ノート:おたく
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この「おたく」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2005年8月17日 | 秀逸な記事の選考 | 不通過 |
ここは記事「おたく」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
*出典検索?: "おたく" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · ジャパンサーチ · dlib.jp · ウィキペディア図書館 |
サブページ化
[編集]半年以内に書き込みのなかった以下のトピックを、井戸端方式でサブページ化して、ログ化しました。議論を再開したい場合は、{{ノート:おたく/subj/「おたく」と「オタク」の表記}}というように記述し、このページに展開してください。
- 「おたく」と「オタク」の表記
- 2003年7月14日14時32分の変更
- 履歴ページの孤立
- 『「おたく」という命名は「俺、お前」というコミュニケーションをとらない、もしくはとれない様を象徴したものである』との記述
- 『オタクの否定的イメージが払拭されつつある、との記述
- 「金銭的対価・ボランティア性の有無による定義
- 2005年5月5日21時34分のコメントアウトの復帰
- おたくの再定義
- 時代的遷移での電車男への言及
- カルト団体との関連を取り上げるべきか?
- 自転車 無線について
- インテリとおたく
- 「いわゆる」と「所謂」という表記
- Hentaiの意味
- 2006年3月25日の女性に関連する話題について
- 概要に関する議論はどうなったのでしょうか?
- おたくだからこそ女の子を守ります宣言について
- 「「オタク」という語は海外では普及の一途であるが国内では死語になりつつある。」という部分
- Lenwiz氏のPOVについての議論
- 真剣に技術を趣味とする者までオタク呼ばわりしてバカにする現実について
- おたくと右翼
- おたくと事件性の導入部の文言について
- 観点タブのコメントアウト
- 2006年11月28日12時24分の版の編集について
半年以内に書き込みのあった以下のトピックは、井戸端方式でサブページ化して、展開してあります。
>呼称を「お宅」としたのが始まり。
[編集]由来は様々な説があるから、これだけを載せるのはどうかと思う。 別の説と併記したほうがいいんじゃないか?--以上の署名の無いコメントは、Yasaikyo(会話・投稿記録)さんによるものです。投稿時刻 2006年3月22日 (水) 00:32 (UTC)
「ビョーキ」に関する文章がいつの間にかコメントアウトされていますが、歴史的事実としてそうした呼称が主に80年代初頭の同人漫画・アニメファンに広まっていたことは書いておいても良いかと思います。30rKs56MaE 2006年4月23日 (日) 10:32 (UTC)
「ビョーキ」ってのは元々はキチガイとか異常っていう意味で使われてた言葉だから、オタクだけの言葉じゃないよYasaikyo 2006年10月20日 (金) 07:22 (UTC)
話は逸れますが、「キ○○○」は差別用語なのでこういった場では伏せてください--石猫 2007年2月10日 (土) 11:11 (UTC)
この語の起源は「お宅」説が本命だろうと考えます。私の周囲では1984?5年頃からこの語を、ある種“侮蔑的呼称”として特定のタイプの人間に対して用いるようになりました。意味合いとしては、比較的に対話能力が低く人間関係をうまく築けない若年者 ───例えば、相手の目を見て話せない割に、リアリティのない自慢話ばかりを連発し周囲にドン引きされてしまうような10代中後半の青年─── が、あらゆる二人称を「お宅」と呼んでいた時代がありました。確かに当時“お宅”という語の響きには大人っぽさが感じられたので、思春期の背伸びで大人の振る舞いをまねることは誰にでも有って当然ですが、前述のような青年が“ホラ話”を始める時には決まって「お宅」をこれみよがしに頻用しだすため、特に目立っていました。こういうタイプの“キワ者”に対し周囲が差別的に彼らを呼ぶ語として「おたく」を用いていました。