コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

酒井法子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
のりぴーから転送)
さかい のりこ
酒井 法子
酒井 法子
酒井法子(1998年9月、香港にて)
本名 酒井法子
別名義 さかいのりこ
生年月日 (1971-02-14) 1971年2月14日(53歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県福岡市
身長 157cm[1]
血液型 B型
職業 女優歌手
活動期間 1986年 - 2009年
2012年 -
配偶者 高相祐一(1998年 - 2010年)[2][3]
事務所 株式会社スマイル
公式サイト 酒井法子 公式サイト ビクターエンタテインメント
主な作品
テレビドラマ
出逢った頃の君でいて
星の金貨』シリーズ
聖者の行進
天使が消えた街
利家とまつ〜加賀百万石物語〜
ムコ殿2003
映画
呪怨2
受賞
第25回ゴールデン・アロー賞 音楽新人賞(1988年)
第5回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『星の金貨』、1995年)
第11回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『続・星の金貨』、1996年)
テンプレートを表示
さかい のりこ
酒井 法子
プロフィール
愛称 のりピー
公称サイズ(1987年3月[4]時点)
身長/体重 156 cm / 40 kg
BMI 16.4
スリーサイズ 78 - 58 - 82 cm
活動
デビュー 1987年2月5日
ジャンル アイドル歌謡曲J-POP
所属グループ モモコクラブ(1986 - 1987年)
他の活動 歌手女優タレント
事務所 サンミュージックプロダクション(1986 - 2009年)
オフィスニグンニイバ(2012 - 2021年)
株式会社スマイル(2021年 - )
レーベル ビクターエンタテインメント
主な楽曲夢冒険
ALL RIGHT
碧いうさぎ
受賞歴 第29回日本レコード大賞 新人賞(1987年)
第18回 日本歌謡大賞 優秀放送音楽新人賞(1987年)
第13回全日本歌謡音楽祭 最優秀新人賞(1987年)
第20回新宿音楽祭 金賞(1987年)
第14回横浜音楽祭 最優秀新人賞(1987年)
'87FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞(1987年)
第6回メガロポリス歌謡祭 最優秀新人賞(1987年)
'87ヤング歌謡大賞・新人グランプリ グランプリ(1987年)
第5回日本アニメ大賞主題歌最優秀賞『夢冒険』(1987年)
第37回日本レコード大賞 優秀作品賞『碧いうさぎ』(1995年)
アイドル: テンプレート - カテゴリ

酒井 法子(さかい のりこ、1971年昭和46年〉2月14日[5] - )は、日本歌手、女優[6]。個人事務所「株式会社スマイル」所属[7]。愛称はのりピー堀越高等学校卒業[5]。キャッチコピーは「おキャンなレディ」。

来歴

[編集]

概要

[編集]

1986年(昭和61年)にアイドル歌手としてデビュー後、自らを「のりピー」と名乗っていた。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった独特の言葉の「のりピー語」も流行させ、正統派アイドルとは微妙に路線を画したユニークな存在として1980年代のアイドル界に新風を巻き起こした[8]。デビュー当時のキャッチフレーズは、「おキャンなレディ」。サンミュージックプロダクション(1986年 - 2009年夏)、オフィスニグンニイバ(2012年 - 2021年4月30日)に所属した後、個人事務所「株式会社スマイル」を設立し所属(2021年5月1日 - )。

生い立ち

[編集]

1971年(昭和46年)、福岡県福岡市生まれ。2歳の時に両親が離婚して父の実家である佐賀の寺で育ったが、幼稚園に入る前に父方の叔母家族がいる東京に転居[9]。その後、叔父が建てた埼玉県狭山市の家で小学校低学年まで育てられた[10][9]後、実父の再婚に伴い福岡へ戻り、福岡市立大名小学校を卒業。父はその後再々婚[10]。子供の頃は身体が弱かったため、福岡市立舞鶴中学校では部活に入るつもりはなかったが、継母から「部活は入った方がいい」と助言され、ソフトボール部の先輩たちに憧れて入部[9]。当時ソフト部の強豪校だったためコーチの指導は厳しかったが、泥にまみれながら汗を流した部員仲間は、以後一生の友となった[9]。また、継母は当時中洲で働いていたがどんなに仕事で遅く帰宅しても、部活に精を出す酒井のために朝晩の食事やお弁当を作って支えてくれたという[9]。その後、3年生時の1985年夏に9番左翼手福岡県大会に出場し、準優勝している[11]

オーディション

[編集]

子供の頃から歌が好きで密かに芸能界に憧れており[9]、1985年(昭和60年)10月、全国応募総数54,129名のオーディション企画「'86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(主催・資生堂)に出場[11]。全国大会の特技の審査では、先の埼玉の伯母が落語好きな影響で馴染みがあったことから、法被を着て落語「寿限無」を披露した[9]。グランプリは水谷麻里が受賞したが、酒井には「BOMB!賞」が授与された[注 1]。当コンテストには本来このような賞はなく、芸能事務所サンミュージックの部長が酒井を見初め、「『彼女の』才能を試してみたい」との希望で急遽用意されたものであり[注 2]、このような経緯で酒井の芸能界デビューは決定した[12][13]

同年12月、福岡市から上京した酒井は、サンミュージック社長(当時)・相澤秀禎の自宅での下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校。事務所の先輩である岡田有希子からは洋服を譲られるなど可愛がられた[14]

酒井にとって初めての仕事として、テレビドラマ 『春風一番!』(1986年1月 - )への出演が決定、1985年12月からその収録に参加する。同時期に雑誌 『Momoco』に登場し、モモコクラブのNo.1482となる。

1986年2月、堀越学園高等部芸能コースへ入学が決まる。クラスメートには沖本姉妹工藤夕貴斉藤満喜子、林千春(パンプキン)、西村知美渡辺美奈代などが居た[14][15]

アイドル時代

[編集]

1986年(昭和61年)

[編集]

4月29日、『Momoco』誌が開催したイベント「'86 モモコ・パーティー」におけるオーディション、『第2回 ミスモモコクラブ』で「ミスVHD賞」を受賞した酒井は、同年11月21日に VHDソフト[注 3] 『YUPPIE』を発売し、本格的にデビューを飾った[16]。VHDソフトを用いたアイドルのデビューは世界初であった。またこの作品では、彼女が初めてレコーディングをした『お願いダーリン』が挿入歌として使用されている。同ソフト内の特撮ドラマ「エイリアンハンターP」の衣装デザインは漫画家の江口寿史が担当している。テレビでは同時期放送開始のTBS系『モモコクラブ』にレギュラー出演し、畠田理恵白田あゆみと共に番組の中心メンバーとして人気を博す。この時期から酒井は「のりピー」(→ 人物:#「のりピー」を参照)と自称、同時に「のりピー語」を用いるようになった[17]

1987年(昭和62年)

[編集]

2月5日、ビクター音楽産業より『男のコになりたい』でアイドル歌手デビューし、オリコンチャート最高6位と幸先のいいスタートを切る。1年間地道に準備活動をしてきたことから、既にテレビ・ラジオのレギュラーも持ち、結成前からファンクラブの予備軍も3000人と、大型アイドルに相応しいデビューとなった[18]。女優先行型アイドルが主流となっていた中で、アイドル歌手としては正攻法で行く正統派であった[19][20]。歌手デビュー同期には我妻佳代秋山絵美五十嵐いづみ石田ひかり伊藤智恵理伊藤美紀小川範子小沢なつき工藤静香後藤久美子、白田あゆみ、立花理佐統乃さゆみ中村由真仁藤優子、畠田理恵、速水昌未真弓倫子森高千里守谷香ゆうゆ渡瀬マキうしろ髪ひかれ隊BaBeパンプキンなどがいる。

2月19日、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』へも第10位に初ランクイン。同じく第9位で『STAR』の浅香唯と二人一緒に当番組へ初出演を果たしている[21][注 4]。以降、1990年までシングル16作連続でオリコン10位圏内にランクインするなど、多くの歌番組、雑誌、テレビ・ラジオ番組、イベントなどに出演する人気アイドルとなる[22]。8月、日比谷野外音楽堂にて開催されたモモコクラブのコンサート「Momoco Party」では、前日まで仕事で地方に居たためヘリコプター地下鉄を乗り継いで会場へ向かい[23]島田奈美杉浦幸、畠田理恵などと共に中心メンバーとして出演した[24]。9月、ファーストソロコンサート「のりピーYUPPIEコンサート」開催。同月、1年間所属したモモコクラブを卒業する。

