陽射し』用 描き下ろし |
1981年7月 | 千頭俊吉[213] | 奇想天外社 |
作品名 | 作品を収録している単行本 | 初出 |
---|---|---|
九月怪談 | 海から来た機械(1982年) 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) |
1981年10月号 |
愛玩儀式 | 海から来た機械(1982年) 十月の空(1984年) 吾妻ひでお童話集(1996年 筑摩書房) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) |
1982年1月号 |
ラブ・ミー・テンダー | 十月の空(1984年) 吾妻ひでお童話集(1996年) |
1982年5月号 |
ストレンジ・フルーツ | 十月の空(1984年) 吾妻ひでお童話集(1996年) 陽射し -reissue-(2018年) |
1982年9月号 |
ジャアクダブラー | 十月の空(1984年) 贋作ひでお八犬伝(1985年) |
1983年1月号 |
MAIDO ONAJIMI | ミニティー夜夢(1984年 双葉社) | 1983年5月号 |
野獣の檻 | 1983年9月号 | |
ガデム | 十月の空(1984年) 吾妻ひでお童話集(1996年) 陽射し -reissue-(2018年) |
1984年1月号 |
横穴式 | 十月の空(1984年) 夜の魚(1992年) 吾妻ひでお童話集(1996年) |
1984年5月号 |
ひでお童話集 | ひでお童話集(1984年 双葉社) 吾妻ひでお童話集(1996年) |
1984年9月号 |
KOTATU | 贋作ひでお八犬伝(1985年) | 1985年3月号 |
関連雑誌
1978年
- 『愛栗鼠』
- 蛭児神建(当時20歳)がC10(1978年冬のコミケ)で頒布した日本初のロリコン同人誌。1978年12月創刊号ピピの号のみ。蛭児神の個人サークルであるアリスマニア集団・キャロルハウス出版部が発行した。数十部程度のコピー誌(蛭児神すら現物を所持していない)かつ性的要素の乏しい文芸誌[2]のためか『シベール』ほど大きな話題にならなかった[22]。手塚治虫『海のトリトン』のピピをはじめ松本零士原作のテレビアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』に登場するまゆなど複数の幼女キャラが取り上げられている。表紙のカラー部分は手塗り。1978年12月17日発行。44頁。
1979年
- 『ロリータ』
- 『愛栗鼠』臨時増刊号として蛭児神建がC11(1979年春のコミケ)で頒布した「不健全ロリコン文芸誌」[214][30][95]。同年7月の2号で休刊。『シベール』と協力関係を結び、吾妻ひでお[215]、沖由佳雄[216]、孤ノ間和歩[217]が原稿やイラストを寄稿している。志水一夫は「読物あり漫画ありキャラ・ヌードありの、正に現在のほぼすべてのロリコン誌の先駆」と評している[218]。アリスマニア集団・キャロルハウス出版部発行。
- 『少女アリス』
- アリス出版が1979年6月頃から1981年6月まで刊行していた自販機本[80]。創刊編集長はアリス出版初代社長の小向一実。2代目編集長はロリコンブームの仕掛人である川本耕次。通巻25号で終刊[80]。ロリコンをテーマにした雑誌の第1号で「少女の恥部とかわいらしさを求めるアリスの少女愛好家のため」の雑誌を標榜し[219]、最盛期の1980年8月には自販機雑誌としては破格の5万部を売り上げた[80]。本誌は1982年にロリータ誌に転向した白夜書房発行の『ヘイ!バディー』に先駆けて刊行されていた美少女総合月刊誌であるが、メインであるヌードグラビアのモデルは全て18才以上であり、本物の少女ヌードは一切取り扱っていない所謂「疑似ロリータ誌」であった[220]。しかしながら「当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるようなババアがセーラー服姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった自販機本業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合グラフ誌」(斉田石也談)でもあったという[221]。吾妻ひでおは川本耕次の依頼で増刊号(1979年12月)から通巻15号(1980年8月)まで8ヶ月間にわたり『純文学シリーズ』(※「午後の淫荒」「水仙」「さまよえる魂」「不思議ななんきん豆」「夜のざわめき」「陽射し」「水底」「夕顔」の8作品)を連載した[80][220]。同連載は川本の退職とともに終了したが、翌1981年に奇想天外社から『陽射し』の題で単行本化され、当時の「吾妻ひでおブーム」を象徴する記念碑的一冊となった。のちに吾妻は「新宿の大きい本屋で『陽射し』のサイン会したら、えらい列ができちゃって。夜までかかってサインを描いていた。本屋が閉まっちゃって、そのあとは倉庫で書いてた。『ふたりと5人』の時もサイン会をやったことあるけど、その時は3人くらいだったよ(笑)」と当時を回想している[209]。
- 『AMA』
- 1979年12月創刊。81年7月の第4号で終刊[88]。東京アニメニア・アーミー発行。『機動戦士ガンダム』の成人向け同人誌[151]。男性向けアニパロ誌の嚆矢として知られる。
1980年
- 『ロータリー』
- 1980年7月創刊[88]。1989年夏コミ時点で27号[222]。ロータリークラブ発行。あるデザイン学校の学生が『シベール』を見て自分たちも同様の同人誌の発行を志す[197]。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作る。
- 『クラリス狂専誌 クラリスMAGAZINE』
- 1980年8月創刊。同年12月の2号で休刊[183]。A・W・S・C内クラリスマガジン編集室発行。さえぐさじゅんによる『ルパン三世 カリオストロの城』の非エロ同人誌[22][223]。ロリコンファンジンの中核としてコミケで人気を博すが、増刷時の未発送トラブル(サークル関係者ではなく再販時の関係者の不祥事)で再販予約を募った『アニメック』誌を巻き込んだ「同人誌史上最大の詐欺事件」と呼ばれる「クラリスマガジン事件」を引き起こした[224]。
- 『幼女嗜好』
