ソウシジュ
ソウシジュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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ソウシジュの花
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保全状況評価 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
LOWER RISK - Least Concern (IUCN Red List Ver.2.3 (1994)) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
分類(APG III) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
Acacia confusa Marr. | |||||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ソウシジュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
small Philippine acacia | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ソウシジュ(相思樹、学名:Acacia confusa Marr.、英語: small Philippine acacia)は、マメ科ネムノキ亜科アカシア属の常緑樹である。別名としてタイワンヤナギ、タイワンアカシアとも呼ばれる。
分布・生育地
[編集]台湾、および、フィリピンを原産地とする[1][2]。日本においては、緑肥として利用する目的で[2]、1904年(明治37年)に台湾から導入された[1]。繁殖力が強く[2]、野生化が進んでいる[3]。現在では小笠原諸島や沖縄諸島でみられるようになっており[2]、日本国内への定着が進行している[4]。沖縄島では野山に自生する個体がみられ[3]、西表島では沖縄県道の沿線などでみられる[2]。
特徴
[編集]樹冠は散開形をとる[1][5]。葉は葉片が退化しており、細長い偽葉があるだけで葉身は全く発達しない[6]。偽葉の長さは6センチメートルから11センチメートル程度[1]、幅は5ミリメートルから8ミリメートル程度である[1]。花は球形の頭花であり[1]、鮮やかな黄色である[1][2]。花からは甘い香りが漂う[2]。日本では4月から5月にかけて咲く[1]。実は扁平状を呈し[1]、やがて暗褐色となる[1]。日本では7月から8月に熟す[1]。種子は楕円形を呈し、黒紫色である[1]。
生育に際しては、石灰岩質の母材を好む[5]。また、サビキン目によるさび病が発生しやすい[5]。さび病を防除するには、感染した偽葉の焼却やボルドー液の散布といった手法が採られる[5]。
マメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属に分類される[1]。ソウシジュの学名は、アメリカ合衆国の植物学者であるエルマー・ドリュー・メリルによって命名された。和名としては「ソウシジュ」が一般的だが、別名として「タイワンヤナギ」や「タイワンアカシア」とも呼ばれる[2]。ひろく生育している沖縄県においては、琉球方言で「ソーシギ」や「ソーシジ」とも呼ばれる[5]。英語では一般的に「small Philippine acacia」と呼ばれる。
利用
[編集]かなり硬く、加工するのは困難である[1]。建築材などとして利用され[1]、薪炭材としても優れていた[1][5]。枝葉は緑肥として活用される[1][2]。防風林として利用されたり[1][5]、街路樹などとして植えられることも多い[1]。
幻覚作用のあるジメチルトリプタミン (DMT) が含まれており、乾燥したソウシジュの破片を、煮出して茶にする説明書を同梱して販売していた者が、麻薬取締法違反のほう助の容疑で逮捕され裁判が行われた[7][7]。同物質は、日本の麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)の麻薬だが、ソウシジュは麻薬に指定されていない[7]。
文化
[編集]台湾においては、街路樹や観賞用として至る所で植栽されており[8] 、人々に広く親しまれている。台湾の俳人の間でも南国的な趣のある樹木として好まれており[8]、1904年(明治37年)に台湾で史上初めて創刊された俳誌は『相思樹』と命名された[9]。誌名を発案したのは、台湾総督府法院に検察官として赴任していた渡辺香墨である[8]。渡辺は創刊時より『相思樹』の主筆を務めていた[8]。この『相思樹』は、のちに台湾俳壇の礎となった[9]。
故事
[編集]4世紀に干宝が著した『捜神記』には、「相思樹」の故事が収録されている。
それによれば、戦国時代の宋において[10]、舎人の韓憑は美しい何氏を妻として娶ったが[10]、君主である康王が横恋慕し[11]、何氏を奪ってしまった[11]。康王を恨んだ韓憑は自ら命を絶ち[12]、それを知った何氏も失意のあまり身を投げてしまった[12]。何氏の遺書には韓憑とともに葬ってほしいと記されていたが[12]、康王はそれを許さず[12]、韓憑と何氏は離れ離れに埋葬された[12]。ところが、二人の墓からそれぞれ梓の樹が生え[13]、やがて互いの枝が入り混じるように生い茂った[13]。さらに、一対の鴛鴦が樹上に棲みつき[13]、悲しそうに啼くようになった[13]。人々は韓憑と何氏を憐れんで[14]、この樹を「相思樹」と名付けたという[14]。この故事は、のちに「相思相愛」や「鴛鴦の契り」の典拠になった。
なお、この故事は、韓憑説話として多くの説話集に採録されているが、それに伴ってさまざまなバリエーションが派生している。「相思樹」と名付けた樹について、干宝の『捜神記』では「梓」と表記しているが[13]、『列異伝』では「文梓」とされており[13]、『韓朋賦』では「桂樹と梧桐樹」とされている[13]。日本においては、韓憑説話の影響を受けたと思われる説話が『曽我物語』に採録されているが[15]、こちらには「相思樹」は登場しない[13]。
市区町村の木
[編集]鹿児島県肝属郡佐多町は、ソウシジュを「町の木」として制定していた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 管理者「ソウシジュ」『ソウシジュ | おきなわの木』沖縄県森林管理課、2012年3月29日。
- ^ a b c d e f g h i 林野庁西表森林生態系保全センター『ソウシジュ』。
- ^ a b 玉城学「ソウシジュ満開 山肌を黄金に彩る 沖縄・名護市」 沖縄タイムス+プラス、沖縄タイムス社、2020年6月18日、2020年9月30日閲覧。
- ^ 「マメ科植物(暫定リスト)」『日本の外来種全種リスト - 侵入生物データベース』国立環境研究所生物・生態系環境研究センター侵入生物研究チーム。
- ^ a b c d e f g 農林水産部森林資源研究センター「ソウシジュ」沖縄県、沖縄県庁、2016年1月7日、2020年9月30日閲覧。
- ^ 清水建美『図説植物用語事典』八坂書房、2001年、142-145頁。
- ^ a b c 共同「麻薬かお茶か?逮捕に波紋 原料に幻覚成分、京都府警」、日本経済新聞社、2020年3月21日、2020年9月30日閲覧。
- ^ a b c d 沈美雪 2009, p. 234.
- ^ a b 沈美雪 2009, p. 233.
- ^ a b 豊田幸恵 1994, p. 50.
- ^ a b 豊田幸恵 1994, p. 51.
- ^ a b c d e 豊田幸恵 1994, p. 52.
- ^ a b c d e f g h 豊田幸恵 1994, p. 53.
- ^ a b 豊田幸恵 1994, p. 54.
- ^ 豊田幸恵 1994, p. 40.
参考文献
[編集]- 沈美雪「『相思樹』小考:-台湾最初の俳誌をめぐって」(PDF)『日本台湾学会報』第11号、日本台湾学会、2009年5月、233-246頁、ISSN 13449834、NAID 40016817757、2022年10月5日閲覧。
- 豊田幸恵「鴛鴦説話-『韓朋賦』と『曾我物語』-」『奈良教育大学国文 : 研究と教育』第17巻、奈良教育大学国文学会、1994年3月、39-55頁、ISSN 0386-3824、2022年10月5日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ソウシジュ/沖縄県 - ソウシジュを紹介する沖縄県庁のページ
- ソウシジュ | おきなわの木 - ソウシジュを紹介する沖縄県森林管理課のページ