同年の新人賞レースには数多く参戦し、伊藤智恵理、坂本冬美、立花理佐、仁藤優子、畠田理恵、BaBeなどとの激戦をくり広げた[25]

1986年から1989年にかけて江崎グリコのCMキャラクターとなり、「ジャイアントカプリコ」のCMではジャイアント馬場と共演。「ポッキー」の本田美奈子や「セシルチョコレート」「アーモンドチョコレート」の南野陽子などと共に、同社の多数の商品のCMに出演した。また、夏の甲子園の応援ポスター(「ビクター・甲子園ポスター」キャンペーン、1987年、1988年)や日本赤十字社の献血ポスター(1987年、1988年)、郵政省の年賀はがきのポスター(1987年)、消防庁の防火ポスター(1987年度)など、多数の企業・団体・官公庁のキャンペーンガールに起用された。

1988年(昭和63年)

[編集]

4枚目のシングル『夢冒険』がNHK総合アニメ三銃士』の主題歌となった他、第60回選抜高等学校野球大会の入場行進曲となりファン層を広げる。楽曲が甲子園の入場曲となったことはデビュー2年目で酒井が国民的アイドルに成長した印象を与え、"のりピー"の愛称を一段と認知させるきっかけにもなった[26]。5月、自身も出演するライオン・「Ban16」のCMソングとなった6枚目のシングル『1億のスマイル』がオリコン週間チャートで自己最高位の2位となる[27][注 5]。音楽番組『ザ・ベストテン』へも5週連続でランクイン[28]中森明菜南野陽子浅香唯工藤静香などのトップアイドルと共にランキングを賑わせた。海外からの中継も入るなど露出的に高い楽曲となり、「Ban16」のCMで「ヒャピー、ヒャピー、ヒャピー」と叫ぶ酒井が話題となった[26]

8月、春のツアーに引き続き夏のコンサートツアー「のりピーYUPPIEコンサート'88」開催。その他大学の学園祭やバブル景気を背景とした地方博覧会などのイベント、各地方テレビ局主催の多くのイベントや公開放送などに出演した。またフジテレビ系『ドキッ!丸ごと水着 女だらけの水泳大会2』に白組トップバッターとして出場。ミス・フォトジェニック賞を受賞し注目を集めた[29]

10月、ガイナックス制作のアニメ『トップをねらえ!』の主題歌(OP『アクティブ・ハート』・ED『トライAgain…!』)を担当する。

12月、恵比寿に自身のタレントショップ『NORI・P ・HOUSE』オープン。中高生が殺到し、グッズの売り上げは一説では30億円を超えるとも言われた[30]

オリコンによると、1988年のシングル売上枚数は36.2万枚で22位。女性アイドルでは南野陽子、工藤静香、中森明菜、浅香唯、中山美穂荻野目洋子松田聖子に次ぐ記録であった[31]

1989年(昭和64年/平成元年)

[編集]

1月1日発売の8枚目のシングル『ホンキをだして』が、1980年代の酒井のシングルでは自己最高のセールスを記録するヒット曲となる。2月、高校卒業と18歳の誕生日を迎えたことを期に「のりピーちゃんを切り離して"酒井法子"として、より素敵な曲を歌っていきたい」と決意表明[32]。デビュー以来酒井の楽曲は一貫して「明るさ」「元気」「ハツラツ」「一生懸命」というコンセプトで作られてきたが、10枚目のシングル『Love Letter』では作詞・作曲に尾崎亜美を起用し、"歌手・酒井法子"にメロウなファクターを与えることで、それまでの"元気で明るい"イメージから路線変更していくこととなる[33]。6月発売のスタジオ・アルバムBlue Wind/NORIKO Part IV』では作曲家陣に尾崎の他浜田金吾上田知華南佳孝財津和夫らを起用。ミディアムやスローなナンバーでは歌手として大人の落ち着きを見せるようになっていく[34]

女優への挑戦

[編集]

1990年、NHK総合 大河ドラマ翔ぶが如く』レギュラー出演。歌手としてだけでなく、女優にも挑戦。山村美紗原作『舞妓さんは名探偵!』シリーズでは愛くるしいヒロインを演じた[35]。また、舞台ミュージカルにも出演し、確実に芸の幅を広げていく[36]

1990年3月21日発売のベスト・アルバム『Singles 〜NORIKO BEST〜』でシングル、アルバムを通じて初のオリコンチャート首位を獲得。それまでの最高売上であった4thアルバム『Lovely Times』を上回る、最も高いアルバムセールスを記録した[37]

中国語圏での人気

[編集]

酒井が「ずっとのりピー路線でやっていくのは限界があるな」と感じていた頃、転機となるアジア進出のオファーが到来する[11]。1992年当時、日本の芸能界が目を向けていなかった台湾での活動を始め、香港中国本土など、中国語圏各地においても、日本での評価以上の人気と知名度を獲得。中国語歌唱による楽曲も発表した。当時の所属事務所社長・相澤秀禎は、酒井のアジア進出の経緯について次のように語っている。

ところが、日本人のタレントが向こうで活躍したというケースがほとんどなかった。歌としては、たとえば谷村新司の『昴』であるとか、千昌夫の『北国の春』などが流行しているが、歌手の名前は知られていないことがほとんどだ。そこで私は、アジアの時代に向けて日本のタレントを向こうで売り出そうとしたのだ。その第一号が酒井法子である。そもそも、五年ほど前、台湾のプロダクションから日本のタレントの中で酒井法子がとても人気があり、ぜひ、台湾に来てくれないかという話があった。当初は、日本で売れているのに、なぜ台湾まで行くのか、スタッフの中には疑問を持つものもいたようだ。でも私は、「これからは絶対にアジアの時代になる」とこの話に乗ったのである。 — 相澤秀禎、『人気づくりの法則』[38]

1992年(平成4年)5月には初めての海外公演として台北市でのコンサートを成功させた[注 6]。当時平均初任給が役12万円の台湾で、7000円の高額チケットが発売と同時に完売。海賊版のCDや写真集も飛ぶような売れ行きとなる人気だった[39]。現地のテレビ番組やCMにも出演し、日本人アイドルの人気投票でも3年連続で1位となる。同年10月31日と11月1日、夏のコンサート・ツアー『マンモス』のファイナル2公演を同市にて開催し、2日間で隣で開催されていたプロ野球台湾シリーズの動員数1万4千人を上回る3万人の観客が集まった[40]。こうした現地での高い人気から、日本のマスメディアは酒井を"アジアの歌姫"と呼んだ[41]

遡って台湾での初コンサートを開く前、事務所スタッフから「台湾で人気が高まっている」と言われても、本人はピンと来なかった[9]。しかし台湾の空港に着くとものすごい数の報道陣が花束を持って押し寄せたことで、驚きと共に人気を実感した[9]。当時は数年前から日本の歌番組のランキングでベスト10入りしても、翌週はランク外になって悔し泣きをするということが多かった[9]。そのような状況の中、台湾ではライブ会場いっぱいのファンが熱狂的に盛り上がり、中国語で名前を呼ばれるなど、台湾のファンの熱い声援は本人にとって大きな自信を与えた[9]

1994年、アルバム『微笑』で中国本土の音楽市場に参入する[42]。同時期に酒井の所属するレコード会社、ビクターの系列であった松下電器の中国・台湾でのCMキャラクターとなり、シングル『夢冒険[注 7]がCMソングとして使用された。酒井の出演した『ひとつ屋根の下』『星の金貨』などのドラマも中国語の吹き替えで放送されて絶大な人気を得た[43]

1998年には、中国の中国唱片社が発行する音楽情報誌『音像世界』5月号に掲載された同年3月分のランキングで1位に登場し、同誌6月号では表紙を飾った[44]

1990年リリースのシングル『微笑みを見つけた』を中国の標準語(普通話)による歌詞でセルフカバーしている(タイトルは「微笑」)。広東語バージョンは黎瑞恩の歌による「你知我想說甚麼」。

女優・歌手としての活躍

[編集]