- 1980年9月創刊の過激派ロリコン文芸誌。変質社(蛭児神建)発行。4号で終刊。主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラスト・漫画で構成された。表紙の幼女は『機動戦士ガンダム』に登場するキッカ・キタモト。また『ロリコン大全集』(群雄社出版・1982年)には出張版も掲載されている。ちなみに1981年冬のC19で頒布された『SMロリータ』は蛭児神が「落ちる所まで落ちてやる」つもりで作った臨時増刊号[225]。
- 『人形姫』
- 1980年12月創刊。サーカスマッドカプセル(千之ナイフや破李拳竜が中心のサークル)発行。少女サイボーグやピグマリオンコンプレックスを主題とした同人誌[197]。のちに『レモンピープル』の主力作家陣として同誌黎明期を支えた[226][227]。
- 『のんき』
- 1980年12月創刊。鬼畜系・リョナの元祖的存在である洋森しのぶ(現・みやすのんき)主宰。おとぼけ企画のんき編集室発行。アニメキャラのヌードを主題にした同人誌で創刊号は『機動戦士ガンダム』のギャルズ特集、2号はセイラ・マス特集、3・4号はロリコン特集となっている。1982年12月までに5号を刊行。当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる[102]。
1981年
- 『赤本』
- やおいサークル「FOX」代表が黒本『シベール』に対抗して1981年春頃に発行した男性向け同人誌[228]。主な素材は当時一部の女性に人気があったテレビアニメ『超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』『J9シリーズ』など。計奈恵によれば「最初に見た女性作家の男性向け同人誌」だったと述懐している[229]。なお『赤本』完成直後『シベール』の終刊を知った製作者の女性は「黒本が話題なので男性向けに挑戦しようと『噂の赤本』を創ったのに、シベが解散しちゃうんだもんなぁ」と苦笑したという[228][230]。
- 『ヴィーナス』
- 1981年5月創刊、同年11月の第3号で終刊[88]。ムーンライン製作室発行。「アニメ女性キャラクター・ヌード専門誌」を名乗る[183]。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作るが、当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる[102]。
- 『プティアンジェ専門誌 アンジェ』
- 1981年冬のコミケで蛭児神建が創刊した『女王陛下のプティアンジェ』のアニパロ同人誌。蛭児神の人脈が総動員されており、吾妻ひでお、沖由佳雄、三鷹公一、破李拳竜、孤ノ間和歩など元シベール編集部やサーカスマッドカプセルなどの人気サークルが大集結した。全104頁。
その他
- 『PETITパンドラ』
- 蛭児神建編集のモンド系ロリコン漫画雑誌(雑誌コードが取られていないため正確にはムック本)。1984年から1987年まで全12冊を刊行した。一水社発行。キャッチコピーは「どうせ亜流誌 みんなでレミング」。著名な愛読者に『美少女戦士セーラームーン』原作者の武内直子がいる[231]。主な執筆陣は新田真子、沖由佳雄、万寺タツヤ、雨宮じゅん、森山塔、帯ひろ志、やまぐちみゆき。
参考文献
単行本・ムック
- 蛭児神建責任編集・監修『ロリコン大全集』編集発行:群雄社出版株式会社/発売:都市と生活社 1982年5月31日
- 吾妻ひでお、内山亜紀、米沢嘉博、蛭児神建、高取英、谷口敬、杉浦日向子、さべあのま、早坂未紀、青山正明、近藤昌良、孤ノ間和歩、千之ナイフ、赤井孝美、女子高生など多彩な人材が集ったロリコンブームの集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した[232]。本書は蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には群雄社の川本耕次と緒方源次郎(小形克宏)によって編集された[121][233][234]。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、女子高生座談会、少女愛の社会学・考現学を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ着せ替え人形、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻が寄稿した『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』は美少女が一切登場せず[235]、1982年当時のロリコン漫画界の諸相を任侠映画風のパスティーシュという形で描き出した作品である(河出書房新社刊『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』に再録)[121]。
- 高桑常寿+ふゅーじょんぷろだくと編『ロリコン白書―ロリコン同人誌ベスト集成』編集発行:エンドレス企画/発売:白夜書房 1982年7月
- ふゅーじょんぷろだくと編集部「パワーの時代」(協力:志水一夫)
- 別冊宝島104『おたくの本』JICC出版局 1989年12月
- 土本亜理子「ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想」『別冊宝島』第104巻、JICC出版局、102 - 115頁。
- 吾妻ひでお『夜の魚』太田出版(太田COMICS 芸術漫画叢書)1992年9月(担当者:大塚英志)[236]
- 辰巳出版『同人漫画大百科』1992年10月
- 米沢嘉博、森野うさぎ「同人漫画家インタビュー 森野うさぎ」『同人漫画大百科』、114 - 117頁。
- 米沢嘉博「同人誌の歴史」『同人漫画大百科』、122 - 127頁。
- KKベストセラーズ『ベストの本3 SEXYコミック大全―マンガで「抜く」時代がやってきた!』1998年8月
- 米沢嘉博「略史・エロとマンガの密やかな関係」『ベストの本』第3巻、22 - 27頁。
- 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年5月
- 東浩紀編著『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』青土社 2003年1月