初期のこの段階に於いて、この呼称を使用するのは比較的内向的で、例えばパソコン・漫画・シミュレーションゲーム・美術などを志向するような、文化系の集団が主でした。その後、この呼称が定着しだすと、それまで文化系の集団に興味も無かったその他の集団にもこの語が広まりだしました。文化系以外の人間にとっては、本来の“おたく”とそれ以外の文化系趣味を持つ集団との違いがよくわからなかったのだと思います。このあたりから、キワ者とその他文化系集団とが新生“おたく”の語で一緒くたに呼ばれる様になりました。その後の変遷は本編に書かれた通りだと思いますが、上記の起源についての記述が、ネット上でもなかなか見受けられないので、ここに記しました。antennaman2007年11月23日(金)1:13(UTC)
この語の起源は「お宅」で間違いありません。本文にも記載がありますが、私は1981-1983ごろには既に、CB無線(市民無線:出力100-500mWの当時一般的なトランシーバー)や、より高出力で日本中と会話できたアマチュア無線で、「あなたの家(の設備)では」の意味で「お宅では」という使い方を普通にしていました。ひいて「君は」の意味で「お宅は」と活用して、まあ普段から便利に使っていました。 いつも無線の上で話す相手とは、そのまま学校や電話などにおける会話にも「お宅は」の呼称を用いることがよくありました。 本文にもありますが、私自身や「お宅」と呼び合った仲間は、特定分野(無線など)の「マニア」ではあったが今の「オタク」ではなく、むしろ周囲のアニメファンの友人たちや、無線からオーディオファンに行った友人に会話方法が引き継がれた感があり、その後1984年頃には、全国の大学へ進学していき、各地の大学アニメサークル立ち上げで、一気に広まったようです。 「ほとんどビョーキですねぇ」とTONIGHTで監督が笑いながら連発してたのを見ていましたが、風俗の新サービス/新商売を捉えて、自分も好きな分野なんだけど、ここまでやるか!と、やや自嘲・やや賞賛の意識をこめて使っていたように思うので、語源的には違っていたのだろうと思いますが、一般に便利な差別用語として「ビョーキ」を使っていた集団もあったと思います。--moosan 2008年11月10日 (月) 15:01 (UTC)
- それこそが「独自の研究」ですね--219.111.90.202 2010年9月23日 (木) 12:17 (UTC)
最初にオタクと呼ばれたのはNゲージマニアの特定の個人だったと記憶しています。新製品が出るたびに「御宅にどこそこのなになにありますか」と全国のNゲージを置いている模型店に電話を掛け捲る人が居て(聞くだけで買わない)、その人を「オタク」と呼んでいるって話が蔵前の問屋経由で(名前出した方がいいですか?)広まり、その後Nゲージのマニア全般を「オタク」と呼んでいました。当時出入りしていた松戸の模型店で店員が電話を切ったあと「またオタクだよ」と言ったので「オタクってナニ?」と聞いての答えなので間違いは無いと思います。(その店はガレージキットなどを製造していた店なので、それ以前に「オタク」が使われていれば会話に出てきていたと思います) --NOS
おたくの現在
[編集]まずオタの日常生活だの風貌だの悪臭だのに関する記述は情報ソースがない▼それから「魑魅魍魎の世界」「はなはだしい」「人間性を疑わざるをえない」「おたくならでは」っていう記述は個人の私見でのみ許される表現▼ それから「人骨」でなく「人骨のような物」。それに送った犯人も不明。 ▼テロップで抗議した事件は知らない。ただの抗議の内容や抗議した人物の正体などが一般に公開されてるかどうか怪しいので消したけど、情報ソースはあるの? Yasaikyo 2006年6月17日 (土) 22:47 (UTC)
- 小生も今その辺りの文章を読んで吹きそうに成りました。どうもステレオタイプ的な「濃いヲタク像」を形成する事で、「自分はまだオタクじゃない」と言いたい人がいるような気が…いや、私見ですが。ともあれ事象を客観的に記す上で、件の文章は“アレ”な感じもありますし、またWikipedia上では問題視されやすい「独自の調査(客観的に検証できない)」や「主観的な視点(そもそも客観的・中立的ですらない)」に基く記述であると見なす事が出来そうです。折を見て手を入れて、それで続くようなら半保護くらいは必要かも?