1993年、脚本家野島伸司に引き立てられ、出演したドラマ 『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)が最高視聴率37.8%[注 8]を記録する大ヒット作となる。1994年、『出逢った頃の君でいて』(日本テレビ系)では不倫OL役を演じる。ゴールデンタイムで主役クラスを続けて演じて話題となり、1995年の主演ドラマ『星の金貨』(日本テレビ系)も最高視聴率23.9%と立て続けにヒットする。同ドラマの主題歌となったシングルCD碧いうさぎ』は自身初のミリオンセラーの大ヒット曲となり、デビュー9年目にして初めて 『第46回NHK紅白歌合戦』(1995年、NHK総合ラジオ第1)に出場した。ドラマでの役柄に合わせて、酒井はこの楽曲を、NHK紅白歌合戦史上初めて、日本手話を交えて歌った。デビュー9年目にして大ブレイクし、"新・視聴率女王"と称され、また1990年代の「女性アイドル冬の時代」において凋落していく元アイドルが多かった中で、アイドル性を保ちながらも女優・歌手として大ヒットを飛ばしたことから、"今世紀最後のアイドル"とも称された[41][注 9]

1996年(平成8年)3月には、個人事務所 「エヌ・コーポレーション」(東京・南青山)設立、継母と共に取締役に就任した。同年、『続・星の金貨』(日本テレビ系)にも引き続き主演を務め、最高視聴率26.4%を記録。ドラマ主題歌のシングルCD『鏡のドレス』もヒット作となった。

その後、結婚・出産を経た酒井は、育児と女優活動を両立、2003年(平成15年)には、伊藤忠商事とサンミュージックが設立した洋服ブランド、『ピーピーリコリノ (PP rikorino)』のプロデュースを始める[46]。さらに、日中文化スポーツ交流年(2007年)・文化親善大使となって、様々なイベントに参加し、当時の内閣総理大臣安倍晋三とも面会[47]、また、最高裁判所制作による、裁判員制度のPR映画審理』(2008年)に主演するなど、芸能人としてのステータスを高めていた。

覚醒剤の所持及び使用事件とその後

[編集]

2009年(平成21年)、覚醒剤を所持・使用し、逃亡を計り、当時の夫である高相と共に、覚せい剤取締法違反で東京地方裁判所から懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。

押尾学事件が発覚直後に起きたこの事件では、テレビ局が報道特別番組を放送[注 10]警察庁長官が事件に言及するなど[48]、世間の注目を大いに集めた。また、酒井は事件前、同年に始まった「裁判員制度」紹介のための広報映画『審理』(最高裁判所制作)に主演(#映画)するなど[49] していた。

事件の経過

[編集]
酒井の逮捕
[編集]

8月3日、夫が東京都渋谷区道玄坂の路上で覚醒剤を隠し持っていたところを現行犯逮捕される[50]。酒井も警視庁渋谷警察署から任意同行を求められたが、「子供がいるので、後で行きます」と署員に告げ、知人男性の車で現場から立ち去る。その後、都内の別の知人に長男を預け、行方不明となった[51]。現場を離れた後、新宿区中央区のホテルに宿泊[52]。現金数十万円を都内のコンビニのATMで引き出し、身の回りの品を都内の量販店などで買い揃えた後[53]、8日夜に警視庁に出頭するまでの6日間、知人の会社会長から運転手付きの車を借りて、継母と2人で山梨県身延町の継母の妹宅や、会長や親族が所有する東京都東大和市のマンションと神奈川県箱根の別荘に宿泊していた[54]

8月7日、夫が酒井の覚せい剤使用を供述。警察は酒井の自宅から微量の覚醒剤(8マイクログラム)と酒井の唾液が付着した吸引具を発見、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で酒井への逮捕状を取った[55]。その翌日の8月8日、酒井は東京・文京区の警視庁富坂分庁舎に出頭し、逮捕された[51]

8月28日、検察は覚せい剤取締法違反(所持)で酒井を起訴、それを受けてサンミュージックは酒井とのマネジメント契約を解除、所属レコード会社のビクターエンタテインメント(初代、現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント→ ビクターエンタテインメント(2代目))も酒井との契約を解除した[54]。その後、酒井は事件前、滞在先の奄美大島のホテルで覚醒剤を吸引していたことも判明[注 11]、覚せい剤取締法違反(使用)で追起訴されている[56]

同年9月17日、保釈保証金 500万円を納付し、それまで勾留されていた東京湾岸警察署から保釈された酒井は、警察署の玄関前で謝罪、さらに同日、東京都内において記者会見を行った[57]

裁判と事件の影響

[編集]

酒井は同年10月26日に東京地方裁判所で始まった刑事裁判で起訴事実を認め、「離婚をして、お互いに更生する努力が必要」、「介護を学び、仕事で生かしたい」などと述べた[58]中国のインターネット上では「永遠に酒井法子を支持する」などの書き込みも目立ち、国外での根強い人気をうかがわせた[58]。この公判は世間の関心を集め、裁判傍聴の抽選には20席の傍聴席に対して6,615人が参加した。330倍の倍率は日本の刑事裁判史上最高で、抽選に集まった人々の人数もオウム事件麻原彰晃に次ぐ多さである[59]。11月9日、酒井は懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受け[60]、検察側・弁護側とも控訴せず刑が確定した。

なお、この事件では興味本位での報道が過熱したため、放送倫理・番組向上機構が警告を行った[61]

事件後

[編集]

2010年(平成22年)12月18日及び25日放送のTBS系『情報7days ニュースキャスター』にVTR出演。12月3日に発売した自叙伝『贖罪』(朝日新聞出版、2010年)のPRで、本と同様、事件当時の胸中を振り返る内容になった。18日放送分は酒井にとって逮捕後初のテレビ出演となった。

2011年、中国禁毒大使のキャンペーンとして、中国に招聘され、イベントに出席した。

2012年11月の復帰時に、事件の際に前所属事務所サンミュージックが、約5億円の損害賠償を肩代わりしたことが明らかになった[62]

復帰後の活動

[編集]

2012年9月27日に、12月から上演される舞台に主演することが発表[63]。役柄は信長の妹お市を演じることとなった[64]。同年11月23日に執行猶予期間終了。翌24日に復帰会見を行った[65]

2013年1月、中国ネットサイトの年度文化、ファンション賞「アジア最注目女優大賞」。5月29日には23日に病没した先代社長・相澤秀禎の告別式にも参列。「出来の悪い不良娘で申し訳ありません」と霊前に詫びた。

2013年10月、『さんまのまんま』(関西テレビ)にゲスト出演し、バラエティ番組にも復帰。

2014年、今井雅之の舞台『手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜』に出演予定だったが、所属事務所オフィスニグンニイバが直前の1月16日になって辞退を申し入れる。代役は高橋明日香[66]

2016年9月22日、16年ぶりの正式なコンサート『酒井法子30th ANNIVERSARY コンサート』を開催[67]し、2017年2月14日には、26年ぶりのバースデーイベント『酒井法子 30th ANNIVERSARY FINAL ?BIRTHDAY & VALENTINEファンミーティング-』を開催した[68]

2017年10月には、5年ぶりの主演舞台『うんちゃん2』に出演[69][70]

2018年1月20日、18年ぶりの香港単独コンサート『Welcome Back! Sakai Noriko Live in Hong Kong』を開催。

2018年7月18日、ブルーシー・アンド・グリーンランド財団の「子どもの健全育成大使」に任命された[71]

2019年3月15-16日、海外初めてのディナーショー 『酒井法子 ディナーショー ~台湾ツアー~』を開催。

2019年7月13日、『「Miss you」 酒井法子 香港ミュージックシェアリングライブ2019』を開催。

2021年2月5日公開の『空蝉の森』に主演[72]。女優復帰してから初めての映画作品で、映画主演は2008年の裁判員制度PR映画『審理』以来13年ぶり[72]。2014年に撮影され、2015年に公開予定だったが、公開前に製作会社「ニューウェーブ」が倒産し、お蔵入りの危機を乗り越えての公開となった[72]

2021年4月30日、所属事務所オフィスニグンニイバを退所[7]。個人事務所「株式会社スマイル」を設立[7]

2023年、新曲「Funny JANE」を収録した35周年記念ベスト『Premium Best』を発売。

2024年、香港の旺角マクファーソン・スタジアムでコンサートを開催、先行予約分のチケットが30分で完売し、翌日に公演が追加された[73]

人物

[編集]

「のりピー」

[編集]