- 竹熊健太郎「オタク第一世代の自己分析―あくまで個人的立場から」
- ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月
- 吉田正高『二次元美少女論―オタクの女神創造史』二見書房 2004年9月
- 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月
- コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月
- 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店 2005年11月
- ヨコタ村上孝之『マンガは欲望する』筑摩書房、東京、2006年7月15日。ISBN 978-4480873514。
- 吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年1月
- 難波功士『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』青弓社 2007年6月
- 家族機能研究所『アディクションと家族 第25巻2号―日本嗜癖行動学会誌』2008年8月 pp.107-112
- 斎藤環「メディアとペドフィリア―ロリコン文化はいかに消費されたか―」(後に『博士の奇妙な成熟 サブカルチャーと社会精神病理』に再録)
- 霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版〈朝日新書〉2008年12月/Kindle版 2013年6月
- 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、東京、2009年2月9日。ISBN 978-4-75714-209-1。
- 高月靖『ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界』バジリコ、東京、2009年10月7日。ISBN 978-4-86238-151-4。極めて広範な知見より考察された、密度の濃い研究書。
- 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月(担当者:浅川満寛)
- KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年4月30日
- 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年10月
- 永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房〈ちくま文庫〉2014年4月
- 「第一部 エロマンガ全史 第三章 美少女系エロ漫画の登場」。
- 「第二部 愛と性のさまざまなカタチ 第一章 ロリコン漫画」。
- 2006年11月にイースト・プレスより刊行された同名書籍に増補・加筆を加えて文庫化したもの。
- おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』徳間書店 2014年9月
- 「Column*02 新世代によるエロ漫画の躍進」。
- 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』復刊ドットコム 2015年2月
- 『シベール』掲載作のうち単行本未収録となっていた『日ヘンの美子ちゃん 官能編』『赤ずきん・いん・わんだあらんど』を初収録。
- 藤脇邦夫『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015』本の雑誌社、東京、2015年12月30日。ISBN 978-4-86011-280-6。
- 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』復刊ドットコム 2016年3月
- 無気力プロの頃を描いた『吾妻ひでお伝!』『絵日記』『無気力日記』『良いファン悪いファンとんでもないファン』『祝・ズッコケター御出版』ほか、同人誌『ALICE』『POCO』『シベール』『プチ・シベール』『はあどしゅ〜る』などのカットを収録[189]。
- 竹内オサム・西原麻里編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』ミネルヴァ書房 2016年2月
- 大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年3月(装画:早坂未紀)
- 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』星海社文庫 2016年4月(装画:吾妻ひでお)
- スタジオジブリ出版部発行の広報誌『熱風』2012年2月号から2014年6月号にかけて発表された同名連載を加筆修正のうえ新書化したもの。
- 稀見理都『エロマンガノゲンバ』三才ブックス 2016年12月
- 北田暁大+解体研『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』河出書房新社〈河出ブックス〉2017年3月
- 宮本直毅『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版 2017年5月
- 稀見理都「補遺2『美少女コミック』と『エロマンガ』の違い」『エロマンガ表現史』、太田出版、2017年11月、360 - 362頁。
- 吾妻ひでお『陽射し -reissue-』復刊ドットコム 2017年11月
雑誌
- みのり書房『月刊OUT』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」(担当者:川本耕次+米沢嘉博)[240]
- アリス出版『グルーピー』1980年頃(自販機本のため発行年月日記載なし)
- みのり書房『月刊OUT』1980年12月号
- 米沢嘉博「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」
- ラポート『アニメック』17号(1981年4月)特集「“ろ”はロリータの“ろ”」[241]