- 私見:そりゃ確かに「濃いヲタク」はいろんな意味で“アレ”ですけどね…夜飛 2006年7月3日 (月) 12:01 (UTC)
同じ文章を再掲した奴は情報ソース載せれYasaikyo 2006年7月3日 (月) 14:15 (UTC)
「おたく」の由来について
[編集]1960年ごろにはアマチュア無線家の仲間同士では、話している相手を「おたく」と呼ぶのは、ごく普通のことでした。 アマチュア無線では交信している相手の姿が見えないため、実際に会った時に、敬称を間違えて失礼なことにならないように話している相手を相手局のコールサインで呼ぶか、「おたく」と呼ぶのが通例でした。 残念ながら1959年にアマチュア無線を初めて知ったので、それ以前はどう呼んでいたのかは判りません。
私も、当初は「おたく」を「変な言葉」と思い抵抗感がありました。そのうちに慣れてしまい普通に使うようになりました。 このアマチュア無線の仲間が交信ではなく、実際に会うことをミーティングと称して、あちこちで会合を持ちました。
ミーティングは仲間うちの会報で呼びかけることと、交信時に伝えることがありました。 無線の交信ですので、受信できる装置があれば、誰でも、何時、何処で、何のミーティングがあることを知ることができました。 ノンビリした時代でもあり、ミーティングは近所でやることが多く、来る者は拒まずでした。
参加者の殆どは、顔見知りの仲でしたが、時折参加する人、飛び込みで参加する人もいて、名前も何も判らない人も混じっていました。 その際、特定の相手に声をかけるのに、交信時と同様に、その人のコールサインか、顔と名前が一致していない相手には、「おたく」を使っていました。 この仲間同士の集まりには、アマチュア無線の免許を持っている人だけではなく、その友達やラジオに興味を持つ近くの小中学生も参加していることが多かった様に記憶しています。 つまり「おたく」の使い方を理解していた人はアマチュア無線家以外にもラジオに興味を持つ小中学生等がいたということです。
その当時はアマチュア無線や、短波無線受信をするにしても、メーカー製の装置は種類も少なく、高価であることから、装置を自作して使っている人が殆どでした。 自作するための部品の入手、そして、製作の際の技術情報の交換、指導にも仲間同士で会合を持ちました。 部品も新しい物は高価で入手しづらいため、中古の部品を怪しげな店や工場廃棄品捨て場、そして秋葉原などで集めていました。 秋葉原も今の電気街とも違い、半分は朝鮮戦争時の米軍払下品を売っている小さな店が殆どでした。 インターネットもなく、店舗情報も少ないため、先輩に引き連れられて、小中学生等を含めて仲間同士が集まって部品を探しに秋葉原に行きました。 仲間同士で集まった時、待ち合わせの時は、仲間同士の会話では姓名が判っていても、相手を「おたく」と呼ぶことが多かったように思いました。 この小中学生は学校のクラブ活動等でも仲間同士は相手を「おたく」と呼ぶことが多かったものです。
類は友を呼ぶということで、その友達仲間には、オーディオ、写真(カメラ)、天体観測(天体望遠鏡)、模型に興味を持つ人も、かなり含まれていました。 どれも、まだ高価で、特に小中学生では容易に購入できないものでした。 ラジオから模型まで扱っている科学教材社が秋葉原の近くにあったこともあって、科学教材社は秋葉原へ行ったときの立寄り先でもありました。 当然この仲間達は、相手を「おたく」と呼ぶことに抵抗感が少なかったのです。
周りで見ていた、いや、聞いていた人は、さぞ、奇異に感じたと思います。 私も仲間ではない友人から「おたくってなんだ?お前おかしいんじゃないか」と言われた記憶があります。 こういった仲間同士で使っていた「おたく」がちょっと変わった人達が使っている「相手を呼ぶ」言葉として表だたずに広がっていったものと考えるのです。 そして、時代が移っていっても、アマチュア無線仲間では「おたく」が使われ続けました。
1965年ぐらいにはオーディオ関係の趣味を持つ人、アンプ、スピーカー等を自作したり、単体を組み合わせてシステム化する人が増えていました。 この人達も最初に秋葉原を訪れるときは、秋葉原の小さな店や地理に明るい「おたく」に案内をしてもらうことが多かったのです。
1970年台の後半には、アマチュア無線等からパソコン等に移行していく人、新たにパソコン等を趣味とする人が増えてきました。 この当時はパソコンも製品は無いに等しくて、組み立てキットが主流で、部品を集めて組上げる人も多くいました。 こういった人達もパソコンを見る、知る、作るために、秋葉原に行くことになるのは必然でした。 この人達も、秋葉原の小さな店や地理に明るい「おたく」達を中心にして、秋葉原に集まりました。 ここでも、「おたく」という呼び方が広がっていきました。 そして、日本でもコモドール、アップル、NEC、シャープ等のパソコンが売られ始め、アメリカでは既に草の根BBSがスタートしていました。
