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ミチェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミチェル
名前
本名 ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ
José Miguel González Martín del Campo
愛称 El Guapo (美男子)
ラテン文字 MÍCHEL
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1963-03-23) 1963年3月23日(61歳)
出身地 マドリード
身長 182cm
体重 77kg
選手情報
ポジション MFRMF[1]
FWRWG[1]
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1984 スペインの旗 R・マドリードB 108 (25)
1982-1996 スペインの旗 R・マドリード 404 (97)
1996-1997 メキシコの旗 セラヤ 34 (9)
通算 546 (131)
代表歴
1980 スペインの旗 スペイン U-16 3 (0)
1980-1981 スペインの旗 スペイン U-18 21 (11)
1983-1984 スペインの旗 スペイン U-21 7 (1)
1984 スペインの旗 スペイン アマチュア 1 (0)
1985-1992 スペインの旗 スペイン 66 (21)
監督歴
2005-2006 スペインの旗 ラーヨ・バジェカーノ
2006-2008 スペインの旗 R・マドリードB
2009-2011 スペインの旗 ヘタフェ
2012-2013 スペインの旗 セビージャ
2013-2015 ギリシャの旗 オリンピアコス
2015-2016 フランスの旗 マルセイユ
2017-2018 スペインの旗 マラガ
2019-2020 メキシコの旗 UNAM
2021 スペインの旗 ヘタフェ
2022- ギリシャの旗 オリンピアコス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミチェル (Michel) こと、ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ(José Miguel González Martín del Campo, 1963年3月23日 - )は、スペインマドリード出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代はスペイン代表で、ポジションはミッドフィールダーRMF)、フォワードRWG[1]

クロスの精度や決定力などが持ち味であった[2]。10年以上に渡ってレアル・マドリードに在籍し、数々のタイトルを獲得している。スペイン代表としては66試合に出場して21得点を挙げ、2度のFIFAワールドカップと1度のUEFA欧州選手権に出場した。現役引退後は指導者としての道を歩んでいる。

父親もサッカー選手であったが、道路事故により27歳での現役引退を余儀なくされた。息子のアドリアン・ゴンサレスもサッカー選手である。

経歴

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選手時代

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クラブ

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1976年、13歳の時にレアル・マドリードの下部組織に入団し[3]、技術やフィジカル能力などから目立つ存在となった。1981年にレアル・マドリード・カスティージャに昇格し、19歳になってすぐの1982年4月11日、CDカステリョン戦でトップチームデビューした。しかし以降は出場機会が与えられることはなく、カスティージャでプレーを続けた。21歳だった1983-84シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)優勝を果たし[3]、ミチェル、エミリオ・ブトラゲーニョマヌエル・サンチスマルティン・バスケスミゲル・パルデサらはキンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)と呼ばれた。その他のメンバーとともにトップチームに昇格すると、1985-86シーズンから1993-94シーズンの間は常にリーグ戦31試合以上に出場した。1984-85シーズンはUEFAカップ決勝でヴィデオトンFCと対戦し、先制点を挙げて優勝に貢献した[3]。1985-86シーズンにはUEFAカップ2連覇を果たし、自身初のリーグタイトルを獲得した。リーグ戦ではこのシーズンから5連覇し、コパ・デル・レイでもたびたび優勝するなど、クラブの黄金期の中心メンバーとして歴史に名を残した。UEFAチャンピオンズカップの優勝はならなかったが、獲得したタイトルは16にも及んだ。

1989年にはイタリアのクラブと契約してスペインを去る可能性があると発表したが、1996年までレアル・マドリードに在籍した。1994-95シーズンには深刻な膝の負傷に苦しみ、リーグ優勝したシーズンのほとんどの期間を欠場した[3]。1995-96シーズンには回復し、ホルヘ・バルダーノ監督の下で満足なシーズンを送ったが、ロレンソ・サンス会長が就任した1996年夏、ブトラゲーニョがプレーしていたメキシコアトレティコ・セラヤスペイン語版に移籍した。1997年に現役引退した[2]。このようにミチェルは輝かしいキャリアを送ったが、彼の経歴には常に事件が付きまとった。1988年には試合中に投げられた瓶が頭に直撃したし、1992年にはレアル・バリャドリード戦中に非倫理的な方法でカルロス・バルデラマの集中を妨げたとして欧州サッカー連盟 (UEFA) から制裁措置を受けた[4]

