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マッカートニー (アルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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『マッカートニー』
ポール・マッカートニースタジオ・アルバム
リリース
録音 1969年12月 (1969-12) - 1970年3月 (1970-3) McCartney's home London, Abbey Road Studios, Morgan Studios
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル/EMI
プロデュース ポール・マッカートニー
専門評論家によるレビュー
  • All Music Guide 星4 / 5 link
ポール・マッカートニー アルバム 年表
  • マッカートニー
  • (1970年 (1970)
  • ラム(ポール&リンダ・マッカートニー)
  • (1971年 (1971)
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マッカートニー』(英語: McCartney)は、1970年に発表されたポール・マッカートニー初となるソロアルバムである。邦題は『ポール・マッカートニー』である。

ジャケットはマッカートニーの妻で、写真家としての活動も行っていたリンダ・マッカートニーによるもの。表ジャケットはドレンチェリーの写真で、裏ジャケットには長女のメアリーを抱いたマッカートニーの写真となっている。

解説

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ビートルズのアルバム『アビイ・ロード』の発売を直前に控えていた1969年9月20日、キャピトル・レコードとの契約書に署名をするため、アップル・コアにメンバー4人が集合した。その際、ジョン・レノンがビートルズから脱退する旨を伝えた[1]。当時のマネージャーのアラン・クレインはビートルズの契約交渉を有利に進めるためにレノンのこの発言を公にしなかったが、以降はレノン以外の3人による『レット・イット・ビー』の追加録音(1970年1月3日から1月4日)等が行われたのみで、グループの活動は完全に停止した[1]

レノンは妻のオノ・ヨーコらと共に新たにプラスティック・オノ・バンドを結成して活動を行ったほか、ジョージ・ハリスンデラニー&ボニーのツアーに参加するなど、それぞれがソロ活動を開始していった。

レノンによる突然の脱退宣言後、ビートルズの「解散」という事態に直面して精神的に傷ついたマッカートニーは、家族を連れてロンドンを離れ、スコットランドキンタイア岬に所有していた農場で引き籠った[注 1]。マッカートニーは髭を剃らずに一日中ベッドから出ず、酒に溺れただけでなく、時にはヘロインにまで手を出した[2]。だが、マッカートニーは妻であるリンダに支えられて立ち直り、自身初となるソロアルバムの制作を始める。1969年末、マッカートニーはロンドンへ戻ると、自宅に4トラックの機材を導入し、翌年初め頃から本格的に録音を開始した。大部分は前述の通り、自宅で制作が行われたが、一部の作業はロンドンのモーガン・スタジオで行われた[3] 。また、「エヴリナイト」、「恋することのもどかしさ」、「男はとっても寂しいもの」の3曲はビリー・マーティンという偽名で、EMI第2スタジオで録音されている[注 2]

全ての楽器をマッカートニーが演奏し、リンダは一部の曲のバッキング・ヴォーカルに加え、「クリーン・アクロア」で呼吸音を担当している。完成後、マッカートニーは『レット・イット・ビー』よりも早急に自身のアルバムを発売するようクレインに要求したという。しかし、クレインは『レット・イット・ビー』の発売を優先させるため、本作の発売日を遅らせようと試みる[4] 。そして、1970年4月11日、この件について説明するため自宅を訪れたリンゴ・スターをマッカートニーは激しい言葉で追い返してしまう[5]。マッカートニーは「僕はスターに帰れって言ったんだ。僕は沈んでたから、自分を主張するためにあんな事をしなきゃならなかったんだ...。とにかく頭の中を殴られてたんだ」と後に語っている[6]

最終的にマッカートニーの思いを知ったスターの説得により、クレインらは『レット・イット・ビー』発売1か月前の発売を許可する。また、同年4月10日にマスコミ用に配布されたサンプル版に添付した質疑応答でマッカートニーは「ビートルズの活動休止の原因は、個人的、ビジネス上、及び音楽的な意見の相違によるもの」、「レノンとの共作活動が復活することはない」[7]とビートルズからの脱退を表明し、その1週間後の4月17日に本作を発売した。アメリカでは4月20日に発売された(日本では6月25日発売)。マッカートニーより前にビートルズから正式に脱退していたレノンは、アルバム発売と合わせて発表されたマッカートニーの脱退宣言を「ポールはNo.1のPRマンだ」と皮肉交じりに攻撃し、以後数年に渡って険悪な関係に陥った[1]

このアルバムは全英2位を獲得、アメリカの「ビルボード」誌では、3週連続最高位第1位を獲得、1970年度年間ランキング第27位、「キャッシュボックス」誌でも、3週連続最高位第1位を獲得し、1970年度年間ランキング第9位を獲得、アメリカだけで200万枚以上のセールスを記録している(日本では、オリコンチャートで最高13位を記録した)。商業的には成功しているが、簡潔な音作りであること、また、収録曲の半分がインストゥルメンタル・ナンバーであることなどから、マスコミの酷評する声も少なくなかった。しかし、マッカートニーならではの美しいメロディー、彼のパーソナルな部分を垣間見ることの出来る作品、宅録の先駆けとも呼べる作品としても再評価されている。

