アリアドネー
アリアドネー(古希: Ἀριάδνη, Ariadnē)は、ギリシア神話に登場するクレーテー王ミーノースと妃パーシパエーのあいだの娘である[1]。テーセウスがクレーテー島の迷宮より脱出する手助けをしたことで知られる。アリアドネーという名は「とりわけて潔らかに聖い娘」を意味するので、この名からすると本来女神であったと考えられる[2]。
概説
[編集]クレーテー王ミーノースは、息子アンドロゲオースがアッティカで殺されたため、アテーナイを攻めた。こうしてアテーナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミーノータウロスの生贄としてクレーテーに差し出すことになっていた。テーセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレーテーにやって来た[3]。
迷宮とアリアドネーの糸
[編集]アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人ダイダロスの助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレーテーを脱出した[4]。
異説として、エラトステネースの名で伝わる『カタステリスモイ』によると、アリアドネーの冠はヘーパイストスの作品であり、燃えるように輝く黄金とインド産の宝石をふんだんに用いて制作されていたため、非常に光り輝き、その光でテーセウスは迷宮から出ることができたという[5]。
クレーテーよりの脱出後
[編集]クレーテーより脱出後、プセウド・アポロドーロスは、二人は子供もつれてナクソス島へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島でディオニューソスが彼女に恋し、奪ってレームノス島へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、トアース、スタピュオス、オイノピオーン、ペパレートスが生まれたとされる[4](オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる[6])。
しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。あるいはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる[1]。エラトステネスの『星座論』やオウィディウスの『変身物語』によると、このときディオニューソスは彼女の頭の冠を空に投げて、かんむり座に変えた[5][7]。エラトステネースはこの冠はホーラーたちとアプロディーテーがアリアドネーとディオニューソスの結婚式の際に贈ったものであるとし、さらにしし座の尾の部分、すなわち古代には独立した星座と考えられていなかったかみのけ座が、アリアドネーの髪の房であると述べている[5]。
また、ホメーロスの『オデュッセイア』においては(巻11、324-5)、一行がディアー島に至ったとき、ディオニューソスの了承のもと、アリアドネーはアルテミスに射られて死んだとされる[8]。呉茂一はこちらが本来の神話であったろうとしている。
大女神としてのアリアドネー
[編集]アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者ヘーシュキオスの記録に従えば、クレーテーでは、アリアグネーと彼女は呼ばれていた。この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神はエーゲ海の多くの島で知られている。またディオニューソスの妃として結婚の祝祭が行われていた。
アルゴスでは、アプロディーテー・ウーラーニアー(「天のアプロディーテー」の意、ウーラノスより生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた[9]。
系図
[編集]芸術作品
[編集]- アリアドネーのフランス語読みはアリアーヌ、イタリア語はアリアンナで、次のような作品などが知られる。
- モンテヴェルディの『アリアンナの嘆き』(マドリガーレ集 第6巻、もとはオペラ『アリアンナ』のアリア)
- ニコラ・ポルポラのオペラ『ナクソスのアリアンナ』(1733年12月、ヘンデルに対抗する貴族オペラの最初の出し物としてロンドンで初演)
- ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオペラ『クレタのアリアンナ』(1734年1月初演)
- ゲオルク・ベンダのメロドラマ『ナクソス島のアリアドネー 』(1775年)
- フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのカンタータ『ナクソスのアリアンナ』(1789年)
- リヒャルト・シュトラウスのオペラ『ナクソス島のアリアドネ』
- ルーセルのバレエ音楽『バッカスとアリアーヌ』
- ローマ・カピトリーノ美術館所蔵の胸像彫刻作品(作者不詳)が、美術におけるデッサンに使用される石膏像に取り上げられており、日本国内では通称「アリアス」と呼ばれ、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれてきた。この通称はアリアドネーのフランス語'Ariane'を「アリアヌ」とカタカナ表記しヌとスを混同した誤訳が浸透したものと推測もされる一方で[10]、同美術館所蔵の元の胸像の表題をアリアドネーとするものは近年ではみられず、特に首の太さなどからも元は男性の[11]ディオニューソスの胸像とされている[12]。
- バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。
ギャラリー
[編集]-
シャルル・ド・ラ・フォッス『バッコスとアリアドネ』(1699年) ディジョン美術館所蔵
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ジョヴァンニ・バッティスタ・ ピットーニ『バッカスとアリアドネ』(1720年) ワルシャワ国立美術館所蔵
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アンゲリカ・カウフマン『テセウスに捨てられたアリアドネ』(1774年) ヒューストン美術館所蔵
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ウジェーヌ・ドラクロワ『アリアドネに出会うバッコス』(1856年-1863年) サンパウロ美術館所蔵
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ハーバート・ジェームズ・ドレイパー『アリアドネ』(1905年) 個人所蔵
その他
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 高津 1960, p. 30.
- ^ 呉 1969, p. 302.
- ^ 高津 1960, p. 161.
- ^ a b アポロドーロス 1978, pp. 8–9, 摘要 I.
- ^ a b c “伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座”. 2022年8月31日閲覧。
- ^ フェリックス 1991, p. 217,220.
- ^ オウィディウス 1981, 8巻.
- ^ 呉 1969, pp. 171–172.
- ^ 呉 1969, p. 172.
- ^ “石膏像ドットコム K-124 アリアス胸像”. 2022年3月時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月閲覧。
- ^ “石膏物語 アリアス胸像 その正体は陶酔と芸術の神バッカス(デュオニソス)像”. 2022年3月時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月閲覧。
- ^ ディオニューソス(Dionysos,Dioniso)画像例1, 2, 3
参考文献
[編集]- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店、東京、1960年。doi:10.11501/2982681。ISBN 4000800132。 NCID BN01658789。
- 呉茂一『ギリシア神話』(改版)新潮社、東京、1969年。doi:10.11501/12266009。
- アポロドーロス 著、高津春繁 訳『ギリシア神話』(改版)岩波書店、東京〈岩波文庫〉、1978年。doi:10.11501/12266199。
- オウィディウス 著、中村善也 訳『変身物語』 上、岩波書店、東京〈岩波文庫〉、1981年9月16日。doi:10.11501/12576510。ISBN 978-4003212011。
- ギラン, フェリックス 著、中島健 訳『ギリシア神話』(新装版)青土社、東京、1991年8月1日。ISBN 978-4791751440。