ヒュプシピュレー
ヒュプシピュレー(古希: Ὑψιπύλη, Hypsipylē)は、ギリシア神話の女性で、レームノス島の女王である。長母音を省略してヒュプシピュレとも表記される。
ヒュプシピュレーの父トアースはディオニューソスとアリアドネーの息子。ヒュプシピュレーとはギリシア語で「高い門の女」の意である[1]。イアーソーンとの間にエウネーオスとネブロポノス[2]の二人の息子を生んだ。エウオーネスは後にレームノス島の王となった。
神話
[編集]女たちの島
[編集]レームノス島の女はアプロディーテーを崇拝しなかったため、女神は女たちが悪臭を発するようにした[3]。このため男たちは妻と寝ずに、トラーキア付近から捕虜の女を連れ帰って相手とした。侮辱された女たちは、夫や父親を皆殺しにした。[4]。このとき、トアース王の娘ヒュプシピュレーだけは父親を舟に隠して逃がした。ヒュプシピュレーは女だけになった島を女王として治めた。
イアーソーン率いるアルゴナウタイがレームノス島を訪れたとき、このままでは子孫が絶えることを憂慮した島の女たちは、彼らを歓待した。アルゴナウタイは島の女たちと寝所をともにした。ヒュプシピュレーはイアーソーンと交わり、息子のエウネーオスとネプロポノスを生んだ。
追放、ネメアーへ
[編集]やがて、ヒュプシピュレーひとりがトアースの命を救ったことがわかると、レームノスの女たちはヒュプシピュレーを島から追放し、奴隷として売った。このときトアースは殺されたとも、あるいはシキノス島に流れ着き、タウリス人を治めたともいう。ネメアーの王リュクールゴスがヒュプシピュレーを買い、ヒュプシピュレーは乳母として、リュクールゴスとエウリュディケーの幼い息子オペルテースを養育することになった。
アドラストスら「テーバイ攻めの七将」の軍勢がアルゴスからネメアーに至ったとき、彼らはこの地で水を求めた。「子どもが歩けるようになるまでは地面に置いてはならない」という神託がなされていたが、ヒュプシピュレーはパセリの生えているところにオペルテースを置き、彼らを泉に案内した。その間に、オペルテースは大蛇に食い殺されてしまった[5]。
七将のひとりで予言者のアムピアラーオスはオペルテースを「アルケモロス(非運を始めた者)」と呼び、アルゴス勢は追悼のための競技会を開いた。これがネメアー祭の始まりである。競技において、審判者はオペルテースを悼んで黒衣を着け、優勝者の花冠はセロリで編まれた。
系図
[編集]脚注
[編集]- ^ ロバート・グレーヴスによると、この名前は月の女神の称号だとする。
- ^ ネブロポノスの名はアポロドーロスによる。ヒュギーヌスではデーイピュロスとする。ほかに小トアースとするものもある(エウリーピデース『ヒュプシピュレー』断片)。
- ^ グレーヴスは、女たちの悪臭はレームノス島で刺青のための大青(インディゴ)作りの仕事に携わっていたからだと解釈している。腐った尿を使用するその作業は嘔吐を催させるほど臭いが強い。
- ^ グレーヴスは、この虐殺はレームノス島が武装された巫女たちによる婦人執政社会だったことを示唆しているとする。この種の社会は、ヘーロドトスの時代にリビアのいくつかの部族のあいだで知られていた。
- ^ このエピソードについて、グレーヴスは、毎年少年たちが王の代わりに女神への生け贄にされた伝統の儀式を伝えるものとする。