本作からのシングル・カットはなく、1971年2月発表の「アナザー・デイ」が、マッカートニーのファーストシングルとなった。1977年にはウイングスの音源による「恋することのもどかしさ」が、邦題を「ハートのささやき」に変更しシングル発売され、全米10位を記録している。

2011年6月14日(日本は8日後の6月22日)、「ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション」と題したバージョンが『マッカートニーII』と共に発売された[注 3]。こちらは、2011年最新のデジタルリマスタリングが施され、通常盤と、未発表となっていた「スーサイド」「ウーマン・カインド」などのデモ音源7曲を収めたCDが付いたデラックス・エディション、さらにウイングスの最後のライブ出演となった1979年の『カンボジア難民救済コンサート』、1991年に放送されたMTVの音楽番組『MTVアンプラグド』出演時の映像等を収めたDVD及び、リンダの未発表写真等を纏めたハードカバーブック付きのスーパー・デラックス・エディション、そして海外のみでアナログ盤が発売された。

また、ジョージ・ハリスンは1970年のインタビューで、「『ザット・ウッド・ビー・サムシング』と『恋することのもどかしさ』は素晴らしいと思うし、他の曲はまあまあだと思うよ。でも、がっかりしないほうがいいかもね。何も期待しない方がいいし、そうすれば全てがボーナスになる。この2曲はとてもいいと思うし、他の曲は僕には何の役にも立たない。」と語っている[8]

2022年8月5日、『マッカートニーII』、『マッカートニーIII』と共に『マッカートニーI / II / III ボックス・セット』として日本盤のみSHM-CD仕様で発売された。ちなみにLP盤は輸入盤のみとなっている[9]

収録曲

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全曲 作詞・作曲・演奏:ポール・マッカートニー

  1. ラヴリー・リンダ - The Lovely Linda
    機材のテストも兼ねて最初にレコーディングされた。ヴォーカルアコースティック・ギターベースパーカッションの代わりに本を叩いた音で構成されている。
  2. ザット・ウッド・ビー・サムシング - That Would Be Something
    当時の邦題は「きっと何かが待っている」
  3. バレンタイン・デイ - Valentine Day
    「ラヴリー・リンダ」同様に機材のテストを兼ねて録音された短いインストゥルメンタル曲。
  4. エヴリナイト - Everynight
  5. 燃ゆる太陽の如く/グラシズ - Hot As Sun/Glasses
    「燃ゆる太陽の如く」はマッカートニーが10代の時に作った曲で、グラス・ハープによる「グラシズ」(最後に挿入されている歌はフランク・シナトラに提供したものの「自殺」を意味するタイトルから拒絶された「スーサイド Suicide」という曲)とメドレーになっている[注 4]
  6. ジャンク - Junk
    ビートルズがインドに滞在していた時に書き始め、帰国後に完成させた。『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』の制作前に録音されたデモ・テイクが『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されている。
  7. 男はとっても寂しいもの - Man We Was Lonely
    リンダとの初のデュエット曲。
  8. ウー・ユー - Oo You
    当初はモーガン・スタジオで収録したインストゥルメンタル曲だったが、後に歌が付けられた。
  9. ママ・ミス・アメリカ - Momma Miss America
    別々の曲をメドレー仕立てで1曲にするという、その後のポールが得意とすることになる手法で作られたインストゥルメンタル曲。
  10. テディ・ボーイ - Teddy Boy
    ビートルズがインドに滞在していた時に書き始め、帰国後に完成させた。ゲット・バック・セッションで演奏されたビートルズ・バージョンは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されている。
  11. シンガロング・ジャンク - Singalong Junk
    「ジャンク」のインストゥルメンタル版。
  12. 恋することのもどかしさ - Maybe I'm Amazed
    ライヴでの定番曲となり、『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』『ポール・マッカートニー・ライヴ!! 1989-1990』『バック・イン・ザ・U.S. - ライヴ2002』に収録されている。『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』発売当時の邦題は「ハートのささやき」。同じ曲に二つの邦題がつくのは極めてまれである。
  13. クリーン・アクロア - Kreen-Akrore
    ブラジルインディオに捧げたインストゥルメンタル曲。

クレジット

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備考

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ビートルズが公式発表したインストゥルメンタル曲は「フライング」1曲だけだが、本作には5曲もインストがあり、実験色が強い作品となっている。