デビュー当時、酒井のニックネームは、中学校時代からの渾名と同じ「のりっぺ」であり、「のりピー(のりピーちゃん)」は、自身がイラストで描くキャラクターの名称であった。1986年3月19日に開催された業界関係者の会合「第一回のりピー族会議」で、酒井の愛称を『のりピー』とすることが正式決定される[14]。当初は酒井の一人称が「のりっぺ」、他人が酒井を呼ぶ場合は「のりピー」という使い分けがなされていたが[74]、程なくして混同されるようになり、酒井自身が『のりピー』を自称するようになる。また、「やっピー」「うれピー」「マンモスラッチー」等、酒井の独特の言葉遣いを『のりピー語[注 12]』と称した[75]。その軽い語感から当時の中高生を中心に流行した[30]。のりピー語は酒井自身デビュー前から使っていた言葉が最初で、そこから自然派生していったものということで、売れっ子ばかりの芸能界の中で何か目立たなきゃいけないということで色んな言葉を作っていったという[76]。当時の事務所社長・相澤秀禎は、「のりピー語」が、酒井を売り出すための戦略だった事を明かしている。

酒井法子は売り出しのテクニックとしては面白い現象だと思うんです。いわば遊び感覚でアイドルになった例です。彼女をどうやって売り出していくかという時に、初めはパソコン少年を対象として「のりピー」という愛称を浸透させ、さらに「のりピー語」を作ったり、「のりピーマン」というキャラクターを作ったりと、遊び感覚でいきながら、歌も歌えるし、芝居もできて、漫画も描けるというマルチタレントで売り出していったんです。 — 相澤秀禎、『増補 アイドル工学』 第2章 アイドルが語る時代[77]

のりピー語については後年、「20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人が語っている。

ザ・ベストテン』(TBS)では酒井直筆の歌詞がそのままテロップになって表示されたこともあって「変体少女文字を書く新人類」と言われたこともあった[11]

1991年から1992年にかけて「のりピーハウス・レーシングチーム」というチーム名でN1耐久レース(現在のスーパー耐久)にも参加。チーム監督として酒井が着任し、レース車両(日産・パルサーホンダ・シビック)のデザインも自ら行った[78]。のりピー語と同様に酒井のプロモーション戦略の一環であったが、2000万円程の費用が生じたという[79]

「のりピーちゃん」

[編集]

アイドル時代、酒井の活動は多岐に渡り、芸能活動のほかにイラストレーター漫画家ペンネームは平仮名の“さかい のりこ”)としても活動した。中学2年の時に酒井の落書きの中で誕生したというキャラクター『のりピーちゃん[注 13]』は日本自動車工業会の交通安全ポスターに使われた他[80]、1988年5月から小学館の少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に酒井自身の執筆により4コマ漫画として連載され[81]、単行本化[82]アスミックよりOVA化もされた。"のりピーちゃん"のマンガは雑誌の連載前から酒井のファンクラブ"のりピー族"の会報の中で既に掲載されてファンからは大きな反響となっており、そのキャラクターに注目した小学館からマンガ連載の打診が来た際、サンミュージックのプロモート事業部部長、相澤正久(現・会長)は次のように語ったという。

法子は歌手であるが、それ以上にタレントとして育てていかないと、いつか、必ず限界にきてしまう。アイドルを育てにくくなりつつある現在、他のアイドルより目立たせるには、法子のキャラクターを前面に出して話題を提供していくしかない。その上で、歌のヒットを考えていくのが、最もベストな形なのかもしれない。だとしたら、今は、絶対に"のりピーちゃん"をプロモート戦略の第一に考える必要がある。できれば、"のりピーちゃん"が社会現象になるような展開をしていきたい。それが、結果的に法子にはねかえってくるはずだ。 — 相澤正久、『ORICON NO.1物語 Singles 酒井法子』 第三章「のりピー音頭」の誕生[83]

その『のりピーちゃん』のキャラクターグッズは直営ショップ 「NORI・P ・HOUSE」[注 14]で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担った。1988年7月、富士山の8合目(標高3300m)の山小屋にグッズ店「のりピーちゃんハウス」を開店。「日本一標高の高いタレントショップ」として話題となった[84][85]。1988年7月6日には「のりピー」名義で企画シングル『のりピー音頭』[注 15]もリリース。同年8月には東京大阪名古屋で「全日本のりピー音頭カーニバル」というイベントも行われた[86]。これらの一連の活動は酒井の"のりピー"という愛称を一段と認知させ、ローティーン以下のファン層を拡大することに繋がり、"のりピーちゃん"も一種の社会的ブームとなった[87]

1989年9月に来日したシンディ・ローパーと対談した際は、「のりピーマン」や富士山をモチーフにした「ふじピーマン」人形などの自身のグッズをプレゼントした。1991年には5合目の山小屋に富士山2号店がオープンしている。

こうした事務所の売り込み戦略について、酒井は次のように語っている。

正統派のアイドルとは違っていても、具体的な戦略を提示されたのはありがたかった。ひと言で言えば、それは「変化球」で勝負すること。
わたしが小さいときに夢見ていたアイドルたちは、歌とか、容姿とか、女の子が憧れる要素を武器にして売り出し、成功を収めてきた。そういった「直球」では勝負できないから、わたしの場合には人と何か違った「変化球」でアピールするしかない。アイドルの王道とは異なる変化球を一つ、また一つと考えて投げ込んでいくことによって、ここにのりピーがいるぞという存在感を出していく。それがわたしたちの戦略だった。そう教わって、納得もして、斬新で突拍子もないアイデアを実践することに夢中になってのめり込んでいった。 — 酒井法子、『贖罪』 第四章 萌芽[88]

私生活

[編集]

1998年(平成10年)12月、当時プロサーファーだった高相祐一と結婚[2]。同時に妊娠3ヶ月であることも公表され[2]、酒井は翌年7月17日に長男をハワイ州で出産した。

産前産後休業をとっていた酒井は2000年(平成12年)に芸能活動を再開。しかし、同年7月にはデビュー当時からの担当マネージャーが芸能事務所社内で自殺するという事件が発生した。

酒井は、育児と女優活動を両立、酒井を前面に出したファッションブランドをプロデュースし、公的イベントにも参加していたが、2009年(平成21年)には夫とともに覚醒剤取締法違反事件を起こし、両者とも有罪判決を受けるに至った( → 「#覚醒剤の所持及び使用事件とその後」を参照)。

事件翌年の2010年(平成22年)1月[注 16][89]、酒井は介護士音楽療法士の資格取得を目指し、創造学園大学ソーシャルワーク学部ソーシャルワーク学科介護福祉コースに入学。eラーニングを主とした勉強を始めたが、同大は2013年3月に閉校している[90]。介護の勉強を始めようと考えたのは、裁判の前に所属事務所の副社長から弁護士を通じて勧められたのがきっかけだという[91]。 2010年6月には離婚調停を経て夫との離婚が成立[3]慰謝料はなく、長男(当時11歳)の親権は酒井が得た[92]

クリスティーナ・アギレラ主演映画『バーレスク』に憧れて、セクシーなバーレスクダンスを習うようになった[93]、2023年時点でダンス歴は7年[94]