1980年代に入ると、日本でもパソコン仲間が草の根BBS局を開きはじめました。 草の根BBSに参加した仲間同士でオフ会を開いた時、ハンドルネームの判らない人を「おたく」と呼んでいた記憶があります。 そして、日本で商業BBSが始まり、「おたく」はSIGやFORUMの仲間同士の集まりでも使われ続けたものと考えます。 無線、パソコン関係の人だけでなく、仲間同士で「おたく」という呼び方を使う人が増えていったのです。
また、コミケに代表される集まりでも、草の根や商業BBSで諸連絡がなされていました。コミケ自体でも、パソコンの部品等やソフトウェアそしてフロッピーに入った画像データ等が交換、販売されたこともあって、コミケに参加した人たちのなかでも「おたく」という呼び方が、ごく自然に広まっていったものと考えます。
この、コミケに参加していた人達の一部かもしれませんがお互いを呼ぶときに使っていた「おたく」という呼び方が、そのグループと関係のない周りの人から見て奇異だったので、そういう言葉を使う人達を「おたく」と呼び始めることになったと考えます。 そして、コミケの規模が大きくなるにつれ、参加人数が増え、「おたく」が趣味へののめり込みが深く、周囲の眼を気にしない人として使われだしたものと考えるのです。
念のためですが、秋葉原という地名で書いているのは、実体験に基づいているからです。
多分、大阪は日本橋、名古屋は大須等を含めて、各地で同様なことが起こっていたものと考えます。
私自身が初めて秋葉原にいった時は、OMさん(アマチュア無線の先輩)に連れて行ってもらいました。そしていつのまにか、私が案内役になっていました。アップルコンパチの全盛期には海外(主に米国)の人の案内もしていました。自分が「おたく」という呼びかけを使わなくなった時期ははっきりしません。
--岸川 2006年7月1日 (土) 04:09 (UTC)
なるほど、興味深いお話です。実に二人称を「お宅」と呼ぶ文化はそんなに前からあったんですね。上の「>呼称を「お宅」としたのが始まり。」の項でも書きましたが、私の経験では、「お宅」は侮蔑語であったのは確かで「もやしっこ」とか「ひよわ」とかといった語と同類のものとして使われていました。
--antennaman 平成19年11月23日(金)01:36 (UTC)
と言うか元々の由来と言うか意味は「ある分野に詳しい人」を指すのでは?現在では「のめりこんでいる人」と言う意味に誤用されており、その誤用がいつしか一般的となっていますが…(1990年代に鉄道ジャーナルでの「タブレット」でもこの件は話題となったが…)。--目蒲東急之介 2008年9月16日 (火) 11:54 (UTC)
この項目はおたくという2人称の歴史ではないし、別に「お宅」という2人称を使うグループが「おたく」なのではありませんね。
外部から「おたく」と固有に呼ばれていた集団があらかじめ存在していて、中森昭夫がそれを「紹介」したのではありません。
固有名詞としての「おたく」とは、中森昭夫の命名・造語であり、「おたくの研究」の中で「おたくとはロリコンである」と彼は定義しています。 つまり「コミケに集う汚いロリコン男」「現実の女性に相手にされない薄汚れた連中」と彼が考えたものへの、徹底的な蔑称です。 もし「厳密な定義」があるとすれば、造語者中森によるそれ以外にありません。 中森の定義を変質させ、拡大して「鉄道オタク」などと用いられるようになったのはそれより後のことです。用例は時代とともに変質しますのでそれを説明することはいいですが、 蔑称であることを嫌って、出自を完全に避けて、ごまかした記述になっているので意味のないものなってしまってます。 裁判院 2010年3月17日 (水) 13:03 (UTC)
要出典箇所について
[編集]- 魔法のプリンセスミンキーモモなど低年齢の少女が主人公のアニメにまつわる話として多く使われた。[要出典]
現在手元にありませんので確認できず定かではありませんが、ここの部分に関しては1982年から1985年程度までのアニメ雑誌特にアニメイトの読者投稿欄などにいくつか記述が見られたはずです。またこれも現在手元になく確認できませんが、以下の文献
- 「おたく」の誕生!! (文庫) 別冊宝島編集部 (編集) 宝島社 (2000/02) ASIN: 4796617353
にそれに関する記述が見られるかも知れません。いずれも「かつて見た記憶」に基づくのみで現物を確認できる状況ではないのが残念ですが、出典の確認の鍵になればと思います。30rKs56MaE 2006年12月15日 (金) 00:06 (UTC)