「ザット・ウッド・ビー・サムシング」「エヴリナイト」「ジャンク」の3曲は、後に『MTVアンプラグド』に出演した時に再演され、『公式海賊盤』(1991年)に収録された。この時、「ジャンク」はインストゥルメンタルで演奏された[注 5]。また、「エヴリナイト」は2002年のツアーでも披露されている。

映画「ザ・エージェント」(主演:トム・クルーズ)では「ママ・ミス・アメリカ」と「シンガロング・ジャンク」がBGMとして使用されている。

チャート

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Weekly charts

脚注

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注釈

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  1. ^ この時に一部界隈で噂となっていた「ポール死亡説」が流布しファンは騒然、ピーター・ブラウンらアップルのスタッフが火消しに躍起した。
  2. ^ この時、ビートルズが残した『ゲットバック・セッション』の録音をアルバムにまとめるため、フィル・スペクターが同じEMIスタジオでミックスダウンを行っていることをマッカートニー自身は知らなかった。
  3. ^ 発売元はヒア・ミュージック(日本ではユニバーサル・ミュージック
  4. ^ Suicideの完全版はリマスター版に収録。
  5. ^ 「シンガロング・ジャンク」ではなくクレジットは「ジャンク」

出典

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  1. ^ a b c ビートルズ語辞典 藤本国彦著 誠文堂新光社
  2. ^ 『ポール・マッカートニー ビートルズ神話の光と影』、ロス・ベンソン著、近代映画社1993年 ISBN 4-7648-1708-X
  3. ^ Miles 2001, p. 369.
  4. ^ Blake, p. 104.
  5. ^ マッカートニー・シリーズを楽しむためのトピックス”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN. 2022年11月6日閲覧。
  6. ^ Miles 1998, p. 571.
  7. ^ Spizer, p. 117.
  8. ^ Keith Badman著 The Beatles Diary Volume 2: After The Break-Up 1970-2001 Omnibus Press
  9. ^ 『マッカートニーI / II / III』ボックス・セット発売決定!”. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2022年6月20日). 2022年10月23日閲覧。
  10. ^ a b Kent, David (1993). Australian Chart Book 1970–1992. St Ives, N.S.W.: Australian Chart Book. ISBN 0-646-11917-6 
  11. ^ “Top Albums/CDs – Volume 13, No. 14_15” (PHP). RPM. (6 June 1970). オリジナルの17 March 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140317020024/http://www.collectionscanada.gc.ca/rpm/028020-119.01-e.php?&file_num=nlc008388.5485&type=1&interval=50&PHPSESSID=c6btf3r8hs459qqt5ln3o3dcv5 3 May 2012閲覧。. 
  12. ^ a b dutchcharts.nl Paul McCartney – McCartney”. dutchcharts.nl. MegaCharts. 23 July 2013時点のオリジナルよりアーカイブ3 May 2013閲覧。
  13. ^ InfoDisc : Tous les Albums classés par Artiste > Choisir Un Artiste Dans la Liste”. infodisc.fr. 28 December 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。3 May 2013閲覧。
  14. ^ Oricon Album Chart Book: Complete Edition 1970–2005. Roppongi, Tokyo: Oricon Entertainment. (2006). ISBN 4-87131-077-9 
  15. ^ norwegiancharts.com Paul McCartney - McCartney”. VG-lista. 4 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ3 May 2013閲覧。
  16. ^ Salaverri, Fernando (September 2005). Sólo éxitos: año a año, 1959–2002 (1st ed.). Spain: Fundación Autor-SGAE. ISBN 84-8048-639-2 
  17. ^ Swedish Charts 1969–1972 (in PDF-files)” (スウェーデン語). Hitsallertijden. 14 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ8 May 2013閲覧。
  18. ^ Paul McCartney: Artist: Official Charts”. Official Chart Company. 6 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ5 March 2014閲覧。
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  20. ^ Album Search: Paul McCartney – McCartney” (ASP) (ドイツ語). Media Control. 24 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。10 October 2013閲覧。
  21. ^ lescharts.com Paul McCartney – McCartney”. lescharts.com. SNEP. 2 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ3 May 2012閲覧。
  22. ^ ポール・マッカートニー-リリース-ORICON STYLE-ミュージック Highest position and charting weeks of McCartney (2011 reissues) by Paul McCartney”. oricon.co.jp. Oricon Style. 28 July 2013時点のオリジナルよりアーカイブ3 May 2012閲覧。
  23. ^ spanishcharts.com – Paul McCartney – McCartney”. 12 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ3 May 2012閲覧。
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  28. ^ Billboard.BIZ – TOP POP ALBUMS OF 1970”. 8 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ13 July 2011閲覧。
  29. ^ "American album certifications – Paul McCartney – Mc Cartney". Recording Industry Association of America. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  30. ^ "Canadian album certifications – Paul McCartney – Mc Cartney". Music Canada. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
先代
Billboard 200 ナンバーワンアルバム
1970年5月23日 - 6月6日 (3週間)
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外部リンク

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