代表

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世代別スペイン代表で活躍し、U-18スペイン代表としては21試合に出場して11得点を挙げた[2]。1985年11月20日のオーストリア戦でスペイン代表デビューし、1986年にメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップでは5試合に出場した。1988年に西ドイツで開催されたUEFA欧州選手権1988では3試合に出場して1得点した。1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは、グループリーグ2戦目の韓国戦 (3-1) でハットトリックを達成し、3戦目のベルギー戦ではペナルティキックを決めた。1992年にハビエル・クレメンテ監督が就任すると余剰戦力とみなされ、代表に招集されることはなくなった。最後に出場した時はまだ20歳代であった。

指導者時代

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レアル・マドリードに所属していた1994年には1994 FIFAワールドカップの解説を務め、現役引退後は本格的にスペイン国営放送 (TVE) の解説者の仕事を、またマルカ紙のコラムニストを務めた[3]。2005年夏にはセグンダ・ディビシオンB(3部)のラーヨ・バジェカーノの監督に就任し、1シーズン指揮した。2006年夏にはシウダード・レアル・マドリードのディレクターに就任、カンテラの総責任者となるとともにセグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・マドリード・カスティージャの監督も務め、息子のアドリアンも指導した[5]。しかしカスティージャは2006-07シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンBに降格し、ミチェルは監督を解任された。2008年12月、ラモン・カルデロン会長との意見の相違から、「(このクラブは)優秀なカンテラ選手を起用せず、他から選手を買うことしか考えていない」と言い残してディレクター職からも辞任した[6]

2009年4月27日、ビクトル・ムニョスの後任としてリーグ戦で苦戦するヘタフェCFの監督に就任した[7]。契約はシーズン終了までであり、再びアドリアンのチームの指揮官となった。18位で降格したレアル・ベティスと勝ち点差なしでの残留を果たし、シーズン終了後に2011年までの2年間の契約延長を勝ち取った。2009-10シーズンはヘタフェをクラブ史上最高の6位[8] に躍進してUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得したが、2010-11シーズンは16位と低迷し、シーズン終了後の2011年5月に解任された[9]

2012年2月6日にマルセリーノ・ガルシア・トラルの後任としてセビージャFCの監督に就任した[10]。2011-12シーズン9位で終わったチームの欧州カップ戦の出場権獲得を託されたが、直近のリーグ戦では11試合でわずか2勝と振るわず責任を負わされる形で2013年1月に解任される[8]

2013年2月からギリシャのオリンピアコスFCと2年半契約を結ぶ[11]。指揮官に就任すると、すぐさまチームをリーグカップの2冠に導く。2013-14シーズンにはリーグ連覇を達成するとともに、UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14で4シーズンぶりとなる決勝トーナメント進出へ導いた[12]。しかし、クラブオーナーがチームのプレー内容に不満を感じていたとも伝えられ、MFイブラヒム・アフェレイとの衝突など、チームの統制を失いつつあったところで2015年1月に解任された[13]。 その後、アギーレ監督解任後の日本代表監督選定の中で候補者の1人して報道されることもあった[14]

マルセロ・ビエルサ前監督がリーグ・アン2015-16開幕節となったカーン戦後の会見で突然の辞任を発表後話題となった後任監督選びだが 2015年8月その後任としてマルセイユの監督に就任[15]。しかし2016年4月19日、リーグ戦で15位(第34節時点)という低迷ぶりからクラブから解任が発表された[16]

2017年3月7日、マラガCFの監督就任が発表された。契約期間は2017-2018シーズンまで[17]。しかし2018年1月13日に解任された。

2019年5月20日、リーガMXUNAMプーマス監督に就任。

2021年5月26日、ホセ・ボルダラスの後任として再びヘタフェCF監督に就任したが[18]、2021-22シーズンのラ・リーガで8節時点で勝ち点1の最下位と極度の不振に陥ったことから10月4日に解任された[19]

タイトル

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選手時代

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レアル・マドリード
個人

指導者時代

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オリンピアコスFC

個人成績

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クラブでの出場記録

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クラブ成績 リーグ カップ 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点
スペイン リーグ国王杯 通算
1984-85 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 26 2 8 2 43 7
1985-86 31 7 5 0 48 9
1986-87 44 5 6 0 58 5
1987-88 35 14 7 1 50 19
1988-89 36 13 10 2 51 15
1989-90 37 8 6 0 46 10
1990-91 36 8 4 1 46 10
1991-92 38 11 6 3 54 16
1992-93 37 9 6 1 51 13
1993-94 37 11 4 1 47 14
1994-95 13 2 0 0 18 2
1995-96 33 6 1 1 42 8
メキシコ リーグカップ 通算
1996 アトレティコ・セラヤ メキシカン・リーグ 17 6
1997 17 3
通算 スペイン 403 96 63 12 554 128
メキシコ 34 9
総通算 437 105