- ラポート『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集/ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」
- 月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局 1982年3月
- 北崎正人「三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの」
- 村上知彦「ニューコミック派宣言 “ニューウェーブ”から“ロリコン”“中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ」
- 小学館『GORO』1982年3月11日号「成熟した女を愛せないロリコン・ボーイの世界からキミは本当に脱出しているか」
- アニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集』徳間書店 1982年3月
- 原丸太「ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」。
- みのり書房『月刊OUT』1982年4月号
- 米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」(二次元コンプレックスに警鐘を鳴らす記事。最下段にそれまでの流れも概説)
- 徳間書店『アニメージュ』1982年5月号
- アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」[242]
- 潮出版社『潮』1982年9月号
- 岩田薫「大学生をおおうロリコン症候群」
- サンデー社『Mr.Dandy』1982年11月号(No.129)
- 目方海里「ロリコンマンガ・ブームの裏に潜む現代社会の抑圧された性」
- 創出版『創』1982年12月号
- 高取英「若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人」『創』1982年12月号、創出版、140 - 147頁。
- 朝日新聞社『朝日ジャーナル』1984年5月14日号
- 米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」
- ふゅーじょんぷろだくと『COMIC BOX Jr.』1984年12月号「特集/ロリータ・シンドローム」
- 石清水了ほか「床下放談:それからのロリコン それからのファンジン」
- 日本出版社『レモンクラブ』1990年12月号〜1991年7月号
- 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─大魔神・蛭児神建の怒り」
- 日本出版社『レモンクラブ』1991年8月号〜1991年12月号
- 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─ブリッコ盛衰記」
- 宝島30編集部+東京公司『宝島30』1994年9月号、宝島社、1994年9月8日。
- パルコ出版『流行観測アクロス』1996年9月号
- 大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」『諸君!』1998年7月号、文藝春秋、234 - 239頁。
- 大塚英志、吾妻ひでお「吾妻ひでおインタビュー 今度出て行くときは『出て行きます!』って言ってからにします──無頼派の作家が書いた小説、放浪の詩人が編んだ詩集、破滅派のまんが家が描いたまんがそのものを、本当に生きてしまった人、吾妻ひでお。本人が語る、誰のものでもない人生。」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、10 - 22頁。
- 大塚英志「吾妻ひでおのいる場所」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、96 - 97頁。
- 大塚英志「特集・真説おたくの精神史―解題」『Comic新現実』第4巻、角川書店、2005年4月、76 - 77頁。
論文
- 木下信一『日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史』日本ルイス・キャロル協会編『Mischmasch』Vol.7, pp.74-95, 2004年。キャロル論だが、貴重なロリコン史概説をふくむ。
- 一ノ瀬健太『クラリス・クライシス ─なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか?─』東京藝術大学修士論文 2015年
- Mark McLelland編『The End of Cool Japan―Ethical, Legal, and Cultural Challenges to Japanese Popular Culture』Routledge 2016年8月
- Patrick W. Galbraith「“The Lolicon guy”―some observations on researching unpopular topics in Japan」
- 専修大学講師で文化人類学者のPatrick W. Galbraith(パトリック・W・ガルブレイス)によるおたく文化論。日本におけるロリコンブームとその周辺のサブカルチャーが多角的に分析されている。
同人誌
- 無気力プロ内シベール編集部『シベール』Vol.1-7(1979年4月 - 1981年4月)
- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』3号(1981年2月)
- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』4号(1981年6月)※『シベール』廃刊を伝える小記事が14頁に掲載
- 望月智充編『別冊アニコム 少女愛好家のために』早稲田大学アニメーション同好会 1981年10月
- 小俣誠+佐野邦彦「こうして私は同人誌した──吾妻ひでお・高橋葉介・高橋留美子・同人誌作品カタログ」
- 緑沢みゆき・このま和歩ほか『でんでんむすめ』このま和歩FC 1982年11月
- 孤ノ間和歩の『シベール』時代の人気キャラなどを特集したファン同人誌
- 米澤英子ほか『米澤嘉博に花束を』虎馬書房 2007年8月