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位 規格品番
ビクター
1 1987年
2月5日
A面 男のコになりたい 三浦徳子 Frankie T. 萩田光雄 6位 SV-9200
B面 ワガママ・シンドローム 森浩美 緑一二三
2 1987年
5月21日
A面 渚のファンタシィ 竹花いち子 タケカワユキヒデ 新川博 4位 SV-9243
B面 月夜でドキッ! 篠原仁志 鈴木キサブロー 萩田光雄
3 1987年
8月25日
A面 ノ・レ・な・いTeen-age 森浩美 西木栄二 戸塚修 4位 SV-9268
B面 恋のスタイル さかたかずこ 鈴木キサブロー 萩田光雄
4 1987年
11月25日
A面 夢冒険[注 17] 森浩美 西木栄二 中村暢之 4位 SV-9297
B面 ハートの中のプリズム 石川恵樹
5 1988年
2月24日
A面 GUANBARE 森雪之丞 馬飼野康二 7位 SV-9315
B面 Bタイプが好き さかたかずこ 鈴木キサブロー 馬飼野康二
6 1988年
5月18日
A面 1億のスマイル 森浩美 飛鳥涼 船山基紀 2位 SV-9341
B面 窓際の恋飛行 飛鳥涼 十川知司
7 1988年
9月21日
A面 HAPPY AGAIN 森浩美 西木栄二 船山基紀 4位 SV-9374
B面 きらいよ… 小倉めぐみ
8 1989年
1月1日
A面 ホンキをだして 森浩美 筒美京平 4位 SV-9399
B面 かわらないでね
9 1989年
2月14日
A面 おとぎの国のBirthday 石坂まさを 和泉常寛 山本健司 6位 SV-9405
B面 星屑のアリス 月岡貞夫 歩一
10 1989年
4月26日
A面 Love Letter 尾崎亜美 佐藤準 5位 SV-9423
B面 Dream Call 夏目純 財津和夫
11 1989年
8月2日
A面 さよならを過ぎて 来生えつこ 前田克樹 船山基紀 8位 SV-9441
B面 少しづつの恋 濱田金吾 鷺巣詩郎
12 1989年
11月21日
A面 ALL RIGHT 遠藤京子 10位 SV-9448
B面 恋の場面 来生えつこ 来生たかお 船山基紀
13 1990年
2月21日
01 幸福なんてほしくないわ 松本隆 入江剣 10位 VIDL-10007
02 ほほにキスして 伊藤薫
14 1990年
5月21日
01 ダイヤモンド☆ブルー 遠藤京子 井上日徳 9位 VIDL-10029
02 Lonely Heartによろしく 及川眠子 都志見隆
15 1990年
8月21日
01 微笑みを見つけた 遠藤京子 鈴木キサブロー 9位 VIDL-10056
02 正しいパーティー
16 1990年
11月21日
01 イヴの卵 及川眠子 MAYUMI 山川恵津子 10位 VIDL-10082
02 ウィンター・ガーデン 竹花いち子 鈴木キサブロー 井上日徳
17 1991年
3月21日
01 あなたに天使が見える時 森雪之丞 土橋安騎夫 12位 VIDL-10109
02 レイン・レイン
18 1991年
6月21日
01 モンタージュ 16位 VIDL-10140
02 WE NEED LOVE 羽場仁志 十川知司
19 1991年
11月7日
01 涙がとまらない 〜HOW! AW! YA!〜 康珍化 原田真二 松本晃彦 21位 VIDL-10164
02 雪の小鳥たちへ
20 1992年
3月4日
01 軽い気持ちのジュリア 上田知華 URAN 19位 VIDL-10218
02 うれし涙 遠藤京子 清水信之
21 1992年
6月21日
01 渚のピテカントロプス 康珍化 羽田一郎 34位 VIDL-10247
02 キャンプ・ファイヤー・ソング 森山良子 吉川忠英
22 1992年
11月6日
01 たぶんタブー さいとうみわこ 松田信男 西平彰 54位 VIDL-10282
02 何にもしないクリスマス 亜伊林 波花行造 森村献
23 1993年
5月21日
01 あなたが満ちてゆく 朝水彼方 PROJECT
MOONLIGHT CAFE
田代修二 60位 VIDL-10350
02 言えないひとこと PROJECT MOONLIGHT CAFE
24 1993年
11月21日
01 笑顔が忘れられない M&M 山川恵津子 89位 VIDL-10465
02 ふたつの輝き 朝水彼方 PROJECT
MOONLIGHT CAFE
25 1994年
6月22日
01 誘われて… MOONLIGHT CAFE 65位 VIDL-10533
02 あなただけ
26 1995年
2月22日
01 OH OH OH
〜We are the Winners〜
[注 18]
秋元康 M.White
B.Meyers
K.Misawa
西脇辰弥 - VIDL-10615
27 1995年
5月10日
01 碧いうさぎ 牧穂エミ 織田哲郎 新川博 5位 VIDL-10649
02 永遠の朝 上田知華 山川恵津子
28 1996年
4月24日
01 Here I am
〜泣きたい時は泣けばいい〜
秋元康 川島だりあ 新川博 24位 VIDL-10767
02 思い出をめくるために MOONLIGHT
CAFE
29 1996年
10月9日
01 鏡のドレス 三浦らら 宇佐元恭一 土方隆行 9位 VIDL-10811
02 Star Talk[注 19] 沢田知可子
30 1997年
7月24日
01 涙色 河村隆一 20位 VIDL-30050
02 蝶々
31 1998年
5月13日
01 横顔 辛島美登里 十川知司 30位 VIDL-30199
02 Better half 田中リエ / 細木隆広
32 1999年
4月1日
01 PURE 藤井フミヤ 増本直樹 土方隆行 50位 VIDL-30412
02 フォトグラフ とみたきょうこ 奥居香
33 2000年
4月5日
01 WORDS OF LOVE 原由子 本山晴一郎 42位 VICL-35123
02 Miss You 川村真澄 村山晋一郎
34 2000年
11月1日
01 miracle 宮原芽映 - VICL-35194
02 私だけでいて S.Barakatt 松原憲
35 2004年
6月23日
01 天下無敵の愛 斉藤由貴 崎谷健次郎 153位 VICL-35679
02 月明かりの下
36 2007年
8月22日
01 世界中の誰よりきっと 上杉昇
中山美穂
織田哲郎 上杉洋史 44位 VICL-36337
02 碧いうさぎ(2007 Version) 牧穂エミ

企画シングル

[編集]
  • 『 のりピー音頭』(1988年7月6日)
    作詞: 森浩美、作曲: 馬飼野康二、編曲: 竹村次郎
    のりピー名義での発表
    カセットテープでのみ発売。有線ラジオプロモーション用のものを除き、CDEPレコードは制作発売されていない。オリコン最高位:28位
  • 『すすめ! はっくしょんベイビー』(2004年5月1日)
    作詞: 白峰美津子、作曲・編曲: 渡部チェル
    NHKみんなのうた』 2004年4月 - 5月放送曲
    CDつき絵本『はっくしょんベイビーライオンにあう』(スターツ出版)として発売。
  • 『のりピー音頭(法子バージョン)』(2024年8月7日)
    作詞: 森浩美、作曲: 馬飼野康二
    配信限定リリース。

アルバム

[編集]

オリジナル・アルバム

[編集]
  1. ファンタジア (Fantasia) / NORIKO Part I(1987年7月1日)オリコン最高位:19位
  2. 夢冒険 / NORIKO SPECIAL(1988年1月1日)オリコン最高位:15位
  3. GUANBARE / NORIKO Part II(1988年3月16日)オリコン最高位:8位
  4. Lovely Times/NORIKO Part III(1988年8月21日)オリコン最高位:8位
  5. Blue Wind/NORIKO Part IV(1989年6月21日)オリコン最高位:9位
  6. My Dear/NORIKO Part V(1989年12月16日)オリコン最高位:13位
  7. White Girl/NORIKO Part VI(1990年7月4日)オリコン最高位:9位
  8. Sweet'n Bitter/NORIKO Part VII(1991年1月21日)オリコン最高位:8位
  9. マジカル・モンタージュ・カムパニー(1991年7月21日)オリコン最高位:22位
  10. マンモス(1992年7月22日)オリコン最高位:26位
  11. あなたが満ちてゆく(1993年7月21日)オリコン最高位:40位
  12. 10 SONGS(1994年7月21日)オリコン最高位:58位
  13. 素顔 (ノーメイク)(1996年5月22日)オリコン最高位:24位
  14. スノーフレイクス(1996年12月18日)オリコン最高位:15位
  15. work out fine(1998年7月1日)オリコン最高位:39位

ミニ・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 品番 オリコン最高位
1st 2014年1月22日 涙ひとつぶ 109位
2nd 2015年11月11日 Truth〜飛べない鳥よ〜 206位

カバー・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 品番 オリコン最高位
1st 2003年9月6日 moments -