情報ありがとうございます。--218.110.176.18 2006年12月17日 (日) 17:23 (UTC)
80年代のアニメ雑誌については現在参照するのが難しいかもしれませんが、国会図書館のほかにも、そのような年代物のアニメ雑誌を扱う古書店がいくつかあります。「かつて見た記憶」を補足しておくと、『銀河漂流バイファム』特集を目当てに、その再放送があった90年代後半になってそれらのアニメ雑誌古書を漁ったのでその特集号の中でファンが書いた同人或いは雑誌特集として非公式に書かれたミンキーモモ(旧)の漫画の台詞として「ビョーキ」表現があり、別の箇所でもいくつかあったのを覚えております。またその頃既に「ビョーキ」という言葉を僕自身認知していたということは、上記の文庫本以前にも「『おたく』という言葉が生まれる以前に『ビョーキ』という言葉で代用していた」という事実を僕自身が認識していた可能性が高いです。例えばパソコン雑誌等の読者コーナーなどにおける編集者同士の対話などで「あのころはオタクと呼ばずにビョーキと呼んでいたよね」というような会話があったかと思うのですが、さすがにこれもほとんど欄外の記述をくまなく探す他に方法がなく、出典を調べるのは難しいかもしれません。30rKs56MaE 2006年12月17日 (日) 19:31 (UTC)
すみません、この箇所ですが、ビョーキ以外にも「うれしはずかし君」という、ビョーキとは別のカテゴリに入る存在があったと思うのです。出典は明らかで、南田操著「コミケ中止命令!」という富士見ファンタジア文庫のライトノベルにそのような記述があります。(ビョーキに関する記述はありません) その小説は手元にあるので、それを出典として書き加えるのはかまわないでしょうか?
あと、ビョーキに関してですが、内山亜紀原作のアニメに「内山亜紀のおビョーキ亜紀ちゃん」というタイトルのものがあります。そのように、ビョーキという単語自体は結構認識されていたと記憶しています。 さらに、このようなリンクがあります
[[1]]漫画ブリッコの世界の一ページ。『潮』1982年9月号の引用
ご参考になれば、と思います。ぎるりう 2007年3月13日 (火) 11:07 (UTC)
- 少し横道にそれますが、魔法のプリンセスミンキーモモは、「低年齢の少女を対象にしたアニメ」ではあっても、「低年齢の少女が主人公のアニメ」というわけではないと思います。まあ、何を以って「低年齢」とするのかという点での議論もあるでしょうが、人間としての設定年齢は12歳ですし、本当の年齢は2000歳という事になっていますので。確かに、「世間の認識」のレベルでは「低年齢の少女が主人公のアニメ」でしょうし、実際、本放送でコアなファンが付いてからの制作サイドでの思惑が「ロリコンをウリにしろ」といったものであった事は、後のOVA発表イベント「フェナリナーサ・サミット」で、「ミンキーモモはロリコンアニメではない宣言」を採択した後のオチとして語られているわけですけどね。アニメファンを「おたく」と呼ぶ用法については、OVA『夢の中の輪舞』が発表された1985年の少し前くらいから浸透してきたと記憶しています。当時のアニメ雑誌などの文献を保管されている方は、1984年あたりを調べてみてはどうでしょうか? --古鳥羽護 2007年6月28日 (木) 16:21 (UTC)
このノートのログ化
[編集]提案・投票
[編集]このノートページは、数年以上前に終了した議論も含めてログ化されず、議論が非常に散乱しています。ひとつ、ここは現在までの全ての議論についてWikipedia:ページの改名の方法によるログ化をしてしまいたいと思うのですが、いかがでしょうか? その場合、このノートページの内容は例えば「ノート:おたく/Log1」などといったサブページにそのまま移動され、このノートページは完全にリセットされて、そのサブページへのリンクが簡単な説明とともに付け加えられます。以下にリストによる投票スタイルで賛成反対をカウントできるようにしておきますので、ご記入くだされば幸いです。
なお、今のところ期限は切っていません。また、Wikipedia:ページの改名によれば(1)ページの先頭部分に改名候補がある場合は {{改名提案}}、ない場合は {{Kaimei}} を貼ること、(2)より多くの編集者に知ってもらうために、Wikipedia:改名提案に提案内容を記載して呼び掛けを行うことが求められていますが、ノートのログ化の提案には不適当と考え、それらを行っていません。これらの点についても、ご意見があればコメントくだされば幸いです。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月18日 (日) 00:59 (UTC)
- 賛成