- Up-Beat Underground『懐かしの同人誌:郷愁同人誌専門マガジン』VOLUME.1(70年代〜1985 収集記録)2008年5月
- みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年11月
- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』79号(2020年4月)
- 降間『ロリコンブームの後を追って』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂
- 白根こま『現代獣耳研究 VOL.1〜2』S猫出版部 2020年8月
- 『シベール』における獣耳作品について詳述あり
WEBサイト
- Matteo Watzky (2021年4月17日). “ロリコンから萌えへ:美少女の冒険” (英語). Full Frontal. 2021年6月20日閲覧。
- 早坂未紀の世界「1970年代の資料」 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
- 早坂未紀の世界「1980年代の資料」 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
- 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日) - 倉田わたるの廃墟通信
- SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表) - 明治大学米沢嘉博記念図書館
- 沖由佳雄+KAZUNA(計奈恵)トークイベント「『シベール』の頃」 - 明治大学米沢嘉博記念図書館
- 吾妻ひでお美少女実験室 / 吾妻ひでおマニアックス - 明治大学博物館
- トークイベント「『シベール』のころ」 - タマヒメβ版 2011年2月20日
- 吉田正高 (2008年1月20日). “コミケ73カタログ出張版「戦後コンテンツ文化の発展にみるコミックマーケットの意義―その1」”. AIDE新聞(共信印刷Web事業部). 2020年6月20日閲覧。
- 鳥山仁 (2008年3月20日). “児童ポルノQ&A(2)どうして、日本では実写よりも漫画・アニメ作品の影響力が強かったのでしょうか?”. 王様を欲しがったカエル. 2020年2月6日閲覧。
- ばるぼら (2008年10月19日). “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(1)”. WEBスナイパー(大洋図書Web事業部). 2020年4月27日閲覧。
- ばるぼら (2008年10月26日). “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(2)”. WEBスナイパー(大洋図書Web事業部). 2020年1月25日閲覧。
- 黒沢哲也 (2013年1月). “手塚マンガあの日あの時 第26回:手塚萌えの異色作『プライムローズ』の時代!!”. 『虫ん坊』2013年1月号(手塚プロダクションWeb事業部). 2021年5月24日閲覧。
- 1982年頃のロリコンブームについて、米沢嘉博と内山亜紀へのインタビュー
- 米沢嘉博の仕事:暫定版─少女漫画関係を中心に/版元別[雑誌掲載状況調べ]みのり書房
- 永山薫 (2010年8月21日). “80年代初期ロリコン漫画誌の時代−SFと美少女からエロ漫画への変遷を辿って”. WEBスナイパー(大洋図書Web事業部). 2019年10月14日閲覧。
- 昼間たかし (2012年11月8日). “昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 10冊目 ロリコンはやっぱり永遠にロリコンだった……のか?『改訂版 ロリコン大全集』”. 日刊サイゾー(サイゾーWeb事業部). 2020年4月27日閲覧。
- 木澤佐登志 (2013年10月26日). “世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが…”. Mal d’archive. 2020年1月31日閲覧。
- たまごまご (2015年1月16日). “ロリコンの原点はルパン三世だった? 宮崎駿が考えるロリコンとは”. エキサイトレビュー. 2020年2月10日閲覧。
- 佐野邦彦 (2017年2月26日). “VANDA以前にマンガとアニメのミニコミ『漫画の手帖』を作り拡大していくヒストリー。休学しながら収集、転売で暮らした3年や、新進気鋭だったマンガ家達のエピソード、無名の宮崎駿が評価される過程など70~90年代の思い出です。”. WebVANDA. 2020年4月27日閲覧。
- 川本耕次 (2018年11月25日). “怪しい編集者”. ネットゲリラ. 2020年1月27日閲覧。
- 川本耕次 (2019年10月21日). “代表作はガス屋のガス公”. ネットゲリラ. 2020年1月27日閲覧。
- 同人用語の基礎知識 / ロリコン誌について - ぱらだいす☆あ〜み
- 1980年代のエロ漫画(成年誌) - メガネの殿堂
- 1980年代のエロ漫画(少年誌) - メガネの殿堂
- 誰も語らなかった美少女漫画の黎明期―シベールと無気力プロの思い出(70年代末~80年代初頭) - Togetter 2020年2月14日
- 伝説のロリコン漫画家・内山亜紀先生のデビュー時期が曖昧な件について検証 - Togetter 2020年3月11日
- 『ジ・アニメ』(近代映画社)'81年11月号の美少女キャラ特集へのつっこみ - Togetter 2020年4月9日
- 1982年女性誌におけるロリコン記事〜男の子の憧れが「姉」から「妹」になったのはいつか- Togetter 2011年12月19日
- モブ顔キャラに性的な意味で萌える話 - Togetter 2019年10月16日
- 意外と知らない「コミケ45年の歴史」を振り返ろう―#エアコミケ Twitter企画 @comiketofficial - Togetter 2020年5月5日
- おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証 - Togetter 2020年5月20日
- 1985年夏コミ「男性向け同人誌」の勃興期を語ろう(コミックマーケット28) - Togetter 2021年4月21日