ベスト・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 品番 オリコン最高位
1st 1990年3月21日 Singles 〜NORIKO BEST〜 1位
2nd 1991年2月21日 CD FILE 酒井法子 VOL.1 32位
3rd 1991年2月21日 CD FILE 酒井法子 VOL.2 34位
4th 1991年2月21日 CD FILE 酒井法子 VOL.3 35位
5th 1991年12月5日 Sentimental Best 47位
6th 1992年12月2日 Singles 〜NORIKO BEST〜 II 49位
7th 1994年2月2日 natural best 50位
8th 1995年6月21日 Watercolour 36位
9th 1995年7月12日 TWIN BEST 84位
10th 1999年6月23日 PURE COLLECTION -
11th 2000年4月5日 Singles 〜NORIKO BEST〜 III 81位
12th 2005年3月24日 〈COLEZO!〉Noriko Sakai Best Selection -
13th 2005年12月16日 〈COLEZO! TWIN〉酒井法子 -
14th 2007年9月19日 大好き 〜My Moments Best〜 73位
15th 2016年9月21日 The Best Exhibition 酒井法子30thアニバーサリーベストアルバム VICL-64635/6 75位
16th 2017年2月22日[注 20] GOLDEN☆BEST 酒井法子 VICL-70226 -
17th 2017年3月15日 NORIKO BOX 30th Anniversary Mammoth Edition[95] VIZL-1104 192位
18th 2023年7月19日 Premium Best VICL-65856〜8 35位

企画アルバム

[編集]
  1. 微笑(1994年11月1日)
  2. 我愛美人魚(1996年2月1日)
  3. 有縁千里(1996年5月22日) - エリック・ソン(孫耀威)とデュエット曲「有縁千里」収録 オリコン最高位:80位
  4. ASIAN COLLECTION 97(1997年11月28日)
  5. ASIAN TOUR SPECIAL〜ASIAN COLLECTION 98〜(1998年10月1日)
  6. Asia 2000〜Words Of Love〜(2000年10月1日)

コンピレーション

[編集]
発売日 商品名 楽曲 タイアップ
ビクターエンターテインメント VDR 1601
1989年6月7日 トップをねらえ!音楽大図鑑 酒井法子 「アクティブ・ハート」 OVA『トップをねらえ!』主題歌
「トライ Again...!」 OVA『トップをねらえ!』副主題歌

映像作品

[編集]
  1. YUPPIE(1986年11月21日)
  2. YUPPIE2〜活躍少女(1987年9月25日)
  3. Please Your Smile - Noriko Live 88-(1988年11月21日)
  4. VIDEO FILE 1986-1988 - Noriko Sakai Vol.1(1989年9月21日)
  5. VIDEO FILE 1988-1989 - Noriko Sakai Vol.2(1989年9月21日)
  6. ホワイトガール物語(1990年9月21日)
  7. VIDEO FILE 1989-1991 - Noriko Sakai Vol.3(1991年5月1日)
  8. 酒井法子CF傑作集15×19(1991年5月21日)
  9. Zephyros - 酒井法子 in Greece -(1991年9月21日)
  10. 野音9.21〜マジカル・モンタージュ・ツアー(1991年12月16日)
  11. スタジアム・ライブ in 台湾(1993年2月24日)
  12. STELLA〜碧いうさぎ(1996年3月6日)
  13. PROMO MAXX I(2001年4月21日)
  14. 酒井法子のよいこのおはなしひろばシリーズ(2003年11月6日)
  15. 酒井法子 COMPLETE DVD BOX(2005年3月24日)
  16. 酒井法子 30th ANNIVERSARY CONCERT(2016年12月22日)

タイアップ曲

[編集]
楽曲 タイアップ
1987年 男のコになりたい グリコ「キャンレディー」CMソング
ノ・レ・な・いTeen-age
夢冒険 NHK総合のテレビアニメ「アニメ三銃士」OPテーマ
1988年 1億のスマイル ライオンBan16」CMソング
HAPPY AGAIN 日本自動車工業会・キャンペーンソング
1989年 おとぎの国のBirthday NHKの音楽番組「みんなのうた」挿入歌
1992年 うれし涙 OVA「電影少女 -VIDEO GIRL AI-」・OPテーマ
1995年 OH OH OH〜We are the Winners〜 L・リーグ・公式テーマソング
碧いうさぎ 日本テレビ系テレビドラマ「星の金貨」主題歌
1996年 Here I am〜泣きたい時は泣けばいい〜 TBS系テレビドラマ「ひよこたちの天使」主題歌
鏡のドレス 日本テレビ系テレビドラマ「続・星の金貨」主題歌
1998年 横顔 日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」主題歌
2004年 天下無敵の愛 TBS系テレビドラマ「よい子の味方」主題歌
2007年 世界中の誰よりきっと トヨタ新型ノア」CMソング

楽曲出版権利

[編集]

出演

[編集]

現在の出演番組

[編集]

※2024年4月時点

テレビ

[編集]

ラジオ

[編集]
  • 酒井法子のマンモスradio(2022年4月3日 - 、MROラジオ
  • 森田健作 青春もぎたて朝一番!(2022年7月 - 、NACK5

配信番組

[編集]

過去の出演番組

[編集]

ドラマ

[編集]
連続ドラマ
単発ドラマ

映画

[編集]
  • 必殺!5 黄金の血(1991年11月23日) - お浅 役
  • 花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年12月23日) - 浜崎美津 役
  • 呪怨2(2003年8月23日) - 原瀬京子 役
  • ムーンライト・ジェリーフィッシュ(2004年8月7日) - 寺沢由紀子 役
  • 予言(2004年10月2日) - 里見綾香 役
  • SS エスエス(2008年1月12日) - 大佛久美子 役
  • 審理(裁判員制度広報用映画、2008年3月25日試写会開催) - 木村奈緒子 役
  • 空蝉の森(2014年製作・2021年2月5日公開) - 加賀美結子 役[72]

劇場アニメ

[編集]

テレビアニメ

[編集]

バラエティー

[編集]

特別番組

[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴

[編集]
年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1995年(平成7年)/第46回 碧いうさぎ 01/25 シャ乱Q
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CM

[編集]

ラジオ

[編集]

舞台

[編集]
  • 喜劇 雪之丞変化(1991年2月2日 - 2月28日、東京宝塚劇場) - 浪路 役
  • ミュージカル サウンド・オブ・ミュージック(1992年3月3日 - 4月22日、青山劇場) - リーズル 役
  • ミュージカル シンデレラ(1995年8月2日 - 8月29日、新宿コマ劇場) - シンデレラ 役
  • ブロードウェイミュージカル big(1998年7月8日 - 8月30日、東京国際フォーラム) - スーザン 役
  • 碧空の狂詩曲〜お市の方外伝〜(2012年12月15日 - 12月24日、渋谷区文化総合センター大和田さくらホール) - お市 役
  • うんちゃん2(2017年10月3日 - 5日、草月ホール/7日 - 8日、入間市民会館)
  • 俺は、君のためにこそ死ににいく(2022年9月13日 - 18日、俳優座劇場
  • 令和源氏オペレッタ(2023年7月8日、日本橋劇場)
  • ごりょんさん~親子三代ママ稼業~(2023年9月9日 - 11日、三越劇場
  • Alice in Far East Wonderland~極東のアリス~(2024年6月29・30日、新宿角筈区民ホール) - ハートの女王 役

その他

[編集]

写真集

[編集]
  • 夢冒険(1988年1月1日、学習研究社) 撮影: 荒木英仁
  • LET'S NORI-P(1988年5月23日、音楽専科社) 撮影: 荒木英仁
  • LOVELY TIMES(1988年9月5日、近代映画社) 撮影: KUNIHIKO SESHIMOTO
  • Blue Peare(1989年2月25日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • Shuffle Heart(1989年11月12日、音楽専科社) 撮影: 石川正勝
  • AQUARIUS(1990年3月31日、近代映画社) 撮影: 武藤義
  • White girl(1990年8月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • Comme le Cinema(1991年4月20日、学習研究社) 撮影: 山内順仁(撮り下ろし)、荒木英仁(15 - 18歳のカット)
  • ZEPHYROS(1991年10月10日、ワニブックス) 撮影: 山内順仁
  • sentire,(1992年9月10日、ワニブックス) 撮影: 山内順仁
  • Shinin' Run(1993年3月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • ORANGE HOTEL(1994年11月25日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • Naturelle(1996年3月1日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • 緑色の扉(1996年12月25日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • fizz(1997年12月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二

書籍

[編集]

受賞歴

[編集]

1987年

1995年

1996年

  • 第11回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『続・星の金貨』)