- (提案者)賛成--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月18日 (日) 00:51 (UTC)
- (条件付き賛成)#「おたく」の由来についてなんかコメントつけようが無くエッセイ荒らしみたいな感じで放置されちゃってるし、既に終了した話題も多いし。井戸端過去ログ化方式でトピックごとに「既に半年~1年以上コメントが無い」みたいな線引きで足切りして順次移動という形でいいと思う。--夜飛(話/歴) 2007年11月18日 (日) 03:07 (UTC)
- 反対
- コメント
報告
[編集]提案者である私を含めて二人しか賛同者がなかったのですが、反対意見もなかったということで、夜飛さんの提案に従い、井戸端方式で、半年書き込みがなかったものはログ化、それ以外はサブページ化→展開しました。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月25日 (日) 05:09 (UTC)
- お疲れ様でした。--夜飛(話/歴) 2007年11月25日 (日) 05:34 (UTC)
大幅改稿の提案
[編集]おたくを改稿案のように大幅改稿することを提案します。私の独断による改稿部分もありますが、次の点を目的として、行いました:
- 語源と意味の拡大についての記述が拡散し混乱しているので、冒頭に整理。
- 出典のないところに{{要出典}}を付加(ほぼ機械的につけていったので、誤ってつけたものや、すぐに出典がでるものもあると思います)。
- コメントアウトを長期間放置しておくと混乱するので、コメントアウト部分は一斉除去。
- 出典が見つからないだろうと思われ、文脈上必要と思われない記述は除去。
私は、改稿案のように大幅改稿したのちに、私が除去した部分を復活させることを必ずしも反対しませんので、とくに1.の必要にかんがみて、ひとまず大幅改稿をお許しいただけたらと思います。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月25日 (日) 07:17 (UTC)
- 賛成
- (賛成・提案者)--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年11月25日 (日) 07:17 (UTC)
- 反対
- (反対・コメント)その改稿案現状では、{{要出典}}タグの添付基準が要出典になっている部分が強い。これでは一つずつ検証しながら外すのも、数が多過ぎるためプロジェクト化(かなりの人員動員と時間の投入)しないと無理があり、加えて文中リンク先記事を開くだけで妥当性が検証可能な記述にまで付与されているなど、無駄も多い。またその各々に出展を付与すると脚注節の可読性がかなり損なわれる虞を含みます。なお1980年代の「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」直後までの事象は(小生が記述した部分が多いのですが)、同事件直後に発行された宝島出版社の『別冊宝島・おたくの本』が主な情報ソースとなっています…ただ、小生が持っていたその本は、他人に貸したら帰ってこなかったので、具体的にどのページの情報かというのが示せない所なのではありますが。あと、スタイルも脚注節の位置などWikipedia:スタイルマニュアル/Wikipedia:レイアウトの指針に沿って変更が必要そうです。--夜飛(話/歴) 2007年11月26日 (月) 04:37 (UTC)
- コメント
提案の取り下げ
[編集]反対もあり、考え直すべき点も少なくないと思いましたので、提案を取り下げます。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年12月2日 (日) 13:44 (UTC)
- お疲れ様です。改稿案には反対したのですが、改稿をするという目的自体には反対しません。本項ノートのサブページに場所を移してじっくり時間を掛けて記述の取捨択一をしたほうが良いと思います。--夜飛(話/歴) 2007年12月2日 (日) 14:58 (UTC)
- もう一度じっくり取り組めばよいと思います。あとちょっと気になったのですが、上の夜飛さんのコメントを読んだのですが、可読性を損ねてでも出典は示すべきではないかと考えます。--manjushage 2007年12月3日 (月) 15:10 (UTC)
というより一々提案・投票せずとも大幅な書き換えは方針で推奨されていますが。--122.134.172.77 2008年2月28日 (木) 15:02 (UTC)
- WP:BBの理念は、記事を改善するためならば既存記事を大幅改稿してかまわないという種類のものであり、すべての大幅編集を許容するものではありません。まして、既存記事より難点を増やすような記事に差し替えることを推奨する性質はありません。--夜飛(話/歴) 2008年2月28日 (木) 15:23 (UTC)