- 無気力プロのこと - 吾妻ひでお作品のあらすじ
- 映画『シベールの日曜日』など - 吾妻ひでお作品のあらすじ
- 少女アリス掲載の作品群 - 吾妻ひでお作品のあらすじ
関連項目
- ルール34 - 匿名画像掲示板「4chan」発祥のインターネット・ミーム。いわく「それが存在するなら、それのポルノがある。例外はない」というもの。これはコミックマーケットで頒布されている二次創作物(ロリコン/面妖本・やおい/ボーイズラブ)などに起源の一端を見ることができる。
- 無気力プロダクション - 吾妻ひでお主宰の漫画制作プロダクション。元来、吾妻ひでおは低血圧で「必要に迫られなければ何もせずゴロゴロしている無気力体質」だというのが名前の由来[243]。
- 機動戦士ガンダム - 『シベール』創刊前日(1979年4月7日)に名古屋テレビ他で放送開始されたテレビアニメ。沖由佳雄は「最初の号をコピーに持って行かなきゃというときに『ガンダム』の第1話が始まったのは覚えてますね」と回想している[26]。その後、折からのガンダムブームで『シベール』でもたびたび同作のパロディが登場するようになる。また同誌から派生した蛭児神建の同人誌『幼女嗜好』や『シベール』臨時増刊号『アニベール』の表紙にもキッカ・キタモトのヌードイラストが象徴的に描かれた。なお『ガンダム』のキャラクターデザインおよび作画監督を務めた安彦良和は吾妻ひでおのファンであり、文庫版『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川文庫・2011年)に「あとがき漫画」を寄稿しているほか、漫画雑誌『月刊COMICリュウ』(徳間書店)が主催する「龍神賞」の選考委員を、第1回から第13回まで吾妻と共に務めていた経験などがある。
- 美少女コミック - 1980年代にロリコン漫画から派生した漫画のジャンル。美少女コミック研究家の稀見理都は「時代と共に変化する不定系の言葉」と前置きをしたうえで「美少女キャラクターをストーリーの中心に据え、彼女たちの美しさ、愛らしさ、健気さ、たくましさ、などの活躍を描くマンガの総称」と定義している[244]。ちなみに「美少女コミック」という名称の名付け親は吾妻ひでおとされ、日本初の美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)1982年6月号から用いられるようになった。なお同誌は創刊当初「ロリコン・コミック」を自称していたが、この名称が気に入らなかった吾妻が「美少女コミック」と言う名称を提案し、採用されたと言われている[139]。
- ニューウェーブ - 1975年〜1978年頃[245]に始まったコミケット周辺の同人誌ブーム、三流劇画ブーム、マニア誌ブーム(マイナー漫画誌、まんが情報誌、アニメ雑誌、三流劇画誌、自販機本)[246]時に活躍した既成の枠に囚われない新しいスタイルの漫画家(吾妻ひでお、いしかわじゅん、大友克洋、高野文子、ひさうちみちお、いしいひさいち、宮西計三、高橋葉介、さべあのま、柴門ふみ、近藤ようこ、高橋留美子、吉田秋生、森脇真末味、ますむらひろし、川崎ゆきお、諸星大二郎、蛭子能収ら)が一躍注目された非メジャー漫画界のオルタナティヴな潮流を指す。特にそれまで大手出版社の漫画雑誌で活動していた吾妻ひでおは1978年から三流SF少年誌『Peke』(みのり書房)や自販機本『劇画アリス』(アリス出版)などのマイナー誌にマニアックな不条理SF作品を次々と発表するようになり、SF専門誌『別冊奇想天外・SFマンガ大全集PART2』(奇想天外社)に発表した『不条理日記』が第10回(1979年)星雲賞コミック部門を受賞、ニューウェーブ作家としての地位を確立することになる[247]。
- 翔べ翔べドンキー - 1979年に『月刊プリンセス』(秋田書店)で連載された吾妻ひでおの少女漫画。連載開始翌月に『シベール』が創刊されている。吾妻によれば本作は「男性向けに描いた少女漫画」とのこと[248]。
- 川本耕次 - 吾妻ひでおの担当編集者。三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人といわれる[67][66]。コミックマーケットの創設母体となった「迷宮」に学生時代から出入りし、米沢嘉博や青葉伊賀丸と共に三流劇画ブームを牽引する[249]。その後、大学在学中に入社したみのり書房で『月刊OUT』1978年8月号の特集「吾妻ひでおのメロウな世界」を担当し、先駆的なニューウェーブ漫画誌『Peke』を創刊する。同誌では吾妻の『どーでもいんなーすぺーす』(奇想天外コミックス『パラレル狂室』ほか収録)を担当したほか[65]、内山亜紀とさべあのまをデビューさせ[66]、大学時代からの知人であった日野日出志を復活させる[250]。同誌廃刊後はアリス出版に移籍してロリコンブームの火付け役となった自販機本『少女アリス』の2代目編集長に就任し、同誌で吾妻に美少女漫画を初依頼して「純文学シリーズ」(1980年)を描かせた[67]。後に吾妻は『失踪日記』で「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と川本について語っている[251]。主な著書に『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)ほか多数。
- お色気漫画 - 1970〜80年代に流行した軽度の性的描写を含む少年漫画・青年漫画のこと(エロ劇画は含まない)。永井豪の『ハレンチ学園』を端緒とする。1970年代の代表作品に『あばしり一家』『やけっぱちのマリア』『モーレツ先生』『あらし!三匹』『ふたりと5人』『やけくそ天使』『ドッキリ仮面』『女だらけ』『スケ番あらし』『快感ぱあマント』『おじゃまユーレイくん』などがある。
脚注
注釈
- ^ 当時『シベール』に吾妻ひでおが関与していたことは暗黙の了解として認識されていた。[4]
- ^ 所蔵機関は明治大学米沢嘉博記念図書館のみ。Vol.1,2,3,4,6の計5冊を閉架所蔵している(一般/1ヶ月会員のみ請求可)。
- ^ http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html
- ^ https://twitter.com/shindosha/status/553457614084771840
- ^ 現在は伸童舎に保管されている[10]。