2004年

2012年

  • 中国最大ネットサイドの年度文化、ファンション賞「アジア最注目女優大賞」[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 昭和60年10月26日開催 この際、準グランプリを岡谷章子、Momoco賞を畠田理恵が、それぞれ受賞している。[11]
  2. ^ この賞はコンテストの後日、昭和60年11月22日に授与された。
  3. ^ 当時、日本の電気メーカー、日本ビクターが開発したVHDは、LDなどとの規格争いの最中だった。
  4. ^ この時の1位は中森明菜の『TANGO NOIR
  5. ^ この時の1位は中森明菜の『TATTOO
  6. ^ 1992年5月10日と11日、台北市立総合体育場で開催。
  7. ^ 中国語歌唱版。
  8. ^ 1990年代の全民放ドラマの最高視聴率となっている。
  9. ^ 「女性アイドル冬の時代」は、その後の1997年に歌手デビューした広末涼子によって終止符が打たれたとされる[45]
  10. ^ TBSテレビは、酒井の逮捕状が取られた時点で特別番組を放送した。
  11. ^ 2009年7月下旬の使用歴により、同年9月11日に追起訴された。
  12. ^ のりピー語の基本は、形容詞の活用形部分に『ピー』を付ける[75]。『わたピ』『うれピー』などのように、語尾の『い』段が『ピ』『ピー』に変化する。また、『マンモスおいピー』という風に、副詞の『マンモス』が多用される。
  13. ^ 「の」の字の書かれたマントを背負った「のりピーマン」などのバリエーションもある。
  14. ^ 原宿恵比寿清里名古屋京都福岡などに存在した。
  15. ^ この曲は酒井法子の曲ということではなく、あくまでのりピーちゃんの応援歌であり、マンガのキャラクターであるのりピーが歌っているという設定となっている。また踊りの振付は花柳糸之が担当している。
  16. ^ 創造学園大学の受験、合格については、2009年(平成21年)11月10日、大学側が明らかにした。
  17. ^ 第60回選抜高等学校野球大会開会式入場行進曲
  18. ^ 酒井法子 with L・リーガーズ名義。当時の現役女子サッカー選手10人がコーラスで参加している。
  19. ^ 宇佐元恭一とのデュエット。
  20. ^ 2009年9月16日発売予定だったが、一旦発売中止となった。