しかし現在の記事はウィキペディアンの個人的な論文と化しており、オタクに関する確かな文献を元に大幅な改定をすべきであると思います。--125.192.197.112 2008年3月16日 (日) 07:43 (UTC)
「関係する地域・地域関連事象」の節と「研究者・有名なおたく」の節
[編集]「関係する地域・地域関連事象」の節と「研究者・有名なおたく」の節をコメントアウトいしました。長大かつ、包摂基準が緩やか過ぎる地名・人名の羅列となっており、読者の理解を妨げると判断したためです。また、これだけ長大なリスト、また緩やかな基準で地名・人名を包摂したリストとなるとおたくの執筆者側で記載の当否を判断するのが困難で、同様のリストが欲しいのならばカテゴリ機能を利用し、そのカテゴリに包摂させるかの判断を各地名・人名記事の執筆者の判断に委ねるほうが適切と思われます。
どちらも厳選した地名・人名を掲載するなら意味があると思いますが(「オタクについての評論家として有名な人」など)、一度リストを作り出すと、再び無秩序な成長をするのではないかという不安があり、いったん全てコメントアウトいたしました。復帰すべき地名・人名と、現在「関連項目」にある項目の両者を整理しつつ、コンパクトな「関連項目」にまとめれば良いのではないかと思います。--Mizusumashi 2008年4月25日 (金) 03:35 (UTC)
- 当初、関連項目を整理するという観点から(本来なら余り関連項目を節分けするようなものではないんだが)節分けをしてみたのですが…どうも現状では「オタク的な趣味嗜好をもつ有名人の羅列」に陥っていて、果たしてそれが妥当なのかどうかという観点が欠落している追記に次ぐ追記が続いているのが現状ですね…地域性に関しても、例示に値するかどうかの判断基準がないまま現状に堕している側面も強いので、ノートで一旦徹底的に「何処までが許容されうるか」の議論を通して、ローカルルールを設定し、その上で取捨選択と今後の方針(反するようなら一律除去とか)を決定する必要性がありそうです。
- 当初節分けをするにあたり、その追加したり他者が見て妥当性を判ずる上で、項目として示す上で説明を付与することを暗示的に(既存項目にそれら説明を付与することで)方向性を示してみたのですが、現状ではやや崩れているように思います。少なくとも説明の付与で読者にその関係性が明示できる観点から、まず「一覧に付与するなら説明をつける」を条件に定めて、連想的に(思い付きだけで)追加したがる者の参入するハードル引上げを提案します。また人物に関しては、おたく事象への関与というだけではなく、研究者なら学術的側面から何らかの発表を行っているとか、単なるコラムの発表だけではなくおたくが社会現象化する以前の1990年代以前から活動しているとかの継続性や、何らかのおたく文化を研究した書籍を執筆しているとかに着眼する必要があると思います。芸能人などでは、それが芸能活動の主体となっているかとか、芸能人としての活動以外におたく活動で著名性がある(おたくとしてメディア露出をしているか)などの観点から見直したほうがいいかと。
- 次いで地域に関しては、単にアニメショップや漫画関係に特化した書店などが集まっているという周辺地域(近隣都県レベル)への影響だけではなく、明確におたく文化「全体」に影響を与えているという観点から、おたくを扱った事物で頻繁に引用されているとか、近隣都県からおたくが集まるというレベルではなく全国的とか国際的に人が集まるとかという水準にあるもの(秋葉原以外でこれに合致する地域があるかどうか判らないが)に限定してもいいのでは?と思います。--夜飛(話/歴) 2008年4月25日 (金) 12:10 (UTC)
- 全てカットでいいんじゃないでしょうか。羅列していってもきりがないでしょうし。あと、おたくである架空の人物、おたくを取り扱った作品についても単なる羅列になっているので、そこの記述も削除すべきと考えます。--TTTNIS (会話 | 投稿記録) 2009年3月21日 (土) 10:37 (UTC)
- 余りに見苦しいので削除いたしました。問題がありましたらこちらにお書きいただけますよう。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2010年6月10日 (木) 09:34 (UTC)
おたくという言葉の語源と普及について