- ^ コミックマーケットは当初「参加者の9割が少女漫画ファンの女子高生」だったが、ロリコン同人誌の登場によって、1981年頃には「参加者の過半数は男性が占める」ようになる[15]。
- ^ 「やおい」という言葉は、1970年代末、坂田靖子により同人誌『ラブリ』の中で自嘲的に使用されたのが始まりとなり広まった(岩崎彩香「現代女性の社会適応戦略──〈やおい〉文化の社会学的考察」関西大学大学院社会学研究科院生協議会編『関西大学大学院人間科学──社会学・心理学研究』第63号、2005年、55頁)。周知のように「やおい」は「ヤマなし、オチなし、意味なし」のアクロニムであり、アニパロやボーイズラブなどの源流でもある。
- ^ C1の実質的な主催者であった漫画批評集団「迷宮'75」発行の同人誌『漫画新批評大系』に連載された原田央男の二次創作。
- ^ ヒルダコンとは米沢嘉博の造語で、宮崎駿や高畑勲らが参画した東映動画の劇場用アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)に登場するヒルダという美少女の熱狂的な愛好家(いわゆる二次元コンプレックス)を指す。ちなみにヒルダコンであると同時に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を漫画界で初めて紹介したとされる和田慎二は、漫画雑誌の欄外にある作家紹介スペースや作中のモブシーンでもヒルダを描いたり、アラビアが舞台の作品『炎の剣』のヒロインに「ヒルディアス」という(およそアラビアらしくない)名前をつけたりしている。
- ^ この流れは90年代後半を境に断絶している。ちなみに当時のコミケにはケモノ趣味のサークルも殆どなく現在のケモノ系とは大きな隔たりがある
- ^ http://www.usagimix.com/
- ^ 『AWAKE』とは1984年8月16・17日に杉並公会堂で開催された第3回特撮大会(通称:ウル祭III)で上映されたオープニングアニメのこと。1981年に大阪で開催された第20回日本SF大会(通称:DAICON 3)開会式で流れた短編アニメーション作品『DAICON III OPENING ANIMATION』に触発されて自主制作された。その後、ビデオ発売に向けて予約をとったものの遅れに遅れ、3年後の1987年に『VIDEO AWAKE』(発売元:STUDIO AWAKE)としてようやくVHSソフト化された(収録作品はオリジナル版『アオーク』、改訂版『アオーク改』、実写作品『宇宙刑事オバノン』、最新作『オーパーツ・オーマン』の4本。ちなみに少女役の声優は本多知恵子が務めた
- ^ http://shimanekomegumi.web.fc2.com/
- ^ 批評集団「迷宮」同人。みのり書房『Peke』『官能劇画』元編集長。アリス出版『少女アリス』編集長。群雄社出版『ロリコン大全集』編集人。吾妻ひでおの漫画『美美』『ぶらっとバニー』『スクラップ学園』『不思議ななんきん豆』『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』などに登場する「編集者」のモデルとなった。
- ^ 米沢嘉博が「阿島俊」名義で『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事。創刊当初の題は「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊から6年後の2004年9月、久保書店から350頁超の大著『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98』として単行本化された。
- ^ http://www.burikko.net/people/awake02.html
- ^ 計奈恵の証言によれば「同人誌の商業化」という指針は『シベール』の頃から沖由佳雄がすでに意識していたという。
- ^ 阿島俊は米沢嘉博の別名義[116]。
- ^ 引用者注:実際には1980年12月号に掲載された。
- ^ 引用者注:桜玉吉の実姉・真野匡の共有筆名。
- ^ 『漫画ブリッコ』創刊号の発行日は名目上「昭和57年(1982年)11月1日」となっているが、大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(星海社文庫 2016年3月 53頁)には「82年9月に創刊」という記載があり、実際の発売日は発行日よりも約1ヶ月ほど早かった。
- ^ 五藤加純は檸檬社発行の官能劇画誌『漫画大快楽』に連作『移動性高気圧』を連載予定だったが、その直前に同社が倒産したため白夜書房発行の美少女まんが誌『漫画ブリッコ』に移籍連載した。ちなみに双子の弟の中森愛は当時檸檬社の編集者で失業後は東京三世社の『漫画エロチスト』に持ち込み1983年3月号掲載「夜の訪問者」で漫画家デビューした。その後、中森も五藤の後を追って兄弟ともに大塚英志の美少女コミック誌『漫画ブリッコ』(白夜書房)で再デビューする。中森愛+五藤加純『二人でロリコメばかり描いていた』ネコ通信社 2019年12月31日発行 pp.38-43「対談:中森愛VS五藤加純 兄弟対決 二人でロリコメばかり描いていた―デビューから漫画ブリッコまで」
- ^ ほとんどの読者は当時ヘア規制されていた成人女性の性器の代替品として少女のワレメ(子供の性器はまだ性器になってない「ただの排泄器官」と当時はみなされていた)目当てに少女ヌード写真集を消費していたといわれている。
- ^ 「置き去りにされることの」はママ。「置き去りにされることを」の誤植と思われる。
- ^ 「忘れなれなくて」はママ。
- ^ 「未だ」は引用元では「末だ」。
- ^ 「始めて」はママ。
- ^ 吾妻が「れおなるど・だ・ひでお」名義(第2版では「れおなるど・だ・ちんぽ」名義)[87]で発表した「赤ずきん・いん・わんだあらんど」は単行本未収録のまま(紙媒体以外では『吾妻ひでお CD-ROM WORLD』(アスキー・1995年)に電子ファイルとして収録されたことがある)だったが、復刊ドットコムから2015年に出版された『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』に初収録された[190]。
- ^ 『白雪姫』のパロディ漫画。テレビアニメ『女王陛下のプティアンジェ』のパロディコマも一部あり。