代表での得点

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# 日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 1985年12月18日 スペインの旗 バレンシア ブルガリアの旗 ブルガリア 1-0 2-0 親善試合
2. 1986年11月12日 スペインの旗 セビージャ ルーマニアの旗 ルーマニア 1-0 1-0 UEFA欧州選手権1988予選
3. 1987年10月14日 スペインの旗 セビージャ オーストリアの旗 オーストリア 1-0 2-0 UEFA欧州選手権1988予選
4. 1987年11月18日 スペインの旗 セビージャ アルバニアの旗 アルバニア 3-0 5-0 UEFA欧州選手権1988予選
5. 1988年6月11日 ドイツの旗 ハノーファー デンマークの旗 デンマーク 0-1 2-3 UEFA欧州選手権1988
6. 1988年9月14日 スペインの旗 オビエド ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1-0 1-2 親善試合
7. 1988年12月21日 スペインの旗 セビージャ 北アイルランドの旗 北アイルランド 3-0 4-0 1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
8. 1989年1月22日 マルタの旗 タカリ マルタの旗 マルタ 0-1 0-2 1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
9. 1989年3月23日 スペインの旗 セビージャ マルタの旗 マルタ 1-0 4-0 1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
10. 2-0
11. 1989年9月20日 スペインの旗 ア・コルーニャ ポーランドの旗 ポーランド 1-0 1-0 親善試合
12. 1989年11月11日 ハンガリーの旗 ブダペスト ハンガリーの旗 ハンガリー 0-2 2-2 1990 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
13. 1989年12月13日 スペインの旗 サンタ・クルス・デ・テネリフェ スイスの旗 スイス 1-0 2-1 親善試合
14. 1990年6月17日 イタリアの旗 ウーディネ 大韓民国の旗 韓国 1-0 3-1 1990 FIFAワールドカップ
15. 2-1
16. 3-1
17. 1990年6月21日 イタリアの旗 ヴェローナ ベルギーの旗 ベルギー 0-1 1-2 1990 FIFAワールドカップ
18. 1990年9月12日 スペインの旗 ヒホン ブラジルの旗 ブラジル 3-0 3-0 親善試合
19. 1991年11月13日 スペインの旗 セビージャ チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア 2-1 2-1 UEFA EURO '92予選
20. 1992年4月22日 スペインの旗 セビージャ アルバニアの旗 アルバニア 1-0 3-0 1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
21. 2-0

脚注

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  1. ^ a b c “Michel”. Transfermarkt. https://www.transfermarkt.jp/michel/profil/spieler/117613 2023年7月16日閲覧。 
  2. ^ a b c Real Madrid biography (スペイン語)
  3. ^ a b c d e Real Madrid fans biography (スペイン語)
  4. ^ Míchel "palpa" a Valderrama Geo Futbol.com、2008年8月15日(スペイン語)
  5. ^ Míchel charged with Madrid future UEFA.com、2006年7月11日
  6. ^ José Miguel González Martín del Campo “Michel” presenta su dimisión y abandona el Real Madrid Deportes Teoriza.net (スペイン語)
  7. ^ Michel announced as new Getafe coach Goal.com、2009年4月27日
  8. ^ a b セビージャの新監督にエメリ氏-UEFA.com
  9. ^ ヘタフェがミチェル監督を解任 UEFA.com、2011年5月30日
  10. ^ セビージャ、マルセリーノ後任にミチェル氏 Goal.com、2012年2月7日
  11. ^ オリンピアコス新監督にミチェル氏-UEFA.com
  12. ^ オリンピアコス4季ぶり決勝T進出!ギリシャ代表勢 守備に難 - スポニチ
  13. ^ オリンピアコス、ミチェル監督の退任を発表 - GOAL.com
  14. ^ 協会、ミチェル氏に接触!オファー認めた - スポーツ報知
  15. ^ マルセイユ新監督に元レアル“ハゲワシ部隊”のミチェル氏が就任 - フットボールチャンネル
  16. ^ マルセイユ、今季2度目の監督交代 ミチェルを解任 - GOAL.com
  17. ^ スペインでの指揮は4年ぶり マラガ、マルセイユでビエルサの後任だったミチェル氏が新監督に - theWORLD
  18. ^ JUANCAR NAVACERRADA (2021年5月27日). “El 'scouting' de Míchel a la plantilla del Getafe” (スペイン語). マルカ. 2021年10月5日閲覧。
  19. ^ JUANCAR NAVACERRADA (2021年10月4日). “Míchel, destituido como entrenador del Getafe” (スペイン語). マルカ. 2021年10月5日閲覧。

外部リンク

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