出典

[編集]
  1. ^ オフィスニグンニイバ プロフィール
  2. ^ a b c “【98年12月28日】酒井法子電撃入籍 プロサーファーと”. スポーツニッポン. (1998年12月29日). オリジナルの2009年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091029042731/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/sakai_archive/KFullNormal20091001197.html 2009年11月3日閲覧。 
  3. ^ a b “のりピーやっと離婚出来た 6月末親権も”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2010年7月30日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100730-659747.html 2020年12月4日閲覧。 
  4. ^ 「巻頭大特集 酒井法子」『BOMB』1987年3月号、学習研究社、34頁。 
  5. ^ a b 『芸能・タレント人名事典』日外アソシエーツ、1990年4月20日、253頁。ISBN 4-8169-0918-4 
  6. ^ 酒井法子 (@noriko_sakai_official) - Instagram
  7. ^ a b c “酒井法子が事務所退社し個人事務所立ち上げ 未明にYoutuberデビュー”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2021年5月1日). https://www.daily.co.jp/gossip/2021/05/01/0014290097.shtml 2021年5月1日閲覧。 
  8. ^ 酒井法子、デビュー35年の回顧「のりピーとして、王道ではなく変化球を投げ続けた」”. WEBザテレビジョン (2023年7月13日). 2024年5月12日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k 『週刊現代』2024年1月27日号.
  10. ^ a b サンケイスポーツ、2009年8月27日
  11. ^ a b c d e 「ガールイズマイン The Girl is Mine 酒井法子」『昭和50年男』2020年5月号 vol.004、クレタパブリッシング、142-145頁。 
  12. ^ 相澤 1998, pp. 80–83.
  13. ^ 酒井 2010, pp. 96–101.
  14. ^ a b c 「巻頭大特集 酒井法子」『BOMB』1987年3月号、学習研究社、30頁。 
  15. ^ 「アンケート調査!ナカヨシ関係がヒト目でわかる アイドルおともだち関係図」『DUNK』1988年11月号、集英社、43-45頁。 
  16. ^ 「酒井法子 11/21世界初の3D・VHD『YUPPIE』で堂々デビュー のりっぺは"ひょうきん2"エイリアン・ハンターなのだ!」『DUNK』1986年12月号、集英社、45頁。 
  17. ^ 「マンモスラッチー!な九州女児―「ポスト聖子」と「ミス原宿」」『FOCUS』1986年11月28日号、新潮社、18-19頁。 
  18. ^ 「アイドルは体力だ!―"ポスト聖子の本命"酒井法子クンの奮闘ぶり」『FOCUS』1987年2月27日号、新潮社、16-17頁。 
  19. ^ 『日本昭和アイドル歌謡大全』辰巳出版〈タツミムック〉、2020年11月10日、149頁。ISBN 978-4-7778-2679-7 
  20. ^ 真鍋公彦・宝泉薫・松井敏夫 編『80'sアイドルライナーノーツ』JICC出版局、1991年2月15日、169頁。ISBN 4-7966-0074-4 
  21. ^ 浅香唯が振り返る80年代の歌番組 ロバや柔道、リンボーダンスに「笑わないように歌い切った」”. ENCOUNT (2022年6月29日). 2023年9月30日閲覧。
  22. ^ 「酒井法子 マンモス忙しっ!お仕事生活完全追跡 1日が48時間にな~れ!」『DUNK』1987年10月号、集英社、107頁。 
  23. ^ 「酒井法子 取材ノート1冊分の"ちょっといい話"ご紹介 のりピーがオレ達を泣かせるとき」『DUNK』1987年11月号、集英社、206頁。 
  24. ^ 「巻末特集 モモコクラブvsおニャン子クラブ MOMOKO PARTY」『BOMB』1987年11月号、学習研究社、186-187頁。 
  25. ^ 「音楽祭のしくみをキッチリ知りたい 新人賞レース舞台ウラ話企画」『BOMB』1987年12月号、学習研究社、141-145頁。 
  26. ^ a b 「ORICON NO.1物語 第41回『Singles』酒井法子 その2」『ORICON WEEKLY』1990年5月29日号、オリジナルコンフィデンス、21頁。 
  27. ^ 「明菜圧勝、連続Vは15へ 酒井のりP自己最高2位」『ORICON WEEKLY』1988年6月6日号、オリジナルコンフィデンス、18-19頁。 
  28. ^ 山田修爾「全603回 ベストテンランキング一覧」『ザ・ベストテン』新潮社新潮文庫〉、2012年1月1日、352頁。ISBN 978-4-10-136341-7。C0176。 
  29. ^ 「ブルッ!アイドル達も濡れる大磯」『ザテレビジョン』1988年8月19日号、角川書店、22頁。 
  30. ^ a b 「下着からアイスクリームまで「462種!」「のりピーハウス」に徹夜で並んで買うもの」『FRIDAY』1988年12月30日号、講談社、24-25頁。 
  31. ^ 『オリコン年鑑1989別冊 オリコン・チャート・データ'88』オリジナルコンフィデンス、1989年4月15日、86頁。ISBN 4-87131-022-1。C0002。 
  32. ^ 「巻頭大特集 LOVE LETTER FROM NORIKO」『BOMB』1989年5月号、学習研究社、27頁。 
  33. ^ 「NEW RELESE REVIEW & LIST 酒井法子『Love Letter』」『ORICON WEEKLY』1989年5月1日号、オリジナルコンフィデンス、15頁。 
  34. ^ 「NEW RELESE REVIEW & LIST 今週の推薦盤 酒井法子『Blue Wind/NORIKO Part IV』」『ORICON WEEKLY』1989年6月19日号、オリジナルコンフィデンス、16頁。 
  35. ^ 北川昌弘・小松克彦『愛しの女優パラダイス―101人のドラマヒロイン―』JICC出版局、1990年6月25日、54-55頁。ISBN 4-88063-943-5 
  36. ^ 『デラックス近代映画 ビジュアル名鑑 ザ・スタア50年 女性編 原節子から内田有紀まで』近代映画社、1995年2月15日、164-165頁。 
  37. ^ 『ORICON CHART BOOK ―ALBUM CHART ISSUE―』株式会社オリコン、1999年7月26日、57頁。ISBN 4-87131-046-9。0076。 
  38. ^ 「第6章 「虚業」をいかに「実業」に変えるか」『人気づくりの法則』東洋経済新報社、1998年4月23日、185-186頁。ISBN 4-492-55309-6。C3034。 
  39. ^ 「3万人が「のりピー」絶叫 歌った!踊った!燃えた! 酒井法子in台湾」『FRIDAY』1992年6月5日号、講談社、20-21頁。 
  40. ^ 「わが"青春偶像巨星"酒井法子のりピーの台湾"好熱フィーバー"ライブ同行記」『FLASH』1992年12月1日号、光文社、28-29頁。 
  41. ^ a b 「酒井法子 24歳の全仕事」『FLASH』1995年10月31日号、光文社、42-45頁。 
  42. ^ 微笑”. 豆瓣. 2023年12月13日閲覧。
  43. ^ 相澤 1998, p. 34-37.
  44. ^ のりピーが中国でNo1アイドル、ZAKZAK、1998年5月15日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  45. ^ 北川昌弘+T.P.ランキング『NIPPONアイドル探偵団10年読本』宝島社、1998年9月28日、244頁。ISBN 4-7966-1404-4 
  46. ^ 伊藤忠商事のプレスリリース 2007年9月26日他
  47. ^ 日中文化・スポーツ交流年を振り返って
  48. ^ “「芸能界は薬物一掃を」警察トップ異例の要請”. 読売新聞. (2009年8月21日). オリジナルの2009年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090822170927/https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090821-OYT1T00106.htm 2009年11月3日閲覧。 
  49. ^ 酒井法子容疑者主演、裁判員PR映画自粛 『産経新聞』 2009年8月7日
  50. ^ 読売新聞』全国版 東京夕刊 2009年8月4日。
  51. ^ a b 読売新聞』全国版 東京朝刊 一面 2009年8月9日。
  52. ^ 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年8月10日。
  53. ^ 読売新聞』全国版 東京夕刊 2009年8月8日。
  54. ^ a b 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年8月29日。
  55. ^ 読売新聞』全国版 東京夕刊 2009年8月7日。
  56. ^ 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年9月12日。
  57. ^ 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年9月18日。
  58. ^ a b 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年10月27日。
  59. ^ 読売新聞』全国版 大阪夕刊 2009年10月26日。
  60. ^ 読売新聞』全国版 東京朝刊 2009年11月10日。
  61. ^ 「青少年への影響を考慮した薬物問題報道についての要望」を公表』(プレスリリース)放送倫理・番組向上機構、2009年11月2日https://www.bpo.gr.jp/?p=51342021年10月1日閲覧 
  62. ^ 酒井法子 全額返済の意思に前事務所社長「その気持ち忘れないことが大切」 - スポーツニッポン 2012年11月24日
  63. ^ 酒井法子、12月に舞台主演正式発表…芸能界復帰へ - オリコン 2012年9月28日
  64. ^ 公演情報 | 一期一会 公式サイト[リンク切れ]
  65. ^ 酒井法子が涙の女優復帰 愛息子に「頑張る背中見せていく」 - オリコン 2012年11月24日
  66. ^ 今井雅之が謝罪「酒井法子は悪くない」 デイリースポーツ 2014年1月16日
  67. ^ 酒井法子、16年ぶりコンサートで涙 ファン1200人に感謝「遅くなったけど、ただいま!」 オリコン 2016年9月22日
  68. ^ 酒井法子、26年ぶりBDイベント開催 織田哲郎氏もサプライズ登場 オリコン 2017年2月14日
  69. ^ 酒井法子、5年ぶり主演舞台で泣き演技 長男に感謝も「ひたすら、いい子どもでよかった」 オリコン 2017年10月3日
  70. ^ うんちゃん2 うんちゃん2公式サイト 2018年9月19日閲覧
  71. ^ 酒井法子、子ども健全育成大使就任 大役に葛藤も「私にできることがあれば…」 オリコン 2018年7月18日
  72. ^ a b c d “酒井法子、13年ぶり映画主演…女優復帰後初、来年2月公開”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年12月4日). https://hochi.news/articles/20201204-OHT1T50012.html 2020年12月4日閲覧。 
  73. ^ アジアで大人気の酒井法子「アイドルとしては難しい時期に差しかかっていました」ブレイクのきっかけとなった93年に台湾と日本で放送された“のりピー”出演ドラマとは?”. 双葉社 (2024年7月14日). 2024年12月16日閲覧。
  74. ^ 「巻頭大特集 酒井法子」『BOMB』1987年3月号、学習研究社、39頁。 
  75. ^ a b 「酒井法子責任編集 のりピーのやっピーBOX」『BOMB』1986年11月号、学習研究社、157頁。 
  76. ^ 酒井法子 「のりピー語」誕生のきっかけを告白「中学校からピーピー」「いただきマンモスとかは意外と…」”. スポーツニッポン (2023年11月16日). 2023年11月17日閲覧。
  77. ^ 稲増 1993, p. 97.
  78. ^ 酒井法子のりピー監督が「6時間耐久レース」に燃えた」『FRIDAY』1992年6月19日号、講談社、26頁。 
  79. ^ 相澤 1998, p. 69.
  80. ^ 「自動車工業会が交通安全運動」 『読売新聞』朝刊 1989年3月21日
  81. ^ 「アイドル歌手の酒井法子が「少女コミック」に漫画を連載」 『読売新聞』夕刊 1988年4月14日
  82. ^ さかい のりこ 『のりピーちゃん』 小学館 1989年7月20日 ISBN 978-4091790118
  83. ^ 「ORICON NO.1物語 第42回『Singles』酒井法子 その3」『ORICON WEEKLY』1990年6月11日号、オリジナルコンフィデンス、17頁。 
  84. ^ 「富士の八合目の山小屋にも“のりピー”キャラクター商品」 『読売新聞』夕刊 1988年6月23日
  85. ^ "酒井法子「時効だと思うから言っちゃうけど」 "日本一"のタレントショップにまつわる暴露話". スポーツニッポン新聞社. 13 April 2023. 2023年4月14日閲覧
  86. ^ 「FIGHTING EYE 富士山登山&のりピー音頭カーニバルの夏! 酒井法子」『BOMB』1988年10月号、学習研究社、100-105頁。 
  87. ^ 「ORICON NO.1物語 第43回『Singles』酒井法子 その4」『ORICON WEEKLY』1990年6月25日号、オリジナルコンフィデンス、17頁。 
  88. ^ 酒井 2010, p. 110.
  89. ^ “酒井法子被告: 創造学園大に合格 音楽療法など勉強か”. 毎日新聞. (2009年11月9日). オリジナルの2009年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091113101557/http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091111k0000m040137000c.html 2009年11月11日閲覧。 
  90. ^ “最後の卒業式、54人巣立つ 閉校の群馬・創造学園大 - 教育”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年3月17日). https://www.asahi.com/edu/articles/TKY201303160373.html?ref=chiezou 2020年12月4日閲覧。 
  91. ^ 酒井 2010, p. 198.
  92. ^ 酒井法子さん、高相祐一さんと、慰謝料無しで離婚 『Internatonal Business Times』 2009年7月30日
  93. ^ 酒井法子「映画があまりにも好きで…」のめり込むほどハマっている“ダンス”とは?”. TOKYO SPEAKEASY (2023年8月27日). 2024年12月16日閲覧。
  94. ^ 歌手・女優として新境地開拓の酒井法子 可憐さは昔のまま 多彩なクリエイターたちの異種交配による舞劇で新たな一面”. ZAKZAK (2023年9月26日). 2024年12月16日閲覧。
  95. ^ 酒井 法子 | NORIKO BOX [30th Anniversary Mammoth Edition] - ビクターエンタテインメント
  96. ^ サンデー毎日』(特集!バーニング帝国の素顔・第3弾) 2010年8月13日号 閲覧。
  97. ^ 酒井法子公式チャンネルのりニコッ!オープンのお知らせ
  98. ^ 1990年度作品集 ACジャパン
  99. ^ “のりぴー 薬物事件後初のイメキャラに「マンモスうれピー」”. スポニチアネックス. (2016年6月29日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/06/29/kiji/K20160629012868670.html 2016年6月29日閲覧。 
  100. ^ “のりピー「ふんだんに楽しめる」芸能活動30周年記念BOX販売”. スポニチアネックス. (2016年11月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/01/kiji/K20161101013640340.html 2016年11月1日閲覧。 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]