- ^ 幼女同士の百合漫画。ロリレズの先駆的作品。
- ^ 兄妹の近親相姦を劇画調に重苦しく描いたことでメンバー間で「意見の相異」を呼んだ問題作[179][180][191]。
- ^ アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するキッカ・キタモトなどの幼女キャラをないまぜにした楽屋落ち漫画。ちなみにコミケット準備会は作者の豊島ゆーさくについて「ペドで獣な人。本人はいたってまじめな人だが、ひとだびア・バオア・クーあたりに理性を置き忘れ、たががはずれたパロディの破壊力はすさまじく、沖氏がうみうしになるほど」と評している[192][193]。
- ^ 告知文に「感想を送ってくれた人には抽選で御希望の美少女をシベールさせますです〔注・御希望のアニメ・まんがのキャラクターを御指定下さい〕」と記した所「シベールする(させる)」という言葉も流行した[181][86]。
- ^ 思いつきえっせいぷらすシベールゴシップ。「コミケはやがてエロ本即売会となることを私は予言する」という示唆的な一文がある。
- ^ 『ミャアちゃん官能写真集 Part.3』は復刊ドットコム版『スクラップ学園』下巻にも再収録されている(Part.1は上巻に再録)。
- ^ ただし連載当時の掲載誌『少女アリス』には「純文学シリーズ」の記載はない(連載時は「LOLITA COMIX」とだけ表紙に書かれていた)。「純文学シリーズ」の名称は米沢嘉博が「阿島俊」名義で編纂し、1979年12月31日に発行した同人誌『吾妻ひでおに花束を』(虎馬書房/大日本吾妻漫画振興会)中の「『AZUMA HIDEO の純文学シリーズ』が少女アリスに連載される」(p.101)という囲み記事が初出である。また明治大学米沢嘉博記念図書館が作成した「SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)」[201]によれば1981年5月発行『奇想天外臨時増刊号 吾妻ひでお大全集』(奇想天外社)の年譜と単行本『陽射し』広告に「純文学シリーズ」と記載されたものが商業誌における初出とされているが、それ以前の『月刊OUT』(みのり書房)1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」(米沢嘉博)において既に「純文学シリーズ」の記載が確認できる。
- ^ ちなみに自販機本『少女アリス』掲載作品のうち「海から来た機械」は翌1982年3月に奇想天外社から刊行された単行本『海から来た機械』に収録されている。
- ^ 担当編集者が「午後の淫荒」を「午後の曳航」になぞらえて「純文学シリーズ」と名付けたともいわれる(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)。92年刊行の『夜の魚』(太田出版)収録以降「午後の淫行」に改題。
- ^ 手塚治虫の伝統に忠実な記号的な絵で少女キャラクターの身体の上に残された精液さえもが描写された作品(大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年 94頁)。
- ^ 「この原稿いただいた時は感動しました。傑作です」(川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁)「筆を使ったと思われるやわらかい描線で描かれた佳作は『シベール』読者も、ギャグやSFから入ったファンも魅了した」(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)
- ^ 「ますます鋭く文学的になって、編集者としても背筋が寒くなるような思いだった」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁
- ^ 「この号で私はアリス出版を退職するのだが、ドタバタのせいで写植が間に合わなかったのか、この回だけ手書き文字です」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁
- ^ この作品は古屋兎丸によってカバーされている(1999年10月/イースト・プレス刊『COMIC CUE』Vol.7掲載。同社刊『Garden』所収)。「ファンタジックなのに残酷でリアルなこの話が大好きでカバーさせていただきました」(古屋兎丸『禁じられた遊び』イースト・プレス 2015年 81頁)。
出典
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- ^ a b 1975年12月のコミックマーケット第1回は、虎ノ門消防会館で参加サークル32、一般参加700人の規模で行われ、主として漫画誌『COM』の流れを汲む大学などの漫画研究会が集まっていたが、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開以降は、アニメファンクラブの参加が増え、80年代前半にはロリコン・ショタコンやコスプレが盛り上がった。その後、1981年から『週刊少年ジャンプ』に連載された『キャプテン翼』が起爆剤となり、後半にはやおい・アニパロも急成長した(西村マリ『アニパロとヤオイ』太田出版 2002年)
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- ^ 吾妻ひでお『翔べ翔べドンキー』(秋田書店 1980年)作者コメントより。
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外部リンク
- 漫画ブリッコとその周辺 - 漫画ブリッコの世界
- OUTSITE - みのり書房刊『月刊OUT』全目録とその関連誌
- 昭和レトロ・懐かしポルノ館 - ウェイバックマシン(2015年3月25日アーカイブ分)
- 初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介 - ウェイバックマシン(2011年8月24日アーカイブ分)
- Hirukogami Ken / 蛭児神建 - The Doujinshi & Manga Lexicon(同人誌のデータベース)
- Cybele Henshuubu / シーベル編集部 - The Doujinshi & Manga Lexicon(同人誌のデータベース)
- 吾妻ひでお - 大宅壮一文庫