[編集]「オタク」という言葉の語源、もしくは普及について宮崎勤事件のエピソードがウィキペディアに反映されていないのが気になります。 宮崎勤による幼女殺人事件が明らかになった当時、 「レンタルしたビデオカメラが不調だった」と宮崎になじられたレンタルビデオ店の店員が、 宮崎の様子についてインタビューを受け、「お宅がわるいんでしょ、お宅がわるいんでしょ、とネチネチと責められました。」 とのコメントしました。このコメントの内容が宮崎の粘着質、物事に固執する性質を表すものとしてワイドショーで繰り返し放映されたため、この時期を境に「オタク」という呼び名が定着したとはっきり記憶しています。どなたかご記憶されている方はいませんでしょうか? --zaku&gouf--以上の署名の無いコメントは、Zaku&gouf(会話・投稿記録)さんによるものです。2008年6月22日 (日) 06:53 (UTC)
おたく#おたく/オタクの変遷の出典について
[編集]榎本秋『オタクのことが面白いほどわかる本』(2009年6月発行、中経出版)から少し出典をつけました。出典が要求されている時代的遷移や世代的遷移にあたる内容にもある程度ページが割かれているため、まとまった記述もあるのですが、そこまで手を広げると現在の内容を少なからず除去せねばならず、私の手には余るのでいったんここで区切ります。もし他の文献を手にとるようなことがあればその時はざっくり編集するかもしれませんが、編集しない可能性も少なくないのでこちらに挙げておきます。
です。私はもともと被服記事に用いるためにこの本を手にしたファッションオタクなので、主流派っぽいアニメ漫画に対する幅広い知識が欠けており、大規模な編集はちょっとしづらいのですが、わかる方の手にかかれば有効な文献となるかもしれません。--苫小牧(こまき) 2009年10月13日 (火) 11:43 (UTC)
おたくと博士
[編集]指導的立場を「博士」と呼ぶ例をいれました。また「多くは中学生のころからオタクと見なされるようになり、親や教師から理解されなかったり、いじめにあうようになったりして苦しむことになる」というのは明らかに価値判断として固定的なので(いじめられるのはおたくだからである←おたくがいじめを行う可能性、「将棋おたく」や「格闘おたく」など尊敬を集める可能性を意図的に排除)、【おたくΞイジメられっ子】はさすがに無理があると思います。--118.18.2.61 2009年10月18日 (日) 15:35 (UTC)
秋葉原通り魔事件
[編集]秋葉原通り魔事件の実行犯の名前がありましたが、単に秋葉原で犯行に及んだ以外で「おたく」性を取上げられるような報道は無かったと思いましたので除去しました。--大和屋敷 2010年5月10日 (月) 03:25 (UTC)
押井守の発言について
[編集]「マニア・学者との違い」のサブセクションにある押井守さんの発言についてですが、これは「オタクとマニア/学者はどこが違うか」という話題とどう関係するのでしょうか?思想やメッセージ性を失った「最近の(萌え)アニメ」を批判しているコメントのようなので、このサブセクション内に記述する意味がわからないのですが。--貿易風 2011年11月27日 (日) 03:23 (UTC)
- しばらく様子を見ましたが特に説明などはなかったのでいったん除去しました(差分)。やはり掲載するべきだ、という場合はノートで意図を説明をお願いします。--貿易風 2011年12月11日 (日) 03:53 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「おたく」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www001.upp.so-net.ne.jp/santou/page011.html にアーカイブ( https://web.archive.org/web/20101105225513/http://www001.upp.so-net.ne.jp/santou/page011.html )を追加
- http://akiba.kakaku.com/event/0811/07/183000.php にアーカイブ( https://web.archive.org/web/20090308102757/http://akiba.kakaku.com/event/0811/07/183000.php )を追加
- http://www.kahoku.co.jp/weekly/trend/051103_1.html の書式設定/使用方法を修正
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月16日 (金) 06:48 (UTC)
ニホバ系・中野系
[編集]- このような語の一般的な使用が確認できませんでしたので削除いたしました。--大和屋敷(会話) 2019年5月20日 (月) 17:21 (UTC)